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赤ヘル1975


世に原爆を題材にした小説は数あるが、被爆後のヒロシマを描いた代表作の一つとして本書を取り上げてもよいのではないか。戦後の広島の復興を、1975年の広島東洋カープ初優勝に象徴させた本書は、全く新しい切り口で原爆を描いている。

そもそも私は、広島東洋カープを舞台にした小説自体をあまり知らない。ノンフィクションであれば、「江夏の21球」を皮切りに、カープを舞台とした文章は幾つか読んでいる。樽募金のエピソードは白石選手や石本監督の自伝などでお馴染みだ。カープの歴史は、戦後プロ野球史の多様性を語る上で欠かせない。だが、小説の形式でカープを語った作品を私は知らない。私にとって本書は初めてのカープ小説のはずだ。そんな私に、原爆とカープを巧みに交わらせた本書はとても新鮮に映った。

本書は1975年のセ・リーグペナントレースの経過とともに物語が進む。春先からの赤ヘル旋風と称されるカープの戦いぶり。これがノンフィクション並に克明に描かれる。毎年、Bクラスでシーズンを終わることが当たり前だったカープ。しかし、カープとて手をこまねいていた訳ではない。1975年のカープは、シーズン前にユニフォームを一新して臨んだ。それまでの紺から、鮮烈な赤へ。チームカラーの劇的な変化。しかも、それを推進したのはカープにとって初の外国人の監督であるルーツ。

本書は、慣れ親しんだ紺から赤への変化を受け入れられない少年ヤスの葛藤で幕をあげる。「赤はおなごの色じゃ」という子供らしい葛藤で。

ヤスとユキオは中学一年生の熱狂的なカープファンだ。新聞記者を志望するユキオは皆が新学期に慣れないうちから、クラスの掲示板にカープ新聞を貼り出すことを提案する。本書は著者の地の文に加え、誤字脱字だらけのカープ新聞の記事がカープ初優勝までの盛り上がりを描いていく。その構成がとてもいい。カープファンですら期待薄だったシーズン開始から、奇跡とも言われた初優勝まで。読者は1975年当時のカープ優勝までの歩みや人々の盛り上がりをともに体験することになる。

21世紀の今でこそカープ女子の存在もあって人気は全国区だ。だが、1975年のシーズン当初は地方都市広島に本拠地を置く万年Bクラスのマイナーチーム。単にカープファンの一喜一憂を書くだけでは全国の読者が話に乗りづらい。著者はそこでマナブという東京から引っ越してきた少年を主人公におく。根っからのカープファンのヤスやユキオを差し置きマナブの視点で描いたことで、本書は全国の読者につながる視点を得た。

マナブがヤスとユキオに出会うシーンも秀逸だ。引っ越し早々、町の探検にジャイアンツの帽子をかぶって出かけるマナブ。カープ狂のヤスとユキオが因縁をつけるところから彼らの友情は始まる。二人と触れ合いながら、マナブは広島の街を徐々に理解してゆく。本書はマナブの異邦人の視点で広島を描いているため、広島に縁のない読者にも我が事のように広島を思わせる効果を挙げている。マナブが広島を理解してゆくにつれ、カープは躍進を続け、原爆投下後30年たってもなお残り続ける被爆者の実情や複雑な思いが徐々に現れてゆく。とても考えられた構成だと思う。

本書は単に広島東洋カープという万年Bクラスのチームが奮起して優勝した、という小説ではない。なぜカープ優勝が昭和史の年表で特筆されているのか。なぜあれほどまでに当時の広島の人々は熱狂したのか。それを理解するには、被曝都市としての広島を描くことが不可欠だ。野球史を詳しく掘り下げただけのノンフィクションではその辺りは描けない。著者が小説の体裁を採ったのもそれゆえだと思う。そして地元広島からの視点だけでなく、外からの視点で描いたことに本書の意味がある。

1975年はまだ被曝して30年しか経っていないのだ。身内や親族の誰かが被曝し肌を無残にめくり上げられた姿。めくり上げられ、吹き飛ばされ、燃え上がり続ける凄惨で不条理で鮮烈な街。薄暗さの中に、鮮血や炎の赤が揺れる網膜に刻まれる。30年経っても、被爆者たちが見た凄惨な光景は心にしまいこまれ、色褪せることはない。被曝体験が風化するにはまだ早すぎる。

本書には印象的な登場人物がたくさん出てくるが、横山庄造さんと妻の菊江さんも原爆で悲惨な目にあった一人。

家族全員を喪った菊江さんは、家族のそれぞれを広島以外の場所で喪っている。戦死や空襲など。広島だけが戦争被害に遭ったわけではないとの視点を著者はさりげなく提示する。同居する庄造さんは体中にケロイドを遺し、初対面のマナブを戦慄させる。長年、原爆体験には口をつぐみ続けてきたが、NHKが募った原爆体験の絵に取り組む決意を固める。庄造さんは、貼り絵に自らの表現の手段を見出す。庄造さんを手伝うため、色とりどりの紙を集めるマナブとクラスメートの真理子。その貼り絵は庄造さんの思いを表現するにはあまりに薄く、貼り絵はさまざまな色で厚く覆われる。庄造さんが貼り絵で混ぜ合わせる色が、カープの鮮やかな赤と対比されていることはいうまでもない。

カープが優勝するためには、生半可な色では駄目なのだ。あの夏の朝、流されたどの血の色よりも鮮烈な赤。しかもそれを選んだのは原爆を落とした国から来た監督。そこには因縁すら感じる。だがそんな因縁を乗り越えて変化を選んだのは広島の人々。そこには戦後の復興の確信を持ちたいという願いと、それをカープに託す人々の希望があったはずだ。ルーツ監督は意見の相違から早々に帰国してしまうが、チームは首位戦線に食い下がる。あの赤は、投下後の30年を思い起こすとともに、新たな広島を見据える為の赤なのだ。

マナブも広島に馴染んで行く。が、マナブには生活力のない父勝征がいた。そもそもマナブが広島に来たのも、父の商売の都合による。サラリーマンとしての勤めに向かず、ヤマっ気に富んだオイシイ話にばかり目の向く父は、広島にきた当初の商売に見切りをつけ、次のもうけ話に飛び付く。その商売というのが、ねずみ講。しかもあろうことか、ヤスの家業である角打ち酒場の客や、ヤスの母にまで声をかける。

カープ初優勝に熱狂する広島をよそに、夜逃げも同然に広島を離れるマナブと父。しかし、ヤスはマナブに友情を抱き続ける。あわや家を崩壊させかけた男の息子なのに。それは、マナブが度々示したヤスへの気遣いや、広島を理解しよう、溶け込もうとするマナブの努力が報われた瞬間である。だが、私は他にもあると思う。それは父がおかした過ちを息子がかぶることはない、という著者のメッセージではないか。父とはつまり、原爆を投下したアメリカの関係者を指し、太平洋戦争開戦を食い止められなかった当時の日本人を指す。息子とは、投下されて30年を経た広島の人々。血を思わせる赤を米国人の監督に提示され、受け入れた子の度量は父の過ちを許すかのよう。

過去を忘れちゃぁいけんが、前も向かにゃぁ。その思いに報い、優勝を果たしたのが、カープの面々である。日本の昭和史にあってカープ初優勝が特記されるのも、それ故のこと。そして、原爆を取り扱った小説の代表作の一つに、と私が本書を推す理由もそこにある。

本書を読み終えたタイミングは、米国のオバマ大統領が広島を訪問し、原爆慰霊碑に献花した印象的な出来事から少し経った頃。それに合わせたかのようにカープも「神ってる」快進撃を見せ、25年ぶりのリーグ優勝を遂げることになる。7度目のリーグ優勝は、すでにカープが全国区の人気チームになった後の話。1度目のリーグ優勝は、やはり格別な出来事だったのだとあらためて思った。

‘2016/06/21-2016/06/22


左腕の誇り 江夏豊自伝


本書を読み終えて半年が経とうとしている。その間、本書のレビューは後回しにし、他の本のレビューを優先した。それが幸いしたのか、本書をレビューとして蘇らせるのに時宜を得た事件が起きた。その事件とは、清原さんの覚醒剤による逮捕。

逮捕以来二週間がすぎたが、まだマスコミの報道は続いている。プロ野球界を揺るがす事件に対し糾弾の炎よ燃え盛れ、とばかりに報道はまだ鎮火する様子をみせない。

私は逮捕当日、そして10日後にブログを書いた。共に清原さんの将来の更生と復活を願う主旨だ。そしてその両方で江夏氏を引き合いに出した。覚醒剤で逮捕され、服役を経て、見事に更生した江夏氏のことを。江夏氏が更生できたのだから、清原さんにできないはずはない、と。

何故そう書けたのか。それは、本書の内容が鮮やかに頭に入っていたから。

本書では球史に残る名投手、江夏豊が余すことなく自らを語っている。自伝故に、手前味噌なところもあるかと思いきや、その内容は率直だ。少年時代の野球との出会い。甲子園には手の届かなかった高校時代。阪神入団のいきさつ。林コーチとの出会いと投球への開眼。藤本監督の薫陶。村山投手との交流。そして年間奪三振数世界一の栄光。

本書を読むと、投手江夏にとっての体力的なピークが入団二年目だったことがわかる。

長嶋選手のライバルであった村山投手から、王選手をライバルとするように指示された逸話はよく知られている。ライバルは王選手。それを実践するように、日本記録タイとなる三振を王選手から奪い、その後の打者一巡を三振を奪うことなくしのぎ、再び王選手から三振を奪って日本記録を達成する。プロ野球史に残る名勝負といえるだろう。

若い時にのみ許される、怖いもの知らずの天狗。「一度は大いにテングになるべきだと僕は思っています」「しかしテングの鼻は必ずどこかで折れる。自分に自信が持てなくなるときが何度もやってくる。そのとき、どう立ち直るかが、その人の価値だと思うんですね」(140P)。後年の江夏氏は、この言葉を実践した。また、このような言葉もある。「野球という一つの世界で、天性だけで飯が食えるといったら一年二年です。あとは本人の努力と工夫」(147P)

三年目以降の江夏投手は、身体の故障や不調との戦いだった。私自身、本書を読むまでは勘違いしていた。オールスターでの九連続奪三振。延長十一回に自らのホームランでノーヒットノーラン達成。江夏の21球で知られる1979年日本シリーズの投球。どれも投手江夏の才能が成せた技、と。ところが本書を読むと、それらの偉業の裏に江夏氏の苦悩と努力と克服があったことが分かる。

特にオールスターでの9連続奪三振は、剛球投手の真骨頂と思われがちだ。しかし、すでにこの時、投手江夏は心臓に病を抱えた状態だった。ニトログリセリンが手放せなくなっていた経緯も本書には綴られている。昭和46年といえば、巨人がV7を成し遂げた年。巨人に結果としてV9を許したとはいえ、当時の阪神が弱かったかというとそうではない。むしろ、巨人によく喰らいついていたといえる。江夏氏は心臓病を抱えながらエースとして奮闘し、なおかつオールスターで空前絶後の偉業を達成したのだから大した者だ。しかもこの試合では、自らホームランも放っている。9連続奪三振をなしとげながら、打席ではホームランを放つなど、もはや漫画の世界の話だ。漫画の世界という言葉で思い出すのはこのところの大谷選手の活躍だ。しかし、四十年以上前に、江夏氏のような投手がいたことを忘れてはならない。

そしてこの心臓病発症と、9連続奪三振の偉業を境に、江夏氏の球運に陰りが生ずる。

江夏氏といえば傲岸不遜な一匹狼とのイメージがついて回っている。実際、本書を通して読むと、要領よく立ち回るのが苦手な氏の生き方が伝わってくる。決して自分から壁を築いている訳でもない。人を自ら遠ざけることもしない。ただ愛想よく振る舞うのが苦手なだけ。でも、圧倒的な球威を持つゆえに、江夏氏の周りには人が集まる。それを疑わずに受け入れる江夏氏は、エースとして持ち上げられる。そして、利用される。

人が集まれば派閥が出来上がる。当時の阪神タイガースは、村山投手という大エースに、今牛若丸と称された吉田選手がいた。その中で江夏氏は派閥争いに巻き込まれ、意に染まぬ形で村山投手とも気まずくなってしまう。後を継いだ金田監督との関係も当初は蜜月だったが、監督自身の人望のなさに、江夏氏から愛想をつかす。

恐らくはこういった派閥にほとほと嫌気がさしたのだろう。江夏氏が徐々に孤高の一匹狼の殻をまとっていく様子がよくわかる。江夏氏の言葉に辛辣な風味が混じり始めるのもこの辺りから。このあたり、氏と同じく派閥嫌いな私にとっては身につまされる思いで読んだ。

そして江夏氏の孤高のイメージは、本書内で吉田氏のことを「吉田義男」とほぼ呼び捨てする事件で固まる。江夏氏にそうさせたのは何か。それは、阪神タイガースからのトレード放出。江夏氏に無断で、騙し討ちのような形で南海へトレードに出されたのだ。未だにこの件では、江夏氏の怒りが融けることはないようだ。私にとっても、このエピソードは以前から知っていたし、印象に残っている。人の付き合いは堂々と正面から行うべき、と私の肝に刻み込まれたエピソードである。

南海に移った江夏氏は、野村監督の野球術に心酔する。そして短いイニングで試合を締めるための投球に開眼し、野球人として新境地を開く。投球術にはますます磨きがかかり、蓄積したデータと緩急取り混ぜた打者との駆け引きにプロとしての真価を発揮する。この辺りの身の処し方など、世のビジネスマンにとって参考になるはずだ。少なくとも私は、このくだりを読んで私自身の技術者人生の行く末に思いを致さずにはいられなかった。

野村監督の南海解任に従い、南海から広島へ。そして広島東洋カープで演じたのが有名な江夏の21球だ。故山際淳司氏がノンフィクション小説として作品化し、SportsGraphicNumberの創刊号を飾ったことでも知られている。この日本のスポーツノンフィクションの金字塔となった余りにも有名な一編では、職人芸ともいえる投球術が堪能できる。

が、意地悪く読めば、独りで満塁にしたピンチを独りで収拾しただけともいえる。つまり、一人相撲。野球は一人でもできる、と言い放った言葉が一人歩きし、それが江夏氏の孤高のイメージ形成に一役買った経緯は本書にも記されている。だが、その言葉は図らずも江夏氏の不幸の原因を言い当てているのではないか。江夏氏の不幸とは、才能を発揮したスポーツが団体競技だったことだろう。しかも、江夏氏の自身は人一倍職人気質だったにも関わらず、団体競技で輝いてしまう。そのギャップに苦しみつつ投げ抜いたことが、より一層人々に強い孤高の印象を与えたのだと思う。

上にも書いたエピソードの数々は、あまりにも劇的すぎる。それはファンが江夏氏をヒーローに祭り上げるには十分すぎるレベルだ。そのレベルが高ければ高いほど、人から寄せられる期待が熱ければ熱いほど、当の本人は、イメージに縛られてしまうのではないだろうか。まるで溶けた蝋が体にまとわりつくように。

そして、そのイメージが輝かしければ輝かしいほど、自らのイメージに縛られることになる。それを埋めるために、麻薬、覚醒剤にたよってしまう。それは、決して擁護すべきことではないのだろう。他の道を極めた達人たちは麻薬に溺れなかったではないかと言われればそれまでだ。だが、我々凡人には高みに達してしまった江夏氏のような人の苦しみは理解できない。そもそも人の内面の苦しみを完全に理解することなど不可能。安易な断罪など以ての外、ということは弁えておきたいものだ。

江夏氏の覚醒剤の一件は、江夏氏から聞き書きして本書を構成した波多野氏によってエピローグで触れられている。が、本書の刊行からさらに時を経て本書に触れた我々は、江夏氏が覚醒剤から見事に更正したことを知っている。

江夏氏の更生には、江夏氏を知るプロ野球人達の尽力が大きかったと聞く。本書にはその辺りのエピソードは出てこない。それらの方々は、江夏氏の公判において証人となって江夏氏を親身に擁護したと聞く。ともにプロ野球道の高みを極め、自らのセルフイメージと現状がギャップの乖離がどれほどの苦しみかを共感できる仲間。そのような仲間達に恵まれたことは、晩年の江夏氏にとって幸運だったのではないか。

清原氏が逮捕の少し前に名球会の試合に出場した動画がyoutubeで観られる。そこには、67才の江夏氏と75才の王氏の対決も登場する。もちろん、両者の間にかつてあったはずの緊張感は片鱗も見られない。でも、そこには自らのセルフイメージの幻影から解き放たれた江夏氏の幸せな姿があった。私にはその姿がとても良いものに映った。

清原さんはどうだろう。江夏氏が見事に覚醒剤から縁を断ったように、清原さんには何としてでも復活した姿を見せて頂きたい。そして、その過程において清原さんの苦しみをもっとも理解できる人とは江夏氏その人ではないだろうか。そして、本書は清原さんにこそもっとも読んでほしい。

清原さんに今一番欠けているのは、自らへの自信であり、理解者だと思う。本書に詰まっている江夏氏の輝かしい業績とその後の変転は、清原さん自身のプロ野球人生を思い出させることだろう。そして、江夏氏の過ごした浮沈の激しい人生は、江夏氏には失礼な言い方になるかもしれないが、優れた一編の小説にも似た極上の読後感を与えてくれる。

私の家のすぐ近くに、江夏氏が引退試合を行なった多摩市一本杉公園野球場がある。その駐車場の脇にあまり目立たぬ佇まいで、江夏氏がお手植えした木が育っている。なんの装飾もてらいもなく、素っ気無いプレートにそれと書かれていなければ絶対にそれとは気づかない木だ。でも、この簡潔にして素朴な様子こそが、江夏氏の浮沈に満ちた人生の到達点であるように思えてならない。

素晴らしい一冊。

‘2015/10/28-2015/11/08