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家族で台湾・台北101・台北 2019/7/25


最終日の朝は、のんびりと過ごす予定でした。

ですが、私はのんびりと起きている場合ではありませんでした。
なぜか。
この晩、私はベッドの掛け布団の外に足を出して寝てしまったのです。
おいしい獲物を虫たちが見逃すはずがありません。私の両足は虫たちの格好のターゲットにされました。
朝、目覚めた私の両足には無数の虫の噛みあとが残されていました。強烈なかゆみをともなって。
朝からカイカイと足を掻きまくる私。
これは私の失敗でしたね。

妻子はホテルでのんびりするというので、私は一人でやりたかったことをするため外に出ました。
それは、自転車で台北の街を巡ることです。24年ぶりに。

24年前。台湾を自転車で一周する旅に出た若者五人。台北の新光三越百貨店でマウンテンバイクを購入しました。
ですが、二日目で一人が山道の登りについてこられず脱落しました。
さらに南端を回り、台南に着いたところで、一人が日本での用事があるため、電車で帰って脱落しました。
台南からの道中は三人となりました。
新竹からの最終の行程で、私以外の二人は、先に桃園国際機場に自転車を置いてくる、といって離脱しました。
なので、台北まで自転車で戻ってきた時、私一人でした。
夜、放し飼いにされた犬に追いかけられりしながら、たった一人で台北の市街に戻ってきた私。
台北の第一大飯店に戻ってきた時の高揚感と達成感と湧き上がる喜び。その時に感じた全能感は、その後の私の人生にも多大な影響を与え続けています。


私は一周を成し遂げた感動のあまり、その時、ホテルのフロントにいた陳正容さんに台湾一周の証明書を書いてもらえないか、とお願いしました。
つたない英語で道中を説明した私。今から考えるととても厚かましいお願いでしたが、陳正容さんは夜間にそれを書き上げ、部屋のドア下に差し込んでいてくれたのです。
陳正容さんの消息については、私は何度かFacebookで検索しましたが見当たりません。同姓同名の方はいらっしゃるのですが。
今回の旅でお会いできないことは承知でしたが、第一大飯店には必ず再訪し、当時の思い出をもう一度温めたいと願っていました。


台北の街にはYouBikeというレンタルサイクルのサービスがあります。クレジットカードで登録しておくと、自転車が借りられるサービスです。
最近、日本でも同じようなサービスが増えています。ですが、私は日本では使ったことがありません。
初めてこのようなサービスを使ったのが、私が自転車で壮挙を成し遂げた台湾というのも何かの奇遇を感じます。


無事に自転車を借りられたので、24年の歳月を感じながら万感の思いで自転車を漕ぎました。
24年前と変わらぬ台北駅から、当時、自転車を購入した新光三越百貨店を通り、そして第一大飯店へ。
おぼろげでセピア色だった私の記憶に色がよみがえってきます。
24年前から何も変わっていないように思える台北の街並み。
ようやく来られた、という感動の瞬間でした。
街のすべてを心に刻もうと、あちこちを写真に撮る私。撮らずにいられましょうか。


帰りには二・二八和平紀念公園にも寄りました。
二・二八事件とは、台湾が国民党の統治下におかれてすぐ、本省人(元から台湾に住んでいた人々)と外省人(国民党)が対立し、国民党による弾圧が行われた事件を指します。その事件をきっかけとして、台湾には長い間戒厳令が敷かれました。
この公園は、その事件を記念するために設けられたといいます。


24年前には来なかった場所を訪れ、中華民国総統府などあちこちを寄った私。あと二日ぐらい、台北を自転車で巡る幸せに浸っていたかったのですが、ホテルのチェックアウト時間が迫っています。
自転車を返し、ホテルに戻ったのはチェックアウト15分前。部屋で速攻でシャワーを浴び、ロビーに走って何とか妻子と合流できました。

さて、この日は台湾の最終日。
残り少ない時間を有効に使わなければ。

ホテルを出た私たちが向かったのは、MRTの龍山寺駅。そこから、西門駅で乗り換え、松山新店線へ。降り立ったのは公館駅です。
そこで見かけたのはMister Donuts。娘がアルバイトをしていることもあって、日本との違いに興味津々。日本にはない商品もあり、いろいろと買い込みました。


さて、この日の最初の目的地は台湾スイーツの名店です。家族が行きたいと望んだのはMr.雪腐というお店。
削ったかき氷にたっぷりとかかったシロップが絶品でした。妻も娘もとてもおいしいと絶賛の味でした。こうしたスイーツがさして行列もせずに食べられるのが本場のうれしさです。


Mr.雪腐のお店を出た後、次の目的地に向かおうと通りを歩いていると、なんと、KAVALAN Whiskyの路面店を発見しました。
今回の旅では花蓮にあるKAVALAN Whiskyの蒸留所にも行きたいと思っていた私。行程の都合であきらめていましたが、こうやってお店に巡り合えて感激です。
私一人でお店に入り、なめるようにボトルの数々を見て回りました。日本ではあまり見かけないブレンドや樽が並ぶさまはまさに眼福。
店員さんに断りをいれて店内も撮らせてもらいました。
そして、見るだけではなく一本買って帰りました。


MRTの台電大樓駅まで歩き、そこからMRTの中正記念堂駅へ。そこで淡水信義線に乗り換え、台北101/世貿駅へ。
言わずとしれた台北101のふもとの駅です。
台北101は超高層ビルとして、一時は世界一の高さを誇っていました。今も台北の新たな観光名所として名高いと聞きます。
24年前にはできていなかったので、私にとっては初めての訪問です。


そこのフードコードでしばらく時間を過ごした私たち。
妻も娘たちも、すでにおなかも旅の経験も満腹の様子。もりもりと101のお店を巡ろうとは思わなかったらしく、まったりとした時間を過ごしました。
私はフードコートの中でBuckskinのカウンターを見つけ、クラフトビールをいただきました。今回の旅ではクラフトビールのブルワリーにも行きたかったのですが、期せずして最終日にいただくことができました。
その後、妻子でいくつかのアパレルの店々を巡っているさなかに、きちんとしたBuckskinのパブを見つけたので、つたない英語で「コースターをくれないか?」と話しかけて無事にコースターも入手できました。


妻も娘たちも満足したところでMRTに乗って中正記念堂駅と西門駅を経由し、龍山寺駅へ。そろそろホテルに預けている荷物を持って空港へと向かわねばなりません。
ホテルに別れを告げ、台北駅を通り、台湾のにぎわいを目に焼き付けました。
そして桃園国際機場へ向かうMRTへ乗り換えました。いよいよ台北の景色ともおさらばです。


空港では日本でもおなじみのタピオカチェーンのCOCOでタピオカを頼む娘たち。今回の旅で、いったい何店舗のタピオカを制覇したのか。覚えていないぐらい、タピオカ店に行きました。
初日にはおどおどしていた娘たちも、だいぶ台湾に慣れてきており、しかも台湾が好きになってくれたのがうれしいです。
ただ、時間に余裕がなかったため、免税店にはあまり長くいられず、食事をとる時間もありませんでした。
それでも、素晴らしい四日間の余韻に漂いながら、日本へ帰る旅人として出発の時間を待つ私たち。


いよいよ、peach航空に乗る時間は迫り、夕闇の桃園国際機場を離陸した私たち。
羽田に着いたのは夜中の一時過ぎで、Tully’s Coffeeでしばし時間を過ごしました。
そしてそこから車を駆って家へ。

四日間の旅はこうして終わりました。実に楽しく有意義な時間が家族と過ごせたと思います。
娘たちも妻もまた台湾には来たいとか。娘たちにとっては物心がついてから初めての海外が台湾でよかった。気に入ってくれて親としても満足です。

私は帰宅して少し寝た後、さっそくCybozu社の本社で長時間の開発者向けイベントCybozu DevCampへと。
尾瀬から台湾、そして都心へと続いた六日間は、全力で開発者としての本分に立ち返る時間で締めました。
DevCampの会場でしきりと足を掻きむしり、真っ黒に焼けた変な人を見かけた方。私は前日まで台湾で日に焼け、虫に刺されていたので許してください。

そうしたあれこれの思い出も、この素晴らしい毎日のたまものから。すべてに感謝です!

そして、コロナで一変した世界に生きる私たちが、またこうした海外への旅に出かけられる日を心の底から願いたいと思います。


家族で台湾・十分・士林 2019/7/24


ホテルを出た私たちは、台鉄の萬華駅から乗車しました。この方が台北で乗り換える手間が省けるのです。
それにしても台鉄の駅は暗い。
昨年も感じたことですが、この萬華駅はとくに照明が乏しいように思い、不安になります。

今日の行き先も昨日と同じく瑞芳駅。台北で適切な列車に乗り換えれば、あとは電車に乗っているだけ。
しかも、前日のようなアクシデントも起こらず平穏でした。昨日とほぼ同じルートをたどり、瑞芳駅で下車。
今回は瑞芳駅からバスに乗り換える必要もありません。少し時間がありました。なので、駅前を少し散策しました。

駅から歩いてすぐの道端の屋台では、大腸包小腸というものが売っていました。
これは、もち米を腸詰めにしたソーセージに切れ目を入れ、間にさらにソーセージをはさんだ食べ物です。これがとても美味しかったのです。
さらにその道を進むと、瑞芳美食街という屋内の屋台村のような場所がありました。
ここに入ってさまざまなものを食べましたが、どれも絶品。胡椒餅も美味しかったし、私がひとりで入った店で食べた牡蠣のお好み焼きみたいなものもとても美味しかったです。


庶民の味であってもどれも絶品で、パクパクと食べてしまいました。ここの瑞芳美食街は、地元の高校生たちも大勢で訪れていて、まさに地元に密着した場所でしょうね。また訪れたい場所です。

さて、電車の時間が迫ってきたので、瑞芳駅にもどりました。瑞芳駅から出ている平渓線への直通列車です。
この平渓線は、確か江ノ電とも提携していました。日本でも黄色い車両の気動車として知る人ぞ知る存在です。軒先をかすめるようにして走る電車といえば知っている人もいるかもしれません。
今回は周遊券を瑞芳駅で買って向かいました。
ローカルな感じの沿線を電車は走ります。ある程度の川幅のある川に沿って。そして、緑に満ちた森林地帯へと進みます。草が車体をこする葉音が旅情を高めてくれます。


車窓からはいくつも滝が見えます。それも、一つ一つの滝が相当の規模を持っているようです。列車から飛び降りて観に行きたくなります。でも、我慢。このあと滝も見に行くのですから。
列車は店々の軒先のすぐ前を走ります。なかなかワイルドであり、日本では味わえない光景です。


駅に着くと、大勢のお客さんが降りました。私たちもそれに続いております。
先ほど通ってきた軒先にある店々には、色とりどりのお土産が売っています。
さすがに昨日、九份で数えきれないほどのお店に寄ったので、今日はそれほどお店には食指が伸びません。


まず、私たちが目指したのはランタンです。巨大なランタンを空に飛ばす名物。
この日の目的の一つが、このランタンでした。
その四方に、家族の四人が一人一面、思い思いのメッセージを書きます。そして、それを空に飛ばすのです。
娘たちはそれぞれの思いを書き、私も妻もそれぞれの願いを書きます。
これからの心がけ次第ではありますが、願いよ叶えと。


思ったよりもランタンは高く飛び、かなりの高みに昇って行きました。
もちろん周囲では他にも無数のランタンが飛んでおり、私たちのランタンは上空で他のランタンと見分けがつかなくなりました。

このランタン、線路の上で飛ばすのです。日本では線路に立ち入るだけでもうるさく言われます。こうした非日常の場所で願いを書いたランタンを空に飛ばす。まさに非日常の極みです。


後で駅の近くを歩きまわった時、あちこちにランタンが落ちていました。それをおばさんが回収している姿も目撃しました。果たして私たちのランタンはどこまで飛んで行ったのか。
全てが異国ならではの貴重な思い出です。

私たちが続いて向かったのは、十分瀑布です。私が昨年も来ようと思ってこられなかった場所。滝が好きな私にとって今回の台湾旅行で最も楽しみにしていた場所。

川に沿った小道を歩いて行きます。歩いていると日本とそう変わりないようには見えますが、十分の駅前の喧騒を過ぎてさらに歩くと、少しだけにぎわいの消えた商店街のような一角があります。
その軒先には無数のツバメが飛び交っていて、あちこちに巣が見えます。
この辺りの自然の豊かさが感じられます。


小道を歩いていくと、先ほど私たちが乗ってきたばかりの平渓線の鉄橋があり、その脇を私たちは階段で登ります。
その登り口のすぐ側には滝があります。眼鏡洞瀑布です。
この滝もなかなかの滝姿です。私にとって初めてみる海外の滝。その感慨を存分に味わいながら、滝の前でたたずみました。


しかも、平渓線の鉄橋に沿った通路を歩いていると、ちょうど平渓線の電車が通ってきました。その動く姿は、電車が好きな方にはたまらないはずです。
旅情に溢れた音と動き。私もその喜びを存分に堪能しました。


なおも歩いていくと、何やら広場がありました。
前日の九份もこの日の十分も、昔は炭鉱でにぎわった場所。
この広場には炭鉱のよすがを感じさせる展示物が露天に雨ざらしで展示されていました。

この辺で、すでに暑さのあまり妻と娘は音を上げていました。そもそも滝に興味ないから、十分瀑布にも興味がなく。

ですが、私は台湾随一の滝とされるこの滝は絶対に見たい場所でした。
一つの川が丸ごと滝となって流れ落ちる様はまさに圧巻。その水量と飛沫の量は東洋のナイアガラと呼ばれるだけのことはあります。
あえてこの滝の残念な点をあげるとすれば、滝頭の部分にうまく水がたまるように少し人の手が入ってしまっていることでしょうか。
ですが、それを差し置いてもこの滝は見る価値があると思います。とくに滝が好きな向きには。
私はしばらく、滝の前から動けませんでした。まさに立ち尽くしていました。満足です。


滝の周りには一時間ほどもいたでしょうか。妙なトカゲともであったりしながら。そのうち、妻からLINEでまだかと言う催促が来ました。戻らなければ。


ここで、通信環境について。

今回の旅は日本からレンタルのポケットWi-Fiを借りてきました。
一つのWi-Fiで4人の端末が自由にネットにつなげられ、日本との連絡だけでなく、現地で家族間でLINEの連絡などが自在にできました。とてもありがたかったです。
ところがこのWi-Fiの問題は、Wi-Fi端末から離れるとつながらなくなることです。つまり、四人が常に一緒にいないと不便なのです。当たり前とはいえ、それが行動の足かせになりました。
この時も、私が瀧へ単独で向かったためため、LINEではつながりにくかったみたいです。

LINEをきっかけに現実に戻された私。妻と娘のもとに戻りました。
そして、十分瀑布の演じる見事な景色に別れをつげ、再び十分の街へと戻りました。


途中、駅の近くにあるカフェに寄って休憩。ここのカフェで現地の喫茶店の雰囲気を楽しみました。日本にいる時にもたまに家族で訪れるCaféの時間。まさにこの時もそのような時間が過ぎました。こうした家族四人で過ごす時間がかけがえのないことを感じつつ。

さて、十分駅には一時間に一本程度の電車しか来ません。
なので、妻と娘にはあちこちの店で自由に買い物を楽しんでもらい、私はその間に十分駅を心ゆくまで見学することができました。


この十分駅の特徴を空を舞うランタン以外に一つだけ挙げるとすれば、猫です。
猫が何匹もいるのです。しかもホームの上で自由に寝転がっています。
ネコの自由な姿が見られるだけでも、この駅に来る価値はあります。
もっとも三つ隣の猴硐駅はさらに猫で有名らしいのですが、今回は訪れることができませんでした。

私は十分駅をわが物顔で過ごす猫たちの自由気ままな姿に癒やされながら、夢中で写真を撮りました。
写真を撮るだけでなく、空を飛ぶランタンの姿を眺めたりしながら。


やがて電車が近づいてくる時刻になると、駅員さんが大声で人々を整理し始めます
それとともに、線路の上でランタンをあげていた人々も、さっと姿を消します。


人々がいなくなった線路を、煙を吐いて気動車がやってきました。
そして、十分駅に停車したあとは去っていきます。平渓線の終着駅である菁桐駅までいき、また十分駅に戻ってくるのです。
列車が去ると、次に電車がやってくるまでの間、人々は線路に湧き出てきます。そして、その上でランタンを飛ばし、思い思いに写真を撮ったりします。
このあたりのメリハリこそが台湾で過ごすコツだと思います。自由な時間は線路の上だろうが構わず、列車が来るときはきっちりと間を空ける。
そして、その緩急の大きさこそが台湾の魅力だと思います。そして、この魅力が味わえる場所こそ、この十分駅ではないでしょうか。

さて、菁桐駅から戻ってきた列車が折り返してくる前に妻子と合流し、そこからは帰りの列車に乗り込みました。
帰りの電車では、十分の街の余韻を楽しみ、台湾の田舎の風情を楽しみました。
この景色こそが、私が24年前に惹かれた台湾の風景です。

やがて列車は瑞芳駅へ。この時は乗り換えがあったため、瑞芳駅の外には出ませんでしたが、乗り換えの時間を利用してたくさんの写真を撮りました。こうやって異国の駅を画像に収めておくと、そのディテールだけで後日にも楽しめます。

やがてやってきた乗り換えの列車に乗り、そのまま台北から萬華駅へと移動しました。
萬華駅からはカイザーメトロホテルに戻って荷物を置き、すぐに私たちは出かけました。
MRTの龍山寺駅から台北駅へ。そこで板南線から淡水信義線に乗り換え、私たちが下りたのは士林駅。

ここは士林夜市の最寄り駅です。日本から持ってきた台湾のガイドブックによるとここが台北でも一番規模の大きい夜市なのだとか。

昨年の妻との旅と前日私たちが訪れた夜市は、ホテルにほど近い艋舺夜市と華西街観光夜市だけでした。
ですが、私にとっての夜市とはこんなものではなかったはずなのです。24年前の旅で、私が味わった夜市の思い出。店の人と値段を値切る交渉をしたり、異国のよくわからない飲み物を飲んだり(たしかタピオカミルクだったような)。
その時に経験した心が舞い踊るような楽しさは、上に挙げた二つの夜市では感じられなかったのです。
私はその経験をもう一回味わいたかったし、娘たちにも見せたいと思っていました。
なので、最後の夜は台北でも一番規模の大きい夜市に期待と思いました。

そしてついた士林夜市。まさにその街並みは華やかで、にぎやかさが夜の街を覆っていました。
私たちはそれこそ数え切れないほどの店々を巡りました。チーズケーキのホールの美味しい店があると聞いて行ったら、お店がまさに閉まる寸前で、ラスト一つのチーズケーキを入手したり、多様な屋台の食べ物を楽しみ、臭豆腐にもチャレンジしました。まさにおいしい台湾のグルメが集まっており、それらを心行くまで満喫しました。


さらに、何かちゃんとしたものも食べようと、夜市の真ん中にある市場の下に行くと、熱烈な客引きにつかまり、そこでもご飯を食べました。
よく見ると、隣にも数軒、同じような食堂があります。なのに、私たちが呼び止められたお店があらゆるお客を取り込んでしまうため、私たちが入った店の混雑とは違い、隣の店々が閑散としていたのが面白い光景でした。


こうした台湾の活気があふれる様子を味わうだけでも、士林夜市に来た甲斐はありました。
そして、娘たちにとっても士林夜市はとても良い印象を受けたようです。
今回の台湾の旅でもっとも印象に残ったのは、次女は士林夜市。長女はでした。

士林夜市にはいわゆるグルメの店だけでもなく、Nikeのショップや、台湾のファッションの最新のお店も集まっています。日本で例えるなら原宿のような感じでしょうか。
若い人たちの集まる最先端のエネルギーが士林にはありました。また来たい場所ですね。


夜市を堪能するだけ堪能し、すでに時刻は23時を超えようとしています。この夜市の発する雰囲気こそが、台湾人や中国人が持つエネルギーの象徴なのかもしれません。
日本では、もう同じようなエネルギーは感じられないような気がします。

私たちはホテルにつくと、早速、夜市で買ってきたチーズケーキをいただきました。そのおいしかったことと言ったら。
こうして台湾で過ごす最後の夜も過ぎていきました。


家族で台湾・九份 2019/7/23


朝、ホテルを出た私たちは、MRTに乗って台北駅へ移動し、そこから、台湾国鉄、いわゆる台鉄の駅へ乗り換えました。
台鉄には電車の種別が何種類もあります。
昨年、一人で基隆まで乗りましたが、その時は買うべき切符の種類がわからず難儀しました。
ですが今回はもう大丈夫。適切な電車を選び、四人分の切符を買い求める。台湾の鉄道はもう乗りこなせるに違いない。

そう思いましたが、台湾の鉄道の奥深さは、まだまだ私の理解のさらに先を行っているようです。
まず、座った席が指定席なのか自由席なのかがわからない。
しかも、家族四人で座っていると、途中から乗ってきた人に席にこられて怪訝な顔をされました。
なので、私たちは場所を移動しました。あれ、この電車は指定席やったっけ?

電車は、地下を進み地上へと。私が去年一人で乗った区間です。
異国の電車の旅は格別。
と、その時です。
急にざわざわとしだしたかと思うと、何やら焦げ臭い匂いが立ち込めてきました。
私たちが乗っている電車の前の方から、何やらざわめきとともに人が通路をこちらに向かってきます。
一体何が起きたのか。
焦げ臭い匂いである以上、何かが燃えているようです。
一体何が起こってるのか皆目わからないまま、私たちはいた場所から電車の後方車両に向けて移動しました。


日本だとこのような緊急事態が起これば、電車はすぐに緊急停止するはずです。なのに、電車は止まる気配も見せずに疾走しています。車内アナウンスもなく、何が起きているのか分からぬ私たちに不安が押し寄せます。

私たちが別の車両に移ってから、ようやく車掌らしき人のアナウンスが聞こえました。もちろん何を言ってるのか全くわかりません。
私たちは、不安をこらえながら、異国の電車の中で、心細げに通路に立っていました。
これぞ台湾というべきおおらかさ。私はこのおおらかさが好きですが、娘たちや妻にとってはなかなかの新鮮な経験だったようです。

やがて、電車は何事もなかったかのように八堵駅を過ぎ、瑞芳駅に着きました。
ここで降りたのは、この日の目的地である九份に向かうためです。ですが九份にはどうやって行けばよいのか。バスで行くことは調べていましたが、そのバス停がどこにあるのか分かりません。
まず駅を降り、街へと繰り出しました。瑞芳駅は日本統治の頃の雰囲気を今に伝える堅牢な印象のある駅です。
そんな駅舎を背後に、駅前のあたりを動き、九份へ向かうバス停らしき場所を見つけました。
その前に、時間に少しだけ余裕がありそうなので、娘の目当てであるタピオカ屋さんに行きました。
85度Cと書かれたこの店。日本にも支店を出しているそうですが、早速、今の旅で二軒目のタピオカを娘たちは楽しみました。


この店の隣にはケーキ屋さんもありまして、とてもかわいいケーキが色とりどりに並んでいました。
24年前の旅では男五人の旅でした。なので、こうしたお店には全くよることがありませんでした。その当時もこうした洋菓子系のお店は可愛らしいケーキがあったのでしょうか。

さて、タピオカに満足した後は、バスを待ちます。
すると、バスがやってきました。
このバス、日本で言えば観光バスでしか見かけられないような豪華な作りです。悠遊カードを使い、席へ。


九份は台湾随一の観光地でもあり、私にとってもはじめての訪問です。
とても楽しみ。
やがてバスは山道を抜け、九份のバス停に着きました。
バスを降りると、道には歩道をはみ出して大勢の人々が歩いています。道には車やバスが往来していますが、誰も彼も構わずに歩き回っています。観光地によくある光景です。

人々の流れに沿って歩き、九份の街の入り口へ。
狭い間口は、場末の商店街よりもさらに狭く、暗い感じが入るのをためらわせます。しかも、中からは独特の匂いが立ち込めています。さまざまな食べものと何か得体の知れない物の混じりあった匂い。日本ではまず嗅げないたぐいの匂いです。

その入り口を入っていくと、台湾のディープなお店が両側にずらりと連なっています。今風の店もありますが、昔ながらの台湾食材を扱う店もたくさん。
バラエティーの豊かな店々の様子は、豊かを通り越してカオスです。混沌とした色彩とごった煮のような店に挟まれた通路は観光客でごった返しています。
とにかく人が多く、強烈な匂いに慣れるまでは、歩くのもしんどいほど。


それでも、歩いて行くと、興味深いお店が無数にあるため、つい足を止め、覗き込んでしまいます。
最近の日本ではあまり見られなくなってきたエネルギーが渦巻いています。

やがて歩いていくと、素晴らしい景色の場所にたどり着きました。金山石。ここでしばらく、海と山が作り上げた美しい風景に心を委ねました。

金山石から数メートル戻った場所には、幸福堂と言う名前のタピオカ屋さんがありました。
見るからに美味しそうで、次女は一人で買いに行きました。そろそろ台湾の水になじんできたようです。
ここのお店は、タピオカの煮込みまで見せており、これがとても美味しそうでした。


実際、味はとても美味しかったです。今回の旅の中でも一番印象に残っています。
後日、日本にもこの幸福堂は進出したそうですが、行ってみたいと思います。

さて、幸福堂で甘いものを味わった後は九份茶房と言うお店で、お昼を食べました。
台湾のローカルな味わいが堪能できました。
が、飲み物も含めて日本では味わえない独特の味付けで、しかも量が多い。娘たちや妻には、お腹いっぱいだったようです。
ここも景色が良く、外の風景がとても楽しめました。内装もとても落ち着いていて、ここでしばらく人いきれの疲れを癒やしました。


さて、あたりにはさまざまなお店が軒を連ねています。
どこに行っていいかわからないですが、手当たり次第にいろんなお店に立ち寄りました。

もの珍しげに商品を見回していきます。お酒の店や、チョコレートの店、パイナップルケーキのお店、土産物屋、臭豆腐、スイーツ。
その中でも私たちが行ったのは、カラスミのお店です。今回の旅で、カラスミを買うと決めていた妻。
他にも、キャラクター商品の店や半貴石のお店、時計の店などなど。時計の店では、娘が好きな懐中時計の一つを買ってあげました。
娘はとても満足していました。ここのお店には、酒の瓶を加工して作った灰皿や箸置きなども売られていて、私はそれにすごく惹かれました。買って帰りたかった位です。
ネコも辺りに目立ちます。とても自由な感じが台湾らしくて心が和みます。


観光地だけあって、とても面白い店が多く、しかも日本の観光地ではない独特の商品が見られるので、いくらいても飽きません。
そして、時間はあっという間に過ぎて行きます。
坂を下って千と千尋の神隠しの湯屋のモデルになったとされる建物も通り過ぎ、狭い階段を下へと降りていきました。
と、空が曇り、大雨が降ってきました。昨日に続いて今日も土砂降り。台湾のこの時期は雨が多いことがわかりました。
私たちは慌てて、近くにあった台灣宜龍という茶器のお店に入りました。台湾茶の茶器を扱うお店です。私たちはここで、長時間雨宿りさせてもらいながら豊富な茶器の種類を堪能し、お茶の試飲もさせてもらいました。


皆さん、ある程度のこなれた日本語を話されます。
24年前に来たとき、年配の方がしゃべっていたような、日本の教育の名残があるような感じはしません。あくまでも観光客向けの日本語と言う感じです。
今回は観光客の王道コースなので、旅の出会いはありませんでした。
お茶屋さんでは一時間以上いたのですが。

なので移動し、千と千尋の神隠しの湯屋に似た建物のすぐ近くで雨宿りして、時間を過ごそうとした私たち。
ふと一人で来ていた若い日本人男性と話す機会がありました。
さまざまな話題で会話したのですが、もうこの方の顔も名前も忘れてしまいましたが、木更津にお住まいの方のようです。
旅の中でこうしたご縁ができるというのはまさに一期一会の喜びです。あえてSNSや名刺交換はせずに、ふとした旅のふれあいを堪能しました。


そうしているとようやく雨も止み、落ち着きましたが、すでに時間は17時。お店の多くは閉まり始め、一気に人通りも減ってきました。
それでも私たちは、まだ開いているお店に片っ端から立ち寄り、妻や娘たちが行きたいお店にも可能な限り入りました。ギリギリまで九份を楽しもうと。私も一人で小師父というお店で鶏油飯を食べました。美味い!


バス停近くの展望台から見た夜景はとても美しく、この景色だけでも九份に来た価値はありましたね。

帰りのバスは、心地よく瑞芳駅まで。
ここでもう一軒、超大杯甜品屋というお店でもタピオカを頼む娘たち。もう、買い方も心得てきています。頼もしい。


台北駅から台鉄で帰りましたが、台北で降りずに次の萬華駅まで。実は私たちが泊まっているカイザーメトロホテルは、この駅にほぼ直結なのです。

で、ホテルで落ち着くはずもなく、私たちは再び街へ。夜市を堪能しなければ。
龍山寺のそばにある艋舺夜市と、その奥にある華西街観光夜市へ。
金代山産藥膳坊というヘビ料理の店やアダルトショップの軒を並べるここは、観光客がターゲットではなさそうで、年頃の娘たちを連れ歩くには少々刺激的な場所です。
少し小腹を満たすために屋台でパンを買ったり、前回もきた酒屋さんに寄ったり。


私は夜、ひとりでもう一度街へ出て、コンビニを巡ってビールを探してました。


家族で台湾・中正記念堂 2019/7/22


至仏山を登り、尾瀬から帰ってきた私。
足を休める間もなく、AM3時に家を出ました。

羽田まで車を駆って、国際線駐車場に着いたのはAM4:05。
こんなに早く着いたのも、9カ月前に妻と二人で台湾を旅した際、LCCのチェックイン時間を読み違えた失敗があったからです。

物心ついてから初めて国外に出る娘たちは、チェックインカウンターや税関に戸惑いを隠せない様子。
でも、搭乗口107Bには相当の余裕をもってたどり着くことが出来ました。私はそこでひと眠り。
AM5:50に出発するpeach航空の台北行きには、早朝にも関わらず、多くの旅行客で混みあっていました。

皆さん、旅の期待にあふれています。わが家もそう。何しろ、家族四人で海外に出るのは14年振りなのですから。

桃園国際機場に着いた時も、その興奮は鎮まるどころか高まるばかり。
入国審査までの通路を歩く間にも、壁に貼られた広告に異国情緒を感じて興奮するわが家。
去年来た際は、それまでのドタバタと、台北までの時間のなさに焦っていたため、通路をじっくり見やる余裕がありませんでしたが、空港の通路の広告には旅人を現地になじませる効果がありそうです。


娘たちにとっては初めての入国審査。付き添いなどできないので、娘たちのそれぞれの対応にお任せ。
でも、かろうじて全員が台湾への入国を認められました。


まずは金を入手しましょう、と妻が換金を。さらに腹ごしらえ、ということで空港内にあったサブウェイへ。
台湾でサブウェイを食べるのは初めてかもしれません。まずは英語で注文するミッションをクリア。もちろん英語が話せる妻が。
普段は物怖じしない次女も、さすがに注文にあたっては尻込みし、なかなか話しかけるには勇気がいる様子。


最初はこんな感じでおっかなびっくりだった娘たちが、四日間の台湾の旅をへて、次第に慣れて行く様子が面白かったです。

さて、昨年は時間がなかったので台北までタクシーを使いましたが、今回は悠々とMRTを使って台北まで移動しました。
移動にあたっては、前回は買わなかった悠遊カードを四人分購入しました。係員のおじさんが手振り身振りを交えて買い方などを教えてくれました。


MRTは昨年の帰りに利用して以来。
車窓からの風景も、山々の間に点在する農村風景は日本との違いがあまり感じられません。
ですが、徐々に都市部に入ってくるとともに、次第に台湾らしさにあふれた景色が増えてくるとともに娘たちは興味津々の様子。
新しいのだか古いのだかよくわからない高層ビル。デカデカと掲げられた政治家のポスター。ひらがなやカタカナの一切ない文字。
娘たちにとっては物心ついてから初めての海外ですから、さぞやそうした景色から異国を感じてもらったことでしょう。


台北駅に着いた私たちが、乗り換えの長いコンコースを歩く間も、娘たちの興味は尽きない模様。
台湾のガチャガチャや独自の広告。あらゆるものに目をやっている二人の様子に目を細まります。
海外に連れてきてよかった、という思いとともに。


まずは一息、ということで台湾でもおなじみのスターバックスに入りました。
日本のお店との違いに興味津々の娘たち。
私と妻は昨年にも別の場所のスターバックスに入ったのですが、最初におなじみの店に入ることで、まずは娘たちも安心できるはず。こちらの方が空港で訪れたサブウェイよりもより安心できたかも。

私たちは台北駅からMRTに乗り換え、北門駅と西門駅を乗り継いで板南線へ。
実は台北駅で乗り換えを間違えたのですが、何度も乗り換えを繰り返す間にも悠遊カードの恩恵を受けました。こりゃ楽。

台湾のMRTは日本の地下鉄tと載っている感覚はそう変わらず、ある部分では日本よりも進んでいます。例えば切符がないこととか。
そうしたあらゆるものが娘たちに刺激となることが親としてうれしいです。

龍山寺駅に着きました。
さて、これまでの道中は、いわば観光客向けの台湾ばかりを見てきました。が、ここからは少し台湾の昔ながらの風景が展開します。
まだ朝が早かったのですが、服を商う店々のいくつかは軒を開けていました。
それでも、日本とは違う街の様子は娘たちには物珍しかったようで、キョロキョロとしていました。バイクの多さにもびっくりしたのではないでしょうか。バイクに興味のある次女にはとても興味深かったようです。


そんな通りを抜け、私たちはカイザーメトロホテルへと投宿しました。昨年も妻と泊まったホテルです。
今回は妻がチェックインしてくれたので、すんなりと手続きが済みました。
そして、荷ほどきもほどほどに、早速街へと繰り出しました。

まずはホテルの近くのファミリーマートへ。そこでまずは娘たちに台湾のコンビニの商品が日本とそう変わらないことを説明しました。
ここでも興味津々の娘たち。

続いて向かったのは龍山寺。昨年も妻と二人で中華風の参拝を学びました。
ここで娘たちを加えて四人で再び参拝。
独特の運試しのやり方や、見た目が派手な中国の仏教寺院を目に焼きつけてもらいました。


次いで向かったのは、近くのタピオカ屋さん。
次女の台湾での楽しみの一つは、タピオカ屋さんめぐり。
タピオカブーム真っ最中の日本ではなく、本場のタピオカ屋さんで思う存分食べてみたいとのことで、まず一軒目。
美味いと満足そうな娘。日本のタピオカとは粒のでかさから何から違うらしいです。

ほんの少し、ディープな台湾の街並みを歩み、私たちは再びMRTの龍山寺駅から西門駅へ。さらにそこで乗り換えて中正記念堂駅へ。


ここも昨年、妻と来ました。
民主廣場は広大で、空は雲が立っていたものの、青々としています。陽光をたっぷり浴びながら広場を歩いて中正記念堂へ。
まさかこの後、中正記念堂に閉じ込められるとも知らずに。

今回は衛兵の交替の時間をぎりぎりのタイミングで見られました。
この光景も日本では見られないものの一つです。


その後、私たちは、地下の文物展示室を見学しました。
ここは蒋介石総統の事績を様々な遺物から紹介しています。なので、かなりの広さがあります。
娘たちには興味がないでしょうが、私にとっては昨年来られなかったので、今回は来たいと思っていました。

理由は二つ。
一つ目の理由は、2蒋介石総統の執務室をバックに写真が撮りたかったからです。24年前にも撮ったこの場所で、24年の時間を楽しみたかった。
二つ目の理由は、根本博中将に蒋介石総統が送った花瓶のうちもう一対があることを、昨年の訪問後に知ったからです。それが見たかった。

その花瓶は確かにありました。とても立派な花瓶です。私はしばし、その前で感慨にふけりました。
根本博中将は国共内戦で窮地に立った台湾のために密航してまで台湾におもむいた方です。根本博中将が軍事顧問に就いたことで、国民党軍は金門島を巡る古寧頭戦役で共産党軍に大勝し、台湾と台湾海峡はかろうじて国民党の主権が保たれました。
根本博中将は晩年、私が普段利用する駅のすぐそばに住んでいたそうです。ですが、私はつい最近まで根本博中将の事すら知らずにいました。
自らの不明を詫びつつ、24年前の自分との違いに思いを馳せました。

案の定、娘たちにとってこうした展示には興味がありません。母娘でベンチに座って会話してました。
なので、私も展示を切り上げ、家族で中正記念堂のお店を見て回っていました。


そんな館内に突如雷鳴がとどろき渡ったのはその時です。そして、激しい雨音が。夕立です。広場を歩む時の空には入道雲が立っていたとはいえ、夕立の気配どころか暑すぎるほどだったというのに。
しかもこの夕立、相当に激しいものでした。中正記念堂から見ると、外はたたきつけるような雨、そしてひっきりなしに周囲に落ちる稲妻の激しい光と音。
中正記念堂には直接地下で外部とつながる通路はなく、出ようと思えば雷雨の中を広場を歩くほかはありません。つまり、異国の地にあって私たちは閉じ込められてしまいました。猛烈な雷雨に。

さて、どうするか。
夕立なのでいつかは止むはず。それまでに中のお店をさらに見て回ろうと、あちこちのお店を巡りました。台湾土産としてふさわしい品を物色しながら。
中正記念堂にはいわゆる土産物屋さんもあれば、郵便局、本屋、お茶店などもあります。時間をしばしつぶすには充分の規模です。
床にはトリックアートが描かれています。
美術館とミュージアムショップも。ちょうど、美術館では精巧な人体像をテーマとした展覧会が催されていて、興味がありました。が、見送りました。
なにしろ、雷雨のことが気がかりになっており、展示に集中できそうにありません。


店巡りをあきらめた私たちは、ホールで一時間以上も雷雨の収まるのを待っていました。が、雨の勢いは一向に衰える様子を見せません。
さすがにまずいと思い、大きめの傘をお土産屋さんで購入し、決死の思いで外へ脱出することに決めました。
作戦はこう。私が3往復し、娘たちと妻を一人ずつ送り出すのです。
中正記念堂から近くの大孝門までは約百メートル。幸いにも少し稲妻の頻度は弱まったので、土砂降りの中を一人ずつ、私と相合傘で。
雷に打たれることなく、無事に三往復して大孝門までたどり着けました。

続いては、大孝門から中正記念堂駅まで移動しなければなりません。距離は約500m弱。
そこで、塀の内側に回廊のような通路があったのでその通路を進んだのですが、残念ながら、その通路はちょうど200メートルほど進んだ場所でふさがっていました。
さて、どうするか。
回廊から、庭園の中の通路に出られるので、そこを突っ切って、次に向かうべき道を偵察に出ました。
すると、あちこちで池みたいになっている庭園の通路さえ超えられれば、國家技藝院の大きな階段の下まで行けそうです。


また一人ずつ、相合傘で突破することに決めました。
二人で歩むには色々と難儀する道のりでしたが、なんとか全員を國家技藝院まで送り届けられました。
しかも、最後の一人を送るときになって、ようやく雨もやみ、青空まで戻ってきてくれました。
かなり苦労しましたが、妻や娘の肩を抱いて歩んだこの経験は旅の思い出として大切にしたいです。
おそらく平時に娘たちの肩を抱く機会はそうありませんので。

中正記念堂駅に着いたことで、ずぶ濡れのままMRTに乗って台北駅へ。
そろそろ夕方なので、おなかも空いてきました。
なので、昨年妻と二人で偶然訪れて美味しかった饗食天堂へ向かいました。
ビルへは少し迷いましたが、無事にたどり着けました。Q Square。この見事な空間は日本に引けをとらないばかりか、凌駕していると思えます。
娘たちにも台湾が先に進んでいることを理解してもらえたと思います。

饗食天堂は昨年の感動もそのままに、おいしくいただきました。
昨年は勝手がわからずに頼まなかったアルコールまでいただき。
すっかり満腹。中華料理の神髄を堪能しました。


しかも帰りには台湾コスメのお店でいろいろと試させてもらったりして、すっかり台湾に好印象を持った様子。
海外旅行で海外に恐怖感を味わってほしくない親心にとって、よい旅行になりそうです。

そこで、再び地下鉄に乗って龍山寺駅へ。
そこからカイザーメトロホテルへと戻り、初日の旅の疲れを癒やしました。