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きつねのはなし


京の都には、怪しの影が似合う。本書は全編、怪しく魑魅魍魎がうごめく闇の都が描かれている。

著者の京を舞台にした諸作の中で、著名なものは四条河原町や先斗町界隈を乱痴気騒ぎで走り回る内容が目立つ。しかし、本書は地味ではあるけれど、光の差さない京都を描いた作品として評価したい。

本書には分かりやすい”もののけ”、妖魅の類いはおいそれとは出てこない。そやつらが、軽々しく登場するには、京都の歴史はあまりに濃密で重い。しかし、彼らはそこらに潜んでいる。古道具屋に秘蔵されたモノと化して。旧家の土蔵に秘匿されたモノに憑いて。彼はチロチロと怪しの気配を醸し出し、隙あらば人を迷わせ、破滅へと誘う。

陽気で賑やかな”もののけ一座”の大立ち回りもよいのだが、京都にはこういった描写こそ相応しい。1100年もの間、都であり続け、日本の象徴を戴き続けた京。神道や仏教の大伽藍を擁した宗教の街。それでいて、陰謀渦巻く権力闘争の渦の中心となり、幾度もの兵火に焼かれた街。なおかつ、異国の軍隊や、米軍の空襲にほとんど遭わず、暗黒ともいわれる中世を今に遺す街。

ほんに、こないな街はそうあらしまへん。

今まで、京を書いた小説は数万巻にもなり、私が読んだ書などその一部でしかない。しかし、本書には京都の一面が正確に描かれていると感じた。抑えた筆致も、私の書く文体に近く、親しみを感じる。

‘2015/4/23-2015/4/25


有頂天家族


京都には、あやかしのモノが似合う。

江戸にみやこの座を貸し出したとはいえ、千年以上みやことして栄えた京都。平安の御代から偸盗が跳梁し、あやしのモノどもが跋扈した街。あまたの戦乱に耐え、今に碁盤の目を伝える街。今に至ってもなお、愛想良い笑顔の陰で一見さんを排除する街。

日本の歴史を見続けてきたその懐は、果てしなく深く、そして暗い。

科学万能の今でも、この街にはあやしの類いがよく似合う。狐狸や天狗、蛙の類いが。

本書には、そのいずれもが登場する。普段は人間の振りをしながら京都の街に長らくのさばり、世の移り変わりを眺めてきた人外のモノ共。

しかし人外と云っても、本書に登場する彼ら彼女らは陰惨で残忍なモノノケではない。逆。長い間、人に化けることを営んできたからか、その言動には果てしなく 愛嬌が付きまとう。人並みの感情を持ち、人情の機微を解し、悩みもすれば有頂天にもなる。実に愛すべき「もののけ」たちである。読者は本書を読み進めるにつれ、もののけの彼ら彼女らに強く惹かれるに違いない。

本書は、奇妙奇天烈な能力の持ち主である登場魔物たちが、京の街を縦横無尽に駆け巡る物語である。

若いおなごに耽溺し、落ちぶれた天狗はただ情けなく。狸一族を統べる頭領一家も兄弟は仲が良かったり喧嘩したり、はたまた世をはかなんで井の中の蛙に化けたりと忙しなく。頭領の母は宝塚ミーハーとして夜な夜な男装の麗人に成りすまし。

そんな愛すべき狸達と老いぼれ天狗が、賑やかに、猥雑になった京の街に自分達の居場所を求め、懸命に生き、そして戦う。戦いと云っても、ただただ野放図な能力をばらまき、当り構わず好き放題で、読んでいて喝采を叫ぶこと間違いなしである。

たまに萎れたり、舞い上がったり、水面に映る自分に涙したりしながら、彼ら一家の表情はどこまでも明るい。有頂天一家の題に恥じない楽天家ぶりである。そのパワーには、怪しげで暗いはずの京の町を陽気なエネルギーに溢れたるつぼへと返る。

楽しく、明るく、充実した狸一家は、どこまでも人間臭く、モノノケにもケモノにも思えなくなる。人間がしかめ面して悩むのと、彼らの切実な悩みとどちらが高尚か。そんな問いなどどうでもよくなるほど、笑い飛ばしたくなる。そんな快活な作品が本書である。

‘2014/09/08-‘2014/09/12