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やまなしワーケーションに参加しました


2月28日から3月1日にかけて「やまなしワーケーション」に参加してきました。


この事業主催は山梨県二拠点居住推進センター。事業運営は株式会社パソナ JOB HUBです。

今回、このイベントのご縁をいただいたのは、合同会社エムシースクエアの山口さん。
山口さんは普段から山梨でも活発に活動されておられます。
昨夏のITコミュニティのイベントを真鶴町で開催した際にワークショップのファシリテーターをお願いしたのが山口さんとのご縁の始まりです。その後、山梨にもご縁をお持ちということを知り、年末に弊社が主催した「ビルド山梨」でも山梨について話してもらいました。

私は普段からワーケーションをよく行っています。ですが、今回のように主催を自治体で行い、運営の方の引率を伴ったワーケーションツアーへの参加は久しぶりです。私が前回、こうしたツアーに参加するのはコロナが始まる直前でした。

今回は、場所が山梨ということもあり、話をいただいてすぐに参加を即決しました。
ただし、初日はお客さんに訪問しての定例会議や作業予定があり、日中の行程は参加せず、夜の懇親会から合流しました。

・初日の夜

甲府駅を降り立った私が向かったのは「Phil」です。創作フレンチ・ダイニングバーのお店です。
この界隈のお店は私も数回利用したことがあります。ですが「Phil」はまだ来たことがありませんでした。


私が入った時はまた前菜が来ただけだったので、遅れてきた私も通常通りのメニューをお願いしました。
こちらの飲み放題のメニューがとても豊富で、カルバドスやブランデーなども飲み放題。飲み放題にカルバドスがある店はあまり見かけないので、嬉しくなって何杯も飲んでしまいました。

今回の参加者は全員が初対面でした。事前にオンラインで打ち合わせたパソナ Job Hubの方や山梨県のお二方を除いて。
もっとも、私は全員が初対面のイベントにしばしば参加します。そういう時、私はテーブルを周遊して名刺を交換して回ることはしません。
まず、自分のテーブルを離れないこと。そして、そこで聞き役に徹します。こういう時、とにかく聞く姿勢に徹することです。そうすれば、すんなり場に入っていけます。

おかげで、同じテーブルだった皆さんのパーソナリティーやどういう目的で参加しているか、といった情報を知ることができました。また、今回のワーケーションに山梨県としてどういう効果を期待しているかについてもより深く理解できました。
結果として、中途参加であってもあまり違和感なくツアーに合流できたのではないかと思います。

お店の閉店時間が来たので、皆さんは二次会に繰り出しておられました。が、私は今日の宿である「城のホテル」へ向かいました。
明日は月末です。明日も移動が続くので、いわゆる月末処理が何もできなくなることが予想されました。そのため、私はホテルに帰って作業に集中する必要がありました。

こちらの「城のホテル」は、今までも甲府城のすぐ横で目立つ姿が気になっていました。今回の機会で初めて泊まる機会を得ました
ロビーにはワークスペースが設えられており、無料のドリンクバーや有償のワインサーバーが用意されていて、甲府気分を盛り上げてくれます。しかも歴史関係の本が多く並べられ、漫画もいろいろなものが置かれています。
私も「宝石商のメイド」「美味しんぼ80巻 日本全県味巡り 山梨編」を借りて部屋に持ち込み、作業の合間に読みました。もちろん、山梨への理解を深めるためです。
作業の時間をとった甲斐もあって、翌日の移動にあたって事前にしておくべきことは終わりました。3時半に寝ました。

・2日目「勝沼ぶどうの丘」

さて、翌朝。
前夜の「Phil」でのお話の中で、モスバーガーの話が出ました。それに則り、私の朝食はモスバーガー。
山梨は全国でもっともモスバーガーの店舗数が多い都道府県だそうです。以前、妻からも聞いていました。

モスで腹ごしらえをし、皆さんと合流してバスに乗りました。ここからが私にとってのツアー開始です。
とはいえ、バスの中で交流を深めたわけではありません。私もバスの中でパソコンを拡げて作業しました。私だけでなく、皆さんもそれぞれの仕事をバスの中でされていました。
今回のツアーの参加者の皆さんはほぼ経営者です。バスの中で仕事がこなせる方が多く、交流タイムのようなものがなかったのはかえってありがたかったです。


バスが向かった先は「勝沼ぶどうの丘」。
ここには家族で5、6回は来ています。ですが、前回来てからもう8年半も経っていました。
前回来た時は、将来の自分が山梨でイベントを行ったり、拠点や住居を探し始めるなど毛頭も考えていません。ですが、今の私は立場を変え、山梨へのコミットを深めています。その視点から眺めた甲府盆地は、私に違う印象と決意を与えてくれました。

テラス席で仕事をしていると、何人かがテラスに集まってきました。その機会を生かして昨晩話せなかった方と、じっくりとお互いのビジネスや取り組み、そして山梨への関わり方について話しました。
勝沼ぶどうの丘に着いてから、昼の食事前までの時間をたっぷりとってもらえたのはよかったです。この時間の中で、ほとんどの方とコミュニケーションを取り終えることができました。

上の「ぶどうの丘 展望ワインレストラン」では、美味しいカレーに舌鼓を打ちました。
ここからの甲府盆地の景色は、これからの私や弊社や参加者の山梨での可能性を感じさせてくれます。


久々に訪れた地下のワインカーヴも相変わらずの壮観です。ワインどころ甲州のワインが一堂に集う景観はすばらしい。
ただ、ツアーの道中のどこかで聞いた話ですが、ここのワインカーヴに甲州市の全てのワイナリーが集まっているわけではないそうです。甲州ワインは全国区になりましたが、産地呼称の問題や各地域のワイナリーさんの思惑などが入り乱れ、なかなか難しいようです。

・2日目「MGVsワイナリー」

そんなワイナリー運営ですが、可能性はあります。そう思わせてくれたのは、私たちが次に訪れた「MGVsワイナリー」です。


私は「MGVsワイナリー」には初訪問です。敷地に建てられているのは、できて間もないと思われる清潔そうな建物です。

それもそのはずで、こちらはもともと半導体の工場だったそうです。
2階の会議室で、私たちは「MGVsワイナリー」を運営する塩山製作所の松坂社長より直にお話を伺う機会を得ました。
もともと、物流エンジニアだったという松坂社長。奥様のご実家が塩山製作所だったそうです。
今もまだ塩山製作所は半導体事業を営んでおられますが、国内の半導体産業が海外勢に押され、需要が減ってきたこともあって、ワイナリーへの進出を決意されたそうです。

半導体は市場を読むのが難しく、それに伴い売り上げに応じた在庫調整も難しい。それも半導体が負けた理由の一つだそうです。
今は需給の波に影響を受けづらい携帯基地局の機器に特化した業務を展開されているそうです。

松坂社長からは、ワイナリーへの転換を後押しした理由として山梨の可能性も踏まえて以下の点を挙げてくださいました。
・景観を生かした事業が展開できる。
・物流量の増加は見込めないかわりに、インターチェンジが近いので物流拠点がある。
・もともと、ご実家が葡萄農家であり、ワインを醸造する権利を持っていた。そしてワインが好きだった。

さらに、半導体事業を営みながらワイナリーを営むメリットとして、以下のように挙げて下さいました。
・ワイナリーはマーケティングが大切。それは、商品開発と販売からなる。
・半導体事業は下請けなので一極集中できる利点があり、しかも市場の動きを読むことが求められる。そこで培ったスキルがワイナリーを営む上で役に立った。
・ワイナリーは半導体事業で培った技術優位性を活かせる。
・さらにマーケットへの販売力もワイナリーを営む上で活かせた。

お話を伺っていると、松坂社長のお言葉から届く波長は完全に技術者としてのもの。私は技術者とはいえ、半導体分野には明るくないのですが、同じ技術者として通じるものを感じました。
先日のCLS道東でお会いした方も技術者からワイン醸造家に転身を果たされておられました。技術とワイン作りは相性が良いのかもしれません。

質問タイムでは、私を含めた三人から質問が出ました。真空を用いた鮮度保持技術や、ガラスビーズを会社の主力商品として取り扱われている方がいて、みなさん熱心です。
松坂社長曰く、すでに真空技術は試されたそうです。また、ガラスビーズは半導体を高品質にする上で欠かせないらしく、すでに宇宙に飛び立って活躍しているそうです。

私も何か質問したいなと思いました。
そこで私が質問したのは、山梨で雇用を考えているが、山梨の人がどういうマインド持っているか。技術を扱う会社として、雇用にあたってのアドバイスがあれば、という趣旨の内容でした。
それに対して松坂社長よりいただいたのは、やはり山梨には少し閉鎖的なところがある。そのため、却ってオープンに運営した方が良いと言うアドバイスでした。
他にアドバイスいただいたのは、教育はシステム化した方が良いという点です。
ここの点については、まさに今取り組んでいることです。我が意を得た想いです。山梨で雇用する際には見せられる研修資料を作り上げなければ、と決意を新たにしました。

あと、雇用する際に気を付けた方が良いこととして、「やっちょし」という甲州弁の言葉は、「やれ」の意味ではなく、「やっちゃだめ」ということです。「やれし」は「やれ」を意味するそうです。つまり語感が逆になってしまうことがコミュニケーションの妨げになるから気をつけた方が良いということでした。

松坂社長、ありがとうございました。


階下に降りて、醸造ルームも見学させてもらいました。
半導体製造には、塵が禁物です。そのため、クリーンルームが欠かせません。そのクリーンルームがそのまま醸造施設に生まれ変わっています。つまり、品質管理にはこれ以上ない環境です。ガラス越しに見るタンクには、半導体を扱う会社ならではの技術を流用したセンサーも稼働しています。そのタンクも松坂社長のこだわりでイタリアから取り寄せたというステンレスのもの。作業の効率性を考えたサイズにされているそうです。至る所に松坂社長のこだわりが感じられる醸造施設でした。
赤、白、スパークリングのタンクには、それぞれチェスの駒やスカルをモチーフにしたマークが印字されていて、それがまた醸造ルームに彩りを与えていました。

敷地内にある畑にもご案内いただきました。この畑もまた面白い。例えば、葡萄の樹の上にあるはずの棚がありません。

私は勝沼でぶどう狩りを何度も体験したことがあります。その時は、頭上の棚から垂れ下がるブドウの房を切り取りました。
ところが、こちらのワイナリーではその棚がありません。「棚づくり」に対して「垣根づくり」と呼ぶそうです。その二つでは葡萄の味に変化があるそうです。そうしたあらゆる可能性を考えた葡萄栽培にチャレンジしておられるのが「MGVsワイナリー」です。
しかもSDG’sの一環として、剪定したぶどうの枝をきちんと乾燥させ、野焼きして得られた炭を施肥しておられるとか。
https://www.jacom.or.jp/nousei/news/2021/03/210305-49850.php
こちらのリンク先にもその取り組みが書かれていました。


さて、いよいよ試飲です。今回は3種類(白×2、赤×1)を飲ませてもらいました。私の感想では赤がとても美味しく、圧倒的な香味と樽由来と思われる味わいが気に入りました。
ただ、荷物の問題や、妻があまりお酒を飲めなくなっている今の状況を考え、購入は一旦見送りました。とはいえ、また妻と家族と来た時に買って帰ろうと思います。


環境に配慮し、品質にもこだわりをもっておられる「MVGsワイナリー」。とても感銘を受けました。技術と醸造の融合が大手資本でなくてもできることを知りました。また来ます。ありがとうございました。

・2日目「より道の湯」

さて、バスに乗った私たち。バスが向かうのは都留市。「より道の湯」が目的地です。

「より道の湯」で宿泊や館内の説明を受け、各々の部屋に入ったのが15時過ぎ。そして夕食は19時。
その間の4時間は自由です。
今回のワーケーションプランは全般的に行程に余裕がありました。それがとても助かりました。
今までに参加した企業運営のワーケーションは移動の合間が続き、すぐにイベントが入って作業が集中できないこともありました。私の働き方が洗練されてきて、効率よく動けるようになったのでそのように思ったのかもしれませんが。

部屋で打ち合わせやら作業をこなしました。その後、まだ外は明るく、夕食までの時間もあります。そこで、散歩しに外に出ました。
都留市は何回か通過したことがあります。が、リニア見学センターをだいぶ前に訪問したくらいで街を歩いたことはほぼありません。
今回、せっかくの機会なので都留市の街中をちょっと歩いてみたいと思いました。


少し調べてみると、都留市は実は谷村城址を中心に城下町としての歴史があるらしいのです。
そこで、都留市役所への方へと歩いてみました。
目指す谷村城址は、小学校のグラウンドの端に石碑が建てられていました。城跡の雰囲気は感じられませんでしたが、塀が黒塗りの板塀仕立てになっていました。
それだけでなく、街を歩いてみると、随所にかつての城下町としての面影を感じます。鍵状になった道や水路などに。

少し雨が降ってきたし、作業の続きもあったので、宿に戻りました。そして、作業を行い、せっかくなのでお風呂を浸かりに行きました。
風呂に浸かっていると夕食の時間が迫ってきたので館内着のまま、ふらりと宴会場に現れました。すると、館内着を着ているのが私ともう一人だけでした。

この飲み会、とても楽しく飲めました。宴会場に大きく二つの島が分かれ、お互いが、とても楽しく和気あいあいとしていました。ツアーも2日目の夜を迎え、皆さんがお互いの人となりを知りつつあったからだと思います。
飲み会には都留市の方々も参加されていました。私も先ほど都留市役所を訪れたばかり。街についての関心もあります。
そこで都留市のアピールポイントを伺いました。それによって、さらに都留市への理解が深まりました。都留市の名産の一つが布団だったこともここで初めて知りました。豊富な名水を使って布団を洗う!


こういう宿での飲み会はいいですね。皆さんお酒を召し上がっても乱れず、私もおいしいお酒が飲めました。
盛り上がったあまり、お店の営業時間が終わって何度も催促を受けるまで皆さんと名残惜しげに会話をしていました。

・3日目「FAR YEAST BREWING」



翌日。最終日です。
都留市は一面の雪景色でした。部屋の窓から見た光景が美しい。私は朝食までの時間を使ってすぐそばの都留市駅を訪問しました。昨日の夕方にも通りがかった際、特徴のある門構えのピンク色の駅舎は風情すら感じます。かつての都留市の玄関口の面影を残しています。
もちろん、今も都留市の玄関口です。雪に覆われた駅で写真を撮っていると、たくさんの高校生たちがホームに向かっていきます。ホームに向かうと、やってきた河口湖行きと大月の電車が行き違いをし、たくさんの高校生たちはどちらかの車両に乗って通学していきます。
こういう光景を見ると、鉄道は地方の学生にとって、なくてはならない生活の足であることを感じます。
山梨県で唯一の私鉄として、富士急行さんには頑張って欲しいなと思いました。

部屋に戻って朝食をいただき、ロビーへ集まりました。
そこでパソナさんに酔い止めを勧められました。
小菅村への道中で乗り物酔いする方がいるからだそうです。

最終日の今日、向かうのは小菅村。 「FAR YEAST BREWING」への訪問が目的です。

私は、山梨はほとんどの場所を訪れています。が、早川町と丹波山村と小菅村だけはまだ足を踏み入れたことがありません。今回、ついに小菅村に訪問できることが楽しみでした。しかも訪問先が「FAR YEAST BREWING」であるからなおさらです。
道中は快晴で、しかも前夜の雪がまだ山肌を彩り、とても美しい景色が車窓の向こうに広がっています。乗り物酔いなどする余裕もなく、ひたすら外の景色に見惚れていました。


小菅村につき、早速「FAR YEAST BREWING」へ。
山田社長がみずからお出迎えしてくださいました。


以前はカーナビの部品を作る工場だったこの建物。その建物を利用して山梨小菅・源流醸造所は運営されています。
入ってすぐ、壁に掲げられた膨大な数の賞状にまず圧倒されます。これらの膨大な賞状もほんの一部であり、古いものは掲げていないとのこと。それもそのはずで、昨年一年間だけでも23もの賞を獲得したそうです。
さらに面白いことに、「FAR YEAST BREWING」の瓶に貼られるラベルが置いてあります。自由に持っていってくださいとのことです。私も今までにさまざまなブルワリーを訪れましたが、ラベルが取り放題のブルワリーは初めてだと思います。
そこに置いてあるラベルは本当にさまざまです。カラフルなもの、お洒落なもの、洗練されたもの。
それだけ豊富なラベルの数、つまり、ビールの種類を擁しているからこそ、こうしたことができるのでしょう。
後日、五反田の直営店にも伺いましたが、そこでもラベルの取り放題はより種類を増やして用意されていました。このサービス、とてもよいです。
ラベルの祭典は、さらにドアを開けて醸造施設に入ってすぐの壁でクライマックスを迎えました。今まで発売されたすべての銘柄のラベルなのでしょう。壮観です。

私たちは、山田社長にご案内いただき、工場の中をあちこち見学させていただきました。
この見学ツアーがとても貴重かつ、学びにあふれる内容でした。
ご案内いただいた場所の中には、おそらく普段はご案内いただけないような場所も含まれていたはずです。
例えば大麦の原料置き場。こちらの置き場には、実際に大麦の原材料が入っている袋がそのまま置かれています。
そこで麦芽を実際に食べさせてもらいました。麦芽を食べた経験は、他のブルワリーさんでもあります。が、今回は山田社長がそこらへんの袋を開け、そこから手で受け取ったことに意味があります。まさに原材料そのもの。そこに作為や飾りは一切ありません。
もう、完全に手の内を見せてくださっています。

手の内を見せてくださるのはそれだけではありません。
元は、食品工場ではない建物を改築・改修していることで、少しずつビール工場として理想の姿を作る途中であることも教えてくださいました。
例えば、入れてもらった粉砕室の床には虫を捕獲するトラップがありました。そこに入ってきた虫の数をきちんと計数管理し、衛生管理に生かしておられるそうです。
普通、こうした虫はブルワリーにとってほもっとも都合が悪く、隠すべき対象です。そうしたところも堂々と見せてくださる山田社長の器の広さを感じるとともに、それだけFAR YEAST BREWINGは人間がやれる最大級の衛生管理に向けて努力されていることを意味します。
人間のやることに100%はありません。ですが、限りなく100%に近づく努力ができるのも人間。そんな姿勢を見せてもらいました。
私が普段扱うサイボウズさんのkintoneも、人間のやることに100%は無いと言う前提のもと、セキュリティー対策をとられています。お互いの姿勢に通ずるところを感じました。

「FAR YEAST BREWING」の取り組みはそれだけではありません。ITの力もきちんと使っています。
人の手は絶対に必要ですが、人の手間をより効率化できる仕組みは取り入れるべきでしょう。
例えば、酵母の生育状況を示す状況を計数管理するための機械を見せてもらいました。この機会でやっていることも、顕微鏡で人が見ても、機械を通してみても、見る対象に変わりはありません。しかも人が目で見て数える事と、機械に計上を任せることは、何の品質上の違いもないはずです。だからこそ、数を数える仕事は機械に任せてしまうのです。
それはまさに、作業の本質を見極めておられるからできる判断です。作業の本質を見極めた上で、必要なところに必要なIT化を導入しているということが感じられました。
そうした工夫はタンクの清浄でも見られました。ビールのみならず、食品を扱う上で清浄は必須のはずです。タンクの清浄状況をチェックするための指標となるのが、ATP(アデノシン三リン酸)の検出量です。生物残さに含まれるこの成分が検出されるということは、清浄が不完全であることの証しです。ATPを可能な限り少なくする。実際、山田社長のお話によると、他社に比べてかなり低い数値を維持されているそうです。ATP残存量のチェックにあたっては機械の力を使っておられるそうで、キッコーマンのロゴが入ったセンサー機器をみせていただきました。

他にもブルワリーとしての工夫点を教わりました。それは二次発酵です。通常のビール醸造プロセスでは、発酵タンクで発酵させた後、加熱して発酵を止めてしまいます。ところが「FAR YEAST BREWING」では、発酵後に瓶に詰めた後、瓶の中でも発酵プロセスを継続させます。その効果として、発酵の際に酸素を使うため、瓶内の残存酸素量が0になります。酸素の残存量がなくなるということは、ビールの品質を悪化させる酸化のリスクがなくなることです。残存酸素量が0というのは通常はあり得ないそうですが、それを達成していることは誇るべきでしょう。

今回の見学ツアーの一連の流れは、全て山田社長が説明してくださいました。
その口調はとても丁寧で、私たちのような醸造の素人にも真摯に対応してくださいました。
私は山田社長のご説明から、上に書いたようなさまざまな品質上の配慮や努力、そして本質を見極める目を合わせて謙虚な人柄に惹かれました。
そしてその中にはただの謙虚だけでなく、自社製品についての絶対的な自信も感じました。

ここまでで、私はすでに「FAR YEAST BREWING」のファンになっていたと言っても過言ではありません。
今までにも「FAR YEAST BREWING」の製品は「馨和 KAGUA」や「東京BLONDE」を飲んだことがあります。が、私にとっては数多あるクラフトビールの一社としてしか認識していませんでした。
今回の訪問によって、「FAR YEAST BREWING」は本物のブルワリーであるとの認識を持ちました。さらには、山梨から世界に発信できるブルワリーではないかと。

2階の会議室に場を移し、そこであらためてスライドをベースにして、山田社長より設立までの経緯や設立にあたって大切にすることなど、さまざまなお話を伺いました。

世界から原材料を集めて作るビールも良いが、なるべく地元の原材料を使ったビール作りがしたいと言う姿勢や、その取り組みにも惹かれました。
下の見学ツアーの中でも、ペレット状にして真空パックにしたヤキマチーフ社のホップを見せてもらいました。大麦も海外製のものがほとんどでした。
ですが、それに飽き足らない山田社長は、地元産、つまり山梨の農産物を原材料にしたビールが作れないか、という取り組みをされているそうです。北杜市の小林ホップ農園さんのホップを使ったり、桃やぶどうを使ったビール、さらに米を使ったビールなどとても面白い取り組みをされているようです。
これからの農業は大量生産・収穫と高品質の少量生産の二極に分かれる。その後者に着目したことで、山梨の可能性を世界に問う。まさに素晴らしい。

印象に残ったのは、最初は地域活性のことは考えずに小菅村に移住したという点です。それが、小菅に移住して生産を行ううちに、山梨や小菅村のコミュニティにコミットするようになったそうです。そうなった理由は、地元のコミュニティに参加する中で、小菅村に愛着を持つようになったということもあるでしょうし、主要マーケットを東京や海外に向けて考えていたら、得意先売上の二位と三位に山梨県の企業が入っていて、実は地元こそが大きなマーケットだと気づいた、といういきさつもありそうです。
結局、真っ当にビール作りを突き詰めていたら、今の状態になったということでしょう。
山田社長からは、
『地方の「地」は地味・地道の「地」』という言葉もいただきました。まさに「FAR YEAST BREWING」の姿勢が今の形に繋がっていることを感じました。

一つ、山田社長の言葉で考えさせられたことがあります。それは、リモートワークを廃止するというご決断です。
「FAR YEAST BREWING」は国内と海外に直営店を持ち、モノを作る業種です。そのため、弊社とはそもそも業種も業務プロセスも違います。一概に比較はできません。私としては、どうこういう話ではないことは理解しています。

ですが、山田社長がその理由として挙げた「リモート中心の業務設計になると、生産性が低下する。現場力が弱くなる。」という点はどの業界でも一緒です。そして、私にも思い当たる節があります。それだけに考えさせられました。
「FAR YEAST BREWING」はすでに東京から小菅村に本社を移されたということですから、リモートワークの廃止は東京一極集中を促進させるご決断ではありません。なおさら、リモートワーク廃止のご決断に異議を唱えるつもりは毛頭ありません。
ただ、これがもし東京で会社を経営する方のお言葉であれば、私はさらに深刻に考えていたかもしれません。

リモートワークをどう考えるかについては、山梨だけでなく地方が維持されるかどうかを考える上で欠かせない視点だと思います。
山梨で地産地消の仕事が生み出せればよいのですが、今はそうではありません。山梨から人が出ていく一方の現状が山梨県知事による「人口減少危機突破宣言」につながったはずです。
それを打開する一つのやり方こそ、都会の人手不足を山梨で担いながら、山梨から都会への人口流出を食い止めることです。つまり、山梨に住みながら、都会の仕事をこなすリモートワークではないかと思います。
それは、昨晩、都留市の皆さんと話した内容にも通じます。

まずは、私として「FAR YEAST BREWING」が今後とも小菅村で経営できるよう、応援したいと思います。

山梨小菅・源流醸造所を出た後、近くの廣瀬屋旅館さんの直営する酒販店を訪問し、そこで私たちは思い思いに「FAR YEAST BREWING」のビールを購入しました。
こちらのお店にはかなりの種類の「FAR YEAST BREWING」の製品が常備されています。これだけで心が騒ぎます。私も四本を買いました。


そして四本のお酒を持ち、廣瀬屋旅館の広間へ移動しました。そこで山田社長や広報の若月さんも交えて懇親のランチ会です。地元の川魚を使ったと思われる料理がおいしかった。
ここでは、上記のリモートワークの話など突っ込んでお伺いしたかったです。が、横一列の配置だったので、なかなかお話ができにくかったです。これはまた、次の機会を待ちたいと思います。

山田社長、若月さん、ありがとうございました。

・3日目「まとめのワークショップ」


さて、私たち一行は、そこから歩いてすぐの小菅村公民館へ移動しました。そこで、山梨県庁のお二方を交え、ワーケーション全体を振り返るワークショップを行いました。
印象深いキーワードや、山梨に対してこの先できることは何か。そうしたそれぞれの思いを付せんに記し、発表とともに模造紙に貼っていく内容です。

皆さん、それぞれ3日間で感じたことを発表しておられました。
私は以下のようなことを書き、発表しました。
・一日目の日中に参加していないため、内容が薄いこと。
・都留市には布団があること。
・山梨は実力があるにもかかわらず、下請けに甘んじてアピールの機会を失っていたこと。
・その分、品質へのこだわりは高く、今すぐ世界で勝負できる可能性を秘めていること。
・山梨はキャラクタービジネスの発祥でもあり、今後そうした方向でも可能性があること。
・実は山梨のあちこちの都市には、志と発信力のある有力プレーヤーがいらっしゃること。
・都会に人を流出させず、リモートワークを活用した地元に定住した働き方ができること。
・私が山梨でITコミュニティをすでに七回運営しており、今後はその中に地元の企業にも入ってもらい、紹介の場を設ければ、技術者に地元の産業を知ってもらえること。
・山梨に拠点を移したあかつきには、このようなイベントの開催頻度をより上げたいこと。

山梨の可能性はこの三日間で存分に感じました。
私として忸怩たる思いなのは、初日の日中に参加できなかったことでした。ヴィジョナリーパワーの戸田社長やアトリエいろは(アメリカヤ)の千葉社長にもお会いできていません。
これは今後、訪問してキャッチアップしたいと思います(CROSS-BEは昨秋に作業で使わせていただきました)。

さて、バスはここで大月に向かって戻ります。そして大月駅前で皆さんとはお別れしました。ここで電車に乗り換えて東京に帰る方もいれば、そのままバスに乗って東京に帰る方も。
私だけは皆さんと別方向、すなわち富士吉田に向かいました。

私が富士吉田で参加した「よっちゃばれっ kintone 無尽」や西裏での懇親会、さらに翌朝は日本橋のサイボウズさんで「みんなの居場所大会 in 東京」に参加したことは本稿からは割愛します。

なお、参加の中でもnoteの記事は別に挙げています。
・「2月29日 山梨の可能性を感じるワーケーション https://note.com/akvabit/n/n4b9a4b8e458d
・「3月1日 地方に行くとニーズが見える https://note.com/akvabit/n/ne68e09202afa
・「3月4日 品質追求の醸造所でもできるところはIT化。 https://note.com/akvabit/n/n4066aea608cc

まずは今回のやまなしワーケーションでご縁のあったすべての皆さん、本当にありがとうございました。


BRANDY:A GLOBAL HISTORY


妻の祖父の残したブランデーがまだ何本も残っている。10本近くはあるだろうか。
最近の私は、それらを空けるためもあって、ナイトキャップとしてブランデーを飲むことが多い。一本が空けば次の一本と。なるべく安い方から。

こうやってブランデーを集中して飲んでみると、そのおいしさにあらためて気づかされる。おいしいものはおいしい。
まさに蒸留酒の一角を占めるにふさわしいのがブランデーだ。
同じ蒸留酒の中で、今人気を呼んでいるのはウイスキーやジンだ。
だが、ブランデーも酒の完成度においては他の蒸留酒に引けを取らないと思っている。
それなのに、ブランデーはバーでも店頭でもあまり陽の当たらない存在に甘んじているように思う。
それは、ブランデーが高いというイメージによるものだろう。
そのイメージがブランデーの普及を妨げていることは間違いない。

そもそも、ブランデーはなぜ高いのか。
ブランデーのによるものか。それなら、他の蒸留酒と比べてどうなのだろうか。原料はワインだけなのだろうか。ワインの世界でよく言う土壌や風土などによって風味や香りを変えるテロワールは、ブランデーにも当てはまるのだろうか。また、ブランデーの元となるワインに使用する酵母や醸造方法に通常のワインとの違いはあるのだろうか。蒸留に複雑なヴァリエーションはあるのだろうか。貯蔵のやり方に特色はあるのだろうか。
疑問が次から次へと湧いてくる。

そこで、一度ブランデーをきちんと勉強してみようと思い、本書を手に取った。
そうした疑問も含め、私はブランデーの知識を持ち合わせていない。そんな私にとって、本書はとても勉強になった。

そもそも、ブランデーの語源とは、焼いたワインを意味する言葉から来ている。
ブランデーの語源は、ウイスキーの歴史を学ぶと登場する。つまり、あらゆる蒸留酒の歴史は、ブランデーから始まっている可能性が濃い。

ブランデーには大きくわけて3つあるという。ワインから造るブランデー。ブドウではない他の果実から作られるもの(カルヴァドス、スリヴォヴィッツ、キルシュ)。ワインを造った時のブドウの搾りかすから造られるもの(グラッパ、マール)。
本書ではワインから造るものに限定している。

ブランデーの銘柄を表す言葉として、コニャック、アルマニャックの言葉はよく聞く。
では、その違いは一体どこにあるのだろうか。

まず、本書はコニャックから解説する。
当時のワインには保存技術に制約があり、ワインを蒸留して保存していたこと。
また、ボルドーやブルゴーニュといった銘醸地として知られる地で生産されるワインは、品質が良いためワインのままで売られていた。それに比べて、コニャック地方のワインは品質の面で劣っていたため、蒸留用に回されていたこと。
1651年の戦いの結果、ルイ14世から戦いの褒美としてワインや蒸留酒にかかる関税を免除された事。また、コニャック周辺の森に育つリムーザンオークが樽の材質として優れていたこと。

一方のアルマニャックは、コニャックよりも前からブランデーを作っていて、早くも1310年の文献に残されているという。
ところが、アルマニャック地方には運搬に適した河川が近くになく、運搬技術の面でコニャック地方におくれをとったこと。蒸留方法の違いとして、コニャックは二回蒸留だが、アルマニャックはアルマニャック式蒸留機による一回蒸留であることも特筆すべきだろう。

ブランデーの歴史を語る上で、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフィロキセラによる害虫被害は外せない。フィロキセラによってフランス中のブドウがほぼ絶滅したという。
それによってブランデーの生産は止まり、他の蒸留酒にとっては飛躍のチャンスとなった。が、害虫はブランデーにとっては文字通り害でしかなかった。

だが、フランス以外のヨーロッパ諸国にはブランデー製造が根付いていた。
そのため、コニャックやアルマニャックの名は名乗れなくても、各地で品質の高いブランデーは作られ続けている。著者はその中でもスペインで作られているブランデー・デ・ヘレスに多くの紙数を費やしている。

また、ラテンアメリカのブランデーも見逃せない。本書を読んで一カ月後のある日、私は六本木の酒屋でペルーのピスコを購入した。ブランデーとは違う風味がとても美味しいかった。これもまた銘酒といえよう。
購入直後に五反田のフォルケさんの酒棚に寄付したけれど。

ブランデーはまた、オーストラリアや南アフリカでも生産されている。アメリカでも。
このように本書は世界のブランデー生産地を紹介してゆく。
ところが本書の記述にアジアは全くと言って良いほど登場しない。
そのかわり、本書では中国におけるアルマニャックの人気について紹介されている。日本ではスコッチ・ウイスキーがよく飲まれていることも。
本書は消費地としてのアジアについては触れているのだが、製造となるとさっぱりのようだ。
例えば山梨。ワインの国として有名である。だが、現地に訪れてもブランデーを見かけることはあまりない。酒瓶が並ぶ棚のわずかなスペースにブランデーやグラッパがおかれている程度だ。

日本で本格的なブランデーが作られないのは、ブランデーが飲まれていないだけのことだと思う。
私は本書を読み、日本でもブランデー製造や専門バーができることを願う。そのためにも私ができることは試してみたい。

本書はコニャックやアルマニャックが取り組む認証制度や、それを守り抜くためにどういう製造の品質の確保に努力するかについても触れている。
期待がもてるのは、ブランデーを使ったカクテルの流行や、最近のクラフトディスティラリーの隆盛だ。
周知の通り、アメリカではビールやバーボンなど、クラフトアルコールのブームが現在進行形で盛んな場所だ。

本書のそうした分析を読むにつけ、なぜ日本ではブランデー生産が盛んではないのだろう、という疑問はますます膨らむ。

今、日本のワインは世界でも評価を高めていると聞く。
であれば、ブランデーも今盛り上がりを見せている酒文化を盛り上げる一翼を担っても良いのではないだろうか。
大手酒メーカーも最近はジンやテキーラの販促を行っているようだ。なのにブランデーの販促はめったに見かけない。

私もブランデーのイベントがあれば顔を出すようにしたいと思う。そして勉強もしたいと思う。
まずはわが家で出番を待つブランデーたちに向き合いながら。

‘2019/9/7-2019/9/8