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アクアビット航海記 vol.20〜航海記 その8


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2017/12/14にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

お付き合いのために就職活動

妻とは、1998年の初夏ごろからお付き合いすることになりました。
妻はすでに歯科医免許を持っている歯医者さん。大学病院に勤めつつ実家の歯医者でも手伝っていました。
かたや私は、持っている免許といえば自動車運転免許だけ。要するに一介のアルバイトです。あまりにも差がありすぎる境遇。
たぶん、普通の人ならここで高嶺を仰ぎ見るだけで終わるのでしょう。
ですが、鬱から抜け出し、昇り竜のような私にとってそんな立場の差など無関係。仰ぎ見る高嶺が富士山だろうがチョモランマだろうが意に介しません。ましてや、世間体など当時も今も眼中の外です。
どれもこれも、私の恋情を止めるには取るに足りないことばかり。
そんな訳で私のアタックは寄り切り寄り切り、そして金星につながりました。

お付き合いしてもらえることになったとはいえ、収入の差は歴然です。
私も相手にふさわしくならねば。
いつまでもアルバイトに甘んじとったらあかんわな。いかに能天気な私でもそう考えます。このままでええわけあらへんわな、と。
そこで私は、それまで一切興味の湧かなかった就職へと舵を切ります。

私が目指そうとしたのは編集者です。
なぜ編集者なのか。
その理由はこの二年間の私の日々にあります。悩める日々、私は本を読みまくっていました。読書に耽溺していたと言ってよいほどに。
私を鬱に陥れ、そして回復させてくれた本たち。本はまた、私に人生の意味を教えてくれました。
そのような経験を積ませてくれた本を生み出す仕事に携わりたい。そう思うのは自然な流れではないでしょうか。
編集者として生きる中で、私自身がクリエイティブな職種に就ければ望むところです。例えば作家や物書きのような。

ただ、私の中では、文学の熱に浮かされているだけでは生計が成り立たず、結婚もおぼつかないとの冷静な理性も残っていました。
生計を立てるなら、まずは編集の仕事をしてみよう。

そんな訳で、1995年の夏、就職活動を放り出してから3年にして、ようやく私は就職活動に復帰します。
私のターゲット業種は出版社。職種は編集。

当時の私に向かって「自分、将来、情報処理業界で会社を作るんやで」と伝えたら、どういう反応を返したでしょう。
多分、「は?なにゆうてんの自分?」という反応が返ってきたはずです。
なぜなら、当時の私の人生設計に情報処理業界は全く入っていなかったからです。

芦屋市役所で身につけたExcelのマクロは、本稿を書いている今の私がみても初歩の初歩です。ましてやデータ登録のスキルだけで生きていけないことは、派遣社員での経験でも明らか。
そもそもデータ登録と情報処理業界は私の中では別物でした。
もっとも始末が悪いのは、情報技術やプログラミングに当時の私が全く興味を持っていなかったことです。
私がプログラミングの面白さに気づくのはまだ先の話

後先を考えずに、出版社に履歴書を送り始めた私。
ところが編集経験が全くない人間を雇ってくれる奇特な出版社などあるわけがないのです。
そもそも、出版社はほとんど東京に集中しています。兵庫に住む私が、東京に何通履歴書を送ったところで、返ってくるのは丁重なお断りの文章だけ。
ところが、一社だけ私を面談してくれる出版社がありました。
そんな奇特な出版社こそが中央出版さんです。

ブラック企業でしごかれ消耗する

無知でウブな当時の私は、中央出版さんに面接に出向き、編集の仕事を希望しました。
正確に言えば私が面談を受けた会社とは、中央出版さんのグループ子会社にあたる大成社さんです。
面接の会場には、Blurの「Tracy Jacks」が流れていました。
この曲のサビの部分「Tracy~Jacks♪」は「たい~せい~しゃ~♪」と聞こえるのですよ。
おお、何と遊びごごろのある会社、と間抜けな私は喜びました。
数日もたたずに採用のご連絡をもらった際も、私はまだ、夢見る気分で漂っていました。

それまでお世話になった社会保険労務士さんには、出版社に勤めることになったので、とお暇を告げました。

そんなウブで無知な私は、初出社の日から猛烈な嵐に巻き込まれます
大成社での日々については以下のレビューの後半で書いています。

なお、上のレビュー内では名を伏せましたが、本連載では大成社と実名を出します。
中央出版さんはグループ会社をオトナノジジョウでスクラップ&ビルドすることで知られています。
もちろん、大成社はすでに廃業済み。影も形もありません。
もっともウェブで検索すると、大成社の伝説の数々はそこかしこに登場するのですが。

大成社での日々を上のリンク先から引用してみたいと思います。

その会社は出版社の看板を掲げていた。しかしその実態は教材販売。しかも個人宅への飛び込みである。出社するなり壁に貼り付けられている電通鬼十則をコピッた十則を大声でがなり立てる。挨拶もそこそこにして。

朝礼は体育会系も真っ青の内容で、絶え間ない大声と気合の応酬が続く。しかし、そこに単調さはない。きちんと抑揚が付けられている。おそらくは営業所のリーダーの裁量にもよるのだろう。前日に成果を上げた者には惜しみない賞賛の声が掛けられるが、一本も成果を上げられなかった(ボウズと呼ぶ)者には、罵声が浴びせられる。私は数日ボウズが続いた際、外のベランダに連れ出され、髪型のせいにされてその場で丸刈りにされた。これホント。私がクビを告げられたのも朝礼の場。

朝礼が終わった後は、ロールプレイングと称する果てしないやりとりの復習。詳細な住宅地図から描き出す訪問ルートの策定を中心とした行動計画。担当毎にエリアが割り振られ、その地域を一定の期間訪問し尽すまで、そのエリアへの訪問は続く。

朝こそ12時出社だが、成績が悪いと10時出社の扱いになる。無論朝からロールプレイングの時間が待っている。派遣地域から営業所に帰ってくるのが22時前後。それから明日の営業資料の整理やら反省会やらがあり、終電は当たり前。そんな中、朝10時出社は厳しい。

・・・このレビューに書いたことは事実です。例えば、知らずにヤクザさんのところを訪問し、しつこくねばった結果、掌底で殴られ監禁されそうになったくだり。本当です。ベランダで丸刈りにされたのも同じく。

離職することを前提とした採用。
ふるい落とし、選ばれなかった者に待っているのは退職のみ。
厳しい職場で勝ち残り、成果を挙げた者だけが希望の業務に就ける。そんな容赦ない弱肉強食の社風。
成績優秀者は皆の前で100万円以上の厚みのある札束が渡されます。現ナマです。
振り込みなどという生ぬるい給与の渡し方はしません。徹底的なアメとムチの世界。
ボウズが続けば、固定給しかもらえません。かわりにもらえるのは数限りない罵声と叱咤の嵐。
その圧倒的な格差を前に、奮い立つ人もいます。這い上がる人もいます

それまでの人生、私の人生は浮き沈みこそあれ、平穏でした。
もちろん中学の頃はイジメにも遭ったことはあります。理不尽な目にも遭いました。
でも、それは同じ級友の間のいわゆるなれ合いの中のイジメです。
ところが私が入ってしまった大成社とは、なれ合いすらも許さぬ会社でした。平穏こそは悪と言わんばかりの。
ネットで検索すれば、今もブラック企業のレジェンドとして名を残す大成社。
私が社会の厳しい現実を嫌というほど教えられたのが大成社での日々です。
1998年の11月からの約3カ月間。

1999年の2月始め、私は皆がそろう朝礼の場でクビを宣告されました。
この時に受けた強烈な屈辱は、丸刈りにされた時の記憶と相まって私を打ちのめしました。
私が東京に出て結婚した6、7年後になっても、この時の経験は夢に出てきたほどです。
私と同時に大成社に入社した10人ほどの同期は、私がクビにされた時点ですでに3,4人しか残っていませんでした。もちろん、皆さんクビです。

ただし、大成社で過ごした3カ月の全てが無駄であり、苦痛でしかなかったと書くのはフェアではありません。良いことだってわずかですがありました。
例えば契約を獲得すると、ホワイトボードの名前の下にピンクのバラが飾られます。よく選挙当選者の名前の下に貼られるような感じの。
私は3カ月の間に1,2度しか達成できませんでしたが、1日に2件の契約を獲得したこともあります。それは「ダブル」と呼ばれ、帰社すると拍手で迎えられます。翌日の朝礼でも称賛は惜しみなく与えられます。

私は、自分が売り込む商材である3000円のテストにも、テストを受けた家庭に売り込まれるゴールウィンという教材にも愛着が持てませんでした。
そんな心持でありながら、当時の私はノルマや売上に追われていました。そして、訪問の間に一軒でも多くのお宅にテストを受けてもらおうと脳内をたぎらせ、目を血走らせていたのです。
ところが、そんな充血の毎日にも救いはありました。
数多くのご家庭を訪問していると、中には心温まる家庭にも出会えたからです。
もちろん、ほとんどのお宅ではケンもホロロに門前払いを食らいます。
でも、中には、頑張ってるわね~と私をねぎらってくださるご家庭だってあったのです。
心身ともに追い詰められた気持ちで、訪問したお宅のお子さんとその保護者様を相手にトークを展開しながら、親身にお子さんの将来を案じる保護者様の気持に胸が熱くなったことも1,2度ではありません。
私に門だけでなく、心も開いてくださったご家庭に対しては、たとえ契約に結び付かなかったとしても温かい気持ちを抱いて辞去することができました。

また、大成社の大阪支店には諸先輩方がいました。
私についてくださった先輩はHさんといい、一生懸命に指導してくださいました。
理不尽で不条理な日々であっても、全ての経験が暗黒ではなかったことは書き添えておきたいのです。

ブラック企業で培ったもの

”起業”した今、私はいろんな会社を訪問する機会があります。
一度も伺ったことのない会社へ単身で訪問することも多いです。
ですが、気後れすることはありません。
これは大成社での過ごした3カ月、毎日、果てしない数のお宅へ飛び込み訪問した経験のなせる業です。
今でも、飛び込み営業をやれ、と言われれば契約がとれるかどうかは別にして、やれる自信はあります。
当時、何百軒も飛び込み訪問した経験はダテではありません。

また、”起業”すれば深夜や土日に働くことなど普通です。
お客様に怒られることだってあります。
でも、大成社での日々に比べれば、どれも大したことではありません。それ以上に苦しかったからです。
負けて打ちのめされればそれまで。
ところが、結果として生きながら得たことで(私の場合は乗り越えたわけではありませんが)、その後の試練に耐性がつきました。
私が打たれ強くなったのは、この時の経験からです。

また、つらい時期も過ぎてみればそれまで、という人生訓を得たのもこの時期です。
大成社での日々は、私が”起業”する上で欠かせないイニシエーション(通過儀礼)だったと思います。

ただし、”起業”するためには、あえてこうしたブラック企業に飛び込むのがよいか、と問われれば迷います。
今の私は、大成社の夢にうなされることはありません。
ですが、もし私の娘や友人や知り合いがブラック企業に就職すると聞けば、間違いなく反対するでしょう。
それはそうです。私自身が二度とやりたくないのに、人に勧めるわけがありません
休みには、どこにも出歩く気力がないほど疲れ果て、当時、付き合っていた妻と電話で話すことが精一杯。周囲から追い詰められ、夜も昼も追い込められる日々。
人にはおのおの、耐えられる閾値があります。
私はたまたま、精神を病む前にクビになって解放されました。
それ以上いたら、再び鬱に陥り、本稿を書く機会もなかったかもしれません。

大成社よりも過酷な、そして人権をないがしろにするような職場は他にも多く存在することでしょう。
そのような職場に耐えられるかどうかはその人次第です。
クビになったからといって気に病むことはありません。逃げられる気力が残っているうちにさっさと逃げたほうがよいです。
”起業”した今、私はパートナー技術者や部下に対し、絶対にブラック企業が行うような使い捨てをしないと決めています。
それも、大成社での経験を反面教師としているからです。
本稿に書いたのは、あくまでも私の個人的な経験、そして結果論でしかありません。

ただ、それを踏まえても、ブラック企業での経験は得難いものでした。今となって振り返れば。
そこでの日々は、私を強く鍛えてくれました。
私の人生を振り返っていえるのは、この試練をくぐったことで、人生の次のステージに進めた
、ということです。
大学四回生の夏から始まった3年半のぬるま湯につかった日常。それらは一掃されました。

朝礼の場で皆の前でクビを言い渡された屈辱。
それは、私をさらなる行動へと駆り立てます。
次回はそのあたりをお話ししたいと思います。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.19〜航海記 その7


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2017/12/8にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

データ入力の仕事に挫折する

データ登録の仕事で思った以上にお金がもらえた。そのことに味をしめた私。
今までは先輩に頼りきりだったので、自分でも動かねば、と一念発起したのでしょうか。私は派遣社員として他の会社に登録する道を選びました。
たかが登録。
今のわたしから見ればなんのことはありません。
ですが、時代は1998年。
多分、登録を行う上で、ウェブ経由で行う方法などなかったはず。電話か何かでアポイントを取り、派遣会社へ訪問したのでしょう。それは、今と比べて労力のかかる仕事です。
でも、一時は鬱に沈んでいた私も、そこまで踏み切れるようになったということでしょうか。
その派遣会社の名前はエキスパート・スタッフさんです。今も大手としてよく知られていますよね。

ほどなく、エキスパート・スタッフさんからオファーが来ました。
その仕事は、FileMakerへの入力です。自宅のパソコンにFileMakerをインストールし、東急ハンズの商品のポップを決まった通りに入力し、納品する。デザインスキルは不要で、価格や商品名を入力するだけでよかったように覚えています。
それは、私にとって初めての在宅ワークでした。

話はそれますが、本稿を書く10日ほど前に(2017/11月末)に、FileMakerの案件を受注しました。
実は私がFileMakerに携わるのは東急ハンズのポップ作成以来なのでした。
当時はオペレーターとして、今回は移行エンジニアとして。
この記事を書くタイミングでFileMakerの案件が受注できたことに何かの縁を感じます。一抹の感慨とともに。

さて、FileMakerの仕事を行っていた私。ですが、この案件も程なく終わってしまいました。そして、この仕事から後、パタリと新規案件が来なくなったのです。
当時の私は思っていました。データ入力の派遣作業とは、依頼が来たら、それを受けるだけ、と。つまり、受け身です。
ですが、それではダメなのです。たちまち収入が途絶えてしまいました。
今だから思える反省点があります。
それは、自分の仕事ぶりを評価してもらうための働きかけを全くしていなかったことです。
これは日本ワークシステムさんで派遣登録している時もそうでした。
この時、当時の私がそれまでの自らの仕事ぶりがどうだったかを聞き、案件が終わる度に、私の仕事ぶりを評価してもらうように聞いていれば、仕事ぶりを改善する余地はあったはずです。
ところが当時の私はそうした作業をまったくしていませんでした。
まだまだ、私は受け身で仕事をやり、受け身の状況に流されていただけなのでした。

社会保険労務士事務所で自転車をこぐ日々

収入が途絶え、困った私は、またしても政治学研究部に頼ります。
この時、私を助けてくれたのは、政治学研究部の先輩ではなく後輩でした。
その彼が入っていたバイト先を抜けるにあたり、後任として私を紹介してくれたのです。
そのバイト先とは、社会保険労務士事務所でした。阪急の西中島南方駅の近くにありました。
この時、私を助けてくれた後輩M君にもいまだに感謝しています。

この社会保険労務士さんは確か、菊池さんといったように覚えています。
ですが、事務所はもう閉じてしまわれたようです。当時もすでに菊池さんは年配でした。今、ネットで検索してもそうした名前の事務所は見当たりません。
私はこの社会保険労務士事務所では、オフコンに社会労務のデータを登録する仕事を行っていました。社会保険労務士さんですから給与データなどを入力していたのかもしれません。
そして印刷した伝票を週二回ほどのペースで福島区の取引先に届けていました。
今、思えば、その仕事も気楽なものでした。
西中島の事務所へは、西宮の自宅から毎日自転車で通勤していました。
その足で福島区のお届け先まで自転車で向かう。そんな日々だったように覚えています。

そんな私の自転車通勤の日々は、数カ月で終わりを告げます。確か1998年の10月いっぱいまで続けていたように思います。この社会保険事務所のアルバイトを辞めるいきさつは、次回の連載で触れたいと思います。

芦屋市役所から始まり、社会保険事務所まで続いたデータ入力オペレーターの日々。それは、私の打鍵能力を鍛えてくれました。
後年、システム・エンジニアとしてさまざまな現場を渡り歩いた私ですが、自らの打鍵スキルに助けられたことは数えきれません。
ですが、いくらキーボードの入力に長けていようと、それだけでは身を立てられないのです。ましてや、結婚して家族を持つとなると。
そう、当時の私は結婚を考えるようになっていました。
結婚のことを触れるには、1998年の秋から少し時間を遡らねばなりません。

結婚を意識する

それは忘れもしない、1998年の2月末のことです。
その日、私は結婚の相手と考える方と初めて会いました。その相手こそ、今の妻です。
妻とのなれそめを紹介すると長くなるのでここでは書きません。
ただ、なれそめの一つがネットのBBS(電子掲示板)であったことは言っておくべきでしょう。

SNSがまだ市民権を得るどころか、存在もしていなかった当時。オンラインでコミュニケーションをとる手段は、メールくらいしかありませんでした。
先に書いたBBSとは、ウェブ上の掲示板のことです。
その掲示板で私と妻は初めて会話を交わしました。
私がその掲示板を訪れるきっかけは、長くなるので書きません。私の小学校の頃からの友人H君が関わっています。
そして、掲示板で妻とも会話をするようになってからしばらくたった2月末、私はそれまでエンもユカリもなかった町田を訪れます。そして、今の妻と出会うのです。
なぜ町田に来ることになったのか。それは、H君が町田まで妻に会いに行くと同行者に私を誘い、私が付いていったからです。
この時の旅も道中もエピソードに溢れており、書くネタには事欠きません。ですが、本連載の主旨とは外れるので割愛させていただきます。

当時、時間だけは自由に使えた私。相変わらず本は読みまくっていました。
ですが、一方で黎明期のインターネットにも大いにはまりました。当時の言葉でいえばネットサーフィンです。いろんなページを巡っていました。
メールでのやりとりや面白そうなメールマガジンにやたらと登録し、上にも書いたBBSや、ICQなどを駆使して盛んにコミュニケーションもしていました。
タイや香港、スコットランド、ロンドンの人とオンラインでのやりとりしていたのもこの頃です。

1998年といえば、フランス・ワールドワールドカップが行われた年です。私はこの時、フランスワールドカップに観戦に行こうとしていました。
その旅費を稼ぐため、スコットランドのマッカラン蒸溜所に英文の手紙を送り、雇ってほしいと頼んだのもこの時です。
まだ付き合う前の妻を半蔵門のイギリス大使館や赤坂のイングリッシュ・カウンシルに連れ回したのもこの頃です。

皮肉なことに、私を沈んでいた日々から救ってくれたのは、内向的なオンラインの世界でした。
当時、メーリングリストがあちこちで立ち上がっていました。私はあちこちのメーリングリストに参加し、そのうち二つのメーリングリストにはオフ会にまで参加しました。その二つのメーリングリストとは阪神間MLとBacchus MLです。
この時に二つのメーリングリストのオフ会で知り合った方々には、その後の人生でとてもお世話になりました。本稿を書いている今もお世話になっています。
オンラインで知り合った方とオフ会で会い、見聞や知り合いを広げる。そして、BBSで知り合った女性とリアルに結婚する。
この頃の私が、黎明期のネットから受けた恩恵は、とても重要なものでした。
この時に培った多様な知見が、後の起業にも役立っていることは言うまでもありません。

鬱に陥った過去を吹き飛ばすかのような活発な日々。
この頃の私は、自分が何になれるのか、何で糧を得るのか、自分の将来を必死に模索していました。
物書きとして身を立てる道を探りました。本をひたすら読み漁って世に出るヒントを得ようとしました。オフ会に出て人との繋がりを求めました。
この時期の私に、まだ起業という考えはありません。
ですが、今から考えると、当時の私の心の在り方は起業を目指す人のそれだったのかもしれません。
勤め人におさまろうという気持ちは、相変わらず希薄なままでした。

ところが、そんな私が勤め人になろうと試みます。
私が入り込んだその企業は、ブラック企業でした。


アクアビット航海記 vol.18〜航海記 その6


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2017/11/30にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

はじめてSEの現場に触れる

1997年の11月。芦屋市役所を離れた私が次に訪れた場所。それは神戸三宮でした。
DUNLOPといえばテニスボールで有名ですが、ここのシステム統括部門らしき場所。それが私の次の職場となりました。
このDUNLOPの現場も、大学の政治学研究部の先輩に手配していただきました。芦屋市役所の時と同じです。
その先輩の属する大手情報企業の系列会社の配下で、アルバイトか派遣社員の身分として雇われたような気がします。

ところが、私はここで一体何を仕事をしたのか、そもそもなんのためにいたのか、全く思い出せないのです。
それもそのはずで、私はなんの仕事もしていないからです。
冒頭で「統括部門らしき場所」と書きました。”らしき”というのは、私がそもそもそこが何を目的とする場所かを皆目、理解していなかったからです。
なんとなく記憶しているのは、全国のDUNLOPの統括部門だったことと、現地にエンジニアを派遣し、エンジニアの支援をする場所だったことだけ。そもそもエンジニアを何のために派遣していたのかも知りません。何を統括するのかも、まったく私は覚えていません。ただ座って周囲の忙しそうな様子を眺めているだけの私でした。
それも周りの会話をなんとなく覚えているから言えることで、当時の私はなんのためにそこにいたのか、今もなお思い出せません。
大勢の技術者がそれぞれの業務に従事する中、私は数人のシステムエンジニアのチームに配属されました。そのチームのエンジニアの皆さんには随分とかわいがってもらった記憶もあります。

私が覚えているのは、wordでALTキーを押しながらドラッグ&ドロップすると、行単位でなく縦方向に範囲選択できることをお見せしたら、「それは知らんかったわ〜」と感心されたことくらい。
それはつまり、本業では何も貢献していなかったことを意味しています。つまり、当時の私は何の取りえもなかったのです。
当時、私をかわいがってくださったエンジニアさんたちの名前も顔も何人かは覚えています。
ですが、今の私がもしその時にお世話になった皆さんに「お久しぶりです~」とあいさつしても「は?どなた?」と言われることでしょう。全く覚えられていないと思います。
ひょっとしたら「ああ、あの、ただ、座っていただけの彼?」と言われるかもしれません。忘れられていることの方が必然です。

結果、その現場も数カ月で離任になりました。
それはそうでしょうね。そもそも、なんの業務をしている部署かすら把握も出来ないような、そんな使えない人間を養うほど仕事は甘くはありませんから。今の私ならそう思います。

ところが、私がDUNLOPを離任した後、大学の先輩はそんな私のために懲りずに骨を折ってくださいました。
そして、私を人材派遣会社に紹介してくださったのです。つまり、派遣社員です。
派遣元の会社名は日本ワークシステムさん。山陽電鉄のグループ会社で、今も会社は活動されているようです。

派遣社員へ

日本ワークシステム経由で、私は2カ所に派遣されました。
確か最初は神戸市役所の本庁舎です。ここでもわたしが何をしていたのか、記憶は曖昧ですが、確か教育委員会でデータエントリーのオペレータをしていたように思います。
ここで覚えていることもあまりありません。多分、言われるがままにデータ入力をこなしていたのでしょうね。何を入力していたのか全く覚えていませんから。
この部署は教育委員会のシステムの統括部門だったらしく、サポート担当のエンジニアの方が淡々と電話対応していた声の調子だけはいまだに覚えています。木で鼻をくくったような事務的なサポートな感じだけは。

さて、神戸市役所には2週間程度、通勤していたでしょうか。
次に私が派遣されたのは山陽電鉄の本社です。
ここではAccessのフォームに住宅情報を入力していたようなうっすらとした記憶が残っています。
もう一つ覚えていることといえば、Accessのデザインなどしたこともない素人の私が、エンジニアの方に対し、入力フォームに注文を付けたことです。
全く、なんという思い上がりでしょうか。

もちろん、二つの現場ではデータエントリーはきっちりこなしましたよ。
神戸市役所でも山陽電鉄でも与えられた期限よりもだいぶ早く打ち込みを終えてしまいました。おそらく私の打ち込むスピードが速かったのでしょう。
全体の入力件数とその報酬額が決まっていたため、入力が早く終わった分、日割りするとずいぶんと高い報酬額をいただきました。
たしか一日単位に換算すると数万円にも及んでいたような記憶があります。

私は望外の報酬を得たことで、データエントリーの仕事を甘く見てしまいました
データエントリーの仕事を続けていれば一日で数万円も稼げてしまう、と。今、思うと勘違いもはなはだしい。
でも、当時の私はまさに大いなる勘違いの中に遊んでいました

今の私はその勘違いの危うさをすぐに指摘できます。データ登録をこなすだけでは将来の成長が見込めないことを。
それは、今の私が当時のデータエントリーやDUNLOPでこなしたはずの仕事の内容を全く覚えていないことでも明らかです。
もし私がこれらの仕事から前向きに何がしかの糧を得ようとし、自分を成長させようと取り組んでいたら、仕事の内容ぐらい少しは覚えているはずだからです。それがたとえ20年前のことであっても。
要するに当時の私はまだ舐めていたのでしょう。仕事を。

私が山陽電鉄の現場を離れたのがいつか、全く記憶にありません。
そもそも上に書いた当時の私の勤務先の変遷すら、本当にそうだったのか確かな自信はありません。
芦屋市役所→DUNLOP→神戸市役所→山陽電鉄の順だったと思うのですが、芦屋市役所→神戸市役所→山陽電鉄→DUNLOPの順だったかもしれません。一切が曖昧です。
この流れを過ごしたのがどれぐらいの間で、終わったのがいつだったかも全く覚えていません。
当時はとにかく、何も記録に残していませんでした。今の私にもはや確かめるすべはありません。1998年の夏前でしょうか?

この当時のあいまいな記憶

今の私が、当時の私を叱るとすれば、当時の私は言われるがままだったことでしょう。何も考えていなかった自分を真剣に怒ることでしょう。
工夫のない仕事はただの作業作業は人は成長させない。ということを口を酸っぱくして教え諭そうとし、しまいには手ごたえのなさに激高するに違いありません。
今の私からみた当時の私は、起業できるだけの経験もなければ、起業できる兆しすらまったく感じられません。

ただ、好転の兆しが全くなかったわけではありません。
というのも、データ入力で食っていけると思い込んだ私が甘かったことを間もなく悟るためです。
そして、私にいよいよ転機が訪れます。

本連載の第十五回で1996年から1999年の3月までは記憶があいまいと書きました。
このころ、私は鬱状態から脱したとは言え、全てが手探りな日々が続いていました。
ですが、鬱から立ち直った反動は、私を再び前向きな方向に推し進めます。
本は相変わらず読みまくっていました。一日で5,6冊を読破することなどザラにありました。
読書だけにとどまらず、私は再び世の中に飛び出していこうともがき始めます。
いろんな場所を訪れ、人と会話し、何かをつかもうとし始めるのです。

それにしてもこうやって当時のことを思いだすと、先輩の恩をあらためて深く感じます。

次回も、引き続き私の日々を書きます。


アクアビット航海記 vol.13〜航海記 その2


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回からタイトルにそって弊社の航海記を書いていきます。以下の文は2017/11/2にアップした当時の文章そのままです。

大学に入るまで

1996年の3月。私は大学を卒業します。4年制の大学を無事に4年間で。単位も取得し、卒論も提出した上で。その時の私に唯一足りなかったこと。それが4月からの就職先です。

なぜ、そういう事態になったのか。それは本連載の第12回で書いた通りです。私の自業自得。身から出た錆。それ以外の何ものでもありません。私自身に社会に出るだけの準備が整っていなかっただけの話です。モラトリアム(猶予期間)への願望もあったけれど、それは理由にはなりません。誰の責任でもなく、私自身の甘えが招いただけの話です。

では私は大学の4年間、何をしていたのでしょう。単に親のすねをかじって遊び惚けていただけなのか。それとも何かを目指していたのか。たとえば起業を志すとか、学問の世界で身を立てるとか。内定もとれず、大学を過ごした私に志はなかったのでしょうか。いえいえ、そんなことはありません。

高校卒業後、私は関西大学の商学部に現役で入学しました。他にも甲南大学にも受かったのですが、そちらは辞退しました。では当初から商学部に入学したい強烈な動機があったのか。そう聞かれると答えに窮します。正直なところ、商学部にしか受からなかったから商学部に入った。それだけの話です。浪人も面倒だったし。

高校生の私は環境問題に関心がありました。未熟で世間知らずであっても社会のために役に立ちたいと志す気概は持っていたのです。ところが、環境問題を専攻するには理系の学部に入るしかなかったのです。そして私の成績は完全に文高理低に偏っていました。国語と社会は上位、ところが数学や理科は落ちこぼれ。とても将来プログラミングで身を立てるとは思えない体たらく。高校時代の私にはPCやプログラミングの気配など全くなく、スーパーファミコンやPCエンジンでゲームしていたのがせいぜいでした。そんなわけで、私の志とは違って文系の学部にしか進学できませんでした。

商学部で学んだ起業への素地

でも、商学部で学んだ経験は無駄にはなりませんでした。入った当初はまったく興味がなく、必修の語学については苦痛でしかありませんでした。ところが商学部の専門コースに進んでから、少しずつ興味を惹かれ始めたのです。特に、マーケティング論。興味をもって勉強もしたし、優良可の優をとるぐらいには理解していました。いまでも、地方に旅行すると地元のコンビニやスーパー、道の駅巡りは欠かせません。いろんな商品を見て歩き、パッケージに感動する。それはこの時にマーケティング論を学んだ影響が尾を引いています。簿記の初歩も大学の授業で学び、簿記三級の合格が単位取得条件だったのでそれも取りました。こうやって振り返ってみると、勉強も結構していたのですよね。連載の第12回では、私の大学時代は遊びまくっていたように書きましたが。多分、興味を持った授業はそれなりに出ていたということでしょう。ただ、当時の私を振り返ると、将来起業に役立つと考えて授業に臨んだことは一瞬たりともありませんでした。当時はそこでの授業が自分の人生にどう役立つのかまったくわからないまま。でも、商学部での学びは起業の糧となっているのです。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、大学の授業はおろそかにするなかれ、と忠告しておきたいです。

部活動を率いて学んだ起業への素地

あと3つ、大学生活で得た起業の糧があります。一つは部活動です。商学部の私が、なぜか政治学研究部に所属することになりまして。理由は、高校の同級生が関大の法学部に入り、その彼に誘われただけのことです。3回生になった私は政治学研究部の部長を務めます。いまから考えると部活動内容も学生の戯れに過ぎませんでした。が、なんであれ組織を率いるという経験は貴重です。私は高校時代にもホームルーム長(級長)を2回務めたことがあります。ですが、高校のホームルーム長は担任の先生の指導の下、高校の枠の中の役職でしかありません。ところが、大学の部活動における部長にはとても強い自治権が与えられます。その経験は、後年、私が“起業”する上で良い経験となりました。大学時代の私は今よりも人見知りの気質が強かったと思います。今のように積極的にいろんな集まりに飛び込んでいく度胸もありません。そんな未熟な私でしたが、政治学研究部で培った交流関係や、一緒に実行した数々の無謀なイベントはとても得難いものでした。そういうへんな度胸を発揮したり、枠をはみ出たりする楽しさ。私に大学のキャンバスライフを楽しませてくれたのが、この部での体験でした。政治学を専攻する部なのに。生まれて初めて検便を提出したのも学祭のやきとり屋。生まれて初めて貧血で倒れたのも学祭のプロレス観戦中。生まれて初めて胴上げされたのも学祭の後。学祭も政治学研究部で参加しました。いまだにこの部の仲間とは交流が続いていますし、この時に過ごした皆には感謝しかありません。あと、私が社会に出るにあたり大変お世話になった先輩と出会ったのもこの部でした。この方については私の起業人生に関わってくるのでまた触れたいと思います。

話はそれますが、大学の入学時には馬術部にも勧誘されました。新歓コンパまで出ながら、結局入部することはありませんでした。この時、私が馬術部に入っていたらいったいどういう人生を歩んでいただろう、と思うことがたまにあります。内定なしで卒業したことも含め、私は自分の大学時代に後悔は何一つありません。が、この時、馬術部に入らなかったことはいまだに心残りです。朝早いのがいや、という理由で断ったことなど特に。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、どんな仲間でもいいから、とにかく楽しめ、そしてどんな形でもいいから上にたて、と忠告しておきたいです。

次回は、私のキャンバスライフで得た残り2つの起業への糧を述べてみます。


アクアビット航海記 vol.12〜航海記 その1


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第十一回までは起業のメリット/デメリットを述べました。今回からタイトルにそって航海記を書いていきます。以下の文は2017/10/26にアップした当時の文章そのままです。ただ、今回参照しようとしたところ、すでに元サイトはキャッシュにしか残っていない模様です。それも踏まえ、今回の連載再開にあたっては、5回に一度ほど、起業についてのコラムを書いていこうと思います。

私の起業への歩みは、ノウハウでもコツでもありません

なぜ、私が“起業”したか。なぜノウハウも人脈もない中、起業に踏み切れたのか。それを説明するのは困難です。なぜならなりゆきだったからです。なりゆきに導かれるように起業にたどり着いた。それが私の起業の経緯でした。よくあるように、たった一度の機会を生かし、清水の舞台からえいやと飛び降りた起業ではないのです。もちろん、強固な目的意識もなければ、明確なスケジュールに沿った起業でもありませんでした。ですから、本連載では起業のノウハウは記しません。起業へのわかりやすいステップも示しません。また、皆様に独立のコツやタイミングの指南もしません。いや、“しない”のではなく“できない”のです。私は起業コンサルタントではなく、今後なるつもりもありませんので。

そうなると、本連載って何やねん。というツッコミが入りそうです。こういう場をいただいている以上、何かしらの気づきや手応えをつかんでもらわなくては連載の意味がありません。たぶん、私が本連載で伝えるべきは起業のコツやノウハウなのでしょう。成り行き任せで“起業”したのに10年以上も事業を続けられているのもどこかで起業のコツを実践していたのでしょうし、適したタイミングで手を打ったのもノウハウと言えるかもしれません。私自身が、決して起業の奥義やツボを会得しているわけではないのですが、書き連ねた内容の中からヒントをつかみ取っていただければうれしいです。

大学時代の就職活動で挫折を味わいました。

私には三親等以内の親族が30名強います(妻側の親族は除く)。その中で私の知る限り、自営業や経営者はいなかったように思います。みなさん、公務員や教師や会社員、主婦など堅実な道を歩む方がほとんどです。つまり私は一族の異端児。そういう一族に生まれた私は、世が世なら“起業”せずに勤め人として平穏に過ごしていたと思います。しかも、東京に出ることなく関西にずっと住んでいたはずです。では、何が私を起業に向かわせたのか。それを解くには大学時代にまでさかのぼる必要があります。

浪人もせず現役で大学に入るまでの私は、親の保護下で順調に成長して来ました。が、大学の自由な風は私のリズムを崩したようです。今思えば無軌道なキャンバスライフだったと思います。いや、楽しみました。それに悔いはありません。無軌道で無鉄砲な学生時代でしたが、それでも留年もせず四年で大学も卒業できたのです。ですが、卒業した時の私は、一つも内定を持っていませんでした。これが私の転機でした。小中高大と浪人も留年もなく過ごしてきた私にとって初めての蹉跌。それが就職活動だったと思っています。いまさら振り返っても仕方ないのですが、もしここで普通に就職していたら私の人生行路もずいぶん違っていたことでしょう。

なぜ内定がとれなかったのか。それは私の実力が不足していたことに尽きます。が、それ以前に就職活動をナメていたのですね。いま思えばずいぶんと横紙破りな就職活動だったと思います。リクルートスーツこそかろうじて着ていました。ですが、自転車や車で面接会場まで行ったり、営業ではなく商品企画を希望したり。就職氷河期と呼ばれた真っ只中にありながら、よくぞ甘えていたものです。現在の私が当時の私を面接しても多分落としていたと思います。それでも、いくつかは最終面接まで行きました。そして、最終面接で内定をもらったと勘違いし、それ以降の就職活動をやめてしまうほどに私は若かった。

一つだけ当時の私を擁護させてください。それは、阪神・淡路大震災です。就職活動の年の一月に起きた地震。この地震は私の家を全壊させました。その経緯はブログにも書いたのでここでは繰り返しません。そして、この経験は私の人生観に多大な影響を与えました。人の命のはかなさ。人生は一回きりであるとの達観。そこに、地震を体験したことによる高揚感が加わりました。そんな精神状態で私は就職活動に臨んだのです。そして、あまり断られず順調に最終面接まで行ったのです。そこで就職をナメてしまった。若かったですね〜。

就職活動を辞めた私は、その夏休みを遊び倒します。若狭、広島、福岡、長崎、柳川、厚狭、台湾一周、沖縄。無論後悔はありません。いまでもこの夏の思い出は鮮烈です。そして、この夏の充実は今にいたるまで私の理想の日々です。それ以降、どうすればこの夏のような生活が送れるか、を模索する基準にもなりました。昔はよかったな~、ではなく、この時のような生活を送るために前向きな気持ちで。

1995年は奇しくもITにとってエポックな年でもありました。

この年に起こった出来事は阪神・淡路大震災だけではありません。オウム真理教による地下鉄サリン事件も起きました。当時の私は、大学や駅で宗教に勧誘された経験があったので、宗教からは距離を置いていました。これは現在もかわりません。あと一つ、この年はWindows95が発売された年でもあります。当時の私はパソコンを職業にするなどまったく視野の外。それどころかWindowsにもほとんど興味がありませんでした。先輩から譲ってもらったX68000というパソコンでネット通信を楽しみ、ゲームを楽しむ程度にはパソコンを使っていましたが、仕事でパソコンを使うなど、想像すらしていませんでした。

そんな1995年。新卒で採用される大学生の進路ルートからそれた日々。この年、私の人生に就職活動の失敗という一つの転機が生じたのです。


アクアビット航海記 vol.11〜起業のデメリットを考える その5


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。第七回から今回まで、起業のデメリットを語っています。なお、以下の文は2017/10/19にアップした当時の文章そのままです。

「守られなくなること」

ここまで、起業をつれづれなるがままに語ってきました。何度も書いたように起業のやり方など千差万別。それぞれのやり方があっていいと思うのです。ただ、やり方によっては成功も失敗も両方あり得るのが起業の怖さでもあります。ですから、私は本連載でいう起業を、お花畑に囲まれたハッピーライフとして描くつもりも、イバラの道が続くデス・ロードだけで埋めるつもりもありません。利点も欠点も両方とも書かなくては。そう思いませんか?
ここまでで利点を5回。欠点を5回。ちょうど同じ回数を費やしました。そんなわけで起業の欠点を述べるのは今回でひと段落とします。

ここまで取り上げてきた起業の欠点。それを一言でまとめるなら、「守られなくなること」と言えるのではないでしょうか。学生時代は保護者に守られます。社会人になってからは所属する組織、つまり会社やバイト先から守られます。しかし起業するとそれらがなくなります。守られなくなる、ということは自由の証でもありますが、見方を変えれば失敗が許されなくなることでもあります。

「守られなくなる」とは、例えば

例えば、第7回で書いた時間が不規則になる件です。学生時代は時間割が学校から提示されます。学校が定めた時間割に従っていれば生活のリズムは作れました。社会人になってからもそう。始業時間と就業時間があり、そこに沿っていれば、タスクも割り当てられ、タスクに充てる時間配分も上司の指導のもと行えました。ところが起業すると、時間枠は自分で作っていかねばなりません。指導してくれる上司もいなければ、規範となるルールもありません。あなたがあなた自身の上司を兼ね、あなたがルールを作っていかねばなりません。そうなのです。守ってくれるのは己の力だけ。

例えば第8回で書いた収入が不規則になる件です。学生時代は親の扶養のもとで生活の心配をせずに済みます。就職してもアルバイトしていても一定の収入は約束されます。社会保険や税金の支払いもそう。会社が払ってくれるので、あなたはあまり意識せずに済んでいたのです。ところが、起業するとお金の確保は己の腕一本にかかってきます。定期収入は自分の営業努力で確保せねばなりません。税金の支払いもそう。経理担当を雇う、税理士の先生にお願いする。お願いすれば支払手続きは行って頂けるでしょうが、最終的な支払い責任があなた自身にかかってくるのは同じです。そうなのです。守ってくれるのは己の力だけ。

そして、第9回10回で書いた人付き合いが変わる件です。学生時代は学校の割り振ったクラス分けで人間関係がお膳立てされていました。社会人になったら配属先がそうです。そこを基準に人間関係を作り上げていけばよかったのです。ところが起業すると人脈は自らが構築していかねばなりません。しかも己が信頼に値する人間であると示しながら、です。そして相手が信頼できる人間であると見極めながら、です。信頼を勝ち得られず、仕事が取れない。信頼した相手に裏切られる。そういったことも、すべては自分の責任です。組織にいる間は、組織に守ってもらっていることは意識しません。独立して初めて、組織に庇護されていた境遇を感じるのです。そうなのです。守ってくれるのは己の力だけ。

他にも守られなくなることはあります。それは、あなたご自身の健康です。会社にいると定期健康診断はかならず受けねばなりません。労働安全衛生法にもそう定義されています。ところが、これは正社員、アルバイト、パートなど常時雇用する従業員に対しての義務です。あなた自身は常時雇用されているわけではありませんから、あなた自身の健康診断の義務はないのです。そして、あなた自身の健康診断を受ける義務はありません。ということは、あなたの健康は誰も守ってくれないのです。激務の末に倒れたとしてもそれはあなたの健康管理が悪かったから。という末路が待っているのです。気をつけねばなりませんね。気をつけねば。こう書いている私が一番そう思っています。間違っても倒れてはならないのです。くわばらくわばら。

他にも守られなくなることはあります。それは、あなたご自身の法的な保護です。会社であれば、従業員の監督義務があるため、そうおかしなことはできません。でも従業員もおらず、自分自身で行なう事業であれば、その行為が法的に正しいかどうかは、誰にも注意されません。軽い気持ちでやった行為が実は商法や民法に違反していることだってあるのです。もしそれが摘発されたら、あなたには前科がついてしまう!  それは避けたいですよね。起業はあくまでも正々堂々と。なんの恥じらいも罪の意識もなく、まっとうに活動していきたいものです。また起業すると立場も弱くなりがち。取引相手から違反すれすれの行為を受けることだってあります。請求した金額が入金されないことだってあるでしょう。ですから、そのあたりの知識は持っておかねばならないのです。もちろん法的な書類の取り交わしなど、身を守るべき契約書類はきちんとしておくのが当たり前です。そうしないと仕事をしてもお金が入ってこないことだってありえます。くわばらくわばら。

まだ他にも守られなくなることはあります。それはあなたの老後です。連載の第4回でも書きましたが、生涯を仕事に打ち込むためには起業は有効な選択肢です。でもそれは逆をいえば、退職後の生活保障もされないことでもあります。つまり、老後の貯えは自分で作っていかねばなりません。つまり、起業すると自分の老後を守ってくれるのは自分以外いなくなるのです。年金?  現在、もしあなたが引退後の生活資金を国民年金に見込んでいるのであれば、それは即刻改めるべきだと思います。年金制度が破綻しているとまではいいませんが、この少子化の現状では、どこかで年金改革の波がやってくることは避けられません。その時に年金をあてにしていると、どうにもならない日がやってくる。くわばらくわばら。

それでも私は起業を選びます。

さて、ここまで起業のデメリットを書いてきました。最初にも書いた通り、起業の良い面ばかり持ち上げるつもりはありません。でも、起業の悪い面ばかり煽るつもりもありません。でも、それでも、私は生まれ変わったとして、もう一度起業する人生を選ぶか、と問われれば迷わず「はいっ!」と手を挙げます。ここまで起業のデメリットを知った上でもなお、私は起業を選ぶと思います。それは起業の利点を享受しているからです。

そして、組織に頼り切ってばかりいると、今後起こるAIの波に呑まれたときに何もできなくなります。ですから、この連載を読んでくださっている方の中で、起業のデメリットを知ったうえで、なおかつ起業したい、という方がいれば、私は応援したいです。

次回からは、本連載のタイトルに立ち返り、私自身の歩みを少々語ってみたいと思います。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.10〜起業のデメリットを考える その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前々回、前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。前回、起業前であれば、利害関係が友人との関係にモロに響くことはあまりない、と書きました。ところが、“起業”してからは、その辺りがガラッと変わります。今回はここから続けたいと思います。なお、以下の文は2017/10/13にアップした当時の文章そのままです。

“起業”すると新たな知り合いは増えますが、責任を背負っての付き合いになります。

個人事業であれ、法人であれ、組織のトップである以上、組織の不始末は代表の責任です。責任を分散させ、曖昧にすることは許されなくなります。組織はかばってくれないのです。よく、経営者は孤独だ、という言葉を聞きます。それは責任者である以上、甘んじて引き受けなければなりません。

では、“起業”すると新たな友人を作れないのでしょうか。私の個人的な経験ではそうではありません。むしろ、人と知り合いになれる可能性はより増えます。

“起業”すると、広告塔としての役割を担わねばなりません。トップセールスマンとしての自覚が求められるのです。ということは、外に出かける機会も増えます。セミナーや異業種交流会、パーティーなど。そのような場所に集うのはあなただけではありません。“起業”した方々が同じような目論見で集ってきます。そこでは、“起業”した方だけでなく、“起業”を目指している、または“起業”しつつある人々にも出会えることでしょう。要するに価値観の似通った方が集まるのです。そこで知り合いを作ることはそれほど難しくありません。むしろ、利害の対立がなければ、一生の友人に出会える可能性もあると思います。

ところが、そういった方々は組織のトップであることが多い。従って、利害が対立した時にはお互いが矢面に立たねばなりません。お互いが組織の責任を背負う立場である以上、いざ利害が対立すればたもとを分かたねばならないこともあります。利害が関係構築の邪魔をしたり、仲を引き裂いたりもします。“起業”した皆さんはそれがわかっています。そして、利害を絡めないようなうまい付き合いの方法を模索していきます。ですから、“起業”すると大人の付き合いに長けていかざるをえません。あまりお互いの内部に深く立ち入らず、当たり障りのない話題に終始するような。もっともこれは組織の中で生きていく処世術でもあるため、大人であれば多かれ少なかれ身に着けるスキルなのかもしれませんが。

友人との起業について。

また、信頼できる友人と共同で“起業”する、という事例もよく聞きます。でも、私に言わせるとそれも賛否の分かれるところです。なぜならば、もとからある友人との仲など関係なく、ビジネスである以上は利害が割り込んでくるからです。仮にその友人との関係が、利害とは関係ないところで結ばれた場合はなおさらです。ビジネスの冷徹な利害に直面して、なおも続く友情であればよいのです。が、下手すればせっかく結んだ友情関係だって壊れてしまうかもしれません。

「安心」と「信頼」について。

前回、組織と個人を対比させる際に「安心」と「信頼」という二つのキーワードを示しました。それはどういうことでしょうか。このキーワードは社会心理学者の山岸俊男氏が提唱しています。「安心」とは組織の中の論理です。組織の中でその人物が受け入れられてゆく過程で、組織はその人物を「安心」できる人物として認めます。つまり、組織に属していることは、自らが「安心」できる人物と外部に示すことでもあるのです。一方、組織から外に出て独立することは、「安心」という組織のセーフティネットから出ることと等しい。個人の立場で外に出る時、私たちは自らが「信頼」できる人間であることを示さねばなりません。組織の提供する「安心」のかわりに「信頼」が求められるのです。

新たに知己となった方とお会いするとき、われわれは無意識に「安心」と「信頼」の基準で判断している。それが山岸氏の提唱する主旨です。同じ組織に属しているか、組織の肩書を背負った方であれば「安心」できます。ところがお会いした方が個人事業を営んでいるか見知らぬ会社の代表者であった場合は「安心」はできません。そのかわりに私たちはお会いした方が「信頼」できるかどうかを見極めねばならないのです。利害が衝突するリスクを引き受けてもお付き合いできるかどうか。

学生時代のトモダチには、「安心」も「信頼」もありません。ただ気の合うトモダチなのです。ところが、社会にでると「安心」を基準に仲間が作り上げられます。そして、“起業”すると「信頼」をベースに友人を構築していくのです。ですから、“起業”してから新たに組織を構築する行ないの中には、自らが「安心」できる組織を作りたい希望が含まれている。そんな仮説も可能です。そう考えると、仕事を広げるための体制作りには「信頼」から「安心」への回帰願望があるとみなしても許されるかもしれません。利害が衝突する「信頼」から「安心」へと。

安心から信頼へ。“起業”する前とした後では、あなたが身につけなければならない観念には違いが生じるのです。それこそが私が実感した友人との関係の違いではないかと思います。利害のない中で心を許し合うトモダチ。安心を背負って交際する仲間。そして信頼を武器に付き合ってゆく友人。私の本音は、その区別を取っ払いたいと思っています。「安心」でき「信頼」でき、さらにそこを超えて心を許し合え、本音で付き合える友人。そんな友人を“起業”してからも作っていければ。私は常にそう願っています。

この点をデメリットとみるか、「信頼」を身に着けるチャンスとみるか。それは皆さん次第だと思います。

次回も引き続き、起業のデメリットを語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.9〜起業のデメリットを考える その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前々回、前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。なお、以下の文は2017/10/5にアップした当時の文章そのままです。

人付き合いの質が変わります。

このデメリットを起業前に想定していた方は偉いと思います。少なくとも私には予想外でした。良くも悪くも、人付き合いの質は“起業”すると変わります。公私ともに。何故だかわかりますか?

私にはまだ、その原因の本質は分かりません。たぶん、死ぬまで分からないのでしょう。学生時代の友人と社会に出てからできた友人の付き合い方がなんとなく違う。そう思ったことはありませんか? それと同じく、社会に出てから絆を結んだ友人と、“起業”した後に友情を作った友人もどことなく違います。それが良いのか悪いのか。判断は人それぞれですが、私にとってはそこに差が生じることが問題なのです。

子供のころのトモダチ付き合い。

私にとって友人とは財産です。学生時代につるんだトモダチ。いまでも私は関西の実家に帰ると友人に会って旧交を温めます。そんな時、一気に若返ったように話が弾む。みなさんも思い当たる節があるのではないでしょうか。 もちろん、社会人になってからの仲間もかけがえのない財産です。また、“起業”してからできた友人ともこれからずっと仲良くしたいと願っています。社会人になってからの仲間も“起業”してからの友人も、子供の頃に培ったトモダチのように付き合いたい。そこに私の本心はあります。

本稿を書き始める前日、私は某BARで月一回恒例の独り呑みを楽しんでました。何も背負わず、個人の立場でフラっとBARに入り、お酒を楽しむ。私にとっては欠かせない憩いの一瞬です。だんまりの時もあれば、マスターやバーテンダーさんや常連客と話が弾むこともあります。昨夜の場合は後者でした。そこで知り合ったのが、誕生日から運勢や性格をみてくださる方。その方がおっしゃるには私は無邪気な少年の心を持った人、だそうです。

いまなお少年のような心を持ち、当時のようなトモダチ付き合いがしたいと願う。それが現在の私。だからこそ、大人になってから仲間や友人たちの間に挟まる薄紙一枚の仕切りに敏感になるのかもしれません。たかが薄紙一枚。でも、私にとっては壁にも等しい。なぜそんな薄紙にトモダチの付き合いを邪魔されるのか。その理由を考えてみました。

それは、利害が絡むから、ではないでしょうか。仕事をすること。そこにはお金が関わります。利害もからみます。責任がのしかかります。仕事を完遂するにあたっては、友情よりも優先されなければならないものがあるのです。それが、学生時代のトモダチと、大人になってからの仲間や友人との違いだと思います。

トモダチには利害など関係ありません。もちろん、美しいだけではありません。子供心にけんかも嫉妬も行き違いもそれなりにあったはず。なぜ、あいつだけ先生の覚えがめでたく、級友から仲良くされるのか、といった想い。そんな微妙な利害の綱引きはあったかもしれません。人によっては大人顔負けの打算で友人を演じていた人もいたかもしれません。でも、そこには大人になってから味わうようなビジネスの冷徹な論理はありません。だからこそ、いまでも会って話すと懐かしさを感じるのです。貴重なのです。

社会に出てからの仲間付き合い。

ここまでの内容で、学生時代のトモダチと、大人になってからの付き合いに違いがあることはおぼろげに理解しました。では、社会人になってからの仲間と“起業”してからの友人には違いがあるのでしょうか。私はあると思っています。では、何がどう違うのか。私はその違いを組織と個人の違いに求めました。あるいは安心と信頼の違いと言いかえてもよいでしょう。

社会に出た後、たいていの人はどこかの組織に入ります。新卒で採用されたり、私のように卒業すぐに就職しない方は派遣先だったり。夢を追いつつバイト生活で生計を立てる場合もバイト先や夢追う仲間たちとのコミュニティが組織にあたります。そういう場所で、いったん社会のルールを学び、社会に溶け込んでいくのです。まず組織の一員となることが一般的であると思います。そして、組織の一員としての立場で、新たに友人との関係を構築していく。その関係には利害の絡む場合とそうでない場合があります。利害が絡まない場合はいいのです。趣味や異業種交流会や合コンなどで知り合った友人との関係ですね。利害の発生しない付き合いなら学生時代のノリでつきあえることでしょう。

でも、場合によっては利害が発生するかもしれません。例えば、取引社の担当者同士で交流を結ぶ場合です。商談しているうちにウマが合って仲良くなる。よくある話です。でも、仕事上の関係は利害をはらんでいます。もし万が一納期が遅れ、片方がもう片方に迷惑をかけた場合など、モロに利害関係が噴出します。ただし、利害が衝突しても、個人にそれらの責任が問われることはあまりありません。なぜなら組織の一員だから。個人として謝罪の気持ちを表すのは当然ですが、法的責任が個人に及ぶことはそうそうありません。もっとも法人格の種類にもよりますし、個人として懲戒処分に相当するようなトラブルを引き起こしたらそれは別の話。ただ言えるのは、基本的には組織の一員である以上、利害が付き合いにモロに響くことはあまりないということです。利害関係といってもたかが知れているのです。

ところが、“起業”してからは、そのあたりがガラッと変わります。

次回も引き続き、“起業”した後の人付き合いの違いについて語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.7〜起業のデメリットを考える その1


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。今回からは、起業のデメリットを語りたいと思います。なお、以下の文は2017/9/21にアップした当時の文章そのままです。

起業のデメリットを考えてみましょう

第一回でも触れましたが、“起業”しようと意気込む人は、あまり悪い方向には考えません。考えるとしても、せいぜいシミュレーションや想定上のこと。いわゆるマイナス思考やネガティブ思考にとらわれることを恐れるあまり、悪い感情にひたらずに起業に踏み切るものです。そのため、後ろ向きのイメージを抱かずに起業に踏み切っていく。論理やデータでは起業についてまわる悪いことを想定していても、起業のダークサイドを感情で味わった上で“起業”する人は少ないと思います。

私もこのような偉そうなことを書いていますが、成行きで“起業”したため、悪いイメージはまったくもたず、逆に前向きなバラ色起業生活のワクワクもないままの起業でした。どちらの方向にも先走りせず、感情面のシミュレーションが希薄なままの起業だったので、こんなはずでは、という失望にはあまり陥っていません。それが私が10年以上も独立していられる理由なのかもしれません。とはいえ本連載では起業の良い面だけを語るのではなく、悪い面も伝えておくのが使命だと思っています。

この連載をお読みいただいた方の中には、起業の欠点も知り、起業を取りやめる方もいらっしゃるでしょう。または起業のメリットを知り、“起業”したいとの大志を抱いたにもかかわらず、自分に起業は向かない、と組織にとどまる方もいることでしょう。それでいいのです。“起業”したから偉いとか、組織の中で現役を全うしたから偉くないとか、関係ありません。あくまでも人生はその本人のものなのですから。

ただ、起業のデメリットを知ったうえで、なおかつ起業に踏み切る人を私は応援したい。そして、“起業”した方には、社会的にも道徳的にも道を外さず、それでいて私の稼ぎなどあっという間に抜き去っていくぐらいの気概で頑張ってほしいと思います。自分の夢と健やかな家族と会社の利益を両立し、なおかつ起業からはじめて、徐々に会社を大きくしていった方のことは心から応援したいと思っています。

む、また話が堅苦しくなりつつありますね。いけません。ゆるく永く、でしたね。

まずは肩の力を抜き、ありがちな嫌なこと、から語っていきましょう。

生活が不規則になるでしょう

本連載の第二回で、起業の利点としてラッシュから解放され、毎日違った過ごし方ができると書きました。これは逆をいえば、毎日が不規則になることを意味します。なぜ不規則になるかというと、一人で背負い込まねばならない仕事が増えるからです。いったん、ここでいう起業は個人事業を指すとお考えください。個人ですから、一人で営業に向かいます。一人で製品を作り、一人で請求書をおこし、一人でトラブルや問い合わせ対応にあたります。独りで責任を負うわけですし、最初は資金もありません。人を雇えない以上、すべてが自分にかかってきます。 時には納期が急な案件が同時に来てしまうこともあります。複数案件のご依頼をいただくこともあります。そこをコントロールすべきなのはもちろんです。でもそこが、安定した会社勤めと違う起業の宿命。将来のことを考えると受けられる案件は断らずに受けてしまうのです。そして、トラブルや問い合わせ対応は個人でコントロールができにくい種類の作業です。それをこなそうとすれば、定常業務と重なります。そして定常業務が遅れていきます。それを挽回しようと思えば不定期作業に踏み込むしかなくなっていきます。つまり悪循環に陥るのです。

なぜ生活が不規則になるのか

そんな状況で、毎日を規則正しく送れる人がいたらその方は超人です。毎日23時には就寝して、7時に起きるという生活は、ほぼ無理と思ったほうがよいでしょう。もちろん、健康あっての“起業”ですから、健やかな睡眠は重要です。ですが、実際はなかなか理想通りにはいきにくい。難しいのです。もちろん、“起業”した職種によってその点は違います。例えば店舗を構え、来店するお客様からお代をいただくような職種の場合は、営業時間を前もって決めておくことで、規則正しい生活は維持できるでしょう。しかも作業が開店中に完結してしまうような職種の場合は、なおさらです。

でも、“起業”した当初は人もおらず、不規則な日々を逃れられないと思います。たとえばレジを締め、ジャーナルを出力し、会計を合わせ、夜間金庫に入れるためのお金を数える。これは営業時間後にやる作業です。きちんとした方は日報を書いて日々のおさらいをし、翌日の予定を立てて準備を怠らないでしょう。その時間は営業時間後に行なうため、時間も伸びます。さらにそれは、その業態で何十年後も安定したお客様が来てもらえればの話。実際は新たな商圏や商材を仕入れ、勉強する時間も必要です。起業とは常に勉強が求められるのですから。

また、曜日の感覚もあいまいになるでしょう。週休二日制が維持できるかどうかはあなた次第です。日曜日は安息日、といった能書きも“起業”すればどこかに飛んでいくかもしれません。それこそ、起業前には毎週日曜日に感染できていたサザエさん症候群が懐かしく思えるほどに。起業後はちびまる子ちゃん症候群という言葉も忘れてしまうことでしょう。“起業”すると、先に済ませられることは済ませておかねば、という思いに駆られます。なぜなら、いざ作業が重なるとどうにもならなくなるから。そのため、少し暇ができればテレビよりも目の前の作業に向かいたくなります。曜日が不規則になるということは、さまざまなことができなくなります。例えば、“起業”する前に勤しんでいた地元の少年野球のコーチ。見たいテレビ番組、生のスポーツ観戦、子供たちの習いごと送迎、その他その他。起業前に確保できていた余暇や家族との時間すら奪われかねません。

“起業”して最終的な責任者になるということは、部下や下請け業者からの相談ものべつ幕なしにやってきます。お客様からの連絡だって時間を問わずやってくるはず。家族の時間に、容赦なく仕事は入り込んできます。家族との時間は、家族を持つ方にとっては切実な問題のはずです。自由な時間を求めて“起業”したのに家族との時間が奪われる。これは、家族との時間も大切にするという本連載の意図からも外れます。実際、私もこの罠にはまりました。いまだに子供たちには悪いことをしたと思っています。

生活が不規則になる。そのことは“起業”する前は頭では想像できていても、実感としては分からないものです。我が国の場合、在宅作業はまだ根付いていません。仕事は会社でやるもの、という意識が強いです。そんな風潮にあっては、プライベートに仕事が入り込むことは、あまり歓迎されません。いくら工夫によってプライベートとパブリックが分けられるとはいえ、実際は公私混同になってしまいがちです。

それを防ぐには、前もって、ご自身のライフスタイルを見極めておくとよいでしょう。私のようにテレビ番組に興味がなかったり、定期的な課外活動に興味がない場合は、“起業”してもストレスを感じません。そして、あまり不規則な生活も苦にならないかもしれません。家族がいるか、親族の介護などは不要か、についても想定しておいたほうがよいでしょう。特に、家族とは事前にじっくり相談しておいたほうがいいと思います。私の場合は妻が個人事業を生業としていたので、理解は得られましたが。

次回も、起業の欠点について取り上げていこうと思います。


アクアビット航海記 vol.6〜起業のメリットを考える その5


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回は起業を前向きにポジティブにとらえた視点での利点を述べました。今回は、私からみれば利点とは必ずしもいえないのですが、一般的には起業の利点として語られることについて語りたいと思います。なお、以下の文は2017/9/14にアップした当時の文章そのままです。

人間関係に煩わされません

「組織の悩み」と掛けて、「しあわせ」と解く。その心は「し(4)がらみ」。のっけから下手ななぞかけで失礼しました。仕切りなおして組織の煩わしさを問います。その答えは人間関係。それもそのはずで、たくさんの人が毎日一緒に集まって仕事するのが組織なのですから。当然、ソリやウマの合う合わないという問題が噴出します。組織の中で働く皆さまの悩みごとです。少しでも組織の中のしがらみを円滑にするため、いろいろな工夫が凝らされています。飲み会を開き、ゴルフに出かけ、ランチ会でおしゃべり、喫煙所でモクモク。涙ぐましい努力をしても、組織にいるのはものわかりの良い上司や趣味の一致する同僚、意を汲んで仕事をしてくれる部下だけとは限りません。理不尽な上司、敵意をむき出しにする同僚、無関心でシラケる部下に出会うこともあります。そうなっても組織の中の関係を円満にすることは何よりも優先されます。その労力たるや本業よりも大変。そこから脱出したいがために独立に踏み切る、というのも聞く話です。

確かに“起業”すれば、組織の人間関係からは逃れられることでしょう。その意味では起業の利点なのかもしれません。でも、“起業”しても仕事の上の関係は引き続きついてまわります。むしろ、組織の中のほうが潤いのある関係が維持できるかも。組織の中で人は、円滑に機能させようと無意識に配慮という潤滑油を分泌させます。それは日本人が長年培ってきた和のココロのなせる業。

しかし、そんなウェットな関係を嫌う人もいます。そんな方がウェットでなくドライな関係を求めるために“起業”したとします。ウェットな関係から逃れ、ドライでビジネスライクな最小限の付き合いで世渡りできる? そう思ったあなたは、アテが外れることでしょう。というのも“起業”した後にこそ、そういうウェットな配慮が一層必要となるからです。お互いが普段離れているということは、普段は乾いた関係なわけです。ならばこそ、いざ会ったときにたっぷりの潤滑油が必要になるのです。私の意見では、SNSがこれほどまでに支持された理由が、離れていてもお互いの話題で潤う関係が築けるからだと思っています。だからこそ、同じ組織にいる人同士では、SNSの関係が構築されないのです。

もちろん、人には相性があります。大量の潤滑油を分泌してもかみ合わない人もいるでしょう。SNSでも全く接点が発生しない人もいるでしょう。どれだけ顔を合わせてもこの人とはきしみ合うしかない、つまり相性が合わないという方は誰にでもいるはずです。起業とは、そんな人とたもとを分かつことのできる手っ取り早い手段であることは確かです。反りが合わなければ一緒に仕事をしなければいいのですから。それは起業の利点です。

ですが、仕事の成功とはタスクの達成よりも人間関係が円滑であり続けたか、という金言もあります。私が今考え付いた金言なのですが。この言葉は“起業”した後の方がより実感できます。“起業”したからといって人のつながりから逃れられると思ったら大間違いです。その点では起業のメリットは薄いと言わざるをえません。

お金に融通がきく

これは、起業の甘い側面しかみていない意見です。もちろん、組織に属していると給与テーブルの枠の中に納まった額しかもらえません。手当とボーナスの増減に一喜一憂するサラリーマンと違い、“起業”すればダイナミックなお金のやりとりができる。確かに頑張り次第、工夫次第でお金は稼げます。ですが逆を返せば、努力や創意が足りなければジリ貧にも陥るのです。お金に融通がきくとは、逆に言うと振れ幅も激しいことを意味します。潤沢にも登れば、貧窮にも陥るのです。

ただ、お金に融通が効くかどうかは、月給取りの皆さんも一緒です。自分の働きが組織の業績アップにつながった場合はボーナスで報われます。また、自分ではない方が起こした不祥事で業績ダウンをこうむり、ボーナスがなくなる不運を呪うのか。それに納得できるかできないかはあなた次第です。

お金に融通が効くか効かないかは、“起業”していようがいまいが変わりません。ただ、組織の場合は全く自分の部署に関係ないところが起こした不採算が、自分の部門にも影響を及ぼすこともあり得ます。それが組織なのですから。その点、自分の頑張りがお金に直結するのは起業の利点の一つとしてもよいでしょう。

お金については、起業の欠点としてあらためて取り上げたいと思います。

定年がない

定年がないとは、シビアに言い換えると死ぬまで働け、という意味です。勤め人には長年のねぎらいと老後の資金として退職金が支給されます。それが通例です。ですが、“起業”した場合は退職金はありません。なので、定年がないことを、利点に数えるのは早計だといえます。もっとも、退職金が出せるまでの組織を立ち上げられれば別です。または退職金がなくても、事業を清算した際に蓄えた資金を自分の老後資金に充てられれば。

もちろん、先に書いたとおり、働くことが大好きな方にとっては死ぬまで働けることは幸せでしかないはず。これを利点ととるか欠点ととるかはその人次第です。

次回から、起業の欠点について取り上げていこうと思います。


アクアビット航海記 vol.5〜起業のメリットを考える その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回は、人生観の観点で起業の利点を取り上げました。今回は、正面から起業の利点を取り上げたいと思います。なお、以下の文は2017/9/7にアップした当時の文章そのままです。

起業の利点をさぐる

今までで三回にわたって起業の利点について述べました。逃避できるから起業、責任をより引き受けたくて起業、人生観に急き立てられて起業。それぞれが立派な理由だと思います。でも、これらの理由はどちらかといえば受け身の立場です。ラッシュが嫌だから、好きなときに好きな場所に行けないから、チャレンジをせずに人生が終わっていくのがいやだから。でも、それだけでしょうか。”起業”する理由は他にもあるはず。もっと前向きで建設的でアグレッシブな理由が。

やりたいことができるのが起業

それは、やりたいビジネス、やりたい社会貢献のための起業ではないでしょうか。現在、あなたがこのプランを社会に問いたい。このビジネスで社会に貢献したい。そんなアイデアを持っていたとします。このアイデアをどうカタチにするか。ここに起業が選択肢として挙がってきます。

あなたが例えば学生なら、いまはそのアイデアをカタチにするため最大限に勉強すべきでしょうし、もし会社に雇われていれば、会社を利用すべきです。社内起業制度があればそれを利用しない手はありません。最近は徐々にですが副業を認める会社も増えています。もし副業のレベルでなんとかなりそうであれば、会社にいながらアイデアをカタチにするのもありです。むしろ、会社の力を借りたほうが良い場合もあります。

でも、所属している企業にそういった制度がなく、思いついたアイデアが企業の活動内容と違っている場合、起業を選択肢の一つに挙げてもよいのではないでしょうか。もしくは、背水の陣を敷くために会社を辞めるという選択肢もあるでしょう。どちらが正しいかどうかは、人それぞれです。やりたい内容、資金、原資、準備期間によって起業のカタチもそれぞれ。どれが正しいかを一概に決めることはできないはず。

とはいえ、やりたい仕事が副業で片手間にやれるレベルではなく、属している会社の支援も見込めないとなれば、残りは起業しかないと思うのです。そこまで検討し、悩んだアイデアであれば、“起業”しても成算があるに違いありません。あなたが問わねば誰が世に問うのでしょうか、という話です。

繰り返すようですが、そのアイデアを元に起業に踏み切るのは、属する企業ではアイデアが実現できず、起業しか実現のすべがない場合です。本連載は起業を無責任に薦めるのが趣旨ではありません。しかし、あなたのアイデアの芽をつみ、他の人に先んじられるのをよしとするつもりもありません。企業に属していてはアイデアが世に出ないのであれば、起業はお勧めしたいと思っています。

やりたいことも成果があってこそ

“起業”すれば、あとはあなたの腕にアイデアの成否はかかっています。自分が食っていけるアイデア、誰も思いついていないアイデア、社会にとって良いと思えるアイデア。存分に腕をふるってもらえればと思います。あなたのアイデアに難癖をつける上司はいませんし、やっかむ同僚もいません。アイデアを盗もうとする後輩もいないでしょう。もちろん、ベンチャー・キャピタルや銀行、または善意の投資家におカネを出してもらう場合は、きちんと報告が必要なのは言うまでもありません。やりたいことができるのが起業とは書きましたが、お金を出してもらった以上は成果が求められるのは当たり前。でも、あなたのアイデアがカタチになり、それが世に受け入れられて行く経過を見守る幸せ。これをやりがいといわず、なんといいましょう。自分のアイデアを元に、世間に打って出ていく。そしてそれが受け入れられる快感。この快感こそが何にも増して“起業”する利点と言ってよいでしょう。

もちろん、アイデアと意欲だけでは起業はうまくいきません。理想は現実の前に色を失っていきます。それがたいていの人。理想やアイデアを世の中に問うていくためにも、ビジネススキルは必要です。泥臭く、はいずるようなスタートになることでしょう。苦みをかみしめ、世知辛さを味わうこともあるでしょう。起業なんかしなければ、と後悔することだってあるでしょう。そんな起業につきものの欠点は本連載でもいずれ取り上げる予定です。アイデアだけでビジネスが成り立つほど甘くはないのですから。でも、そんな厳しさを知ったうえでも、このアイデアで世に貢献したいのであれば、ぜひ試すべきだと思います。

そして、アイデアは慎重に検討し、楽観的な憶測や他の人の善意に頼らないことです。地道で地味な日々があります。スタートアップで脚光を浴びるのはほんの一部。それをベースに考えておくべきなのかもしれません。でも継続は力。いずれは実を結ぶはずです。実際、私は画期的なビジネスモデルも脚光を浴びるプレゼン能力ももっていませんが、地道に経営を続けられているのですから。

次回、起業のメリットとは言い切れないが、一般的には利点とみなされていることを探っていきたいと思います。


アクアビット航海記 vol.4〜起業のメリットを考える その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。今回から数回にわたって“起業”の利点を書いてみようと思います。なお、以下の文は2017/8/31にアップした当時の文章そのままです。

起業とは、人生観にも関わってきます。

第三回で、“起業”すると自分自身に対する責任が持てる、ということを書きました。そこでいう責任とは、あくまで仕事に対する責任です。でも「生きる」とは、仕事だけを指す営みではありません。プライベートや家族、老後のことまで含めて「生きる」のが人生。仕事に生きて、家族と生きて、自分を生きるのです。ここに男女や国籍は関係ないと思います。

これは私の個人的な感想ですが、日本人はこの使い分けが不得手なように思います。公私の境目をあいまいにし、プライベートな時間にも仕事を持ち込む。それは、一昔前は日本人の勤勉さの美徳でした。私は何もこの美徳を否定しようとは思いません。ですが、人は仕事のみに生くるにあらず、であることも確かです。人は家族や自分自身や社会によっても生かされているのです。ここが後回しになっていたのが、高度経済成長期の日本でした。その時期はどんな仕事に就いていても社会自体が成長したからよかったのです。三種の神器、いざなぎ景気、ジャパン・アズ・ナンバーワン。右肩上がりで成長する日本に自分の働きが貢献できている、と実感できた時代。でも、もうそういう時代は終わってしまいました。

生涯を仕事に打ち込むために

もちろん、社会がどうあろうと仕事の鬼として生涯を仕事に捧げるのも一つの生き方です。ですが、それが成り立つのは生涯のすべてを仕事に捧げられた場合です。普通の勤め人には、どうしても定年や引退が付いて回ります。いざ引退してみると、現役時代に仕事一徹だったためにプライベートな付き合いがなく、家族も顧みなかったため家にも居場所がない、という話が、よくドラマや映画でも描かれました。勤め人は会社や組織の一員である以上、新陳代謝の対象となっていつかは去らねばなりません。去った時点で築き上げたキャリアは終わります。生涯を仕事に捧げられるのは、強大な創業者にのみ許される特権なのかもしれません。

一方で、個人事業主や創業者には引退や定年が事実上ないと言ってよいでしょう。引退は自分の意思次第です。起業のメリットを手っ取り早く述べるなら、定年がないことを力説してもよいぐらい。好きなだけ仕事をしていられる。それは仕事が好きな人にはたまらないメリットです。

ただ、起業のメリットをそれだけに求めるのはもったいないと思います。起業の利点とは、そんな安易なものではありません。起業には人の生き方や人生観にまで関わる長所があるのです。

それは、自分の人生をどう律するか。自分の人生をどうマネージメントしていくか、ということです。それこそ、仕事に生きるか、家族と生きるか、自分を生きるか、のバランスです。まずは、生涯を一人の仕事人としていきるための起業を語ってみたいと思います。

自分自身の人生を生きるために

第一回でも書きましたが、人は人、自分は自分であり、誰にも他人の人生を代わりに生きることはできません。死ぬときは、すべての人が等しく独りぼっち。枕元に大切な人がいようが、何人に囲まれていようが、独りで死ぬことに変わりはありません。その際に自分の人生をどう総括するか。それはそれぞれの人によって違います。組織の中で働き、老後は悠々と日々を過ごす余生。生涯現役を全うする人生。若い時に無頼な生き方を貫き、それがもとで老後は青息吐息の中に消えるような死に方。それぞれが一人ひとりの人生の幕引きです。それぞれの人生、それぞれでいいと思います。大切なのは、死ぬ間際に自分の人生を後悔しないことに尽きると思います。自分の人生を一番知っているのはあなた自身のはず。他人から見た自分の人生がどうだったか、はどうでもよいのです。そうではなく、自分自身で振り返った自分の生涯がどうだったか。それを満足できるかどうかが肝心なのだと思います。漫画「北斗の拳」に登場するラオウのように「わが生涯に一片の悔いなし!!」と天に拳を突き上げ叫べれば、その人の人生は成功なのです。

ところが、それはラオウだからこそ言える話。ケンシロウという良き強敵(とも)と全力で戦い、敗れたラオウ。拳の道、漢の道を突き詰めた人生を歩むことができたラオウにあって初めて悔いなし!と言えるのです。北斗神拳の後継者をケンシロウと互いに争い、その生涯と遺志を伝えるに足る漢に人生を託せた思い。ラオウの言葉にはそういった思いが込められています。ですが、私のように普通の人はそこまでの出会いや強敵(とも)に会えるとは限りません。拳の道どころか、人生も学習も突き詰められずに終わっていく人も多いでしょう。それまでとってきた選択の中には後悔もあるでしょうし、反省もあるはず。私にも失敗や後悔はたくさんあります。

各分野で名を遺した人の伝記を読むと、二十歳前後で何らかの転機に出会っていることが多いようです。伝記になるほどの人は、その転機を経て努力の末に功成り名遂げた方です。一方、現在のわが国で男性の生涯をモデル(理想)化するとすれば、大学を卒業して新卒で採用され、そのまま定年まで勤め上げることのようです。女性の場合は、新卒で採用され、結婚を機に退職すること。そのモデル(理想)の中には、上に挙げたような転機は見い出せません。転機とは例えば、十代のうちにスポーツや芸術で自分の才能を見出され、その世界で強敵(とも)を見つけるようなことです。

そういう転機に若くして出会えた人はよいのです。でも、そんな方はそう多くはありません。私のように二十歳を過ぎてから自分の中に目覚めた独立心をもてあます人もいるはずです。その気持ちを押し殺し、社会や家族のために捧げる人生もまた尊い。でも、私はそのメンタリティに一度目覚めた以上、自分の生涯に悔いが残ると思いました。私と同じように、人生観につき上げられ、何かに飛び込みたいと思った場合、”起業”は一つの手段となりえます。これは”起業”したから偉いとか、定年まで会社で勤め上げた人を貶めるというような狭い意味ではありません。何度も言うように、生き方とはその人自身が引き受け、味わうものなのですから。ただ、私のように起業を選択した人は、人生の目的の一つに仕事を選んだわけです。私もいまだに成長途上ではありますが、定年にさえぎられず仕事に打ち込める起業が一つの選択肢であると思っています。

次回、さらにほかにも起業のメリットがないか探っていきたいと思います。


アクアビット航海記 vol.3〜起業のメリットを考える その2


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。今回から数回にわたって“起業”の利点を書いてみようと思います。なお、以下の文は2017/8/24にアップした当時の文章そのままです。

起業の利点を活かすために

私自身、社会人であっても勉強を続けることは当然と思っています。むしろ学生時代よりも勉強が必要になるほどに。もちろん、会社より給金をもらっている身では、仕事中に堂々と勉強することは許されません。でも日々の業務の中や職場の雑談、プライベートの時間から得られるものはいくらでもあるはずです。それをどん欲に取り込むかどうかでそのあとの人生が違ってくるでしょう。これは“起業”していようと会社勤めだろうと変わらないと思います。

でも、会社の中で仕事をしているだけでは得られない勉強があるのも確かです。それは展示会やセミナー、異業種交流会など、会社の外でしか得られない体験です。交流会は夜に開催されることも多いので、勤務時間の後に出席できるかもしれません。でも、展示会やセミナーは日中に開催されることがほとんどです。担当する仕事にもよるのでしょうが、仕事の都合で行けない方は多いでしょう。でも、仕事に没頭している間にも、外の世界では豊富な情報が展示され、話され、交流されています。そして、そういった情報は、会社の外に出向かなければ逃してしまうのです。高度経済成長期の我が国では、組織の中で役割を全うさえしていれば、必ずしも外部での勉強は必要ありませんでした。でも、現在はそんなことを言って過ごせる状況にないのはみなさまもご存じだと思います。

時間の融通が効きます。


連載の第一回でも書きましたが、私は勤め人であっても引退後の人生も含め、自分の人生を360°で考えておくべきだと思っています。自分と仕事と家族の両立。いまこそ、これらの両立を考えねばならない時代になっているのではないでしょうか。自分の生涯を見据え、どのように自分の生涯のすべてをプロデュースしていくか。仕事時間を成果の出力だけでなく、学びの入力の時間へいかに変えていくか。

それには余暇の時間も確保すべきでしょう。私は旅が好きです。博物館、寺社仏閣、名所、滝、川、蒸留所、醸造所。旅先では時間を惜しんであらゆるところに行きます。人によって余暇はさまざまです。Shadowverseに夢中になる人、グラブることに集中する人、草野球に汗を流す人、庭で土と戯れる人、馬が走る姿に見とれる人、一心不乱に走りまわる人、子供たちと触れあう人。それぞれの自由です。そういった時間も含めて、生涯に与えられた自分の時間をいかに有効に使うか。

“起業”すると、あなたの時間配分はあなた自身が決められます。もちろん、独立しても請負契約など契約の種類によっては、毎日定められた場所に行かねばなりません。その場合も、拘束契約でなければ、セミナーに行こうと思えば行けるはずです。“起業”とはあなた自身があなた自身の監督者であり、上司であり、部下になることでもあります。いつ作業に集中するか、どれだけ移動に費やすか、何時間を打ち合わせに充てるか、そしてどの時間を勉強に使うか。すべてがあなたの判断と責任において行えます。また、“起業”とは絶え間ない工夫と発展の連続です。つまり勉強の時間を確保することが重要なのです。これだけ日進月歩で技術が発展している昨今では、業種や職種に関係なく知識の習得が欠かせません。それを怠ることは、仕事の機会を失うことにもつながります。となると、勉強の時間を確保することが最優先となるのです。 これは、私にとっては確保したい大切な部分でした。

責任感が体中にみなぎります


前回、ちらっと触れましたが、起業とは、つまるところは自分で責任を負うことです。

もともと、社会人である以上は何らかの責任を担わされます。これは避けられません。責任といっても立場によってまちまちです。職に就いていれば職務に付いてくる責任。家族を築いている以上は家族を率いる責任。地域社会で共生する以上は地域社会を豊かにする責任。それらの責任は放っておいても背負わされる責任です。甘んじて受けねばならない責任とでもいいましょうか。周りからやってきて、自分にまとわりつく責任。そこにはどうしても義務感がついて回ります。

ですが、起業とは自分で責任を作り出すことです。周りから押し付けられた責任ではなく、自分が作り出した責任です。当然、その責任は自分で担わなければなりません。仕事を受けた以上は、その責任は全うしなければならないのです。下請け業者に任せたり、社員に任せることもあるでしょう。ですが、最終的な責任は全て”起業”した当人が負わねばなりません。

自分で作った責任は、自分で決着をつける。そこには義務感も発生します。デメリットのところでも触れますが、ストレスにもさらされます。でも、それは自分で作った責任なのです。あなたの中では義務感よりも責任感が大きな割合を占めることになるでしょう。自分自身で種をまき、芽生え育てた責任感。これは”起業”すると間違いなく手に入ります。会社の中で大きな仕事を任された時に生じる責任感にも似ているようですが、会社の中で背負う責任感は、会社を背負った責任感です。それはそれでとても大切な責任感です。ですが、組織の立場としては作業を属人的にするリスクもあるため、責任は分散せざるを得ません。一方、”起業”して得られる責任感とは、自分自身が一身に帯びるしかありません。唯一無二の責任感なのです。

次回も引き続き、起業のメリットを探っていきたいと思います。