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考えるヒント3


時代の転換点。むやみに使う言葉ではない。しかし、今の日本を取り巻く状況をみていると、そのような言葉を使いたくなる気持ちもわかる。中でもよく目にするのが、今の日本と昭和前期の日本を比較する論調である。戦争へと突き進んでいった昭和前期の世相、それが今の世相に似ていると。

もちろん、そういった言説を鵜呑みにする必要はない。今と比べ物にならぬほど言論統制がしかれ、窮屈な時代。情報が溢れる今を生きる我々は、かの時代に対し、そのような印象を持っている。情報量の増大は、政府が情報統制に躍起になったところで止めようがない流れであり、昭和前期の水準に戻ることはありえない。

そのような今の視点から見ると、情報が乏しい時代に活躍した言論人にとっては、受難の年月だっただろうと想像するしかない。破滅へ向かう国を止められなかった言論人による自責や悔恨の言葉が、戦後になって文章として多数発表されている。自分の思想と異なる論を述べざるを得なかった、自分の思いを発表する場がなかった、自分の論を捻じ曲げられた、等々。その想いが余り、反動となって戦前の大日本帝国の事績を全て否定するような論調が産まれた、とも推測できる。

著者はその時代第一級の言論人であり、戦前戦中は雌伏の年月を強いられたと思われる。本書の随所をみても、著者の屈託の想いが見え隠れしている。だが、窮屈な時代に在って、その制約の中で様々な工夫を凝らし、思想の突破点を見出そうと努力したからこそ、著者の思想が戦後に花開いたともいえよう。

本書は随筆集であり、講演録を集めたものである。収録されたのは、昭和15年から昭和49年までに発表された文章。戦時翼賛体制真っただ中に発表されたものから、高度成長期爛熟の平和な日本の下で発表されたものまで、その範囲は幅広い。本書の章題を見ると、○○と○○といったものがやたら目につく。挙げてみると「信ずることと知ること」「生と死」「喋ることと書くこと」「政治と文学」「歴史と文学」「文学と自分」。全12章のうち、半分にこのような章題が付いている。

上に挙げた○○と○○からは、ヘーゲルで知られる弁証法でいう命題と反対命題が連想できる。そして弁証法では、その二つの命題を止揚した統合命題を導くことが主眼である。つまり、統合命題を導くための著者の苦闘の跡が見えるのが本書である。暗い世相と自らの思想を対峙させ、思想を産み出す営み自体も弁証法といえるだろう。本書には人生を賭けた著者の思想の成果が凝縮されている。

本書の題名は考えるヒント3となっている。その前の1と2は比較的分かりやすい主題に沿って論が進められたように記憶している。しかし、本書は一転して難解さを増した内容となっている。統合した思想を産み出そうとする著者の苦闘。これが本書の大部分を占めているからである。著者の苦闘に沿って読み進めるのは、読み手にとってもかなり苦しい体験であった。

本書の中でも「ドストエフスキイ七十五年祭に於ける講演」は特に難しい。ボルシェビキ出現以前のロシアの状況から論を進め、フルシチョフによるスターリン批判までのロシア史の中で、ドストエフスキイを始めとしたロシアの知識階級の闘争がいかになされたかを概観する内容である。しかし教科書レベルの知識しか持たない私のような者にとり、読み通すのは相当の苦行であった。日本国内では一時期、ロシア社会主義への理解が知識人の間で必須となった感がある。しかし中学の頃、ソ連邦解体をニュースで知った私にとり、ロシア社会主義とはすでに滅び去ったイデオロギーである。左翼系の本も若干読みかじったこともあるが、突っ込んだ理解には到底至れていない。加えてロシア文学は登場人物の名が覚えにくいことは知られている。本講演に登場する人物の名前も初めて聞く名が多く、それに気を取られて講演の概略とそこで著者が訴える主題が理解できたかどうかも覚束ない。

今と比べて情報量が乏しく、自ら求めなくては情報を手に入れられなかったこの頃。知識を深め、それを学ぶ苦しみと喜びは深かったに違いない。翻って、今の情報化社会に生きる私が、その苦しみと喜びの境地に達しえたか、著者の識見、知恵に少しでも及び得たか。答えは問うまでもなく明らかである。努力も覚悟もまだまだ足りない。本書を読み、そんなことを思わされた。

’14/08/16-‘14/08/28


歴史の旅 武田信玄を歩く


本書を読む1か月ほど前、3/29に諏訪を訪れた。友人二人と共に諏訪の温泉、呑み歩き、2つの山城と湖畔城を廻った実に濃密で楽しい旅だった。

その山城というのは桑原城と上原城。ともに諏訪氏が武田氏との抗争の際に根城にし、その遺構もわずかながらに残っている。今回の旅では諏訪頼重公の供養を目的として建てられた頼重院や、諏訪頼水公が開基の頼岳寺理昌院、それに八剣神社にも立ち寄るなど、諏訪の歴史も堪能できた。もともとは同行の友人が諏訪氏の史跡探訪をしたいという希望が発端の旅。私に異論のあるはずもない。史跡探訪が好きな身としては。

また、家族では手ごろな小旅行として山梨にはしょっちゅう出かけている。その旅毎に甲州のあちこちで見かける信玄公の遺徳を偲ばせる遺跡。

そんなこともあり、今回、本屋で見かけたこちらの本を購入し、今後の信州や武田・諏訪氏探訪に役立てようと思った。

本書はヴィジュアル優先のシリーズ(とんぼの本やふくろうの本、知の再発見叢書等)ではなく、あくまで文書主体の構成を取っている。それなので写真も白黒が多く、探訪の行動にとってはそれほど実地に活躍できそうにはない。だが、武田氏に関する甲府周辺の史跡紹介はふんだんに載っている。特に寺社仏閣に関する紹介が多く、事前の知識獲得にとっては有用であろう。

本書は通しで読むのではなく、ちょいちょいつまんでは私の飽くなき知識欲を満たす格好の本としていきたいと思う。

’14/04/20-’14/04/22


道と駅 (日本を知る)


本書を手に取ったのは、ここ数年の関心テーマが駅であり、それを取り上げているためである。街の結節点である駅。点が点であるためには線もいる。つまり道路や鉄道といった交通網である。本書では点と線を取り上げている。

そもそも私の大学の卒論のテーマが大阪の交通発展である以上、いずれは本書のようなテーマで物事を考えてみたいとも思っていた。写真付ブログ形式で「駅鉄」を昨年から始めているのも、その一環である。

本書は大巧社が出版した「日本を知る」という叢書の中の一冊である。本書を読んだ限りではなるべく広く浅くという編集方針で日本の歴史の様々な側面を紹介しているようだ。

本書は以下の諸章からなっている。
序章 「道と駅」の歴史に学ぶ
第1章 奈良時代の交通制度と道路
第2章 平安時代の制度と道路の変化
第3章 宿と鎌倉街道
第4章 江戸時代の街道
第5章 諸街道の宿場
第6章 明治の国道と駅
第7章 鉄道と駅
第8章 道路の復権
終章 「道と駅」の未来に向けて

本書に通底しているのは、ローマ街道に代表される西洋の街道に比べて日本のそれは・・・という従来の日本の街道観に対する疑問である。冒頭でも明治初期に日本を訪れた欧米人による日本の街道の貧弱さを嘆く言葉が引用されている。その街道観を覆すため、本書でも日本の古代からの道路行政を順に追っていく。五畿七道として知られる古代の行政区画も、道という字が入っていることで分かるように、まず道路ありきの行政が整備されていたことが紹介され、条理制に基づいた古代の道路跡の発掘調査から、それが現代の高速道路の路線図と一致している事が示される。古代の路線選定の先進性を示す例として本書から得た知識の一つである。

古代に始まり、奈良、平安から鎌倉時代へと道路行政の変遷を探る旅は続く。鎌倉街道については、私の家のすぐ近くを通っていることもあり、以前から関心を持って調べていた。鎌倉街道についての本書の記述は、概観として分かりやすい。鎌倉街道の入門編としてはお勧めかもしれない。

江戸期には5街道が整備されたことは有名だが、明治に入りそれがなぜ欧米人に酷評されたかについても本書の分析は及ぶ。本書によると、運搬具としての車輪の使用頻度によるものだそうだ。日本には人力や馬力による運搬が主流であったため、それに適した道が存在しており、車輪使用が一般的でないからといって、欧米と比較するのがお門違いなのかもしれない。その証拠に、西洋文明を導入以後の車輪使用を前提とした交通網の発達については、もはやいうまでもない。

本書では道と駅という題名が付いているが、本書で取り上げられる駅は、古代の駅伝制に基づいた道路上の駅であり、街道沿いに設けられた駅に対する言及はかなりの量に及ぶ。そもそも駅の偏は「馬」であり、街道の中継拠点としての駅の重要性が偲ばれる。今も街道沿いに残る旅籠宿など、駅の盛衰を今に伝える史跡は多いが、本書のように駅の概史を述べる本は初めて読んだのでよく理解できた。

なお、本書では鉄道と駅については第7章で少し取り上げられているのみである。私がこのところ関心を持っている鉄道駅については、それほど取り上げられている訳ではない。しかし、道の結節点として駅が示してきた役割、街づくりと駅の関係性など、私が駅に対して関心を持つ点について、本書が示唆するところは多い。

最後に、本書では「道の駅」についても抜かりなく取り上げている。私は旅先でも「道の駅」によく立ち寄る。古代の駅伝制の駅と「道の駅」とは性格が違っているのは無論である。とはいえ、鉄道駅にはない施設が「道の駅」にはある。本書でも「道の駅」の使命や意義について述べられていたことに我が意を得た気分である。ただ、本書では高速道路に設けられているサービスエリアやパーキングエリアについては言及がなかった。古代の五畿七道に設けられた主要道と、現代の高速道路の路線の類似性について鋭い指摘を成しており、サービスエリアとパーキングエリアについても古代の駅との関連性について分析が欲しかったところである。そこが残念である。

その点を差し置いても、今後の「駅鉄」については、本書で得た成果を活かして続けていきたいと思う。また、「道の駅」についても「駅鉄」のように施設写真を網羅した写真は撮りためていないが、今後は、別ブログにして取り上げてみてもよいと考えている。

’14/03/27-’14/03/29


横浜の戦国武士たち


3,4年前になろうか、フラのレッスンを受ける妻子を新横浜まで送迎したことがある。レッスンの間、何をしようかと思案したあげく、近くの小机城址を散策することにした。

横浜国際競技場を横断し、小机駅から線路沿いに北上することしばらく。線路沿いの小高い丘に小机城址はあった。小机城の沿革について、特別な知識は持って散策した訳ではない。けれども、それなりに楽しんで散策を行えた。建造物は残っていなかったが、堀や郭など、城の遺構がそれなりに残っており、歴史の世界に浸ることができたためであろうか。

以来、中世・戦国期の横浜近辺の城にはなんとなく興味を持っていた。そんなところに、横浜のセンター北の書店で見かけたのが本書である。ぱらぱらとめくってみたところ、小机城についての記載がかなりあり、購入した。

歴史・時代小説は、話の筋を面白くするための工夫がなされている。例えば、作家による脚色や筆致などである。歴史家にとってみれば言語道断な脚色がされていることも往々にして見られるが、読者にとっては読みやすい。

だが、本書はそういった読みやすさにはかなり乏しい。著者は歴史家であり、内容の面白さよりも古文書などの文献から導き出される史実を重視する立場の方である。なので、どうしても史実の羅列が続く。物語を読む喜びとは真反対の方向にあるのは仕方のないのかもしれない。私にとっても本書は面白く読み進められたとは言い難い。

では、本書の内容は取るに足りないものなのか。いや、そんなことはない。本書は、横浜の歴史に興味を持つ人のためのものである。昔の横浜がどういう地勢で、どういう勢力が領土を争い、どんな戦いが繰り広げられたのか。本書ではそれらの史実を古文書を多数紹介することで、横浜の歴史に興味を持つ読者の想像力の手助けを行う。物語を読む喜びはなくとも、史実を辿る喜びが本書にはある。

本書は小机城だけでなく、現横浜市域や一部大田区や川崎、鎌倉や横須賀といった各地域が頻繁に出てくる。章としても、小机城以外にも蒔田城や神奈川湊、玉縄城といった中世・横浜の歴史を辿っている。登場人物の殆どは、後北条氏かその配下、または対抗勢力の人物である。または関東管領の上杉氏やその配下である太田氏に関する人物である。横浜の中世・戦国を駆け抜けた人物が許される限りに紹介されている。

小机城も太田道灌、山内上杉氏といった勢力争いの舞台となり、後北条氏の支配から、小田原合戦の後は廃城となった。そんな歴史の荒波に洗われた変遷も本書から学ぶことができる。私が小机城を探検した際に思い描いた想像が、本書によって裏付けられるのである。本書のような書物を読むときの喜びはここにある。

今も横浜に点在する古刹の保管する文書からは、本書で紹介される古文書が多数発掘される。一見何の変哲もなさそうな古刹にも、歴史とからめることで、より興味深い対象となりそうである。本書からは改めてそのような事も学ばせてもらった。

’14/2/27-’14/3/5


東郷平八郎 (読みなおす日本史)


今の私の常駐先は麹町にある。大分面影は薄れたとはいえ、今でもマンションの立ち並ぶ中、大使館や大邸宅が点在する。江戸城に有事あれば、真っ先に駆け付けられる場所、いわゆる番町街である。東京都心の住宅街として、今も昔も人にとって住みよい一帯である。私も昼の合間をみては、散歩を楽しんでいる。

昨春に常駐してからすぐに見つけたお気に入りの場所が、東郷元帥記念公園。桜から始まり、四季の時々によって色んな顔を見せてくれるこの公園は、仕事に疲れた心を癒すのに最適な場所である。

今でこそ、近辺に勤務する勤め人や近隣の児童の憩いの場となっているが、かつては東郷平八郎元帥の邸宅があった。その住居跡を偲ぶものは、古びた給水塔や獅子像のみ。今ではのどかな都会の公園となっている。

公園のすぐ近くには、千代田区立四番町図書館があり、ここも私の散歩スポットの一つ。本書は、この図書館で借りた一冊である。場所柄、東郷元帥に関する蔵書はある程度揃っていたが、比較的入門編かな、と思い本作を選んだ。

そして、その選択は間違っていなかったと思わせる内容であった。私の読みたい伝記とは、尊敬されるような、神に擬せられるような人物であればあるほど、神性ではなく、人性に焦点を当てたものである。それは天皇であれ、聖将であっても同じ。

本書では、東郷元帥の一生を追いながらも、冒頭から、かかる聖人化が成されていった理由についての考察が続く。東郷元帥の身近な部下であった小笠原長生中将の著した「東郷元帥詳伝」が、東郷元帥の聖将化に決定的な役割を担ったことが、明治から平成に至るまでの東郷元帥伝の刊行歴を掲示することで立証されている。

その上で、本書では東郷元帥の史実と聖将化にあたって付け加えられた伝説の虚構を暴いていく。東郷元帥自身が日本海海戦の勝利に対し「薄氷を踏むが如し」の心境だったこと。有名な訓示「勝って兜の緒をしめよ」や「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の文章にどの程度東郷元帥が関わっていたかの考察。そもそも丁字戦法すら。東郷元帥の果断なる決断によるものではなく、元帥自身がかなり逡巡していたことなど。私にとっても興味深い事実が次々と並べられていく。

昭和期の東郷元帥についても、若手将校に担がれて晩節を汚したという印象を持っていた。だが、本書ではそれとは違う見方が提示されている。むしろ、ロンドン軍縮会議後の軍縮傾向に対し、率先してリーダーシップを発揮し、昭和初期の軍部の政治介入のきっかけを作った国家主義者として断じている。

ただ、虚構を暴こうとするあまり、本書が反東郷元帥といった狭量的な視点から描かれているかといったら、そんなことはない。むしろ聖将化にあたっての虚飾を取っ払い、残った素の部分で評価すべき点は評価している。特に、戦いの反省点を踏まえて、次に活かすといった軍人としての努力は評価しているし、国家主義的な人物という評価を下してはいるものの、それが私利私欲の結果ではなく、国を思う心から出たものとして評価している。

結局のところ、東郷元帥は懸命に人生を生き、全うして死んでいた一人の人間として尊敬すべき方。そんな認識を新たにした。

もともと東郷元帥自身が、自身の神格化には生前強く反対していたと聞く。死後、自身が祭神として祀られると知ったら深く嘆いたに違いない。それよりも、自身の邸宅跡が市井の人々の憩いの場として親しまれていることを寡黙に喜んでいる。あくまで私の想像でしかないが、そんな気がした。

’14/2/15-’14/2/20


哄う合戦屋


生き急ぐ多くの現代人にとって、過去を描く歴史・時代小説は、教養臭いものとして遠ざけられがちである。

だが、私は将来への展望とは、過去の土台があってこそ、と常々考えている。実在・架空を問わず、歴史上の登場人物のたどった歩みには、自分の行先にとっての参考や指針となることがおうおうにしてある。

昨年末に友人より薦めて頂き、お借りした本書には、私にとって得るところが多々あった。

時は16世紀半ば。越後の上杉家が台頭し、甲斐では、武田晴信(信玄)が領土拡大の野望を隠そうともしない。両者の激突場となる気配濃厚の、川中島合戦前夜の信州が本書の舞台である。

二大勢力の狭間でしのぎを削る豪族たちの一つ、遠藤家は、内政に定評のある当主吉弘の下、領民一体となった経営を行っている。そこに風来坊として仕官する石堂一徹と、遠藤吉弘の娘若菜。そして吉弘を交えた3人が本書の主人公である。

題名からも想像できるとおり、表向きの主人公は、世に聞こえたいくさ上手として設定された石堂一徹となっている。名利を求めず、己の能力がどこまで戦国の世に通ずるかを人生の目的に据えた男として。本書を通して、軍師として主君を支える男の生き様の潔さに心震わすことも一つの読み方。

しかし、私は本書の面白みは他にもあると思う。むしろ、本書に込めた著者の思いとは、「物事の本質を見抜くことの美しさと苦み」にあったのではないか、と。

苦みとは、人々と視点の達する深みが違うため、感情や考えがずれる生きづらさを指す。たとえば、一徹がいくさの手柄話をせがまれる場面。そこで一徹は、首級を挙げたことよりも、戦況を自由自在に操ったことを手柄とする。もちろんそれは家臣たちには伝わらず、困惑で迎えられる。また、隣国との争いの一番手柄を最初に情報を知らせた者に与え、肝心の戦いで敵の大将を討ち取ったものに与えない。それがもとで、その者から恨みを買う。

美しさとは、外面の技巧よりも、内面にその物の真実を見て取る考えを指す。たとえば一徹は、若菜の描いた絵に、技巧ばかりが先走る若さを見抜き、その絵から想像がふくらむ余地のないことを指摘する。また、領民に慕われる若菜の、才能から来る無意識の打算に対し、その無意識を意識する強さと、そうせざるをえない立場の弱さに対し、共感を覚える。

そして吉弘はその間に立ち、領主としての立場や体面といった、物事の表面を完結させようとする。それは、娘を一徹に渡したくないとの親のエゴであり、一徹のお蔭で領地を拡大できたのに、その地位に甘んじて一徹を疎んずると心の弱さである。吉弘は、本書では物事の本質を見抜くことと逆の、人間的な弱さの持ち主として描かれる。

本書の面白みは、表立った激動の歴史を追うことよりも、この3者の心の動きを追うことにあると思う。そして彼らの世渡りの術とは、現代に生きる我々にも参考になるのではないか。会う人々、抱える仕事、あふれる情報。その中からどのようにして本質を見極め、自分の行動を律するか。本書から考えさせられることは多い。

いままで、本書についても著者についても知らずにいた。このような佳作を生み出す作家がまだまだ多数、私の読書経験から漏れている。読書は人生にとって涸れない泉とはよく言ったもので、こういう新たな喜びが与えられるから、読書は面白い。

’14/01/15-14/01/16


チボの狂宴


ノーベル賞を受賞してからというもの、翻訳される機会がふえたのだろうか、この本も翻訳されありがたい限りだ。ドミニカ共和国の独裁者として一時代を築いたトルヒーリョを描いたこの作品、以前、ガルシア=マルケスが『迷宮の将軍』でも取り上げたのだけれど、その小説ではマルケス流のマジックリアリズムに満ち溢れた描写がされていて、その主人公や登場人物の内面描写がぼやけてしまったように記憶している。

ところが本書ではトルヒーリョ本人や周りの人物描写に前半部のかなりの枚数を費やしていて、実に丁寧。トルヒーリョ本人の視点、暗殺犯の視点、そして閣僚の娘の数十年後の視点、トルヒーリョ暗殺後に大統領になったバラゲールの視点。この4つの視点を時制を変えて堅実に描いていく前半部の展開では読者の理解を促すためか、筆者お得意の時制や視点の故意の混在が控えめで分かり易く読み進むことができた。

中盤以降、徐々に時制や視点が交錯し始めるのだけれど、最後まで一定の節度を保ったまま、巧みに独裁者の孤独、暗殺者の憤り、追随者への嘲り、後継者ゆえの冷静を通してドミニカに一時代を築いた人物と独裁という政治制度それ自体を小説化していく手腕は見事というほかない。

もちろん、単に事実そのものを時間や視点を変えて追っていくだけでは読者の興も削がれるところだが、そこはきちんと配慮が行き届いており、冒頭からとある人物の身に起こった出来事が何なのか、という謎を提示することで、ぐいぐいと読者を最後のページまで誘ってゆく。

ずっと生き続けて小説を読ませて欲しいという作家は多数いるけれど、この方もその一人。『迷宮の将軍』も読んでから10数年はたっており、当時の私の読み方が浅かったと思えるので、再読してみたいと思う。

’11/11/26-’11/12/02


近代日本の万能人 榎本武揚


武揚伝<上><上>を読んでから、榎本武揚という人物に興味を抱いたわけだけれど、上記リンク先でも書いたように、明治以降の逆賊という汚名の中、いかにして大臣を歴任し、子爵を受爵できるまでにいたったのかについて興味があったところ、こちらの本を見つけたので読んだ。

末裔たる榎本氏や歴史作家として名の知れた方や在野の榎本武揚研究家、最近よく文章を見かける元外交官など、多種多様な人々を集めての座談録や講演録、榎本子爵紹介記事が載っていたりと、万能人という題名にふさわしく様々な分野に活動の足跡を残した榎本武揚についての研究がこの一冊に集大成されているよう。

幕末までの榎本武揚が彼のほんの一面でしかなかったことを知らしめるような、明治以降の活躍もまた、八面六臂の活躍というのかもしれない。政治に外交に技術に科学に公害に隕石に冒険に、と驚くほかはない。明石・福島の両氏よりも先にシベリア横断を成し遂げたり、隕石から短刀を鍛造して皇室に捧げたり、と知らない異能振りがこれでもかと紹介されていく。過小評価とは彼のためにある言葉かもしれないと思わされるほど。

文中でもどのようにして明治政府に登用され、業績を上げていったかが述べられているけど、このようなあらゆる分野から業績を上げていることそのものが、彼がなぜ幕臣の立場で明治政府からかくも重用されたかの証明となっている。

小説である武揚伝とは違ってこちらは学術的な面が強く、しかも業績の紹介に筆が費やされた感があるので、江戸っ子として明治天皇や庶民からも慕われたという彼の人柄や人間性に触れたような記述は少ないけれど、かえってそれが彼の魅力の巨大さを際立たせているように思えた。また、これだけの業績を上げながらも自己宣伝をほとんどせずに生涯を追えていった彼だからこそ、逆にその人間性を伺うことができるというものだ。

私としては技術で国家に貢献するも、人間関係の複雑に絡み合った糸を解きほぐすような政治活動からは一歩引いていたという彼の立場や生き方に、自分の身の立て方を学びたいと思うばかりだ。

’11/11/22-’11/11/24


武揚伝〈下〉


著者の本は第二次大戦下のエピソードを重厚に取り上げた諸作や、警官シリーズなど、比較的よく読んでいる。

エンターテインメントの骨法が分かっている人だけに、下巻は江戸開城から官軍に反旗を翻すまでの逡巡、函館への航行と圧倒的な劣勢の中の苦闘と、時代に翻弄される主人公の姿を一気に読ませてくれる。

勝海舟や徳川慶喜の出番はがくんと減り、代わりに函館まで転戦した人々の群像劇が中心となっている。中でも土方歳三がクローズアップされている。

土方歳三はじめ徳川家に恩を奉ずる人々は、死場所を求めてあるいは新勢力への本能的な反感など、総じて革新を拒否する保守の人といった位置づけにされ、主人公は過去を守るために奮戦する人物としての描写が多い。上巻が西洋文明を進取する未来に向けて戦う人であったのに、下巻では逆の立場となっているのが面白い。

榎本武揚という大人物ですら翻弄される歴史の荒波。その荒波も隠れたテーマとなっている。オランダへの航海では難破させられながらも乗り越えられた荒波に、江戸から函館、そして松前への航海ではついに屈服してしまうところに、歴史の波に抗うことの厳しさを感じた。

榎本武揚の生涯を概観するに、逆賊の汚名を着つつも明治政府に重用された部分が取り上げられがちなのだが、この小説では終わりの2、3ページに一夜の夢として、さらにはエピローグとして簡潔に明治政府での功績を2ページだけ取り上げただけで、あえて描くのを避けている。小説の終わらせ方としてはいさぎよいし、読後感も良かったのだけれども、一方ではその見えない葛藤を書ききるのも小説の役割ではないかとも思った。

’11/11/06-’11/11/07


武揚伝〈上〉


最近のTPP論議について、これは日本国の開国であるという論調を目にすることが多い。ここ200年でいうと、幕末、第二次大戦に続く3回目の開国であるという。

今のtppがどのような開国になるのか皆目わからないけれど、封建体制を終わらせ日本を変えたという意味では最も重要な開国が幕末のそれであることは言うまでもないと思う。

幕末から明治にかけては、有名無名問わず公私の情を超えて、日本のために精魂尽した人が幾百もいたけれど、榎本武揚については、Wikipedia程度の知識しか持っていなかった。

逆賊の汚名を着せられた旧弊の徒として人生を終えておかしくないのに、明治政府でも重用されたその人物とは・・・

気になって読んでみた。彼の生き様から、今の閉塞しつつある日本を考えるヒントが得られないかと思って。

上巻は15代将軍慶喜が大阪城を脱出するところまで。榎本少年が親の幕臣技官であった父の薫陶を受け、葛藤しつつも幕府の留学生としてオランダに赴き男を磨く箇所など、私にとって新たな知識を得るとともに、その進取の気質と意思の強さこそが、逆賊でありつつ明治政府に取り立てられた強みであることをしった。実は幕末明治にかけて、立場が違えば国を率いていくことのできた人であったのだなぁ・・・・と今まであまり知らずにいたことを恥じる思い。

それにしても気になったのは、小説ゆえに主人公を引き立てるためなのか、徳川慶喜や勝海舟が低く、それも貶められるまで描かれているところ。慶喜については私もいろいろ読んだりして知識はあったのだけれど、勝海舟までもがこういう評価のされ方をするとは・・・・氷川清話とか子供向けの伝記を読んだだけではわからない陰影のある人だったんだなぁということも得た知識の一つ。

’11/11/04-’11/11/06


神器〈下〉―軍艦「橿原」殺人事件


上巻の感想では書かなかったけれど、この本、実は太平洋戦争論、日本人論としてかなり突っ込んだところまで書いている。

平和ボケの私には分かり様のない戦争の理不尽さや、戦争に行った人間が今の平和な世に対して頂く複雑な思いなどを含め、皇室や戦後の日本人に対して辛辣なまでに筆が走っている。

戦争に赴く人間の滑稽さや理不尽さとともに、敗戦をへた日本人は日本人なのか?という極端な問いが発せられているこの小説からは、単純に戦前の日本が悪かった、いや良かったなどといった立場を超えて、ただ日本人として在っていくこと、戦後の繁栄する世間が美徳を忘れていようといまいと、それを受け入れていくという姿勢を問われているように思えた。

ここまで皇室や戦後日本人を辛辣に書いてこそ、逆に肯定するという考えもあるのだろうなと。

’11/10/22-’11/10/22


神器〈上〉―軍艦「橿原」殺人事件


著者の作品、芥川賞受賞という背景があるためかどうかはわからないけれど、推理小説の分野にもここ数年進出しているけれど、ただの推理小説にとどまらない、メタミステリ的な感じがあり、よく読んでいる。

こちらの作品もミステリの定石を突き崩すような仕掛けだらけで、そういう読み方をすると?になってしまうけれど、あえてそういう定石をとっぱらって読むと縦横無尽。

語彙も豊富で文体だけでもうならされるところあり。

’11/10/16-’11/10/22


東京裁判 (下)


上巻と同じく、この本を読むのは2度目。

この本が出版された当時は日本の国勢が上り調子で、東京裁判は過去の出来事という感じで捉えられていたのが功を奏したのか、却って客観的に記述を保っているのではないかと思う。だからこそ信頼できる入門書として売れ続けているのではないだろうか。

今、どなたかが再び同様の新書で東京裁判の本を上梓するとすれば、パール判事の意見書や、主任検事や裁判長、そして最高司令官までもが述べたとされる裁判に関する悔悟の言葉を取り上げるだろうけど(小林よしのり氏の本もそうだったし)、むしろ国民が当たり前のこととしてそれらの事実を知っている前提で、ことさらにそれを取り上げないのが大人の態度である気がする。

ただ、当たり前としてそれらの事実が国民に膾炙しているかどうかはちょっと疑問だけれど。

’11/10/12-’11/10/13


東京裁判 (上)


この本を読むのは2度目。

今の日本の立場、どうしてもこの東京裁判で押された烙印の影響から逃れられていないように思える。

アジア諸国に対して先方の立場にも理解を示しつつ、それでもなお日本の国としての矜持を守っていくためにも、この裁判のことや、その中で日本が主張した論点は忘れるわけにはいかないと思う。もちろん今更是非がどうとか問うても仕方はないことを承知で。

そう思って読み返してみた。たぶんまだ何度も読み返すことになると思う。

’11/10/7-’11/10/12


のぼうの城


何か月か前に雑誌歴史人で忍城の攻防戦が取り上げられていた際に、著者のインタビューも掲載されていて興味を持っていた本。

この本は面白い。歴史小説はそれほど読みつくすようにして読んでいないけれど、隆慶一郎氏の作を初めて読んだときのようなすぐれた娯楽小説として一気に読み終えました。

もともとは脚本で、その舞台作品が映画化されるにあたりノベライズとして書かれたこの本。ノベライズというだけで何やら薄っぺらな印象がありがちだけれどそんなことはなく、何よりも話の筋として肝心な成田長親の性格の多彩な点、陰影を書くことに成功している。映像作品に対して小説がなしうる意義を、目に見えない心のうちを描くことにあると定義するならば、この本はノベライズ、または単なる小説化というだけではなく、異なるメディアとして小説の可能性を示してくれていると思う。

映画も機会があれば観てみようと思う。

’11/9/27-’11/9/28


だれが信長を殺したのか


この夏に石田三成公の史跡を追って関ヶ原に行った際、島津義弘公の陣跡に行ったのをきっかけに読んだのがこちらこの著者の視点の切り口に興味を持ち、もう一冊借りてみたのがこちらの著書。

新たな視点とあるけれども、私にとっては既に既出の論点でした。夏草の賦で若干その流れに触れられていたのか、他の書物で触れたのか、ウィキペディアかは忘れましたが・・・

でも既出の論点であっても私には見知らぬ資料が出てきて論点を補強していく様はさすがというべきか。

少なくとも私の中ではこの説が一番信憑性あるように思えてきました。

’11/9/23-’11/9/24


重光・東郷とその時代


この方の著書は公平な著述を心がけている点に好感が持てます。当著作では日本の混迷の時代を取り上げていますが、戦士や将官に対する視線も外交を混乱させた批判的な目ではなく、憂国の士としてとらえている点が印象的です。

皇国主義すれすれというところですが、よくよく読むとそうでないことがよみとれます。

ただ、広田氏と松岡氏には批判的です。近衛氏にも。ポジションに対する自覚の足りない人に対しての筆致は非常に厳しいものがありますが、そうあってこそです。

’11/8/24-’11/8/27


敗者から見た関ヶ原合戦


この夏、宝塚をきっかけに興味を持った妻と十数年ぶりに関ヶ原の陣地や石田集落廻りをしました。そこにきて、こちらの本。面白い視点で、かつ説得力のある論考の数々を繰り広げてくれます。けっして我田引水のような強引な、トンデモ論法ではなく、実際に現地に行った私をも引き付ける論点でした。

’11/8/22-11/8/23