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第3回 甲府地域クラウド交流会を主催しました



2025年10月4日に山梨県立図書館イベントスペースで開かれた甲府地域クラウド交流会(甲府ちいクラ)を主催しました。
今回もオーガナイザーである役員(あづささん)が全体を仕切り、弊社の総務人事経理担当および代表の私が参加しました。本稿は代表の視点からの参加レポートです。

昨年、2024/6/29に第一回甲府ちいクラを開催し、98名の参加者を迎え、まずまずの滑り出しを見せました。その勢いに乗って、2025年3月22日に第二回を開催しましたが、集客に著しく苦戦しました。参加人数も84名にとどまりました。

今回、第三回を開催するにあたり、前回の落ち込みから挽回しなければ。
あづささんもワンオペ体制の弊害を反省し、前回プレゼンターとして登壇してくださった福原千晶さん、高松陽子さんにスタッフとして全面的に関わってもらう体制に改めました。また、私も甲府に足しげく通い、側面からバックアップするようにしました。

会社としても今回のちいクラは成功させる必要があります。三回目では最低でも参加人数100人超えを果たしたい。
となれば、役員に任せっぱなしではうまくいくはずがありません。代表の私も9月は頻繁に甲府に行きました。猛暑で生産性が落ち、本業も苦しかった中ですが。

前回も書いた通り、そもそも甲府を含む山梨は集客がとても難しい地だそうです。様々な山梨の方からそのようなお話を伺います。イベントで100人を集めるのは至難の業だと。

でも、それは決して無理な数字ではありません。山梨でもいくつか、それぐらいの人数を集めているイベントも知っています。また、二年ほど前に河野太郎氏が甲府に講演に来た際、私は講演会に参加しました。その時も300人ぐらいは集っていました。

そもそも、甲府市の人口は182,944人(10\3時点)。
甲府市ウェブサイト
甲府市、甲斐市、中央市、昭和町を含む甲府地区広域行政事務組合の範囲では2020年時点で300,294人です。
甲府地区広域行政事務組合ウェブサイト
つまり、100人集めようと思えば、可能な母数を抱えています。
後は熱意だけ。
今回、その熱意がようやく1つ叶いました。山梨県庁からの後援を獲得しました。

ただ、それでも8月の時点では、人数がまだ停滞していました。さすがにまずいと思い、私も集客に本腰を入れました。

既に7月あたりから、私もイベントで片っ端から声をかけ始めていました。しかし、今回は今までの二回に来てくださった方が来られないと連絡ももらうなど、なかなか人数が伸びません。
ちいクラは、Facebook上のイベントページの参加表明人数が一つのバロメーターです。その数字は当日の集客にも反映されるベンチマークでもあります。

そうこうしているうちに9月になりました。開催前一か月を切った9/9の時点でFacebook上のイベントページの参加表明人数は52人。8月末の地域クラウド交流会全国グランプリ大会を経ても、参加人数は予断を許さない状況でした。

そんな中、あづささんは着実に活動や発信を進め、スタッフのお二人も頑張って発信を進めています。五名のプレゼンター、大人のラジオ体操、投票所などで関わってくださる方の紹介もFacebookのイベントページで投稿されます。あづささんはFM八ヶ岳の番組にも出て、ちいクラ(地域クラウド交流会)とは何かを視聴者の方にお話しする機会もありました。甲府で開かれる様々な経済系、地域創生系のイベントにも顔を出し、司会進行の役も担ったりしながら、ことあるごとに甲府ちいクラの宣伝をしています。そうした活動のいくつかは、Facebookだけでなく、Instagramでも。私もことあるごとにXでも発信を行いました。
そうした努力が少しずつ人数の伸びとなって参加人数は増えていきます。開催の18日前(9/16)にはようやくFacebook上のイベントページの参加表明人数が80人に到達しました。

そして開催の約一週間前、9/28にFacebook上のイベントページの参加表明人数が100名を超えました。さらに、裏で打診していた樋口甲府市長の来臨が決まり、そのことも10/1の発表につながりました。

八面六臂の活動とは、まさに今回のあづささんの動きです。素晴らしかったと思います。
側から見ていても、動きに無駄がなくなりました。過去二回の開催前は、甲府になんのために来たんやったっけ?という無為な時間もあり、側から見ていても歯痒く思っていましたが、それも減り、効率的な動きになったように思います。

私はあづささんの山梨での活動に時期を合わせるように、山梨で主にIT系のコミュニティに参加・運営を始めていました。が、私の動きだけでは、ここまでの人脈は築けなかったと思います。この二年のあづささんの動きには、私も脱帽です。

何よりも甲府に二拠点目の家を構えたのが大きかったと思います。一回目は通いで。二回目は甲府の家を拠点としましたが、まだそれが十分に機能しなかった。甲府の家に拠点を構えたことで、甲府や山梨の人にもあづささんの本気は伝わり、それも今回成果となって現れたのだと思います。

前日はその甲府の家に籠もり、プレゼンターさんからの投影スライドの取りまとめを私が担当し、あづささんはシナリオのチェックなどに精を出していました。


当日の朝、代表とあづささんとで武田神社に参拝に行きました。もう、あとは人事を尽くして天命を待つ心境でした。

当日、実は山梨では他のイベントが行われていました。山梨の旬は葡萄の旬。近くの甲州市では「甲州市かつぬまぶどうまつり」が行われる予定でした。ウェブサイト
また、近くの幼稚園、小中学校では運動会が予定されていました。そのため、当日の参加人数は読めずにいました。 ところが、天気はあいにくの雨模様。本来ならちいクラ日和とは違い、少し湿っています。でも、それがかえって参加者を増やしてくれたのかもしれません。


実は、準備段階で一つ大きなミスがありました。会場の予約時間を間違えていたのです。慌てて二人で予約変更をしに行ったのは、開催二週間前の9/23。
そうした冷や冷やするミスも挽回し、当日は朝から会場設営ができました。

そして、勉強会がスタートしました。


今回の勉強会の講師は株式会社ジブラボの桐山祐輔さん。甲府駅前の目立つ場所にコワーキングスペースCROSSBEを運営されており、他にも山梨全域で多彩な活動をされております。
桐山さんからは『“思いつき”の始め方。 始めた人しか始まらないし、始めない人は始まらない。』と題してお話をしていただきました。

桐山さんの登壇内容、まさにおっしゃる通りです。全面的に賛同できる内容でした。

そこで感じた思いは、こちらのノートにも書きました。やらないと見えない世界はあります。
10月7日 始めた人しか始まらないし、始めない人は始まらない。


もちろん、失敗のリスクはあります。失敗した人には見えず、成功した人にしか見えない世界なら、結局結果論に過ぎないじゃないか、そんな理由で挑戦しない人はいるのはわかります。
でも、それらをひっくるめて受け入れ、覚悟を決めてやらないと前には進めませんし見えません。

桐山さんのタイトルが全てを物語っています。
今回の甲府ちいクラだってそうです。始めなければそもそもちいクラとは袖擦り合う程度の人生だったことでしょう。開催にあたっては苦労もしましたが、その分、得たものは大きかったと思います。

私の人生がずっと飛び込んで挑戦し続けて形作られてきたものですから。
私の人生哲学を桐山さんが代わりに語ってくれたとさえ思っています。

甲府や山梨からもっと外に出て盛り上げる人がいても良いはずです。今回の桐山さんの話が、少しでも皆さんの心に火をつけたのなら、主催側としては本望です。桐山さんありがとうございました。

さて、樋口甲府市長の臨席ですが、桐山さんの講演中から少し遅れるという情報が入っていました。その遅れ具合によっては、その後に予定されているあづささんからのちいクラの説明や、その次の大人の本気のラジオ体操にも影響があります。その調整に少しやきもきしていましたが、樋口甲府市長は、休憩時間が終わってすぐに到着されました。



甲府市長も含めた会場の皆さんに、あづささんから地域クラウド交流会の説明をし、その次に樋口甲府市長からのご挨拶をいただきました。
はじめに甲府でちいクラを開催すると決めてから約二年。前の二回は全く来ていただく気配すらありませんでしたが、第三回にして、ようやく市長に来ていただけるまでになりました。
全国で開催されているちいクラのブランド力にも与った部分もありますが、二年前までは全く甲府に縁もゆかりもなかったアクアビットが、イベントに市長を呼べるようにまでなった。これはやはり感慨深いことです。
上にも書きましたが、ここまでの事は私の独力ではできなかったかもしれません。自信がありません。すべてはあづささんの努力でしょうし、その熱意に心打たれた周辺の方のご尽力を引き出したあづささんの人徳によるものでしょう。特に今回、甲府市長の招聘と山梨県からの後援獲得にあたっては、田中さんからの絶大なご尽力があったと聞いています。そしておそらく私ではここまでのご尽力を田中さんから引き出せなかったと思います。田中さんありがとうございました。また樋口市長を始め、甲府市役所の皆さんには本当にありがとうございました。

さて、続いては、大人の本気のラジオ体操。ちいクラ恒例のアイスブレイクです。今回も会場はイベントスペースの東西をとっていました。なので会場は広く、余裕を持ったラジオ体操ができました。


今回お手本に立っていただいたのは、地元で走る活動をされておられる三枝さん。ランナーらしくシュッとした体型で皆さんを導いてくださいました。もちろん今回も「とりもっちゃん」にも登場していただき、皆さんの前で一緒に踊っていただきました。あ、踊るじゃなくて運動でしたね。







そして、続いてはプレゼンター五名によるプレゼンテーションタイムです。
1. 渡部 拓夢さん
2. 多田 啓紀さん
3. 中島 実美さん
4. 渡邊 悠斗さん
5. 小川 拓人さん
の皆さんでした。今回またさらにプレゼンテーションのレベルが上がりました。甲府は本当に年齢が若いです。5人中3人が20代。1人は高校生。

前回も書きましたが、この若さこそは山梨と甲府の可能性だと思います。
甲府ちいクラを開催するにあたって、甲府に通い始めたあづささんが、はじめに懇意になったのが、大人が多数を占める経済界の中枢でなく、若い学生団体(トップファン)だった事は、甲府ちいクラの成功要因だと思います。


続いては懇親会と投票タイムです。 今回、投票所で投票のアシストを行ってくださるのは以下の六名です。
1. 高松 陽子さん ( 甲斐縁隊 )
2. 安井 洋雲さん ( プロ家庭教師「洋ちゃん」)
3. 田中 康弘さん ( 山梨県後期高齢者医療広域連合 )
4. 矢嶋 泉人さん (Bi-Ai)
5. 原 朋伽さん (September Lab)
6. 高村 大夢さん (NPO 法人トップファンやまなし )

私からは、皆さんに事前にkintoneの入力方法などをお伝えしました。

今回は、受付も伴野さんと花愛さんが担当しました。お二人とも、第一回から第三回に来てくださっており、特に困難もなく受付をこなしてくださいました。


前回の懇親会は、広い会場を取った反動で、まばらな感じが悪い印象に残りましたが、今回は前回に比べて多少は改善されたような気がしました。交流会らしくなったといいますか。
ただそれでもまだまだスペースの余裕はありそうなので、もう少し人数は集められそうだと思います。
私も、前回と同じく会場を巡り、新たなご縁の繋ぎ役に徹しました。

前回は懇親会の途中で投票経過をうまく映せずに課題が残りましたが、前回の経験を経て、うちのメンバー井上さんが無事にやり通してくれました。
井上さんは会の全体を通して、危なげなく投影担当の役目をやり遂げてくれました。
貴重な経験値が溜まった気がしています。


続いては、応援し隊の皆さんの紹介です。今回も新たなメンバーが加わってくださいました。ちいクラはこのつながりが次のプレゼンターや次の会へのつながりを呼びます。
今回もまたユニークな活動をされている山梨の方々が加わってくださり、次回は何とカンボジアにもちいクラの輸出がありそう!山梨からの流れが本当に楽しみです。

また、今回は千葉から新田さん、沼田から六本木さんにオーガナイザーとして参加していただきました。
少しずつ自社で運営のやりくりができるようになってきたとはいえ、こうやってオーガナイザーの方が各地から参加してくださるのはありがたい限りです。

そうした皆さんの動きや交流の一部始終は、マイセンド社の飯窪さんとステップフォワード社の小林さんとやまなし大使の零青さんも撮影してくださいました。
後日、素敵な動画にしてくださいました。
Facebook上のページの動画

そして、優勝は渡邊さん。高校生のチャンピオン誕生です。
高校生でありながらの前向きな気持ちが、皆さんの共感を集めたのでしょうか?
他の方も皆さんお見事でした。


私から渡邊さんに賞状を授与させていただきました。
また、講評ということで、私からも一言述べさせていただきました。


さらに、全体の講評を前回勉強会の講師を務めてくださったグッドウェイ社の藤野さんに締めていただきました。


今回は、なんと最終的に103名の方に来場いただきました。また満足度も95.2%の「満足」以上を獲得しました。ここで来てくださっていたオーガナイザーの新田さんから、サプライズでサイボウズの永岡さんからの言づけとして預かっていたプラチナオーガナイザー就任の授与がありました。三回ちいクラを成功すると、プラチナオーガナイザーに昇格できるのです。
授与は藤野さんから行っていただきました。


そして、集合写真。第二回目の集合写真は今見返してもやはり寂しいもの。でも今回は様になっています。来場された方本当にありがとうございます。


そして、撤収後の夜の懇親会です。

今回は、
やまなし里山商店さん
サイアムカフェさん
Four Hearts Caféさんの三か所で分かれて実施しました。





私も三か所全てを巡りました。そして最後まで残ってくださった方々、私が他の活動でもよくお会いする方々と4人で夜の街に繰り出しました。甲府の繁華街をぐるりと巡った後、「大衆酒場 けろすけ 甲府店」で夜中まで呑みました。
私と高知から来てくださった片岡さん、東京から来てくださった小林さん、最近山梨の北斗市に二拠点目を構えてらっしゃる千葉の山下さん。
この皆さんにとても感心されたのがこのお店に集まる客層の若さと女性率の高さです。若い女性グループがたくさん集まり、大いに気勢を上げている様子は、他の都市ではなかなか見られないとのことです。それは甲府の安全さと甲府のこれからの可能性として強く印象を持ってもらったようです。

今回もやり切りました。
前回、第二回の集客に苦しんだ結果を見事に成功に導けました。
前回の懇親会では、四次会と五次会まで残ってくださっていた皆さんからも、これからの甲府ちいクラについて真剣な議論をしました。ここで可能性を見出し、続けたことが今回の結果につながったと思っています。

次回第四回は、日が空きますが、来年の6/26に予定しています。
また、皆さんのお越しをお待ちしております。
今回お越しくださった全ての方、ありがとうございました!

さて、その第四回の甲府ちいクラは、合同会社アクアビットが主催します。そして、その時の合同会社アクアビットを率いるのはあづささんの予定です。
つまり、代表の座を私からあづささんに交代します。
理由はたくさんありますが、譲る先としてあづささんを選んだ理由は、この記事を読んでくださった方なら理解いただけると思います。
ただ単に現代表の妻だから、あづささんを選んだわけではありません。
今回の甲府でちいクラを開くと決めた時から、第三回の成功に至るまでの道のりと努力は代表にふさわしいと考えました。

これからのIT会社は経営環境が変動するでしょう。
AIはますます世の中を席巻し、何が最新の技術になり得るのか予測すらつきません。
技術と経営を分離する必要があると思います。
アクアビットの主な業務がシステム構築であることに変わりはありませんが、ただシステムを構築するだけでなく、別の営業分野を持っておく必要があると思います。私はそれを山梨を中心とした地域活動だと考えています。

技術面や案件対応は引き続き今の代表が担い、経営面はあづささんが管轄すると同時に、山梨での地域活動を広げていく。
今回のあづささんの活動が維持できれば、それができるはずです。その構想を進めます。

今後の合同会社アクアビットにもご期待ください。

繰り返しですが、今回お越しくださった方、誠にありがとうございました。


第6回地域クラウド交流会全国グランプリ大会に参加してきました。


第6回地域クラウド交流会全国グランプリ大会(ちいクラ全国大会)に参加してきました。

告知ページ
ダイジェスト動画

ちいクラ全国大会に参加するのは、一昨年の釧路、昨年の郡山に続いて3回目です。
昨年の郡山での全国大会には、今回主催される島根銀行の皆様をはじめとした島根から大勢の方がお越しになられていました。

島根の皆さんとお話しする中で、皆さんのちいクラへ賭ける思いに感銘を受けました。と同時に、これだけの大人数で来る理由が、翌年の全国大会の開催地に立候補するためだと聞き、その場で来年の全国大会には必ずお伺いします、と約束しました。
郡山の本編が終わったあとの懇親会でも、一際異彩を放っていた島根の皆さんのノリと勢いを目にするにつけ、これは来年も成功するだろうな、と思っていました。

さて今年。

ちいくら全国大会では、各地で開催されたちいクラのオーガナイザーとプレゼンターが一堂に集まって事業プレゼンを行います。そのため、本編に出場できる人数には限りがありました。

正直、3月に甲府で開催した甲府ちいクラは集客に苦戦しました。そのため、全国大会に進めるかどうかは微妙でした。
が、私は甲府ちいクラとして参加できなかったとしても、島根で行われるちいクラ全国大会には行くつもりでした。

なぜなら、私は島根が好きだからです。
もともと西日本に生まれ育った私。島根を訪れるのは今回で7、8回目位でしょうか。いうほど頻繁には行けていないのです。

が、島根は国引き神話の息づく地。日本人として行くたびに何か原点を思い出すというか、私がなぜ日本の各地を訪れるかを気づかせてくれます。
そういう魅力が島根にはあります。

それから一年、幸いなことに、甲府ちいクラとして、全国大会に出場できることが決まりました。

今回は甲府ちいクラのオーガナイザーである役員の妻と、3月に開催した第二回甲府ちいクラで見事グランプリに輝いた高松陽子さんの3人で参加しました.


島根と言えば、10月になれば神在月として全国から神々が集います。私たちも十月には少し早いですが、全国から島根に集いました。そして、それぞれの地を紹介するとともに、わが国をどう盛り上げるかについて、貴重な話ができたように思います。
このブログでも何回か書いていますが、なぜ弊社のようなIT会社がこうした地域創生活動に従事するのか。

これは、なかなか理解がいただけない点です。

IT会社はそもそもあらゆるビジネスを効率化し、最適化し、その上で新たな価値を提供し、お客様自身も新たな価値創出に目を向けるための余裕を作ることがミッションです。
ところが今のわが国は、効率化を図り、生産性をあげる名目で都会に人が集まる、または集める構造が戦後からまかり通っています。
昭和の高度成長期にそのようにして都会に集まった人々は、地方に帰ることなく都会に留まってしまいました。
ところが昭和の成功は、人口増と技術革新と生産性の向上が重なったことによる生産力の飛躍的な発展が原動力となりました。
もう人口増も見込めない今、かつての世界史上でも稀有な経済成長は今後は見込めません。再現がほぼ不可能な成功の余韻を未だに追い続け、人々は都会にとどまっています。
昨今の情報技術の進展は、都会に人が集まらなければならない必然を薄めつつあります。報告、連絡、相談などはオンラインツールの発達によって顔を合わせずに可能になりつつあります。通信手段やクラウドツールは格段の進化を遂げました。

ところが未だに人々が都会に集っているのはなぜか?
それは都会に構えた不動産の縛りによって動けなくなったこともあるでしょう。また、地方の効率化やIT化が遅れ、求人に影響が生じているからでしょう。
だからこそIT会社は地方に目を向けて行き、地方のIT化を進めていかなければならないと思っています。地方にいながら都会並みの収入が得られるのであれば、都会に出る意味はありません。かつて中央に集まった人たちが、また地方に戻る流れにすべきだと考えます。

では、私や弊社は地方を盛り上げるために何をすれば良いのでしょうか?
飲食業を営んだり、名物を創り上げたり、地域創生のマスタープランを描いたりすることはできません。でも、IT技術者の端くれとして、知見を活かした業務改善や効率化を図る手助けはできます。
さらに、ちいクラを主催し、スモールビジネスのスタートを後押しすることもできるはずです。

ちいクラのような地方創生のイベントに積極的に関与することで、地方での認知度を上げ、その地での売り上げを確保し、都市への一極集中を改善する。
弊社がちいクラに関与する理由は、そこにあります。

前日、私は島根に入りました。
そして、松江のIT会社様を訪問しました。そこでkintoneを用いたシステム開発協業に向けた打ち合わせをしました。
その場では、地域の課題と地域のIT会社の課題や、その中で私や弊社が協力できることが合致しました。良い方向に進めそうです。
東京を中心に活動する私や弊社が、松江で商談する出会いと協業は、弊社が地方に本気で関わろうとしているからこそ生まれているはず。

上に書いた通り、わが国の都市への一極集中を正すには、ITの力を用いて都会と地方の格差を縮める事から始めるのがよいと考えます。


今回のちいクラ全国大会の本編では、上定松江市長とサイボウズ社青野社長との対談がありました。
その中では、地方をまるごとDXで変革し、地方が海外への窓口を担う未来図が構想されました。
松江市も本気です。私たちも本気にならなければ。一極集中を改善するために。
オンラインでも要件を誤解なく伝えられるようになれれば、仕事を回せれば、都会に集う必要はなくなります。地方にいたままでも都会と同じ生活水準が維持できます。むしろ、豊かになれます。


前夜祭は、日本各地から集まったオーガナイザーとプレゼンターで盛り上がりました。




地元の食材を使った料理や、この秋から始まる朝の連続テレビ小説「ばけばけ」のモデルとなる小泉八雲・セツ夫妻のイラストも鮮やかなクラフトビール。メインのカレーもとてもおいしかった。
こうしたおもてなしをプロデュースしてくださったのは、島根銀行の皆さんに加え、前年の郡山でのちいクラ全国大会で島根代表として登壇された上田まり子さんによる素晴らしい献立です。
アレルギー料理研究家であり、株式会社FoodMarico代表としての本領発揮です。


とても愉快な時間でした。前夜祭では様々な方と交流が持てました。また、私たちをもてなそうとする島根の皆さんも素敵でした。
みなさんと翌日のちいクラ全国大会に向けて団結を強めた後は、3階にある地元のコワーキングスペースやアントレプレナーシップが生まれる場を見学しました。

翌朝。ホテルでゆっくりと目覚めました。
妻は一足先に会場に向かいました。オーガナイザーとしての準備作業があるとやらで。

会場がホテルのすぐ近くで、前日に松江城や堀川ビール館などは巡ったので、私は松江駅の駅ビルにある「そば庄たまき」で出雲そばを食してから会場に入りました。

会場に行くと、島根の産物を扱う様々な店が出ていました。賑やかです。
どれもが島根で活動している企業や組織によるものでしょう。地元の名物が地元で活動される方々によって披露され、他の地域から来られた方々をもてなす。その姿が好きです。

私は東京に住んでいます。東京の有楽町には日比谷しまね館があります。そこには多種多様な島根の産物が売られています。それらは見ているだけで楽しい。
ところが、あまりの品揃えの多さにたじろぎます。店員さんに根掘り葉掘り聞こうにも、他のお客様の対応もあり、時間を割いてもらうわけにはいきません。
会場では、出店の品数もそこまで多くありません。何を食べればいいか、何をがお勧めか、判断材料がそこまで大きくありません。そのかわり直に出店のスタッフと会話できるのが利点です。が 

島根の方々と会話を交わし、島根を味わう。それこそがコミュニケーションです。その姿が嬉しいです。
私は会場にいる人々や、はるばる遠くから来てくださった人々と挨拶をし、旧交を温めました。
ただし、私には若干の悔いがあります。それは、ブースを味わう時間がなかった事です。前年の郡山のちいクラ全国大会の時は、いろんなブースの方と会話したのですが、今回はその時間がなく、塩焼きそばをいただくのみにとどまりました。
よく考えたら、出雲そばを食べなくてもよかったのか、もうちょっと早く会場入りすればよかったとか。

しばらくして、会場に入りました。



舞台が暗転し、雅楽の演者が上手に並びます。楽器は詳しくは分かりませんが。調べたところ、大太鼓、小太鼓、手打鉦、笛だと思われます。
中央にヤマタノオロチをモチーフにしたと思われる長い胴体の蛇の迫力ある演舞が繰り広げられます。蛇腹で長大なヤマタノオロチの長さを表現し、その蛇腹を生かした複雑な動きが、他の地域の民俗芸能とは一線を画した迫力を生み出しています。

石見神楽の演目「大蛇(おろち)」です。


古事記、日本書紀における出雲の存在感は誰もが知るところです。
私たちがどこかで聞いたことのある日本書紀の神話を語る上で出雲は欠かせません。

ヤマタノオロチを退治した素盞嗚尊(スサノヲノミコト)の勇壮な姿。素盞嗚尊の乱暴狼藉によって高天原を追放される話。
私たち日本人は、心のどこかに日本神話の影響を受けています。日本人とは何で、私たちはどこから来たのか。日本人の心は何で、どういう風になって生きれば良いのか。
石見神楽の勇壮な大蛇の動きと、躍動する素盞嗚尊の演武を見ていると、私たちの心性に島根の影響が染みている事を感じます。
日本神話や素盞嗚尊の神話が史実を反映しているかを問うよりも、私たちは何か複雑な、顔も知らない神々の歴史の果てに生きている事だけわかれば良いのです。
日本中から人々が集まるでちいクラ全国大会にふさわしい演目だと思います。
東京に人を集めて繁栄した次は、もう一度地方に戻ってこの国を復活させなければ。そのためにも私たちのルーツが島根をはじめとした各地にある事を実感する上で、この演目は象徴的でした。素晴らしい演出だったと思います。


その興奮もさめやらぬ中、司会を務める島根銀行の米原さんと地元の山陰中央テレビのアナウンサーさん(お名前を失念してしまいました。失礼しました。)によって開幕です。
なお、客席にはろうあ者の方もおられ、同時進行で手話による通訳もされていました。


最初に島根銀行の長岡頭取から、挨拶がありました。観光地として知られる松江市ですが、実はシャッター商店街がいくつも生まれているそうです。地方を襲う衰退の波は、観光資源を持つこの地にも確実に及んでいます。
このまま衰退を座して待つのではなく、打てる手は打っていかなければ。地方銀行は地方とともに生きる宿命にあり、地方が衰えたら共に沈むしかない。それを避けなければとの切実な危機感を感じました。
地方銀行にとって地方支援とは他人事ではありません。自分ごとなのだと改めて感じます。
ちいクラに各地の金融機関が積極的に関わっておられる理由も分かります。

続いては上定松江市長とサイボウズ社の青野社長の対談です。モデレーターはワークアット社の林さん。


IT業界に住まうものにとって、松江とはRubyで有名な街です。世界的に使われているプログラム言語Rubyを作ったまつもとゆきひろ氏は、今も松江に住んでらっしゃると聞いています。

松江市は、その利点が活かせます。それもあって、積極的にITを用いた街づくりを行なっているようです。
東京を経由しなければシリコンバレーに行けないのではなく、松江から直接シリコンバレーへのゲートウェイを担う。まさにその気概や良しです。

そうはいうものの、日本のIT企業の多くは東京に本社を置いています。サイボウズさんもそうですし、うちの会社も銀座に移しました。
うちの会社の場合、銀座に移したのは社労士さんからのお勧めです。それに従ったのですが、実際に名刺に銀座と書いてあるのをみ書くと、ほお!と言われます。ブランド力は強いのです。
私も銀座に頼らなくても良い会社にしなければと思っています。

サイボウズさんは、地域まるごとDXを提唱しておられます。一つの企業だけがDXを進めても地方は変わりません。社会の全体そのものの仕組み変えなければ効果は限定的なものとなり、地域は本当の意味で活性化できない。まさにその通りだと思います。
様々な活動をしている松江市のこれからに注目です。

そういえば昨日も訪れたコワーキングスペースでは、夜も遅いのに打ち合わせをされていました。
今や東京にいなければ、案件が取れない事はありません。うちの会社ですら、東京にいながら地方の案件を複数抱えています。

松江の現状を憂う危機感と、松江のこれからに希望を持ったところで、大人の本気のラジオ体操です。

そして、12組のオーガナイザー×プレゼンターによる各地域のプレゼンタイムです。

私は甲府ちいクラに関しては、ほぼオーガナイザーである役員の妻に任せています。なので、どういう内容で発表するつもりか、どういう格好で臨むのかについても知りませんでした。まさか、桃の被り物を被って現れるとは。
二人の登壇の様子を動画で撮り、写真もXにアップするつもりでした。
ただ他の地域の皆さんも写真に撮り、Xに投稿することを目指しました。そのため、慌ただしくしていました。

12組は北から順に南へと繋がります。












・北海道釧路市代表 private nurseかなえーる946 川嶋 真希子さん(オーガナイザー:小渡さん)
・北海道南幌町代表 一般社団法人エイチプラスラボ 小野島 香織さん(オーガナイザー:外間さん)
・北海道札幌市代表 株式会社コトリドリ 田中 恭子さん(オーガナイザー:濱内さん)
・北海道千歳市代表 ごえんらぼ 宮内 大さん(オーガナイザー:根本さん)
・宮城県仙台市代表 会いに来る七夕飾り 高橋 さやかさん(オーガナイザー:冨田さん)
・福島県郡山市代表 Axel Posse 赤澤 遼太さん(オーガナイザー:三部さん)
・群馬県沼田市代表 心音☆音楽教室 柳 由美子さん(オーガナイザー:六本木さん)
・千葉県船橋市代表 アリコフード株式会社 金子 あきこさん(オーガナイザー:千葉さん)
・千葉県千葉市代表 株式会社カムカム 小林 由美さん(オーガナイザー:新田さん)
・山梨県甲府市代表 山梨大学4年 高松 陽子さん(オーガナイザー:あづささん)
・三重県鳥羽市代表 齋藤 勇太さん(オーガナイザー:山本さん)
・島根県松江市代表 株式会社ストラテジーAI 中尾 香達さん(オーガナイザー:三島さん)

最後、地元島根の三島さん×中尾さんまで12組。甲府は10番目でした。12組で10番目が甲府。つまり、明らかにちいクラの開催地は東高西低なのです。もっともっと西日本でちいクラの波を広げていかねば。

ここでは、一組ずつの発表内容について書くことは割愛します。皆さん素晴らしかった。ただし、甲府と開催地の松江だけは書かせてください。
甲府のプレゼンター高松陽子さんは、フードロスの取り組みで第二回甲府ちいクラでグランプリに輝きました。そんな高松さんは、今回のちいクラ全国大会のプレゼンターの中で最年少だったそうです。甲府は若い力がとても盛んで、甲府や山梨が誇る点です。
今回も若さの勢いに加え、実現性のあるプランで会場の参加者に印象を残してくれたのではないかと思います。実際、投票でも全国で3位に食い込みました。立派です。
高松さんは今、山梨大学でワインを学んでおられます。その該博な知識は、翌日の遠足で訪れた島根ワイナリーでも遺憾なく発揮されました。今回のご縁をきっかけに、島根でも何かで貢献してもらうことを期待します。

後はグランプリに輝いた島根の中尾さんが見事というしかありません。地元票の利点に関係なく、その立ち居振る舞いは熟達のプレゼンターのそれでした。もう納得のグランプリでした。
ご自身がグランプリ受賞の挨拶で「胡散臭いと言われた」と自分で笑いをとっていましたが、客席のどこかにインフルエンサーのメンターがいたのではないかと思えるほど、完成されたプレゼンテーションでした。私と比べるのがおこがましいぐらい、何倍もうまい。
中尾さんは、今回登壇したプレゼンターの中でも高松さんの次に若かったそうです。本当にすごいと思います。AIを用いた業務改善がITの地である松江から生まれる必然性もあります。期待出来ます。島根発のAIサービスが全国に広がってほしいですね。
余談ですが、翌日の遠足で中尾さんと行動を共にしました。出雲大社のすぐ近くにご実家があるそうですが、出雲大社には数えるほどしか参拝したことがないそうです。それでもマッチングアプリの開発をしたり、AIのサービスを始めるなど、神の住まう地から素養を受け取っていたのでしょうか。

さて、この後は投票タイム。その際、完全に観客の一人になりきって油断していた私にも、少し関わる場面が生じました。

参加者の人数が予想より上回ったためか、kintoneとFormBridgeの制限値の上限をを変える必要が出たのです。そこで急遽、永岡さんから私の名前が呼ばれました。妻ではなく私?と自分で指をさすと、私が呼ばれています。その場で設定値を修正し、事なきをえました。私も何かで貢献できてよかったです。


続いては立候補した各地のオーガナイザーによるお国自慢です。
・北海道釧路市 小渡さん
・北海道千歳市 根本さん
・宮城県仙台市 齊さん森田さん
・千葉県千葉市 新田さん
・山梨県甲府市 あづささん
・兵庫県豊岡市 川上さん
・島根県松江市 三島さん
・総括 琴絵さん









さすがは百戦錬磨のオーガナイザーの皆さん。それぞれ個性にあふれ、それでいて十分に地元をアピールされておられました。素晴らしい。

もちろん甲府も負けてられません。あづささんが登壇し、甲府は若さを打ち出しました。

実際、甲府ちいクラは本当に若いと思います。第二回までのプレゼンでも、高校生や大学生が何人も登壇しています。

10/4に予定されている第三回甲府ちいクラでも、5人中3人が高校生か大学生です。楽しみですね。
第三回甲府地域クラウド交流会告知・申し込みぺージ




さて、その後はいよいよ発表です。
島根銀行頭取賞は、釧路の川嶋さんに!登壇が一つのドラマとしてストーリーになっていて、私に印象を残しました。
松江市長賞は、船橋の金子さんに!言葉がしっかりとしていて元気がありました。かならず実行するという強さを感じました。
そしてグランプリは、松江の中尾さんに!もう納得のグランプリでした。

その後の得票数では、甲府の高松さんも3位に食い込んでいて、高評価がうれしかったです。



まずは閉幕も余韻を残し、会場で皆さんとお話しし、連れだって会場の外へ。
続いては懇親会です。私たちは事前に懇親会を申し込んでいたため、懇親会は島根県立美術館でした。

一緒に連れ立って会場までの道をご一緒したのは斉藤さん。石見銀山地方経営研究所にお勤めです。

実は斉藤さんとは、この9日前に知りあったばかり。糸魚川で開催されたMOVEDさんのビジネス共創拠点「Catalo」のオープニングイベントで知り合いました。島根の方だからとお誘いしたら、実はお住まいは神奈川だったと言うオチがつきました。が、それでもわざわざ松江まで足を運んでくださいました。

Cataloでは話しきれなかったことなど、散々話しながら、連れ立って会場まで歩きました。


さて、島根県立美術館です。こちら、訪れるまで知らなかったのですが、2398点にも上る葛飾北斎の作品を中心とした永田コレクションが県外不出の展示として収蔵されています。今回、その特別展の期間に合致したため、学芸員の方にご説明いただきました。そして、私たちは葛飾北斎の残した絵画の数々を堪能しました。 https://dl.dropboxusercontent.com/scl/fi/fqrj380ac8iolk3x0e7u0/2025-08-30-18-01-40.jpg?rlkey=7404pyre74ql9h9mfkxa0lm2u 葛飾北斎は、わが国が誇る偉人です。日本のサブカルチャーの源流は葛飾北斎といわれるほどの画家で、漫画やアニメなどあらゆる画業に影響を与えました。わが国だけではなく、世界各国の名だたる画家にも影響を及ぼしたことでも知られています。
その偉人が描いた膨大な画業の成果の一部が島根県でしか見られない。これは素晴らしいことです。なんでもかんでも東京に行かねば、東京に行けばではなく、島根にそうした財産を留め置き、皆さんに島根に来てもらう。

島根と言えば足立美術館も有名です。世界に誇る日本庭園が有名で、島根に来なければ実物が見られません。私もまだ訪れられていません。まさにこういう取り組みこそ、これからの地方に必要だと思います。もう何でもかんでも東京に集中させるのはやめましょう。


じっくり展示を堪能した後は、懇親会の会場に移動しました。
贅沢なことに、島根県立美術館は宍道湖に面しています。広大な庭には彫刻が点在し、その背景には宍道湖に沈みゆく夕日が楽しめます。この日の私たちは、幸運なことに宍道湖に沈む美しい夕日を目撃することができました。

そして、刻一刻と変化する光景を目にしながら懇親会に臨みました。宍道湖の夕日といえば、日本でも有数の夕日の名所として知られています。もう、目に移るすべてが偉大な自然の織りなす絵画であり、しかも少し目を離すと、その絵画はさらに艶やかさを増すのです。これぞ美術館。感動しました。



その中で私たちは皆さんと会話を楽しみ、おいしいお酒や料理を食べながら、それぞれの地域の取り組みや自己紹介やちいクラの感想などに花を咲かせました。
余興も吉本興業の住みます芸人の奥村さんと島根銀行の皆さんが司会進行をつとめ、島根銀行で今回メインで企画をされた原田さん、米原さん、三島さん、佐藤さん、高橋さんを始めとした皆さんからの挨拶も感動的でした。

島根銀行頭取の長岡さん、上定松江市長、サイボウズ青野さん、その他のそうそうたる方々がこの懇親会におられ、思い思いに懇親を深めておられました。素晴らしい。

余興には松江やちいクラに関するクイズもありました。私は仙台の冨田さんと沼田の井上さんとチームを組みました。

私たちも惜しいところまで行きました。7問中、5問正解。難しい問題もありました。


ところが、全問正解が。なんとうちのあづささんのグループです。また、時点の一問間違いのグループもいて、その中でじゃんけんで勝ち残ったのは高松さんがいるグループ。なんと、甲府でワンツーフィニッシュ。
クイズも楽しみ、お酒もいただき、料理も食べて、かなり堪能しました。

あたりはすでに真っ暗となり、対岸の松江市街の明かりがきらめいています。

会場はお開きになり、続いては次の会場へ。ここでバスで送ってもらえました。こうしたバスの手配も含め、本当に運営の皆さんの気配りがきちんとされているなと思いました。島根銀行の皆さん、本当にお疲れ様です。


続いて伺ったのは、駅前近くの繁華街にある「Mario」さんです。店内には立派なステージがあり、客席も広めにとられています。ここでは、多くの席がちいクラ関係者で占められていました。
そこで行われたのはカラオケ大会。カラオケ大会については、私も月の初旬あたりから話を聞いていました。そこで、妻と2、3回は練習に付き合いました。共に私は1曲も歌わず、妻が曲を決めるのに付き合い、妻が決めた曲を練習するのに付き合いました。

妻がここで歌ったのは竹内まりやさんの「真夜中のナイチンゲール」。この曲、実は私から提案しました。島根なら竹内まりやさんの故郷。あづささんも昔からこの曲を歌っていたし。これでいいじゃない、と。


全国各地のオーガナイザーやプレゼンターの皆さんも思い思いに歌を歌いあげています。皆さんお上手。 あづささんも負けずに歌い上げました。ただ、練習では90点を超えていたのに、本番では緊張したらしく、90点に届かなかったのは残念。

一方の高松さんも見事に歌い上げました。彼女の歌のうまさは、甲府でもすでに体験済み。見事にセリーヌ・ディオンの「My Heart Will Go On」で最高得点をいただきました。お見事。
最後、時間が少しお店のご厚意で延長してもらったそうなので、各自で歌わせてもらうことになりました。私たち甲府の3人も「Top Of The World」を歌いました。楽しかったですね。

さて、時間も迫ってきたので、お店を出て、三々五々に各自のねぐらに帰りました。私も誰とだったかは思い出せないですが、ホテルまで帰りました。まずは皆さん、本当にお疲れ様でした。

その翌日。皆さんと一緒に遠足に参加しました。

私、この遠足にあたっては失敗をしでかしました。前夜のカラオケまで一緒にいた斉藤さんに、朝の集合時間と場所を伝えてなかったのです。

そのため、斉藤さんだけぐるっと松江堀川めぐりの乗船場まで直接来てもらうことになりました。私たちバスは、そこまで向かい、そこで船の時間を待ちます。幸いにも斉藤さんは船の時間に間に合い、四隻の船に分かれ、松江城の掘をぐるりと船で巡る旅に出航しました。


全国でも掘めぐりができ、かつ、江戸以前の天守閣が揃っている場所はここ松江だけだと思います。
そもそも、天守閣が残っている城すら珍しいのです。現存12天守と呼ばれるように、全国でも12城しかありません。さらに、堀は埋め立てや近代化によってかなりの城の掘がその姿を失いました。ところが松江城はその両方ともが残されています。全国でも稀有な土地んあのです。

特に、堀がほぼ往時のままの姿を残しているのは素晴らしい。緑が青々と茂り、鴨が優雅に泳いでいます。船頭さんの案内によると、堀ではヌートリアなども見かけることがあるとか。


天守閣や武家屋敷が松江の往時の姿を彷彿とさせます。また、この船巡りは橋や暗渠をくぐる箇所があります。これがまた楽しい。暗渠や橋に近づくたびに、船頭さんの合図で私たち乗客は一斉に身をかがめます。限界まで。
そうすることで近代の橋と江戸以前からある掘を共存させ、観光客にとっても興趣を掻き立てられます。これもまた松江でしか味わえない体験です。随所にある蔵や灯篭を構成する石の豆知識や花々など、とてもゆとりのあった1時間弱でした。

私もこうした堀の船巡りは30年ほど前に柳川で経験して以来だったので、とても良い経験となりました。

バスに戻った私たちは、宍道湖の北岸と一畑電鉄の路線に沿って出雲大社に向かいます。道中も「仁多観光」のガイドさん(お名前を失念してしまいました)がとても愉快なトークを繰り広げてくださいました。また、島根銀行の原田さんからも、地元の百年煤竹箸の紹介があるなど、全く飽きる時間がありませんでした。

バスは出雲大社の駐車場に着きました。

ここからバスに降りた方々で適当にグループを作り、そのグループごとに一人のボランティアのガイドさんについてもらいます。



私たちのグループは、ガイドさんの案内に沿って境内を歩いて回りました。


私が出雲大社に来るのはおそらく4回目か5回目のはず。前回は妻と2人で来ました。4、5年前のことです。
私は古事記や日本書紀に描かれる古代日本についても関心があります。出雲、高千穂、熊野、糸魚川から諏訪に至るぬながわひめの伝説。鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の関係。

出雲大社は何度参拝しても興味深いところです。

拝殿、そして御本殿、さらには宝物殿。巡りました。



その後、またべつの皆さんと、勢瑠の大鳥居の前にある「そば庄たまき」さんで出雲そばをいただき、さらに「Izumo Brewing Co. TAISHA」のビールを。
美味しかった!


バスに戻り、次の目的地へ。
次は島根ワイナリー。私はこちらには多分4回目の訪問。毎回来るたびに試飲コーナーに捕まってしまいます。

しかも今回は甲府のワイン姫こと高松さんもご一緒なので、デラウェアを使ったオレンジワインの珍しさなど、いろいろと魅力が増しまして。

ここは、来るたびに様々な誘惑があります。

そうした後ろ髪を引かれるあれこれを残しつつ、私たちは出雲縁結び空港へ。そして私たちだけ遅い便だったので、数時間ほど空港で過ごした後羽田へ。

今回ご縁のあったすべての皆さんに感謝です!


Cataloオープニングイベントに参加しました


8月23日にCataloオープニングイベントがあり、お呼びいただきました。

Cataloとは、こちらの告知ページにも書かれている通り、MOVEDさんが糸魚川に開設したビジネス共創拠点です。

MOVEDさんは東京のIT企業であり研修や教育を主に活動しておられます。弊社とはkintoneを共に盛り上げるべく活動する仲間です。


地場で育ったのではない、東京から来たMOVEDさんのような一企業が、糸魚川のような地方都市で新たな拠点を作る。
それがどれだけ大変で時間がかかり、しかも苦労と熱意が問われるのか。うちの会社も山梨で色々と基盤作りを行っているので、かけた苦労と熱意のほどがわかります。

その一つの達成が、今回のCataloの開設だと思います。
うちの会社としても、山梨のどこかでCataloのような施設を運営したいと思います。
その源となる想いは、地域のためになり、かつ、自社の認知度を増やすためでもあります。そのような施設を作り、運用を行いたい。もちろん自社の認知度が上がれば良いし、売上になるとより良い。

売上よりも、という話をすると、それは建前だと言われます。
地域のことよりも売上や自社の認知度を上げたいのが本音でしょう、と受け取られがちです。

ですが、私の場合、1年単位の決算のことよりも、それよりも30年40年先の次の世代が、きちんと住まえる世界と国にしたいとの思いが強いです。
その活動のためには、会社が継続できるだけの利益が出せることは前提ですが、その継続も社会や地域が健全であってこそ。
そのことは、この場でもブログでもSNSでも口が酸っぱくなるほど書いてます。
東名阪だけが栄えるのではなく、人口50,000人に満たない規模の糸魚川市のような地方都市が今後も末永く維持できる社会を望みます。

それは私が混雑が大嫌いだから、旅が好きだからと言う理由ももちろんあります。
ですが、それよりも遠い将来に、東名阪は何とか栄えてるけど、糸魚川市のような地方都市が完全に消滅しているような国の未来は見たくないのです。

そうなった未来では、うちの会社のような企業は完全に消えているはずです。集中の論理のもとに一部の大手企業だけが生き残り、我々のような企業は吸収されるか、下請け構造の中に生きながら得るしかないと想像しています。
その世界からは多様性が失われ、いくつかの特定の論理だけが大手を振って歩くしかないかもしれません。それが嫌です。

私が見たいのは、東名阪はもちろん適切な規模で栄え続けるけど、地方都市、例えば糸魚川市のような街が元気な未来です。
地元のうまい日本酒やもずくを食べながら、日々を幸せに暮らしている未来の方を私は望みたい。そして、そのような未来の方が、うちのような企業が生き残れるはずです。
なぜなら、多様性が尊重された価値観の中、各自が責任と協調を担い合う社会の方が、うちのような零細企業でも生き残れる可能性はあるからです。
これは、地方への郷愁とかノスタルジーだけに寄りかからず、私や弊社自身がAIが存在感を増すコロナ後の時代を生き残るための生存戦略でもあります。

それを踏まえ、どうすればそのような未来が作れるのか。どのように地方に貢献するのか。それを考える必要があります。

今はまだ、弊社は発展途上です。まだ地方に貢献できるだけの力は持っていません。
地方の組織をデジタルを用いて効率化することはできます。空いた人を違う仕事に振り分けましょうと提案もできます。新たな価値を作ることこそDXです、と謳うこともできます。
今の時点でもこれからも、弊社は技術で貢献できるでしょう。さらに、今の時点でも弊社は山梨で100人ほど集めるイベントを催せるだけの経験は持っています。
でも、その会社にとって新たな価値とは何で、何に振り向けるべきかについて、地場の産業や経済まで見据えて提案し、実現までを伴走できるノウハウや知見はまだ持ちあわせていません。

山梨でのコミュニティ作りが軌道にのれば、弊社でもただの主催者やイベンターではなく、産業や経済や文化まで見据えた提案ができるでしょう。ただ、その力はこれから貯めていきます。


ただ今回、MOVEDさんがCataloと言う施設を作ってくださったことで、もともと山梨と地縁のない弊社でも、ゆくゆくは山梨で何かを成し遂げられるのではないかと言う励みをもらえました。

私がこの2年ほどで糸魚川に来るのは4回目です。毎回、MOVEDさんからお誘いいただいています。そしてその都度、糸魚川の人々の親しみやすさや、行政と民間が親密に交わる様を見てきました。
その光景と可能性を見てきたからこそ、今回もお誘いに応じて参加しました。

どこかバランスが歪で掛け声倒れに終わってしまう地方創生ではなく、担当者や市長が異動のたびに方針が変わる地域活性ではなく、糸魚川の場合は地域を良くしようとの思いが根付いていることを感じます。糸魚川市役所の山崎さんなどは、その熱意にほだされてか、10年同じ部署にいらっしゃるそうです。
そうした市としての姿勢が、上に述べた諦めずに復活できるとの逞しさにつながっていると思います。


Cataloの場所がまた良いのです。
Cataloのある辺りは、大火の際に焼けてしまった雁木が並ぶ中心部です。Cataloの目の前には、これもやはり火事で焼けた加賀の井酒造さんが復活を遂げつつあります。
確かに、あたりはまだ寂しいです。今回、私が訪れたのが熱暑の中だったからか、前の年に来た時よりも、さらに人通りが減ってしまっている印象を受けました。
ですが、私が知らない糸魚川の賑わいはおそらくこんなものではないはずです。
そのために、まだ盛り上げていくべきなのでしょう。そして、挽回するための課題も山積みなのだろうと思います。
そこにMOVEDさんのような東京の企業がその土地に根付き、Cataloのような施設を立ち上げることで、その挽回の速度はさらに増してゆくはずです。

うちの会社が根付こうと努力している山梨県も「人口減少危機突破宣言」を発しました。にもかかわらず、今後の富士山の噴火が予想される今、そのお膝元にある山梨県を忌避するのか、人口減少の危機はまだ去っていません。
そうした未来を招かないためにも、行政との協力体制は必須です。

糸魚川市の皆さんと関わっていて、何に印象を受けたのか。
それは、こちらが庁舎に行って何かを依頼するのではなく、むしろこちらのイベントに進んで参加してくださる職員が目立つことです。
今回も副市長が来られていました。スーパー公務員の山崎さんも来られていました。このお二方は、私が初めて糸魚川を訪れ、ウッドデッキ作りに汗をかいた際にもおられて、遅くまでご一緒した記憶があります。
さらに今回のオープニングイベントでは、市役所の若手の有志四人がピッチを披露していました。それぞれが糸魚川への熱い思いを表明していました。
諦めない姿勢。その姿勢こそが、これからの地方都市には大事なんだろうと思っています。
私はいくつもの都市を訪れ、地方創生の現場を見てきました。が、糸魚川市はほんとに全国でも屈指の熱意を持つ都市だと感じています。

東京などの首都圏に住んでいると、地方の苦しみは実感しにくいです。
ところが、私も先日訪れた網走の寂れた様子に衝撃を受けました。それは、都会で暮らす人には決してわからない衰退だと思いました。

私は最近、そうしたイベントの参加レポートは個人のブログに書きます。

でも、今回は、会社としてきちんと向き合い、支援したいと思いました。だから、クラウドファンディングでご支援もしました。その考えに沿って、このブログも会社のページに書きます。

さて、前書きが長くなりましたが、当日の模様です。

東京から着いてすぐ、私はCataloに直行し、受付を済ませました。新幹線が大幅に遅れたものの、間に合ってよかった。
でも、何も食べていなかったので、駅前の麺屋なりたさんでヒスイラーメンを美味しく食べました。さらには、海岸に行って日本海を撮りました。

そうして汗だくになった私が会場に着いたのは開会の一、二分前。先ほどは空いていた椅子がほぼ埋まっていて、申し訳ないので最後列で立って聴きました。結局最後まで立っていました。


まずは、渋谷さんからのオープニングトーク。渋谷さんのお顔がやり切った感で満ちています。
それもそのはず。渋谷さんが少しずつ縁を築き、信頼を築き上げ、少しずつ少しずつ糸魚川市さんとのご縁を増していったのですから。その姿のほんの少しだけ、私も目撃しました。
渋谷さんも緊張していらっしゃるようですが、そこはプレゼンの達人。うまくお話をまとめておられました。


続いてサイボウズの青野社長からリモートで「地域DX〜未来の働き方へ」と題して基調講演。

青野社長の講演は今までに何度も聞いていますが、何度、聞いても組織作りの面で本当に勉強になります。うちの会社もサイボウズさんを手本に組織作りを進めているつもりが、自分の思う通りにならないもどかしさ。
私よりも、はるかに青野社長は、そうした苦労や苦しみや挫折を味わってきたことでしょう。

そうした感慨を含め、何度聴いても青野社長の講演は参考になります。


続いては、特別対談「越境によるビジネス連携とワーケーションの可能性」。豪華なセッションです。
一般社団法人日本ワーケーション協会 代表理事の入江さん、あまねキャリア株式会社 代表取締役CEO 沢渡さん、糸魚川市 商工観光課 課長 山﨑さん。そして渋谷さん。

渋谷さんによるトークセッション。

入江さんや沢渡さんは、今回のオープニングイベントで、初めてお会いしました。
もちろん、さまざまな地域創生系のイベント等でお名前も存じ上げていました。オンライン上でもお見かけしたこともあります。

上に書いた通り、弊社はまだまだ技術系の色が強く、地域創生のノウハウは学ぶ側です。ただ、山梨ではだいぶ認知度は上がってきました。山梨での活動はイベンター的な色が強いです。演者と観客とプロモーターの3社ではなく、それ以外にも広がる関係性を作らなければならないと感じています。
その意味でも、皆さんの対談からは得るものも多かったです。
私も登壇の機会を増やさないとダメでしょうし、地方創生の事例を語れるようにならないとダメです。もちろん本が書ければ言う事はありません。





続いての「糸魚川のチャレンジャーによる事例セッション」も得るものが多かったです。

私が今まで糸魚川に来た四回で、行政との距離の近さは感じていても、市民としての取り組みはあまり聞く機会がありませんでした。
今回、LTに登壇された伊吹さんや、若手の糸魚川市役所職員としてもっと市政に提案させて欲しいと訴えた香取さんと3人の仲間たち。

また、冒頭に登壇されたカネタ建設さんのオレンジフェアは素晴らしいとしか言いようがありません。首都圏でもなかなかない、でかいプール施設を作り、しかも若い社員さんが運営。そして1日で撤収してしまう潔さ。こうした企業さんが糸魚川にもいらっしゃる喜び。
またジン作りにもチャレンジしたということですが、そのSANKAという名前のジン、懇親会で美味しくて何杯も飲んでしまいました。

またラストで登壇された横井さんはお米が主役の薪焼きレストラン、つまり新潟のお米だけで勝負されておられます。こちらは一度行ってみたいと思わせてくれました。

若い方は頑張ってます。山梨でもそうです。
問題は上の方です。今回、多くのセッションで登壇された皆さんや、参加者の皆さんのように心意気がある40代50代の方もたくさんいます。ですが、それ以外に諦めている40代50代の方があまりにも多い。

地域で活動する若い方達と一緒に、どうすれば40代50代の諦めた方々の心に火をつけるか。
私も諦めた方々と同じ年齢の1人として、頑張らなければならないと思っています。


さて、皆さんで集合写真を撮った後、懇親会へ。


まず柏崎から来た「la Boratorio」さんのケータリングがとてもおいしかったです。ズッキーニも鴨肉もメロンも絶品でした。

三次会はazuというThird Placeを名乗る場所。
沢渡さんがセッションの中でサードプレイスとしての糸魚川の価値を力説しておられましたが、家でも職場でもない三番目の場所として、糸魚川は一つの候補です。
3と言う数字には安定があります。三人寄れば文殊の知恵。鼎という漢字も三点で支えます。建物を支えるすじかいも三角形。三方良し。などなど。
こうした三にまつわる数字は先日プロ雑用の小林さんと語った通りです。

実は私も町田から糸魚川にやってきて、翌日関西に向かい、関西からまた東京に帰りました。三角形を描いて。
糸魚川が私にとっての三角形の1つの頂点として、いつまでもご縁があることを願っています。


四次会は締めラーメン。「ホームラン」というお店にお連れいただきました。そして、MOVEDの皆さんと宿まで歩き、私は今回はルートインを確保いただきました。

他にもこう言うnoteを書きました。
山梨ともこう言うご縁があります。
8月25日 糸魚川市を訪れて感じたこと
8月26日 糸魚川と甲斐のご縁

まずは今回、会場でご挨拶した皆様、ありがとうございました。
MOVEDの皆さんとCataloにもますますの発展を!


第2回 甲府地域クラウド交流会を主催しました



2025年3月22日に山梨県立図書館イベントスペースで開かれた甲府地域クラウド交流会(甲府ちいクラ)を主催しました。
今回もオーガナイザーである役員(あづささん)が全体を仕切り、弊社の総務人事経理担当および代表の私が参加しました。本稿は代表の視点からの参加レポートです。

昨年、2024/6/29に第一回 甲府ちいクラを開催しました。98名の参加者を迎え、成功裏に終わったため、その勢いに乗っての第二回でした。
しかし、集客に著しく苦戦しました。

3/22は土曜日です。そして卒業式などのイベントが重なる日。それは予約した時から分かっていたことでした。
にもかかわらず、会場の広さを倍にしました。つまり、第一回は山梨県立図書館のイベントスペースの東で行ったのを、第二回はイベントスペースの東西で予約しました。
その日しか山梨県立図書館のイベントスペースが空いていなかったとはいえ、それはこちらの選択。日付もこちらの選択。言い訳の余地はありません。

言い訳は不要です。
ただ、苦戦した原因は書いておかねばなりません。教訓として以下に挙げておきます。

・卒業シーズンの土曜日の予約が無茶だった。
・一回目は多くの方のサポートがあったため、第二回で実力が露呈した。
・山梨県の県民性としてリピーターがつきにくい。
・第一回の参加者を元にした参加者数想定の不足。
・運営組織である弊社が年度末で本業が疲弊し、フォローができなかった。
・集客の努力不足。

おそらく、こんなところだろうと思います。


結果、84名と言う人数に終わってしまいました。前回より14人も少ない人数。また、途中で帰った方なども含めて、集合写真は明らかに80名を割っています。それにもかかわらず、前回よりも倍の広さのスペースだったため、閑散感は否めません。


反省を書くのはこれくらいにしておきます。
前を向いて、10月4日に予定している第三回に向けて準備を進めるべきでしょう。

むしろ、今後に向けて好材料が揃いつつあることは書いておかねばなりません。

例えば、第一回では取材が甲府経済新聞さんだけだったのが、今回は山梨日日新聞の記者さんも取材に来てくださいました。また、第二回の開催報告を甲府市に話したところ、第二回を行ったことで見直され始めたそうです。
さらに、第一回に来なかった方で、甲府のコミュニティーに深くコミットされている方が第二回に参加して、甲府ちいクラに興味を持ってくれました。

山梨県はイベントの集客が難しいとされています。その甲府において、第二回で80人を超えた人数をほぼ山梨の方だけで集めたのは凄いことだそうです。何人かにそう言われたことで、自信になりました。
ほぼ弊社で大部分をやり切ったことで、ノウハウが溜まったこと。
また、第二回でプレゼンターを担ってくださったお二人が、次回以降、運営メンバーとして入ってくれるそうです。

そうした好材料が今回、揃いました。反省点だけでなく、第二回で良かったこともたくさんあったのです。

もし第二回の人数が前回を凌駕していたら、私たちは教訓から学ばぬまま、第三回で失敗していたかもしれません。
つまり、今回は苦戦して良かったとさえ思っています。
その意味でも今後に向けてより良い手ごたえが掴めた開催だったと思っています。

ここからは、当日の様子について書きます。
第二回において、私は、事前準備にはほぼ関わっていません。第一回の際は私からもかなりの数のDMを送りましたが、今回はそれもしていません。

ただ、私は当日になり、あまりの集客の悪さに、図書館の外に立って集客を試みました。
そのため、私は今回の講師を務めてくださった藤野さんの講演をほぼ聞けていません。


とはいえ、皆さんが藤野さんのお話をきちんと聞いておられる様子はガラス越しに確認しました。


藤野さんは、山梨県の経済・金融系の様々なコミュニティーを主催し、今の山梨県を語る上でも要となる方です。藤野さんをお迎えしたことで、第二回のちいクラが締まったように思います。
今後のちいクラにとってもより良い影響があることでしょう。


また藤野さんの話の中では若い力の台頭を取り上げてくださっていました。

第一回の準備段階から今回に至るまで、私や弊社は山梨県の若い人たちのコミュニティーのいくつかに関与しています。そして、山梨の若い力を存分に感じています。
そこで感じたのは、山梨県の若い人たちの動きは、他の県に決して劣らないことです。劣らないどころか、より活発なのではと思います。

中堅どころの層に甲府ちいクラを訴求するよりも、山梨の若い層にもっとアピールし、参加を呼びかければ、第三回以降の甲府ちいクラに対して悲観する要素はないとさえ思っています。

何よりも、山梨は、東京に近い地の利があります。
交通の便が良くなった事によって、簡単に東京に出られるようになりました。その結果、都会への人口流出が起きているのが、ここ数十年の我が国です。その結果、今の首都圏は人口が飽和し、住みにくくなっています。
山梨は東京や神奈川に隣接し、近い地の利があります。普段は山梨で暮らし、刺激が欲しくなった時だけ、都会の風を浴びる選択も可能です。甲府から新宿まで一時間半で出られるのですから。

そうした点を踏まえ、私は依然として山梨にポテンシャルがあると感じています。若い方の台頭が著しいことも含めて。
藤野さんの話は、そうした背景もあっての話ではないかと推察しています。藤野さん、ありがとうございました。

さて、オーガナイザーのあづささんの司会進行や場の切り回しは私は関与していません。心配せずともやり切ってくれるでしょう。
今回はあづささんの関与する山梨の他のイベントが多数重なりました。それを全部一人で引き受け、やり切ろうとする悪い癖が出てしまいました。そのため、疲弊と息切れが生じていました。
つまり、あづささんの手足となってサポートできるメンバーが絶対に必要です。
そのためにも今回で何名かの方が今後のスタッフとして手を挙げてくださった事は、次回に向けて大きな改善点となりそうです。

続いては、ちいクラ本編です。

あづささんから、ちいクラについての説明があった後、大人の本気のラジオ体操が始まりました。今回は第一回で応援し隊として携わってくださった、伴野嶺さんにお手本を示してもらいました。


日本百名山だけにとどまらず、海外の山、各大陸の最高峰も視野に入れている嶺さんは、山梨だけでなく、おそらく日本国内でも有名になっていくことでしょう。そういう方ががっちりと協力してもらえる体制ができたのは、第一回と第二回の成果だと思います。
全く山梨に知己がいなかった二年前から、ここまで人のつながりを作ってこれたのはあづささんの努力の賜物。素晴らしいと思います。

大人の本気のラジオ体操の際は、私も部屋の中に入って一緒に運動しました。
今回は会場が広いため、体操をしていて自在に手を動かすことができました。






そして、続いてはプレゼンター五組六名によるプレゼンテーションタイム。
福原千晶さん
藤原ちはるさん
高村大夢さん
渡辺慶奈さん
深田莉央さん
高松陽子さん
の皆さんでした。今回はプレゼンのレベルが全体的に底上げされたような気もしています。それでいて、個性豊かな内容でした。
また、年齢層もぐっと下がりました。高校生二人に、二十代が三人。
この若さも山梨の可能性を表しています。おそらく、次回以降の甲府ちいクラも、若い層が続々と登場することでしょう。これからの甲府ちいクラが楽しみな理由の一つがここにあります。


続いては懇親会と投票タイムです。
今回、投票所で投票のアシストを行ってくださるのは、
斉藤 修さん
田名網 俊宏さん
小森 直斗さん
中嶋 雄士さん
田中 康弘さん
河西 和奈さん

私からは、皆さんに事前にkintoneの入力方法などをお伝えしました。

今回は、受付としても頼りになるメンバーが揃いました。第一回で投票所を受け持ってくださった武内あかねさん。弊社メンバーの花愛さん。そしてオーガナイザーのあづささんの同期として千葉から駆けつけてくださった新田さん。皆さんが受付を固めてくださいました。



正直、今回は会場が広かったため、懇親会もまばらな印象を受けました。それも反省点です。ですが、皆さんがそれぞれの方々と挨拶し、交流が順調に育まれる様子を見ているのは良いものです。
私も、お越しくださった方々に新たなご縁をつなぐべく繋ぎ役に徹しました。例えば、ジョイゾーの四宮さんご夫妻には、山梨中央銀行の方や富士吉田市から来られた小俣さんを繋いだり。小俣さんや、あかねさんにも、山梨中央銀行やその他の方々を繋いだり。

一方で、反省点としては、懇親会の途中から、投票の途中経過を映さず、別画面にすべきところ、中継機がうまく動かず、人体でプロジェクターからの投影を塞ぎ、切り替えを待つことを余儀なくされました。
ただ、弊社メンバーも投影に当たってやり遂げてくれたことで、貴重な経験値が溜まった気がしています。
第一回では失敗した、優勝者の発表時のドラムロールは今回は無事に成功しました。


続いては、応援し隊の皆さんの紹介です。今回も新たなメンバーが加わってくださいました。茅ヶ崎からお越しくださった縁造さんは、会場設営の時点から手伝ってくださっていたので、私が応援し隊にスカウトし、茅ヶ崎での活動もアピールしてくださいとお願いしました。夜も遅くまでいてくださいましたし。
また、今回も四宮琴絵さんや新田瞳さんにオーガナイザーとして参加していただきました。まだ独り立ちできていない弊社主催ですが、今回も皆さんがいてくださったことがどれほど励みになったか。琴絵さんに至っては、ご家族までも連れてきていただきまして感謝です。

そうした皆さんの動きや交流の一部始終は、飯窪さんが撮影してくださいました。後日、素敵な動画にしてくださいました。
Facebook上のページの動画


そして、優勝は高松さん。
フードロスを憂い、その改善を訴えたことが皆さんの支持を集めたのでしょうか。まずはおめでとうございます。
他の方も皆さんお見事でした。

私から高松さんに賞状を授与させていただきました。私はその時、たまたま会場にいたお子さんと遊んでいて、その子を抱っこしたままの授与になりました。ご容赦を。
また、講評ということで、私からも一言述べさせていただきました。

また、後日、プレゼンターの一組である高校生二人がカフェの実店舗で実践した際には、私とあづささんで訪問したことも申し添えておきます。


そして、撤収後の夜の懇親会です。





今回は、
やまなし里山商店さん
サイアムカフェさん
フォーハーツさんの三箇所で分かれて実施しました。

私も参加者全てを巡り、そして最後まで残ってくださった方々とは、「ぎり舎」「すぐ呂」さんにて計五次会まで。

やり切りました。
上にも書いた通り、今回が苦しんだ末にやり切ったことで、第三回は行けそうな気がします。
四次会の後半と五次会では、その場にいた皆さんもこれから甲府ちいクラを続けるためにどうするかを考えてくださいました。
その結果、まずは続けるべし、と再認識ができました。

つまり、10/4に同じ山梨県立図書館のイベントスペースにて、第三回は行わせていただきます。
また、皆さんのお越しをお待ちしております。

今回お越しくださった全ての方、ありがとうございました!


第14回 釧路地域クラウド交流会に応援し隊として参加しました



2月11日に946BANYAで行われた釧路地域クラウド交流会(釧路ちいクラ)に参加しました。

今回は代表の私が参加しました。本稿は代表の視点からの参加レポートです。

私は今まで、各地のちいクラには何度も参加してきました。甲府ちいクラには主催者として、運営側の立場で携わりました。釧路ちいクラでは、応援し隊という形で関わりました。

そもそも、地域クラウド交流会は何か。応援し隊とは何か。そこから説明したほうがよいでしょうか。
誤解を避けるため、公式サイトの記載をそのまま引用します。

地域クラウド交流会とは

地域クラウド交流会は、地域住民が起業家の応援を通して、地域活性化を目指す交流会形式のイベントです。起業家だけでなく、地域の人たちが参加することで、地域全体のビジネスの活性化につながることを目的としています。

プレゼンターだけでなく、地域の人たちが「投票所」や「応援し隊」といった役割を持ち運営に参加することができます。

つまり、応援し隊とは、いわゆる有志のボランティアを指します。当日、早めに集まって、チラシ封入や会場設営に従事します。さらにちいクラの開催中は円滑な進行のためのタイムキーパーや投票所での入力作業など、様々な役割を担います。

朝、雪道を歩いて、東釧路駅でSL撮影と泉屋さんでスパカツを楽しんだ私。
会場である946banyaには早めに着きました。先に机の運搬などを手伝っていたら、やがてスタッフの方々が集まりました。
しばらくしてスタッフ打ち合わせが始まりました。そこで私に割り振られた役割は懇親会の呼び出し係でした。


ちいクラには1時間弱の懇親会があります。懇親会の場には、事前に皆さんから集めた名刺や皆さんが記載した交流会カードがホワイトボードに貼られ、設置されます。
懇親会に参加した皆さんは、貼られた名刺や交流会カードの中につながりたい方がいれば、呼び出し係にその旨を伝えます。
呼び出し係は、マイクでその方を呼び出し、その場でご縁をお繋ぎします。
つまり、呼び出し係は、応援し隊としてちいクラを盛り上げる重要な仕事の一つです。積極的に参加者に声をかけたり、場を盛り上げたり、一人で手持ち無沙汰にしている人がいたら積極的に誰かと繋ぎ、皆さんに何らかのご縁を持ち帰ってもらうのが呼び出し係の役目です。

私に割り振られたのは呼び出し係だったので、それ以外のことをする必要はないはずです。ですが、私はたまたま入り口に立っていたことで、受付を済ませた参加者の方々にコートのハンガーへの誘導や、交流会カードの書き机への誘導をしていました。
こういう時、手持ち無沙汰感が苦手でつい動いてしまいます。

そうしている間に、勉強会の椅子は埋まっていきます。机を移動したり、椅子を運んだり。さすがと言うべきか、本当にたくさんの参加者が集まってきます。
1ヵ月半後には弊社が主催する甲府ちいクラも控えています。そして、参加表明の数が芳しくありません。集客に苦労するのではと考えていた私にとって、釧路ちいクラの集客力は本当に感服します。


今回の勉強会の講師は佐久間さん。佐久間さんは、釧路で観光船「シークレイン」を運行する有限会社アイコムを経営しておられます。
挫折と失敗続きの経験を乗り越え、シークレインの事業でようやく軌道に乗りかかっているとか。谷谷谷の人生行路はまさに笑いあり学びあり。でも、苦労してきたからこその山登りの妙味を感じられた講演でした。
世界三大夕陽に数えられる釧路の夕日を見るコンテンツ。それに頼らないプラスアルファを考えていらっしゃる姿勢は経営者としてとても学びになりました。

そんな佐久間さんの講演を聞いていた私のところに、ススッと近づいてきたのはオーガナイザーの小渡さん。
「タイムキーパーもやってもらえませんか?」
講演中だったため、よく話が聞き取れなかったのですが、私としては断る理由はありません。はい、Yes、喜んで!の精神で引き受けました。

ただ、私が応援し隊の作業自体をあまりよく把握していないのが正直なところです。

もちろん、昨年6月に弊社主催で甲府ちいクラで行った際は、その事前に千葉ちいクラの動きを逐一確認し、甲府ちいクラでも全体の動きを見ていました.そのため、大体何をすることかはわかっていましたが、ただ単に眺めているのと、実際にやるのでは違います。

そもそもタイムキーパーとは言え、何を持ってタイムキーパーするのかが明確でなく、その場で即、持っていたiPadを充電し始めました。

そして、ちいクラのメインイベントである一人3分間のプレゼンテーションタイムが始まるのに合わせ、ステージの前あたりに陣取りました。と、実は大人の本気のラジオ体操があるのを忘れていて、私も慌てて脇に退きました。
そして、本気のラジオ体操で体を温めた後は、タイムキーパーとしての活動開始です。

iPadのストップウォッチ機能を使い、プレゼンターの皆さんにiPadを提示しつつ、2分になったら「チん」3分たったら「チンチンチンチン」とコングを鳴らす。まぁこれは言ってみれば簡単な作業です。
ただ、今までの人生で私はタイムキーパーの作業をほとんどした記憶がありません。実はこの日に実績解除を果たしたのではと思いつつ。

それにしても、一番前のかぶりつき席で、皆さんのセッションを聞けるのは応援し隊の役得と言うべきでしょう。
プレゼンターの熱気がより感じられますから。

ちいクラのプレゼンターになれるのは、創業5年以内と言う制限があります。つまり、起業にあたっての熱と興奮が冷めない時期。
これ、なかなか貴重な機会なんです。
弊社の場合、kintoneを用いまたシステム構築が主な業務です.そして、スタートアップ企業様からのご依頼もあります。
ただ、ご依頼のほとんどは、ある程度年数のたった企業様によるものです。つまり、私自身にとってちいクラとは、こうした起業し立ての熱と興奮を聞ける良い機会なのです。

今回の6名の方は多彩な業種にわたり、バラエティーに富んでいました。
そして、優勝して釧路からの代表に選ばれたのは稲沢さんです。
仕掛け箱を用いたプレゼンテーションはお見事でした。釧路代表として、また全国大会でお会いする日を楽しみにしたいと思います。

続いて投票所の説明がありました。懇親会に参加した皆さんは共感したプレゼンターに対し投票します。その投票にはkintoneが用いられます。kintoneへの入力は、投票所の方、つまり応援し隊の方々が入力します。
それに先立ち、投票所の方々も応援し隊として、一分間のPRタイムが与えられます。そのタイムキーパーも私の仕事でした。
私はその時、バックヤードで咳止めの薬を飲み、うまく鳴らなくなったベルを直していました。
慌てて呼び出されて投票所の前に飛び出した私。

皆さんの一分間のPRも鳴らないベルに苦戦しながらなんとかやり切りました。

続いては懇親会です。私は上に書いた通り呼び出し係の役目を担っていました。
呼び出し係の役割とは上に書いた通りです。前に出たどこかのちいクラではDJみたいに喋りまくる方がいて印象に残っています。が、私にはそこまでの才覚はありません。なるべく多くの方に話しかけ、縁をつなぐように努めました。七、八組くらいは媒酌したでしょうか?

私が見たところ、ここで縁ができるかどうかで、参加者によるアンケート評価に影響を与える気がします.
こういう場で誰かに自分の話を聞いてもらい、縁ができれば人は満足します。が、もしずっと一人ぼっちで会場をさまよっているだけだと、必然的に不満の原因になります。アンケート結果にもそれが反映します。
皆さん、こういう場にはあまり慣れていらっしゃらないのでしょう。人に話をかけるのが苦手な方を各地のちいクラでお見かけします。私も苦手なので、同類としてよく理解できます。
甲府ちいクラでも、一人ぼっちになる方をなるべくなくすため、ご縁繋ぎに徹してもらうことを前もって呼び出し係に伝えておきます。


さて、一時間弱の懇親会も終わり、優勝者の発表までの間、応援し隊の方による一分間のスピーチがありました。
私もここで1分間の時間をいただきました。私が話したのは、一ヵ月半後に迫った甲府ちいクラの宣伝です。仕事については一切触れません。
前もって釧路から甲府までの乗り換えルートを調べてみました。すると「おおぞら」「北斗」「はやぶさ」そして「あずさ」。南千歳、新函館北斗、東京で乗り換えるだけ。空にちなんだ、縁起の良い特急を乗り継げば、なんと三回の乗り換えで甲府に来られます。この後、「あづさに乗ってあづさに会いにきてください」のオチを言う前に三回の乗り換えの部分がなぜか会場で笑いをとりました。


発表があり、優勝者は前述した通り稲沢さんです。仕掛け箱を使ったプレゼンは素晴らしい印象を皆さんに与えたようです。


その後、会場で集合写真の撮影を行い、そしてお開きとなりました。皆さんはそれぞれの仲間と夜の釧路へ繰り出していきました。


私は事前にお誘いをいただいていて、スタッフや応援し隊の皆さんとの懇親会に参加しました。会場は釧路ちいクラに続いて946BANYAで。

皆さんとはたくさんのお話をしました。さらに、好意的な反応をいただきました。
この釧路ちいクラの数日前に同じ会場でCLS道東にも参加しました。これまで六回行われてきたCLS道東に私は皆勤で参加しました。懇親会でしゃべったり、遠足に参加したりと、皆さんから認知されている実感は持っていたものの、仲間として受け入れられた印象はまだ得られていませんでした。

ところが、今回は皆さんからの反応が違ったように思えたのです。
その理由を考えてみました。それは釧路ちいクラで短い時間であったものの、初めて人前で話したからではないかと推測しました。
これまでのCLS道東では、一度も人前で登壇したことがありませんでした。それまでは、ただの観客の一人でしかなかったのです。ところが、応援し隊の特典で一分間PRタイムをいただき、人前で話したことで、私という人間が皆様の中で認知されたのではないかと思います。


登壇の効果は漠然と理解していたものの、私の中では顕著な効果としてはっきりとは認識していませんでした。皆さんからの認知度の上昇が顕著だったので、自分の中で学びとして記憶し、今後に活かしたいと思います。登壇という営みの重要性について。


それは、二次会に訪れたカラオケでも感じられました。夜の末広町を八人ほどで歩き、訪れた「萌芽」さんでカラオケを楽しみました。いやあ、羽目を外しました。楽しかったです。ちなみにご一緒した方々は、一人だけ以前のCLS道東で顔を見知っていましたが、あとの方々は全員この日が初めて出会った方々でした。LINEを交換するまでに仲良くなりました。
これはまさに登壇した意義だと感じました。

最後に、参加してくださった皆さん、登壇してくださった皆さん、プレゼンターの皆さん、運営スタッフの946BANYAの皆さんありがとうございました。
そして私が946BANYAに忘れてしまったライトダウンジャケットを届けていただいたジョイゾーの皆さん、心から感謝しています。


おいでなって! ビルド山梨に運営・参加してきました



2023/12/2に甲府において『おいでなって! ビルド山梨』というイベントを開催しました。
運営メンバーは、私(代表)、妻(役員)、そして長女(総務・経理担当)でした。
告知ページ

1.総括


このイベントは弊社が催しました。企画から会場確保、さらに告知や当日の進行まで。
すべてが弊社の責任の下にありました。

『ビルド山梨』の開催目的は、最低限の目標を達成できたと考えています。
むしろ、10日前までほとんど動いていなかったことを考えると、上出来だったと思います。

ところが、うちの家族の中でこのイベントの総括が全くできていません。私もnoteでもブログでもこの総括は妻に任せようと思い、何も書かずにいました。
ところが、妻はFacebookに投稿した内容で満足し、総括は終わったと考えている節があります。あれでは総括になっていません。それはよくないので、本稿としてアップします。

『ビルド山梨』の開催目的とは、2024年6月29日に予定している地域クラウド交流会(ちいクラ)のキックオフです。

そもそも、この12月2日こそが、本来のちいクラの開催予定日でした。ところが妻の判断で延期し、新たに山梨県立図書館で予約し直しました。
ちいクラの参加予定人数から考えると、この日の会場であるコットンクラブさんがではキャパシティが足りないこと。そもそも妻のスケジュールから、12月開催が厳しいこと。

せっかく予約を取って押さえていたコットンクラブさんの場を活かすため、初めはkintone Café 山梨の開催も検討しました。
kintone Café 山梨は時期尚早という判断が運営メンバーの皆さんとの打ち合わせでなされました。であるなら、弊社主催でイベントを開催し、そこにちいクラに関わってほしいと思う方々に集ってもらい、交流を深めよう。それが今回の目的でした

前の日に突貫で資料を作り、当日、それを見事に説明しきったこと。
次のちいクラに向け必要となる方に来ていただき、その方々にきちんと説明ができたこと。今後の主要なメンバーの交流が図れ、信頼感も向上できたこと。
本当に上々な出来だったと思います。

が、ここでダメ出しをしておく必要があります。まず、上のような上出来の結果になったのは、妻の個の能力があったこと。参加者の皆さんの登壇協力とプレゼン能力があったことです。
これがなかったらかなりグダグダだったはず。ちいクラ山梨の開催にも悪影響を及ぼしかねないところでした。

2.悪かった点

最大の欠点は10日前まで事前の準備が全くできていなかったことです。

『ビルド山梨』は弊社で催したイベントなので、最終的な責任は代表である私にあります。
が、イベントの仕切りは全部妻に任せようと思ってました。なにしろ、ちいクラのオーガナイザーは妻ですから。

ところが11月になっても妻は動く気配がありません。たまりかねた私は、11月19日に家族で山梨の八ヶ岳に行く車中でその話を振りました。ところが芳しい反応がありません。娘たちとの話に興じている妻。おそらく、開催のイメージがつかめず、どうしたら良いかわからないので、イベント開催から逃避しているようにすら見えました。

これはまずい、このままでは間違いなく12月2日のイベントは失敗すると思いました。
そのため、その日から翌日にかけ、私から皆さんに登壇依頼を送りました。そして、相談内容をまとめ、当日のタイムスケジュールの素案も私の方で考えました。
信じられないことに開催の12日前まで誰になんの話をしてもらうのか、イベントの内容も含めて何も決まってなかったんです。


妻の個人的な能力はさすがです。前日から夜中までかけてちいクラの説明資料を突貫で作りました。そして、当日も見事にそれを話し、演じ切りました。参加された皆さんからも妻の話す能力の高さに印象を持ってもらえたと思います。

が、ちいクラは個人能力を出す場ではありません。全員で作り上げていくイベントのはずです。今回のやり方だと、当日に手伝ってくれるスタッフが準備不足で臨み、右往左往することになるのは必至。まず間違いなくやばいことになるでしょう。ここは猛省を促したい。

3.当日の様子

さて、当日の様子です。
私が登壇をお願いした方々の出番も含め、妻には開催の前日にスケジュールを再調整してもらいました。

会場のコットンクラブは80人は入れるキャバだったので、集まった15人は少し寂しい気もしましたが、それでもキーとなる皆さんが集って下さったと思います。
本当に皆さんには感謝です。


まずは妻から開催開始のご挨拶。


そして続いて藤野さんに一言ご挨拶をその場でお願いしました。
妻がちいクラ山梨を開催するにあたり、藤野さんと出会ったことから山梨での人脈つくりがスタートしました。藤野さんにはいろんな方を紹介してくださり、感謝しています。今後もちいクラ山梨には関わっていただきたいと願っています。

続いて会場にいらっしゃる方々に自己紹介をお願いしました。座っている場所の順番に。
山梨の大企業で活躍されている方、kintone Café 山梨の主催者、山梨の自治体にお勤めの方、サイボウズ社の社員、山梨に移住し起業されている方、山梨中央銀行に勤めつつ、地元の若手支援や山梨経済活性化をしている方、山梨に移住と会社移転を検討している方。山梨のこれからを担っていただく志のある方々です。


そして、妻によるちいクラの説明。
上にも書きましたが、話すことについては妻はさすがです。資料も前日に突貫で作ったにしては起承転結も備わっていました。


皆さんにもちいクラが何か、については伝わったのではないかと思います。
できる限り地域(山梨)の経済を回し、しかもそれを新たに起業したい、または起業して間もない方や企業が発展するための仕組み。
決して一企業(アクアビット)の利益のためではないもの。
妻からはなぜ町田に住むのに山梨で開催しようと思ったかについても話してもらいました。


続いて代表の私からは、kintone Café 山梨の開催から、よっちゃばれっ kintone 無尽の紹介に至るまで、この半年の山梨とkintoneコミュニティのかかわりを話しました。
ちいクラは主催は地域のオーガナイザー、つまり妻や弊社が主催するのイベントです。が、サイボウズ社がちいクラの仕組みを立ち上げ、協賛としても参加してくださっています。

そのkintoneのエコシステムについては会場に来られた方にも説明しておく必要があります。またどの程度山梨で活動を拡げているかについても。
ここで私からkintone Café 山梨の主催者であるあかねさんにバトンたっち。よっちゃばれっ kintone 無尽を立ちあげておられるあかねさんからそのあたりについて補足してもらいました。
続いて同じく主催者の小林さんにも。
お二人のお話から、山梨にkintoneエコシステムを拡げたい思いは伝わったのではないかと思います。あかねさん、小林さんありがとうございました。


続いては富士吉田市の小俣さんから「Cybozu Daysに登壇して」というタイトルで話していただきました。

私から登壇を依頼した狙いは、サイボウズさんの活動を知ってもらうことです。それにはそこに登壇した方に話してもらうのが一番。
皆さんにサイボウズ社が何をしている会社なのか、さらに情報を持ってもらえたのではないかと思います。

そして小俣さん自身が学んだ
アウトプットの大切さ
コミュニティの大切さ
は、ちいクラ山梨にも通ずる点があります。

小俣さんからは富士吉田市で行われる布の芸術祭のチケットを皆さんにご提供いただきました。私は残念ながらいかれませんでしたが、小俣さんありがとうございました。


続いては、富士吉田市に移住された西見さんから「山梨に移住してみて」というタイトルで語っていただきました。
夏の真鶴でのkintone Café 神奈川で初めてお会いしてから、Cybozu Days 2023の弊社ブースの懇親会にも来ていただいたり、他のkintone技術者コミュニティでもご一緒するなど、ご縁が深まっています。

私から登壇を依頼した狙いは、山梨の地域を活性化することがちいクラ山梨のミッションなら、外から流入する経済効果も考えておかねばなりません。それには実際に山梨に移住した方にその体験を話していただくのが一番です。実は弊社も我が家も山梨移住に向けて準備を進めています。
我が家の場合、甲府を念頭に置いていたのですが、西見さんには完全にロックオンされてしまいました。西見さんからはネタも交えて富士吉田への移住を何度も話中でいじっていただきました。甲府市役所の方もいる前というのに(笑)。
でも、西見さんの思いもわかるほど、富士吉田が住みよい場所だということは伝わってきました。本当に検討しています。実はこのイベントの二週間ほど後に実際に富士吉田に泊まりました。西見さんありがとうございました。


続いては、山口さんから。「外から見た山梨」というタイトルで語っていただきました。
山口さんと初めてお会いしたのも夏の真鶴のkintone Café 神奈川です。そこではワールドカフェのファシリテーターを務めていただきました。
その後、山口さんが山梨中央銀行にお招きされ、山梨でも何度も講師として招かれていることを知り、ぜひ外からの視点を話していただこうと思ったのでした。藤野さんともそこですでに知己であることも知っていたので、ここで話してもらうにふさわしいと。

ところが、私が想像する以上に山口さんは山梨にご縁がある方でした。藤野さんだけでなく、来ていただいていた甲府市役所のお二方ともすでに知己であったとは。
それもそのはず。山口さんは甲府市役所やCROSS BEでも講師を務められたとか。ほかにもさまざまな甲府の企業での研修ファシリテーターの経験をお持ちでした。私の期待以上に山口さんを今回お招きしたことがはまったことがとてもうれしかったです。

山梨の印象を「せまっ!」と一言でまとめ、その真意を「関係人口が多くてせまい → 「それ、やってみよう!」がたくさん生まれる」と覆して見せたあたりはさすが!

4.まとめと今後の交流


というわけで、無事にイベントも終わりました。ここで集合写真を一枚。

続いての、懇親会ですが、実は全く予定を決めていませんでした。
が、コットンクラブさんについてから急遽お店の方とお話をし、参加希望者を募ってある程度人数が集まるようでしたら、お店で簡単な懇親会の開催をお願いできないか聞いてみました。
すると、ご快諾していただいたので、皆さんに募ってみたところ、上の集合写真に登場した方は全員問題ないとのこと。

そこで13人で楽しくお話しさせていただきました。

コットンクラブさんには本当に急なお願いに対応していただき感謝です。素晴らしい音響と設備など、キックオフには十分すぎるほどの会場でした。
またライブでもお伺いさせていただきたいと考えています。

結果として、『おいでなって! ビルド山梨』は甲府市役所からこられたお二方が途中でご用事があるとのことで集合写真には写っていませんが、遅れてこられた方も含めて15名で楽しくやれました。

本日来られた皆さんは、ちいクラに何らかの形で関わっていただければと願っています。

そして、妻も4月の上旬が過ぎれば、縛られていたものから自由になるはずです。おそらく、ちいクラの準備にもまい進できることでしょう。
そうすれば、今回のように直前まで準備を全くやらない、といった状態からは改善されるはず。

そうすれば、きっとちいクラ山梨は成功するはずです。今日、妻が話している姿とそれを聞き入る皆さんの姿からそれを確信しました。

この先、kintone Café 山梨やよっちゃばれっ kintone 無尽などのイベントが予定されています。そして2024年6月29日は山梨県立図書館の1階交流スペースで地域クラウド交流会 in 山梨を開催予定です。
さっそくこのコットンクラブでのご縁をきっかけに次の展開につながったといううれしいお知らせもいただいております。この勢いで今後ともよろしくお願いいたします。


アクアビット航海記 vol.25〜航海記 その12


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/1/11にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

横浜ビジネスパークでの日々が始まる


私の記憶では、スカパーのカスタマーセンターに初めて出勤したのは1999年の5月連休明けからだったと思います。
当時、スカパーのカスタマーセンターは横浜の天王町にありました。横浜ビジネスパーク(YBP)という場所です。マリオ・ベリーニという建築家が手掛けたおしゃれで憩える池があり、よくプロモーションビデオにも登場しています。私も一度ロケの現場に遭遇したことがありますし、今思い出してもとても素晴らしい職場の環境だったと思います。

ところが私の記憶には、YBPの洗練された環境があまり焼き付いていません。
それは、仕事が激務だったからではありません。それよりも、東京に出て仕事をすることへの高揚感と緊張感に胸をふさがれていたからだと思っています。
当初は一人暮らしの気楽さと孤独を満喫していた私にも、いざ就職となるとやるべき雑務は重なっていきます。
さらに仕事上で覚えるべきことがあまりにも多かった。つまり余裕がなかったのです。

スカパーのカスタマーセンター。そこはスカパーの加入者様との窓口全般を行う場でした。
私が配属されたのは種々の申込書の新規登録を行う「登録チーム」でした。当時はまだ郵送経由による申込書がほとんどで、その申込書を何人ものオペレーターさんが一斉に端末に入力していました。
私はそのオペレーターさんを統括するスーパーバイザー(SV)として採用されたのです。SVという仕事が具体的に何をするかといえば、オペレーターさんが入力するにあたり、申込書に記載してある内容が不明瞭で判断に迷った場合に適切に指示することです。あと、作業の割り振りやペース配分、作業の指示なども臨機応変に行います。
カスタマーセンターにあるのは、登録チームだけではありません。
例えば届いた郵送物を仕分ける「受付チーム」もあれば、実際に申込書の内容が正しくない場合にお客様に不備として指摘する「不備チーム」もあります。他にも契約内容の変更を受け付ける「変更チーム」もありました。お客様の利用料金を管理する「料金チーム」も。それと実際の外部配送業者とやりとりする「物流チーム」も忘れてはいけません。そして、最後にそれらのチームをまとめる「運用サポートチーム」がありました。
スーパーバイザーの仕事には、そうしたチームとの連携も求められたのです。

もちろんカスタマーセンターの機能はそれだけではありません。
たとえば加入者様からの電話を受けつけるコールセンターの機能が要りますよね。他にも機器の設置に関するトラブルを管轄する部署や、電気屋さんなどスカパー契約を取り次いでくださる加盟店との連携を行う部署だって必要です。
要するにカスタマーセンターに求められるあらゆる機能が集まっていたのが私の職場でした。
あまりにも業務が多岐にわたるため、それを請け負う派遣会社も3,4社に分かれるほど。私が派遣登録したパソナソフトバンクという会社はその中の一社でした。
名前の通り、その会社は人材派遣大手のパソナと孫さんのソフトバンクが資本を大きく分け合っていました。
そして、パソナソフトバンクがスカパーのカスタマーセンターで請け負っていたのが「受付」「登録」「不備」「変更」「物流」「運用サポート」の各業務だったのです。

そんな大規模な現場で、SVとして覚えるべきことは多く、新たな環境をゆっくり楽しむ暇もありません。
そして、私がようやく仕事に慣れた頃にはYBPの景色自体を見飽きていました。そんな理由でせっかくの素晴らしい環境も、今に至るまで私の記憶に残っていません。今でも数年に一度はYBPの近くに行きますが、今度、近くを通った際はじっくりと訪れてみようとおもいます。

楽しかった日々


さて、事務仕事の要所を知り尽くしていた訳でもなければ、衛星放送の仕組みや業界も知らない私。当然ながら新規登録にあたっての入力ルールも現場に入ってから覚えていきました。だから、当初はとても危なっかしいSVだったことでしょう。入って2カ月は同僚の女性SVのSさんによく怒鳴られましたし。

その他にも、私が職場に溶け込むにあたっての苦労はいろいろとあったはず。それでも私はこの仕事をやめずに続けました。辞めるどころか、登録チームでの日々にはとても楽しかった思い出だけが残っているのです。

当時この文章を書いた私は既に四十を過ぎていました。今も四十台半ばを過ぎ、イタく絶賛老化中です。
なので、自分でこんな事を書くのは面映ゆいし、若い頃の武勇伝を語るイタいオヤジのようで避けたい。避けたいのですが書きます。なぜスーパーバイザーの仕事が楽しかったのかを。
それは、登録チームでの私はこれまでの生涯でもモテ期のピークだった、ということです。

登録チームのオペレーターさんはシフト制でした。毎日40人くらいのオペレーターさんが作業に従事していて、そのうち7割は女性だったように思います。オペレーターさんの中には主婦もいましたし、大学生や短大生の女の子もたくさん在籍していました。
見知らぬ土地に飛び込み、見知らぬ方ばかりの中で仕事をこなし、関西弁で指示を飛ばす。そんな私の姿は、オペレーターさんたちにも新鮮だったようです。
当時の私は25、6才の若手SV。しかも既に婚約していたため薬指には指輪をはめています。そのため、女性からも気軽に声を掛けやすかったのでしょう。
オペレーターさんとはよく飲みに行きました。ほとんどは男性オペレーターさんとばかりでしたが、中には女性オペレーターの飲み会に私だけ一人男、ということもありました。
でも、過ちは起こしませんでした。ここで調子に乗っていたら、今の私はないはずです。
私の人生は失敗の方が多いのですが、それらの失敗が人生を台無しにしなかったのは、この時のような肝心な時に分相応をわきまえてきたためだと思っています。
どれだけ羽目を外しても、期待を裏切っても、信頼を裏切らない時点で踏みとどまること。これはとても大切なことだと思います。
“起業”しても人は傷つけませんが、浮気は人を傷つけます

念のためにいうと、こんなことを書いている私は聖人君子からは程遠い人物です。
この頃の私は若さゆえ、しょっちゅう羽目を外していました。
たとえばオペレーターの皆さんとはよく横浜西口で飲んでましたが、その界隈では何度も人事不省に陥りました。
オペレーターさんたちの前でSVらしからぬ醜態をさらすことなどしょっちゅう。植え込みへとダイブしたり、あれやこれや。

なにせ失うものは何もない独り暮らし。しがらみもなければ体裁を取り繕う必要もない日々だったので。それもこれも含めて登録チームでの半年はとても幸せな日々でした。今も懐かしく思い出します。

Excelで名乗りを上げる


そんな登録チームでの日々の仕事で、私は技術者となるための最初の足がかりをつかみます。それは集計の作業がきっかけでした。
SVの仕事の一つにチームの状況を把握し報告する作業がありました。件数の集計は状況の把握に欠かせません。例えばその日登録された申込書は何枚あり、それがどの種類の申し込みかを数えて集計する作業です。
具体的には、各SVが手分けしてその日に作業した申込書の枚数を数え、それをエクセルのシートに入力する。そして入力した内容を印刷し、翌朝までに運用サポートチームの集計担当に提出する。
これらの作業は絶対に必要で、しかも面倒でした。

エクセルに誤った数字を入れては運用サポートチームの集計担当に怒られる。そんな事が続いたある日、私は登録チームのSVのミーティングの場か何かで提案しました。もしくは直接シニアSVのMさんに提案したか。
きっかけはどちらだったかは忘れましたが、私がした提案とはエクセルへの入力の仕組みを省力化してはどうかというものでした。その仕組みは私が作るから、と。

その仕組みとは、今から思うとたわいのないものでした。月の各日ごとに行が連なる横罫の表。例えば1月の集計表ならば、見だしに1行、各日ごとに31行、そして合計行に1行といった感じです。どこにでもある月単位の集計表です。
その表へ直接入力していた作業が間違いのもとだったので、私が施したのは表に直接入力するのではなく入力用のシートを別に作ることでした。
SVは業務後に入力シートにそれぞれごとの件数を入れ、ボタンを押します。そのボタンにはマクロを仕込まれていて、マクロが横罫の表に正確な値を放り込んでくれます。

この仕組みこそ、私が芦屋市役所の人事課で覚えたマクロを思い出しながら作ったものです。
芦屋市役所を1997年に離れてから約1年半以上。その間、私はマクロを全く触っていませんでした。以前にも書いた通り、その頃の私はプログラミングに全く興味がなかったからです。
ところがかつてSEの方から盗んだ技術を思い出しながら造った集計表が、登録チームの業後の作業時間と手間を短縮し、ミスも劇的に減ったのです。
そして、この実績が私に道を開きます。その道は統括部門である運用サポートチームに続いていました

次回は、運用サポートチームに行ってからの私と、結婚について少しだけ触れたいと思います。ゆるく永くお願いします。