7月13日に三島市で行われた「CLS三島らへん」に参加しました。
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CLS三島らへんの構想が発表されたのは、CLS道東の場においてです。私はそのCLS道東に参加していました。その発表があったとき、CLS山梨の構想を温めていた私は『ああ、先を越された!』と思いました。
CLS山梨というのは、私がCLS高知やCLS道東に参加する中で、おぼろげながら考えていた構想です。弊社主催で開催する甲府地域クラウド交流会(ちいクラ)が成功すれば、その勢いでCLS山梨も開催できるのではないかと考えました。
ところが、妻が別件で忙しく、オーガナイザーとして主導するちいクラの準備に影響が出ることは確実でした。そのため、ちいクラの開催時期を妻が落ち着いた後に延期せざるを得ませんでした。
結局、甲府地域クラウド交流会は6月29日(今回のCLS三島らへんの2週間前)に無事に成功しましたが、私の中ではCLS山梨の構想は断念せざるを得ませんでした。

なにしろ、CLS三島らへんは、「らへん」という秀逸なキーワードで三島だけでなく周囲の街も巻き込むことに成功しています。
スライドによると「三島らへん」の範囲は東は小田原から、西は焼津あたり。北は御殿場、南は下田辺りまでを含むそうです。
山梨はその範囲にぎりぎり入っていないとはいえ、CLS三島らへんをさしおいてCLS山梨を立ち上げるのはさすがにためらわれる状況でした。

もう一つ、CLS三島らへんの開催が、私が運営側の一員として企画に関わっていた「CASOミーティング in 真鶴」のコンセプトに大きな影響を与える可能性があると考えました。
昨年の夏、kintone Café 神奈川を開催した真鶴のイベントの勢いを活かし、その時のメンバーで真鶴で次なるイベントを立ち上げようと準備していました。そのイベントは「CASOミーティング in 真鶴」と名付けて、8月24日の開催に向けて準備を進めています。
CASOミーティング in 真鶴
「三島らへん」に含まれる真鶴で「CASOミーティング in 真鶴」を立ち上げるにあたり、どういう立ち位置を確立するか。CLS三島らへんとはどう差別化をするか。CLS三島らへんの内容によっては、コンセプトを練り直す必要があると考えました。

そうした事情があったので、今回のCLS三島らへんはぜひ参加したいと思っていました。また、参加する必要があると感じていました。

もう一つの理由は、個人的な感傷です。かつて妻の祖父母が持っていた山の家が函南にあり、よく三島にはよく来ていました。
その山の家は15年ほど前に売却しました。そのため、三島らへんによく来ていた私も、売却後は訪れる頻度がめっきり減ってしまいました。
さらに、私はひょっとしたら三島らへんの住民になっていたかもしれません。山の家を売るさらに以前、私は家を探す必要に駆られていました。ある日、裾野に住んでいた妻の親友の下に遊びに行った際、偶然出会ったその地の不動産屋さんにかなり熱心に裾野への移住を勧められました。この時、私も心が揺れ動きました。
この時、何かの拍子で私も三島らへんの住民だったかもしれません。そして今頃はコミュニティにがっつり入っていたかもしれません。

函南や三島に頻繁に来ていた当時の私は、コミュニティーというものにそれほど興味を持っておらず、そもそもkintoneにも出会っていません。
三島のうなぎがおいしかったことや、柿田川湧水の水が綺麗だったことは印象に残っていますが、今の三島の街やコミュニティーがどんな状況なのかは知りません。
上に書いたようなご縁もあったため、今の三島は実際に見聞したかったのです。それも今回CLS三島らへんに来ようと思った理由です。

CLSは、数日前から始まるワーケーションが名物であり、恒例行事です。しかし、今回は都合がつかず、前夜祭にも参加できませんでした。さらに、二次会も仕事の都合で辞退せざるを得ませんでした。
泊まりを前提にしないと、前夜祭の参加は難しいかも。


ただ、CLS道東やCLS高知と違い、CLS三島らへんは、自宅から電車1本で気軽に来られるのがありがたいです。


三島には少し早めに着いたので、まだ訪れたことのなかった菰池公園から水辺のルートを歩いて白滝公園へ。
三島は水が綺麗なことが他の街にない利点です。東京にも国分寺と言う水の美しい場所がありますが、三島はそれよりも数段水に恵まれていると感じました。富士の恵みは偉大です。


さて、会場に向かいます。
会場の三島市商工会議所はかなりオープンな感じ。夏祭りのような雰囲気でふらっと入りやすい雰囲気なのがよかったです。
早めに受付を済ませ、暑いので横のスペースで涼んでいました。そこを通りがかる方の何人かは、CLSやその他のイベントで出会った知人です。その度に挨拶をしました。CLS人脈というやつでしょうか。


今回、私はCLS三島らへんには、あわえ社の三宅さんと二人で参加しました。
三宅さんは、上に書いた真鶴のイベントを一緒に運営する方です。元と言えば、あわえさんとのご縁もCLS高知から始まっています。そのため、CLS三島らへんとCLS高知のご縁がここで繋がった感じですね。
三宅さんと合流した後は、入り口に設けられていた試飲ブースで三島のジンが振る舞われていたので、私も早速一杯いただきました。これは美味しいですね!


ジンの試飲の列に並んでいる間にCLS三島らへんが開会しました。私たちは、スタッフの皆さんがお揃いのTシャツや提灯で盛り上げる後ろから、するりと中に入場しました。会場は既に満席です。


まずは、「What is “CLS”?」というタイトルのセッションから。CLSのことをあまり知らない三島の方々に自己紹介も含めてのセッションです。

私もCLS道東こそ皆勤で参加していますが、発祥の地であるCLS高知には一度しか行ったことがありません。そのため、CLSについては語れるほどの知見は持っていません。
ただ、私にも分かるのが、コミュニティ・マーケティングの実践と交流の場としてCLSの内容が練り上げられて来たことです。
イベントを企画する際に、CLSで得た知見がどれだけ参考になったことか、私にとっても計り知れません。
三島の人たちにもCLSの趣旨が伝われば良いと願います。
登壇した川村さん、藤田さん、琴絵さん、ありがとうございました。


続いてのセッションは、「行動の連鎖を作る、コミュニティデザイン術」と言うタイトルで、CLSを創始した小島さんから。
点と点がつながり、それが線になり面になり、地域を巻き込んでいく。そういうコミュニティ・マーケティングの世界のトップランナーである小島さんからは、分かりやすい事例を含めて教えていただきました。
自分が普段考えていることを、伝わりやすく言語化していただく。私が普段、kintoneの導入支援の中で行っていることです。
ただ、私はコミュニティ・マーケティングについては言語化できていないことに気づきました。これは言語化が必要だと感じました。

もう一つ考えさせられたのは、本を出すことの強さです。その界隈で第一人者となるためには、書籍という形で世の批判の洗礼を浴びなければならない。
洗礼を浴び、批判を覚悟で登壇する方は本当に強いと感じました。

小島さん、ありがとうございました。


続いてのセッションは「CLSビフォーアフター #きっかけはCLS ぶっちゃけCLSに参加してみてどうだった?」です。
私の場合、参加してみてどうだった?は、以下の通りです。
・CLSに参加したことで、自分にとって旅好きの原点である道東がますます好きになった。
・旅をしながら仕事をするための知見を多く得られた。
・コミュニティ運営や立ち上げの事例は、先日弊社で主催した地域クラウド交流会の企画に活かせた。
・各地のkintone Café 参加とCLSへの参加は、地方に関心のある私と弊社としての認知に繋がった。

パネリストの皆さんもCLS道東やCLS高知をきっかけに人脈を作り、今回の登壇につなげておられます。
仕事しながら旅がしたい。人とつながりたい。そのような価値観で一致する皆さんが、その価値観を受け入れられ、さらにコミュニティで活躍できる場が提供される。それによって新たな自分の可能性に気づき、活動範囲を広げる。素晴らしいことです。

旅をしながら仕事をするワークスタイルは、私にとっては必要に駆られてのことでした。
毎日、同じ職場に出勤し、同じ職種の方たちとのつながりに終始する日々。旅がしたくても、土日に地方に向かえば渋滞に苦しむ。その苦しみからどうしても逃れたかったのです。
旅をしながら仕事をするノウハウを会得し、旅を通じて地方にきちんと還元するマインドを持つ。そうすれば、仕事と旅は両立できます。その実践者がたくさんCLSには集まっています。
私もCLSに参加する中で、自分にとって望ましい人生が目の前にある、と刺激を受けました。

この場には、同じ価値観の人が揃います。そのような同じ価値観の方が集まる場にひょいと入ることに抵抗がある。同調圧力を感じる。そういう人がいるのはわかります。
かつての私も同じでしたから。
20代30代までの私は、こういうコミュニティーへの参加が苦手でした。もともと躁鬱の揺れがあったので、躁状態の時はイケイケでコミュニティに入れるのですが、そうでない時は無理でした。
娘たちが生まれ、学童保育のパパ達との交流によって、徐々に情操が落ち着いた私。
当時は仕事が猛烈に忙しく、精神的には低空飛行の時期でしたが、コミュニティに救われました。
ただ、娘たちの成長につれそのコミュニティーも解体してしまいました。

私も鬱状態の時はコミュニティーが苦手と感じていたので、こうしたコミュニティーから距離を置きたがる人たちの気持ちも理解できます。
ですが、上に書いた通り、私の望む人生を送るためには、躁鬱だろうが関係なくコミュニティに足掛かりを作るしかありません。
私のような望みを抱く人は他にもいることでしょう。コミュニティのような場に出たがらない人たちの気持ちもよくわかりますが、一歩踏み出すことで人生は変わります。
私の今後はこういうコミュニティーに少しでも興味を持ち、人生を変える人を増やすためにあると思っています。
パネリストの藤田さん、中西さん、グラント愛さん、モデレーターの大橋さん、ありがとうございました。


続いては、三島市観光協会の西原会長からのご挨拶。
CLSのような新しいコミュニティーの取り組みと、既存の自治体、自治会、観光協会の取り組みは果たして対立するものでしょうか。
私は違うと思います。
新旧の仕組みを取り混ぜるのが本筋だと思ってます。
今回、こうして観光協会の方に登壇してもらったのは素晴らしいと思います。他の地域のコミュニティでも、地元の観光協会は積極的に巻き込み、参加を歓迎すべきだと思います。
西原会長ありがとうございました。


続いてのパネルディスカッション「越境がもたらす個人化とコミュニティへの効能
~依存と固定化からの脱却の為のヒント~」
は、今回のCLS三島らへんのメインコンテンツと言えるかもしれません。少なくとも私にはそうでした。

越境と言うキーワードは、私も今まで何度も目にしてきています。
今まで作り上げてきた自分の枠。その境目の外に超えることが越境です。自分の枠の外に活動範囲を広げることで、自分の知見とスキル、人脈は広がります。

私も越境によって人生が変わったと思います。
私自身の経験からも、越境をするかどうかによってその人の人生が変わるといってよいと思います。
一方、越境せよと言われてもそのやり方がよくわからず、勤め人の立場のまま悶々としている方も多いはずです。


越境の実践方法が各パネラーの皆様によって披露されました。
法政大学の石山教授は、社会人大学院の授業の最中に、リモートでつないでお話ししていただきました。
お話しされている以外の時間もリモートで接続していたようです。つまり、社会人大学院の授業にCLSのセッションを見聞するのふさわしいということです。

上でも書きましたが、本を書く人は本当に強いです。
研究成果を世に問い、世の批判に晒されながら、自らの論をブラッシュアップし続ける。研究者も本を出して世に問うてようやく一人前なのでしょう。私にとっても刺激になりました。

石山教授のお話しするスライドの内容もとても勉強になりました。
私自身が無意識にやってきたことが、このように言葉として表されると、より一層知識として定着します。
逆を言うと、コミュニティーに対する拒否感を示す方の言い分もより腹に落ちました。
コミュニティへの参加は決して無理強いするものではありません。それぞれの方が、自分の最も生きやすいやり方を選べば良いのです。ただ、残念なことにこうした方法で世に出られることを知らない方、またはコミュニティに対して偏見を持つ方もいます。もったいないことです。

先のセッションでも中西さんという実践者による越境を日本の伝統的な大企業(JTC)から試みる努力が紹介されました。ただ、既存の企業には企業の外に越境する動きについていまだに懐疑的、消極的であるようです。
コロナはリモートワークに市民権を与えました。そして、JTCであってもリモートワークを許容する流れが通じました。かつては異端児として肩身の狭かった働き方が珍しくなくなってきました。
このセッションの中でも、各地を自在に飛び回ったり、官民を超えて転籍し、三島へ移住して都内の企業で働く事例が紹介されました。多分、私も外から見ればそういう一人にみなされているのでしょう。


私が個人的に刺激を受けたのは、三島に蒸留所を作って活動するWhiskey&Co.株式会社を率いる大森さんのお話です。弊社は社名にアクアビットというお酒の名前を冠しています。私自身、蒸留所で働くことは若い頃からの夢でした。そして今、クラフトディスティラリーが各地にできていて、私も旅をした際には訪れ、自分の夢がさらに蒸留所設立にまで実現できるかもしれないとの希望を持っています。
大森さんによると、越境によってその地のインサイダーとして入れたとしても、あくまでアウトサイダーとしての視点を忘れない立ち居振る舞いとのこと。感銘を受けました。
もともとの越境のきっかけは人によってさまざまでしょうし、越境の実践方法もまちまちです。刺激となりました。
私も、個人としては越境してきたことで今があります。次は、私が構築した会社が、組織全体で越境するにはどうすればいいかを考えたいと思います。この先の生成AIの進歩の方向によっては開発会社というあり方では生きていけない可能性も考えておかないと。

前述のように、もしかしたら三島らへんに住んでいたかもしれない私。
町田に住む今、いろんなコミュニティに参加するようになりましたが、それはこの数年です。三島らへんに住んでいたら、もっと早く越境できていたかもしれない、という感慨を持ちながら、このパネルディスカッションを聞いていました。
今からでも、社会人大学院という越境も選択肢の一つとして認識できたのは収穫でした。
パネリストとインプットトークの石山教授、パネリストの大森さん、宇野さん、古地さん、小嶋さん、モデレーターの高嶋さん、ありがとうございました。


続いてのライトニングトークは、6名の方によるもの。三島らへんと名付けた狙いがビシバシと刺さりました。
CLS三島と名付ければ、三島の持つ街の課題に焦点が当たり、解像度も上がったでしょう。ただ、三島らへんと名付けたことにより、三島への解像度が落ちた一方で、周辺の街で様々な取り組みをされている方からの刺激や流入が三島をよりバージョンアップさせるかもしれない。そんな可能性に満ちていました。あらためて「らへん」とは秀逸なネーミングだと思いました。

三島、沼津、熱海、焼津、小田原、富士宮。どの土地も私は訪れたことがあります。ですが、LTの皆さんより紹介された取り組みは全く知りませんでした。あえて言えば熱海の復活を多少は知っていた程度でしょうか。

CLS三島らへんと、らへんを付けた意味がここに生きてきます。
もし、CLS三島という名前だったとすればどうでしょう。開催によって、確かに三島の魅力は向上するでしょう。ただし、三島だけ突出して魅力が増える結果になってしまいます。それも不自然です。
三島も含めた駿東地域、西湘や伊豆が盛り上がり、三島もそれに底上げされて盛り上がるのが理想です。だからこそ三島らへんなのでしょう。
よく考えてみると、CLS高知の高知とは、高知市ではなく高知県を指しているでしょうし、CLS道東は道東全体が対象で釧路市のみを対象にはしていません。そもそも、CLS三島では相応しくないのです。ただ、CLS駿東かCLS静岡というネーミングの場合、浜松は?小田原は?となってしまいます。だからこそ、三島らへんという言葉が効いてくるのです。素晴らしいですね。
ライトニングトークで話していただいた市来さん、土肥さん、小松さん、神田さん、宇田川さん、寺田さん、ありがとうございました。

ここに来て、私にとっても真鶴でイベントをやる意味が見えてきました。CLSよりも広い範囲ではなく、市区町村の範囲にあえて境を設けてみる。境を設けることで、越境の意味もより明確になる。

ここで、休憩の後、本来は大議論会に参加するはずでした。
が、その前の休憩で、私と三宅さんとで、真鶴のイベントに対する意見交換に熱が入ってしまいました。議論の間に、会場内では班決めがされ、議論が始まっていました。
なので、私も三宅さんと引き続き真鶴のイベントについて議論していました。
CLS三島らへんのスタッフの皆さんの熱気や一体感は本当に見習うべきものです。ここまでの組織を作り上げるのに、何回リアルで議論を続けてきたのでしょうか。真鶴のイベントでも負けないようにしなければ、と励みになります。


さて、集合写真を撮ってCLS本編は終了。
今回も学びになりました。



また、懇親会は同じ会場に料理がケータリングされまして。これがまた豪華!お酒も料理も!おいしくいただきました!
また、懇親会では本編では会話できなかった方々ともお話しすることができました。

残念ながら、私は二次会はパスして帰りました。というのも、数日前に登壇のご依頼をいただきまして、その登壇のタイミングがCLS三島らへんの三日後だったのです。登壇資料が全くできておらず、帰ってからかなりの割合を仕上げました。

その代わり、翌日の日曜日はアウトプットの必要を、それも本という形で世に問うことの重要性を感じたので、文京区の森鴎外記念館を訪れ、いろいろとインプットの続きをしてきました。

また、来年のCLS三島らへんには可能な限り参加したいと思います。
皆様、ありがとうございました。


2 thoughts on “CLS三島らへん#1に参加してきました

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