「長崎」という名を聞くと、日本史に興味を持つ者の心には、様々な想いが湧く。それは、荒ぶる戦国の中に宗教に救いを求めた衆生に対してであり、世界の宗教史でも特筆される真摯な殉教者たちへの共感であり、国論が揺れた幕末に海外に雄飛を企んだ英傑についてであり、一発の原爆に生を断ち切られた被爆者達が被った運命への憤りであり。

長崎が被ってきた歴史の波は、重層的で、かつ荒いように思える。

本作では、現代の長崎に生きる人々を描く。彼らは、何を心の裡に抱え、過去の出来事にどう苛まされ、どこへ行こうと望み、誰と将来を歩もうするのか。それらの思いを淡々と、丹念に描く。

冒頭、主人公の母が心臓発作でなくなる。その悲しみに心を乱されつつ、過ぎてゆく毎日を生きてゆく北乃きいさん演ずる主人公。そして、5歳の娘を亡くして1年、悲しみから立ち直れないままの稲盛いずみさん演ずる高森砂織。本作はこの二人の女性の受難と再生がテーマである。が、そのテーマを補強するようなエピソードも複数流れている。それは、辛い被爆体験を殻に閉じ込めたままの高森砂織の両親の告白であり、柳楽優弥演ずる主人公の幼馴染の、離島の貧窮の現実からの脱出である。

登場人物たちの再生が、8月9日に起こった複数の出来事によって、どのように成し遂げられていくか。彼らの再生は、長崎の歴史とどうやって折り合いをつけるのか。

本作では複雑なテーマを扱うに当たり、御涙頂戴的な演出や、原爆投下後の酸鼻な衝撃写真も極力避け、淡々とした描写の中で感動と余韻をもたらす。

原作は未読である。が、パンフからの情報によれば、原作では6話の連作短編であり、それらを本作にまとめ、しかも主人公は映画独自の登場人物という。もはや小説とは別の、新たな作品の創造といっても過言ではないかもしれない。

今回は、友人の高校時代の同級生が日向寺監督ということで、本日、初日の舞台挨拶にお招き頂いた。監督並びに俳優の皆様、音楽担当の小曽根さん、小柳ゆきさんと、同じ空気を共有させてもらった。素晴らしい時間を共有させてもらったことに感謝。お招き頂いた友人にも感謝。

追記・・・1ヶ月ほど前、NHKの取材班の手による「原爆投下 黙殺された極秘情報」を読んだ。その中で明かされたのだが、九州方面にボックスカーが飛行していることは、事前に日本の情報班ではキャッチしていたとか。それを読んでいただけに、なおさら本作の淡々とした描写が心に沁みた。

舞台挨拶付 2013/7/20 東劇


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