写真 2016-04-12 0 08 23

レジャーに行くなら山と海どっち? よく聞かれる話題だ。しかし、この話題に軽々しく応えてはならない。なぜか。場合によっては、この答えがプライベート上の付き合いを左右しかねないからだ。

大抵、このような質問をする方はどちらかの嗜好に偏っていることが多い。海と山両方が同じぐらい好き、という方にはまだ巡り会ったことがない。この質問に対する答えは、今後のお付き合いに大きく影響すると思っておいたほうがよい。

なので、こういった質問に対して軽い気持ちで答えてはならない。質問してきた方は、一見しただけではそういう拘りを持たない方に思えるかもしれない。でも、皆が皆、(海が好き!)と大きく書かれたTシャツを着ている訳ではない。たとえそう見えなかったとしても海好きの方に軽々しく「あの、、、山が、」と遠慮がちに答える。それだけで、今後の付き合いにわずかな隙間が生じることは保障する。

これが明らかに機嫌を損ねるのならまだいい。しかし、海彦山彦は大抵、大人なのだ。だから始末が悪い。大人は相手の趣味嗜好をきちんと尊重する。相手の嗜好に立ち入らないのが大人の嗜みだから。でも、海好きの相手の場合、相手が山好きであることがわかった場合、表立った非難や不満を一切表さずに、海系のイベントには呼ばれなくなる。逆の場合もまたしかり。残念なことに。

海好きを好きでもない山には呼ばないし、山男を海に連れ出すような無粋な真似は控える。皆、大人だから。大人は相手の趣味嗜好を尊重するからこそ大人なのだ。

さて、本書は山についての名著である。当ブログでこのような本を持ち出すからには、私が山派であることは言うまでもない。

しかし、私は元々は両刀使いであった。海に行けば自らを大いに焼き上げるまで離れない。ビーチバレーにいそしみ、磯に潜ってウニを突き刺し、沖の浮きまで泳がずには気がすまない人だった。かつての私は年中焦げていたので、黒さに関するあだ名には事欠くことがなかった。子供の頃から大学を卒業するまで、兵庫、京都、福井の海に親しむ海人こそが私だった。

しかし、四十歳を迎える頃になって自分の嗜好が山に向いていることを認めねばならなくなった。その自覚は薄っすらと30歳の頃からすでに持っていたのだが、それをはっきり自覚したのが以下に書く出来事だ。

今から、十年近く前、家族ぐるみで付き合っていた方より、船釣りの話を頂いた。早朝、葉山漁港から船に乗り、烏帽子岩を回り込んで、釣りに興じた一日は、実に楽しかった。しかし、その後のどこかのタイミングで、そのお誘い頂いた方は、私に「山と海どっち?」という質問を投げてきた。そして私は正直に「実は山の方が、、、」という回答を返してしまったのだ。嘘が付けない私の過ちであるといえる。結果は冒頭にあげた通りだ。それ以来、釣りにお誘い頂いていない。10年間。

しかし、そうやって応えたことにより、私の意識は山に向いた。元々、幼少の頃より六甲の山々は家族ハイキングの定番コース。冬の金剛山にも連れていかれたこともあるし、冬山はスキーのゲレンデとして何度も登山と下山を繰り返したものだ。つまり山好きになる素地はあったのだろう。

しかし、山を攻略する機会は全く持てていないのが現実だ。そうしている間に不惑の年を迎えてしまった。関東に来てから上った山といえば、精々が高尾山や、丹沢の二の塔、三の塔が関の山。

一方で、不惑の歳になってから、滝の魅力に惹かれるようになった。今では独り、旅先で滝を求めて歩くまでになった。こうやって書いていても滝に行きたくてうずうずする自分がいる。滝の魅力については別にブログに著そうと思っているが、滝の前にいると1時間でも2時間でもいられる自分が不思議だ。なぜ、これほどまでに滝に惹かれるのか、自分でもわからない。

滝を求めて山道を歩くことは、すなわち山登りと一緒。そんな境地に至っている。あちこちの滝を巡るには、その滝を懐に抱える山を極めることと同じ意味。一度山についての本を読んでみようと思った。それならまず、山の名著として不朽の名を背負う本書に手を出してみるのが定石。

さて、前書きが長くなった。前もって断っておくと、私が本書で取り上げられた日本百名山のうち、登頂を果たした山は皆無である。ゼロ。

全く山に関してはハイカーレベルの初心者が私。しかし、本書で取り上げられた山々を称賛する著者の言葉には、心をくすぐられる。著者は実際に百山全ての頂を踏んでいる。説得力が違うし、まだアルピニストやクライマーが珍しい昭和初期から登山に取り組み、山登りがレジャー化する高度経済成長期においては登山に対する識者となった。その立場からの知見、意見が本書には散りばめられている。特に、登る人のまれな孤高の名峰を語る時、著者の筆は実に楽しそうだ。まだ登ったことのない私にも、その魅力は充分に伝わった。

本書を読み、せめて日本二百名山くらいから登ってみようと恋い焦がれる日々を送っている。

先日、とあるご縁から某県の山岳会員の方と飲む機会があった。2016年はその御指導の元、山デビューを果たしたいと思っている。

あとは、残り少ない人生で、どれだけ登れるか。富士山、甲斐駒ヶ岳、曇取山、大山、木曽駒ヶ岳、八ヶ岳あたりは登るまで死ねない。まだまだやりたいことのありすぎる人生。自分の人生を納得して死ぬための目標として、登山は値するのではないかと思っている。決して安い趣味ではないことは承知の上で。

大人として、相手の趣味を尊重することはもちろんだ。だが、その前にまず自分自身が趣味人としてある程度の域まで達しないことには、自分自身も尊重できなくなってしまう。残り何十年の人生で、まずは2016年、一歩を踏み出そうと思う。

‘2015/5/9-2015/5/13


2 thoughts on “日本百名山

  1. 水谷 学

    大河ドラマのおかげで信濃の国人衆への興味がさらに深まっています。はまるきっかけになった仁科氏は、言うまでもなく合戦屋シリーズに出てきた仁科道外(盛明)ですが、道外は史実でも武田氏に臣従し、塩尻峠(勝弦峠)の戦いで小笠原長時を裏切っています。仁科の嫡流は、明盛(Wikipediaでは盛明となっているが、仁科神明宮の棟札では明盛が正しい)⇒盛国⇒盛能⇒盛康⇒盛政の流れの中の盛能(盛明)が道外比定されることが多いのですが、仁科の傍流であるという意見が根強いので、最近調べてみたら、盛国の弟の盛慶が生坂村の丸山氏の養子となり、その息子の内の一人が出家して道外と名乗っていたという結論にたどり着きました。遠藤吉弘のモデルは青柳清長だと確信していましたが、生坂村の丸山氏というのも場所的に小説の舞台には近いので、モデルの選択肢としてありかなと思い始めています。昼休みには信濃國の古文書(いわゆる一次資料)を読み漁っています。

    ところで仁科氏は、わだつみと呼ばれる海神族の流れですが、海の神が大山咋と言われる山の神だとか、山という言葉自体海を指すとかなんだか訳が分かりませんが、海彦山彦の神話は真実らしいですよ。個人的には山好きなので山城に傾倒するようになる素養はあったのだと納得しています。

    山幸彦=彦火火出見尊
    龍宮の主=わたつみの神・豊玉彦の娘 豊玉姫

    今年はとにかく仁科氏を徹底的に追いかけていくつもりです。もちろん諏訪氏、滋野一族、ミシャグチ、妖怪、鷹匠、巫女、修験道、能、茶、禅、剣術、絵画など古代から室町時代にかけての文化的な研究にも時間を割いていくつもりです。

    ところで最近図書館で偶然にも人生を変えるような出会いがありました。海道 龍一朗氏の「室町耽美抄 花鏡」です。石田衣良が帯で「この作品は、作家にとっての画期となる存在だ」というのが言い得て妙です。世阿弥、金春禅竹、一休宗純、村田珠光が至高の輝きを放った室町文化を高らかに書き上げています。一番気になったのは、中沢新一氏の「精霊の王」に収録されていた金春禅竹の翁に関する秘伝書とされる「明宿集」がさらりと記載されていたことです。ミシャグチの研究を室町文化に結び付けるのは、金春禅竹しか手段がないなと最近気づき始めています。

    1. 長井祥和 Post author

      水谷さん、おはようございます。

      山はこういう人々の昔からの営みを高みから見下ろしていたんでしょうね。人々が神と見なしたのも良く分かる気がします。

      私も信州の山々についても、はやく上から見下ろせるよう、登山技術を磨きたいものです。

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