本作は、映画館で見たいと思っていた。
それは、事前の宣伝で「地獄と平穏の境目を音だけで表現する」と聞いていたからだ。

境目とは、アウシュヴィッツ強制収容所の壁のことである。
人類史上でも最悪の所業とされるホロコースト。その実践の場として名高いアウシュヴィッツ強制収容所。その恐るべき収容所と壁を隔てた隣家には、ある一家が平穏に過ごしていた。この落差こそが本作の肝である。
音に焦点を当てた本作は劇場で見るべきだと考え、公開終了間際になって映画館に駆け込んだ。

冒頭、黒いバックに白地のタイトルが横に並ぶ。「The Zone of Interest」。関心領域だ。
背後は黒一色。徐々に白地のタイトルはフェードアウトするが、その速度は遅い。やがて白地は黒に溶け、黒一色の画面が表現される。それが数分続く。
私はこの時、あまりにも黒い画面が続くので、映写機が故障したと思いかけた。しかし、背景には自然音が流れている。
その音はやがて、小鳥の声として認識できた。

数分の間、黒い画面をバックに音が流れる演出は、本作が音を重視する作品であることを観客に示す。

やがて画面は明転し、鳥の囀りから連想されるとおり、森の中の映像が映し出される。一家がハイキングしている。休日を堪能する一家ののどかな様子。仲睦まじい家族の平和な休日。

一家の日常が描かれるにつれ、観客には徐々に違和感が生じる。
常に背後で流れている重低音や時折聞こえる犬の吠える声。一家の飼っている黒い犬、おそらくグレートデーンだろうか。その犬が吠える声ではないようだ。どの犬が吠えているのだろうか。さらに、時折響く怒鳴り声。そして、たまに鳴り渡る乾いた破裂音。

観客は、この一見平穏そうな家庭の隣に広がるのがアウシュヴィッツ強制収容所であることを知っている。
家の主人が出勤する場面では、強制収容所の門が家のすぐ目の前にあることが示される。アウシュヴィッツに隣接した場所に家を構えるとはいえ、そのあまりの近さに絶句する。
家の主はルドルフ・ヘス。単身英国に亡命飛行した同名の人物ではなく、アウシュヴィッツ強制収容所の初代所長として知られている人物である。

この一家のおかれた環境の異常さは、現代日本に同じような場所が存在しないことからもわかる。
強制収容所とは、牢獄、処刑場、強制労働所、火葬場、そして人体実験場が一体となった場所である。そんな場所は今の日本にはどこにも存在しない。

本作には、アウシュヴィッツで死ぬ運命にある人々の姿はほぼ出てこない。一瞬だけ、草むらの中を連行される囚人たちの姿が映し出される。だが、それ以外は全く中の様子は見えない。
見えないが、命乞いをする囚人の哀れな声、威圧的な看守の声、そして犬の吠え声と重低音、さらに貨車の音は雄弁に語る。死ぬ運命にある人々の絶望と苦しみを音だけで表現している。

本作の恐ろしさとは、そうした音が当たり前に流れる環境にあっても、人間としての快適さを求める本能にある。
人間としての快適な環境とは、比較できる対象を知る大人には抗いがたいものである。塀の向こうで恐るべきことが進行していると知っても、目の前の快適には抗えない。しかし、子供はどうだろうか?
赤子のアンネグレットは本作において、終始泣き叫んでいる。「気の強い子」と彼女を表現する台詞が本作にも出てくるが、おそらくそれだけではない。赤子の鋭敏な感覚が、塀の向こうからの不穏で抜き差しならない邪悪な気配におびえ、泣かずにはいられないのだろう。むずかるアンネグレットの泣き声は観客も家族も苛立たせる。その苛立ちこそが、この環境の異常な平穏さの証しなのだ。
より恐ろしいのは、成長しつつある他の子供たちが、隣の邪悪な雰囲気に少しずつ慣れていく様子である。比較対象を知らない子どもは、身の回りの環境を異常とは思わない。
朝から晩まで泣き叫ぶ妹。時折響く銃声。囚人や看守の叫び声。そして燃え盛る炎と吹きあがる黒い煙。おそらく匂いすら強制収容所から漂ってきたであろうが、彼らはそれを普通と慣れ親しんでしまう。

本作のストーリーはドラマチックでも何でもなく、淡々と一家の日常が描かれる。
暴力シーンは本作にはほぼ登場しない。勤務中のルドルフ・ヘスの横顔の向こうには白い空が広がる。おそらく視点を少しだけ移せば、死ぬ運命の囚人が強制労働に使役され、壁に並べられて銃殺を待っているシーンや、裸で連行される囚人も映るのだろうが、本作は頑なに暴力シーンの映像を拒絶し、音だけで暴力を表現している。
日常生活に収容所の影響が生じるシーンも描かれる。囚人から押収した衣服を使用人や家族で分け与えるシーン。川遊びをしていると、大量の灰が流れてくるシーン。そして、煙突の炎と煙のシーン。

起伏が少ない本作の中で、物語を推進する出来事とは、ルドルフ・ヘスの異動である。
異動によって自らが作り上げた理想の家が失われることを嘆き、苛立つヘートヴィヒ。塀の向こうがどれだけ禍々しくても、ベルリンやその他の都市では到底得られない暮らしは捨てがたいのである。
この感情を異常ととるかどうかは観客の判断に委ねられる。
もちろん、私たちは建前では人類史上屈指の悪の隣で幸せを求める矛盾を非難することができる。だが、私たちのうち、何人がヘートヴィヒの感情を非難できるだろうか。
私たちもまた、関心領域を狭められて生きている。すぐ隣の悪を見過ごし、平然と生きている。私自身、世の中の不平等や矛盾を知っていても、仕事に追われて手が回らない。関心も持てない。持ちたくてもその時間がない状態にある。

せいぜい、ヘートヴィヒの母親のように耐えかねて身を隠すのが精一杯だろう。来訪当初のヘートヴィヒの母は、ヘートヴィヒが自慢の家や部屋の設え、そして丹精込めて作り上げた庭に感心したものの、不穏な音、焼却所の炎、煙を眺め続けたある夜、娘に黙って姿を消してしまう。
この母親が異常な環境に対して抱く違和感すら、本作では控えめに描かれる。そして、いつの間にか物語から退場してしまうのである。

本作は終盤になって、物語を動かす二つの挿話を登場させる。
一つは、アレクサンドラ・ビストロン=コウォジェジクという少女である。彼女は実際に、アウシュヴィッツの囚人たちが食べるためのリンゴを植えたとされる。
本作において、ネガフィルムのように白黒で反転した世界で、彼女がリンゴを植える様子が描かれる。
ネガフィルムのように反転しているのは、本作が描く救いがたい日常の裏返しを意図しているからだろう。また、本作の筋とは異なる挿話として描くため、あえてネガのように表現したと思われる。
ネガの演出によって白く光る彼女は、色鮮やかなヘス家の庭の花々よりも鮮やかな印象を観客に与える。

このネガのシーンで流れる音響は禍々しい。メロディを欠いた不協和音は、このネガのシーンが凶事で彩られることを暗示している。しかし、アレクサンドラの行為は、ヘス家の異常な無関心さとは異なり、未来への希望を示している。
この捻じれた演出は、本作の中でも議論を呼ぶだろう。そして、アレクサンドラがリンゴを植える中で見つけた缶の中に入っていた楽譜は、ヨセフ・ウルフという囚人が書いた『太陽の光』である。このメロディを弾くアレクサンドラの姿と『太陽の光』こそが、この歪んだ世界の中でネガとポジの逆転した世界を正常に戻すのだろう。

ネガのシーンの導入も、ヘスが娘たちに枕元で聞かせるヘンゼルとグレーテルの話から始まる。魔女を生きたまま竈で焼くシーンが、強制収容所で自らが行っていることへの逆説を指しているのは明らかだ。

もう一つの挿話は、異動が終わってアウシュヴィッツに戻ろうとするヘスが、不意の嘔吐の発作に見舞われる場面である。
そこでシーンが唐突に現代のアウシュヴィッツ博物館でスタッフが日常の掃除をするシーンに転換する。建物の内装は年月の経過で古び、展示室の中には犠牲者のかばんや靴が積み上げられた部屋を淡々と掃除するスタッフがいる。
スタッフもまた、無関心であるのだろうか?
それとも、日常的に犠牲者たちの遺品に接するスタッフであっても、日々悲嘆を繰り返さなければならないのだろうか?

ヘスが嘔吐によって未来の建物を幻視したように描かれるこのシーンは、いったいどう解釈すればよいのだろうか。良心の呵責だろうか?それにしてはスタッフたちの淡々とした掃除の様子があまりにも無関心に見える。
おそらくヘスの良心の呵責は、現代の無関心と表裏一体のものであることを示しているのではないだろうか。
過去と現在は分断されているのではなく、過去のヘス一家の無関心と現代人の無関心は決して他人事ではないことを、あえてアウシュヴィッツ記念館のスタッフの様子を描くことで表しているように思える。

本作は、今を生きる私たちにとって彼らを本当に裁けるのかという問いを現代の観客に投げかけている。
「あなたと彼らの違いは?」

私たちは本当に世の中の隣人に関心を持てているのだろうか。
私を含め、確証できる人はいないはずだ。日々の仕事に追われ、家族との関係、友人との関係、地域との関係、上司と部下との関係を維持するのに精一杯ではないだろうか。
アウシュヴィッツが稼働していた当時に比べ、情報量が飛躍的に増え、インターネットが普及した今、無関心であることはより簡単になった。私たちはヘス一家を非難できないのだ。
まずは私たちの関心領域が著しく狭まっていることを認識し、私たちもヘス一家のようになりうる現状を認めることから始めなければならない。

‘2024/8/11 TOHOシネマズシャンテ


2 thoughts on “関心領域

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