本書は江戸川乱歩賞の受賞作だ。
江戸川乱歩の受賞作はどの回の受賞作も出色の出来であり、読ませてくれる。
本書もまた受賞作にふさわしい素晴らしい一作だった。

本書を読んでもらえれば、その面白さはすぐに伝わることだろう。

本稿をその結論で終えても良いが、きちんとしたレビューとして成り立たせたい。
だが、ミステリーをレビューとして成り立たせるには少しの工夫がいる。
それは、本稿を読んでくださった方が本作を読む興を削がないようにすることだ。つまり、ネタバレの禁止だ。
一方、本書の構成はきっちりとしている。
つまり、本書の流れを書くだけでネタバレになりかねない。そこに難しさがある。

その難しさを承知で本書のあらすじを書いてみる。
日本でも有数の新聞社である東西新聞社。そこに来春の内定が決まった50数名の一人が朝倉比呂子だ。
彼女は20年前に横須賀で起きた誘拐事件の犯人の娘だ。かつての誘拐犯の娘を新卒で採用する記事が、東西新聞とは犬猿の仲である秀峰出版の週刊誌に書かれそうになった。そこで杉野社長が調査を命じたのは梶。梶は現役の記者ではない。20年前の誘拐事件に横須賀支局の記者として携わり、今は不祥事の責任をとって閑職に追いやられている。

その誘拐犯、九十九昭夫は事件の中で警察から逃走しようとして愛人とともになくなった。九十九の妻は、事件から一年ほど過ぎた後に病気で亡くなった。身寄りがなくなった朝倉比呂子は子供のいなかった伯母夫婦のもとで育てられ、一橋大学に進んだのち、東西新聞社を志望し、入社試験では優秀な成績をあげた。
その人柄や能力に感銘を受けた東西新聞社の経営陣は、優秀な朝倉比呂子に是非とも入社してもらいたいと手をつくす。
事件の調査を命じられた梶は、持ち前の記者としての能力を発揮して、当時を知る人々に取材を行う中で事件の真相に近づいていく。そのようなストーリーだ。

ミステリー小説とは読者にある程度の情報を開示し、フェアに進める。伏線もないままにいきなり新情報を持ち出さない。もちろんそうではないミステリーも多々あるが、本書はあくまで正攻法で物語を前に進める。本書は語り口や地の文も含めて端正だ。

だが、本書は端正であっても無味乾燥な小説ではない。きちんと所々にメリハリを効かせて読者の心をつかみにかかる。

本書で肝となる登場人物は数多くいる。中でも、東西新聞社の杉野社長を取り上げておきたい。
杉野社長の出番はあまり多くないが、登場するシーンはどれも読者に印象が残るはずだ。
そもそも、すでに時効であるはずの事件の謎をなぜ解く必要があるのか。20年前の事件を今さら暴いたところで、誰にも何の得にもならない。そうなると本書が小説として成り立たない可能性すらある。
そこで、謎解きを推し進める人物の存在が求められる。その人物こそが杉野社長だ。杉野社長の人間の描き方が魅力的であれば、杉野社長の言動が本書の推進力となり、物語を前に進めることを読者は納得する。
杉野社長の描き方には入念な注意を払っていることが感じられる。本書のメリハリとなる数シーンはこの杉野社長を欠かしては語れない。

また、本書は、取材や調査を業務の柱とする新聞社やその記者の描写がとても丁寧に描かれている。人の心に踏み込むことをなりわいとする記者の葛藤や、社会に真実を届ける使命と組織が組織を維持するために求められる建前。
ウィキペディアにも著者の略歴は書かれている。それによると長年テレビ業界で記者をしていた方のようだ。つまり取材や執筆は得意分野。
そうした組織のあり方や組織の中の論理がきちんと描かれているのも本書の特筆すべき点だ。

「長く記者生活を続けていると、思わぬことがきっかけとなって、取材対象の人生の暗部に突き当たり、茫然自失となって立ち尽くしてしまうことがある。」(284ページ)
これは、梶が二十年前の事件の調査を進める中で、誘拐された赤ん坊の親と会った後の彼の心境を描いている。おそらくは、著者自身にも同じような経験があったのだろう。

なぜ、真実とは明かされなければならないのか。なぜ人々は新聞記事を熱心に読み、ルポルタージュに隠された事実を求めるのだろうか。
それは、自分が社会から正当に扱われたいからだ。
人生には運も不運もある。不運に流される人もいるし、不運から立ち直ろうとする人もいる。その不運が事実をもとにしていたなら、まだ諦めもつく。だが、もし誰かによってねじ曲げられた事実が自分の不運の源であったなら、人はそれを不当に感じ、許せないと憤る。

本書の終わりは、とても清々しい。それは、隠された真実が元で不運になった人々が救われるからだ。20年前に起きた事件の真実が明かされることによって、不運であった人々が救われる。だからこそ、二十年前の事件をモチーフとした物語は成り立つ。

それは、同時に本書に限らず、ジャーナリズムと呼ばれる職の本質にも関わる。真実を調べるジャーナリズムとは、不運な人々を救うためにこそ存在する。

著者は本書を通してそのことを証明している。お勧めできる一冊だ。

2020/10/11-2020/10/11


コメントを残して頂けると嬉しいです

読ん読くの全投稿一覧