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死体も出なければ犯人もいない日常の謎。余計なことに首を突っ込まないのがモットーの省エネ男折木奉太郎がその謎をしぶしぶ解いていく。というのが本書のパターンだ。

神山高校に入学した主人公は、卒業生の姉のススメ、いや頼みで古典部に入部する。古典部は三年連続入部者ゼロで廃部寸前。文化系だから楽だろうと入部した主人公。そこには偶然、入部希望者の女子がいて、というところから話が始まる。

古典部に入部してからというもの、ちょっとした日常に謎が生じ始める。しぶしぶ謎を解く主人公は、本人の意思に反してその異能で名を広めてしまう。同じタイミングで入部した千反田えるに加えて、主人公の中学時代の同級生二人、福部里志と伊原摩耶花が加わり、古典部は四人の新入部員で活動を始めることになる。ところが古典部は、神山高校でも伝統ある部活であり、過去からの因縁で妙な謎だけが今に残っている。

かつて古典部部長だった千反田の叔父関谷純は何ゆえ退学となったのか。三十三年前に何があったのか。その謎を解き明かすため、古典部員四人は、当時の壁新聞や、卒業アルバム、文集から、それぞれの推理を開陳する。が、奉太郎はそれら三つの材料をさらに組み合わせ、独自の謎を解き明かす。

四人が四人ともキャラ立ちしているのは、いかにもアニメ的。主人公の親友である里志が歩くデータベース的な知識の深さで異彩を放つが、言動が高校生離れしているのが気になった。が、これぐらいのキャラ造形は、アニメではよくあるのだろう。もっとも、本書がアニメ化前提で書かれたかどうかは知らないが、結果としてアニメ化されたようだ。そういえば本書の表紙もアニメ絵となっており、おそらくは千反田えるだと思うが、本書の殺伐とは程遠い内容を表している。いわば健全な高校生活の日常というのだろうか。

本書で提示された謎や結論も日常の範囲内だ。大したことがないといえばない。といってもそれは事件性や、精神に打撃を与えるようなことではないという意味だ。結論に至るまでの道筋に破綻はなく、設定にも無理が生じないようにあちこちに伏線を張り巡らせてある。そのため、読み終えた後は清々しさが残る。北村薫さんの作風にも通じる、日常の謎に終始した本書には好感が持てる。

神山高校の日常は、若干浮世離れしていて、自分の高校生活を思い起こさせる。セピア色の思い出とでもいおうか。私の高校時代に悔いはないが、こんな高校時代も送ってみたかったなあ、と思わされる。日々の仕事に時間に追われる大人にとっては、本シリーズから懐かしさを感じ取るのではないだろうか。

機会があればアニメ版も観てみようと思う。

‘2015/8/2-2015/8/4


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