個人事業主として9年、法人を設立して5年。常に働き方については意識してきたつもりだ。

意識するだけでなく、毎朝夕をラッシュにもまれる消耗に耐え切れず、そこから逃れるためにもがいてきた。それが実を結んだのか、ここ二年ほどは通勤から逃れられている。

そして今、弊社で人を雇い始めた。
その二年以上前から、パートナー企業に仕事を発注している。技術者さんに仕事を依頼する度に、どのように働いてもらうのがいいのか考えてきた。
私にとって、働き方とは自分が働く環境としても、働いてもらう環境としても重要な事柄だ。
これからも私は働き方について考え続けてゆくことだろう。

そもそも労働とは何か。
それは生きるためについて回るものだ。漁民が魚を捕らえ、農民が田畑でクワを振るい、狩猟民が野山を駆け回る。食べ物を得るため、人は働く。
労働の原点とは、生きるための営みだ。そう考えるにつけ、現代のように都市に集って仕事をするあり方が唯一の労働のあり方とはとても思えなくなってきた。
実際、労働の歴史を振り返ると、今のような労働の形は英国の産業革命期に誕生したようだ。
つまり、現代の労働の姿とは、たかだか二、三百年の歴史しか持っていないのだ。

産業革命は、資本主義の勃興とともに、雇用関係が発生してようやく成立した。
以来、二、三百年、産業革命で成立した働き方が当たり前と思われている。もしくは、そう思わされてきた。
私も以前は働くとはどこかの組織に属し、そこに通うのが当たり前だと考えていた。

だが、今こうやって独立して仕事をしていると、朝夕のラッシュが当たり前と思わない。また、決まった場所に毎日通うことが、労働の必須条件とも思わない。

もちろん、独りで仕事が成し遂げられるはずがないのは当たり前だ。
顧客から仕事を受注し、作業して納品し、対価をもらう。つまり、顧客がいてこそ初めて対価が発生し、それで生計が立てられる。また、仕事の種類によっては一人では難しいため、共同で作業することも必要だ。
その意味では、独立しようが雇われていようが、仕事の本質は同じだと思っている。

その観点からすると、私もしょせんは資本主義を動かす労働力の一つでしかない。
これは、私一人がどうこうできる問題ではない。どうしても資本主義を動かす労働力の一つになるのが嫌なら、家族を捨て、山奥で自給自足の生活に乗り出さなければ。

となると、本書のような本を読んで、働き方の本質について考える必要がある。
本書を読んだ一カ月後、鎌倉商工会議所で働き方について登壇する機会があった。
そうした機会をいただく度に、働き方を一つだけに限定せず、もっと多様な働き方について考えなければ、と思う。

本書は、雇用のあり方について本質に踏み込み、かつ実践できる話が展開されている。
著者は神戸大学で労働法を教える教授であり、本来ならば法を掲げる立場にある。
だが、本書では法よりも前に、まず人としてどうあるべきかという教えを強調されている。つまり、教条主義でもなく、人間主義を掲げていることが特徴だ。
もちろん、雇用には束縛といった悪い面だけでなく、生活を保障する良い面もある。本書はそのことにも触れている。
つまり、本書は雇用から脱出して、安易に独立や脱サラを説く本ではない。そのことは強調しておきたい。

本書は以下の八章からなっている。
第1章 雇用の本質
第二章 正社員の解体
第三章 ブラック企業への真の対策
第四章 これからの労働法
第五章 イタリア的な働き方の本質
第六章 プロとして働くとは?
第七章 IT社会における労働
終章 パターナリズムを越えて

そもそも、雇用には非正社員と正社員がある。さらに正社員の中でも名目だけの正社員が存在するという。
そうした名目だけの正社員は、企業にとって使い捨ての正社員でしかない。そして、ブラック企業はこうした正社員を正社員の名のもとに酷使する。かつて私が痛い目をみたように。(私の場合は試用期間で首になったが)。
著者は、ブラック企業に巻き込まれたらすぐに逃げ出すこと。そしてブラック企業に入ってしまう前にしっかりその企業を調べておくことを勧める。全くその通りだと思う。

また、今の日本の経済状況では、企業が正社員を以前のように保持し続けることは難しい。
だからこそ非正社員が増えており、正社員であっても束縛される代償に得られるはずの生活の保障が次第に厳しくなっているのが実情だ。
そうした時流を読まずに正社員の座に甘んじていると、ある日突然、リストラに巻き込まれ、そして途方に暮れる。

今の労働法はわが国が高度経済成長を遂げた時期に整備されている。つまり、終身雇用を前提に作られている。
だから、正社員が飽和するこれからの時代には労働法だけに頼っていてはならない、と著者はいう。労働法の研究者が自分の研究対象を突き放したように語るあたりが、本書の読み応えだ。

本書でとても勉強になったのは、イタリアの働き方を紹介する第五章だ。
イタリアといえば、私たちにとってはラテン気質で享楽的な人々のイメージがある。正直、仕事人のイメージは薄い。
実際、欧州で経済危機がささやかれる際、その火種はギリシャ・イタリア・スペインなどのラテン系諸国だ。
だが、実はイタリアの経済規模は欧州で四番目に位置するという。それでいながら、イタリアのサービスのスタイルは個人主義で、従業員は一切サービス残業をしないという。

それでいて、なぜイタリアの経済が強いのか。それを著者は以下のように分析する。
まず、労働組合が企業別ではなく業種別に分かれているため、転職がしやすいこと。
また、年功序列で給与が上がるのではなく、職能別になっている。そのため、個々人がその職種でプロフェッショナルにならなければ給与が上がらない。だから、人々はその職業に熟達してゆく。
そして、余計な雑務は一切しないため、サービス残業もない。つまり生産性がとても高い。

著者は、わが国ではイタリアのように業種別の労働組合ができることはないだろうと予想する。だが、イタリア人のようにその職種でプロフェッショナルになる道を勧める。
結局、プロになることで、企業にとって欠かせない人材になれる。すると、就業規則や給与テーブルの枠など関係のない優遇契約も勝ち取れる。
もちろん、そうしたプロフェッショナルは正社員が減っていくであろう未来においても企業が手放さない。そして、人員整理の波にすり減らされることもない、と説く。

情報機器を使った仕事は、今後どんどん増えていくだろう。そして、一部の仕事は間違いなく情報技術の進展によって取って代わられるはず。
その際、不要な人材として切り捨てられるか、それともプロフェッショナルとして残るか。
わが国のかつての企業において、OJTの名のもとに、まんべんなく当たり障りもなく、さまざまな現場と職種の経験を積ませる。そうしたキャリアを積んできただけの人は使い道がない。そんな時代が来ている。

「正社員になれば安泰という考え方は、人生80年時代の4分の3を占める部分をどう過ごすかということを考えていくときの戦略としては、もはや危険きわまりないものです。」(235P)
まとめを兼ねた最終章で、著者はこのように述べている。まさにこの言葉こそ至言だ。
本書を通して訴えている論点も、組織に頼るのではなく自分の身は自分で守らなければ、ということに尽きる。

‘2019/10/6-2019/10/9


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 1月 26, 2021

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