この本を読んだのは3/1にkintone Café広島が開催される前日だ。
なぜ、本書を読もうと思ったのか。
それは、kintone Café広島で私が話す内容が、自治会向けにkintoneは導入できるのかというテーマだったからだ。
このように書くと失礼にあたるかもしれないが、自治会の方は情報技術には詳しくないと考えておいたほうがいい。

今の私は、情報技術で飯を食っている。しかも、クラウドを主に扱っている。
汎用機や、メインフレーム、マイコンといった言葉とは縁がない。
また、情報業界で長くにいると、ユーザーの気持ちを理解しているつもりが、ユーザーの知識と立場から乖離してしまいがちだ。
それはまずい。だから、初心に戻る必要があると思った。

本書は1988年に出版されている。
1988年といえば、昭和の最後の年とみなして良い。
まだWindowsすらこの世に産まれていない頃だ。スマホもなければSNSもなく、GoogleどころかYahoo!すら生まれていなかった。ExcelやWordは生まれていたが、今の機能や見た目とは比べものにならない。
インターネットのホームページを見るためのブラウザーもInternet ExplorerどころかNetscape Navigatorすら生まれていなかった頃だ。

本書はその時期の視点で描いている。
そのため、まずパソコンとは何か、という地点から論を始める。その上でコンピューターがどのように発展してきたかを振り返る。
また、本書の視点は、パソコンがどうやって使えるのか、何に役立つのか、という視点まで立ち戻っている。本書が出版されて30年後の私たちから見ると、時代の流れを感じる部分だろう。

ところが、本書で言及されているパソコンの構成や仕組みは、実は30年をへた今でも全く変わっていないのだ。
CPUがあり、メモリがある。ディスプレイがあって、プリンターがある、スキャナがある。通信のコードがあり、マウスとキーボードがある。実は、ハードウエアの構成、つまりアーキテクチャーは、当時と今を比べてもほぼ変わっていない。

こうした点を考えると、当時、こうした処理の原則を考えた人々の慧眼には驚かせられる。
なぜなら、これほどまでに情報社会になった今も、私たちは、この頃の人々が考えた構成をそのまま踏襲しているだけに過ぎないからだ。

もちろん、当時と今では変わっている点は多い。
例えば、無線技術が進展した結果、有線ケーブルが姿を消した事。例えば、集積技術が発展した結果、容量や処理速度や画素数や密度が大幅に増強された事。
それらが意味するのは、メモリの処理速度であったり、ハードディスクの容量であったり、CPUのクロック数、つまり性能がアップしていることだ。ハードウエアの能力が飛躍的に向上した結果、私たちはクラウドだA.I.だと言っているが、実はそうした概念を支えているのは、古人の遺産に乗っかっているだけに過ぎないのだ。
本書を読み、かつてのパソコンの周辺構成に触れるにつけ、その事実が実感できる。
当時の人々は決して笑ってはならない。

本書は、パソコンが動く仕組みについての説明に多くの紙数が割かれている。
その説明とは例えば、アドレスの仕組みであり、恒常的に記憶するメモリと作業の上で一時的に記憶するメモリの違いについてだ。さらに、二進数や八進数を相互で変換することによって記憶や処理をどのように分岐するかについての説明だ。

私はシステム・エンジニアの端くれだ。普段からプログラミングを行っている。
ところが、こうしたパソコンが動く根本の仕組みについての知識はないに等しい。なぜなら、そうした知識は、日々のシステム構築の中ではめったに必要がないからだ。
すべては知らない間に用意され、裏側で構築されたアーキテクチャーの上に乗っかっている。それが私の実体だと思っている。
そうした原則に目を配らなくてもクラウドは動く。それはもはや信仰に近いものかもしれない。

そう。今のシステムとは実はそうした信仰を基盤として動いている。
実は、パソコンの性能の発展が成し遂げた最も大きな成果とは、コンピューターの基礎に関する知識がなくてもシステムが作れる環境を用意したことではないだろうか。
それはもはや信仰に近いものがある。

だから、本書が語っているパソコンの未来の予想図は、それほど間違ってはいないと思う。
これは日進月歩の技術の世界の通念から考えてみるとすごいことではないだろうか。
今のようにSNSで誰もが自由にコミニケーションし、ウェブのシステムを通して世界中でさまざまなビジネスが行われる。動画で自分を発信し、表現する。SNSに写真を載せ、言語の違いを乗り越えて交流を持つ。
そのような未来の原型は、全て本書の中に描かれ、予言されている。

逆に言うと、今の私たちが到達した地点は、本書で書かれているようなレベルの範疇に収まっているとも考えられる。
私たちはまだ、技術的なビックバンに遭遇していないだけで、すぐそこに大変革が待っているのかもしれない。2045年のシンギュラリティの実現を待たずして。
その大変革の波にうまく乗れた人は、これからの社会を文字通り変革していけるのかもしれない。

本書にはスティーブ・ジョブズや、ビル・ゲイツといった今の情報技術にとって欠かせない人々も登場する。
とはいえ、彼らの出番は、AppleⅡやビジカルクやマルチプランといったOSやソフトウエアが紹介されるなかで登場するだけだ。ソフトウエアがハードウエアやビジネスの在り方を決定的に変えてしまう未来は、著者の想定の範囲外だったにちがいない。
何しろ、本書にはWindowsという言葉すら出てこない。ExcelもiPodも登場しないからだ。
だが、そうした一握りの先駆者がどれほど世の中を変えたかについて、今の私たちはよく知っているはずだ。
アイディアだけで巨万の富を築いた人は多い。そうやってパソコンに未来を見いだした先見の明は、今の私たちにも役立つと思われる。

本書は、過去を語っているが、過去をきっちりと基盤にしないと未来に向けた道筋は作れないことは、皆が周知のことだ。
そもそも、情報社会といっても、たかだか30年程度の歴史しか持っていない。
それを思うと、世の中のあらゆる組織にITが行き渡っていると考える方がおかしいのかもしれない。
そのような謙虚な思いにさせてくれる。それも本書の良いところだ。

自治会の改革も、拙速にならぬよう、それでいて時代の流れに応じた提案を行っていくべきだと思う。
まずはその両立を心掛けたいと思う。

‘2019/02/28-2019/02/28


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 5月 15, 2020

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