あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/2/1にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

距離


連載の前回で、運用サポートチームへと登用され、正社員への道も開かれた私。
はたから見ると、私の姿は順風満帆のように見えたことでしょう。
ですが、そうした日々の中、私は葛藤を抱えていました。それは私自身の立場が変わったことから生じました。

前々回も書きましたが「運用サポートチーム」への異動は、所属していた「登録チーム」のオペレーターさんと私の間に距離を作りました。
実際に、とあるオペレーターさんからも直接言われた記憶があります。
「長井さんは運用サポートに行ってから声をかけづらくなった」と。

私にとっては、登録チームから運用サポートへの異動など、ただ別のチームへ移っただけのつもりでした。業務の変化や責任の重みが増えただけで。
私は立場や役職などにあまり興味がありません。そのため、仕事で声をかけあう関係ではなくなったとはいえ、立場など無意味だと思っていました。立場に関係なく、所属していたチームのオペレーターさんたちとは楽しく過ごしていきたかったのです。
結婚し、「運用サポートチーム」に移ったことで、自分の何が変わったというのか。私は何も変わっていないつもりでいました。でも、周りはそう見てくれません。
私自身は変わっていなかったつもりでも、立場が変わってしまったことで、私の立ち居振る舞いにも何らかの変化が生じてしまったのです。

本連載の第九回で”起業”することは人との付き合いの質を変えてしまう、と書きました。
そこで書いた内容は、この時に感じた経験をもとにしています。

学生の心


アルバイトや派遣社員で働いた経験と「登録チーム」での日々。私にとってはどれもが学生時代の友達付き合いの延長でした。だからこそ私は「登録チーム」での仕事が性に合っていたのでしょう。
ですが「運用サポートチーム」に移ったことで、その日々は終わりを告げました。
学生さんのバイトが多かったオペレーターさんたちとの触れ合いから、仕事のプロの集まる「運用サポートチーム」へ。
それを機会に私は周りから社会人として見られるようになったのかもしれません。そして、私は一段ステップを上がれたのでしょう。学生から社会人へ。
そのタイミングが私の結婚と重なったのは決して偶然ではないはずです。

ですが、社会人としてステップアップすること。それが果たして良かったのか。今も私にはわかりません。
いつまでも学生気分でいられないこともわかります。社会人としての大人の分別が必要なことも。
「いつまでも学生気分やってんじゃねぇよ!」という言葉は、社会人と学生の違いを如実に言い表していることは確かです。

ですが、今もなお、社会人になれば学生気分を捨てろという常識に素直に従えない私がいます。

それは、私の性格の問題です。
いったん仕事モードに入ってしまうと気持ちを切り替えられない性分。私は自分の心の不器用さに今もまだもがいています。
学生の心でオペレーターさんたちに触れあい続け、その一方で大人にふさわしい仕事をきっちりとこなす。その両立が当時の私には難しかった。多分、今の私は当時よりも仕事のスキルも上がっています。仕事のことを考える時間が多いです。ですが、それと引き換えに学生の頃の心を忘れつつあります。
そこに私の性格の限界があります。
この時の私は今よりもさらに余裕もなく、器も小さかった。
この時にもっとスマートに立ち回れたのではないか。それを考えるとき、私の心には後悔が沸き上がってきます。それ以来、二十年以上、心の奥に重く沈み続けています。

そもそも、私は仕事中の自分の性格があまり好きではありません。それは、この時に「登録チーム」のオペレーターさんと隙間ができたことの痛みを今も引きずっているからだと思います。

尾崎豊


当時の私は、「運用サポートチーム」に移ったことで、無意識に構えを作ってしまったのでしょうね。そして気負っていた。
「運用サポートチーム」に移っても同じ自分であり続けたい。自分と周りに壁を作りたくない。当時の私はおぼろげながらそう思っていたはずです。
ですが、それは自分には無理でした。
この頃、私の結婚式の二次会でオペレーターのU君と一緒に歌ったのが尾崎豊の「僕が僕であるために」。
この曲のメッセージを暗示するかのように、私はオペレーターさんたちと離れてしまいました。当時お互いをソウルメイトと呼び合ったU君とは今も付き合いが続いていますが、他のオペレーターさんたちとは今は疎遠になってしまいました。

学生の頃の甘えた考え。それを捨て、大人の社会のしきたりに自分をなじませること。
それは社会の一員として活動するには避けて通れない通過儀礼です。でも、本当に学生の心を保ったままで仕事することは無理なのでしょうか。
この問いは、今も私の心に棘として刺さり続けています。
決して「運用サポートチーム」の皆さんが悪いのではありません。仕事が悪いのでもない。それは私の心の問題です。仕事とプライベートをうまくさばけなかった痛み。

この痛みこそ、30歳を半ばを過ぎてからの私を駆り立てた原動力です。
たとえば、本連載を始めたタイミングで私が常駐先を抜け、完全なる独立に踏み切ったのもそう。Facebookで日々、違うイベントを書きまくる理由もそう。
すべては、この痛みに対する私の防御反応だと思っています。
“起業”すれば、再び学生の頃の自由さを取り戻せるのではないか。仕事の真剣さと個人の自由を両立させられるのではないか。学生時代の心を抱いたまま、社会人として一人前になれるのではないか。
そんな無意識の衝動が三十代の私の心には潜んでいたように思えます。

ところが、私の願いを裏切るかのように、三十代前半の私は仕事と育児と家の処分で忙殺されます。
それらについては、この先の連載で触れていきます。

今回はいつもより重たく書いてみました。これに懲りず引き続きゆるく永くお願いします。


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