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ポール・マッカートニー ビートルズ神話の光と影


私にとってビートルズはベストワンのミュージシャンではない。しかし、ロックの歴史でオンリーワンを挙げろと言われれば、文句無しにビートルズを挙げる。彼らはまさに偉大な存在だ。私が生まれた時、すでにビートルズはこの世にはいなかった。にもかかわらず、彼らは私にも影響を与えている。彼ら以降に登場したミュージシャンの多くを通して。

私はビートルマニアではないし、彼らのファッションには特に感銘を受けていない。彼らの他にも好きなミュージシャンは多数いる。だが、彼らの生み出したアルバムは今も聴くし、好きな曲もたくさんある。

私は自分の好きな曲を“Google Music”でリストにしている。私の好みの順に並べて。そのリストの百位以内でビートルズの四人が作った曲をピックアップしてみた。3曲目「woman」、17曲目「(Just Like) Starting Over」、30曲目「Here,There And Everywhere」、36曲目「all those years ago」、43曲目「strawberry fields foerver」70曲目「come together」、76曲目「please please me」。ジョンの曲が多い。7曲のうち5曲を占めている。そして、ポールの作曲した曲は一曲しか含まれていない。そのことが意外だった。

しかも、ビートルズの解散後にポールが発表した曲が一曲も入っていない。ウィングスやソロ作、マイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダー、エルビス・コステロとのコラボ作もランク外だ。「Yesterday 」「Let It Be」「Hey Jude」など、ポールがビートルズ時代に生み出したメロディは不滅だ。メロディーだけ取り上げるなら、ポールは天才といってよい。ジョンよりも遥かに優れたメロディーを多く作ったのはポールのはず。なのに、ビートルズ解散後にポールが発表した曲が私の印象に残っていないのはどうしたわけだろう。

その鍵を解くにはジョンの存在が欠かせない。ジョン・レノンとの複雑なライバル心と友情をはらんだ関係。そのライバル心や友情がポールの才能を引き出したことはまぎれもない事実だろう。本書には、ポールの視点に沿ったジョンとの出会い、友情…緊張、そして反目の日々が描かれている。

ポールの側に立っているため、本書はジョンには辛い。オノ・ヨーコにも辛辣だ。ビートルズの前身バンド、クォリーメンにポールが加入した時点で、ジョンに「リーダーは俺だ」という感情があったことを本書は指摘する。確かにポールとジョンには固い友情がむすばれた。だがしょせん、二人の生まれ育った環境は違っていた。そのことを著者は幾度となく読者に伝える。

アッパーミドル階級の伯母夫婦のもと、小ブルジョアの価値観の元で育ったジョン。それに比べ、労働者階級に生まれたポール。ただ、ジョンはシニカルで世の中に対する反抗をあからさまにしていた。ポールの母が若くして亡くなったことでポールがロックに自らの感情のはけ口を求め、同じく母親が不在だったジョンとの距離は縮まった。とはいえ、それは違いすぎていた二人のバックボーンの差を埋めるまでにはいかなかった。著者はその事実を踏まえた上で、それほど生まれが違った二人だったからこそ互いを補い合え、音楽という一点で最強のタッグになりえたのだと主張する。

ところが、二人の素朴な思いを遙かに超え、ビートルズは規格外の成功を収めてしまう。ブライアン・エプスタインがマネジャーとして関わるまではまだ良かった。ジョージ・マーティンが非凡にプロデュースを行い、その判断でピート・ペストを首にするまでも。だがビートルマニアが世界を席巻した途端、ビートルズは彼ら自身にとっても手に負えない、地球上でもっとも富を生むアイコンと化してしまう。

本書はそのあたりの出来事を描き、名声が彼らを縛ってゆく様子をたどってゆく。リバプールの若者が好きな音楽で身を立てようとした思い。その思いから遙かに巨大になったビートルズはビジネスの対象になってしまった。ビートルズの利権を巡ってさまざまな有象無象が集ってくる。そしてビジネスの事など何も知らないビートルズのメンバーとマネージャのブライアン・エプスタインから金を巻き上げてゆく。ポールはその状況に我慢がならず、ビジネスのスキルを磨こうとする。さらには、ビートルズの音楽にも新たな地平をもたらそうとする。

その努力が「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」となって結実する。ジョンは成功とドラッグに溺れ、ビートルズの主導権はジョンからポールに移る。リーダーの座を奪われたことに我慢ならないジョンとポールの間には隙間風が吹き始め、さらには反目へと至ってしまう。

アラン・クラインはエプスタインが亡くなった後、ビートルズの財政を一手に握った人物だ。この人物の悪評はいろいろと伝えられている。ポールが徹底してアラン・クラインに非協力を貫き、ポールがビートルズのビジネス面の手綱を取り戻すため、婚約者リンダの父リー・イーストマンにマネージメントを任せたことなど、あらゆるポールの動きはジョンの心を逆なでする。ミュージシャンからビジネスマンの視点を備えようとしたポールと、自分の思い描くミュージシャンの理想にあくまで忠実であろうとしたジョンの反目。

ビジネスの利権が彼らの才能とその果実をかたっぱしからついばみ、さらにはヨーコやリンダといった周囲の女性が事態をややこしくした。ポールがビートルズをどれだけ継続させようと心を砕いても、全ては空回りし裏目に出る。ビートルズはポールが解散宣言を出したことが解散への引き金を引いたと一般には言われている。だが、実は内々ではジョンが最初に脱退の意志を示したという。そのことは本書を読んで初めてしった。

ジョンとポールの間に生じた微妙な心のすれ違いを本書は描いていく。私はビートルズが解散に至るあらましはある程度は理解していた。けれど、本書を読むとビートルズの解散が避けようもなかったことが納得できる。行き過ぎた成功は、成功した当人をもむしばむ。そして当人たちにも害を与えるものへと変質する。ポールはそれに気づいたのだろう。本書から学べるのは、成功とは入念にイメージされた状態でなされるのが理想ということだ。

ビートルズが解散する前後、ポールがどれほど精神面で落ち込んだか。ポールが二作のソロ作品を世に問い、そこからウィングス結成に至った理由とは。その理由やいきさつも本書は描いている。

リンダ・マッカートニーがウィングスのメンバーだったことは私も知っていた。だが、それはリンダの意志ではなく、ポールの強い意志によるものだったこと。実はリンダ本人はウィングスのメンバーであり続けることに苦痛を感じていたことなどは、本書で初めて知った。

そしてジョンの死去。私が本書を読んだ理由は、ジョンの死に対するポールの感情を知りたかったからだ。ポールが泣いたことや、レポーターから感想を聞かれて「It’s a Drag」と言ってしまったことなどが本書には紹介されている。そしてとうとう、ジョンとポールが仲良く語り合うことがなかったことも。

ところが、Wikipediaのジョンの項を読むと、違うことが書かれている。ここに書かれたエピソードが本当であれば、ぜひその事実は本書にも紹介して欲しかった。ジョンにつらく当たっている本書だからこそ。

もう一つ本書に紹介されていることがある。それはジョンが死ぬ年の一月のこと。ポールが成田空港で麻薬取締法違反で逮捕されている。その時のいきさつは本書には詳しい。そして私は詳しいことを本書で初めて知った。

本書はポールの50歳を機に書かれた。80年代に著名なミュージシャンとコラボレーションに挑んだことや、リヴァプール・オラトリオの新たな試みなど。それにもかかわらず、著者はポールの才能にかつての鋭さがなくなったことを指摘している。残念ながら私も同じ意見だ。著者が本書でジョンを辛く書けば書くほど、ポールにとってジョンが欠かせない親友だったことが伝わって来る。マイケル・ジャクソンもスティーヴィー・ワンダーもエルヴィス・コステロもジョンのかわりとはなり得なかった。ポールにとって。

ポールが誰よりも優れたメロディー・メーカーなのは言うまでもない。そしてそれらの曲の多くは、ジョンとの複雑な関係がなければ生まれなかったかもしれない。親友とはなれ合いの関係ではない。二人の関係のように時には協力しあい、時には反発しあい、素晴らしい成果を生み出すものではないか。

ポールは七十才を過ぎてもなお、アルバムを発表し続けている。評価も高い。そして、私も本書を読んだことをきっかけに、ポールのビートルズ以降の全作品を聞き直している。その中で光る曲を見つけられれば言うことはない。それだけでなく、今だからこそ永久に残る曲をもう一曲生み出して欲しいと願うのは私だけだろうか。ポールとジョンは音楽だけにとどまらず、人類史の上でも不世出のコンビ。だからこそ、ジョンがポールの中で息づいていることを知らしめてほしい。

’2018/05/01-2018/05/03


誰も知らなかったビートルズとストーンズ


私が好きでないことの一つ。それは物事を偶像化・神格化することだ。同じように無条件の心酔や崇拝も好きではない。ただ、これはすごいという人や物事については賞賛を惜しまない。その分野で流れを変えた人物の業績についても同じく。たとえばビートルズのような。

わたしは中学の頃から洋楽が好きだ。私が洋楽に興味をもったのは、映画のサウンドトラックがきっかけだ。オーバー・ザ・トップ、ロッキーⅣ、そしてトップガンのサントラはテープが擦れてのびてしまうまで聞いた。

すでにそのころ、ビートルズの時代は遠くなっていた。ビートルズ不在の70年代。サザンロックやウェストコーストロック、プログレッシブロックやパンク、ソウルをへてディスコブームへ。80年代はイギリス勢がビートルズとは違う切り口で音楽シーンを席巻し、メガヒット作や上に挙げた数々のサントラがはやった。ユーロビートがチャートをにぎわせ、来るべきグランジへの時代を待ち受けていた。私が洋楽を聞き始めたのはそのころだ。

ジョン・レノン射殺のニュースはまったく記憶に残っていない。私は七歳だった。私が物心ついたとき、すでにビートルズは永遠に再結成されないバンドだった。彼らの音楽は全て後聞きで知った。それでも彼らが音楽の流れを変えたことは確かだと思う。最初に書いたとおり、崇拝や神格化はしていないつもりだが、ビートルズはやはり違うと思う。別格だ。それまでのロカビリーやプレスリーによるどことなく素朴な音楽と比べ、ビートルズの音楽がいかに革新的なことか。

もう一方、本書で取り上げられているのはローリング・ストーンズ。ところが彼らの音楽は私にとって少しどころかだいぶ疎遠だ。彼らのCDは少しだけだが持っている。そして彼らがいまだに現役というだけで偉大なことはもちろんだ。ところが、何度も彼らの音楽の魅力を知りたいとチャレンジしているのに、どうしても私の中の琴線に触れてくれない。

そんな私に、本書の内容はとても新鮮だった。ビートルズとストーンズがこれほどまでにお互いに影響を与えあっていたとは。もちろんそんな事実は知らなかった。

もちろん、私も彼らが犬猿の仲だとは思っていなかった。敵対するライバルとも。だが、彼らが音楽やビジネスでここまで交流を重ねていたとは意外だ。

とくに私が知らなかったのは『ロックンロール・サーカス』のこと。これはビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』に触発されたストーンズが企画した映像作品だ。この作品の存在は本書を読んで初めて知った。それもそのはず。『ロックンロール・サーカス』はお蔵入りしており、一般公開されていないのだから。

彼らの交流史において『ロックンロール・サーカス』が重要なことはさらにある。それは、作中でジョン・レノンがストーンズの面々とバンドを組み、ジョンにとってすごく新鮮だったことだ。すでにビートルズは前年にマネージャーのブライアン・エプスタインをなくしていた。ブライアンというバンドの取りまとめ役を失っていたことで、ビートルズのメンバーを結びつけるタガは緩んでいた。『ロックンロール・サーカス』でジョン・レノンが結成したグループ名はダーティ・マック。汚いマッカートニーとも読める意味ありげな名前のバンドだ。メンバーはジョン・レノン、キーズ・リチャーズ、エリック・クラプトン、ミッチ・ミッチェル。ロックの歴史の中でもそうそうたる面々だ。

ジョン・レノンがダーティ・マックに惹かれた時点で、ビートルズの中に亀裂は入っていたのだろう。

ビートルズによって音楽産業に自作自演のスタイルが確立され、ストーンズもその後に続く。『ラバー・ソウル』によってビートルズはより先進的なグループとして名をはせ、ストーンズが感化されて名盤『アフターマス』を作る。

一方でビジネスの部分でも彼らの交流はいたるところにみられる。ブライアンに続いてビートルズのマネージャーだったアラン・クラインの存在がビートルズ解散に大きな影響を与えたことはよく知られている。アラン・クラインを信用しなかったポールと、他の三人の間で意見が対立したことも解散の理由の一つだともいう。そして、アラン・クラインをビートルズに紹介したのはストーンズだったこと。そのときストーンズはすでにアラン・クラインを見限っており、訴訟すら検討していた。この事実はかつて知っていた気がするが、本書をよんで思い出した。

本書はそんな風に、イギリスが生んだ二つの偉大なグループの交流を次々と紹介してゆく。本書はビートルズの功績をあらためて思い出させてくれたことでも、私にとっては貴重な一冊だ。

だが、わたしにとって本書が良かったのはローリング・ストーンズを見直すきっかけとなったことだ。ビートルズがどれだけ素晴らしくとも、60年代の一時期に過ぎない。だが、70年代以降もストーンズは世界的ヒット作や大規模ツアーを産み出し続けている。それなのに私はベスト版に収められている曲ぐらいしか、彼らの音楽を知らない。これはとてももったいない。シングル曲よりもアルバム単位で素晴らしいと思えるミュージシャンは他にもたくさんいる。ローリング・ストーンズにも私の知らぬ名曲がたくさんあるかもしれないのだから。

‘2017/02/15-2017/02/16