Articles tagged with: NPO

チーム応援ライセンス開始記念セミナーに登壇しました


5月16日にサイボウズ社27階で開かれた
「チーム応援ライセンス開始記念セミナー」(https://npo.cybozu.co.jp/blog/post/53/)
に弊社代表が登壇者として参加させて頂きました。

今回は、どちらかといえば自治会の元総務部長としての肩書きが主です。

直前に開かれた自治会の役員会で自治会名の実名を出すことが否決されました。
なので、実際の活用事例を写真や具体例で示しませんでした。
そのかわり、サイボウズLiveをサイボウズOfficeに切り替えるにあたり、
どういういきさつで選考を行い、どういう基準で採用したかの観点でお話ししました。
また、予算の限られた任意団体において、どれだけチーム応援ライセンスが重要かということも。

もちろん、最後にはkintoneエバンジェリストとして、
kintoneが自治会や他の組織にこれだけ効きますよ、ということも交え。
スライドはこちら(http://slides.com/yoshikazunagai/for_residents_association)

私は話し終わった後には、隣に座っていた方からお褒めの言葉も頂き、
懇親会でも様々な方からご挨拶や好意的な反応も戴きました。
サイボウズOfficeとkintoneのどちらを採用すればよいか、
との質問も数名の方から頂きました。
また、参加されていた当の自治会の方からも好意的なコメントを頂きました。

逆に反省点もあります。

・スライドに一切具体例を出せず、聞き手の皆様に抽象的な印象を与えたかもしれないこと。
・話の途中で質問してみたところ、自治会の役員経験者が聞き手の1割もいらっしゃらず、
 自治会を経験していない方には、私の話の意図が伝わらなかった可能性があること。
・質問の時間を取れなかったこと。
・kintoneを勧めておきながら、アプリのデモの時間をとらなかったこと。

実際、サイボウズ社より聞き手の皆様から頂いたアンケート結果(個人情報は省いたもの)を見せて頂きましたが、
反応がわかれています。
他の講演者より私の講演に高評価をつけて下さったかたもいれば、逆の評価をした方もいました。
サイボウズLiveの代替をOfficeにする決意がついたと仰って下さった方もいましたし、
懇親会でもそのような評価も頂きました。

そこも含め、どうすればうまく伝えられるか、私の方でも自治会や町内会、任意団体の方々に提案を行う上で、
とてもよい勉強になりました。

最後になりますが、ご出席くださったかた、サイボウズ社のみなさま、ありがとうございました。


弁論の力


先日、一人で相模原の旧津久井町にある尾崎咢堂記念館に行ってきました。

尾崎咢堂翁は、またの名を尾崎行雄ともいい、明治から昭和にかけ政界で重きをなした方です。「憲政の神様」の異名も持ち、憲政記念館の中庭には銅像も立っています。憲政記念館自体、もともと尾崎咢堂を記念して建てられた建物。国家議事堂のそばに建つ憲政記念館を訪れるとすぐに翁の銅像に出会えます。私は昨年、二度ほどセミナーで憲政記念館を訪れました。そして中庭に立つ咢堂翁の銅像と対峙し、手前にある碑に刻まれた翁の言葉を心に刻みました。その言葉とは、
「人生の本舞台は常に将来にあり」
これは、私が常々思っていることです。



尾崎咢堂記念館は、私が結婚して町田に住みはじめてすぐの頃に一度行ったことがあります。自転車で寄り道しながら十数キロ走って記念館にたどり着いたのは夕方。すでに記念館は閉まっていました。以来、18年の月日が流れました。記念館の付近は橋本から相模湖や道志へ向かう交通の要です。18年の間には何度も通りかかる機会もありました。それなのに行く機会を逸し続けていました。しかし、憲政記念館で尾崎翁のまなざしに接したことがきっかけで、私の中で記念館を一度訪れなければとの思いが再燃。この度、良い機会があったので訪れました。

翁の生涯については近代史が好きな私はある程度知っていました。憲政記念館の展示でも振り返りましたし。少しの知識を持っていても、翁の生誕地でもある記念館に訪れて良かったです。なぜなら、生涯をたどったビデオと、展示室で館長さんから説明いただきながら振り返った翁の生涯は、私い新しい知識を教えてくれたからです。翁の生涯には幾度もの起伏があり、その度に翁はそれらを乗り越えました。その中で学んだことは、翁が憲政の神様と呼ばれるようになった理由です。その理由とは、弁論の力。

尾崎咢堂翁の生涯を追うと、幾度かのターニングポイントと呼べる時期があります。そこで翁の人生を変えたのは、文章の力です。若き日に慶應義塾で学んだ翁が福沢諭吉に認められたのも論文なら、福沢諭吉の紹介で入社した新潟新報でも論説の力で台頭します。

ただ、そこからが違う。翁が神様と呼ばれるまでになったゆえん。そこには弁論の力がありました。まず、翁が認められ、新潟から東京に官僚に取り立てられたきっかけは講演です。政治の世界に入ってからも、桂首相弾劾演説や、普通選挙法の決議を訴える翁の遊説は全国に尾崎行雄の名を轟かせました。国が右傾化する中、翁は議会の壇上で弁論によって軍に反抗し、議会制民主主義の良心を訴え続けます。


世界に類をみない63年もの議員生活。それを支えたのは文章力に加え、弁論の力だった。特に後者の力が翁を世界的な影響力を持たせた。その影響力は、戦争中に米軍が巻いたビラの中で翁は日本における自由人の代表として挙げられています。私は、記念館でそのことを教えられました。そしてその気づきを心にしっかりと刻みました。

ひるがえって今、です。

いまは誰もがライター、誰もがジャーナリスト、誰もがインフルエンサーの時代です。しかもほとんどが志望者。バズれば当たるが、ライバルは無数。いつでもどこでも誰もが世界に向けて文章を発信でき、匿名と実名を問わず意見を問えます。ですが、誰もが意見を発信するため、情報の奔流の中に埋もれてしまうのがオチ。あまりの情報量の多さに、私はSNSからの情報収集をやめてしまいました。最近は論壇メディア(左右を問わず)や書籍から情報を絞って取り込むようにしています。

そんな今、無数の発信者の中で一頭地を抜く方々がいます。それらの方々に共通するのは、弁論の力、です。

例えば、経営者がプレゼンの達人である会社。いわゆるトップ営業を得意とする企業には活気が漲っている印象を受けます。代表的な人物は米アップル社の故スティーヴ・ジョブズ氏でしょう。また、いわゆるインフルエンサーと呼ばれる方々は、ブログやツイートだけでなく、イベントでのトークがもてはやされます。また、文章での表現に秀でた方は、講演にも秀でている方が多い。そんな印象を受けます。

実際、彼らのトークを聞くと、何かしら心が高揚します。そして、高揚した気持ちとトーク内容が積極的に記憶されます。正直なところ、トーク自体に含まれる情報量は、文章よりも少ないことがほとんどです。しかし、記憶に残っているのは文章よりもトークの内容。そんな経験をされた方もいるのではないでしょうか。

なぜか。考えてみました。

多分、感情と理性がうまく脳内で混ざり合った時にこそ、情報は記憶されるから、というのが私の素人なりの考えです。文章を読む時、人の脳は理性が勝る。そこには感情の関わりが薄い。その一方、手練れの講演者は間に笑いを挟み、聴衆の注意を引きつける。笑うことは感情を刺激し、聞いた内容を脳内に刻む。そのため、講演内容が記憶され、肚に落ちる。私はそんな風に考えています。また、講演をじかに聞く時、私たちは視覚と聴覚を使います。文章を読むときは視覚だけ。その差もあると思います。

つまり、今や文章をアップするだけではだめなのです。もちろん発信することは大切です。ただそれだけでは無数のネット上の文章に埋もれます。文章に加え、人前で弁論をふるい、視覚と聴覚で訴えるスキルが求められると思うのです。それは私のように普段から商談に臨む者にとってみればスキルの延長です。もちろん、提案書だけで一度も会わずに受注いただくこともあります。でもそれはレアケース。一対一の商談に加え、一対多でも表現して、発信するスキル。人前でしゃべる機会を持ち、スキルを磨くことで受注ばかりか、引き合いの機会も増えてゆく。その取り組みが大切なのだと思います。それは私のように経営者だけに限りません。勤め人の方だって同じです。日々の業務とは自己発信のよい機会なのですから。

私は三年前に法人化しました。それからというもの、文章でアピールするだけでは今の時代、生き延びられないと考えていました。それでおととしはしゃべる機会を増やしました。人前でしゃべる技術。それは一朝一夕には得られません。とくに私のようにプログラミングをしていたらプログラマーに、システムの構成を考えていたらシステムエンジニアに、文章を書いていたらライターになってしまう要領の悪い脳を持っている人にとっては切実に欲しいスキルです。

ところが昨年の私は年末に総括した通り、開発やブログを書くことに集中してしまいました。人前で発信する機会は一、二度とほど。サッパリでした。失敗しました。売り上げこそかろうじて前年比増を達成したとはいえ、それでは今後、生き残れません。去年の失敗を挽回するため、今年は人前で話す機会を増やしています。ここ数日も人前で二、三度しゃべりました。その一度目の成果として、明日5/16にサイボウズ社本社で行われるセミナーに登壇します。リンク

明日に向けてリハーサルも何回か行い、内容は練りつつあります。が、まだまだ私のトークスキルには向上の余地があるはず。少なくとも尾崎咢堂翁のように人に影響を与えるには、さらなる研鑽が必要です。そのためにも今回に限らず、今年は積極的にお話しする機会に手を挙げるつもりです。私の知己にも、紙芝居形式のプレゼンを行う方や人前で話すことに長けた方がいます。そういった方の教えを請いつつ、少しでも尾崎翁に追いつきたいと決意を新たにしました。

弁論の力こそ、ポストA.I.時代を生きるすべではないか。そんな風に思った尾崎咢堂記念館でのひと時でした。


非営利組織論


NPO設立と法人設立を並行で模索していた時期に読んだ一冊。本書の前に読んだ「NPOが自立する日―行政の下請け化に未来はない」でNPO設立を法人設立と同時に行う件はほぼ断念した私だが、勉強も含めて本書にも手を伸ばした。

そもそも有斐閣の出版物を読むのは久しぶり。大学のころ教科書でよくお世話になった記憶が蘇る。内容や筆致についても想像がつく。

内容は想像通りで、全編を通して教科書的な印象が付いて回った一冊だった。とはいえ、学問の分野からNPOとは何かを解説してくれた本書は、NPO設立を断念したとはいえ、私にとって有益な一冊となった。

理論の世界にNPOを閉じ込めた読後感があったとはいえ、その切り口は広く、実務的な内容でない分、視野を広く持てた。

本書には実践面の記載が弱いとはいえ、それは実例や設立書類の作成方法が例示されていないだけ。具体的な実践には敢えて踏み込まず、理論に止めているのが本書なのだろう。

でも、NPOとはなんぞや、という向きにとっては、本書は有益な書といってもよいだろう。

実際、本書を読んでNPOを設立された方も多いようだ。現場にあって実務に没頭しているだけでは体得できない理論の深さ。それを教えてくれるだけでも本書は十分実践的と言える。また、コラムでは日本の「大地を守る会」やアメリカの「AARP」、イギリスの「サーコ社」の事例を始め、11のケースワークが取り上げられている。本書が単なる理論一辺倒の本でない証である。

また、本書が想定している読者は起業家志望者ではない。なので、励ましや動機付けといった読者サービスの類いは皆無。それゆえ、本書のそこかしこで、甘い気持ちでNPO設立を夢見る者の幻想をうち壊しにかかる冷静な筆致が織り交ぜられている。正直なところ、本書を読み始めた時点でNPO設立を延期しようとしていた私も、本書でさらに設立の意欲を萎えさせられた。

本書を読んで印象に残ったのはミッション。つまりはNPOの目的である。この言葉が随所にでてくる。他のNPOについての本には、ミッションについての記載もあるが、それとともに人の確保と財源についての問題が付いて回ると必ず記載されている。実際、その通りだろう。しかし本書は人や財源の前にミッションの確立こそ重要と述べている。それこそ幾度も。実際、NPOで出来る業務は、営利企業でもできる業務がほとんど。ではなぜ営利企業がサービスをやらないかというと、利潤が見込めないから。ただ営利企業にはCSR(企業の社会的責任)という、利潤度外視で行う活動がありうる。つまり、突き詰めて考えるとNPOでなければ出来ない業務、つまりはミッションはなかなか見出しにくい。つまりミッションが先にないと、NPO法人設立への道筋は甚だ遠い。このことを本書は述べているのだろう。そのため私は、同等の活動は法人でも担うことが可能と判断し先に営利法人、つまり合同会社を立ち上げた。

この前後に読んだNPO関連の書籍には、NPOの隆盛を願うあまり、利点のみが喧伝されがちな本もあった。そのような前向きな編集方針ももちろんありだ。が、本書のような冷静な視点もまた不可欠。

一旦、営利法人を立ち上げた今も、NPO法人立ち上げの機会を伺っている私。本書を読んだ経験を活かせる好機に、遠からず巡り合えるものと思っている。

‘2015/03/6-2015/03/10


NPOが自立する日―行政の下請け化に未来はない


本書もまた、私がNPO設立を模索する中で読んだ一冊。題名から読み取れるようにNPOの現状を憂い、警鐘を鳴らしている。

ドラッカーと云えば、「もしドラ」を通じて今の日本にも知られている。いうまでもなく、ドラッカーは、「もしドラ」の前から経営学では有名な方である。経営学だけに飽き足らずNPOにも関心を高くもち、関連著書も出している。著者はそのドラッカーに薫陶を受けたという。そのため著者は米国のNPO事情にも明るいのだろう。本書は米国のNPO事情の紹介にもページが割かれている。

そして著者は、日本のNPOに違和感を覚えるという。単にNPO先進国である米国のNPO事情と比べて日本のそれが遅れている、というだけではなさそうだ。「はじめに」ではその違和感について書かれている。その違和感がどこに向かっているかというと、どうやら日本のNPO運営者に対してであるらしい。行政から委託を受ける際の単価の安さ、について不満をこぼすNPO運営者。これが著者の目には違和感として映るようだ。行政から委託を受ける際の単価だけにNPO運営の焦点を当てているように見えるNPO運営者に対する違和感、というわけだ。つまり違和感とは、行政に依存することが目的化してしまっているNPOに対するものであり、それによって脆くも崩れてしまうひ弱なNPOのガバナンスに対してのものであるようだ。

2005年にドラッカーが亡くなった後、著者はNPO研究に改めて着手したとのことだ。着手するにつけ、改めてNPOが行政の下請け組織と化している現実を目の当たりにし、NPOの将来を憂えた。憂えただけでなく、本書を上梓してNPOの今後に警鐘を鳴らすことを意図した。「はじめに」にはそういった内容が書かれている。

だが、著者はNPOに反対の立場ではない。それどころか、日本にNPOが根付く切掛けとなった阪神・淡路大震災のボランティアの実態も見聞きし、その可能性を感じていたようだ。しかし、冒頭に書いたように、著者の期待は違和感へと変わる。前向きなのに後ろ向きに見える我が国のNPO事情が歯がゆい。著者はいう。NPOは自発的な公の担い手になり得るかが問われている。行政からの委託やアウトソーシングに甘んずること勿れ、と。

著者は教授職、つまりは研究者としての立場で本書を書いている。その立場からの目線で、NPOの下請け化がなぜ起こったのかを詳細に分析する。

指定管理者制度や市民協働条例など、行政からの委託の機会は増す一方のNPO。日本には寄付文化が定着していないこともあって、NPOの収入源は行政からのものになりがちだという。行政といえば、予算と支出のサイクルがきっちりしているので、NPO側にも定額収入が期待できるのだろう。さらには行政の指定業者となることでお墨付きを得られると感じることも多いのだろう。

また、我が国では下手に無償でのボランティアが広まっていたことも問題だろう。そのため、ボランティアなのだから幾ばくかの収入が入るだけでよし、としてしまう収入確保の意識が希薄なことも指摘されている。

さらに、本書で一番印象に残ったのは、NPOと行政のボタンの掛け違いである。つまり、NPOが思っているほど、行政はNPOをプロだと見なしていないということである。これは実際のアンケート結果が本書で提示されていた。そのデータによると実際に上記に書かれたような傾向があるらしい。行政はNPOに自立した組織を求めるが、実際は行政が携わる以上に成果を挙げることのできたNPOが少ないことを意味するのだろう。そこに、NPOが行政の下請けになりうる大きな原因があると著者はいう。

あと、本書では米国だけでなく英国における行政とNPOの関係に紙数を割いている。サッチャー政権からブレア政権に変わったことで、英国の経済政策に変化があったことはよく知られている。その変化はNPOにも及んだ。行政側がコンパクトという協定書を作成し、NPOとの間のパートナーシップのあり方を示したのがそれだ。サッチャー政府から「公共サービスのエージェント」とされたNPOが、ブレア政権では「社会における主要構成員の一つ」として見なされるに至った。コンパクトは政府がNPOに対して求める役割変化の一環であり、NPOを下請け業者ではなく主体的な存在として扱っている。なお、コンパクトの中では実施倫理基準、資金提供基準、ボランティア基準についての各種基準が準備されているそうだ。つまり、行政側も自らが発注するNPOへの契約内容にNPOを下請け業者化させる条項を含めない、それによって行政の下請け化が回りまわって行政の首をしめないように予防線を張っている。それがコンパクトの主眼といえる。

コンパクトに代表される英国政府のNPOに対する取り組みを読むと、日本政府のNPOに対する取り組みにはまだまだ工夫の余地があるのではと思える。

ここで著者は、NPOが下請け化に陥る原因を、NPOの資金の流れと法制度から分析する。特に前者は、私がNPO設立を時期尚早と判断する大きな要因となった。原則繰り越しや積み立てのしにくいNPOは、上手に運営しないとすぐに自転車操業、又は下請け化の道まっしぐらとなる。私自身、自分が運営するNPOがそうなってしまう可能性についてまざまざと想像することができた。つまり、私自身のNPO設立への想いに引導を渡したのが本章であるといえる。後者の法制度にしたところで、経営視点の基準がないため、下請け化を防ぐための有効な手立てとなっていないようだ。NPO関連法は我が国では順次整備されつつあり、NPO運営規制も緩和に向かっているという。英国風コンパクトに影響を受けた行政とNPOの関係見直しも着手されているという。しかし、著者は同時に法整備の対象に経営視点が欠落していることも危惧している。

資金やサービスの流れについては、公益法人法が改正されたことを受け、NPOとの差異が図に表されている。政府、税、資金調達、運営を四角の各頂点とし、その図を使って公益法人と一般企業、NPO企業との仕組みの違いを説明する。

最後の二章は、自立したNPOのための著者の提唱が披露される場だ。上にも書いた通り、問題点は明確になりつつある。果たしてここで披露される提唱が有効な処方箋となりうるか。処方箋の一つは、NPOは、公的資金と会費、寄付、サービス対価収入などの民間資金のバランスについての明確な基準を持つ必要があること。また、行政にはNPOへの理解が欠かせず、自立した組織になることを念頭にした対応が求められること。この二つの処方箋が示される。

その処方箋の前提として、著者はドラッカーのマネジメントに読者の注意を戻す。ドラッカーは顧客を重視した。行政や税制がどうこうするよりも、NPOのサービスを求めるのが顧客である以上、顧客に回帰すべきというのが結論となる。

ドラッカーの設問一 「われわれの使命はなにか」
ドラッカーの設問二 「われわれの顧客は誰か」
ドラッカーの設問三 「顧客は何を価値あるものと考えているのか」
ドラッカーの設問四 「われわれの成果は何か」
ドラッカーの設問五 「われわれの計画は何か」

当たり前といえば当たり前で、企業経営にとってみれば常識である。しかし、顧客重視がしたくても出来にくいのがNPO経営といえる。企業の評価手法や利益設定を単に当てはめただけでうまくいくほどNPO経営は一筋縄では行かない。顧客重視だけではうまくいかないNPO経営の難しさは、検討するにつれますます私の能力に余ることを実感した。その対案として、著者は英国政府とNPOのあいだで締結されているコンパクトの評価部分を我が国でも採用することを提案する。さらに、我が国においてはNPOの内容説明や開示にまだ工夫の余地があると指摘する。

最終章では、まとめとして、公からの資金割合が高い現状を是正し、民間からの資金割合を高めることを提言する。

結局は、私企業と変わらずにサービス収入を増やすしかないということだろう。

ここに至り、私はNPOとしての独自サービスをITの分野で行うことが時期尚早との判断を下した。当初は営利企業を設立し、その範疇で業務を行うことが適当だという結論に。残念ながら、今の技術者の単価は私も含めて高い。クラウドでかなり工数削減が可能になったとはいえ、NPOの単価は、営利企業で相場とされる技術者単価に釣り合わない。NPO現場の要望にあったカスタマイズを考えると、NPOに技術者をフルに関与させることは難しいと云わざるを得ない。

しかし、クラウドの変化は著しい。まずは一年、法人化してからクラウドの様子を見ることにした。技術者に頼らずクラウドを駆使することで、必要とされる現場へIT技術を導入することができる日もそう遠くないだろう。そのことを見極めた後、改めてNPO再チャレンジへの道を考えたいと思った。

‘2015/02/27-2015/03/05


NPOで起業する!


本書はNPO法人設立促進の立場をとっている。阪神・淡路大震災をきっかけに、NPO法人の存在が見直されたことはよく知られている。

地震後の混乱の中、行政対応が後手に回ったのに対し、NPO法人の活躍が目立った。そのことでNPO法人に注目が集まり、NPOに関する各種法整備が進んだ。それはまた、日本の社会制度が疲労を起こし、変化に対応できなくなっている証拠でもある。そのような疲労しつつある行政の補完組織として、本書はNPO法人に期待をこめている。

そのため、本書はNPO法人に対して多大な期待を寄せ、総じて前向き、楽観的な論調に終始している。

しかし、本書はただ無邪気にNPO法人のよい面だけを連呼している訳ではない。一章では神奈川県が実施している県指定NPO法人制度を取り上げている。

県指定NPO法人制度とはなにか。それを語る前に、まずは認定NPO法人の仕組みを理解する必要がある。NPO法人自体の設立はそれほど難しくない。通常の会社設立と同じように設立できる。私が会社設立時にお願いしたような、経験のある行政書士の先生に頼めば安価で容易に設立してもらえる。しかし、NPO問題は設立してからの経営が難しいという。NPO法人は海外では寄付金によって運営を維持する団体が多い。しかし、我が国の通常のNPO法人では寄付する側に控除がされない。そのため寄付するという行為が定着せず、NPO法人の発展にも影響を与えかねない。それを改善するために国が新たに設けたのが認定NPO法人という考え方である。これによって、所管官庁が都道府県から国税庁となった。そして、寄付金に対する所得税と法人税が軽減された。併せて寄付者に対しても従来は認められなかった収益事業からの寄付金を20%まで認めるという恩恵が与えられた。これが認定NPO法人の意義である。

しかし、国の意図に反して認定NPO法人はあまり増えなかった。なぜなら、認定されるまでのハードルがあまりにも高かったから。その状態を是正するために神奈川県が独自で制定したのが、神奈川県指定NPO法人制度である。認定NPO法人となるためのハードルを下げ、認定NPO法人として認め易くしている。私は神奈川県指定NPO法人制度の事を本書で知った。

本章で紹介された神奈川県指定NPO法人制度は、神奈川県での活動実績があることが条件とされる。私は当初、町田を拠点としてNPO法人を設立することを考えていた。町田拠点であれば相模原や大和、横浜、川崎に近いため、ゆくゆくはご縁もできると判断した。しかも残念ながら、東京都にはこのような制度がなく、今後も予定されていないとか。この制度のことを知ることが出来ただけでも本書を新刊で買い求めた甲斐はあった。私にとって、神奈川県指定NPO制度は実に有益な情報であった。

第二章ではNPO法人として民間営利企業に勝つ方法が紹介される。他のNPO法人関連書を読むとミッション重視で、具体的な利益のあげ方まで言及した書籍は少ない。本書は、単価を下げ、その分の利益の差異を寄付金で賄うことで、営利企業に価格で勝つという戦略を敷いている。また、NPO法人の場合は社会的信用が最初から備わっていることを長所として戦うべきだという。さらには、一般企業との協働により、相乗効果を狙うことも薦めている。このことは、営利法人と非営利法人のどちらを設立するか迷っていた私に、協働という選択肢を与えてくれた。つまり、一般営利法人を立ち上げ、次いでNPO法人を立ち上げるということだ。実際、私は本書から得た情報を元にそのような選択をした。まず合同会社を立ち上げた訳だ。最後の方法としては、認定NPO法人となることだ。それによって中小企業と替わりない税率まで税負担を軽減させることができるため、経営基盤の強化に繋がると本書はいう。

第三章から第六章までは、具体的なNPO法人を紹介するケーススタディとなっている。

第三章で取り上げられるのはWE21ジャパンという神奈川に本部のあるNPO。こちらの活動はリサイクル品を集めて販売すること。本章ではその運営や理念について紹介されている。WE21ジャパンさんには私自身まだご縁がない。しかし、本書の記述を読む限りでは、典型的なNPO法人であるように思えた。本章に書かれたような地道な運営方法で、取り上げられるような規模まで育て上げたとすればたいしたものだと思う。

第四章で取り上げられるカタリバは、ユニークなNPO法人である。子ども・若者へのキャリア学習プログラムなどの活動を主軸にされているとのこと。私は常々若者に対しては、社会の決まりだからというステレオタイプ以外のアプローチで仕事を教える手立てがないものか考えていた。そんな私にカタリバの活動は大変参考となった。本章でもカタリバの経歴が紹介されていたが、試行錯誤の連続だったようだ。それを乗り越えたのは設立者の方の強烈な意思によるところが多いと読み取れる。NPO法人の存続には強烈な意志が必要であることは、どの書籍でも共通の印象だ。だが、強烈な意志やNPO法人としての理念やミッションだけでは空回りしかねないのも事実。いかにしてマネタイズさせ運営の継続につなげるか。これは、相当の難問だと思っている。が、本章で紹介されるカタリバは、それを粘り強く行っている。私はそのことに感銘を受けた。

第五章で取り上げられるのはカタリバとティーチ・フォー・ジャパン。後者は、大学を出た有為な若者を各地の学校に送り込み、放課後などを利用して公的授業だけでは補いきれない学力アップに寄与するためのプログラムだ。本家のティーチ・フォー・アメリカは、各国に拠点を置いているという。教師の負担減はわが国でもよく言われる課題だが、ティーチ・フォー・ジャパンがその役割の一助となれば良いと思う。私も実際小学校高学年と中学だけは塾に通っていたのだが、どうしてもあの「受験やらされ感」がダメで、高校時代はとうとう塾に通わなかった記憶がある。ティーチ・フォー・ジャパンやカタリバのような組織が子どもたちに学ぶ意味や喜びを教えられるような仕組みは必要ではないかと思う。そう思っていただけに、ここで書かれた活動には興味を持った。

第六章はMy Style@こだいらという街づくり系NPOである。街づくり系NPOは、私の興味に合致し、ゆくゆくは設立も視野に入れているNPOの一つでもある。小平という街は一、二度しか訪れたことがなく、こちらのNPOの抱える街づくりの課題や活動内容をしっかりイメージするには至らなかった。が、私が今回設立した合同会社についても、都心よりも町田や多摩地区を基盤においた活動をしたいと考えている。こういった街づくりNPOの活動には今後も注意を払い、参考にさせて頂くようにしたい。本章ではNPOの設立書類は自分たちで、という記述もある。その辺りの努力も含めて考えるところの多い章だった。

第七章で取り上げられているのはNPO法人ではない。公益財団法人だ。パブリックリソース財団という。NPO法人の財政基盤として、寄付金は無視できない。しかし一般の人々にとって寄付対象となるNPOを選別するのは難しい。こちらの財団は、そのお手伝いとして一般の人々からNPOへ、寄付金の橋渡しをすることをミッションとしている。私は今までこのような財団の存在は知らず、これまたとても参考になる章である。

本書はかなり実践的なNPO活動について触れており、受け身トーンの記述が多いNPOの書籍の中では前向きといえる。ただ、私のNPO法人設立の目標は、一旦先に合同会社を立ち上げることを優先したため、頓挫した状態だ。想定していたNPO法人と同等の仕事を設立した合同会社で行おうとしたのだが、正直難航している。NPO法人設立への思いも以前よりも薄らいでしまっているのも事実だ。

だが、本書を読んだ後に思うのは、NPO法人設立に必要なのはミッションと設立者の強烈な意志。これにつきる。改めてそのことを思い起こした次第だ。

‘2015/1/16-2015/1/18


NPO入門


本書はNPOについて調べ始めた私の前にすぐに現れた。いわゆる定番的な本なのだろう。とはいえ、本書の初版は1999年の発行となっている。16年前。それほど古いわけではない。ではなぜ、本書が定番となっているのか?

それは、前年の1998年に、特定非営利活動促進法が出来たためと思われる。この法律は、1995年の阪神・淡路大地震によってNPO活動に脚光が当たった後、立法されたという。おそらく本書は、特定非営利活動促進法の施行後すぐの時期に出版されたため、定番となっているのだろう。

本書はNPOの入門書だけあって、NPOを俯瞰的に紹介している。NPOの規模や構造から始まり、現状を紹介する。そして何故NPOが存在するか、といった社会に占めるNPOの存在意義を語る。さらには、各分野におけるNPOの設置状況から、NPOにとって避けては通れない寄付の問題にも触れる。そして、NPOのマネジメントについて説明する。資金や労務、評価など。さらには制度面からNPOをとらえ直す。

本書は、NPOについての入門編としての立場を崩さない。あくまで俯瞰的な記述に終始している。そのため、NPO経営の実態や極意、コツや実例は本書からは得られないかもしれない。そういった実践的な糧は、別の本から得るとよい。そして本書からは、基本的な内容を読み取るべきだろう。

また、本書のNPOに対する視線は楽観的ではない。NPOに対しての厳しい記述が目立つ。例えば序章では、NPOに対する誤解として以下の4つの項目が挙げられている。

1 期待と現実のギャップ
2 非営利=善ではない
3 NPO=ボランティアではない
4 精神論の落とし穴

ここで誤解の無いように言っておくと、本書はNPOを否定するのが目的ではない。そうではなく過度な期待や甘い見方を排し、客観的にNPOを評価し理解してもらうことをねらいとしているようだ。

巻末には付録として特定非営利活動促進法の全文が載っている。法律の全文は、NPO設立を目指すのであれば見ておく必要があるだろう。さらには、参考文献のリストも付されている。学問としてNPOをとらえる場合も、実践としてNPOを使う場合にも、本書は役に立つと思われる。

本書やその他の書籍を読んだ結果、私は法人化に当たってはまず合同会社を選んだ。しかしやがてはNPO設立も考える日が来るだろう。その際はまた、本書に目を通すことと思われる。

’2015/01/15-2015/01/16

/p>


闇の子供たち


著者の作品は本書が初見。

本書はノンフィクションとフィクションの境をあえて曖昧にした内容で、論議を呼び起こし映画化もされた作品である。

タイ農村部の人身売買の取引と、少女たちが売られ、性の欲望に蹂躙されていく様が、ポルノと見間違えるぐらいのえぐい筆致で描かれており、読んでいて気分が悪くなったほど。エイズに感染した少女が売春宿をたらいまわしにされた後、必死にたどり着いた故郷で村八分にされ、生きながら焼却処分されるなど、酸鼻極まりない描写がこれでもかと眼前に突き付けられる。

中盤からは人身売買を業とする闇組織の暗躍と、それを食い止めようとする現地NPOの奮闘、日本人スタッフや日本から取材に来た記者などの努力を元に内容の展開に没頭できるだけに、衝撃は幾分和らげられるものの、後半では臓器売買の提供者として闇から闇へ取り扱われる少女と、その恩恵を受ける日本人の児童という構図が取り上げられ、子を持つ日本人として否応なしに考えさせられてしまう。

本書の内容があまりにも生々しく、しかも我々平和な国に住む人間に対して刃のような問いを突き付ける内容だけに、ノンフィクションとフィクションという区分けや、内容の真偽も含め、レビューにも否定的な内容が多い。内容から目をそむけたくなる気持ちもわかるが、そういう評価は本来小説の内容とは関係ない次元の話であり、あえて事実か虚構かを曖昧にして発表した著者の術中に嵌っているのではないかと思う。

フィクションであればそこまでの衝撃を与えた著者の文才を賞賛すべきであり、ノンフィクションであれば我々が享受する繁栄の代償としてある未知の犠牲について少なくとも思いを致す機会とすべきであろう。

私自身は事実か虚構かという二分論に与するつもりはなく、本書の内容が事実の断片を元にした虚構ではないかと考えているが、元となった事実の断片だけでも存在すると仮定すれば、子を持つ親、または日本人としての今を真摯に考えなければならないと思った。

’12/02/06-’12/02/07