Articles tagged with: 鹿

CLS道東 2024 極寒編 大人の遠足編に参加してきました


奇跡的に5時頃に目覚めました。
なぜなら、前夜、CLS道東の懇親会からどうやって宿に帰ったのか全く覚えていないからです。普通、そこまで飲んでいると目覚められません。
目覚ましをかけたおかげで、8時頃に起きられました。

泊まっていた大喜湯にお願いしてタクシーを呼んでもらい、私はその間に朝風呂に入りました。
正直、二日酔いで頭もぼーっとしています。しかし、朝風呂とコーヒーで少しだけ頭はしゃっきりとし、迎えのタクシーに乗りました。

MOO前のローソンでタクシーを降り、ローソンでおにぎりを食べて歯を磨き、バスの集合時刻の10分前に間に合いました。
よかった。寝過ごしていれば、今日の大人の遠足編に参加できない失態をさらすところでした。

とはいえ、私は大人の遠足編でどこにいくのか、あまり具体的に把握していませんでした。
私が知っていたのは塘路湖と厚岸を訪れることだけでした。でも、道東が好きな私には、それだけで十分魅力的。

皆さんも前夜はかなり盛り上がっていたようです。私など序の口で、もっと遅くまで飲んでいた方も多かったようです。
実際、バスの皆さんの多くがまだ眠気に襲われているようでした。

それでも、ガイド役を務める琴絵さんは立派。20名弱の眠気に襲われた皆さんを率い、釧路周辺を案内してくださっています。
『ホテルローヤル』のモデルとなったホテルとか、私も初めて見ました。新たな情報も取り入れつつ、私は眠るどころではなく、ひたすら大好きな道東の眺めに見入っていました。

やがてバスは釧路町を経て標茶町へ。塘路駅では迎えに来てくださったカヌーのガイドさんのワゴンに乗り換え、塘路湖畔へ。


湖畔には二梃が横に連結された形のカナディアン・カヌーが浮かんでいました。このようなカヌーがあることも初めて知りました。そもそも川下りのカヌーに乗るのが初めて。
湖岸の氷にバランスを崩しそうになりながら、六人でカヌーに乗り込んで出発。


まずは、塘路湖の中心部に向けてカヌーは進みました。
はるか先まで広がる湖面には、ワカサギ釣りのテントが散在しています。
氷に覆われた湖面は、ただ白く、ただ静寂で、私たちの感動する言葉だけが聞こえます。


湖面には白鳥が優雅に浮かんでおり、周りの風景に完璧に溶け込んでいます。
風景に見とれる私たちの前で、私たちの動きを察知したのでしょうか、白鳥は飛び去っていきました。
その姿はエレガントの一言。騒々しい都会からきた私たちに自然の品格とは何かを示してくれました。
私のiPadではうまく写真が撮れなかったので、同行した佐竹さんの写真をお借りします。写真だけでも美しさが思い浮かびます。


カヌーはそこから逆を向き、塘路湖から流れ出ているアレキナイ川へ。その穏やかな流れにそって、釧路川との合流点まで下っていきました。

あたりは凛とした寒気に覆われています。ところが身も心も凍えるどころか、その神聖さに洗われて温かい気持ちになりました。
音もなく流れる川。辺りには何の物音もしません。私たちの会話とオールを漕ぐ音。カヌーが水をかき分ける音。それだけが辺りを支配しています。


川の水の方が外気より温かいため、水蒸気が川から立ち上り、それが倒れた木々の枝にびっしりと霧氷となって幻想的な光景に彩りを与えています。
辺りを占めるのは白で覆われた世界。そうでありながら、目に見える全てがいきいきと色彩で彩られているように錯覚します。

樹々に止まる鳥があたりを自由に飛び回っています。川岸にはタラの芽を食べる親子鹿の姿も見られました。
人手が振れていない自然はこれほどまでに尊いのか。自然に対する畏敬の念が自然と沸いてきます。

こういうコンテンツは、都会で味わえません。
動画でもブログでも再現は不可能です。
今書いているこの文章でも私の味わった感動の百分の一も表せていません。
だからこそ、人は旅に出るのでしょう。体感するため、経験するため。

地方を活性化させるためには、こういうコンテンツを武器にすることです。
ただ、人をたくさん呼んでしまうと、自然の良さが失われてしまいます。

快適さと安定・安心を求めるのが人の本性であるとするならば、相反する刺激を求めるのもまた人。
都市と地方、集中と過疎。
それらの相反するキーワードをまとめつつ、地方をどうやって創生するか。

東京から塘路まで来るのは大変でも、釧路から塘路はそれほど離れていません。
釧路経済圏の経済を活性化し、そこに人を集め、道東にしかないコンテンツが好きな方に集まってもらえるだけのメリットを感じてもらう。

現実的に大都市から標茶町に移住する方を募っても、一部の方しか来ないはず。でも、釧路に来てさえくれば、移住者も道東も共存できるのではないか。

川に揺られながら朧げに考えていたことをまとめてみました。


神々しいとしか言いようのない川を下る体験は、自然に生かされている自分、という気づきももたらしてくれました。
自分の本性を押し殺し、これからも都会に住み続けることが果たして自分にとってふさわしいのだろうか、とか。
そもそも、このような寒さの道東に住み続けることが現実的なのか。冬の道東へのあこがれは、甘ったれた都会人の妄想に過ぎないのか。


川はゆったりと流れ、釧路川との合流点に。
今までの緩やかな流れとは打って変わり、釧路川の本流の流れは早く、そして力強い。
川面にはシャーベット状になった氷が連なり、しゃりしゃりと音を立てながら川岸を削っています。

穏やかなアレキナイ川の流れから、自然の荒さが少し垣間見える釧路川の流れへ。
自然の現実を少しかいま見たところで、私たちは再びアレキナイ川の流れを遡っていきました。


いくら川の流れが緩やかでも、川を遡るには協力が必要です。みんなでオールを漕ぎました。
そのため、行きのように自然を見ながらのんびり感動に浸る時間は減りましたが、これもまた自然の現実。

そうやってオールを漕ぎながらも、カワセミやオオワシやヤマセミやカラス、スズメやゴジュウカラ、マガモなどさまぞまな野鳥が私たちの目を楽しませてくれます。鹿の姿も見かけました。そうやって漕いでいるうち、塘路湖を出てすぐにある釧網本線の鉄橋をくぐり、インバウンドの観光客も含め多数のカヌーと挨拶しながら、元の湖岸に戻りました。

とにかく感動の時間でした。本当にありがとうございます。
コーヒーも振る舞ってもらい、塘路駅まで送ってもらいました。


さて、塘路駅で少し待てば、SL冬の湿原号がやってきます。約一時間ほどSLの到着を待ちました。
塘路駅への訪問は、私にとって約4半世紀ぶり。
かつて一人旅で北海道を回った際、釧路駅前で寝袋で野宿し、翌朝のノロッコ号に乗った時の終着駅が塘路駅でした。それ以来です。
駅巡りが趣味の一つの私にとっては、ぜひとも再訪したい駅でした。今回、このような貴重な時間があったことに感謝です。


しばらく待っていると人が集まり始めました。カヌーに乗っていても釧網本線の鉄橋に三脚を構える人々の姿がありましたが、SLを目当てにする撮り鉄はたくさんいるようですね。
やがて、彼方から汽笛が聞こえ、煙が見えてきました。やがて、SLの勇壮な姿がやってきました。


塘路駅は雪景色の中にあります。辺りは白。そこに入線してきた黒いSLの存在感は抜群です。雪景色の中、黒いSLが白い煙と黒い煙を盛んに吐き出し、辺りは黒と白の二色に染まりました。まさにコントラストの妙です。


動くSLを見るのは本当に久しぶりです。
かつては日本各地を、北海道各地を走り回っていたSLも、今や観光客向けの貴重なコンテンツとして余生を生きています。各地の公園に安置されているSLを見る機会は多いですが、動いているSLはまだまだ観光資源になりうるはず。
環境にとってどの程度SLが許容されるのかは分かりませんが、季節運行ではなく、通年運行にしてもよい気がします。

標茶まで去っていくSLの後ろ姿をみていると、可能性しか感じませんでした。
今や、都会でSLが走れる余地はまったくないはず。
SLこそ、広大な釧路湿原だからこそ許され、人を集められる存在になるのではないでしょうか。

丁度SLが去っていくタイミングに合わせて、近くのTHE GEEKでサウナで整っていた皆さんも戻ってこられました。
それぞれがそれぞれの好きなコンテンツを選び、楽しめる。素晴らしいですね!アテンドしてくださったジョイゾーの皆さんのプランが素敵です。

さて、バスは続いて厚岸へ。
これまた、私にとって楽しみな場所です。


かつて友人と二人で北海道を一周した際、厚岸に立ち寄った記憶はあります。ですが、その時はただ通り過ぎるだけでした。
その数年後にウイスキーとその周辺の文化を愛するようになり、Whisky Tourismを趣味の一つにしました。それから約二十年後、厚岸にウイスキー蒸留所ができたことも知ってました。
私が釧路に来始めた一昨年の夏から、厚岸にはいずれ行きたいと思っていました。

昨年夏のCLS道東の会場でも厚岸のモルトと牡蠣の取り合わせを楽しみました。昨年の10月には釧路のWhisky Bar 高森で多様な厚岸のシングルモルトやブレンデッドウイスキーを楽しみました。
私の中の厚岸へのあこがれが高まるばかりです。

そこにきて、今回の大人の遠足編です。厚岸にいって牡蠣が食べられる。ついに。

今回はカキキンさんの運営するオイスターバー 牡蠣場を貸し切りです。しかも普段は昼にやっていないのにお願いして開けてもらう贅沢。


牡蠣を使ったありとあらゆる品々が舌と胃袋を満たしてくれます。
カウンターには贅沢にもウイスキーを振りかけるための瓶が。好きなだけ牡蠣にふりかけられます。牡蠣だけではなく料理にも。中に入っているのはLightly-Peatedのサロルンカムイ。なんという贅沢な時間!


暖炉がふんだんに焚かれ、暑いとすら思える室内。そこから窓の外に広がる景色は氷が浮かぶ厚岸湖。快晴の空と対照的な白がまぶしく窓の外で光っています。
景色と振舞われる料理のすべてがここでしか味わえないもの。おそらく、どれだけ冷蔵技術が進んだとしても、目の前の景色までは持ってこられません。
素材が新鮮なことも当然ですし、景色を含めた場の空気までは都会では再現できません。二十名弱の旅仲間と共有できる時間は尊い。
まさに厚岸でなければ体験できない時間と空間と味覚です。





CLS道東のレビューの記事でも書きましたが、雪川醸造の山平さんが中嶋さんと商談を進める姿もとても印象に残りました。
必ず再訪したいと思いました。訪れた私たちにとって、また再訪するためのプレゼントも琴絵さんからいただけたことですし。
カキキンの中嶋さんやスタッフの皆さん、ありがとうございました。琴絵さんにも感謝!




帰りのバスの中で、道東の景色を眺めながら、前日のCLS道東のブログを少しずつ書き始めました。


と、私の通路を挟んだ反対側の小島さんの席に琴絵さんがやってきました。
なんと、琴絵さんがやっているVoicyの収録を小島さんを迎えて行うというのです。
Voicyの収録が目の前で行われる!これをチャンスといわずしてどうするのか。

私もブログを書くために開いたパソコンを閉じ、二人の対談に聞き入っていました。
Voicyはあとからある程度の編集ができるとは知っていましたが、それは各チャプターの並びだけ。
#56 パラレルマーケター 小島英揮さんを迎えて、CLS道東を語ります
ここで語られる内容は、私が目の前で聞いた内容と同じです。

つまり、完全に即興でこれだけの対談が成り立ったわけです。
まさに、私にとって生きた見本を目の前で見せてもらえました。

登壇とはライブです。前もって資料を作っていれば、ある程度は話せます。
ですが、資料もなしにその場で即興で話す、しかも対談とあれば、前もって深く考えていなければとてもできるものではありません。
しかも、どもったり、えーとかあーとかの間投詞もなく、それでいながら即興で話し合える二人に感心しながら聞いていました。
CLSの事やコミュニティやマーケティングについて普段から考えておられる証拠ですね。学びになりました。


空港でかなりの方が釧路を離れられました。そこから釧路市観光国際交流センターまでの道中も、琴絵さんと小島さんの対談は続きます。
CLSやコミュニティだけではなく、部下への接し方、組織についてなど、Voicyに収まっていないためになる話が聞けました。

自由と安定。その中で小島さんがおっしゃったキーワードです。
私もその両立を目指しています。個人としても、弊社のメンバーが実現できるようにも。

その意味でもとても興味深い一日でした。小島さんと琴絵さんには感謝です。
バスを降りた後、高知からはせ参じてくださった片岡幸人さんと釧路駅前まで歩きながら語りました。
CLS高知を運営されて、こうしてCLS道東まできてくださる事には頭がさがります。
それとともに、私も移動しつつ、自分の仕事もこなせるだけの力を持ちたいと願いました。

今回の大人の遠足編は、私の個人的な喜びを満たしてくれる機会でした。そして、さらに学びの場でもありました。
地域コンテンツの充実が都会にとって何を意味するのかについて。そして山平さんが見せてくれたようなその場で機を逃さずに商談する行動力について。最後にVoicyを使ったその場で語れるだけの自己研鑽の重要性です。
それらを満たすことによって、私が地域に対して何らかの提案ができるようになることを願っています。

まだ私にはできることがある。努力すれば、伸びしろだってある。
またこうやって道東を旅し、仕事もし、人と交流がしたい。
今回、道東を訪れ、皆さんと一緒に旅ができたことは、間違いなく私にとって更なる良い効果を与えてくれるはずです。

皆さんへの感謝の心と決意を抱きながら、帯広への特急おおぞらに乗りました。帯広では仕事をするために。
今回の皆さんには感謝です。CLS道東、懇親会、大人の遠足編で会った皆さんに。


鹿男あをによし


デビュー二作目にして、この世界観の飛躍もさることながら、この筆力の充実ぶりといったら。

発想も大枠自体はそれほど突飛でもないのだけれど、細かい部分での描写や動きが自由な発想で楽しめる。それは終盤で明かされるとあるアイテムの正体や、それぞれの登場人物の役割などに代表される発想の飛躍に代表される。拡げた大風呂敷の空間を精いっぱい使い切っているだけに、設定に無理があると思わせないところがすばらしい。

そして著者が、設定のユニークさだけの作家でないことを見せてくれたのが、本書の剣道のシーン。胸が熱くなる。ここまで臨場感あふれる剣道の試合風景を描いた小説はまだ読んだことがない。飛び散る汗や竹刀の音、刻々と押し寄せる疲労の波。それらを操ってここまで熱く読ませるシーンが描けるからこそ、壮大な世界観と細かなディテールが相乗効果を生み、流れるように奔放に、破綻を全く感じさせることなく作品世界を完結させられるのだということを、思い知らされた。

それにしても鴨川ホルモーといい、本書といい、プリンセス・トヨトミといい、私の読んだ三冊は、どれも地理的な感覚が豊かな人にしか書けない設定になっている。おそらく著者は地図を眺めるのが好きな方ではないかと思う。 

’12/1/26-’12/1/26