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沖縄にとろける


本書は、沖縄旅行の前に読んでおきたかった。なぜなら、本書には沖縄を楽しむための知識、それも私が大好きな類の知識がたくさん詰まっているからだ。

本書が語る沖縄とは、海や戦跡、水族館や琉球舞踊、音楽についてではない。ありふれた日常の中にある沖縄を語る。

本書が主に扱うのは食文化や酒文化からみた沖縄だ。その観点からみた沖縄は、混じり合った異文化の魅力を放っている。それは観光客として訪れるだけでも存分に楽しめる。実際、私を魅了し続けている。独特の食材を使い、独自の風味で味付けられた料理。お店には泡盛の甕やシーサーが飾られ、飲み食いしながら味わえる旅人の実感は格別だ。

しかし、その装いや味付けはどことなくよそ行きの雰囲気をまとっているように思うのは私だけだろうか。つまりは観光客向けの。それは私がまだ沖縄を観光地でしか知らないからだろう。観光客は決して知らない、沖縄にしかない食文化が、沖縄の日常には隠れているはずなのだ。シーブンのような。旅の楽しみの一つは、その奥深さに触れることにある。普段は観光客の目に触れないが、日常に足を踏み入れると時折その姿をのぞかせる食文化。それらに触れるには、市場やスーパーなど地元民が訪れる場所に行くのが早い。

沖縄は日本屈指の観光地だ。それだけに観光客として訪れるだけでも十分楽しめる。だが、沖縄の日常には、観光客として行くだけでは決して味わえない、さらなる深い麻薬のような魅力を放っているように思う。

その魅力とは、町の大衆食堂の中にメニューとして掲げられている。自動販売機やA&Wの店を訪れ、店内を注意深く見ると気づく。離島のゆっくりした時間に漂っている。うらぶれた裏通りのホテルに染み付いている。地元民しか訪れないビーチで波に洗われている。

私は今回の沖縄が三回目となるが、観光客がよく行くと思われる沖縄本島の有名な観光地はようやく二割近くは訪問できた。となると、次はより沖縄の日常に触れてみたくなる。当然だ。実は二回目も今回も沖縄在住の方にお会いしている。だが、限られたわずかな時間では本書に取り上げられているような深い経験はできない。本書にはいわゆる観光地は登場しない。旅人としてではなく、住んでみて初めて気づく視点。それが紹介されるのが本書だ。

その視点とは、沖縄に住み、地元の方と長い時間を共有してようやく気づく類いのことだ。たとえば本書には住民のビーチパーティーに招かれた著者が、ビーチパーティーとはなんぞや、と考察する章がある。そもそも観光地を訪れ、普通にホテルに泊まっているだけではビーチパーティーには呼ばれるどころか存在にすら気づかないはず。地元の方との親密な関係を築いてはじめてビーチパーティーに呼ばれるのだから。

他の章では、数十メートルの距離を歩かずに車で移動しようとするウチナーンチュを揶揄している。観光客向けのレストランや居酒屋には登場せず、地元住民が足しげく通う店でしか見られないメニューの数々が登場する。法の遵守などまったく見向きもせず、たくましく生きるウチナーンチュの夜型の生活が描かれる。生活のためなら論外と言わんばかりに自販機の夜間販売の制限を無視するふてぶてしさにも触れる。食品衛生法など度外視で造られる島豆腐の製法から、食品の美味しさを賛美する。どの視点も生活をともにせねば書けない内容だ。著者はそうした沖縄のしたたかさとたくましさが、管理と治安が最優先の日本本土で失われつつあることをいいたいのではないか。自主規制が幅を利かせ、画一的な文化しか見られなくなったメインストリームの文化。そのような対比が透けて見えるため、本書はなおさら面白く興味深い。

本書から見えるのは沖縄のたくましさだ。そのたくましさはアジアのそれを思い出させる。たとえば台湾のような。

かつて私は台湾を自転車で一周したことがある。その時に見かけた台湾の人々はとてもエネルギッシュで活力にあふれていた。町中をバイクで五人乗りで走行する少年たちの姿。日本ではまず見られないものだ。その辺で交尾をし、放し飼いで買われている犬たち。私は夜の道を自転車で走っていて何度犬に追っかけられたことか。そのおおらかなアジアの猥雑さは、当時の私に大きく影響を与えた。本書から垣間見える沖縄の姿は、あのときの台湾を思い出させる。

私が台湾で活気むんむんだった庶民を見かけたのも観光地ではなく、日常の中だった。その経験は私に旅の極意を教えてくれた。旅とは観光地ではなく、日常に入り込むことによって得られるものだと。

その経験からいうと、私はまだ沖縄の表しか見ていない。私が沖縄の日常を知るにはあと何度訪れなければならないのだろう。より深く活気にあふれた沖縄。そのエネルギーは少々管理に疲れたように見える日本人に活気を与えてくれるはずだ。活気だけでなく、日本再生のヒントを。

私ももちろん、沖縄からエネルギーを分け与えてもらいたいと思っている。そしてこの整頓と秩序を重んじる日本で生きるためのヒントを。私の残り時間は短い。

‘2018/03/31-2018/04/02


週末沖縄でちょっとゆるり


本書を読んだのは沖縄へ向かう機中だ。私にとっては九カ月ぶりの沖縄、前回の旅は沖縄戦と琉球文化を知る旅だった。ただ、二十二年ぶりの沖縄だったため、各訪問先のごとの思い出を作るのに精一杯だった。その時のブログは以下のリンクに書いた通り。今回は家族との旅を楽しむつもり。戦跡も巡るが、美ら海水族館やビーチにもいく。
家族で沖縄 2018/3/26
家族で沖縄 2018/3/27
家族で沖縄 2018/3/28

前回の旅で触れることのできた琉球の文化はほんの一部。沖縄にはもっと奥深いところに旅人の心を揺り動かす何かがあるはず。そう思い、今回は沖縄の文化について事前に予習することにした。

本の内容が現実にリンクした時、読書の醍醐味は実感となる。この実感は、おととしに家族で訪れた長崎で味わった。浦上天主堂が一部の遺構を残して撤去された経緯を描いた本< ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 >を読んだ翌日、長崎の街を歩いた時に感じた思い。本に描かれた天主堂の遺構や再建された天主堂をこの目で見たときに感じた感動は、読書家としての私自身の生き方に誤りはないと確信させた。

本書は実に面白かった。そして本書の内容が私の沖縄の旅にリンクした。だからこそ思い出に残った。

第一章の「沖縄そば」がすでにそうだった。前回の私の沖縄旅の目的の一つは、沖縄そばの神髄を知ることにあった。そのことは先に紹介したブログに書いたとおり。私が旅の途中で食べたのは豊見城にある「名嘉地そば」さんだ。それはとてもおいしかった。だが、革命的な発見を思わせるほどでもなかった。私が知っている沖縄そばとは、本土で食べるものだった。本土で食べる沖縄そばは、本当に沖縄そば本来の味なのだろうか。その探究心に駆られて訪れた「名嘉地そば」さんは、本土で食べる沖縄そばをおいしくした味だった。だが、それでは私の沖縄そばの本質を知りたい欲求を満たせない。私の知らない沖縄そばがあるのでは、と疑っていた。

東南アジアから台湾をへて沖縄、そして日本。その円弧上に沿って北上するうちに、麺文化は食べる麺からすする麺へと姿を変えて行く。そう書いたのは著者だ。それは確かに瞠目すべき発見に違いない。ところが、著者が発見はした事実とはそれだけにとどまらない。著者は沖縄そばが本土に影響されつつある現状をも発見する。そして著者は、沖縄そばが次第に食べるそばから啜るそばに変わってゆきつつあるのでは、と懸念する。その事実は、ずいぶん前から沖縄に足を運んできた著者だからこそ気づけたのだろう。おそらく著者の発見とは、食文化を語る上でずいぶんと貴重なものだと思う。

著者は沖縄そばを知るため、那覇から食べ歩きを始める。その探求はファミリーマートで売られている沖縄そばにまで及ぶ。本書で紹介されているファミリーマートの沖縄そばは私も目撃した。だが、本書を読んでいたためか食指は動かなかった。

著書の探究は那覇では実を結ばなかった。だから著者は国道58号線を北上しながら食べる沖縄そばを求める。そして、普天間にある三角食堂と、名護の八重食堂で著者は食べる沖縄そばに巡り合う。両者ともに那覇ではなく、郊外で見つかったところが興味深い。著者は、沖縄そばの中に那覇そばというカテゴリーがあるのでは、と結論を出す。それもまた興味深い。なぜならば、Wikipediaからの知識では、沖縄そばは那覇で生まれ、発展したはずだから。
ちなみに今回の沖縄の旅において、私は糖質オフダイエット中だったのであまり沖縄そばを食べなかった。しかし、知念岬の近くにある南城市地域物産交流館で食べた野菜そばはとてもおいしかった。

著者の啜るそばと食べるそばの切り分けは興味深い。おそらく的を射た指摘なのだろう。ただ著者は、啜るそばに変わったからと言って沖縄そばがまずくなったのではなく、むしろ全体のレベルは上がっているという。
私が知りたい沖縄そば。それは食べるそばを指すのだろうか。であれば、多分まだお目にかかったことがないはず。私が本土で食べたことのある、そして前回と今回の旅で食べた沖縄そばとは、本土向けにアレンジされた啜るそばではないか。ということは、私はまだ沖縄そばを知らない。多分、食べる沖縄そばを味わえた時、ようやく私は沖縄そばの世界の入り口に立てるのだろう。それまでは沖縄そばについて蘊蓄を披露するのはよしたい。

なお、本章の補足としてシーブンについての考察も載っており、これも興味深かった。シーブンとは沖縄の定食屋で出されるサイドメニューのことだという。メニューに載っている料理を注文すると、サービスでサイドメニューがドドんと出される。その量の多さは、料理に込められたサービス精神の表れだ。私はまだシーブンを知らない。前回も今回も定食屋には入らなかったから。さらに私は、ホテルや観光地の食事しか沖縄料理をしらない。だから、沖縄料理を語る愚は避けなければ、と自戒した。

第二章「カチャーシー」も、本書を読んですぐ、旅の中で経験したことの一つだ。

カチャーシーとは何か。それは琉球の踊りだ。阿波おどりや盆踊りのようなものと思えばいい。だが、それらの踊りとは明らかに違う、琉球に独自の振りがあるのだという。本書にはこう書かれている。「なお、不慣れな本土の人間が踊ると、たいていは阿波踊りになる。」(71ページ)

著者が栄町市場のカメおばぁにカチャーシーを習う。そして、カチャーシーが何かを悟る。沖縄ではめでたいことがあるとすぐにその場でカチャーシーを皆で踊り狂うという。

本書を読んだ後、私はカチャーシーが何かを体験する。それは国際通りでのことだ。妻が以前の旅で訪れたという波照間https://hateruma.jcc-okinawa.net/という店に入った(実は妻の勘違いで、違う店だったのだが)。このお店で食べた料理はおいしかったが、それ以上に島唄三線のライブがあり、私の中で印象に残っている。島唄三線のライブが終わりに近づくと、座敷で飲み食いしていた客が何人もランダムにステージに上げられ、皆で踊る。私は幸いなのか残念なのか、ステージに連れていかれなかったため、カチャーシーを踊る経験は積めなかった。だが、これがカチャーシーか、と目の前で見聞きできたのは大きい。本書を読んでいた私は、目の前の楽しげな騒ぎがカチャーシーであることを理解できた。

本章は本書の中でも核心ともいえる。なぜなら、沖縄病について考察されているからだ。著者はその中で本土と沖縄の根本の違いについても鋭く触れている。

沖縄病について触れた文章を引用する。
「沖縄病という病は、基本的に片思いだから、その人の沖縄への思いだけが空まわりする。しかしどこか嬉しい。片思いとは、そういうものだ。かつて僕自身、かなり重い沖縄病を患っていたから、そのあたりの感覚はよくわかる。
 沖縄病に罹った人たちの一部は、移住を決意する。沖縄に移り住む・・・それは簡単なことではない。若者が沖縄に仕事を見つけて移るのならまだしも、本土生活の基盤があった人にとっては大変な覚悟である。人生のターニングポイント・・・と考える人もいる。そこまで沖縄への思いが増幅される。」(64P)

著者は自らが経験したカチャーシーを語り、まだ沖縄の人になりきれていない自分を悟る。それは八重山商工が甲子園に出た時のことだ。試合に勝った後、自然とカチャーシーがスタンドで沸き起こる。ところが著者はその場にいながら腰が上がらなかったのだという。それでも著者は悟る。
「カチャーシーとは踊りではなく、嬉しさを示す手段なのだ。」(88P)

著者はカメおばぁからカチャーシーを教えられながら、笑顔がないことを注意される。カチャーシーとは喜びの表現だからだ。そしてうれしさとは自然に出てくるものでないと駄目だ。観察者として傍観するのではなく、主導者として表現しなければならない。そこに沖縄と本土の違いがある。著者は沖縄と本土の違いを考える。ところが核心をつこうとしてつけていない。著者自身が自身の本土から来た者としてのアイデンティティと沖縄に染まる理想を紐づけようとして苦心している様が本章からはよく分かる。だから本章は本書でも核となるのだ。

第三章「LCC」は、沖縄の航空事情について語る。今回の沖縄の旅でも私たちはスカイマークを使った。それだけに、著者の言いたいことが理解できた。東京都心部から成田空港へのアクセス時間や、成田から那覇へのLCCの発着の時間。LCCの誕生が沖縄本島へのアクセスだけでなく石垣島や宮古島への往来を楽にしたこと。沖縄へしょっちゅう行き来するという著者だからこそ書ける考察に満ちていたのが本章だ。

第四章「琉球王国と県庁」は、本書の中でも若干異質だ。少なくとも、本書のタイトルが表わすゆるさとは違う。硬派な内容で埋められている。基地問題と沖縄。地上戦と沖縄。本土の沖縄。米軍と沖縄。どれほど沖縄が観光で栄えようとも、それらの問題を忘れ去るわけにはいかない。そうした矛盾の中で沖縄はどう生きてきたのか。そして、これからどう生きようとするのか。それを著者は探っていく。本章からは、被害者としての沖縄だけではなく、したたかな沖縄の姿も見えてくる。

著者は沖縄を取り上げるライターとして、観光本も手掛けているそうだ。著者は観光地沖縄を扱いながらも、被害者としての沖縄を忘れていいのか、と自らに問う。また、同時に米軍基地の存在が沖縄に利益を与えている現状もきちんと踏まえる。理想と現実の両者を見つめながら、沖縄は生きていかなければならない。基地がいい、悪いといった単純な二元論に陥っていないところが評価できる。

「沖縄は戦争の犠牲になった。しかし、本土の人々が、加害者意識に縁どられた視線をいくら向けてくれても、沖縄の人が豊かになるわけではなかった。沖縄の人々がほしいのは、同情ではなく、島が生きていく方法論だった。」(147P)
この文は、基地の反対運動に奔走する運動家への問題提起になっている。沖縄=善、本土=悪という視点にこだわっていては導き出すのもむずかしいだろう。本書が朝日文庫に収められており、親会社が朝日新聞社である事を考えると興味深い。
今回の沖縄旅行の三日目の朝、私は県庁前あたりをうろついた。その前の夜は北谷のアメリカンビレッジにも訪れた。初日はひめゆりの塔やアブチラガマで戦地に立った。本章は、そうした私の経験にリンクした。この章も本書では見逃せない。

第五章「波照間島」もまた味わい深い章だ。波照間島という日本最南端の島。その地を「離島の離島」という言葉で描き出しつつ、そこを訪れる訪問者の心境を探ってゆく。著者の友人で「ウルトラマン研究序説」を編集した人物がいるという。その人物は結局自死の道を選んだそうだ。そして自死する前に波照間島をいく度も訪れていたとか。そして一人で凧を挙げていたことが紹介される。著者はその友人を感傷的に振り返る。離島の離島は果たして人生の終着駅になりうるのだろうか。

今回の旅では波照間島には行かなかった。が、那覇で訪れた居酒屋の名前が波照間だったこともあり、本書と私の旅のリンクは続く。

第六章「農連市場」は、再開発の波によって姿を消した農連市場の姿をカメラマンの阿部稔哉氏が写真に収めている。再開発された農連市場の横を通ったのは、旅行の二日目、美ら海水族館へと向かう時。外観もすでに新しい姿だったので、本書に収められたような姿はみられなかった。だが、旅の三日目に市場本通りとむつみ橋商店街を少し歩いた。両方ともに昔ながらの庶民的な雰囲気に満ちていた。おそらく在りし日の農連市場もこのような場所だったのでは、と推測できたように思う。

第七章「コザ」は、今や寂れてしまったコザを仲村清司氏が文章に著している。コザは沖縄市にあり、嘉手納基地の足元にある。日本返還前にコザ暴動がおこった場所でもある。そのコザはかつては米兵で大賑わいだったらしいが、今は閑散としているという。その歴史や今の現状をルポルタージュの風味で描いたのが本章だ。

旅の二日目の夜、沖縄在住の友人の一家と北谷のアメリカンビレッジで夕食を一緒に過ごした。アメリカン・ビレッジは繁盛しており、沖縄でも成功したショッピングセンターとして評価が高いようだ。訪れた私も家族もアメリカン・ヴィレッジの活気を楽しんだ。アメリカンのはビレッジはコザからそう離れていない。

私は夕食の場で友人にコザの今がどうなのか聞いた。すると、まだ夜のコザは華やかだと言って夜の様子を写真で見せてくれた。米兵が多数たむろする歓楽街として、コザは今も機能しているようだ。ただし、女性が行く場所ではないとか。

それは仲村氏が取材した後、コザが盛り返したためなのか。それとも仲村氏のルポのタイミングがたまたま寂れていた時間帯だったのか。私には分からない。だが、北谷アメリカンヴィレッジがこれだけにぎわっていることは確かだ。コザの賑わいがそっくり北谷に移っただけなのかもしれないし、そもそもコザを訪れたことのない私には判断できない。どちらにせよ、私は今までの三度の沖縄旅行でコザに行ったことがない。次回、沖縄を訪れたあかつきにはコザを訪れようと思う。友人の一家もコザの近くに住んでいることだし。

第八章「沖縄通い者がすすめる週末沖縄」
第九章「在住者がすすめる週末沖縄」の両章はタイトルそのままの内容だ。それほどページ数は多くない。だが、ガイドマップには載っていない情報なので面白いかもしれない。むしろ、著者の視点ではない沖縄が紹介されており、ためになる情報だ。本書の他の情報と同じく。

‘2018/03/26-2018/03/26


ブエノスアイレス食堂


ラテンアメリカ文学といえば、マジックリアリズムとして知られる。写実的な描写の中、現実ではありえない出来事が繰り広げられ、読者は著者の術中に喜んではめられる。

本書もまた、マジックリアリズムの黄金の系譜に連なろうと目論む一冊といえる。というのも、本書の内容は明らかにその路線を狙っているからである。マジックリアリズムの骨格に、料理という万人の好むスパイスと猟奇食という奇人の好む劇薬をまぶし、それをブエノスアイレス食堂というレストランの盛衰記で彩ったのが本書といえる。

本書は赤ん坊であるセサル・ロンブローソが母を食するという衝撃から幕を開ける。衝撃の舞台となったのはブエノスアイレス食堂。なぜ食堂を名乗りながら母は餓死を余儀なくされたのか。なぜこの食堂が凄惨な場面の舞台とならねばならないのか。冒頭から読者を惹きつける本書は、そこから歴史を一気に遡る。そして、食堂の歴史とアルゼンチンの歴史を糾える縄のように描きながら、現代へと至る。

食堂を開いたカリオストロ兄弟が著した、南海の料理指南書。この料理本を軸に旨そうな料理の数々が本書では登場する。アルゼンチンへとイタリアからの移民が押し寄せ、華麗なるバンドネオンの音色がタンゴのリズムを奏でる中、第一次大戦にあってアルゼンチンは好況を享受する。そして好況とともに食堂は繁栄を極める。しかし、アルゼンチンの好況は長くは続かない。度重なるクーデターや内戦、第二次大戦後のナチス高官達の秘密裏の亡命やフアン・ペロン政権とエビータ体制の終焉など、アルゼンチンは世界の近代化に逆行して徐々に衰えてゆく。本書は、近代アルゼンチン史を一巻の絵巻物で傍観させられているかのようだ。しかし、本書はアルゼンチンの歴史書ではない。あくまでブエノスアイレス食堂の歴史書である。退廃を極めては、一転して閑散とする食堂の栄枯盛衰。それをアルゼンチンの歴史のうねりに絡めながら、そこに集う人々の営みとして描く。さながら、ブエノスアイレス食堂という共同体の視点から、アルゼンチンという国を描いているのが本書といってもよいだろう。

美食といえばフランスがまず頭に浮かぶ。しかし、フランス料理も元を辿ればイタリア料理を源としていることはよく知られている。同じように、南米のアルゼンチンにイタリア料理が花開く本書は、一つの文化が伝播していき、そこで消え細っていく様を描いているかのようだ。カリオストロ兄弟の料理指南書には確かに人肉食が究極の料理として描かれている。しかし自家中毒のように子を母が食べるという営みは、究極もよいところで、もはやその先の希望がない行為だ。

フランスでは文化として認められた料理が、アルゼンチンではなぜ人肉食という奇形に堕ちるのか。少なくとも人間の死肉を赤ん坊に食べさせるといった冒頭のシーンはアルゼンチンの歴史に対する重大な侮辱になっている気がしてならない。ナチス残党の逃げ込み場として知られるアルゼンチンを、著者は退廃した文化の吹き溜まりとして書こうとしたのだろうか。または、ゆっくりと熟し腐ってゆくアルゼンチン文化に対する強烈な風刺として本書は著されたのだろうか。であるならば、赤ん坊とネズミに食べられ骸骨となる母の姿は、アルゼンチンにとって痛烈な予言に他ならない。

私はアルゼンチン文化の愛好家とまではいかないが、常々好意的に見ている。キラ星のようなサッカーのスター選手達。ラテンアメリカ文学の数々の巨匠たち。タンゴの魅惑的で軽快なリズム。地球の裏側の国という一番日本からは地理的に遠い国だが、心理的な距離は逆に近しいものとして受け止めている。アルゼンチン文化にはまだまだ世界を驚嘆せしめるだけの成果を産み出して欲しいと思うのは私だけではないはず。かつて文化的に成熟した国の成れの果てが、飢え乾いた自家中毒の如き人肉食なのはあまりにもさびしい。

‘2015/7/3-2015/7/6


酒とつまみの科学 天ぷら・寿司には白ワイン? チーズやキャビアに日本酒が合う?


2014/1/12に家族で上野の国立科学博物館を訪れた際、閉館間近のミュージアムショップで本書の題名を見て購入した。酒飲みの端くれとして、酒のつまみにはこだわってみたいと常々思っていたこともあり。

かつてホテルで配膳の仕事を経験していた。コース料理の配膳を担当する際は、料理とドリンクのサービス順の意識は不可欠である。魚料理の前には白ワイン、肉料理の前には赤ワイン、といったところは無意識に沁みついている。

だが、それが果たしてどの程度裏付けのある話かとなると、途端に怪しくなるのである。他のあらゆる思い込み知識と共に。

本書は多種多様な食材を紹介しつつ、それに合う酒の種類を考察することを主眼としている。食材からの視点と、酒の種類からの二方向で考察しているため、参照するには便利な構成である。例えばウナギと赤ワイン。日本酒からはキャビア、ブランデーからはチョコレートなど。多種多様な組み合わせが紹介されている。

組み合わせについても、味覚に左右されるような曖昧な書き方ではなく、酒の香味成分とつまみの香味成分を掲示し、なぜその酒がこのつまみに合うのかを科学的に記載している。といっても、面倒な化学式が羅列されることはなく、あくまで名称としてである。

本書で紹介されるお酒の紹介が、少し端折りすぎでは?と感じた。どうやら姉妹編として、「うまい酒の科学」があり、酒の薀蓄はそちらで語られているためではないかと想像する。機会があれば合わせて読んでみたいと思う。

もちろん、食生活と酒生活を充実させる手助けとして、本書もたびたび読み返すことになるであろう。

’14/01/12-14/01/14