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こどもの居場所大会 in 東京に参加しました


3月2日に「こどもの居場所大会 in 東京」に参加しました。

開催された場所は日本橋にあるサイボウズ本社の27階です。
私にとっては行き慣れた場所で開催されたこのイベントですが、今回は実際に参加するのが大変でした。

その理由は、当日の朝に富士吉田にいたためです。
前日まで二泊三日のやまなしワーケーションに参加していました。皆さんと別れた後、私だけ富士吉田に向かい「よっちゃばれっ kintone 無尽 Vol.3」に参加し、西裏で二軒を皆さんと楽しんだ翌朝、私は東京に向かいました。
寝坊せずに、富士吉田駅から列車に乗り込めましたが、「かいじ」の車内では眠りこけていました。

開会は10時でしたが、ぎりぎり間に合いました。
私をお招きくださったサイボウズの中村龍太さんとお会いし、三日分の荷物が詰まったトランクをHOUSTON部屋に置かせてもらいました。


今回は私にとって新鮮な集まりでした。
こどもの居場所大会。つまり、主役は子供です。私にとってこどもの居場所と聞いて真っ先に思い出すのは学童保育です。
娘たちは合わせて6年間通っていましたし、私も役員を務めました。妻は保護者会長も務めていました。

しかし、学童保育以外の子供の居場所については、私はあまり理解していませんでした。

そもそも、わが国の教育制度について、私はとおり一般の知識しか持っていません。
私は西宮市立の幼稚園、小中学校、兵庫県立の高校、そして私立大学を経て今に至ります。その間、学童には行きませんでしたし、塾も少し通った程度です。
順当な学校生活を送ってきた反動からか、社会人になってからは常に道を外れっぱなしです。今も相変わらず既定の道から外れた人生を歩んでいます。

では、学生時代は学校生活に順応できていたかというと、結構危なっかしかったと思います。不登校にこそなりませんでしたが、中一の頃は休みがちでしたし、いじめられた経験もあります。

私の学生時代に、このような選択肢を提供してくれる人がいたら。そして、学校以外の選択肢があれば、私もそちらに頼っていたことでしょう。
今回はそうした居場所を運営している団体の方が多数集まり、運営事例について貴重なお話を伺うことができました。

どうしても授業の仕組みに馴染めない人。勉強についていけてない人。友達同士での人間関係がうまく構築できなかった人。そしてそもそも肉体的・精神的に障害を抱えていらっしゃる方。
現代は多様性を重視する時代です。
そうした一般的な教育制度に馴染めない方に対し、社会も選択肢を与えるべきだと思います。
また、画一的な教育が効果を発揮した高度経済成長期は遠くなり、今のわが国にあった多様性が教育にも求められているはずです。

私の祖父は教育学の研究者です。戦後すぐの明石附小プランという教育プランの策定運動の中心人物でした。
祖父が研究者として脂がのり切っている時期であれば、今の多様化の動きにもきっと関心を持ってくれたのではないかと思います。

今回参加されている方々は、教育の多様化を実践し、日々の運営を通して社会に貢献してらっしゃる方でしょう。
ただ、多くの団体が登壇していたため、私は全てにコメントができません。

ですが、いくつか触れさせてもらいます。

「シン・スクール」さんのゲーム・AI・IoTを使う先進的な取り組みには感銘を受けました。
また、「みんなのプロジェクト学校」の参加者たちによる自主的なイベント開催は居場所作りの神髄をみました。
「フリースクール 滝野川高等学院」さんの取り組みの広がりは、学校制度の枠の窮屈さをかえって意識させました。
さらに「なにかし堂」さんの医療をからめての街の居場所作りの取り組みは、参考にしたいと思わせてくれました。
最後に「れもんハウス」さんのカリキュラムとは縁の遠い自由な運営も居場所作りの可能性を見せてくれました。


それらの皆さんの話の後、サイボウズさんの中村さんから理事を務める「一般社団法人 ぴおねろの森」についての説明がありました。

ソーシャルデザインラボとしてのビジョンである「多様な価値観の人が安心して暮らしている社会づくり」の紹介の後は、私もスライドに登場し、紹介いただきました。
それを受け、私も来場の皆さんの前で立ち上がって挨拶しました。



私も「多様な価値観の人が安心して暮らしている社会づくり」というビジョンには強く賛同します。
昔から同調圧力に苦手意識があり、他人と同じ行動を取ることに抵抗を感じていました。
そもそも、私がサイボウズのkintoneを推し始めたのは、この価値観に強く共鳴したからです。
技術者として可能性を感じ、自分が食べていけるという成算があったことも確かです。しかし、それだけでは10年近くもエバンジェリストを続けることはできません。
私も誰もが自分の好きなように生きられる社会を目指したいと思い、それに向けてできることをしたいと思います。

最近は案件を多数いただいており、経営者としてもやることが多すぎて初心を忘れかけていました。
今回の「こどもの居場所大会 in 東京」や中村さんのスライドはその気持ちを思い出させてくれました。

さて、昼食を食べに行った後、再開したセッションのいくつかを聞きそびれました。

聞けたセッションの中では、渋谷区議会議員の神薗まちこさんのお話は、非常に興味深かったです。
渋谷区の学校教育に関する取り組みについては、以前から断片的に耳にしていました。
その取り組みを先頭に立って進められている神薗区議の取り組みは興味深いものでした。
教育ICTは私にとってもスキルが活かせるよい場になりそうです。

また、その後の発達障害・特別支援教育の研究をされている加藤浩平氏の話もとても興味深いものでした。
この分野については全く知識がなかったのですが、コミュニケーションが苦手な子供もTRPGという媒体であれば場に入っていけるということも知らなかったです。知らないことを知り、自分がアップデートされた気分です。

終わった後も、私に話しかけに来てくださる方やご相談に来てくださる方など。
そういえば偶然にも弊社のサテライトオフィスのすぐ近くでも今度フリースクールが開校されるらしく、そういったご縁もつながりました。


弊社が皆さんをどのように支援できるか。
それらを開発するとご予算的にも難しくなるはず。となると初歩をお教えし、伴走しながらやるしかないはずなのです。
私個人として、そして弊社として、これから居場所作りをされている皆さんにどのように価値を提供していけるか考えています。
弊社としても、そのための仕組みを構築する必要があります。

今回の「こどもの居場所大会 in 東京」はそのよいきっかけになりそうです。

皆様、ありがとうございました。


闇に香る嘘


本書は乱歩賞を受賞している。
それも選考委員の満票一致で。
私もそれに同意する。本書はまさに傑作だと思う。

そもそも私は、本書を含めて全盲の視覚障害者の視点で描かれた小説を読んだ記憶がない。少なくとも本書のように全編を通して視覚障碍者の視点で描かれた小説は。
巻末の解説で有栖川有栖氏が谷崎潤一郎の「盲目物語」を挙げていたが、私はまだ「盲目物語」を読んだことがない。

視点が闇で閉ざされている場合、人はどう対処するのだろう。おそらく、自分の想像で視野を構成するのではないだろうか。手探りで、あるいは杖や記憶を頼りとして。
それでも、健常者に比べて情報の不足は歴然としている。

私も本書を読んだ後、目を閉じて少し移動してみた。だが、たったそれだけのことが大変だった。
暗闇の視野の中、街を歩くことを想像するだけで、もう無理だと思ってしまう。ましてや、謎解きなどとんでもない。
視覚情報を欠いて生きることは、とても不便なのだ。

本書が描くような闇の中を手探りで行動する描写を読むと、普通の小説がそもそも、正常な視点で語っていることに気づく。その当たり前の描写がどれだけ恵まれていることか。
全盲の人から見た視野で物語を描くことで、著者は健常者に対して明確な問題意識を提示している。
本書は、健常者に視覚障碍者の置かれた困難を教えてくれる意味で、とても有意義な小説だと思う。

もう一つ、本書が提示しているテーマがある。それは、中国残留孤児の問題だ。
太平洋戦争が始まる前、政府の募集に応じて満洲や中国大陸に入植した人々がいた。それらの人々の多くは敗戦時の混乱の中現地に放置された。親とはぐれるなどして、現地に放棄された人もいる。ほとんどが年端のいかぬ子どもだった。彼ら彼女らを指して中国残留孤児という。
彼らは中国人によって育てられた。そして成長してから多くの人は、自らのルーツである日本に帰国を希望した。
私が子どもの頃、中国残留孤児の問題が新聞やニュースで連日のように報じられていた事を思い出す。

彼らが親を見つけられる確率は少ない。DNA鑑定も整っていない1980年初めであればなおのこと。
双方の容貌が似ているか、もしくは肉親が覚えている身体の特徴だけが頼りだった。
当然、間違いも起こり得る。そして、それを逆手に他人に成り済まし、日本に帰国する例もあったという。

幼い頃に比べると顔も変化する。ましてや長年の間を離れているうちに記憶も薄れる。
ましてや、本書の主人公、村上和久のように視覚障碍者の場合、相手の顔を認められない。
そこが本書の筋書きを複雑にし、謎をより魅力的な謎に際立たせている。
視覚障碍者と中国残留孤児の二つを小説の核としただけでも本書はすごい。その着想を思いついた瞬間、本書は賞賛されることが約束されたのかもしれない。

自らの孫が腎臓移植を必要としている。だが孫のドナーになれず、意気消沈していた主人公。さらに、血がつながっているはずの兄は適合検査すらもかたくなに拒む。
なぜだろう。20数年前に中国から帰国した兄。今は年老いた母と二人で住んでいる兄は、本当に兄なのだろうか。

兄が検査を拒むいくつかの理由が考えられる。背景に中国残留孤児の複雑な問題が横たわっているとなおさらだ。その疑心が主人公を縛っていく。兄と自分の間にしがらみがあるのだろうか。それとも、兄には積りに積もった怨念があるのだろうか。
それなのに、村上和久にはそれを確かめる視野がない。すべては暗闇の中。

そもそも、視覚でインプットされる情報と口からのアウトプットの情報との間には圧倒的な断絶がある。
私たち健常者は、そうした断絶を意識せずに日々を暮らしている。
だが、主人公はその断絶を乗り越え、さらに兄の正体を解き明かさねばならない。
なぜなら、孫娘に残された時間は少ないから。
そうした時間的な制約が本書の謎をさらに際立たせる。その設定が、物語の展開上のご都合を感じさせないのもいい。

中国残留孤児のトラブルや思惑が今の主人公にどう絡み合っているのか。そこに主人公はどのように組み込まれているのか。
そうした相関図を健常者の私たちは紙に書き出し、ディスプレイで配置して把握することができる。だが、主人公にはそれすらも困難だ。
そのようなハンディキャップにめげず、主人公は謎の解明に向けて努力する。その展開に破綻や無理な展開はなく、謎が解決するとまた新たな謎が現れる。

目が見えない主人公が頼りにするのは、日々の暮らしで訓練した定位置の情報だ。
だが、それも日々の繰り返しがあってこそ。毎日の繰り返しからほんの少しでも違った出来事があるだけで主人公は異変を察知する。それが謎を解く伏線となる。
主人公の目のかわり、別居していた娘の由香里も担ってくれるようになる。あるいは謎の人物からの点字によるメッセージが主人公に情報を伝える。

白杖の石突きや踏み締める一歩一歩。あるいは手触りや香り。
本書にはそうした描写が続出する。主人公は視覚以外のあらゆる感覚を駆使し、事件の真相の手がかりを求める。
その五感の描き方にも、並々ならぬ労力が感じられる。実に見事だ。

本書の解説でも作家の有栖川有栖氏が、著者の努力を賞賛している。
著者は幾度も新人賞に落選し続け、それでも諦めず努力を続け、本作でついに受賞を勝ち取ったという。
そればかりか、受賞後に発表した作品も軒並み高評価を得ているという。

まさに闇を歩きながら五感を研ぎ澄ませ、小説を著すスキルを磨いてきたのだろう。
それこそ手探りでコツコツと。

あり余る視覚情報に恵まれながら、それに甘えている健常者。私には本書が健常者に対する強烈な叱咤激励に思えた。
ましてや著者は自らの夢を本書で叶えたわけだ。自分のふがいなさを痛感する。

‘2020/02/19-2020/02/20


天国でまた会おう 下


上巻では、戦争の悲惨さとその後の困難を描いていた。
その混乱の影響をもっとも被った人物こそ、エドゥアールだ。
戦争で負った重い傷は、エドゥアールから言葉と体の動きを奪った。さらに破壊された顔は、社交の機会も失わせた。

そのような境遇に置かれれば、誰でも気が塞ぐだろう。エドゥアールも半ば世捨て人のようにアルベールの家にこもっていた。
ところが、顔を隠すマスクを手に入れたことによって、エドゥアールの生活に変化が生じる。
そしてエドゥアールは良からぬことをたくらみ始める。それに巻き込まれるアルベール。

本作においてアルベールは、気弱でおよそ戦いの似合わない青年である。常に他人の意志に巻き込まれ、振り回され続ける。
そのような人物すらも兵士として徴兵する戦争。
戦争の愚かさが本書のモチーフとなっている事は明らかだ。

上巻のレビューに書いた通り、戦争は大量の戦死者を生む。そして、戦死者を丁重に葬るための墓地も必要となった。戦死した兵士たちの亡骸を前線の仮の墓地から埋葬し直す事業。それらはプラデルのような小悪党によっては利権のおいしい蜜に過ぎない。
プラデルによって安い作業員が雇われ、彼らによっていい加減な作業が横行する。おざなりな調査のまま、遺体と名簿が曖昧になったままに埋葬される。
国のために戦った兵士たちの尊厳はどこへ。

国のために戦った兵士も、小悪党の前には利潤をうむモノでしかない。
そんな混乱の中、国によって兵士の追悼事業を催す計画まで持ち上がる。
そこに目を付けたのがエドゥアールだ。
その企画に乗じ、架空の芸術家をでっち上げ、全国の自治体に追悼記念碑<愛国の記念>なる像を提供すると称し、金を集める。
そんなエドゥアールの意図は、プラデルの悪事と似たり寄ったりだ。

だが、大きく違う事がある。それはエドゥアールには動機があったことだ。
戦争をタネに一儲けしようとするエドゥアールの姿勢は、戦争への復讐でもある。戦争によってふた目とは見られない姿に変えられたエドゥアールには、戦争へ復讐する資格がある。
そして、戦争の愚かさをもっとも声高に非難できるのもエドゥアールのような傷痍軍人だ。
ただし、本書の語り手はエドゥアールではないため、エドゥアールの真意は誰にも分からない。不明瞭な発音はエドゥアールの真意を覆い隠す。

そもそも、おびただしい数の傷痍軍人はどのように戦後を生きたのだろう。
戦後を描いた小説には、しばしば傷痍軍人が登場する。彼らは四肢のどれかをなくしたり、隻眼であったりする。彼らは、戦争の影を引きずった人物として描かれることはあったし、そうした人物が戦争を経験したことによって、性格や行動の動機にも影響はあったことだろう。だが、彼らの行動は戦争そのものを対象とはしない。なぜなら戦争は既に終わった事だからだ。
本書は、エドゥアールのような傷痍軍人に終わった戦争への復讐を行わせる。その設定こそが、本書を成功に導いたといってもよい。
エドゥアールのたくらみとは、まさに痛快な戦争へのしっぺ返しに他ならない。

エドゥアールの意図には金や報復だけではなく、別のもくろみもあった。
それは、エドゥアールの芸術的な欲求を存分に活かすことだ。芸術家として自分のデッサンを羽ばたかせ、それを評価してもらう喜び。
親が富裕な実業家であるエドゥアールにとって、自分の芸術への想いは理解されないままだった。それが戦争によって新たなる自分に生まれ変わるきっかけを得た。

エドゥアールにとって、戦争は単なる憎しみの対象ではない。憎むべき対象であると同時に、恩恵も与えてくれた。それが彼の動機と本書の内容に深みを与えている。

そのようなエドゥアールを引き留めようとしていたはずのアルベールは、いつのまにかエドゥアールのペースに巻き込まれ、後戻りが出来ないところまで加担してしまう。
一方、後戻りができないのはプラデルも同じだ。
戦争中の悪事は露見せずに済み、戦後も軍事物資の横流しによって成り上がることができたプラデル。
だが、彼の馬脚は徐々に現れ、危機に陥る。

エドゥアールとプラデルの悪事の行方はどこへ向かうのか。
そしてエドゥアールの生存を実業家の父が知る時は来るのか。
そうした興味だけで本書は読み進められる。

こうして読んでみると、第一次大戦から第二次大戦への三十年とは、欧州にとって本当に激動の時代だったことが実感できる。

社会の価値観も大きく揺れ動き、新たな対立軸として共産主義も出現した。疲弊した欧州に替わってアメリカが世界の動向を左右する存在として躍り出た。
国の立場や主義が国々を戦争に駆り立てたことは、政府へある自覚を促した。それは、政府に国民の存在を意識させ、国民を国につなぎとめ、団結させる必要を迫った。

政府による国民への働きかけは、それまでの欧州ではあまり見られなかった動きではないだろうか。
だが、働きかけは、かえって国民の間に政府への反発心を生む。
それを見越した政府は、戦争という犠牲を慰撫するために催しを企画し、はしこい国民は政府への対抗心とともに政府を利用する事を考えた。
そのせめぎ合いは、政府と国民の間に新たな緊張を呼び、その不満を逸らすために政府はさらに戦争を利用するようになった。
それこそが二十世紀以降の戦争の本質ではないかと思う。

本書をそうやって読みといてみると、エドゥアールやプラデルの悪巧みにも新たな視点が見えてくる。

そうした世相を描きながら、巧みな語りとしっかりした展開を軸としている本書。さまざまな視点から読み解くことができる。
まさに、称賛されるにふさわしい一冊だ。

‘2019/6/29-2019/7/2


天国でまた会おう 上


本書は評価が高く、ゴンクール賞を受賞したそうだ。

本書は第一次世界大戦の時代が舞台だ。悲惨な戦場と、戦後のパリで必死に生きる若者や元軍人の姿を描いている。

第一次世界大戦とは、人類史上初めて、世界の多くが戦場となった戦いだった。しかも、それまでの戦争にはなかった兵器が多数投入され、人道が失われるほどの残虐さがあらわになったことでも後世に語り継がれることだろう。
ただ、第一次大戦の時は、戦争とはまだ戦場で軍人たちによって戦われる営みだった。市街地が戦場になることは少なく、一般市民にはさほど害が及ばなかった。だから、一般には戦争の悲惨さが知られたとは言い難い。

二十年後に勃発した第二次世界大戦では、空襲、原爆、島を巡る熾烈な戦い、ホロコースト、虐殺の映像が無数に記録されている。それに比べ、第一次世界大戦には映像や動画があまり残っていないことも、私たちの印象を弱めている。
第一次世界大戦の実相を私たちが目にすることは少ないし、大戦中にそれほど大規模な戦闘が行われなかった東洋の果ての私たちにとってはなおさらだ。

だが、第一次大戦とは人類の歴史にとって記録されるべき戦争なのだ。飛行機や戦車、毒ガスなどの兵器は兵士たちの肉体を甚だしく損ない、たくさんの傷痍軍人を生み出した。
それまでの戦争とは違い、人道に反する兵器が多数投入されたこと。それゆえ、第一次世界大戦とは人類の歴史でもエポックに残る出来事であることは間違いない。

人類にとってはじめての大規模な戦いだった第一次世界大戦は、もう一つ、新たな概念を人類にもたらした。それは戦後処理の概念だ。
大規模な戦線が構築されたことは、大量の兵士の徴兵につながった。
彼ら兵士は、戦争が終われば戦場からの帰還者となる。しかも、その中にはひどい傷を負った大勢の兵士がいた。また、戦死者もそれまでの戦争とは段違いに多かったため、葬るための墓も用意しなければならなかった。さらに、徴兵されて職を失った兵士が一斉に復員することになり、失業問題も発生した。

国としてそれまで経験のなかった戦後処理。それをどうさばくのか。国のために戦った兵士に対してどう報いるのか。やることは山積みだ。

兵士たちは兵士たちで、戦後の自らの生活の糧をどうやって得るのか考えなければならない。誰にとっても経験のない大規模な戦争は、国と国民に多大な被害をもたらした。そんな悲惨な戦場の後遺症を人々はどう乗り越えたのか。

本書はそういった時代を生き生きと描いている。

本書の主人公であるアルベール・マイヤールとエドゥアール・ペリクールは、塹壕の中で深い絆を結んだ。
上官の策略によって生き埋めにされてしまったアルベールをエドゥアールが助けたことによって。
だが、エドゥアールが助けてくれたため、アルベールは命を永らえることができたが、砲弾がエドゥアールの下顎を永久に失わせてしまった。

自分の命の恩人であるエドゥアールに恩義を感じ、戦後もともに生活を続ける二人。
エドゥアールは下顎を失ったことから言語がはなはだしく不自由となり、アルベールとしか意思を通ずることが出来ない。
しかも顔の形は生前から大きく損なわれ、その変貌は肉親ですら気づかないと思われるほど。

エドゥアールの父マルセルは富裕な実業家。エドゥアールはその後継ぎとして期待されていた。だが、エドゥアールの芸術家としての心根は、実業家としての道を心の底から嫌っていた。
自分が戦死したことにすれば、後を継ぐ必要はなくなる。
そんなエドゥアールの意思をくんだアルベールは、エドゥアールを戦死した別人として入れ替え、エドゥアールを戦死したものとするように細工をする。

それによってエドゥアールは自分の世界に浸ることができ、アルベールは罪の意識にさいなまれる。

一方、エドゥアールの姉マドレーヌは、父の会社を継ぐはずだった弟の死がいまだに受け入れられない。会社はどうなってしまうのか。父の落胆の深さを知るだけにマドレーヌの心は痛む。
そんなマドレーヌに巧みに近づいたのがプラデル。彼は大戦中、エドゥアールとアルベールの上官だった。
そもそもアルベールが塹壕に生き埋めにされたのも、プラデルの悪事に気づいたからだ。

だが、プラデルの悪事は誰にも気づかれずに済んだ。それどころか、大戦後のプラデルは軍事物資の横流しによって一財産を築くことに成功した。
そして、首尾よくマドレーヌと結婚することによって大物実業家のペリクールの娘婿に収まる。

後ろ盾を得たプラデルは、その勢いを駆って、よりうまみのある利権を漁る。
その利権とは、大戦で亡くなった大勢の兵士のための墓だ。
おびただしい数の兵士がなくなり、彼らの墓を埋める人も土地も足りない。前線の粗末な墓にとりあえず埋められた兵士たちの亡骸を戦没者追悼墓地に埋めなおさねば、国のために命を捧げた兵士と遺族に顔向けが出来ない。
その作業を請け負ったのがプラデルだ。

プラデルはここでも請け負った費用の利潤を少しでも浮かせるため、作業の費用を極端に切り詰める。それは作業員の質の低下につながるがプラデルは意にも介さない。懐が潤えばそれでよいのだ。

大戦によって濡れ手で粟を掴むプラデルのような人物もいれば、エドゥアールとアルベールのように食うや食わずの日々を送る若者もいる。

上巻は、第一次世界大戦の悲惨さと戦後のただれた現実を描く。

‘2019/6/20-2019/6/28


アクアビット航海記 vol.3〜起業のメリットを考える その2


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。今回から数回にわたって“起業”の利点を書いてみようと思います。なお、以下の文は2017/8/24にアップした当時の文章そのままです。

起業の利点を活かすために

私自身、社会人であっても勉強を続けることは当然と思っています。むしろ学生時代よりも勉強が必要になるほどに。もちろん、会社より給金をもらっている身では、仕事中に堂々と勉強することは許されません。でも日々の業務の中や職場の雑談、プライベートの時間から得られるものはいくらでもあるはずです。それをどん欲に取り込むかどうかでそのあとの人生が違ってくるでしょう。これは“起業”していようと会社勤めだろうと変わらないと思います。

でも、会社の中で仕事をしているだけでは得られない勉強があるのも確かです。それは展示会やセミナー、異業種交流会など、会社の外でしか得られない体験です。交流会は夜に開催されることも多いので、勤務時間の後に出席できるかもしれません。でも、展示会やセミナーは日中に開催されることがほとんどです。担当する仕事にもよるのでしょうが、仕事の都合で行けない方は多いでしょう。でも、仕事に没頭している間にも、外の世界では豊富な情報が展示され、話され、交流されています。そして、そういった情報は、会社の外に出向かなければ逃してしまうのです。高度経済成長期の我が国では、組織の中で役割を全うさえしていれば、必ずしも外部での勉強は必要ありませんでした。でも、現在はそんなことを言って過ごせる状況にないのはみなさまもご存じだと思います。

時間の融通が効きます。


連載の第一回でも書きましたが、私は勤め人であっても引退後の人生も含め、自分の人生を360°で考えておくべきだと思っています。自分と仕事と家族の両立。いまこそ、これらの両立を考えねばならない時代になっているのではないでしょうか。自分の生涯を見据え、どのように自分の生涯のすべてをプロデュースしていくか。仕事時間を成果の出力だけでなく、学びの入力の時間へいかに変えていくか。

それには余暇の時間も確保すべきでしょう。私は旅が好きです。博物館、寺社仏閣、名所、滝、川、蒸留所、醸造所。旅先では時間を惜しんであらゆるところに行きます。人によって余暇はさまざまです。Shadowverseに夢中になる人、グラブることに集中する人、草野球に汗を流す人、庭で土と戯れる人、馬が走る姿に見とれる人、一心不乱に走りまわる人、子供たちと触れあう人。それぞれの自由です。そういった時間も含めて、生涯に与えられた自分の時間をいかに有効に使うか。

“起業”すると、あなたの時間配分はあなた自身が決められます。もちろん、独立しても請負契約など契約の種類によっては、毎日定められた場所に行かねばなりません。その場合も、拘束契約でなければ、セミナーに行こうと思えば行けるはずです。“起業”とはあなた自身があなた自身の監督者であり、上司であり、部下になることでもあります。いつ作業に集中するか、どれだけ移動に費やすか、何時間を打ち合わせに充てるか、そしてどの時間を勉強に使うか。すべてがあなたの判断と責任において行えます。また、“起業”とは絶え間ない工夫と発展の連続です。つまり勉強の時間を確保することが重要なのです。これだけ日進月歩で技術が発展している昨今では、業種や職種に関係なく知識の習得が欠かせません。それを怠ることは、仕事の機会を失うことにもつながります。となると、勉強の時間を確保することが最優先となるのです。 これは、私にとっては確保したい大切な部分でした。

責任感が体中にみなぎります


前回、ちらっと触れましたが、起業とは、つまるところは自分で責任を負うことです。

もともと、社会人である以上は何らかの責任を担わされます。これは避けられません。責任といっても立場によってまちまちです。職に就いていれば職務に付いてくる責任。家族を築いている以上は家族を率いる責任。地域社会で共生する以上は地域社会を豊かにする責任。それらの責任は放っておいても背負わされる責任です。甘んじて受けねばならない責任とでもいいましょうか。周りからやってきて、自分にまとわりつく責任。そこにはどうしても義務感がついて回ります。

ですが、起業とは自分で責任を作り出すことです。周りから押し付けられた責任ではなく、自分が作り出した責任です。当然、その責任は自分で担わなければなりません。仕事を受けた以上は、その責任は全うしなければならないのです。下請け業者に任せたり、社員に任せることもあるでしょう。ですが、最終的な責任は全て”起業”した当人が負わねばなりません。

自分で作った責任は、自分で決着をつける。そこには義務感も発生します。デメリットのところでも触れますが、ストレスにもさらされます。でも、それは自分で作った責任なのです。あなたの中では義務感よりも責任感が大きな割合を占めることになるでしょう。自分自身で種をまき、芽生え育てた責任感。これは”起業”すると間違いなく手に入ります。会社の中で大きな仕事を任された時に生じる責任感にも似ているようですが、会社の中で背負う責任感は、会社を背負った責任感です。それはそれでとても大切な責任感です。ですが、組織の立場としては作業を属人的にするリスクもあるため、責任は分散せざるを得ません。一方、”起業”して得られる責任感とは、自分自身が一身に帯びるしかありません。唯一無二の責任感なのです。

次回も引き続き、起業のメリットを探っていきたいと思います。