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よっちゃばれっkintone無尽! Vol.1に運営・参加しました


10月13日に富士吉田市で開催されたイベント「よっちゃばれっkintone無尽! Vol.1」に参加しました。

このイベントは、kintone Café 山梨 Vol.1(6/1)から派生しました。
私はkintone Café 山梨の運営メンバーの1人として、このイベントの企画段階から関与していました。

これまでのブログでは取り上げていませんでしたが、8月24日に「よっちゃばれっkintone無尽! Vol.0」を開催しました。そこで、これからどういう内容にするかの打ち合わせを行いました。

Vol.0の前に、kintone Café 山梨のメンバーの中では、「よっちゃばれっkintone無尽」の内容についてはかなり腹を割って話をしました。お互いの認識の違いと考えを明らかにするための議論と、立場や考え方についての合意を得た上で臨みました。

なぜ率直に話したかというと、最大の焦点は「kintone Café」と「よっちゃばれっkintone無尽」の違いを明確にすることだったからです。
両者の最大の違いは、山梨県に住んでいるメンバーだけで構成されているかどうかになります。

実は、私はその条件に当てはまらないため、本来は参加する資格がないのです。
私はkintone Café 山梨の運営メンバーで、現在山梨県に移住を検討しているため、例外的にメンバーとして参加させていただいています。

同じ山梨県の中で、kintoneというプラットフォームを軸に、志を一緒にする仲間が欲しい。それがこのイベントの存在意義となります。

山梨県にはkintoneユーザーもいるはずですが、それを結びつけるコミュニティーがなかったのです。そのため、山梨県のkintoneユーザーが生まれにくいし、生まれたとしても学び合う場がないのです。
そのため、もう少し地元密着型にしてkintoneの仲間を一緒に作っていくという思いが「よっちゃばれっkintone無尽」に結実しました。

前回は甲府でVol.0を開催しましたが、今回は富士吉田市で開催しました。それも山梨県の全体で盛り上げたいからです。
山梨県は複数の地域に分かれています。地域ごとに特色がありますが、kintoneの絆を通じていれば理解し合えるはずです。




今回は富士急行の富士山駅に直結したコワーキングスぺース「ドットワークPlus」で開催しました。屋上には富士山展望デッキがあり、そこから見る富士山は格別でした。

私は他の参加者より先に会場に入り、オンライン会議に参加しましたが、通信にも問題はなく、会場の雰囲気も良好でした。

今回の「よっちゃばれっkintone無尽! Vol.1」は、Vol.0で行った議論と運営側の議論を経て、ある程度の内容は考えていました。

自己紹介の後は、kintone SignPostを音読し、その内容に対して議論しました。初めなのでSTEP0の「kintone概念理解」から始めたのですが、これに思ったより時間がかかってしまい、その後のコンテンツの時間が押してしまいました。
押したとはいえ、参加者皆さんのkintoneのポータルサイトを見せ合う企画や、お歳暮管理アプリをどう作るかと言う参加者から出たお題など、kintoneユーザーにふさわしい多種多様なコンテンツが場を充実させてくれました。


初回にしては上々のスタートだったのではないかと思います。

今回の実績と、これからの実施内容があらたなkintone仲間の呼び込みと創出につながっていけばいいと思いました。そうなっていくと確信しています。


なお、写真はお互いの機密保持に関わるポータル画面などがあったため、今回は載せません。
会が終わった後に集合写真を撮ったのでそれだけは掲示します。後は夜の懇親会の様子も載せておきます。


なお、懇親会は会場に近い「魁 本店」さんで行いました。7名で楽しく飲みました。
こちらのお店、富士登山者のお世話をしていた御師が住んでおられた古民家をリノベーションした建物でした。
また、メニューはkintoneの多様性を体現するかのような豊富な品ぞろえでした。お酒のラインナップも含め、とても気に入りました。

そして、私にとっても山梨を理解するとても良い機会になりました。

最後になりますが、ご参加いただいた9名の皆さま、心からの感謝を申し上げます。


kintoneが今年、拡がるために


はじめに

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

弊社の年頭の抱負はこちらにアップした通りです。
その中で、kintoneを軸にするという項で、今年も弊社はkintoneに注力する旨を書きました。

そんな中、年始の2日に家族とワインを飲みながら団らんしていました。
テレビには家族が観たい「逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!! 」が映っていました。
そこに登場したテーマがコロナであり、選択式夫婦別姓であり、リモートワークであり、働き方でした。

私はドラマを観ながら、これってサイボウズさんの打ち出しとるテーマやんか、と目をみはりました。

昨年、弊社にとって顕著にkintone案件が増えました。また、旧システムからkintoneにシステムを移行したいとの案件のご依頼も増えました(ブログ)。
おそらく、その流れは今年も続いていくことでしょう。
それは、サイボウズさんの掲げる理念が世の中に広まったこととkintoneの魅力が世の中に行き渡りつつある証しだと思っています。
もともと、そうした働き方を変えたいとの機運は世に行き渡りつつありましたが、昨年のコロナはそれを促したのだと思っています。

ただ、kintoneはまだ世の中で誰もが知っている存在になっていません。
弊社のレベルでは顕著に案件が増えたとはいえ、それはもともと弊社が受けていた案件数が少なかっただけの話。
弊社の尺度ではなく、世の中全体でのkintoneのシェアを考えると、kintoneにはもっと広まる余地も拡がる伸びしろもあるはずです。
今年はその流れがより速まり、より拡がるはずです。より多様な業種や規模の企業にkintoneが採用されることでしょう。

ただ、それを口で予想するだけで済ませてはなりません。
自らが率先してその流れをより速め、広げていくことがkintoneエバンジェリストの役目であり、サイボウズ・オフィシャルパートナーとしての存在意義だと思っています。

そこで、kintoneに何が必要か。それを年頭に考えてみました。

kintoneの弱点

まず、kintoneに足りないのは、規模でしょうか。
今のところ、大規模案件や中小以上の規模の基幹システム案件に対して、kintoneを勧められる状態にはありません。
というのも、
https://jp.cybozu.help/k/ja/admin/limitation/limit.html
にも書かれているとおり、100万件以上のレコード件数に対しての品質保証が明記されていないからです。

過去データを保存する期間は、法令によると受発注や仕訳だと七年が定められているようです。
月間15000件の伝票が発生するお客様の場合、一年で180,000件。七年で1,260,000件のデータが発生します。
つまり法令上の保存レコード件数をkintoneが満たせないと見なされる可能性があります。

US版のKintoneは完全にAWSが基盤となったそうですから、オートスケールには対応しているはずです。

日本版のkintoneについても、今、サイボウズさんではNecoプロジェクトとManekiプロジェクトが進行中だそうです。


その成果を待ちたいと思います。

kintoneはもう一つ、アカウント管理回りにも改善の余地がありそうです。
例えば、大企業の複雑かつ大きな組織が一斉に組織改編を行う場合を考えてみましょう。周知のとおり、Cybozu.comのアカウント設定では組織の事前設定ができます。とはいえ、なかなか思った通りにいきません。ま、弊社はその部分の作業をお客様に委ねてしまっているのですが。
あと、ゲストスペース内アプリの権限設定の際に組織やグループが使えないのも不便だと思っています。

あと、スペースやレコード上のコメント機能も、ChatWorkやSlack並みの使いやすさをお客様から求められることがままあります。
kintoneの良さは、コミュニケーションとデータの融合にあると思うので、コミュニケーション機能のより一層の拡充は期待したいですね。

技術者としてすべきこと

さて、新年からクレクレマンのような要望を書いてしまいました。
とはいえ、昨年のkintoneに行われたバージョンアップの頻度は私たちの期待を満たしてくれています。
おそらく上に述べたようなことは私が言うまでもなく、サイボウズさんでも考えてくださっているはずです。
となると、こちらとしてはただ要望をいうだけではダメですよね。それだとクレクレマンに堕ちてしまう。
ユーザーや開発者の立場から広めるための働きかけを行わなければ。

例えば、kintoneのキャッチフレーズを考えるというのはどうでしょう。
kintoneを使えば何が良いのか。何が変わるのか。言葉を尽くしてそれを語るのはたやすいと思います。
ですが、一言でkintoneの良さを語るのは難しい。シンプルにズバリと本質をつく言葉を今年は考えたいですね。

また、ユーザーがシステムを作る手段としてkintoneの認知度は相当高まってきました。
また、年末にテレビCMが始まったことで、さらに認知度は上がっていくことでしょう。
とはいえ、技術者に対しての認知度はイマイチです。
さまざまなシステムを作る技術者の皆さんにこそ、kintoneの認知度を上げ、採用してもらわねば。

昨年、kintoneエバンジェリストとしてのインタビューでもその想いは語りました。
そこでも語った通り、わが国のシステム開発の生産性はまだまだ伸ばせる余地があると思います。統制のための統制、仕様のための仕様、ドキュメントのためのドキュメントではなく、設計から実装までの各フェーズが共通のフォーマットで流れるような仕組み。
海外のサービスの開発速度が速いのは、それができているからではないでしょうか。
わが国の場合、ミスが許されない文化性の違いもあるのでしょう。ですが、これからはバグや仕様を恐れない開発手法があってもよいと思います。
kintoneは画面や設計がプラットホームとして共通なので、共通言語で語れる部分も多く、スクラッチ開発よりもやりやすいはずです。

ただ、各アプリの連携やシステム全体の設計についてはkintoneは不得手ですよね。それを自動的に作れるようなツールが作りたいと常々考えています。各アプリを横断したER図や機能連携図を簡単に作れるようなツール。
これができれば、お客様との仕様確認も楽になるし、開発者側でもkintoneを導入する機運はさらに高まるはずです。それがわが国のシステム開発の生産性を上げられればいうことはありません。

弊社も昨年は、土壇場での仕様変更に何度も苦しみました。
ですが、その都度、kintoneの良さを生かしてすぐにリカバリできました。
今年はそのリカバリ手段をより研ぎ澄まし、要件定義に時間をかけずに、なおかつ、バグや仕様変更にもすぐに対応できるような体制を作りたいです。
それには、自社であらゆるパターンに対応できるJavaScriptやプラグインのストックをより多く作ることでしょうね。
その中で汎用的に出せそうなソースコードはブログなどで公開することで、エコシステムに貢献できればと考えています。

あと、今後は大手企業様の事例も増えるでしょう。
サブスクリプションの課金にも抵抗がないお客様には、積極的にサードパーティー製のプラグインを提案していこうと思います。
そのあたりは柔軟に取り組みたいですね。

あとは、ブログやYouTube、SNSなどの手段以外に、どうやって認知度を広めるかですよね。
kintoneにもともと興味を持ってくださっている方は、上記のようなメディアに来てくださいます。
ですが、世の中にはkintoneの存在すら知らない人がまだまだいらっしゃいます。そうした方にどうやって広めていくか。
おそらくkintoneのテレビCMはそうした意図で作成されたのだと思います。

あとは、私たちがどうテレビCMを補完するような発信ができるかですね。
おそらく私の場合は技術者向けのイベントや、SIerさんへの内部発信など、今まで取り組んできたことを深めていくのが良さそうです。
それと、弊社の場合、「自治会 IT」で検索すると一番上に登場しています(サイボウズさんの記事ですが)。

そのアドバンテージを生かし、今年は自治会やNPOにkintoneを告知するような手立てを考えていきたいと思います。
自治会やNPOといえば、比較的年配の方が活躍されています。年配の方は、ブログやYouTube、SNSに触れることも少ないように思います。そうした方へのアピールですね。
例えば市役所と組んだり、広報誌で告知したりといった手段で、実際に赴いてkintoneをアピールするのはどうか、と考えています。
おそらくそうした皆さんにkintoneを説明するには、システム用語を極限まで減らすなどの配慮が必要でしょう。

コロナで果たしてそうした機会がいただけるかどうかは不明です。が、チャレンジしてみたいと考えています。

kintoneが今年、拡がるためにはほかにも思いついた手段があれば試してみようと思います。


Cybozu Days 2019 in 東京に行きました


2019/11/7、11/8の幕張はある気配に包まれていました。
そこではCybozu Days 2019 in 東京が催されていたのです。
ただし、幕張に満ちていた気配とは、熱気ではなく禍々しい気でした。

今年のテーマは「モンスターへの挑戦状」
そのテーマ通り、モンスターたちに占拠されたパビリオン。会場全体が禍々しく彩られています。
その中にはちらほらと勇者のイラストも見受けられます。ですが、空間の大部分はモンスターに占められたまま。

そんな会場にも、参加者が増えていくにつれモンスターに立ち向かう機運が満ちていきます。
勇者とはすべての参加者のこと。皆でモンスターに立ち向かうのが今年のCybozu Daysのミッションなのです。

では、私たちが立ち向かうモンスターとは何でしょうか。
そのヒントは既にサイトにも動画で流されていました。そして、二日目のメインセッションでも青野社長から語られました。
モンスターとは目に見えません。そもそも存在すらしません。
モンスターとは私たち自身が作り上げてしまった存在なのです。

戦後の高度経済成長の結果、成功体験として日本中に刷り込まれてしまった観念。その代表が年功序列や終身雇用です。
そうした観念から派生したモンスターたち。
毎日決まった場所に通勤し、背広とネクタイの着用が正しいとする「通念」が蔓延り、その背後には一度きりの人生を「カイシャ」に捧げさせようと蠢くモンスターの闇が見え隠れします。

そうしたもろもろのモンスターたちと一緒に戦う私たちのために、七カ所に分かれたセッション会場のあちこちで、二日間にわたっていろいろなセッションが行われました。

初日のProduct Keynoteでは、GAROON、kintoneを軸に、これまでのアップデートと今後のアップデート予定が披露されました。
チーム応援ライセンスは対象アカウントが三倍に増え、危うく私の口から歓声が飛び出そうに。
LGWAN対応やアメリカでのkintone状況など、今後に期待が持てそうな発表が続きます。

keynoteの前には「俺キン」のセッションがありました。
俺はこんな風にモンスターと戦ってきた、と発表する勇者たちの姿は尊いです。私も場外から戦いの軌跡に聞き惚れました。
モンスターとの戦い方は勇者によってまちまち。あえてKINTONEに乗って登場する掟破りの登場もまたよし。

Keynoteの次は、kintone hiveです。
毎年聞いていますが、全国で知らぬうちに育ってしまったモンスターたちと戦う姿には、共感と感動があります。
例えるなら上出来のRPGのプレイ動画を大勢の勇者とともに観戦する臨場感のような。

私はhiveの前、各社のブースをダッシュで巡りました。
中でもfreee社のブースに長居していました。freee社で今度kintoneとfreeeのAPI連携についてお話しするためです。
その情報を入手し、freee社のみなさんと会話をして勉強。今後にもつなげていくためにも。

hiveの後は、kintone Café in Cybozu Daysにも参加しました。
Cybozu Daysが終わってすぐ、お膝元でのkintone Café 東京 Vol.9を主宰する私としては、全国各地にある勇者の集うギルドのあり方から学べるもの多かったこと。
kintone Café開催の意義や目的を考えるきっかけにもなりました。

このセッションと同じ時間には開発者向けのセッションがありました。
私はとても行きたかったけれど、kintone Caféのセッションを選びました。
まだまだ私もか弱い勇者なので、分身の術が会得できておらず悔しい。いずれ公開される動画を待ってみます。
なお、このセッションから冒険仲間に情報親方が加わってくれました。以後は行動をともに。

続いてはkintone hack Nightです。このセッションも見逃せません。
勇者として最前線に出てモンスターと戦うには、スキルを磨かねば。それを披露する場こそhack Night。
勇者の出で立ちに身を包んだ六名の勇者がおのおのの磨き上げたスキルを披露します。そして採点。
採点の間、魔の司会者ウッシーが召喚したモンスターが登場し、勇者にさらなる試練を与えます。あるモンスターは18世紀二ポーンの「コウメダユウ」に姿をかえ、華麗なる滑り芸を駆使して勇者に襲いかかります。あるいは21世紀の「ワタナベケン」がレスラーの出で立ちで絶叫して勇者の行く手を遮るのです。
勇者、危うし!
奮闘もむなしく、魔法に魅入られ笑わされた勇者には激烈なゴムパッチンが顔面に炸裂。容赦なくHPを削っていきます。

毎年、勇者の激闘から学ぶところは多いです。
私的には、AR世界の振る舞いをkintoneに結びつけた勇者「ウィル」さんのセッションがインパクト大でした。
が、優勝はヲタ芸とkintoneの組み合わせで満場の笑いをさらった勇者「つっきー」さんの逆転勝利。いや、楽しかった!

一日目『最軽量のマネジメント』を出版されたばかりのサイボウズ社副社長の山田さんがサイボウズ商店の店頭に立たれていたので、著書を購入し一緒に写真を撮っていただきました。
そして、情報親方と飯を食って締め。
ルーラを唱え、二時間以上かけて町田の宿屋に戻りまして。

さて、二日目。
いきなりの「SEKAI NO OWARI」の曲にバイオリンをフィーチャーしたバンドが登場し、素晴らしい二日目を予感させます。

二日目は、働き方をメインに据えたセッションが主です。
メインセッションでは青野社長の書籍「会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。」を編集したphp研究所の方と青野社長の対談から始まりました。
今回のCybozu Days 2019のテーマ「モンスターへの挑戦状」のもとになったというこの書を、私はまだ読めていません。ですが、この対談を聞くと、早く読まねば、という気にさせられます。
私が常々感じていた日本を覆う思い込みの数々。

タカマツナナさんとの対談も参考になりました。
お笑い芸人として活動する中、活動を若年層への政治参加を促すものに変えるなど、自在に活動を行うタカマツさんの意気込みが面白かったです。
タカマツさんもまた、芸人の立場から世の中のモンスターと戦っているのでしょう。

そのタカマツナナさんの後に登場したのが麹町中学校の工藤校長との対談です。
工藤校長は、宿題や委員会など学校生活につき物のさまざまな制度に抜本的な改革を加えたことでよく知られています。
一人一人の生徒のことを考えた結果、そうした制度や行事で必要のないものは廃止も辞さない。そうした伝統的に伝わる制度の多くは、実は前例主義に基づいた思い込みのモンスターの生み出した幻想にすぎない。そう力強く言い切る工藤校長こそ、教育界にさっそうと現れた勇者の中の勇者なのかもしれません。

この日の私は、作業もしなければならず、昨日以上にブース巡りができませんでした。用意してくださった電源席で、作業に没頭。

続いてのセッションはサイボウズ社に中途入社した社員が語る、サイボウズ社内の情報共有のあり方です。
私もお客様とともにモンスター退治の旅に出る時、早い時期にこのモンスターと戦います。
そもそも、情報共有に妙なブロックがあると、kintoneという武器もうまく機能しません。
どこまでの情報をkintoneにアップしてもらえるのかによって導入の成否も分かれるのではないか。そう思います。

その視点でみたこのセッションはまさに驚きです。
社内経営会議の生の声まで含めて全社員に公開するというのですからすごい。
ですが、私も妙な秘密主義は面倒なので、この点はとても勇気づけられます。
また、経営者の方にもサイボウズさんはここまでやってますよ、という根拠を得られたことも大きかった。

続いてのセッションは医療介護業界の四天王がパネリストとなって、kintone導入のあれこれを語ってくださるセッションです。
四天王の内、三人はCybozu Days 2019の前日にkintone エバンジェリストに就任した方で、まさに豪華な陣容です。
実際、医療業界へのクラウド導入は、クラウドの認知のバロメーターです。
妻が歯科診療所を経営している私にとっても、とても興味深いセッションでした。

その次のセッションも、クラウドの認知のバロメーターの一つです。
自治体への導入にあたっては、LGWANとの連携がセットでないと情報の流通が滞ります。
神戸市と市川市の事例ですが、かつて神戸市役所と芦屋市役所で入力オペレーターをした経験がある私にとって、神戸市の事例には興奮しました。神戸市が主宰するワークショップには芦屋市の方も参加されているとか。
私の来し方を考えると感慨が湧きます。この分野でも今後は協力をしていければうれしいと思いました。
「来なくてもいい市役所」の実現に向けて。

そしてすでに最終セッションへ。
その前に、アーセスさんのブースに立ち寄りました。
お客様がチーム応援ライセンスに申請していて、申請が通ればアーセスさんのプラグインを使う提案もお客様にしていました。なので、KOUTEIやKOYOMIについてあらためてお話を聞きに伺ったのです。

最終セッションは『五体不満足』で知られる乙武氏の講演。そして青野社長との対談です。
乙武氏もまた、世に跋扈するモンスターと戦い続けてきた勇者です。とにかく目の力が強く、意思のみなぎった面構え。表情は豊かに、雄弁に語ってくださいます。不満足な五体で表現できない分を言葉と顔と喉だけで。
私も話者の端くれとしてとても刺激を受けました。スピーカーたるものこうありたいものです。
美しいものは、と問われた乙武氏が「覚悟」と答えた姿が、まさに美しい。モンスターと戦い続けるには覚悟がいります。その覚悟こそ、勇者のまとうべき究極の鎧なのかもしれません。
著書『四肢奮迅』を出されたばかりだというので、私も手に取ってみようと思いました。

冒険の旅に終わりはありません。
とはいえ、四人の勇者と幕張で飲みかわし、いったん私にとってのCybozu Days 2019 in 東京は幕を閉じました。
三日続けて幕張と町田を往復したのでHPとMPはすっからかん。でも、その替わりKP(気力)は満タンに充填されました。

初日の禍々しい気配からは一変、幕張の夜にはさわやかな風が吹いていました。ここ、幕張の地からモンスターは退けられたのです。

ただし、RPGの世界ではラスボスを倒してもゲームは永遠に続いていきます。私たちの人生もそうであるように。
まだまだモンスターは世に棲んでいるのです。

そうしたモンスターを退治する冒険の旅路では、仲間との交流が欠かせません。
今回、こうした英雄たちの交流の場を作っていただいたサイボウズさんには感謝です。
スタッフの皆様、登壇者の皆様、参加者の皆様、ありがとうございました。
これからもモンスターと戦い続けていきましょう!


DevRelConに参加して思った技術者のこれから


3/9にサイボウズ社で開催されたDevRelCon Tokyo 2019に参加しました。
この参加は代表である私のキャリアパスにとって得難い経験となりました。なのでレポートとして報告いたします。

昨年の秋からお誘いを受け、私はDevRelJpに参加させていただいております。DevRelのサイトに載っている定義によれば、「DevRelとはDeveloper Relationsの略で、自社製品/サービスと外部開発者とのつながりを作り上げる活動になります。 一般的にエバンジェリストまたはアドボケイターと呼ばれる人たちが活動します。」とのこと。つまりkintoneのエバンジェリストである私にとっては参加するしかないのです。

DevRelのイベントには二度ほど参加しました。そこで感銘を受けたのは、プログラムの内容や設計よりも、いかにして自社またはイチオシのサービスを広めるかに注力していることです。その内容は私の思いにもマッチしました。なぜなら、私は昨年あたりから自分のなかで力を入れるべき重点を変えようとしていたからです。開発者から伝道者へ。技術者から経営者へ。そうしたキャリアパスの移行を検討し始めていた私にとって、DevRelJpへの参加は必然だったといえます。

さて、今回のDevRelConは私ともう一人で参加しました。もう一人とは、とあるイベントで知り合った若い女性。大手企業の安定を捨て、新たな分野に飛び込む志を持った方です。その志に感じ入った私は、ちょくちょくこうしたイベントにお誘いしています。

今回も「こうしたイベントがあるよ」とその方をお誘いしました。ところが当の私がDevRelConのサイトを熟読せずに申し込んだのだから始末が悪い。もちろん、英語のスピーカーが多いなどの断片的な情報は頭の片隅にありました。ハードルがちょっと高いかもしれないというほんのわずかな懸念も。ところがそれぐらいの情報しか持たず、聴きたいセッションも選ばず、ただ申し込むだけというノーガード戦法。

今回の会場は私も何度も訪れているおなじみのサイボウズ社。いつもの動物達がお出迎えしてくれ、ボウズマンもサイボウ樹も健在。日本人の姿も結構見うけられます。自分のホームに帰ってきたような安心感。それもあって甘く見ていたのかもしれません。

そんな私の思いは開催とともに打ち砕かれます。司会進行は中津川さん。DevRelJpでもおなじみです。ところが喋っている言葉は全て英語。ほかの日本人スピーカーも流暢な英語を操っているではありませんか。普段、日本語で喋っているのに、今日に限ってどうしたことでしょう。さらに驚くべきことに、その状況におののいているのはどうやら私たちだけらしいという事実。英語で威勢よく進行する状況を周りは当然のこととして受け入れているのに、私たちだけ蚊帳の外。

普段、こうした技術系イベントでは同時通訳の副音声が流れるイヤホンが貸し出されます。ところがDevRelConにそうした甘えは許されず、全てを自分の耳で聞き取らねばなりません。と、横のサイボウ樹のディスプレイに日英の両方の文章が流れていることに気づきました。どうやらスマートスピーカーが言葉を聞き取り、通訳して文章を吐き出してくれている様子。普段、サイボウ樹のディスプレイは沈黙しています。今回、初めて大活躍の場を見ることができました。ですが、何か様子がおかしい。精度が悪く、ディスプレイにはほとんど意味をなさない文章が流れているのです。たまに口にするのもためらうような言葉も混じったり。話者によってはある程度の長さの文章を拾ってくれますが、流暢なネイティブスピーカーの言葉はほぼ支離滅裂。私たちの目を疑わせます。その内容にはあぜんとしました。流暢な人の言葉こそ、いちばん通訳を求められるのに。

つまりDevRelConとは、英語ヒアリング能力がなければ、まったく理解がおぼつかないイベントだったのです。

うかつにも私はイベントが始まってからその残酷な事実に気づきました。そして心の底からヤバいと思いました。こんな体たらくで10時間以上の長丁場に耐えられるのか、と。一緒に来た方も英語力は私とそう変わらない様子。全く聞き取れない英語の流れる会場で、絶望に満ちた顔を見合わせながら、日本語でヒソヒソと言葉を交わす二人。しかも私はまだ技術的な単語に免疫がありますが、この方は技術者ではありません。なので私など比べ物にならないほどの苦痛を感じていたはず。お誘いして申し訳ない、と思いました。

ところが、そんな私たちは結局最後まで会場に残り、懇親会にまで出席したのです。それはなぜかというと、会場のスピリットが伝わったからです。そのスピリットとは、上にも書いたDevRelの定義「自社製品/サービスと外部開発者とのつながりを作り上げる活動」です。スピーカーのおっしゃる内容は正確な意味は分かりません。ですがニュアンスは伝わってきます。つながりを作る活動。その思いが会場に満ち、私たちの心に何らかの作用を及ぼします。

全てのスピーカーの方々が訴えるメッセージとは、好きなサービスをテーマとしたコミュニティを作り上げ、そこからより活発な発信を行う。それだけのことなのです。それはそうです。DevRelConである以上、DevRelの理念が話されるのですから。そして私たちはまさにそうした内容が知りたくてこのイベントに参加したのです。

そのことに気づいてからは、気持ちが楽になりました。三つ用意された部屋を移り、それぞれでヴァラエティにあふれたスピーカーの皆様のプレゼンを聞きながら、プレゼンの仕方や、画像の挟み方を学びます。そしてプレゼンのエッセンスを必死に吸収しようと集中します。実際、勉強になることは多い。だてに英語の千本ノックを浴びていただけではないのです。絶え間ない英語のシャワーに耳を洗われ、洗練されたスピーカーのプレゼン技術に見ほれながら、私は受け取るべきメッセージは受け取り、自分の中に知見を吸収していきました。

私が得た気づき。それは、日本の技術者が陥っている閉塞感と終末感です。そして切迫した危機感。私にとって英語だけが交わされるこの空間は、余計な雑念を排してくれました。それほどまでに英語だけの環境は新鮮でした。

私も単身でイベントに参加することはよくあります。何十人も集まるイベントで私が知っているのは招待してくださった方のみ。なんて経験はザラです。そこで一分間しゃべる事を求められても動じなくなりました。そのようなイベントに積極的に出るようになったのは法人化したここ三年ぐらいのこと。そんな孤独感に満ちたイベント参加に慣れた私ですら、DevRelConの英語の飛び交う会場からは強烈な新鮮さを受け取りました。強烈な危機感とともに。その危機感は今までも感じていましたが、しょせんそれは頭の中だけの話。上辺だけの危機感です。ところがいざ、英語に満ちたフィールドに身を置いてみると、その危機感がより切実に私に迫ってきました。

Rubyの創始者として著名なまつもと氏も登壇されておりましたが、内容はごく当たり前に英語。本邦で生まれたプログラム言語が世界で使われるすごさ。それは、技術の世界に身を置いていると痛切に感じます。そこにはまつもと氏による地道な発信があったのです。最初は小規模なコミュニティからスタートし、英語で発信を行う。それがある日、拡大局面をむかえる。そこまでの日々にあるのはただ地道な努力のみ。近道はありません。

もしRubyのコミュニティが日本語だけに閉じていたとしたら、当然、今の繁栄もなかったはずです。情報技術が英語を母語として発展したことに疑いをはさむ人はよもやいないでしょう。英語が母語の状況がこれからも覆りようがないことも。例えばExcelやWordのマクロをいじろうとしてちょっと検索すれば、すぐに英語のドキュメントがしゃしゃり出てきます。クラウドサービスのドキュメントも英語まみれ。プログラム言語のドキュメントとなればあたり一面に技術的な英語がバシバシ現れます。それらのドキュメントは日本語に翻訳されていますが、ほとんどは自動翻訳によってズタズタにされ、いたいけな技術者をさらに惑わしにかかります。これからの技術者にとって英語はさらに必須となる事実は、今でも簡単に証明できます。

また、これからの日本には移民がさらに増えてくるはずです。国際的な取引にもますます英語が絡んでくることは疑いのないところ。英語を読み書きする能力もそうですが、会話する能力を磨かないと、これからのビジネスでは通用しなくなると言い切ってよいはず。正直、今までの私はたかをくくっていました。じきにドラえもんの「翻訳こんにゃく」が実用化され、英語を学ぶ必要はなくなるだろう、と。ですがサイボウ樹のディスプレイに流れる意味の分からぬ日英の文章の羅列は、私の甘い見通しを打ち砕きました。「翻訳こんにゃく」の実現にはあと10年はかかりそうです。

もう一つ、このイベントに出て思ったこと。それは日本人の閉鎖性です。異文化にさらされるようになってきた最近のわが国。ですが、しょせんは日本語で囲まれています。コンビニエンスストアで店員をしている諸外国の方も、たどたどしい日本語で頑張って対応してくれています。今はまだ。日本人が日本で暮らす分にはなんの脅威もなく、治安もある程度保たれています。ですが、その状況はこのまま移民が増えても大丈夫なのか、という危機感が私の脳裏から拭えません。その危機感とは治安に対してではなく、日本にいながら日本語が使えなくなることに対してです。すでに、クラウドや技術界隈の奔流が非日本語圏から流れてきています。その現状は、日本語文化への危機感をさらに煽り立てます。

日本人が大勢を占める職場で日本語だけを喋っていれば事足りる日々。実はその状態はものすごく恵まれており、極上のぬるま湯につかったような環境なのではないか。そして、その状況が取っ払われた時、日本人は果たして生き残っていけるのか。日本をめぐる危機がさまざまに叫ばれる今ですが、これから数十年の日本人が直面する危機とは、財政や年金や自然災害によるものではなく、実は文化や言語をめぐる根本的な変化が原因となるのではないか。その時、今の状況に甘んじている日本人はその変化に対応できず、没落するほかないのでは。そんな危機感に襲われました。かつて、新渡戸稲造が英語で武士道を書き、世界に向けて日本のすばらしさを啓蒙しました。英語を自在に操れるようになったからといって、日本の心は消えないはず。むしろより英語が必要になるこれからだからこそ、英語で日本文化を守っていかねば。日本語のみにしがみついていたらマズいことになる。そんな風に思いました。

DevRelConにいるのなら、コミュニケーションを取らねば。まつもと氏とは会話し、握手もさせてもらいました。TwitterブースにいたDanielさんとは英語で会話もし、Twitterのやりとりもしました。夜の懇親会でもさまざまな方と会話を交わしました。ですが、私の英語コミュニケーション能力は絶望的なままです。去年断念したサンノゼのGoogleイベントに今年もご招待されました。ですが今のままでは会話がおぼつかない。それ以前に異文化に飛び込む勇気が私には欠けています。日本のイベントに単身で飛び込むのとはレベルが違う恐怖。まず私が克服しなければならないのはこの恐怖です。

そうした強烈な気づきが得られたこと。それが今回DevRelConに出た最大の収穫だったと思います。まとめサイトもアップされており、私がイベント中に発信したつぶやきもいくつも収められています。

折しも、複雑なアルゴリズムの開発で苦しみ、私自身が技術者としての賞味期限を意識した途端、同学年のイチロー選手の引退のニュースが飛び込んで来ました。その翌日、EBISU Tech Nightというシステム開発会社のイベントで登壇依頼を受け、優秀な技術者の方々へ話す機会をいただきました。スライド

そこで話したのはDevRelConの経験です。簡潔に私の得た気づきを語りました。技術者だからこそこれからの時代でコミュニケーションを身につけねばならない。それにはDevRelConのようなイベントに飛び込んで行くだけの気概を持たないと。そんな内容です。冒頭の自己紹介を英語でしゃべり、盛大に自爆したのは御愛嬌。終わった後の懇親会でも私の趣旨に賛同してくださる方がいました。その方からは殻に閉じこもる技術者がいかに多いかという嘆きも伺いました。どうすればザ・グレート・シタウケから日本の技術者は脱却できるのか。それを追い求めるためにも、私も引き続き精進し、全編フルのスペクタクルに満ちた英語のプレゼンテーションができるようになりたい。ならねばならないのです。


kintone Café 埼玉 vol.1を終えて


4/2にkintone Café 埼玉 vol.1が開催されました。
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15名の参加者をお迎えし、なかなかに盛り上がりを見せたCaféとなりました。初回にしては上々の出来ではなかったかと思います。

vol.1の開催概要はdoorkeeperに記載の通りです。

内容については発起人の新妻さんによるこちらがすばらしく簡潔でよいです。

本当に皆様、よい発表だったと思います。私自身もとても参考になるところがありました。改めて発表者の皆様、参加者の皆様、ありがとうございました。

私自身は、ハンズオンを担当させて頂きました。そして、自分の知識不足を痛感しました。ただ、ハンズオンを担当して嬉しいこともありました。それは、とある参加者の方から私のハンズオンの分かり易さを評価して頂いたことです。これは私にとってはハンズオンそのものを評価されただけでなく、別の意味でも嬉しいことでした。

昨夏、私はエバンジェリストとして伸び悩んでいました。今後の活動について、どうすればいいのか、と。常駐先の仕事は忙しく、バージョンアップの度に新機能が実装されても検証の時間すら取れない焦り。ユーザー会やkintone Caféにもほとんど出る暇のない日々。それはただ、ひたすらに悶々とする日々でした。技術者としての自らのキャリアパスにとって、kintoneが最適解の一つであることは確信を持っていました。では自分のkintoneエバンジェリストとしての価値はどうすれば打ちだせるのか。

そんな葛藤の中、私が選んだのは最新の技術を追うのではなく、まずkintoneの本質を伝える道でした。kintoneに初めて出会った時の感動を愚直に伝えるのも、伝道師-エバンジェリストの役目なのではないかと。

もくもく会やkintone Caféで出会うエバンジェリストの皆さんは本当に優秀です。多分今の私よりもずっと。kintoneの可能性を限りなく拡げて行って下さる方があってこそ、kintoneの裾野は広がっていきます。無くてはならない方々だと思います。であれば、技術の追求は他のエバンジェリストの方にお任せして、私は愚直に初心者の方に、ユーザーの方に業務目線でアプローチしてみればよいのではないか? 元々私自身、ユーザー出身者として、ユーザー目線のシステム構築を売りにしていたのではなかったか、と。

そんな中、ご縁があってトイロハさんで初心者向け記事を書かせて頂く機会を頂きました。
https://toiroha.jp/media/detail/185
連載を読んで頂いている方はお分かりのとおり、こちらの連載はかなり異質です。見方によっては、IT女子二人の試行錯誤がだらだらと続いているだけ、とも読めます。最短距離をゆき、効率的合理的に説明を果たすアプローチとは一線を画しているのがこの連載です。でも、私は本連載の中で、敢えてユーザーの立場からの試行錯誤の跡を隠すことなく書いてみようと思いました。

まだ、このやり方が正しいかどうかはわかりません。私自身もこのアプローチでよいのか迷うこともあります。でも、少しずつ評価を頂くことが増えています。なので、今回のハンズオンも同じアプローチを採りました。トイロハさん連載に登場するIT女子だけでなく、著者自身もまた試行錯誤の中にあることを隠さないのと同じように、ハンズオンのスピーカーもまた、修行中であることを隠さぬアプローチ。だから、今回のハンズオンがある参加者の方から評価されたことは、私にとって特別な嬉しさがあった訳です。

今、kintoneは追い風にあります。最近、特にそう思う出来事が増えてきています。

電車に乗っていてサラリーマン同志の交わす会話から「kintone」の言葉が聞こえます。システムの提案要件に当初から「kintone」の含められる案件が増えています。今日も、とある案件の応募先のご担当者様とお話しする機会を頂きました。その中で、弊社以外にも「kintone」による提案が多々あったと教えて頂きました。何よりもお客様の下に伺って「kintone」の提案をすると反応が上々であるケースが増えています。間違いなくシステム構築案件の選択肢の一つとして、kintoneの地位は上がっています。

そういった波に乗るにあたり、私も技術者の端くれですからJavaScriptを駆使したカスタマイズや他システムとのAPI連携に挑みたい気持ちはあります。意図した動作が実現できた時の高揚感は、技術者冥利に尽きますし。

でも、私自身のエバンジェリストとしての存在意義は、きっとそこにはないのだと思っています。少なくとも現時点では。初心者目線を保ったままのアプローチ。まずは業務より始めよ、です。業務とkintoneの互いを活かして相乗効果を産むアプローチ。業務をシステムに合わせるのではなく、システムを業務にカスタマイズするのでもなく、両者の良いところを組み合わせるアプローチ。このアプローチでもう少しやってみようと思っています。

次回のkintone Café埼玉 vol.2。または準備中のkintone Café某所。スピーカーとしての腕前はまだまだこれから磨かねばならない私です。が、引き続き初心者目線でのアプローチは崩すことなく、kintone Caféに臨んで行きたいと思っています。まだkintoneを知らない方に、kintoneの良さを少しでも伝える。これもまたエバンジェリストのあり方の一つだと信じて。

昨夏から試行錯誤してきたエバンジェリストとして行くべき道がようやく少し見えてきた気がします。

これからも、弊社のブログなどでkintone Café埼玉やkintone Café某所のご案内は流して行きたいと思います。そして、その場でまだ見ぬ皆様とお会いできることを楽しみにしています。既存の業務要件を入口に、納品を出口としたシステムでは拾いきれなかったニーズを持ったユーザー様は、あちこちにいらっしゃるはずですから。


風立ちぬ


映画の内容について、ほとんど予備知識のないままに見に行ったが、素晴らしい映画であると感じた。

宮崎監督の信念と、今の日本に伝えたいメッセージはしっかりと受け止めることは出来たのではないかと思う。日本の一番暗く重い時代を、腐りもせず、自傷にも批判にも走らず、自らの仕事を全うする青年の姿に、監督が本作に込めた、今の日本へのメッセージを感じない訳にはいかない。

その時代を断罪することができるのは、同時代に生きた者にのみ許された特権である。監督もそのあたりのことは重々承知のはず。

本作の中で非難らしい非難を受けたのはナチス党であり、作中人物を通して、ならず者の集まり、とまで言わせている。それ以外は日本の軍部、会社組織、上流階級、来日中の枢軸国人、そのいずれに対しても監督の描写はあくまで中立を貫いている。その辺りに監督の配慮、そして良心を感じた。

堀越氏の生い立ちにしろ、零戦の設計者としての知識ぐらいしかもっておらず、堀辰雄の「風立ちぬ」もだいぶ前に読んで以来、ほぼ内容を忘れかけていた。

なので、本作が史実に合致しているか、については私自身それほど重要視していない。むしろ、日本が一生懸命に輝こうと悪戦苦闘していた時代の美しさを、監督が愛好する、紅の豚の世界にも似た飛行機乗りのロマンに絡めた着眼に拍手を送りたい。

どうすれば、今の日本はかつてのように輝けるのか、どうすれば少子化を克服できるのか。そして、人は何ゆえに生き抜くのか。ラスト近くで菜穂子が語りかける言葉に、全てが集約されている。

2013/8/24 イオン・シネマつきみ野