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絢爛たる悪運 岸信介伝


本稿を書いている時点で、安倍首相の首相在職期間は戦後第4位になるそうだ。長期政権に向けて視界も良好、といったところだろう。

安倍内閣の政策を一つ一つあげつらえばきりがない。だが、よくもわるくも自民党の伝統路線を堅実に歩んでいることは評価できるのではないか。私が本稿を書き始めたとき、安倍首相はトランプ米国大統領との首脳会談に臨んでいる。トランプショックに巻き込まれるのか、それとも新たな日米関係が構築できるのか。安倍首相はトランプ米国大統領ともリーダーシップの上では相性がいいのではないか、ともいわれている。ここで盤石の信頼体制が築けたら、安倍内閣の体制もさらに強固なものとなるに違いない。対米従順といわれようが、ポチと言われようが、日米関係が日本の外交戦略上無視できないことはもちろんだ。

そして安倍首相は長期政権が確立できる見通しがついた時点で祖父以来の懸案に取り掛かることだろう。その懸案こそ、憲法改正。

安倍首相の祖父、岸信介元首相の悲願でもあった憲法改正。それは、安保改正法案の議決と引き換えに岸内閣が総辞職したあと、60年近くも実現する見通しすら立っていない。岸氏は首相を辞任した後も後継者たちに憲法改正を託し続けていたという。そして、それがなかなか実現しない事に苛立っていたという。

岸氏を描いた本書には、幼い頃の安倍首相が登場する。安保デモ隊の群れは岸首相宅の周辺にも押し寄せた。そんな周囲の騒ぎをよそに、岸首相は悠然と孫たちを呼び寄せ、のんきに遊んでいたという。幼い安倍首相がデモ隊に向けて水鉄砲を発射していた微笑ましいエピソードも本書には登場する。おそらく安倍首相は、祖父から憲法改正の悲願を繰り返し刷り込まれて成長したことだろう。安倍首相に与えた祖父岸氏の影響とはかなり大きかったと思われる。

私が本書を手に取った理由。それは安倍内閣の政策の源流が岸信介元首相に発することを確かめるためだ。そして本書を読んで、その目的は達せられたと思う。今の安倍政治を読み解く上で、岸氏の生涯を振り返ることは意味がある。

自民政治の後継者とみられる安倍首相だが、出身派閥は清和会だ。清和会といえば岸氏の流れを汲む派閥だ。一方で安倍首相にとって大叔父であり、岸氏の実弟にあたるのが佐藤栄作元首相だ。佐藤栄作氏といえば、吉田学校に学んだ吉田茂直系の後継者として知られている。岸氏は反吉田色の強い政治家として知られている。兄弟でも政治的な立場に違いがある。そして、安倍政治とは大叔父の佐藤栄作元首相よりも、岸氏の流れをくんでいる。ということは、吉田池田佐藤路線が戦後の日本の本流と仮に見なせば、安倍政治とは、自民政治の本流ではないということになる。

では、岸氏とはどのような人物だろうか。岸氏を一言で表す言葉として著者が選んだのは「絢爛たる悪運」。「絢爛」とは氏の栄達に満ちた一生を表し、「悪運」とは氏の波乱の生涯を表しているのだろうか。

波乱の生涯とは言っても、岸氏の生まれは恵まれていた方だ。岸氏が生まれた佐藤家が、長州藩でも名家にあたる家だからだ。岸氏の曾祖父にあたる佐藤信寛は、吉田松陰に兵法を伝授した人物として、長州藩に重きをなした人物。明治初期には島根県令を勤めたとも伝わっている。つまり、岸氏は長州閥として恵まれた一族に産まれたのだ。岸氏が産まれた時も明治の世を謳歌していたことだろう。

ところが岸氏の場合、父が養子だったことで波乱の人生に投げ入れられる。父の実家、岸家に婿養子で出されるのだ。以来、岸氏は、佐藤家と岸家の双方に気を遣って生きることになる。それは岸氏に硬軟取り混ぜた処世の術を身につけさせる。結果として岸氏は逆境に遭っても身を処すためのスキルを身につけた。

東大から商工省へ。ここで頭角を現した岸氏は革新官僚として統制経済を推進する。統制経済は、軍にとっては都合の良い政策である。その推進者として軍に目を掛けられた岸氏は、満州国の経済責任者として関東軍から招聘される。そして、商工省を辞めて満洲国へ。さらには東条内閣の閣僚に抜擢され、開戦の詔書に署名する。この辺りの経歴は、「絢爛たる」といってよい。

ところが戦局の悪化は、岸氏の主管である戦時生産に悪影響を及ぼす。生産が戦局の悪化で計画通りに進まなくなり、東条首相との関係が悪化する。その結果、岸氏は一転、東条内閣の総辞職に一役かうことになるのだ。岸氏は敗戦後に極東軍事裁判、いわゆる東京裁判でA級戦犯として訴追される。だが、東条首相と対立したことや、開戦二カ月前の戦争指導者会議に出ていなかったこともあり、無罪となる。この辺りが「悪運」と言われるゆえんだろう。

著者はここで悪運にまつわるエピソードとして、岸氏が巣鴨プリズンから無罪で出てくることや将来は総理となる託宣を告げにやって来た占い師のエピソードも挟む。

公職追放が解除されてからの岸氏は、政界復帰に向け準備を進める。その結果が、石橋内閣の副総理格である外相で入閣する。ところが石橋首相が病気で退陣を余儀なくされるのだ。そこで首相代理に昇格したのが副総理格だった岸氏。そのまま次期総理として二期に渡って組閣することになる。この辺りの岸氏の経歴こそが、昭和の妖怪と揶揄されたゆえんだろう。並みいるライバルは次々に病で舞台を去り、労せずして首相の椅子を手に入れるあたりが。

岸内閣の業績は、実は安保以外にもいろいろとある。だが、首相を退陣した後の岸氏にとって思い出されるのは、安保改定の攻防とデモ隊に囲まれる日々だった。樺美智子さんの死亡とアイゼンハワー米大頭領訪日断念といった一連の流れは特に印象深い出来事だったようだ。審議時間切れで安保が自動的に決議されるのを待つ間、首相官邸で過ごす岸氏の元を訪れていたのは実弟の佐藤栄作氏。ここで岸氏の口をついたのは幕末の長州で奇兵隊を立ち上げた高杉晋作の一句。「情けあるなら今宵来い、明日の朝なら誰も来る」

対米戦争を始めた内閣の閣僚であった岸氏は、アメリカに対しては複雑な思いを持っていたことだろう。安保改定を単なる対米追随から推進したのではないはずだ。戦後の日本が置かれた状況や国際関係の行く末も秤にかけた上で、最善手として安保改定を選んだはず。

最近、この年のノーベル平和賞候補として現職の岸首相が推薦され、候補に挙がっていたことを知った。もし受賞していたら実弟佐藤栄作元首相の受賞以上に物議を醸した事だろう。資料によれば、ノーベル平和賞に推薦したのはアメリカの上院議員だったとか。おそらくは推薦事由とは戦後国際政治を冷静に見極め、安保改定を推進したとかそんな事だろう。東條開戦内閣の閣僚でありながら、米国と手を握った現実感覚が推薦理由だったのかもしれない。こういった得体の知れない処世の鮮やかさも、悪運の強さとして、昭和の妖怪と言われた理由だと思う。

自民党金権政治のハシリ、対米追随のハシリ、と岸氏を誹謗するのはそれほど難しくない。それよりも難しいのは岸氏の構想に乗った憲法改正の実現だ。国際政治の変化に対応し、対米追随路線を進めたとはいえ、岸氏は憲法改正を悲願としていた。吉田元首相や岸氏は、GHQの権力の強さを肌で知っている。だからこそ、戦後の出発にあたっては、GHQから押し付けられた憲法を飲むしかないとの現実認識をもっていた。だが、それはあくまでも一時の方便に過ぎない。日本人が主体となって制定した自主憲法を望む思いは強いはず。一方、憲法が思いの外長期にわたって有効であり続けたことは、日本人は制定当初の憲法がいびつな手続きであったことを忘れ、慣れてしまった。その結果、改憲の機運も依然として弱い。

だが、当時は弱体だった中国が強大になっている今、果たして今の憲法が有事に対応できるのか。そう問われれば言葉につまるほかない。

祖父が果たせなかった改憲を孫の安倍首相は実現できるのか。トランプ大統領との首脳会談では、尖閣諸島は安保条約の適用範囲であるとの言質をトランプ大統領から得た。これによって安保の威光がいまもまだ失われていないことが明らかとなった。そして、米国の庇護が期待できれば、改憲の必要は少し弱まる。だが、それでもなお国防を自国でやるか他国に委ねるか、という問題は解決されていない。岸首相の時代から何も変わっていないのだ。

岸氏の生涯は、実は妖怪どころか、超現実主義の原則に沿っていた。現実主義とは、これからの日本を舵取りする上で欠かせない視点だと思う。その意味でも、岸氏の衣鉢を継ぐ安倍首相のこれからに注目したいと思う。

‘2017/02/06-2017/02/07


人斬り半次郎 賊将編


中村半次郎として意気も溌剌とした幕末編から一転、桐野利秋として戦塵の中に倒れるまで、あと十年と少し。

本書は、維新の激動が半次郎の心に生じさせた変化を露にしつつ始まる。維新に向け、半次郎の命運は下るどころか、はた目にはますます盛んだ。上巻の終盤では、薩摩に残した恋人幸江に去られる。さらには半次郎が恋心を抱いていたおたみも同輩の佐土原英助とくっついてしまう。そればかりか肉欲だけでなく、書や本の師弟として結びついていた法秀尼も何かと騒がしい京から去ってしまう。尊王攘夷も佳境にきて、半次郎の周りから女の気配がふっと消えてゆく。一方で半次郎の武名はますます鳴り渡り、薩摩になくてはならぬ人材として自他ともに認める存在になっている。もはや半次郎は恋に心をやつしている場合ではなくなっているのだ。ここまでがむしゃらに立身出世を願い、男ぶりを鍛えることに没頭してきた半次郎。維新の結実を前にして彼は自らの中で整理をつけたようだ。半次郎が切り捨てた自身の一面とは、彼の素朴な部分だったのかもしれない。あるいは愛嬌とでもいおうか。非情な世を渡るため、弱さと取られかねない部分を切り捨てる。それはやむを得ない行動だったかもしれないが、そんな半次郎のもとから女性たちは去ってゆく。

薩長の同盟はいまやほころびようもなく盤石だ。幕府の棟梁たる将軍家茂は若くして死に、もはや公武合体どころではない。跡を継いだ将軍慶喜は大坂から敵前逃亡して江戸に帰ってしまう。もはや幕府の劣勢は明らか。将軍慶喜が決断した大政奉還だけでは倒幕の炎は鎮まりそうにない。起死回生の妙案が幕府から生まれない状況の中、鳥羽・伏見の戦いは始まる。勢いに乗った官軍は、そのまま連戦連勝で五稜郭までを席巻する。

会津藩降伏の場において新政府軍の軍監として臨む半次郎に、唐芋侍とさげすまされた面影はない。どっかり座る半次郎の姿は、今なお錦絵の中の偉丈夫として残されている。だが、本書を読んだのちに見る絵の中の半次郎は、孤独を感じさせる。勝てば官軍、負ければ賊軍、という言葉はこの時期の新政府軍が基になっているという。危うく、己を非情に持ちあげねば生き抜けなかった頃の姿に、弱さが同居するはずはない。

明治になってしばらくたった頃、中村半次郎は桐野利秋と名を改める。さらには初代陸軍少将に任命される。陸軍中将は当時はまだ将官の階級として設置されておらず、初代陸軍大将の西郷隆盛に次いで桐野利秋が任じられたことになる。名実ともに西郷隆盛の腹心として認められた瞬間だ。

倒幕が成った今、武よりも文が必要となる。維新の志士たちもまた同じ。刀を差して歩いていては、国造りはおぼつかない。長らく続いた武力による争いは終わり、新たな国を作って行かねばならない。髷を落とし、洋装に着替え、西洋文明の摂取に奔走する。それは桐野利秋も同じ。法秀尼から書を教わり、その集中力をもってすれば、文でも新政府の中心として遜色なく働けたはず。だが、武名が目立ちすぎたためか、初代陸軍少将に収まってしまう。ここで桐野利秋が内政に携わり、海外や国内に広く目を向けていれば、後年、不平士族に焚き付けられる脇の甘さは露呈しなかったかもしれない。

だが、いまや桐野利秋のそばに彼を言い諭せる女性はいない。幕末の日々の中で去って行ってしまった女性たち。彼女たちだけが、一気呵成や猪突猛進といった心持ちとは逆の教えを 桐野利秋に与えられたはずだ。唯一桐野利秋に諭せる人がいるとすれば、それは心服する西郷隆盛のはず。だが、西郷もまた、国づくりの進め方において新政府とは相いれない不満を持っていた。西郷には次第に達観の気持ちが募ってゆく。桐野利秋に対しても諦めたかのように何も言わず、したいようにさせる。最後に西郷が国を思って奔走した征韓論さえ、政府に受け入れられることはなかった。

西洋になびくか、それとも、アジアの国に進出して西洋に対抗できる基盤を作るか。西洋に右向け右でならおうとする風潮を苦々しく思っていた西郷の哲学は、当時の新政府の首脳には理解されなかったのだろう。今となっては、どちらが正しかったか誰にもわからない。西洋の先進的な文化に触れた遣欧使節からみると、西郷の唱える征韓論はあまりにも視点が狭く映ったかもしれない。が、いたずらに西洋をまねることは長期的にみて日本の国勢を左右しかねない、という西郷の考えも理解できる。ただ、本書の桐野利秋は、西郷に心酔するあまり、西郷の思想を理解せず、ただ単に敵対するもの全てを敵視していたようだ。征韓論や日本のこれからに考えをめぐらさず、西郷の考えこそが正義という考えに凝り固まる。西郷と政策で対立する大久保利通を暗殺せんと訪問するくらいに。ここに桐野利秋のいちずさがあり、限界があった。倒幕へと猛進する時は示現流の流儀のごとく無類に強い。だが、平時にあっても生き方を変えられないのは、強さではなく愚かさだ。引き際の潔さも、相手によって柔軟に相対する世慣れたふるまいは、平時にあって国を動かすものには欠かせない。自らを教え諭す女性たちが去って行った桐野利秋に、そこまで求めるのは酷なのかもしれないが、著者は暗にそのあたりも描いているように思える。

本書を読んでいると、満州事変から第二次大戦に至るまでの日本陸軍が浮かんでくる。一度決めた計画を撤回することは面目に関わるので是が非でも決行。そんな陸軍の欠点とされる部分が、桐野利秋の生き方に見え隠れする。直接関係があるかはわからないが、陸軍の基礎が固められるにあたっては、初代陸軍少将である桐野利秋も多少は関わっているはずだ。桐野利秋の生きざま、示現流イズムが、その後の陸軍に影響を与えていないとは誰にもいえないはずだ。一方、初代陸軍大将でありながら、西郷の陸軍への関与は鈍く思える。もし西郷の鷹揚な器の広さが揺籃期の陸軍に影響を与えていたならば。もしドイツ陸軍を手本とするのではなく、薩摩が影響を受けた英国流に陸軍の風潮が染まっていたならば。ここまで陸軍の悪評も定着しなかったのではないだろうか。そう思えてならない。

西南戦争における薩摩軍の動きは今更言うまでもない。すでに何かを悟ったかのような西郷を祭り上げ、不平士族の意見に乗って日頃の不満を晴らそうとする桐野利秋の行動については、もはや何もいうことはない。維新の上げ潮にあっては桐野利秋と西郷をつなぐ絆はますます強固なものとなった。しかし、平時にあって器の広さを見せた西郷に比べ、勢いのまま平時にあっても突っ走った桐野利秋の間には、隙間がぐいぐいと開きつつあったのだろう。その流れのまま西南戦争に突入したことが、意思疎通の齟齬をますます開かせたのだと思う。

結局、二人は主従として心中する他はなかったのだろう。時代の移り変わりにあたって、大勢の不満のはけ口を作るために、いや、日本が士農工商の封建時代から立憲君主制に移行するにあたって道を開くために、最後の生贄となったのではないか。

上巻の素朴さと違い、香水を漂わせつつ最後まで戦って死んでいった桐野利秋は、ただただ痛々しい。その痛々しさに哀しみを覚える。

桐野利秋を演じた北翔海莉さんは、桐野利秋を演じる上でどう解釈したのだろう。百周年を迎えた宝塚の伝統の部分は、いったん自らをもって終わりとし、次代に新たな宝塚歌劇を託そうとしたのではないだろうか。時代が変わろうとする時、旧世代の人間は、旧世代なりに幕を引いて去ってゆく。百年の伝統を次代に引き継ぐ北翔海莉さん、封建から立憲の世へと引き継ぐ西郷と桐野利秋。いずれも歴史の流れには欠かせない人物だと思う。

‘2016/08/08-2016/08/09


人斬り半次郎 幕末編


本書を手に取ったのは、「桜華に舞え」という舞台がきっかけだ。宝塚歌劇団星組のトップ退団公演。その公演で退団する北翔海莉さんが扮したのが、人斬り半次郎こと桐野利秋である。

「桜華に舞え」は劇団の演出家によるオリジナル脚本であり、本書は原作としてクレジットされていない。でも本書が全くの無縁だったとは思えない。脚本には間違いなく何らかの影響を与えているはずだ。

そんなわけで人斬り半次郎とはいかなる人物かを、舞台を観る前に本書で知っておこうと思った。

薩摩示現流と名乗る剣術の流派がある。映像で稽古風景を見た事があるが、撃ち込み一筋の気迫のこもった稽古だった。ただひたすらに攻めに徹する。そして気迫で相手を圧倒する。そこには守りや間合いといった静はなく、ただただ動の一点張り。人斬り半次郎こと中村半次郎も、示現流の達人である。

だが、彼は途中で示現流の道場を辞めてしまう。それは道場で不和が起こったからだ。半次郎のあまりの強さに、他の門下生が太刀打ちできなくなったのだ。しかもその多くは藩の上士。一方で半次郎は下士であり、本来ならば上士を手合わせすることすらはばかられる立場なのだ。そこでいざこざが生じたため、半次郎は道場を辞め、稽古を自己流で行うことになる。

普通の人であればここで剣術を諦めてしまい、後の世に名を残すことはない。だが、彼が普通の人々と違ったのは、自己流であっても鍛錬を惜しまなかったことだ。なにがそこまで彼を駆り立てたのか。それは己に打ち勝つため。己の置かれた状況に打ち克つためだ。

唐芋侍。半次郎が属する郷士の事を薩摩ではさげすんでこう呼んだという。幕末の薩摩藩といえば開明の印象が強い。だが実は藩内には歴然とした階級があり、半次郎が属する郷士は下級武士、つまり下士として下に見られている。下士が藩主直参の上級武士として取り立てられることはほぼなかったという。半次郎の場合、父が公金横領の罪で訴えられたこともあり、ほぼ上士になる見込みはない。それもあって半次郎は上士に対する対抗意識が強く、道場でも世渡り下手の自分を押し通してしまったのだろう。

だが、半次郎は腕力に訴える粗暴なだけの男ではない。本書で描かれる半次郎は人間的にとても魅力的な男だ。美男子で女にはめっぽう優しく、そして惚れやすい。つまり男にはめっぽう強くて女には弱いのだ。一人の人間の中に強さと弱さが同居している。複雑ではなくむしろ単純。半次郎は決して粗暴なだけの男ではなかったが、彼の生きざまは示現流の影響を受けたのか、守りや間合いを知らなかった。おそらく世が世なら世事に疎く不器用な男として薩摩の吉野郷で生を終えていただろう。要領よく頭角を現すといった形では世に出られなかったに違いない。

彼の境遇を変えたのは黒船来航をきっかけとした国内情勢の変化と、藩主斉彬による登用策だ。それによって西郷隆盛が取り立てられる。郷士の中の暴れものとして城下の若手武士たちから恐れられ遠ざけられていた半次郎は、西郷の訪問を受ける。そして、半次郎が武芸を鍛錬する気迫と開墾に一心不乱に取り組む姿、弁の立つ様子は西郷を感心させる。

西郷にとって、小賢しいだけの男は不要だ。己の地位に満足せず、さわやかな男ぶりをみせる半次郎は、これからの薩摩に必要な人材と映ったのだろう。西郷の上士や下士といった身分にとらわれぬスケールの大きさは、本書を通じてさまざまなエピソードによって明らかにされてゆく。

半次郎が後日、西郷のもとにあいさつに訪れたときのこと。土産にと大きな唐芋を三本持ってきたのだが、それを見た西郷の弟小兵衛が笑う。それを見咎めた西郷が、小兵衛を叱る。この唐芋は半次郎の厚志であり、それを笑うとは何事であるか、というわけだ。情に厚く理想家肌だったと伝えられる西郷の人柄がしのばれるエピソードだ。この出来事によって半次郎は西郷に心酔し、この人のためなら、と一生を賭けることになる。

ここに、西郷に目を掛けられた半次郎の立身出世の物語が始まる。ただ、西郷の立場も弱い。薩摩の実権は前藩主斉彬公の急死によって久光公に移っている。そして斉彬公によって取り立てられた西郷と久光公はそりが合わない。先日も、島流しの憂き目にあったばかりだ。同士である大久保市蔵にとりなされ、罪を許されて戻ってきたとはいえ、まだのびのびと藩政を切り回すまでの力はない。しかし緊迫する情勢は久光公に上京を迫っていた。そのお供として半次郎を推す西郷。大久保市蔵に半次郎の腕の冴えを実検させ、大久保に認められた半次郎は出世への足がかりをつかむことになる。

彼の強さは、攻めの局面であれば、より強さを引き寄せる。だが、半次郎はすでにこの時気づいていない。攻めの局面に夢中になっていると、背後で失われてゆくものもあるということに。半次郎は女性を引き寄せる魅力的な男だ。夜這いの風習のある吉野では年上の幸江と恋仲になっていた。だが、立身出世に逸るあまり、半次郎は幸江を忘れて上京してしまう。幸江が実在の人物かどうかは知らないが、このくだりは、本書において半次郎の負い目となってずっとついて回る。

上京した久光公に随行して京に出た半次郎。だが、この時期の薩摩藩が置かれていた情勢は薄氷の上を歩むようなものだ。西郷もそれを見越した上で薩摩藩に良かれと思い、久光公の命令に反して自己判断で動く。それが久光公の逆鱗に触れ、また島流しにあってしまう。それと前後して寺田屋では薩摩藩士同士による刀傷沙汰も起こっている。世にいう寺田屋騒動だ。

めまぐるしく薩摩藩を巡る情勢は変化する。そんな中にあって、もくもくと勤めを全うする半次郎。が、彼の剣術の腕は少しずつ京の街中に知られてゆく。青蓮院宮の衛士として幾度も宮の危機を救う。そして、扇子問屋を営む松屋の娘おたみを救う。おたみを救ったことで、彼女が気になってしまう半次郎。武士が女に惚れることは弱点につながる。しかも、勤務の最中に知り合った法秀尼とは、性の愉楽に身をゆだねる仲となる。

この謎めいた法秀尼が、西郷のいない京において半次郎の成長に大きな役割を果たすことになる。前に半次郎を攻める一方で守りを知らないと書いた。だが、半次郎とて愚かではない。剣術以外に自分の身を立てる武器が必要であることを悟り、法秀尼に書を習うのだ。さらには本も読みふける。仕事も剣術も手習いも含めて強靭な体力でそれらをこなして行く。人斬り半次郎が後年、桐野利秋となったのは、この時期の精進のたまものだろう。

著者は幕末の情勢と半次郎の日々を鮮やかに書き分けていく。天下の情勢と薩摩藩の置かれた立場が複雑に変動する中、任務と自己鍛錬を怠らぬ半次郎の日々。堅苦しいだけでなく、法秀尼と肉欲に溺れるゆとりも見せる。そんな日々にあって、長州藩との抗争に目覚しい活躍を見せる半次郎は、薩摩藩にあって伍長としてそれなりの地位を固めたといえる。幸吉という自分を慕う少年も手元におき、一見すると半次郎の日々は順風満帆に思える。だが、半次郎が抱くおたみへの少年のような恋心は募るばかり。おたみもまた、自らを救ってくれた半次郎を慕うのだが、それに半次郎は気づかない。殺伐とした幕末の京にあって、すれ違う二人の心がもどかしくも、とても新鮮だ。多情多彩な半次郎の日々を、彼は要領は悪いなりに、全力でこなしてゆく。こういう不器用なところが半次郎の魅力なのだ。

そんな中、二年ぶりに許された西郷が京に来る。そして土産話として吉野の幸江が嫁に行ったことを半次郎に知らせる。そのことを聞かされた半次郎はうろたえる。法秀尼との情事やおたみへの思慕など、多情な半次郎だが、幸江のことに衝撃を受け、苦しむ。この多情さが彼の魅力であり、煩悶する彼はとても人間くさく、好感がもてる。

そんな忙しい中でありながら剣術の鍛錬は怠らないので、半次郎の剣術の冴えは人々のますます知るところとなる。法秀尼からもらった和泉守兼定を懐に差し、西郷の遣いとして長州を視察して回り、半次郎は忙しい。京を覆う物騒な世相は池田屋事件を起こし、半次郎が長州から戻ってきた直後には禁門の変がおきる。それによって長州と薩摩の対立は決定的なものとなる。そして薩摩に中村半次郎あり、という武名は京や江戸、そして長州にも達する。

そんな日々が半次郎を変えていったのだろう。久々に薩摩に帰った半次郎は、あまりにも立場が上がったことで吉野の人々から仰ぎ見られる存在となる。一方で、自信に満ちた半次郎に眉をひそめる人々もいる。守りも間合いも知らない半次郎がいちずであればあるほど、人々との差は開いてしまう。そんな不器用で直情な半次郎の悲しい性が少しずつあらわになってゆく。吉野でかたくなに半次郎に合うのを避ける幸江の態度は、そんな半次郎の後年の孤独を予見するかのようだ。人は栄達してもなお、少年の頃と同じような心でいられるか、という問題がある。成長は自信へと変わるが、その自信は人々の目に尊大に映る。私自身も気をつけねばならない点だと思っている。

半次郎の肥大しつつある自信は、淀川の決闘であわや命を落としかけることによって足元をすくわれる。同郷の大山格之助によって助けられたことは、天狗になりかけた自らを諫める機会になったはずだ。だが、徳川幕府の命運もわずかな今、半次郎に自らを省みる時間が与えられることはない。そして倒幕の勢いはいっそう増してゆくばかり。時代に翻弄される半次郎の悲劇が、ほのめかされるかのように上巻は終わる。

‘2016/08/06-2016/08/08