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煙草おもしろ意外史


なぜ本書を読もうと思ったのか。正直あまり覚えていない。
ふと積ん読の山の中からタイトルに目を留めたのだろう。普段から私がタバコを含む嗜好品の歴史について関心を持ち続けていたからかもしれない。

本書はタイトルだけで判断すると、お気軽に読めるタバコの紹介本に思える。だが、それは間違いだ。
本書が取り上げているのはタバコの歴史だけはない。もちろん、タバコの世界的な伝播や、流行の様子には触れている。だが、本書はその様子から人や社会を描く。さらに本書の追究は、嗜好品とは何かという範囲にまで及んでいる。人が生まれてから成長し、社会に受け入れられる中で嗜好品が果たす役割など、民俗学、社会学の観点からも本書は読み応えがある。
正直、本書はタイトルの付け方がよくない。そのために多くの読者を逃している気がする。それほど本書の内容は充実している。

今、日常生活でタバコに触れる機会はめっきり減ってしまった。
公共の場は禁煙。それが当たり前になり、歩きタバコなどはめったに見かけない。肩身が狭そうに街の喫煙所に集まる喫煙者たち。副流煙がモクモクとあたりを煙らせる中、喫煙所のそばを足早に通り過ぎる非喫煙者たち。その中に私もいる。

私はタバコを吸わない。ただし18歳の頃、早速吸い始めた高校時代の同級生に吸わされそうになったことがある。その時、反発してキレそうになり、それ以来、紙巻きタバコは一度も吸ったことがない。
ただ、水タバコと葉巻はそれぞれ一回ずつ吸ったことがある。30代から40代にかけてのことだ。美味しかったことを覚えている。

なぜ私がタバコに手を出さなかったか。それは、喫煙者が迫害、もしくは隔離される未来が目に見えていたからだ。
当時から束縛されるのが嫌いだった私は、タバコを吸うと行動範囲が制限されると感じ、決して吸うまいと決めた。

だが、上で水タバコや葉巻を試したことがあると書いた通り、私は嗜好品としてのタバコにそれほど嫌悪感を持っていない。もちろん街を歩いていて煙が流れてくると避けるし、喫煙部屋に誘われると苦痛でしかない。
他の三つの嗜好品と違い、タバコだけは副流煙が周りの非喫煙者に不快な思いを与える。だから、専用の場所で吸えば良いのだ。酒も同じ嗜好品だが、酔っ払って暴れない限りは他の人に迷惑をかけない。せいぜい酒臭いと思われる程度だ。
だから、喫煙が可能なバーはもっと増えるべきだし、喫煙者が集える場所がもっと増えても良いと思っている。その中で好きなだけ吸えば済む話だと思う。要するに公共の場で吸わなければいいのだ。

私は酒やコーヒー、お茶をよく飲む。これらは嗜好品だ。タバコを加えて四大嗜好品というらしい。嗜好品が好きな立場から物申すと、タバコだけが迫害される現状は少々喫煙者に気の毒とさえ思っている。
タバコだけを迫害する前に、他に手を入れるべき悪癖は世の中に多いと思っている。
タバコ文化がどんどん迫害され、衰退している。
それは私にとって決して歓迎すべき事態ではない。タバコを吸わないからと悠長に構えていると、他の趣味嗜好にまで迫害の手が及ぶかもしれない。
だからこそ私は、本書を手に取ろうと思ったのかもしれない。

シャーマンが呪術で使う聖なる草。薬にもなるし、心を不思議な作用に誘う。トランス状態に人をいざなうためにタバコは用いられ、病んだ精神を癒やす効果もあるという。
アンデス高地が原産のタバコが、アステカ・インカ帝国を征服したスペイン人によってヨーロッパにもたらされ、それが瞬く間に世界で広まっていった。

イギリスの国王や、日本の徳川秀忠のようにタバコを嫌い、迫害した君主もいる。だが、人々がタバコの魅力を忘れなかった。
嗅ぎタバコや葉巻、パイプ、噛みタバコ。さまざまな派生商品とともにマナーやエチケットが生まれ、世界を席巻した。

産業革命によって大きく産業構造を変えた世界。その中で人々は都会に集い、ひしめきあって暮らした。技術を使いこなすことを求められ、最新の情報を覚え、合理的な動きを強いられる。情緒面よりも理性面が重視される毎日。
そのような脳が重んじられる時代にあって、脳を癒やすための手段として、嗜好品、つまり酒や茶やコーヒーやタバコはうってつけだった。

私が開発現場にいた頃、タバコ休憩と称して頻繁に席をはずす人をよく見かけた。
私はタバコを吸わない。だが、よく散歩と称して歩き回り、それによってプログラミングの行き詰まりを打破するアイデアを得ていた。
同じように、タバコ休憩も安易に無駄な時間と糾弾するのではなく、そうした間を取ることによって新たなアイデアを得ることだってある。タバコを吸うことで脳が活性化されるのであれば、それこそまさにタバコの効能だろう。

だが、近代になりタバコが若年層にも行き渡るようになり、健康と喫煙の問題が取り沙汰されるようになった。

ここからが本書の核となる部分だ。
ここで断っておくと、本書の著者は日本嗜好品アカデミー編となっている。その立場は、嗜好品をよしとし、大人のたしなみを重んじて活動する団体のようだ。
つまり、タバコに対して好意的に捉えている。むしろ、タバコを排除する動きには反対していることが本書から読み取れる。
例えば、健康の基準が時代とともに変化していることを指摘し、その基準を社会が一律に決めることに反対している。
また、物質が幅を聞かせる世の中にあって、人々の心が空洞化していることを取り上げ、タバコを悪と糾弾することが社会の正義にかなっているという風潮に反対する。乗っかりやすいキャッチフレーズが空洞化した心に受け入れられたのが、タバコへの迫害ではないかと喝破する。

そもそも昔はタバコも大人への通過儀礼として認められていた。それが、大人と子供の境目が曖昧になってしまった。それがタバコから文化的な意味を奪い、単なる健康に悪い嗜好品と認識されていまった現状も指摘している。
この部分では、河合隼雄氏、小此木啓吾氏、岸田秀氏といったわが国の著名な精神分析家の分析が頻繁に引用される。民俗学、社会学、精神分析理論、心理学、民法などを援用し、現代の文明社会の歪みと、その中で生きていかねばならない人の困難を提起する。
本来なら、生きる困難を和らげるのがタバコの役割だった。ところが、和らげる手段すら排除されようとしている。
人は死ぬ。生まれた瞬間に死ぬ運命が決まっている。その恐れは人類の誰もが持っている。それを和らげる存在が必要だからこそ、人は嗜好品に手を出す。それは責められる類のものではないだろう。人が進化し、自我を持つようになってしまった以上は。

「本能の壊れた」人間は、自然に即して生きることが出来なくなったため、さまざまな装置や仕組みを考案し、それらを使って生きる道を確実なものにしようと努力するようになった。(190ページ)

つまり、古来シャーマンがタバコを用いて人に癒やしを与えていた機能。それを今、文明社会から奪ってしまってよいのだろうか。編者はそう訴えたいのだろう。

本書でも述べられているが、嗜好品を闇雲に排除するのではなく、節度を持った喫し方を啓蒙すれば良いはず。喫煙者が節度を持って決まった場所で吸い、それが守られていればタバコが絶滅させられるいわれはないはずだ。
それこそ、私が前々から考えていたことだ。

ただし、本書を読んだ後に世界はコロナウィルスによって蹂躙された。コロナウィルスは肺を攻撃する。もし、喫煙によって肺が弱っていれば、肺炎になって致死率は上がる。これは、タバコにとっては致命的なことだ。
タバコが生き残るとすれば、まず禁断症状を薄めつつ、精神を安定させるように改良する必要がある。さらに、肺への影響も最小限にしなければ。そうした改良がないと、タバコはますます絶滅へと追いやられていく。
むやみやたらにタバコを排除すればそれで済むはずはない。もし今のように能率ばかりを求めるのであれば、その代替となる嗜好品には気を配る必要がないだろうか。そうでなければストレスが増すばかりの世に暮らす人々の精神的な健康が損なわれる気がする。
ストレスフルな世の中にあって、タバコなどの嗜好品が絶滅した世の中に魅力的な人間はいるのだろうか。いない気がする。

かつて、作家の筒井康隆氏が短編『最後の喫煙者』を世に問うた。そこで書かれたような世の中にはなってほしくない。

本書は隠れた名書だと思う。

‘2020/04/12-2020/04/18


アンジェラの灰


文書はピューリッツァー賞受賞作だそうだ。
伝記部門で受賞した。

1930年に生まれた著者が68歳の時に発表した自伝だそうだ。
著者は長い間教師を勤めた方で、物語を書くのは初めてだそうだ。だが、教師人生の中で英文の授業を担当してきた。あらゆる国から来た生徒たちに英語を教える手法の一つに、親の伝記を書いてみる指導を行っていたらしい。
その中で著者も、自分自身の自伝を何回も書いていたそうだ。それが本書の底になっているということを解説で知った。

冒頭にこのような一文がある。
「惨めな子供時代だった。だが、幸せな子供時代なんて語る価値もない。アイルランド人の惨めな子供時代は、普通の人の惨めな子供時代より悪い。アイルランド人カトリック教徒の惨めな子供時代は、それよりももっと悪い。」(7ページ)

アイルランドと言えば19世紀半ばのジャガイモ飢饉による人口減で知られる。人がたくさん亡くなり、アメリカなど諸外国への移民が大量に発生したためでもある。
本書のマコート一家も一度はニューヨークへ移住する。だが、すぐにアイルランドに戻ってきてしまう。

なぜか。父のマラキが無類の酒飲みだったから。

飲んだくれの父親に振り回される家族の悲劇。昔からのよくある悲劇の一形態だ。本書は父の酒飲みの悪癖が、主人公や主人公の母アンジェラを苦しめる。その悲惨な毎日の中でどのように子供たちはたくましく生き延びようとするのか。

給与を必ず持って帰ると言いながらもらったその場ですぐに飲み代に使ってしまうだらしない父。それでいて、避妊など知らないので次々と母の体内に子供を増やしていく。主人公のフランク、弟のマラキ、双子のマイクルとアルフォンサス。さらにマーガレットと名付けられた妹やオリバー、ユージーンという弟もいたが、三人は幼い頃になくなってしまう。もちろん、劣悪な環境のためだ。

幼い子供たちを育てながら、三人の子供を亡くしながら、頼りにならない夫をあてにせず生き抜こうとする母。

およそ自覚が欠けており、夫として親として頼りがいのない父。でも、子供たちにとっては父は最大の遊び相手。遊んでほしいと父を求める姿がとてもいじらしい。

子供たちも母を助けるために、クリスマスの日に金を稼ぐ。石炭が運搬される道に沿ってこぼれた石炭を拾い集める仕事。真っ黒になってびしょ濡れになって帰ってくる。息子たちが金を稼いできても、父は動かない。たとえお金がなくなっても恵みを受けるような仕事はプライドが許さないからだ。
プライドが高く、それでいて生活力がない。まさに絵に描いたようなダメ親父だ。

本書は、カトリックの文化の中で育つ主人公の物語だ。そのため、カトリックの文化に則った出来事が多く描かれる。例えば初聖体受領、さらに信心会への出席。堅信礼。

ところが、カトリック文化は酒を許容する。まるで人を救ってくれるのは神だけでは足りないとでも言うように。酒も必要だと言うように。
父はそうした背景に甘え、赤ん坊ができても気にせずに酒に溺れて帰ってくる。
主人公が10歳を過ぎる頃にはもう父は、尊敬すべき対象ではなくなっている。

私も酒が好きだ。そのため、本書の描写はとても身につまされた。
アイルランドは、今でもアイルランド・ウイスキーの産地として知られる。もちろんギネス・ビールの産地としても。

酒は百薬の長と言うが、退廃を呼び覚ます悪い水でもある。
酒の悪い側面を本書で見せられると、暗澹とした気分になる。
私は幸いにして酒にそこまで溺れずに済んだ。
本書は、酒文化の悪い面を示すには格好の教材なのかもしれない。

ちょうど本書の描かれている時代は、アメリカの禁酒法の時代だ。なぜ禁酒法が生まれたのかを知るためには、悲惨な目にあうマコート一家の様子を見れば良い。
もちろんその原因の大部分は父の意思の弱さがあるのだろう。だが、そもそも酒があるからいけないのだ、とする考えが禁酒法の根底にはある。

その一方で主人公は徐々に成長する。チフスによる入院も乗り越え、角膜炎による失明の危機を乗り越え。性に対して興味を持ち、徐々に母のために家計を手伝うようになる。

電報配達の仕事を通じ、自分の家以外のさまざまな家庭の内実を知る。そこで童貞を捨て、別の仕事(借金の督促状の執筆)を受ける。主人公にはすでにアメリカに渡る明確な目標があるので、それに向け、何で身を立てていくのかが見えてくる。それは文章を作成する能力だ。

本書は相当に分厚い本だ。だが、読み始めるとあっという間に読み終えてしまう。まさにそれこそが、主人公が培った文章作成能力の結果だろう。

絶望の中でも仕事は与えられるし、そこからチャンスは転がっている。本書は、主人公がアメリカに向かうところで終わる。
19歳の主人公が酒に興味を持つ兆しはない。おそらく父を反面教師としているからだろう。

本書には続編があるらしいが、そうではアメリカで主人公が経験したさまざまな苦難が描かれると言う。また読んでみたいと思う。

‘2020/03/01-2020/03/05


BRANDY:A GLOBAL HISTORY


妻の祖父の残したブランデーがまだ何本も残っている。10本近くはあるだろうか。
最近の私は、それらを空けるためもあって、ナイトキャップとしてブランデーを飲むことが多い。一本が空けば次の一本と。なるべく安い方から。

こうやってブランデーを集中して飲んでみると、そのおいしさにあらためて気づかされる。おいしいものはおいしい。
まさに蒸留酒の一角を占めるにふさわしいのがブランデーだ。
同じ蒸留酒の中で、今人気を呼んでいるのはウイスキーやジンだ。
だが、ブランデーも酒の完成度においては他の蒸留酒に引けを取らないと思っている。
それなのに、ブランデーはバーでも店頭でもあまり陽の当たらない存在に甘んじているように思う。
それは、ブランデーが高いというイメージによるものだろう。
そのイメージがブランデーの普及を妨げていることは間違いない。

そもそも、ブランデーはなぜ高いのか。
ブランデーのによるものか。それなら、他の蒸留酒と比べてどうなのだろうか。原料はワインだけなのだろうか。ワインの世界でよく言う土壌や風土などによって風味や香りを変えるテロワールは、ブランデーにも当てはまるのだろうか。また、ブランデーの元となるワインに使用する酵母や醸造方法に通常のワインとの違いはあるのだろうか。蒸留に複雑なヴァリエーションはあるのだろうか。貯蔵のやり方に特色はあるのだろうか。
疑問が次から次へと湧いてくる。

そこで、一度ブランデーをきちんと勉強してみようと思い、本書を手に取った。
そうした疑問も含め、私はブランデーの知識を持ち合わせていない。そんな私にとって、本書はとても勉強になった。

そもそも、ブランデーの語源とは、焼いたワインを意味する言葉から来ている。
ブランデーの語源は、ウイスキーの歴史を学ぶと登場する。つまり、あらゆる蒸留酒の歴史は、ブランデーから始まっている可能性が濃い。

ブランデーには大きくわけて3つあるという。ワインから造るブランデー。ブドウではない他の果実から作られるもの(カルヴァドス、スリヴォヴィッツ、キルシュ)。ワインを造った時のブドウの搾りかすから造られるもの(グラッパ、マール)。
本書ではワインから造るものに限定している。

ブランデーの銘柄を表す言葉として、コニャック、アルマニャックの言葉はよく聞く。
では、その違いは一体どこにあるのだろうか。

まず、本書はコニャックから解説する。
当時のワインには保存技術に制約があり、ワインを蒸留して保存していたこと。
また、ボルドーやブルゴーニュといった銘醸地として知られる地で生産されるワインは、品質が良いためワインのままで売られていた。それに比べて、コニャック地方のワインは品質の面で劣っていたため、蒸留用に回されていたこと。
1651年の戦いの結果、ルイ14世から戦いの褒美としてワインや蒸留酒にかかる関税を免除された事。また、コニャック周辺の森に育つリムーザンオークが樽の材質として優れていたこと。

一方のアルマニャックは、コニャックよりも前からブランデーを作っていて、早くも1310年の文献に残されているという。
ところが、アルマニャック地方には運搬に適した河川が近くになく、運搬技術の面でコニャック地方におくれをとったこと。蒸留方法の違いとして、コニャックは二回蒸留だが、アルマニャックはアルマニャック式蒸留機による一回蒸留であることも特筆すべきだろう。

ブランデーの歴史を語る上で、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフィロキセラによる害虫被害は外せない。フィロキセラによってフランス中のブドウがほぼ絶滅したという。
それによってブランデーの生産は止まり、他の蒸留酒にとっては飛躍のチャンスとなった。が、害虫はブランデーにとっては文字通り害でしかなかった。

だが、フランス以外のヨーロッパ諸国にはブランデー製造が根付いていた。
そのため、コニャックやアルマニャックの名は名乗れなくても、各地で品質の高いブランデーは作られ続けている。著者はその中でもスペインで作られているブランデー・デ・ヘレスに多くの紙数を費やしている。

また、ラテンアメリカのブランデーも見逃せない。本書を読んで一カ月後のある日、私は六本木の酒屋でペルーのピスコを購入した。ブランデーとは違う風味がとても美味しいかった。これもまた銘酒といえよう。
購入直後に五反田のフォルケさんの酒棚に寄付したけれど。

ブランデーはまた、オーストラリアや南アフリカでも生産されている。アメリカでも。
このように本書は世界のブランデー生産地を紹介してゆく。
ところが本書の記述にアジアは全くと言って良いほど登場しない。
そのかわり、本書では中国におけるアルマニャックの人気について紹介されている。日本ではスコッチ・ウイスキーがよく飲まれていることも。
本書は消費地としてのアジアについては触れているのだが、製造となるとさっぱりのようだ。
例えば山梨。ワインの国として有名である。だが、現地に訪れてもブランデーを見かけることはあまりない。酒瓶が並ぶ棚のわずかなスペースにブランデーやグラッパがおかれている程度だ。

日本で本格的なブランデーが作られないのは、ブランデーが飲まれていないだけのことだと思う。
私は本書を読み、日本でもブランデー製造や専門バーができることを願う。そのためにも私ができることは試してみたい。

本書はコニャックやアルマニャックが取り組む認証制度や、それを守り抜くためにどういう製造の品質の確保に努力するかについても触れている。
期待がもてるのは、ブランデーを使ったカクテルの流行や、最近のクラフトディスティラリーの隆盛だ。
周知の通り、アメリカではビールやバーボンなど、クラフトアルコールのブームが現在進行形で盛んな場所だ。

本書のそうした分析を読むにつけ、なぜ日本ではブランデー生産が盛んではないのだろう、という疑問はますます膨らむ。

今、日本のワインは世界でも評価を高めていると聞く。
であれば、ブランデーも今盛り上がりを見せている酒文化を盛り上げる一翼を担っても良いのではないだろうか。
大手酒メーカーも最近はジンやテキーラの販促を行っているようだ。なのにブランデーの販促はめったに見かけない。

私もブランデーのイベントがあれば顔を出すようにしたいと思う。そして勉強もしたいと思う。
まずはわが家で出番を待つブランデーたちに向き合いながら。

‘2019/9/7-2019/9/8


スコッチウィスキー紀行


私がウイスキーの魅力にはまってから、長い年月が過ぎた。
そのきっかけとなった日の事は今でも覚えている。1995年8月5日から6日にかけてだ。
当時、広島に赴任中だった大学の先輩の自宅で飲ませてもらった響17年。この時に味わった衝撃から私は飲んべえに化けた。

その前日は原爆ドームの前でテントを張った。響に耽溺した翌朝は、原爆投下から50年を迎えた瞬間をダイ・インで体感した。
そうした体験も相まって、ウイスキーの魅力に開眼した思い出は私の中に鮮烈に残っている。
以来、20数年。ウイスキーの魅力に開眼してからの私は、ウイスキーを始めとした酒文化の全般に興味を持つようになった。

ウイスキーを学ぼうとした当時の私のバイブルとなった本がある。
その本こそ、本書の著者である土屋守氏が著した『モルトウイスキー大全』と『シングルモルトウイスキー大全』だ。

著者の土屋氏には、今までに二回お会いしたことがある。
初めてお会いしたのは、妻と訪れた埼玉のウイスキー・フェアだった。ブースには人がまばらで、一緒にツーショット写真を撮っていただく幸運にあずかれた。懐かしい思い出だ。
二度目はWhisky Festival in Tokyoの混雑した会場の中で友人と一緒の写真に入っていただいた。
忙しいさなかに、大変申し訳なかったと思っている。
もちろん土屋氏は私のことなど覚えていないはず。

本書は、世界のウイスキーライターの五人に選ばれた著者がウイスキーの魅力を語っている。
本書はTHE Whisky Worldの連載をベースにしているそうだ。THE Whisky Worldとは、土屋氏が主催するウイスキー文化研究所(古くはスコッチ文化研究所)が発行していた雑誌だ。
その研究所が出版する酒に関する雑誌は、WHISKY Galoreとして名を一新した後も毎号を購入している。さらに書籍も多くを購入してきた。
そのどれもが、情報量の豊富さと酒文化に対する深い愛情と造詣に満ちており、私を魅了してやまない。多分、これからも買い続けるだろう。

本書はスコッチの本場を訪れた記録でもある。
冒頭に各地域や蒸留所の写真がカラーで載っている。
その素朴かつ荒涼とした大地のうねり。その光景は、私の眼にとても魅力的に映る。
荒涼とした景色に魅せられる私。
だからこそ、そこから生まれるウイスキーにハマったのかもしれない。

よく知られているように、スコッチウイスキーという名前だが、複数の地域によって特徴がある。
アイラ、スペイサイド、ハイランド、ローランド、その他ヘブリディーズ諸島やオークニー諸島のアイランズウイスキー。
今のウイスキーの世界的な盛況は、スコッチの本場にも次々と新たな蒸溜所を生んでいる。
そのため、本書に登場する蒸留所の情報は少しだけ古びている。10年前のウイスキーの情報は、目まぐるしく活気のあるウイスキー業界ではすでに情報としては古びている。毎年のように新たな蒸留所が稼働をはじめ、クラフト・ディスティラリーを含めるとその数はもはや数えられない。

だからといって、本書に価値がないと思うのは間違いだ。
本書は世界的なウイスキーブームに沸く少し前の情報が載っているため、むしろ信頼できると思う。
今や、あらゆる蒸留所が近代化に向けて投資を進めている。その一方で、古いやり方を守り続ける蒸留所も本書にはたくさん紹介されている。

先にも書いたとおり、著者はウイスキー文化研究所と言う研究所を主催している。そのため著者が著わす文章や情報からは、スコッチウイスキーに関してだけでなく、スコットランドを包む文化についての知識も得られる。
特に本書の第二部「ウィスキーと人間」では、スコットランドの歴史を語る上で欠かせない人物が何人も取り上げられている。
その一人は長崎のグラバー園でもお馴染みのトーマス・ブレイク・グラバーだ。マッサンこと竹鶴正孝氏の名前も登場する。また、ウイスキーの歴史を語る上で欠かせないイーニアス・コフィーであったり、アンドリュー・アッシャーといった人々も漏れなく載っている。また、意外なところではサー・ウィンストン・チャーチルにも紙数が割かれている。
それぞれがスコットランドもしくはウイスキーの歴史の生き証人である。
ウイスキーとは、時間を重ねるごとにますますうま味を蓄える酒。それはすなわち、歴史の重みを人一倍含む酒だ。その歴史を知る上で、ウイスキーに関する偉人を知っておいたほうがいいことは間違いない。

第三部は「ウィスキーをめぐる物語と謎」と題されている。
例えば、日本人が初めて飲んだウイスキーのこと。また、ウイスキーキャットにまつわる物語について。かと思えば、ポットスチルと蒸留の関係を語る。そうかと思えば、謎に包まれたロッホ・ユー蒸溜所も登場する。また、グレン・モーレンジの瓶に記されている紋章の持ち主、ピクト族も登場する。また、ロード・オブ・ジ・アイルズの島々の歴史や文化にも触れている。

第三部を読んでいると、ウイスキーをめぐる物語の何が私を惹きつけるのかがわかる。
それは、ケルト民族の謎に包まれた歴史だ。
ケルト民族が現代に残したロマンは多い。ウイスキー、ドルイド教、ケルト十字、ストーンヘンジ。
それらはおそらく目に見えない形で、現代の遠く離れた日本にも影響を与えているはずだ。
それらが謎めいていればいるほど、そして私たちを魅了すればするほど、ケルト民族に対する興味が湧いてくる。
スコットランドを訪れ、ウイスキーを愛でることは、すなわちケルト民族の魂を今に受け継ぐことに他ならない。

西洋の歴史を語る上で、ローマ帝国とキリスト教は欠かせない。
だが、その波に飲まれてしまい、歴史から消えた民族たちが独自の輝きを放っていたことを忘れてはならない。
消えてしまった民族の中でも、筆頭に挙げられるのがケルト民族であり、その痕跡を知ることは、自分たちのルーツを探る上で参考になる。
そうした意味でも本書は、ケルト民族を振り返るガイドブックになりうるはずだ。

今の科学は世界を狭くした。
だが、狭くなった世界は、人々を集約された情報と発達した文明で囲み、人々を都市に押し込めている。自由になったはずが、息苦しくなっているように思う人々もいるだろう。
中央へ、集権へ。そんな昨今を過ごす私たちからみれば、辺境の地にあって、かくも豊かな文明を生み出したケルト民族の姿は、同じ辺境に住む日本人からみても、何か相通ずるものを感じる。
両者が日本酒やウイスキーといった銘酒を生み出した民族であることも、なにやら共通の理由がありそうだ。

今の私たちは、世界中の酒文化を楽しめる。それは間違いなく幸運なことだ。
そして、ウイスキーは今も進化し続けている。
進化するウイスキーの豊かな状況はスコッチだけにとどまらない。バーボン、アイリッシュ、カナディアン、ジャパニーズも同様。
だからこそ、著者の活躍する範囲は多い。
折に触れて読んでいる著者のブログからも著者の忙しさが感じられる。
本書の情報だけに満足せず、著者のブログやWHISKY Galoreといった雑誌を読みながら、より知識を深めていきたいと思う。

‘2019/5/8-2019/5/9


ジンの歴史


ジンが熱い。
ジンが今、旬であることは、酒に興味がある人、特に蒸留酒の世界に興味を持つ人にとっては周知の事実だ。
昨今のジン界隈の盛況は、ウイスキーの盛り上がりにも引けを取らない。

去年の秋、Whisky Festival 2019 in TOKYOに参加した。
このイベント、タイトルはウイスキーと名乗っているが、ジンのブースも結構目立っていた。特に国内のクラフトジンはかなり数の蒸溜所が出店しており、ジンの盛り上がりを如実に感じた。

実際、会場のジンをいくつか試飲させてもらったが、それぞれに個性が認められる。
ジンだけを巡っていても決して飽きがこない。
実際、Whisky Festival 2019 in TOKYOの半年ほど前に天王洲で開かれたGIN FESTIVAL Tokyo 2019にも参加したが、GINだけで埋められた空間は、食傷どころか食指が伸びる一方だった。
Whisky Festival 2019 in TOKYOから四カ月ほど後、今度はWHISKY galoreでクラフトジンの特集が組まれていた。
WHISKYを専門とする雑誌でジンの特集が組まれるなど、異例だといえる。
そうした流れの目の当たりにし、ますます私の中でジンの興味が増す中で本書を手に取った。

本書が出版されたタイミングは、世界的なジンの復興が起こり始めた時期に等しい。
産業革命を目前にしたイギリス、ロンドンでは、ジンが社会風紀の乱れの象徴として槍玉に挙がっていた。
その事実は当時のロンドンを描いた文章を読んでいるとよく見かける。酒の歴史を扱った本では必ずと言ってよいほど。
つまり、ジンとは悪徳を体現したふしだらな酒、という印象がついて回っていたのだ。

そんな悪いイメージがついて回ったジンが、ここに来てなぜ大復活を遂げたのか。なぜ、今になってGINに脚光が当たっているのか。
それが気になって私は本書を手に取った。その理由を知るために、もう一度ジンを学び直すことも悪くない、と。

本書が扱うのはジンの歴史だ。同時にジンの歴史とは蒸留酒の歴史にもかぶる。
なぜならウイスキーをはじめ、蒸留酒の歴史はまだよく解明されていない。そして、ジンの製法がウイスキーの製法に影響を与えた可能性も大いにあり得るからだ。

今までにも私は、ウイスキーの歴史を取り上げた本を数多く読んできた。
そうした本を読んだ後の余韻には、なんとなくの収まりの悪さを感じていた。
その中途半端な感じは、ウイスキーの歴史には長らくの空白があることから生じていたようだ。本書は、そんな私のウイスキーに関する知識の欠落をいくつかの点で補ってくれた。

特に、中世のヨーロッパに決定的な影響を与えたペスト禍において、ジンに欠かせないジュニパーベリーの薬効が信じられ、人々がジュニパーベリーにすがった事実はジンの歴史において重要だ。
そもそも蒸留酒の起源を調べると、医薬品として用いられていた事実に行き当たる。
そうなると、続いて湧き上がる疑問は、数ある蒸留酒の中で最初に人々をとりこにしたのがなぜジンだったのかの理由だ。なぜブランデーやウイスキーではなく、ジンだったのか。
その理由は、ペストに苦しむ人々がジンのジュニパーベリーの薬効にすがっていた事実を知ると納得がいく。ペストに効くと人々が信じたジュニパーベリー。それを主要成分として用いたジン。

もう一つの興味深い事実は、ブランデーの存在だ。
もともとヨーロッパで広く飲まれていたのはビールでありワインだった。
特にキリスト教文化にとって、ワインは欠かせぬ飲みものであり、それを蒸留したブランデーは、他の蒸留酒と比べても先んじた地位を確立していた。

実際、本書によるとジュニパーベリーを蒸留酒に漬け込みはじめた当初、その蒸留酒とはブランデーだった。
ところが、ヨーロッパを覆った寒気と国際情勢は、北の国からぶどうを奪い去っていった。
そこで、人々は穀物を使った蒸留酒を作るようになり、ジンやウォッカ、ウイスキー、アクアビットがブランデーにとって変わっていったという。

ジンも当初は、ジュネヴァというネーデルランドの酒として生まれたという。そして、その味は今のジンとは似ても似つかぬものだったという。より濃厚でより芳醇な。私も前述のGIN FESTIVAL TOKYO 2019でジュネヴァを飲ませてもらったが、ジンの持つ清涼感がなく、個性に満ちた味だったように記憶している。

著者によれば現代のジンは味のついたウォッカだという。
そしてオランダ語でイエネーフェルと呼ばれたジュネヴァはジンの原点だという。また機会があれば飲んでみたいと思う。

続いて本書は、ジュネヴァがイギリスへと伝わり、粗悪な酒としてはびこる様子が描かれる。その様を称してジン・クレイズと呼ぶ。
著者はこうした表現によってジンを陥れようとしているわけではない。
むしろ、当時のロンドンの世相を陰惨なものにしていたのは貧困だった。貧困に至る社会制度。
それこそが当時のロンドンを支配していた悪だった。
そのため、民は粗悪で安いジンに群がった。当時重税が掛けられたビールの代わりとして。
それがジンの悪名の元となり、今に至るまで影響を与え続けている。

ところがロンドン・ドライ・ジンが生まれたことによって状況が変わった。
ジンといえばイギリスというイメージがつき始める。
それはイギリスの海軍が強大になり、それが各地、各国の産物を集結させたため、品質の向上に拍車がかかった。
さらにコフィ式連続蒸溜器の発明がジンの品質を劇的に向上させた。
次いで、さまざまな果実とジンを混ぜる飲み物が流行し、それはアメリカの自由な雰囲気の中でカクテルとして開花し、世を風靡する。

そればかりか、ジンはアメリカでギムレットのベーススピリッツとして好まれ、その他のさまざまなカクテルのベースにもなる。そうやって、ジンの活躍の場は増大していった。
時代は1920年代。後々にまで語り継がれる華美に輝いた時代。そして、アメリカがつかの間の繁栄を謳歌した時代。
カクテルはあちこちで飲まれ、ジンはあまりにもメジャーな存在となった。
ところが、それがメジャーになりすぎ、さらに禁酒法がジンにさらなる逆境となり、いつのまにかジンは時代から取り残された存在となった。匂いのないウォッカにその座を奪われて。

すっかり主役の座から降ろされたジン。長い間、時代遅れの酒の代名詞であったジン。
それが変わったのがボンベイ・サファイアの登場だ。水色の清々しい瓶は鮮烈で、それまでのジンが門外不出を旨としていたのと違い、レシピを公開した。
ボンベイ・サファイアの登場によってジンの歴史に新時代が到来した。

そしてそこからヘンドリックスジンをはじめとしたあまたのジンが追随し、今の世界的なクラフトジンの繁栄へと至る。

こうしてジンの歴史を概観すると、ジンのベースがプレーンだったことが、ジンに大いなる可能性を与えたことは間違いない。
プレーンであるが故、ボタニカルを無限の組み合わせることもできる。それは既存の蒸留酒にないあらゆる伸びしろをジンに与えたのかもしれない。

私も本書を読み、またジンの専門バーやGIN FESTIVALに行ってみたくなった。今年はコロナの影響で中止だとか。それが残念だ。

‘2019/3/10-2019/3/24


七日間ブックカバーチャレンジ-天津飯の謎


【7日間ブックカバーチャレンジ】

Day7 「天津飯の謎」

Day7が終わろうとしています。

Day1~Day7の中では、挙げるべき作品はまだまだありました。
歴史・時代小説や純文学でも挙げるべき作品はたくさんあります。ラテンアメリカの小説をはじめとした世界の諸文学も。
SFでも名作はいくつもあります。小松左京、筒井康隆の両氏の作品を挙げられなかったのは無念です。
私が当チャレンジでお渡ししたバトンのどれかが、こうした本を紹介してくれることを願っています。
私のブログでも今後、読んだ本のレビューは続けていくつもりです。

さて、それらの本を差し置いて、ブックカバーチャレンジの最終日にこちらの本を取り上げるのには理由があります。

今までのDay1~Day6で、私は本の紹介をしながら、人生観についても触れてきました。
その人生観は今までに読んできた5000冊ほどの本から培ってきたものです。
思い込みを排し、データを重視する(Day1)。
史実を尊重しつつ、歴史のロマンを大切にする(Day2)。
人生の中で現れる謎に感謝し、それを解く前向きな心を持つ(Day3)。
ゼネラリストではなくエキスパートであろうとする(Day4)。
入門書を読み込み、スキルを磨く(Day5)。
多様性を重んじ、自らの想いを体現するサービスに奉仕する(Day6)。
どれもが、私の人生にとってかけがえのないインプットを与えてくれました。

人生とは、システムと同じくインプットに対してアウトプットを行ってこそ完結すると思っています。
私が読んできたあらゆる本からインプットし、自らの中に育ててきた人生観。
あとは、それをどうやってアウトプットするかです。
私はそろそろ、アウトプットも視野に入れなければならない年齢に差し掛かっています。

ここでいうアウトプットとは、ビジネスの現場からすれば成果物です。
そうした意味でいえば、私は小学生のころから数えきれないほどのアウトプットを生み出してきました。
夏休みの絵日記、読書感想文、自由研究、テストの答案、年賀状、発表会、大学の卒論、Excelの帳票、Wordの文書、ホームページ、メール、提案書、プレゼン資料、プログラム、仕様書、テストエビデンス、学会発表、セミナー、エトセトラエトセトラ。

もちろん、それらはアウトプットです。
ですが、それらを人生のアウトプットとして、集大成とみなしてよいかと問われるとどこか違う気がするのです。

私には妻も娘もいます。家も持ち家です。
そのように、家族や家庭の基盤を残すことも人生のアウトプットと呼べるかもしれません。
そして、家族はいなくとも、後輩にスキルを伝授したり、次の世代に知恵や技術を託すことも立派なアウトプットの一つでしょう。

ですが、スキルや技術や思いはしょせん、形のないものです。
それがどう伝えられるかは、次の世代に渡した時点で自らの手から離れてしまいます。

子にしても同じです。確かに、幼い頃に家庭でほどこした教育は子どもが成長した後も人生に大きく影響を与えます。
ですが、成人してから後の子どもの人生は、子ども自身のものです。親のアウトプットとみなすことには抵抗があります。

何か、確固としたアウトプットを残したい。
仕様書のどこかに記した名前ではなく、セッション資料の冒頭に記した名前ではなく、会社の創立者として登記簿に載せる名前でもない。
ある時点の自分の一部をくっきりとした形として残せるような、人生のアウトプットが欲しい。

様々なブログやツイートやウォールをアップし、ExcelやWordやPowerpointでドキュメントをせっせと作っても、そうしたアウトプットは、すぐにファイルサーバーやオンラインストレージの片隅でアーカイブされていきます。誰からも顧みられずに。
それは寂しい。
もっと確固としたアウトプットの手段はないものか。

例えば、本書のように自らの名が冠された著作として。
それもISBNが付与され、国立国会図書館に収められるような著作として。

まさに本書はそうやって生み出された一冊です。

本書は、皆さんが中華料理店で注文する天津飯を取り上げています。
その名前の由来は何なのか。作り方の変遷、起源、材料、伝来のルートはどういう歴史をたどってきたのか。
そうした点まで含めて調べ上げた労作です。
本書を読むと、中華料理店のメニューを見る目が変わります。

私たちが普段過ごしている生活の中に、こうした謎は無数に埋もれています。
そうした謎を見つけだし、興味を向け、調査に没頭する。
なんと豊かな人生なのだろう、と思います。

著者は、天津飯という興味の対象を自らの職業とは関係のないところから見つけています。
そうした対象を見つけるには、普段から広く興味と関心を抱いていないと難しいはずです。

仕事に没頭するのも良いですが、日々の忙しさの中に、そうした視野を持つ努力を怠ってはなりません。
さもないと、引退した途端、やりがいを失って一気に老け込むということになりかねません。

私にとって本書は、常に私の先をゆく、人生の師匠が示してくれた、文字通りの手本です。

ということで、五つ目のバトンを渡させていただきます。本書の著者である 早川 貴正 さんです。
23歳の頃、強烈な鬱から脱出しようとあがく私が、Bacchus MLというメーリングリストのオフ会で早川さんに出会ってから24年がたちました。
風来坊で何をやりたいのかもわからずにいた若い頃の私は、早川さんのような生き方をしようと思って一念発起し、今に至っています。
妻との結婚式の二次会では乾杯の発声もお願いしましたし、長女が乳児のころから何度もお世話になっています。
私がかつて、広大かつ膨大な家賃のかかる家を苦労して売却するにあたって、わざわざ大阪からやってきて、親身に相談に乗ってくださいました。

20代前半の私が大変お世話になり、一生頭が上がらない恩人は何人かいます。
ですが20数年の年月は、そうした人たちとの連絡を途絶えさせてしまいました。
ですから、早川さんが今もこうやって、つながってくださっていることにとても感謝しています。

私もはやく、ISBN付きの本を出版し、師匠に追いつけるように努力したいと思います。
世の中の面白さにきづき、その謎を掘り進めてゆけるように。
そして、一度は一緒にスコットランドを旅したいです。

「天津飯の謎」
新書:207ページ
早川貴正(著)、ブイツーソリューション(2018/10/26出版)
ISBN978-4-86476-639-5

Day1 「FACTFULLNESS」
Day2 「成吉思汗の秘密」
Day3 「占星術殺人事件」
Day4 「ワーク・シフト」
Day5 「かんたんプログラミング Excel VBA 基礎編」
Day6 「チームのことだけ、考えた。」
Day7 「天津飯の謎」

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
7日間ブックカバーチャレンジ
【目的とルール】
●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する
●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ
●都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする
#7日間ブックカバーチャレンジ #天津飯の謎


珠玉


本書は著者にとって絶筆となった作品だ。すでに病に体を蝕まれていた著者。本書は大手術の後、病み上がりの時期に書かれたという。そして本書を脱稿してすぐ、再度の発作で亡くなったという。そんな時期に発表された本書には回想の趣が強い。著者の人生を彩った出来事や体験の数々が、エッセイにも似た不思議な文章のあちこちで顔を出す。

著者の人生をさまざまに彩った出来事や体験。私たちは著者が著した膨大なエッセイから著者の体験を想像し、追っかける。だが、私たちには、著者が経験した体験は文章を通してしか伝わらない。体験とは、本人の記憶にしか残らないからだ。私たちはただ、文章からイメージを膨らませ、著者の体験を推測することしかできない。

著者の体験で有名なものは、釣り師としての冒険だろう。また、ベトナム戦争の前線に飛び込み、死を紙一重で逃れた経験もよく知られている。壽屋の社員として酒と食への造詣を養い、それを数々のエッセイとして発表したことも著者の名を高めた。そうした著者が過ごしてきた多方面の経験が本書には断片的に挟まれる。エッセイなのか、小説なのか判然としない、著者自身が主人公と思われる本書の中で。

著者は作家として名を成した。名を成したばかりか、己の生きた証しをエッセイや小説に刻み、後世に残すことができた。

ところが、本書からはそうした積み上げた名声や実績への誇らしさは微塵もない。むしろ、諦念やむなしさを感じるのは私だけだろうか。それは著者がすでに重い病を患っていたから、という状況にもよるのかもしれない。

本書に満ちているのは、人生そのものへの巨大な悲しみだ。著者ほどの体験を成した方であっても、死を目前にすると悲しみと絶望にくれる。なぜなら未来が残されていないから。全ては過去に属する。現在、病んでいる自分の肉体でさえも。本書からは未来が感じられない。全編に過去を追憶するしかない悲しみが漂っている。

死ぬ瞬間に走馬灯が、という月並みな言葉がある。未来がわずかしか残されていない時、人の心はそうした動きを示す。実際、未来が閉ざされたことを悟ると、人は何をして過ごすのだろう。多分、未来に楽しみがない場合、過去の記憶から楽しみを見いだすのではないか。それがストレスをためないために人の心が本能的に振舞う作用のような気がする。

著者は作家としての名声を持っている。だから、過去の記憶から楽しみを拾い上げる作業が文章に著す作業として置き換えることができた。おそらくは依頼されていた執筆の責任を果たしながら。

輝いていた過去の記憶を原稿に書きつけながら、著者は何を思っていたのだろうか。それを聞き出すことはもはやかなわぬ願いだが、これから死ぬ私としては、そのことが知りたい。かつて茅ケ崎市にある開高健記念館を訪れ、著者が使っていたままの状態で残された書斎を見たことがある。そこでみた空っぽの空間と本書に漂う悲しみのトーンは似通っている。私が死んだ後、絶対的な空虚が続くのだろうか。誰も知らない死後の無に恐れを抱くしかない。

本書は三編から成っている。それらに共通するのは、宝石がモチーフとなっていることだ。言うまでもなく、宝石は未来に残り続ける。人は有限だが、宝石は永遠。著者が宝石をモチーフとしたのもわかる気がする。まさに本書のタイトル「珠玉」である。病の悲しみに沈み、過去の思い出にすがるしかないからこそ、そうした日々を思い出しながら原稿に刻んでゆく営みは著者に救いをもたらしたのではないか。著者は自らの過去の体験が何物にも代えがたい珠玉だったのだ、と深く感じたに違いない。三編に登場する宝石のように。

「掌のなかの海」は、主人公が訪れたバーで知り合った船医との交流を描いた一編だ。世界の海や港の話に花を咲かせる。そこでは著者が培った旅の知識が縦横に披露される。そこで主人公が船医から託されたのがアクアマリン。船乗りにふさわしく青く光るその貴石には”文房清玩”という一人で楽しむための対象として紹介される。息子を亡くしたという船医が感情もあらわに寂しいと泣く姿は、著者の不安の表れに思える。

「玩物喪志」は、主人公が良く訪れる渋谷の裏道にある中華料理店の店主との物語だ。世界の珍味をあれこれと肴にして、食の奥深さを語り合う二人。その店主から受け取ったのがガーネット。深い赤が長方形のシェイプに閉じ込められた貴石だ。主人公の追想は今までの人生で見つめて紅や緋色に関するイメージであふれかえる。サイゴンでみた処刑の血の色、ワインのブドウから絞られた透き通る紅、はるばる海外のまで出かけてみた川を埋めるキング・サーモンの群れの紅。

追憶に満ちたこの一編は、著者の人生のエッセンスが詰め込まれているといえよう。ここに登場する店主の友人が無類のギャンブラーであることも、著者の思想の一端の表れに違いない。

「一滴の光」は、主人公が鉱物の店で手に入れたムーンストーンの白さから始まる。本編では新聞社に勤める記者の阿佐緒とのエロティックな性愛が描かれる。温泉につかり、山々を散策し、温泉宿で抱き合う。ムーンストーンの白さとは、エロスの象徴。著者の人生を通り過ぎて行った女性がどれだけいたのかは知らない。著者は家庭的にはあまり円満でなかったという。だからこうした関係にわが身の癒やしを得ていたのかもしれない。

三編のどこにも家庭の団欒を思わせる記述はない。そんな著者だが、本編には著者が生涯でたどり着いた女性についての感想を思わせる文が記されている。
(・・・女だったのか)(192P)
(女だった・・・)(193P)

後者は本書の締めの一文でもある。この一文を書き記した時、著者の胸中にはどのような思いが沸き上がっていたのだろうか。この一文が著者の絶筆であるとするならば、なおさら気になる。

‘2018/09/20-2018/09/22


ウイスキー起源への旅


私はウイスキーが好きだ。まだ三級しか取っていないが、ウイスキー検定の資格も得た。ウイスキー検定試験といってもなかなか難しい。事前に出題される問題を予習することが求められる。予習の中でウイスキーの歴史をひもといた時、まずでてくるのがウイスキーがはじめて文献に出てきた年だ。

1494年に出された文書にある「王の命令によりアクア・ヴィテ製造用に8ボルのモルトを修道士ジョン・コーに支給する」という文言。それがウイスキーの名前が文献に出てくる最初だという。

ウイスキーを好きになる時、味や香り、豊富な銘柄の豊富さにまず目がいく。続いて、ウイスキーの歴史にも興味が出てくる。それは、ウイスキーが時を要する飲み物であることが影響しているに違いない。出来上がるまでにぜいたくな時間が欠かせない飲み物。それを古人はどうやって発見し、どのように磨き上げてきたのか。わたしのような歴史が好きな人間はともかく、教科書を暗記するような歴史に興味がない方でも、ウイスキーに魅了された途端、ウイスキーの歴史に興味が出てくるはずだ。

だが、ウイスキーの歴史を把握することは案外と難しい。むしろ難解といっても良いぐらいだ。ウイスキーが史書に現れるのは、先に書いた通り1494年のこと。ただし、それ以降とそれ以前のウイスキーの歴史には謎が多い。それは、民が勝手気ままに醸造と蒸留を営み、時には領主の目を盗み、密造とは切っても切れないウイスキーの性格にも関係がある。つまり、ウイスキーの歴史には、体系だった資料は残されていないのだ。

だから、本当に1494年になるまでウイスキーは作られなかったのか、との問いに対する明快な答えは出しにくい。それが、ウイスキーの歴史に興味を持った者が抱く共通の疑問だ。同時にミステリアスな魅力でもある。

著者はその疑問を、ウイスキーの研修で訪れたスコットランドのエジンバラで強くいだく。というか疑問のありかを教わる。名も知らぬ老人。彼は著者に、ウイスキー作りは、ケルト民族の手によって外からスコットランドにもたらされた、と語る。外とはアイルランドのこと。つまり、アイルランドでは1494年よりもっと以前からウイスキーが作られていたはず。著者はそのような仮説を立てる。本書は、その仮説を立証するため、著者は費やした広大な旅と探求の記録だ。

著者はサントリーの社員だ。そして長年、ウイスキー部門に配属されていた。毎日の業務の中で、ウイスキーに対する見識を鍛えられてきた。本書のプロローグには、著者が農学部の学生の頃からゼミの教授にウイスキーをはじめとした蒸留酒について啓蒙されてきたことも記されている。著者はもともと、酒類全般への造詣が深く、酒つくりの起源を調べるための基本知識は備えていたのだろう。その素養があった上に、旅先での老人からの示唆が著者の好奇心を刺激し、著者のウイスキーの起源の謎を解く旅は始まる。

著者が持つお酒に関する教養のベースは、本書の前半で折々に触れられて行く。教授から教えられたこと。ウイスキーに開眼した時のこと。安ワインで悪酔いした学生時代から、後年、高級ワインのおいしさに魅了され、ワインの奥深さにはまっていったこと。ウイスキー作りに携わりたいとサントリーを志望し、入社したことや、そのあと製造畑で歩んだ日々。ウイスキー作りの研修でスコットランドやアイルランドに訪れた事など。そこには苦労もあったはずだが、酒好きにすればうらやましくなる経歴だ。

まずはエジプト。著者はエジプトを訪れる。なぜならエジプトこそがビールを生み出した地だからだ。ビールが生み出された地である以上、蒸留がなされていてもおかしくない。蒸留が行われていた証拠を探し求めて、著者はカイロ博物館を訪れる。そこで著者が見たのは、ビール作りがエジプトで盛んであった証拠である遺物の数々だ。旧約聖書を読んだことがある方は、モーゼの出エジプト記の中で、空からマナという食物が降ってきて、モーゼに着き従う人々の命を救ったエピソードを知っていることだろう。そのマナこそはビールパン。ビールを作るにあたって作られる麦芽を固めたものがマナである。しかし、イスラエルにたどり着いて以降のモーゼ一行に、マナが与えられることはなかった。なぜなら、イスラエルは麦よりもブドウが生い茂る地だったからだ。エジプトで花開いたビール文化はイスラエルでワイン文化になり替わった。

この事実は後年、アラビアで発達した蒸留技術がウイスキー造りとして花開かなかった理由にも符合する。そもそも蒸留技術それ自体は、イスラム文化よりずっと前から存在していたと著者は説く。エジプトでも紀元前2000年にはすでに蒸留技術が存在したことが遺物から類推できるという。しかし、蒸留技術は記録の上では、ミイラや香油作りにのみ使われたことしか記録に残っていないらしい。酒を作るために蒸留が行われた記録は残っていない。このことが著者の情熱にさらなる火をくべる。

一方、キリスト教の一派であるグノーシス派の洗礼では「生命の水・アクアヴィテ」が使われていたという。それはギリシャ、イタリア、フランスで盛んだったワイン製造が蒸留として転用された成果として納得しうる。ワイン蒸留、つまりブランデーだ。それがローマ帝国の崩壊後、今のヨーロッパ全域に蒸留技術が広まるにつれ、酒として飲まれるようになる。そして、ドイツ・イギリスなどブドウが成らない北の国では穀物を基にした蒸留酒として広まっていった。

著者はウイスキー造りの技術が1494年よりずっと以前に生まれていたはず、との仮説を胸に秘め、調査を進める。ついで著者が着目したのが、アイルランドに伝わったキリスト教だ。アイルランドのセント・パトリックスデーは緑一色の装束でよく知られている。その聖パトリックがアイルランドでキリスト教を布教したのは4~5世紀の事。当時のアイルランドには、ローマ帝国の統治がぎりぎり及んでいなかった。ところが、すでにキリスト教が根付いていた。後にキリスト教がローマ帝国全域で国教とされる前から。そればかりか、土着のドルイド教とも融合し、アイルランドでは独自の文化を築いていた。その時に注目すべきは、当時のブリタニアやアイルランドではブドウが育たなかったことだ。ローマ帝国にあった当時のアイルランドやブリタニアでは、ワイン文化が行き渡っていたと思われる。ところが、ワインが飲めるのは、ローマからの供給があったからこそ。ところが、ローマ帝国の分裂と崩壊による混乱で、ワインが供給されなくなった。それと同時に、混乱の中で再び辺境の島へ戻ったブリタリアとアイルランドには、独自のキリスト教が残された。著者はその特殊な環境下で麦を使ったアクアヴィテ、つまりウイスキーの原型が生まれたのではないかと推測する。

このくだりは本書のクライマックスともいうべき部分。ウイスキー通に限らず、西洋史が好きな方は興奮するはず。ところが、アイルランドのあらゆる遺跡から著者の仮説を裏付ける事物は発掘されていない。全ては著者の想像の産物でしかない。それが残念だ。

本書はそれ以降、アイルランドの歴史、アイルランドでウイスキー造りが盛んになっていたいきさつや、スコットランドでもウイスキー造りが盛んになっていった歴史が描かれる。その中で、著者はアイルランドでなぜウイスキーが衰退したのかについても触れる。アイルランドでの製法にスコッチ・ウイスキーでなされたような革新が生まれなかったこともそう。アイリッシュ・ウイスキーにとって最大の市場だったアメリカで禁酒法が施行されたことなど、理由はいろいろとある。だが、ここ近年はアイルランドにも次々と蒸留所が復活しているという。これはウイスキーブームに感謝すべき点だろう。

本書で著者が試みた探索の旅は、明確な証拠という一点だけが足りない。だが、著者の立てた仮説には歴史のロマンがある。謎めいたウイスキーの起源を解き明かすに足る説得力もある。

何よりも本書からは、ウイスキーのみならず、酒文化そのものへの壮大なロマンが感じられる。酒文化とともに人々は歴史を作り上げ、人々の移動につれ、酒文化は多様な魅力を加えてきた。それは、酒好きにとって、何よりも喜ばしい事実だ。

‘2018/7/29-2018/08/13


灘五郷の矜持を待ってます。


元旦。今津の大関酒造の隣にある「やまや」に立ち寄りました。その「やまや」は天下の大関の隣に軒を構えています。場所柄、さぞや大関の色とりどりの銘柄が置いてあるはず。そう思いきや。私の思いは裏切られました。種類こそさまざまの日本酒がそろっていました。が、その中で大関は埋もれていました。ラミネート加工されたポップで今津郷や西宮郷の紹介こそされていましたが、これでは量販店の陳列と変わりません。とてもがっかりしました。

灘五郷といえば日本酒の中では不動のブランドのはず。その中の一郷と称されるのが今津郷であり、大関はその代表銘柄のはず。なのに、大関本社の隣にある「やまや」にしてこの扱い。少しは灘五郷について詳しい紹介があるべきではないでしょうか。いや、これは「やまや」のせいではありません。そもそも今の灘五郷の日本酒の状況が「やまや」の陳列に現われたに違いありません。

私が酒蔵通りを自転車で訪れ、やまやに寄ったのも、灘五郷の酒が今の日本酒の中でどのような位置付けなのかを確かめたかったからです。いや、確かめるまでもなく、すでに知っていました。

昨年、私はさまざまな日本酒のイベントにお呼ばれしました。「まさるや2018仲秋 日本酒呑んでる会in町田(9月)」「Tokyo Rice Wine 日本酒の会(9月)」「酒家 盃爛処(10月)」「かもすや酒店(10月)新政呑みくらべ」「中澤酒造株式会社(12月)」の五つです。どれも味わいが繊細かつ多彩。日本酒の世界が深く、広がっている事を如実に感じました。素晴らしい経験だったと感謝しています。ところが、そうした場で私が西宮の出身であることを明かし、灘五郷のお膝元で育ったことを語ります。するとそして、私が地元の酒がおいしくないと感じていたことをいうと皆さんは納得するのです。なぜ?

各地に豊潤な日本酒の世界が実現する中、日本酒の源は伊丹であり、池田であり、灘五郷のはず。ところが今や、私が顔を出す日本酒のイベントで灘五郷の酒に出会うことは皆無。私はそれがすごく不満であり、かつ悔しい。

私は今回、「やまや」であえて大関を買いました。純米の山田錦。果たして何が違うのか。どう呑み心地が替わるのか。その思いで1/2に全部空けました。飲み口は遜色がない。そう思いました。ちょっと後味に酸味が残ってしまうかな、とも。

なお誤解しないように伝えておくと、私はなにも、灘五郷の酒が日本でオンリーワンである必要もナンバーワンである必要もないと思っています。むしろ日本の至る所に意欲的な日本酒メーカーがあり、それらが切磋琢磨している今の状況はとてもすばらしいと思うのです。だからこそ、その中の一つとして、灘五郷の酒は存在感を発揮してほしいと思います。

私は去年、ウイスキーのイベントにいくつか顔を出しました。そこにはサントリーやニッカといった日本を代表するメーカーが出ていました。その姿勢なのです。私が求めているのは。

そのためには、灘五郷という大看板を捨て、大企業の構えを解き、挑戦してほしい。そう思います。機械化だけが、効率化だけが酒造りではないはず。職人の魂がこもった酒に回帰して欲しい。切にそう思います。まずは首都圏のイベントに出て、渾身の灘五郷の味を問うてほしい。矜持を見せて欲しい。例えるなら、ドームツアーを満席にするアーチストがライブハウスを巡るような心意気で。

私の故郷、西宮で誇るべきものはたくさんあります。宮水を擁する日本酒造りもその一つ。甲子園だけが、タイガースだけが、阪神競馬場だけが、阪急西宮ガーデンズだけが、えべっさんだけが西宮ではない。まず西宮が日本に名を轟かせたのは、「下らない」酒の真反対である銘酒のブランドによって。今年は無理でも来年あたり、首都圏のどこかの酒イベントで灘五郷の酒にであえること。私はそれを願っています。


2018年のまとめ


今年もevernoteで下書きをこしらえ、弊社ページにて一年のまとめを書きます。

総括すると、2018年は公私ともに充実していたと思います。ようやく自分の時間を自在に扱えるようになりつつある。そんな手応えを感じた一年でした。ですが、今の状況に安住する愚は犯してはなりません。そこには痛切な課題も潜んでいます。達成度6割。達成感7割。満足感8割というのが自己採点です。2018年の私および弊社とご縁をいただいたすべての方々に感謝します。ありがとうございました。

公私の「公」

●弊社の業績
§ 総括 目次 今年度は売上だけで考えれば、過去最高の実績を上げられそうです。今期はあと三ヶ月残っていますが、売上見込みも粗利見込みもたっています。何とか黒字も達成できそうです。が、一概に喜ぶわけにはいきません。その売上の中にはSES(システム・エンジニアリング・サービス)契約に属する業務も含んでいるからです。上半期に顧問税理士の先生のもとで今季の収支予測を立てたところ、このままの粗利率と売上では赤字が避けられない、との結果が出ました。そこでSESとは一線を画した営業チャネルを構築しました。その結果、ある程度の成果が得られつつあります。そして弊社リソースでも技術力で複数の案件をこなし、上流工程から関わることで粗利を確保する。今期はそのめどが立ったことが大きいです。ただ、弊社の財務状況が脆弱である事実には変わりありません。今の好況も後もって二年でしょう。そのためには弊社の利益体制も変革することが喫緊です。今、弊社では、来季に向けての体制を構築すべく動いています。

§ 業務パートナー 目次 実は昨年度、業務パートナーを増やし、ある程度の自由と自発に委ねました。それは見事に失敗しました。今年の初頭にもその余波が残っており、弊社に影響を与えました。その反省を痛烈に受け止めました。そして対策を打ちました。
それは、弊社内のリソースで売上を上げつつ、パートナー企業様もごく一部に絞る方策です。ただ、その売上の一部は、上に書いた通り、SES業務によるものです。SESに手を染めると売上は確保できますが粗利は下がります。それはつまり弊社の抱える労力ではなく、外部から調達した労働力を紹介し、仲介料を得る業務だからです。 また、SESは技術者派遣の一種ですからノウハウは技術者にこそたまれど会社のノウハウになりにくい欠点があります。また、SESは一度手に染めると売り上げがたつためそこに頼りがちになります。さらに会社の業務構造がSESに頼ってしまい、抜け出すのが難しくなります。言い方は悪いですがSESとは企業経営にとって麻薬のようなものだと思っています。エンドユーザーが支払う額と、末端の技術者が受け取る差額がどれだけなのか。その差異は暗黙の了解でうやむやになっています。ところが技術者本人の立場からするとそのギャップは大いなる矛盾として身をさいなみます。弊社代表も長らく末端で派遣される側であったため、その矛盾にもがきました。SES業務にそのような矛盾が内包されている以上、将来性も見込めないし、弊社としても粗利は見込めない。ですから弊社としてはSESは最低限に抑えるつもりです。
また、弊社自身が多数の会社から案件の発注先にお選びいただきました。ありがとうございます。その中で開発パートナーとして契約を結んでくださったイノベーション・プラス様とのご縁は来年大きく成果につなげたいと考えております。

§ 開発案件 目次 昨年の反省として、バラエティに富んだ開発案件を請け過ぎました。それを見直すため、携わる作業分野をかなり絞りました。そしてその分、提案にかなり力を注ぎました。それが功を奏し、新規kintone案件が複数受注できました。また、上にも書いたとおり、粗利を増やすため、弊社代表が関わる案件を増やしました。弊社代表の持ち時間は一日24時間しかありません。限られた時間を効率的に使えるような案件に絞る。その取り組みが功を奏した一年でした。
また、人脈作りにも力を入れた事が結果にも返ってきています。今年ご縁のあった方からの大型kintone案件も受けられるようになっています。来年以降の業務にもよいお話をいただけています。弊社代表は今年もkintoneエバンジェリストに継続して任命されており、DevRelJpで教わったTwitter活用で積極的な発信を行わせていただいております。年末にはkintone Advent Calendarに四年続けて参加し、ライフログをkintoneで活かす記事を書きました。
来年、さらにkintoneの案件のニーズは増えるでしょう。それはkintoneのサードパーティ製プラグインの充実を凌駕し、kintone専属エンジニアの仕事を絶やさないはず。引き続きそうした案件の新規受注を増やし、少しでも安定的な案件を増やす。これは必ず達成すべき課題だと思っています。
また、開発案件を絞ったとはいえ、開発に限れば新たな挑戦や勉強にも取り組んでいます。例えばIoT開発の案件。NFCリーダーを活用したプロトタイプアプリを作成してテクニカルショウヨコハマ2018に出展するネタを作りました。MONACA上でビルドし、モバイルアプリとして動かす案件にも二つほど携わりました。他にもnode.jsやPythonも勉強し、PythonフレームワークのDjangoとAWSのEC2やAURORAと組み合わせたソリューションとして結実させています。言語環境や開発環境については日進月歩の業界なので、勉強し続けなければなりません。停滞は許されませんので。

§ 業務基盤の堅牢化 目次 昨年度から取り組んでいるこの課題こそ弊社の一番の悩みです。昨年、個人事業主時代からずるずると続けていた家計と法人の財布の混在を完全に分け、資産表や収支表はきっちり顧問税理士の先生に管理していただいています。が、まだ改善すべき点が多いです。引き続き財務の正常化が弊社の今後を大きく左右すると認識しています。同時に、経営計画や事業計画書の策定にも取り掛かっています。来季は弊社の体制の変革も考えており、より家計と会社の分離を進めて行く予定です。今年はIT導入補助金導入支援事業者にも選定されました。そこで得た信用をより厚くしなければ。

§ 社内体制 目次 弊社の弱点は財務のほかに、私一人が実質的な経営者と作業者を兼ねていることです。ここをどう突破するかが個人事業主と企業経営者の壁でもあります。この壁を破るため、次なる体制構築を秋ごろから構想し始めています。年の瀬からは一部動き始めています。これが来年どう形になり、どう実るか。

§ 2018年度売上見込み 目次 上記の通り、SESの割合が高くなったとはいえ、SES以外の業務でも過去最高の売上のめどは立っています。今のペースを続けられれば、決算でも2017年度の実績より上回れる見込みがつきました。ただ、残り三カ月の努力が重要なのは言うまでもありません。

§ 人脈の構築 目次 今年は登壇も含めて露出および交流を増やそうとしていました。名刺コレクターに堕することなく、有効な人脈の構築に専念する。その結果、重要なステークホルダーの方とのご縁が多々作れました。Facebookを見る時間は一日に5分程度ですが、Twitterでの露出も増やし、焦点を定めた交流を心がけることで有効な営業チャネルがたくさん作れました。それが今年の充実した活動に繋がったと思っています。来年度も今年のノウハウを活かしつつ、引き続き新たなご縁をいただければと思っています。単なる仕事上のつながり、SNS上のみつながりだけでなく双方に良い関係を。ただ、代表個人の時間には限りがあり、お誘いしてもらったイベントの多くに参加できていません。この点は申し訳ないと思っています。

§ 対外活動 目次 2017年度は登壇の機会がほぼありませんでした。それを反省点として、今年は登壇の機会を増やしました。合計4回。まず5月のサイボウズ社にてチーム応援ライセンス開始記念セミナーに。「チーム応援ライセンス開始記念セミナー」「弊社ブログ」「「自治会こそITが必要!!」20種類を比較検討したIT顧問の選択
一番最後のサイボウズ社のブログに掲載のエントリーは、「自治会 IT」で検索すると一番に現れます。実はこのフィールドでも弊社は有利な位置におり、今後もこの有利さを活かした取り組みを考えています。
残り三つの登壇は、全てEBISU Tech Nightというイベントにおいてです。六月、九月、十二月と登壇して参りました。このイベントでは自分の中でも話し方や内容についてよい訓練の機会となりました。機会を与えて下さった運営の方々には感謝しかありません。
もう一つ今年の活動として代表が出身の関西大学の四回生向けに社会人の経験を語るイベント「東京知ル活」にもOBとして参加しました。少々、身もふたもないことを言い過ぎたかもしれませんが。
他にもさまざまなサービスのエバンジェリストの方が集まるDevRelJpに二回参加し、その両方で自己紹介のLTを披露させていただきました。また、cybozu Days 2018の前々日に行われたkintone evaCampでも他社サービスのエバンジェリストの方とご縁をもらい、とてもよい刺激を吸収しました。Cybozu Days 2018に初めて両日とも全て参加したのも今年です。
他にもイベントや勉強会、セミナーなどあれこれと参加させていただきました。「国際ファッションセンター新年会(1/11)」「荒川区ビジネスプランコンテスト(2/16)」「技術者交流会(3/30)」「ワイン&グルメ ジャパン2018(4/11)」「Zoholicsセミナー(4/18)」「IoT分科会(4/20)」「クラウドコンピューティング EXPO(5/10)」「東京知ル活(5/11)」「NPO応援ライセンス開始記念セミナー(5/16)」「AWS Summit Tokyo 2018(6/1)」「BNIバンブーチャプター代理出席(6/5)」「【ハンズオンセミナー】アプリにプッシュ通知を組み込もう!(6/6)」「Prezi Night Tokyo Ⅶ(7/13)」「kintone devCamp (8/2)」「Twilio ビジネスセミナー(8/23)」「kintone Café Tokyo(8/29)」「Smart Communication Award 2018(9/21)」「AWS Loft Tokyo オープニングパーティー(10/1)」「ハロー職1(10/7)」「DevRel Meetup in Tokyo #35 〜ソーシャル〜(10/10)」「墨田区地域クラウド交流会(10/19)」「Cybozu Days 2018(11/7-8)」「kintone Café Japan 2018(11/10)」「プロ向け勉強会 #1「AWSでWordpressを使うときのトラブル回避術<(11/15)」「技術者交流会(11/23)」「徳丸浩のセキュリティセミナー WordPressの運用時に注意するセキュリティについて学ぼう!(11/29)」「定着率・求人応募率アップ!紙芝居で学ぶユニーク会社制度セミナー on Zoom(12/1)」「DevRel Meetup in Tokyo #37 〜忘年自己紹介大会〜(12/5)」
こうした場に参加することは、自分の知見を高めるだけでなく、そこで得たご縁が次の仕事につながるため重要です。あらためて今年はそのことを感じました。ただし、今年の私ができなかったことがあります。それはイベント主催です。幹事すら一度もやっておらず、これはとてもよろしくない。kintone Café 神奈川は何度か開催のご要望ももらっていたのですがタイミングを逸してしまいました。来年は何か主催をせねばならないと思っています。

§ 執筆活動 目次 昨年からCarry Meさんの運用する本音採用でブログ「アクアビット 航海記」の連載がcarry meさんの編集方針と合わず、三月で連載が終わってしまいました。ところがこの連載、思った以上に各方面に読まれております。また、39回で中断した時点で、独立から起業に至る肝心な所は書けていません。これはどこかで発表の場を作りたいと思っています。
本のレビューは104本(相撲の歴史まで)、映画のレビューは8本、観劇のレビューは3本アップできました。また、12月には上に書いた通りkintone Advent Calendarに参加しています。その他の仕事に関したブログは23本。計138本のブログをアップしました。2018年も書くことへの情熱が尽きることなく可能な限り書けた一年となりました。ただし、書いた内容はまとまった形にできていません。来年、何らかの成果として世に問いたいと思っています。

§ 妻のココデンタルクリニック 目次 妻のココデンタルクリニックは、新患さんも増えてはいるようです。が、2018年度は妻自身が別のお仕事に忙殺されてしまい、傍から見ていてもとても診療室経営に専念できているとはいえませんでした。それは、昨年と同じく私の気分を大きく乱しています。残念ながら来年もその状態は続くでしょう。妻には妻の人生があるので、やりたいことはさせてやりたいとは思っているのですが・・・私が患者さんを紹介するなどして、診療所経営に専念させるようにしなければ、と思っています。

§ 年表 目次
 ・1月お仕事
  

自治会のIT化打ち合わせ、両国の国際ファッションセンター入居者の新年会、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・2月お仕事
  

新宿でサイト作成打ち合わせ、横浜のサテライトオフィスで作業×2、テクニカルショウヨコハマ2018、虎ノ門で商談、半蔵門で打ち合わせ、Yahoo LODGEで仕事、ブロックチェーンの開発打ち合わせ、荒川区ビジネスプランコンテスト、となりのkintoneインタビュー、戸塚で司法書士の先生と打ち合わせ、Stockのサービス提供元へ訪問、SYNQAで作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・3月お仕事
  

税務署訪問、堺筋本町で商談、三宮で飲み、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、新宿御苑で打ち合わせ、Mass×Massで商談、妻のパソコン購入、横浜西口で商談、横浜で商談、渋谷で商談、成田空港で商談、横浜薬科大学で商談、戸塚で司法書士の先生と打ち合わせ、パートナー企業の皆さんと飲み、技術者交流会、パートナー企業様と飲み、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・4月お仕事
  

技術者さんと経堂で飲み、太田ふ頭で商談、コワーキングスペース町田で作業×2、中川で商談、ワイン&グルメジャパン2018、旧常駐先で飲み、BitClubセミナー、Zoholicsセミナー、町田法務局訪問、川崎で商談、IoT分科会、四谷三丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、日本橋で商談、丸の内で商談、IT導入補助金導入支援事業者採択、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・5月お仕事
  

Mass×Massで商談、横浜のサテライトオフィスで作業、クラウドコンピューティングEXPO、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、関西大学東京センターで知る活参加、渋谷で技術者さんたちと飲み、中川で商談、ココデンタルクリニック看板塗り、NPO応援ライセンス開始記念セミナー登壇(サイボウズ社)、西浦和で商談、パートナー企業の皆さんと暑気払い、両国で商談、渋谷で技術者さんと飲み、成田空港で商談、EBISU Tech Nightに参加、明治記念館で脳外科篠浦教授講演会、岩本町でデモ拝見、秋葉原でランチミーティング、SYNQAで作業、丸の内で商談、狛江で商談、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・6月お仕事
  

月島で商談、月島で打ち合わせ、AWS Summit Tokyo 2018、Mass×Massで商談、大阪府立大学同窓会打ち合わせ、BNIバンブーチャプター代理出席、半蔵門で商談、月島で商談、MONACA×ncmbセミナー、鷺沼で商談、渋谷で商談、太田ふ頭で作業、IT導入補助金導入支援事業者向けセミナー、浜町で商談、EBISU Tech Night登壇、荏原で商談、荏原町で打ち合わせ、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、町田市役所訪問、町田税務署訪問、町田市立図書館で作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・7月お仕事
  

渋谷で商談、旧常駐先の方と呑み、両国で商談、Mass×Massで商談、お客様と飲み、Prezi Night Tokyo Ⅶ、町田市立中央図書館で作業×2、EBISU Tech Night参加、新羽で商談、両国で商談、和光大学ポプリホール鶴川で作業、センター南で商談、横浜のサテライトオフィスで作業、Mass×Massで商談、井土ヶ谷で訪問、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・8月お仕事
  

kintone devCamp 2018、四谷三丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、丸の内で作業、丸の内で商談、月島で商談、新羽で商談、青山一丁目で商談、鶴川駅前図書館で作業、丸の内で作業、技術者さんと飲み、丸の内で作業、飯田橋で商談、丸の内で作業、八重洲で商談、二子玉川で商談、丸の内で作業、新宿で商談、飯田橋で商談、Twilioビジネスセミナー Vol.53、外苑前で飲み、警視庁遺失物センター、飯田橋で商談、技術の先輩とサシ飲み、丸の内で作業、渋谷で商談、飯田橋で商談、kintone Café Tokyo vol.7、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・9月お仕事
  

飯田橋で商談、鶴川駅前図書館で作業×2、ときわ台で商談×2、新宿で商談、Mass×Massで商談、東京ガーデンテラス紀尾井町で作業、パスポート申請、立川まんがぱーくで作業、両国で商談、SYNQAで作業×2、Smart Communication Award 2018、EBISU Tech Night、四谷三丁目で商談、丸の内で商談、四谷三丁目で商談、月島へ書類届けに、AWS にてスタートアップフォロー、目黒で商談、上野で商談、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・10月お仕事
  

AWS Loft Tokyoオープニングセミナー&パーティー、浜町で商談、両国で商談、横須賀で商談、ハロー職1観覧、渋谷でDevRelJp、パスポート受け取り、パートナー企業の皆様で飲み、墨田区地域クラウド交流会、曳舟で飲み、渋谷で商談、AWS Loft Tokyoで作業と商談、旧常駐先の方と池袋で飲み、神田で商談、八丁堀で商談、SYNQAで作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・11月お仕事
  

渋谷で商談、パートナー企業で呑み、飯田橋で商談、SYNQAで作業、八丁堀で商談、日本橋で商談、Cybozu Days 2018×2、お客様と幕張メッセで商談、渋谷で商談、kintone Café Japan 2018、青山一丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、新宿で商談、両国で商談、AWS Loft Tokyoで作業、築地でプロ向け勉強会 #1「AWSでWordpressを使うときのトラブル回避術」、日本橋で商談×2、AWS Loft Tokyoで商談と作業、渋谷で商談、技術者交流会、パートナー企業様と飲み、半蔵門で商談、Yahoo LODGEで作業、PaaS研究会、徳丸浩のセキュリティセミナー WordPressの運用時に注意するセキュリティについて学ぼう!」、新宿で作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・12月お仕事
  

定着率・求人応募率アップ!紙芝居で学ぶユニーク会社制度セミナー 、八丁堀で打ち合わせ、銀座で作業、有楽町で作業、田町でDevRelJp、日本橋でランチミーティング、四谷三丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、半蔵門で商談、日本橋で商談、町田市役所で商談、日本橋で商談、EBISU Tech Night、中華街でお客様の皆様と飲み、Mass×Massで商談、AWS Loft Tokyoで作業と打ち合わせ、鶴川で商談、日本橋で作業、目黒で作業と打ち合わせ、大宮で作業、上山で作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

公私の「私」

●家族との一年
§ 総括 目次 昨年にもまして、家族で行動する頻度は減りました。それぞれの生活があり、それぞれのタスクがある以上は仕方ありません。ただ、昨年よりはバトルの頻度が減りました。少しずつ大人になってゆく娘たちとの関係に悩みはつきませんが、今年は家族で二度泊りがけの旅行に行きました。それは家族にとってとても大切な時間でした。また、長女も次女も進路を定めなければならない年であり、ともに年内に推薦入学のめどがつきました。また、昨年亡くなった風花に変わり、三月から凛が我が家の家族の一員に加わりました。やんちゃ盛りで日々家族の神経をかき乱しています。

§ 娘たちに何ができたか 目次 今年は二人の娘がともに受験生でした。長女は首尾よくAO推薦をもらい、入試に合格しました。次女も年末に中学校から推薦状をもらうことができました。来年は二人とも専門学校に入学するはずです。娘たちが進路を決めるにあたり、私が意向を押し付けたことはありません。二人とも自分の意志です。具体的に手伝えたことは乏しいですが、新たな道を選ぶにあたっては障害ではなく、助言者としてありたいとの思いは貫けたと思います。これからも娘たちの進む道を示すガイドでありたいと思います。

§ 長女の一年 目次 長女は絵が好きで芸術系の学科に進学しましたが、人間関係など悩みも多く、高校生活に悔いはあるようです。ただ、それでもイラスト系の業界やその仕事への熱意は失いませんでした。イラスト系の専門学校に進むのも本人の意志です。私も新たな学校には見学について行き、娘の意志は確認しました。新たな学校に進学した後、悩み多き高校生活が実は無駄ではなかったことをいつか分かってくれると思います。中学の頃から個人事業主として活動している長女ですが、今も複数の仕事を請けているようです。私ももう少ししたら何かの仕事を振ってやりたいと思っています。長女とサシで出かけることは一、二回しかありませんでした。ただ、妻も含めてのお出かけは何度もしています。その中でも墨田区の職人さんを紹介するネット上の生放送番組「ハロー職1」に連れて行けたことで、メディアや自己表現の何たるかは感じてくれたのではないかと思います。年ごろのため不安定なところもありますが、引き続き長女には期待しています。

§ 次女の一年 目次 チアを諦めてまで中学の吹奏楽部を全うしたかったという次女の思いを尊重した私たち夫婦でしたが、次女は無事に吹奏楽を全うしてくれました。一方で今年は自由に生きたい次女とまだ手元におきたい妻がぶつかった一年でした。そのぶつかりが燃え広がり、何度かバトルに近いいさかいも家族の中に勃発しました。娘を持つことの難しさを感じた一年です。次女には彼氏ができましたが、私はそれを頭ごなしに否定せず、彼氏にも二回会いました。高校に行くには成績が足りない娘が調理師になりたいというので、その意志も尊重しました。そうした進路や生活態度についての話し合いも何度もしました。妥協もしたかもしれません。ただ、愛嬌もあり、人付き合いもうまい次女なので、必ずや道を踏み外さず、人生の旅路で成果を挙げてくれるはずと信じています。もう次女も子供ではないこと。大人になるため巣立とうとしていること。その二つをつくづく思わされた一年です。

§ 家族の一年 目次 そうした不安定な娘たちだった割には、危機感は感じませんでした。むしろ昨年のほうが不穏だった気がします。それは家族そろってお出かけしたことが功を奏したのだと思います。詳しくは書きませんが、それぞれの場所で良い想い出作りができました。特に3月の沖縄旅行と12月の山形旅行。去年は家族で泊まりの旅行に行けなかった分を取り戻すほどの充実した旅でした。今年の3月にわが家に凛が仲間に加わりました。五カ月近くペットショップの住人だったため、七色の癖を持ち、やんちゃでうちの家族を困らせています。可愛いのですが。あと4月の末に二回、私がグレて野宿で一夜を過ごしたことも忘れずに書いておきます。

§ 年表 目次
 ・1月帰省(泊まり)
  白山姫神社初詣神呪寺参拝、香櫨園駅、ホテルヒューイット甲子園ロイヤルホームセンター甲子園バッティングセンター西宮神社
 ・1月お出かけ
  

浅草雷門舟和屋浅草花月堂 馬道店浅草文化観光センター黒田屋本店遊食豚彩 いちにいさん 日比谷店TOHOシネマズ日劇(映画:DESTINY 鎌倉ものがたり)星野珈琲店コーチャンフォー稲城若葉台店、しゃぶ葉町田モディ店、いこいの湯、府中の森芸術劇場伊勢ヶ濱部屋ちゃんこ会伊勢ヶ濱部屋初場所打上式Stella Lounge

 ・2月お出かけ
  

東京宝塚劇場(舞台:ロベスピエール)東京都庁南展望室、籠屋(秋元酒店)、相鉄ムービル(映画:スターウォーズ 最後のジェダイ)、毘沙門天堂、Salad Stop表参道店根津美術館(展覧会:金と墨展)LINKS LondonTokyo Whisky LibraryThe Tokyo Dining 東京ライス、極鶏Bar下北沢、谷中銀座Orso、カポエイラ、八景の棚、相武台下駅、塩川滝、塩川神社、平山橋、とんかつはせ川、青山フラワーマーケット ティーハウス 赤坂Bizタワー店赤坂ACTシアター(舞台:ドクトル・ジバゴ)VILAMOURA 赤坂サカス店ペットフォレスト鶴川店

 ・3月お出かけ
  

はま寿司 町田野津田店、西宮市こうしえん観光案内所、手造り居酒屋 樽八、スーパージャンカラ生田ロード店、どん兵衛、桔梗堂、T先輩宅、汐見橋駅、芦原橋駅、木津川駅、浪速神社、大坂人権博物館(リバティおおさか)、太鼓屋又兵衛屋敷跡、昔勤めたブラック企業跡、個室居酒屋 宴丸 Enmaru 京橋駅前店、金の蔵 京橋北口店、辺川駅、海部駅、宍喰駅、甲浦駅、海の駅東洋町、白浜海水浴場 (白浜海岸)、宍喰海岸、道の駅 宍喰温泉、轟九十九滝、クリアウォーターOSAKA㈱、地鶏と鮮魚 一石二鳥 三宮店、らーめん 熊五郎 三宮西口店、甲子園球場、Bar Harbour Inn、イオンシネマ新百合ヶ丘(映画:グレーテスト・ショーマン)薬師池公園グリーンウォーク多摩シズラー府中店八景島シーパラダイスココリア多摩センター、公津の杜駅、相州春日神社、羽田空港那覇空港知念岬公園南城市地域物産館せーふぁキッチンアブチラガマひめゆりの塔波照間ボートレースアンテナショップ 沖縄・国際通り Double Deckerぱいかじ 国際通り店ホテルグレイスリー那覇中城PA崎本部緑地公園沖縄美ら海水族館エメラルドビーチcafeティーダVONGO & ANCHOR美浜アメリカンビレッジ、県庁前駅、海の駅 あやはし館アマミチューの墓シルミチュー大泊ビーチ伊計島灯台キングタコス与勝店勝連城跡市場本通り商店街海想 松尾店、古酒家本店、Splash Okinawa 2、Sky Rent a Car、那覇空港羽田空港凛お迎えららぽーと横浜

 ・4月お出かけ
  

相模原麻溝公園、八王子駅前ビルステーキのあさくま八王子打越店イオンシネマ多摩センター(映画:グレーテスト・ショーマン)、大森貝塚跡、うどん開都大地沢青少年センター草戸山境川源流町田あいす工房ラッテ小陽生煎饅頭屋 (生煎馒头屋)、アジアンフード バー バグース、井の頭恩賜公園、Bar 羽月、シズラー府中店柏屋LATTE GRAPHIC、BrewDog Roppongi、富士の国 やまなし館、玉川学園ゴスペルカフェ、稲毛神社、川崎堀之内ソープランド街、港町駅、六郷橋、川崎市観光案内所、薬師池公園、民権の森、野津田神社、小樽食堂町田広袴店、喰違見附、T.G.I.Friday’s 町田店、野宿、博多もつ鍋 やまや、野宿、レッドロブスター 多摩境店寄居PA駅前児童公園道の駅 くらぶち小栗の里、織田氏七代の墓、雄川堰、こんにゃくパークハイウェイオアシス ららん藤岡 (道の駅 ららん藤岡)寄居PA (上り・寄居 星の王子さまPA)みはらし広場クリスタルサウンドみつや水晶宝石博物館仙娥滝昇仙峡森カフェ山梨ワイン王国大滝仙娥滝初狩PA (上り)峠の茶屋

 ・5月お出かけ
  

玉ちゃん亭、BAR CROW、赤坂区民ホール天馬 カレー&カレーパン 青山店府中の森芸術劇場シズラー 府中店、等々力陸上競技場、生田緑地、枡形山、枡形城、戸隠不動跡、尾崎咢堂記念館、エビラ沢の滝、薄野 中村屋、江戸城大手門、薬師池公園 蓮園、ららぽーと横浜琴平神社本殿、Craft Beer Moon Light 本店、多摩川五本松、新橋演舞場(舞台:蘭 緒方洪庵 浪華の事件帳)やさいの王様、沼久保駅、富士山本宮浅間大社、湧玉池、神田川、富士高砂酒造、白糸の滝、音止の滝、富士宮やきそば 平石屋、朝霧高原、本栖湖、道の駅 しもべ、甲斐常葉駅、身延駅、横網町公園、第1ターミナル 展望デッキ、大佐倉駅、将門口ノ宮神社、東光寺ビョウ、本佐倉城跡、明治記念館、フレッシュネスバーガー 曙橋店、長女学校見学、新宿御苑、世界堂 新宿本店、富士フォトギャラリー銀座、三省堂書店 有楽町店、KITTE

 ・6月お出かけ
  

東京国際フォーラム(コンサート:The Show Stopper)、上毛高原駅、鳩待峠行バス連絡所、鳩待峠、尾瀬国立公園、つり橋、尾瀬山荘、尾瀬沼、三平峠、ヌル沢奥の滝、上毛高原駅、啓文堂書店 渋谷店、めし屋 奈良間、ブックファースト 新宿店、赤坂 紫月、MARUZEN & ジュンク堂書店 渋谷店、次女の中学校運動会町田東急ツインズ、沢谷戸自然公園、油そばの店 蜻蛉、ここ滋賀、日本橋 長崎館、沖縄物産店 銀座 わしたショップ、小樽食堂 町田広袴店、亜細亜食堂 リバーサイゴン (SAIGON)、成田山 新勝寺成田山 大本堂成田山 咤枳尼天堂 (出世稲荷)成田山 三重塔、二宮尊徳翁開眼の地、成田山 咤枳尼天堂 (出世稲荷)成田山 釈迦堂成田山 額堂成田山 光明堂成田山公園、雄飛の滝、成田山 総門、長命泉、成田参道 房の駅川豊酒々井PA (上り)、多摩川決壊の碑、麺屋 大申、甘酒横丁、薬師池公園、荏原町駅、旗岡八幡神社、shango、麺匠なべすけ 本店、地ビール厨房 COPA 町田店、BACKPACKER’S CAFE 旅人食堂 町田屋台店、まちの駅 ぽっぽ町田、薬師池公園

 ・7月お出かけ
  

イオンシネマ新百合ヶ丘(映画:ハン・ソロ ストーリー)、スエヒロ館 新百合ヶ丘店、薬師池公園、MARUZEN & ジュンク堂書店 渋谷店、とんかつはせ川、薬師池公園 蓮園、雑司ヶ谷 鬼子母神 (鬼子母神堂)、Pasar幕張 幕張PA (下り)、酒々井PA (下り)、大栄PA (下り)、佐原PA (下り)、鹿島神宮大鳥居、鹿島神宮 楼門、カシマサッカースタジアム、ちゃあしゅう屋 鹿嶋店、鹿島神宮駅、剣聖 塚原卜伝生誕之地 プレート、鉾田駅、新鉾田駅、北浦湖畔駅、鹿島灘駅、鹿島大野駅、長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅、大野潮騒はまなす公園、荒野台駅、塚原卜伝の墓、塚原卜伝像、鹿島神宮大鳥居、鹿島神宮 楼門、鹿島神宮 拝殿・本殿・御神木、鹿島神宮奥参道、鹿島神宮 境内鹿園、鹿島神宮 奥宮、鹿島神宮 要石、鎌足神社、根本寺、鹿島城山公園、鹿島アントラーズ クラブハウス、カシマサッカーミュージアム、カシマサッカースタジアム、鹿嶋サッカースタジアム駅、鹿嶋灯台、延方駅、ばんどう太郎 神栖店、大栄PA (上り)、帝国ホテル 東京、谷際屋製麺工場、玉川学園ゴスペルカフェ、まちの駅 ぽっぽ町田、イングリッシュパブ トラファルガー、本間橋、小林商店、鳥居原園地、早戸大滝アタック、東京ミッドタウン日比谷日比谷シャンテラ ブティック ゲラン銀座 三徳堂boulangerie Bonheur、町田市民文学館ことばらんど(展覧会:舘野鴻原画展)、町田市立陸上競技場 ホーム側ゴール裏、NTTドコモ歴史展示スクエア、両国 江戸NOREN、びっくりドンキー 光が丘店、矢まと、雲林坊 秋葉原店、明治記念館、山高神代ザクラ、北精進ヶ滝、一の滝、二の滝、道の駅 はくしゅうサントリー白州蒸溜所BAR白州八ヶ岳PA (上り)石川PA (上り)、北海道らーめん 楓 横浜西口店

 ・8月お出かけ
  

横濱家系ラーメン 大岡家、鯛塩そば 灯花、かのん、府中の森芸術劇場 どりーむホールシズラー府中店武蔵府中郵便局、阪神甲子園球場、甲子園歴史館、六人部PA (下り)、由良川PA、宮村駅、金引の滝、天橋立駅、松和物産、天橋立駅前郵便局、天橋立ビューランド リフト・モノレール、飛龍観回廊、KITTE、伊織 / シン・エヒメ、大阪百貨店、KITTE、豚骨らーめん ぼっけもん、幸楽苑 町田木曽店ゆめみ処 おふろの王様 町田店、古書 高原書店、町田市民ホール、ステーキ宮 町田木曽店、spice bistro、海旬処 魚華青銅の鳥居江の島瑞心門江の島エスカー 2区KUA`AINA 片瀬江ノ島店横浜・八景島シーパラダイスシーフードとカレー料理 パーマーストン Palmestonアメリアショッピングセンターららぽーと横浜TOHOシネマズららぽーと横浜(映画:ミッション・インポッシブル Fall Out)富士屋ホテルピコット ロビー店箱根ガラスの森美術館ラ・カンツォーネ、千条の滝、ららぽーと海老名、有隣堂、ハングリータイガー、鎮魂の碑、京橋エドグラン、麺屋 みちしるべ、EXPASA足柄 下り三島スカイウォークスカイウォークコーヒースカイウォークコーヒー山中城跡伊豆フルーツパーク御殿場プレミアム・アウトレットbodum (ボダム) 御殿場プレミアムアウトレット店、和田倉噴水公園、皇居前広場、二重橋、安具楽、東京ドーム、野球殿堂博物館、オークスブックセンター、スエヒロ館 新百合ヶ丘店、玉川学園ゴスペルカフェ、HUB 外苑前店、東部湯の丸SA (下り)、祢津小学校、袮津城山、草笛 上田店、砥石・米山城址櫓門口登山道、砥石城跡、桝形城跡、米山城跡、千古温泉、千古の滝、ハイウェイオアシス ららん藤岡 (道の駅 ららん藤岡)、高坂SA (上り) レストラン、道なか食堂 げんき、CINAGRO、俺流塩らーめん 神楽坂店、安全寺

 ・9月お出かけ
  

東京ステーションギャラリー東京ステーションホテルカメリアKITTE東京国際フォーラムShake Shack蕎麦 AKEBONOYA東京ミッドタウン日比谷boulangerie Bonheur、上等カレー 飯田橋店、筑土八幡神社、神楽坂、板橋天祖神社、ときわ台駅、ジュンク堂書店 池袋本店、小樽食堂 町田広袴店ヨドバシカメラ マルチメディア町田、中華ダイニング貫 (KAN)、町田パリオ(まさるや2018仲秋 日本酒呑んでる会 in 町田)、BOOKOFF SUPER BAZAAR 町田中央通り (本・ソフト館)、創作和食 あおき、福富町パラダイス、草月、syarumu、Hot Spoon 西新宿店、東京都旅券課 (新宿パスポートセンター)、イオンシネマ新百合ヶ丘(映画:ボルグ&マッケンロー)、らーめん 立川や、立川市子ども未来センター、立川まんがぱーく、東京都パスポートセンター 立川分室、オリオン書房、立川市中央図書館、丸善 多摩センター店、蕎肆 穂乃香、隅田川テラス、蔵前橋、駒形橋、株式会社バンダイ 本社、駒形堂、まるごと北海道 雷門物産本舗、雷門、小樽食堂 町田広袴店、片倉つどいの森公園、長女の高校文化祭、赤城高原SA (下り)、道の駅 白沢、十二坐神社、吹割渓谷遊歩道、吹割の滝 第三観瀑台、吹割の滝 第一観瀑台、浮島橋、浮島観世音、日本の滝百選 25『吹割の滝』、鱒飛の滝、滝の駅、沼田市観光案内所、沼田城天守跡、沼田城、利根英霊殿、真田信之.小松姫像、沼田公園 鐘楼、沼田公園の御殿桜、道の駅 みなかみ水紀行館、土合駅、赤城高原SA (上り)、駒寄PA (上り)、石川PA (上り)、四条富小路 麺屋虎杖、丘のまち美瑛、帝国ホテル 東京、珈琲茶館 集 有楽町アネックス店、東京大神宮、Hop-Scotch Craft Beer & Whiskey、ビッグボーイ 黒川店、Tokyo Rice Wine 新百合ヶ丘店、アリオ橋本、水の苑地(県立津久井湖城山公園)、津久井湖記念館、伏馬田城趾、花の苑地(県立津久井湖城山公園)、道の駅 どうし、三島由紀夫文学館、山中湖 文学の森公園、徳富蘇峰記念館、郷土料理 和十郎、忍野村観光案内所、菖蒲池、湧池、銚子池、お釜池、河口湖駅、金鳥居市民公園、道の駅 富士吉田、鐘山の滝、リカーズハセガワ 北口店、晴海郵便局、晴海埠頭、味噌一 三軒茶屋店、上野恩賜公園、西郷隆盛像、誹風柳多留発祥の地、不忍池、東京ディズニーランド

 ・10月お出かけ
  

ずんどう屋 目黒店、大横川親水公園、世界のビール博物館、KUA`AINA、薬師池、久里浜駅、桂寿味、次女の進路先の見学会The Tokyo Dining 東京ライスニッカ ブレンダーズ・バーラウンジ春秋館東京タワー国際ファッションセンターアゼリア 第一ホテル両国両国江戸NORENの土俵、上河内SA (下り)、道の駅 猪苗代、denen cafe、農業体験、富士の湯、空き家てらす 隠れ家、酒家 盃爛処、空山neo、太郎焼総本舗、鶴ヶ城、道の駅 ばんだい 徳一の里きらり、友部SA (上り)、表参道駅、シャングリ・ラ ホテル東京、昭島市役所、エピソードカフェ東京交通会館いしかわ百万石物語 江戸本店Yellow Korner Photography – Art – Limited editionQ CAFE by Royal Garden Cafe湘南平霧降りの滝アリオ橋本Honolulu Coffee、ACADEMIA くまざわ書店、Bull Pulu、世田谷文学館、蘆花恒春園 (蘆花公園)、祖師谷商店街 (ウルトラマン商店街)、駒寄PA (下り)、津久田駅、棚下不動滝、長井坂城跡、永井箱根神社、奥利根うどん本舗、名胡桃城址、ささ郭、後閑駅、道の駅 よしおか温泉、かもすや酒店、ジュンク堂書店 池袋本店、清龍 南池袋店、くさやバー、Craft Beer Market 神田店、広島ブランドショップ TAU、パルテノン多摩SUBWAY 多摩センター店丸善 多摩センター店、Coeur & Heart、コーチャンフォー 若葉台店、羽田空港国際線ターミナル成田空港 第2ターミナルバニラエア チェックインカウンター台湾桃園国際空港 (TPE) (臺灣桃園國際機場)Immigration (護照?驗)National Theater (國家戲劇院)、凱達大飯店 Caesar Metro Taipei、MRT 龍山寺駅 (捷運龍山寺站)、MRT Taipei Main Station (捷運台北車站)、TRA 台北駅 (臺鐵台北車站)、Keelung City (基隆市 Keelung City)、TRA Keelung Station (臺鐵基隆車站 TRA Keelung Station)、基隆西岸旅客碼頭、基隆海洋廣場 Keelung Maritime Plaza、TRA Keelung Station (臺鐵基隆車站 TRA Keelung Station)、台北市 (臺北市)、THSR 台北駅 (高鐵台北站)Q Square (京站時尚廣場)饗食天堂Eslite Bookstore (誠品書店 台北捷運店)MRT Taipei Main Station (捷運台北車站)MRT 龍山寺駅 (捷運龍山寺站)凱達大飯店 Caesar Metro Taipei龍山寺スターバックス (STARBUCKS)臺北市立大學校本部 University of Taipei Main CampusMRT 中正紀念堂駅 (捷運中正紀念堂站)Liberty Square (自由廣場)National Theater (國家戲劇院)中正紀念堂National Concert Hall (國家音樂廳)TRA Wanhua Station (臺鐵萬華車站)TRA 台北駅 (臺鐵台北車站)Taoyuan Metro Taipei Main Station (A1) (桃園機場捷運台北車站)Taoyuan Airport MRT (A12) Airport Terminal 1 Station (桃園機場捷運 A12 機場第一航廈站)Terminal 1 (臺灣桃園國際機場第一航廈)台湾桃園国際空港 (TPE) (臺灣桃園國際機場)Gate B2成田国際空港 (NRT)成田空港 第3ターミナルCafe&Dining N’s court

 ・11月お出かけ
  

麺の坊 砦、駒場公園、旧前田家本邸、籠屋(秋元酒店)、薬師池公園、リカーポート 蔵家、町田市 大賀藕絲館、町田リサイクル文化センター、小山田神社、舎鈴 飯田橋駅前店、ハタフラワー、梅の花 町田店、せんや、新宿みやざき館 KONNE、餃子会館 磐梯山 両国店、とり家 ゑび寿 両国店、駒八 目黒さんまセンター、六本木ヒルズアリーナ、TOHOシネマズ 六本木ヒルズ(映画:ボヘミアン・ラプソディ)、鎌倉パスタ、鶴ヶ峰駅 (SO09)、鎧橋跡、鎧の渡し緑道、首塚 (畠山重忠公)、畠山重忠古戦場跡、畠山重忠古戦場跡、六ツ塚、すずり石水跡、鶴ヶ峰神社、駕籠塚、得得 横浜鶴ヶ峰店、驚神社、和菓子紀文堂、四季芸術センター、麺屋 一寸星、你好 ニイハオ 渋谷店、オールドヒッコリー 町田境川、やきとり居酒屋 山家 本店、次女の進路先、ベルサール高田馬場、はつ花そば 本店、酒岳堂 井島商店、はこね 和菓子 菜の花酒岳堂 井島商店、箱根観光物産館、鈴廣のかまぼこみつき DELI&CAFé TERRACEベーカリー&デリカテッセン 箱根カフェ箱根の市、麺屋すみす、神宮外苑いちょう並木、多摩丘陵パノラマの丘、防人見返りの峠 展望台、コーチャンフォー 若葉台店、東京都庁 第一本庁舎、ブックファースト 新宿店、技術者友人宅

 ・12月お出かけ
  

自然食バイキング はーべすとヨドバシカメラ マルチメディア町田町田マルイ、薬師池、Cut Let Me、築地本願寺、マルイアネックス イベントスペース、讃岐うどん かいと、野津田神社、民権の森、七国山 鎌倉街道の碑、七国山、野津田薬師堂、よみうりランド、スエヒロ館 新百合ヶ丘店、極鶏Bar 下北沢店、エリックサウス、麺 TOKITA、警察博物館、香川・愛媛せとうち旬彩館、春水堂ラフォーレ原宿FURFUR東郷神社コロンバン原宿本店、麺屋三男坊、中澤酒造株式会社、麺屋 海神、慶華飯店、横浜赤レンガ倉庫、JICA横浜国際センター、信濃屋 目黒店、酒舗 まさるや、すし屋 銀蔵 鶴川店まちの駅 ぽっぽ町田ぐりーんうぉーく多摩、きさらぎ、Classy’s Bar、暖暮 川崎仲見世通店、麺や維新、自転車文化センター、JR 東北新幹線 大宮駅山形新幹線 かみのやま温泉駅かみのやま温泉観光案内所上山十日町郵便局上山城菓子司 十五屋本店上山市役所葉山館、わくわくコマレオ 上山店、春雨庵、葉山館かみのやま温泉観光案内所山形新幹線 かみのやま温泉駅楢下宿 丹野こんにゃく番所HATAKE CafeHATAKE Cafe トマト上山店ファーマーズマーケットトマト 上山店、愛染神社、齋藤茂吉記念館、上山旭町郵便局、ぐっと山形 (山形県観光物産会館)、上山城、菓子司 十五屋本店かみのやま温泉駅JR 東北新幹線 大宮駅、鴨川、六道珍皇寺、京都霊山護國神社、パール博士顕彰碑、桂小五郎・幾松墓所、坂本龍馬の墓、幕末維新ミュージアム霊山歴史館、御陵衛士屯所跡、八坂神社、知恩院 三門、青蓮院門跡、岡崎・市電コンシェルジュ、岡崎別院(親鸞聖人岡崎草庵跡)、光雲寺、哲学の道、法然院、慈照寺 (銀閣寺)、まつばや、哲学の道、京都大学

§ 家族のお出かけ 目次 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。「浅草(1月)」や「沖縄(3月)」「相模原麻溝公園(4月)」「こんにゃくパーク(4月)」「赤坂(5月)」「八景島(8月)」「箱根(8月)」「三島(8月)」「東京ディズニーランド(9月)」「山形(12月)」。満足できる一年になったと思います。来年もどこかに出かけようと考えています。

§ 妻とのお出かけ 目次 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。なんかかんだといって、結構節目節目には二人で過ごせているようです。今年は臺灣を一緒に訪れたのが思い出深いです。いくつかBarにも訪れたり、八景島シーパラダイスにも二人で行きました。あとは音楽と舞台と映画でしょうか。一緒にいくつも観て体験していますね。夫婦ともにこれだけ忙しくても、時間をやりくりしてこれだけ出来ていれば、来年もやれそうな気がします。

§ 娘たちとのお出かけ 目次 娘たちと3人で出かけたのは、上の年表で緑字に太字にしているイベントです。一緒にご飯を食いに行くぐらいしかいけませんでした。娘たちもそれぞれ友達と出かけたり家にこもったり。特に次女は明らかについてこなくなりました。彼氏や友達との時間を優先する年ごろになった。そういうことです。私としてはワンパターンなお出かけよりも、経験でめずらしい経験をさせてやりたい、と思うのですが、私の時間もなくなっており、近所であればもはやそういう経験はさせてあげられません。ですが、来年も断られることを覚悟で、誘ってみようと思います。

§ 妻とどちらか娘とのお出かけ 目次 妻とどちらかの娘の3人で出かけたのは、上の年表で水色地に太字にしているイベントです。長女は比較的よくついてきました。が、逆に次女だけが付いてくることはほとんどありませんでした。

§ 長女とのお出かけ 目次 僅かではありましたが、いくつか訪れています。そのうち一つは長女の高校の文化祭に私一人で出かけることになり、しばらく長女と行動を共にしました。年ごろのためか潔癖感が増していますが、私に対しての棘は峠を越した気がします。私がそう思っているだけかもしれませんが。

§ 次女とのお出かけ 目次 部活に忙しく、なかなか一緒にはいかれませんでしたが、それでもいくつかの場所を父娘二人で訪れています。そのうち一つは二人で回転すしを訪れて大いに語りました。次女は親あしらいがうまいので、時間さえあえば来年もついて来てくれそうです。

●私自身の一年(交友関係)
§ 関西の交流関係 目次 今年は、3月にまとまった日程をとって帰りました。四泊五日の日程でしたが、高校の友人たちと、大学の友人たちと飲み遊び、一昨年からご縁を結んだ方々とも飲み、打ち合わせも挟み。私が苦しんでいた時期に知り合った師匠と梅田のバーで呑み、今までFacebookだけのつながりだった方ともお会いし。かなり濃密な時間を過ごしました。ありがとうございました。
7月には中学の頃からの友人が上京し、共に呑みました。その場でイカ釣りに誘われ、8/6にはそのために帰りました。が、高波でイカ釣りが中止となり、再計画した日も友人が仕事で断念しました。これはぜひ来年やりたいと思っています。年末になって年賀状を書きながら、SNSをやっていない友人たちとのご縁をまた復活させたいと思いました。

§ YKGの交流 目次 今年もまた、鉄道や城巡りといった旅を愛する友人二人と、砥石城を中心に武田氏に関する城巡りを行いました。さらに畠山重忠に関する史跡めぐりも行いました。来年、またともに旅ができればうれしいです。

§ 一年の交流 目次 今年は、前半は3月の関西以外は低調でした。が、ゴールデンウィークのサッカー観戦から、関西大学での知ル活など、徐々に交流を活発にしました。一つ目のピークは6月に10数人のパーティーで訪れた一泊の尾瀬旅行です。仕事でもほうぼうに一人で飛び込んで行き、徐々に外交的な自分を取り戻していきました。下に書く酒関係のイベントでは様々な方と楽しい時間を過ごしました。パクチー三昧の時間を過ごしたこともうれしい。魂友とは三回会い、そのうち一度はご自宅でお母さまともお会いしました。どれもが今年の特筆すべきイベントです。また、会津への旅は今年の5本の指に入る素晴らしい旅でした。見ず知らずの方々と民泊で出会い、話に花を咲かせる。その素晴らしい経験は、人生万歳と言いたくなるほど。また、年末にはいのしし鍋のイベントにもお誘いをいただき、絶品の鍋を囲んで楽しい時間を過ごしました。他にも書いていませんが色々なイベントにお誘い頂きました。ありがとうございました。

§ 地元の交流 目次 一方、今住んでいる地元の友人との時間はほとんどとれませんでした。ですが、昨年末から参加しているゆるいランチの会には二度参加しています。仕事を抜きにした語らいの場としてとても重宝しています。下半期は私が忙しくて伺えなかったのですが、代わりに妻が何度も参加させてもらっています。私も来年は参加したい。あと、自治会には仕事でかなり携わりました。来年もそうしたご縁を活かしていきたいです。最後に、年の瀬になって娘たちが学童でお世話になっていた指導員の先生の訃報が入ってきました。まだ若いのに残念でなりません。いい人ほど早く世を去っていく。

●私自身の一年(文化活動)
§ 読書・観劇レビュー 目次 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2017年に読んだ104冊分となりました。レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ただ、仕事を優先する関係上、どうしてもアップは後回しになっています。それでも読んでからアップするまでの日数を10カ月に縮めました。この期間を質を落とさずにさらに早めるのが去年に引き続いての課題です。舞台観劇と映画鑑賞のレビューについては、遅れずに書けているのですが。書くという行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けていくつもりです。

§ 今年の読書 目次 読書については、今年は94冊読みました。また、ジャンルを問わずの乱読傾向は相変わらずです。94冊についてそれぞれに思い入れは深く、その中のベストを選ぶといったおこがましいことはしません。ですが、今年は年末になってようやく坂の上の雲全巻を読み通せました。また、今年は三人の文人の展示会を訪問しました。「三島由紀夫博物館」「徳富蘇峰記念館」「世田谷文学館(筒井康隆展)」どれもがとても刺激になりました。

§ 今年の映画 目次 映画鑑賞については、今年は8本観劇しました。
DESTINY 鎌倉ものがたり」「スター・ウォーズ/最後のジェダイ 」「The Greatest Showman」「The Greatest Showman」「ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー」「ミッション:インポッシブル フォールアウト」「ボルグ / マッケンロー 氷の男と炎の男」「ボヘミアン・ラプソディー」。
観たかったのに見れなかった映画もたくさんあります。ですが、私の持ち時間の少なさからみて、よく見たほうだと思います。今年は大河ドラマの「西郷どん」を妻が観たいというので一緒に観ていましたが、やはりというか、ほとんどの回を見逃してしまっています。

§ 今年の舞台 目次 舞台については、今年度は3本の鑑賞でした。詳細は当ページの「目下の舞台鑑賞」を観てもらえればと思います。3本いずれも素晴らしい内容でした。ただ、私の中で宝塚歌劇の運営方針に重大な不満があり、妻には「見たくない」と言ったことを実践。下半期は観劇していません。その一方で、劇団四季を創立した浅利慶太氏が亡くなられました。かつて劇団四季に勤めていた友人の山下さんにお誘いいただき、浅利慶太お別れの会に参列しました(9/18)。そこで配布された故人の演劇論や略歴が書かれたパンフレットを読み、改めて浅利慶太氏と劇団四季に興味を持ち、その後すぐに「劇団四季と浅利慶太」も読みました。そして四季と宝塚との運営方針の違いを感じました。私は四季の方を支持したい。とはいえ、来年は観劇や寄席も観たいと思っています。

§ 今年の音楽 目次 昨年は何回もコンサートに行きましたが、今年は6月に東京国際フォーラムで観た「The Show Stopper」だけ。次女が中学で吹奏楽部を全うし、三年間で賞は一度も取れなかったけれど、何かをまっとうしてくれたのは良い思い出です。次女の発表会や演奏会、合唱コンクールは何度か訪れたので音楽体験は得られたと思います。長女が入っている高校の吹奏楽部は全国屈指の実力を持っていることから、長女と次女を連れて府中の芸術の森に定期演奏会を聴きに行きました。カラオケは二回。3月に友人たちと三宮で、11月には秘密基地で大いに歌いました。また、初夏の一日だけ、ウクレレを引っ張り出して爪弾いたりもしました、が続かず。

§ 今年の美術 目次 美術については、昨年と同じく今年もさっぱりでした。でも、長女の学外展や文化祭などデザインや美術には触れる機会が多数ありました。また、娘の進学先が美術デザイン系の専門学校に決まり、その学校見学にも訪れました(5月)。またその学校の校長先生のスコットランドの写真展にも訪れ、旅の乾きを潤しました(10月)。また富士フォトギャラリー銀座での写真展にもお招きされ、山の写真に見ほれました(5月)。舘野鴻の原画展(7月)では昆虫の精密画にも惹かれました。また、2月に妻と訪れた根津美術館の「墨と金展」は良かった。最近書の世界に関心を持っており、新宿の世界堂で水で書道ができるセット一式を買い(5月)、弊社の毎月のまとめの画像を書いた暦で表していました。筆がダメになったので霜月、師走が書けませんでしたが。

§ 今年のスポーツ 目次 スポーツについては、正直なところ全く低調でした。スキーもソフトボールもテニスもマラソンもやらず。それは2月ごろから腰痛に悩まされていたからです。ただ、アウトドアが皆無だったかというとそうでもなく。特に六月に訪れた一泊二日の尾瀬の旅は今年のハイライトの一つです。十数人のパーティーの一員としてみた至仏山と燧ケ岳、尾瀬沼の朝から夜までの景色は素晴らしかった。アウトドアを満喫しました。ただ、見るだけで日本百名山登頂ができなかったのは無念です。妻子と町田市最高峰の草戸山は登頂しました。また、滝はたくさん巡りました。それらはスポーツといえそうです。早戸大滝に行こうとしてあわや遭難しかけたり。
ただ、今年はソチオリンピックがあり、ロシアW杯があり、卓球選手たちの活躍やテニスの大坂、錦織両選手の活躍など、観戦しているだけで満足の一年でした。大リーグの大谷選手の大活躍も忘れられません。イチロー選手がついに選手登録から外れたという残念な出来事もありました。スポーツ観戦は今年は三度。五月に等々力スタジアムで多摩川ダービー「川崎フロンターレ VS 東京FC」を数人で観戦し、八月に町田陸上競技場でFC町田ゼルビアvs京都パープルサンガの試合を観戦しました。三月には甲子園球場で阪神vsDeNaのオープン戦を父と。夏の甲子園も初日の第四試合を場外で聞きました。なお、弊社が町田FCゼルビアのサポーターになったのも今年です。あと、次女がたまに習いにいっているカポエイラのレッスンに一度ついていき、赤坂でのCapoeira Batieque Japaoの興奮を目撃。長女が立派にバレエの発表会を勤め上げたのも良い思い出です。最後に忘れてはならないのは伊勢ヶ濱部屋とのご縁です。後援会会長とご縁があり、ちゃんこ会や初場所打ち上げ式に御呼ばれしました。相撲観戦はしていませんが、これも立派な相撲文化の吸収でしょう。

§ 今年の滝 目次 今年は日本の滝百選の滝を8カ所訪れる目標を立てていました。結果、再訪を含めると7か所を訪れる事ができました。「轟九十九滝」「仙娥滝」「白糸の滝」「北精進ヶ滝」「金引の滝」「吹割の滝」「棚下不動滝」。どれもが百選にふさわしい名瀑です。もちろん、それ以外の滝でも印象に残る滝はたくさんありました。以下は今年訪れた滝です。「塩川滝(2/18)」「轟九十九滝(3/4)」「轟本滝(3/4)」「二重の滝(3/4)」「横見の滝(3/4)」「舟形滝(3/4)」「丸渕滝(3/4)」「鳥返しの滝(3/4)」「鍋割りの滝(3/4)」「仙娥滝(4/30)」「大滝(4/30)」「仙娥滝(4/30)」「エビラ沢の滝(5/6)」「白糸の滝(5/20)」「音止の滝(5/20)」「ヌル沢奥の滝(6/3)」「雄飛の滝(6/17)」「一の滝(魚止めの滝)(7/29)」「二の滝(初見の滝)(7/29)」「北精進ヶ滝(7/29)」「金引の滝(8/6)」「臥龍の滝(8/6)」「白滝(8/6)」「千条の滝(8/15)」「千古の滝(8/25)」「吹割の滝 第一観瀑台(9/16)」「鱒飛の滝(9/16)」「鐘山の滝(9/24)」「霧降りの滝(10/14)」「棚下不動滝(10/21)」。また、今年の滝巡りで忘れてはならないのが、早戸大滝にアタックした時の経験です。路肩の土盛りに車を乗り上げ、横に停まっていた車の方々に里まで送ってもらい、数時間JAFを待ち、JAFの方に復旧していただいた後、夕方近くになってから一人でアタックしたところ、滝を目前にして腰痛でダウンし、帰り道は夕立に遭い、増水した川で帰り路を見失いかけ、あわや遭難するところでした。

§ 今年の旅行 目次 今年は、今までの人生でも納得できる旅行ができました。家族で沖縄(3月)、山形上山(12月)に訪れ、海のきれいさと雪の美しさを味わいました。夫婦で臺灣(10月)に訪れたのは、私にとって十数年ぶりの海外、23年ぶりの臺灣ということがあって思い出も深いです。昨年一人で訪れた沖縄では16,7ぶりにお会いした方と、今回は双方の家族総出でお会いしました。奥様とは17,8年ぶりの再会。また、10数人のパーティーで訪れた尾瀬(6月)は景色が素晴らしく、朝昼夜で多彩な景色を見せてくれる自然のすばらしさに感動しました。あと四人で訪れた会津旅行も会津の方々にたくさん出会え、会津の方々の郷土愛に感動しました。無農薬栽培のお手伝いを通して、どれだけ無農薬が大変で、どれだけ産物が美味しいかについても知見をいただきました。この旅行では島根の方とも知り合えたのが、旅人同士の縁の嬉しさを感じた人時でした。一人でも鹿嶋に車中泊で向かい、鹿嶋神宮やアントラーズ、塚原卜伝関連の地を訪れ、旅を満喫しました。皆様ありがとうございました。

§ 今年の駅鉄 目次 趣味の駅巡りは36駅。昨年の倍以上に行きました。「香櫨園駅(1/1)」「相武台下駅(2/18)」「芦原町駅(3/3)」「木津川駅(3/3)」「辺川駅(3/4)」「海部駅(3/4)」「宍喰駅(3/4)」「甲浦駅(3/4)」「公津の杜駅(3/20)」「県庁前駅(3/28)」「中川駅(4/10)」「沼久保駅(5/20)」「甲斐常葉駅(5/20)」「身延駅(5/20)」「大佐倉駅(5/24)」「荏原町駅(6/27)」「鬼子母神前停留場(7/13)」「鉾田駅(7/15)」「北浦湖畔駅(7/15)」「鹿島灘駅(7/15)」「鹿島大野駅(7/15)」「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅(7/15)」「荒野台駅(7/15)」「鹿嶋サッカースタジアム駅(7/15)」「延方駅(7/15)」「宮村駅(8/6)」「天橋立駅(8/6)」「ときわ台駅(9/6)」「土合駅(9/16)」「河口湖駅(9/24)」「久里浜駅(10/5)」「津久田駅(10/21)」「後閑駅(10/21)」「基隆駅(10/28)」「新松田駅(12/18)」「かみのやま温泉駅(12/27)」。それぞれに周囲の光景と共に興味深い駅たちでした。ただ、これらの駅で撮った写真をまとめてブログにアップするにはまだ時間がかかりそうです。

§ 今年の酒楽 目次 今年は私の酒履歴に欠かせない一年となりました。
まずは日本酒。今年は日本酒の魅力の深さを知った一年です。それは六月に尾瀬を一緒に旅した小宮さんとのご縁からつながりました。小宮さんのお陰で日本酒の奥深い世界を教えていただきました。「まさるや2018仲秋 日本酒呑んでる会in町田(9月)」「Tokyo Rice Wine 日本酒の会(9月)」「酒家 盃爛処(10月)」「かもすや酒店(10月)新政呑みくらべ」「中澤酒造株式会社(12月)」。感謝です。あとパートナー企業の社長様が日本酒に詳しく、今年は5回ほどご一緒に盃を傾けました。私がちょくちょく日本酒を買って帰るものだから、妻が年末の山形旅行でお酒を買ってくれました。なかなかの美酒のようで楽しみです。今年訪れた酒蔵は二カ所。「富士高砂酒造(5/20)」「中澤酒造(12/18)」。来年もほうぼうを訪れる予感がします。
続いてウイスキー。妻がウイスキー好きになってくれたので、今年は二人+αでいくつかお店を巡りました。「Tokyo Whisky Library(2月)」「ニッカ ブレンダーズ バー(10月)」「スコットランド写真展(10月)」。真ん中のは別のご夫婦とも一緒に伺い、交流を深めました。最後のは娘が来年からお世話になる学校の校長先生が開いた写真展。ここではHighland Parkが40年も含めた3種類、樽でご用意されており、ウイスキー好きには楽園。相当飲みました。また、今年はWhisky Festival in Tokyoに初参戦したことも書かせません。3人で訪れたのですが、何種類呑んだのか覚えていないくらい美酒を飲みまくりました。至福の時でした。Whiskyについては「Bar Harbour Inn(3月)」も欠かせません。ここで飲ませてもらった11年もののBowmoreの美味さ!私にとってこのお店はずっと通う店であり続けるでしょう。また何人かで訪れたお店として「Bar 羽月(4月)」で飲んだ燻酒の美味さはその前の花見でMiltonduffを相当呑んだ後ですが印象に残っています。「Corn Valley澁谷店(5月)」もそう。魂友とふらっと訪れた「草月(9月)」もまた訪れたいバーです。また、一人で訪れた六本木ヒルズアリーナのGlenMorangeイベント(11月)はオレンジに統一された色調や味と共に今でも思い出すとほろ酔いできます。「籠屋(秋元酒店)(2月)」で飲んだイチローズモルトの秩父のIPAカスクには衝撃を受けました。今年訪れた蒸留所は「白州蒸留所(7/29)」。来年こそはクラフトウイスキーや宮城峡を訪れたいものです。できればKAVALANも。
続いて焼酎。沖縄旅行の時に妻と訪れた「ぱいかじ 国際通り店(3月)」では、泡盛を心置きなく飲めました。泡盛はまだまだ深く、極めたいと思っています。魂友と訪れた「玉ちゃん亭(5月)」でも泡盛をたくさんいただきました。池袋の「くさやばー(10月)」で飲んだ情ヶ嶋は麦と芋ともに衝撃の味わいでした。青酎も。情ヶ島の麦はその後ボトルで購入したぐらい惚れ込みました。
続いてビール。今年も各地のクラフトビールを呑み歩きました。CarftBeerを扱うお店が増えてきたのでうれしい限りです。ビールについてはほとんどが一人のみ。私にとっては短時間でさっと飲むときに重宝する酒になりました。
続いてハイボール。これは「極鶏Bar下北沢(8月)(12月)」以外ありません。12月に訪れた際は絶品のイノシシ鍋をつつかせてもらいました。これがハイボールによく合っていて完璧でした。
続いてワイン。今年は「ワイン&グルメ ジャパン2018(4月)」につきます。四名で会場を巡りました。去年からワインのおいしさにも目覚めており、ここで飲んだワインが絶品でした。日本のワインもすごいのです。また、先にも書いた「 Tokyo Rice Wine 日本酒の会(9月) 」では日本酒酵母で醸したワインをいただきました。さらに一人のみですが「富士の国 やまなし館」でも山梨産のワインに喉を潤しました。
最後にカクテル。私がカクテルをBarで頼むことはほとんどないのですが、どれも妻と訪れたバーで飲みました。「Stella Lounge(1月)」「カメリア(9月)」。後者は東京駅内にあるバーで、旅情を思わせるカクテルが印象的です。あと、忘れてはいけないのが「アジアンフード バー バグース(4月)」で飲んだパクチーモヒートです。4名で訪れてパクチーを食べまくりましたが、モヒートも美味しかった。
今年もほうぼうに商談に赴いたこともあって、毎月の独りのみは出来たと思っています。「籠屋(秋元酒店)(2月・狛江)」「BrewDog Roppongi(4月・六本木)」「富士の国 やまなし館(4月・日本橋)」「Craft Beer Moon Light 本店(5月・川崎登戸)」「地ビール厨房 COPA 町田店(6月・町田)」「イングリッシュパブ トラファルガー(7月・町田)」「京橋エドグラン(8月・東京京橋)」「Hop-Scotch Craft Beer & Whiskey(9月・飯田橋)」「世界のビール博物館(10月・押上)」「六本木ヒルズアリーナ(11月・六本木)」「Classy’s Bar(12月・川崎)」。
結局呑みの回数は年間で70回でした。大体5日に1度。呑みは週一度に抑えたいと思っていたので結果的に実現できて良かったです。

§ 今年のその他活動 目次 人生も半分を過ぎ、まだ焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えは見えません。
・一昨年に二枚、昨年に五枚ゲットしたマンホールカードの収集。今年は九枚入手しました。兵庫県西宮市(3/2)、大阪府大阪市(3/5)、神奈川県川崎市(4/20)、群馬県藤岡市(4/29)、茨城県鹿嶋市(7/15)、東京都立川市(9/12)、群馬県沼田市(9/16)、東京都昭島市(10/11)、山形県上山市(12/27)。来年も折を見て各地でゲットしようと思っています。
・ダムカードも一枚いただきました。城山ダム(9/23)です。
・風景印も三つ。「天橋立駅前郵便局(8/6)」「上山十日町郵便局(12/27)」「上山旭町郵便局(12/28)」。
・灯台も二カ所回っています。「伊計島灯台(3/28)」「鹿嶋灯台(7/15)」。来年は灯台巡りもしたいと思っています。
・旅先で訪れた資料館・博物館・美術館では勉強しました。「根津美術館(2/11)」「大阪人権博物館(リバティおおさか)(3/3)」「尾崎咢堂記念館(5/6)」「NTTドコモ歴史展示スクエア(7/26)」「甲子園歴史館(8/5)」「野球殿堂博物館(8/21)」「三島由紀夫文学館(9/24)」「徳富蘇峰記念館(9/24)」「世田谷文学館(10/16)」「旧前田家本邸(11/2)」「幕末維新ミュージアム霊山歴史館(12/30)」。
・城もあちこち訪れました。「勝連城跡(3/28)」「枡形城(5/5)」「大手門(5/11)」「本佐倉城跡(5/24)」「鹿島城山公園(7/15)」「山中城跡(8/19)」「祢津城山(8/25)」「砥石城跡(8/25)」「桝形城跡(8/25)」「米山城跡(8/25)」「沼田城(9/16)」「伏馬田城趾(9/23)」「鶴ヶ城(10/9)」「長井坂城跡(10/21)」「名胡桃城址(10/21)」「上山城(12/27)」。こうしたデータは上にも書いたkintone Advent Calendarの中で再集計してみました。
・訪れた神社は以下の通り。「白山姫神社(1/1)」「西宮神社(1/2) 」「毘沙門天堂(2/10) 」「塩川神社(2/18) 」「浪速神社(3/3) 」「相州春日神社(3/22) 」「稲毛神社(4/20) 」「野津田神社(4/22) 」「琴平神社(5/14) 」「富士山本宮浅間大社(5/20) 」「将門口ノ宮神社(5/24) 」「成田山 咤枳尼天堂 (出世稲荷)(6/17) 」「旗岡八幡神社(6/27) 」「雑司ヶ谷 鬼子母神 (鬼子母神堂)(7/13) 」「鹿島神宮(7/14)(7/15) 」「鎌足神社(7/15) 」「江の島弁天(8/11) 」「筑土八幡神社(9/5) 」「板橋天祖神社(9/6) 」「十二坐神社(9/16) 」「東京大神宮(9/19) 」「永井箱根神社(10/21) 」「 鶴ヶ峰神社(11/18) 」「驚神社(11/18) 」「野津田神社(12/9) 」「東郷神社(12/16) 」「京都霊山護國神社(12/30) 」「八坂神社(12/30) 」。今年から神社でお参りする度、口で願いを述べ、「努力します」を三回繰り返しています。ただ漠然と願うだけでは自分の思い描く未来は送れないからです。
・訪れた寺は以下の通り。「神呪寺(1/1)」「成田山 新勝寺(6/17)」「根本寺(7/15)」「東陽寺(7/22)」「安全寺(8/31)」「龍山寺(10/29)」「野津田薬師堂(12/9)」「青蓮院門跡(12/30)」「岡崎別院(12/30)」「法然院(12/30)」。お寺も実は本堂の中に入ると面白い。地元の野津田薬師堂には初めて中に入らせてもらいました。臺灣で訪れた龍山寺も地元に密着した様子がたまりませんでした。また、年末に訪れた京都の諸寺では、深く学ばせてもらいました。
・登った山は四つ。「草戸山(4/8)」「桝形山(5/5)」「祢津城山(8/25)」「七国山(12/9)」どれもが低い山です。砥石城も山ですがそちらのほうが急でした。来年は腰を直して百名山に登りたい。
・名木は二カ所。「鬼子母神の公孫樹(7/13)」「山高神代ザクラ(7/29)」。さくらは日本各地に観に行きたいです。
・名水は二カ所。「神田川(5/20)」「益栄の水(12/28)」。前者は平成の名水百選に選ばれています。こうした場所にも訪れていきたい。
・ビーチは二カ所。「エメラルドビーチ(3/27)」「大泊ビーチ(3/28)」。ともに沖縄で訪れた美しすぎる場所。心が洗われるとはこのことです。
私がまだ訪れていない場所の多さにめまいがします。他の活動もまだまだやりたいことがいっぱいあったのですがとても時間がありませんでした。
それぞれの場所で俳句も読みました。数年前から興が乗るたびに読んでいましたが、振り返ってみると今年も結構な数を詠んでいます。そうした訪問記が私にとって何なのかの考察は、年末に「SNSとはライフログツール」として表しました。
ライフログについては上記ブログにも書きましたが、年初から6月ごろまで盛んにGoogle Mapでロケーション情報や口コミを投稿していました。それが評価されたのかランクが次々とあがり、10月にサンフランシスコで行われる世界規模のGoogle Mapイベントに招待されました。英語の動画PRができずに断念したのが心残りです。英語も勉強しなければ。

あらためて「公」「私」を振り返ってみました。今年は冒頭に書いた通り、満足度は高いです。良い一年だったと思います。あとはムラを生じさせる原因を来年どう防いでいくかですね。特にムラ、が重要になりそうです。後1日、今年を無事に締めくくり、来年へと繋げようと思います。


眼ある花々/開口一番


洋酒文化と純文学。私がそれらに興味を持ったのは20代前半の頃だ。酒文化の方が少し早い時期だったと覚えている。今もなお、その二つは私にとって人生を生きる原動力となっている。その二つの文化を代表する作家として、著者の名前を外すわけにはいかない。

その二つの文化を体現していた著者は、当時、苦悩の淵に沈んでいた私に光を照らしてくれた。それ以来、著者のことは常に意識していた。著者は壽屋(現サントリー)の広報部に属し、キャッチコピーやその他の文章で健筆を振るっていたことで知られる 。なので、洋酒文化に興味を持った私は、著者の文章に相当多くの知識を授けられて来た。サントリーの広報誌「洋酒天国」の総集編の書籍は、わざわざ古本屋の通信販売で取り寄せた。

だが、読むべき作家とは知りながら、著者の作品は思うように読めなかった。私が著者の作品を読まなければと思ったのは、ある日茅ケ崎市の開高健資料館の存在を知ってからだ。なぜそのことを知ったのか。そのきっかけは、茅ケ崎でジーンズショップを開くKさんとのご縁だ。何度かKさんのお店に遊びに行くうちに、茅ヶ崎市には開高健資料館がある事を知った。いずれ行こうと思っていたが、それから数年の月日が過ぎてしまった。私がようやく訪れることができたのは、本書を読む少し前のこと。

訪れた記念館で私が受けた開高健の印象。それは行動する作家ということ。ベトナム戦争に従軍し、世界各国の魚を釣らんと訪ね巡る。その行動は、書斎にこもる作家のイメージとは対極にある。そのような著者のライフスタイルは、私の求める理想にかなり近い。それを知り、著者が残した作品を片っ端から読みたいと思った。そのはじめの一冊が本書だ。

本書はかつて刊行された二冊のエッセイ集から成っている。二冊を一冊に編みなおし、文庫化したのが本書だ。わあ最初の「眼ある花々」は旅の作家にふさわしく、世界の旅先で著者の目に焼き付いた花々についてのエッセイを集めている。

メコン川の豊穣な流れと、肥沃な大地にあるベトナム。凄惨で救いのない戦闘がすぐ近くで行われていながら、花の都の呼び名にふさわしく、多種多様な花が売られている街並みに、人の、自然の営みのたくましさを思う。「君よ知るや、南の国」

パリの街角にさりげなく活けられている花の取り澄ました感じを眺め、そこから都市論に話を伸ばしてゆく。芸術家たちが愛した街の都市の景観と、初のオリンピックを前に切りはりの発展を遂げようとする東京を比較する。「一鉢の庭、一滴の血」

鬱に沈んでいた著者がアラスカの大地でサケと出会い、生命の奔放さに活力を取り戻す。釣りやサケの魅力に内容がほぼ費やされるが、最後に、アラスカの国花がワスレナグサであり、その慎ましやかな花が雄大な大地を象徴することに自然のバランスを感じる。「指紋のない国」

ジャスミン茶が茶碗に浮いている様子から、花茶の数々を並べ立て、ウンチクを傾ける著者。やがて著者の初めての海外旅行で味わった中国での思い出話と、その後の文化大革命が著者の想い出を汚したことに感傷を挟む。「茶碗のなかの花」

ついでに著者は北海道に目を向ける。スズラン、そしてハマナス。実は北海道が花にあふれた北の国であることに気づかされる。原生花園。原野。著者の第一の関心事は魚にあるのかもしれないが、花の描写が楽しげで旅情を刺激される。北海道を描いた旅のエッセイとして覚えておきたい。「寒い国の花」

また別の日に著者はカメラマンとバンコクに飛ぶ。美しい海とそこで獲られる貝。そこに著者は花の美しさを重ねる。饒舌な会話がちりばめられる中、著者の観察は目を飽きさせないほど生息する色とりどりの動植物を味わい尽くす。その豊かさこそが人生の味わいとでも言うかのごとく。「南の海の種子」

続いてはギリシャだ。白い家々に多彩な花弁が咲き誇る様は、さぞや見応えがあるだろう。著者はギリシャの豊穣な神話や戦争で明け暮れた歴史にギリシャの雑多さをみる。著者の想像力は、ギリシャに咲き誇る百花斉放の花の一つ一つがギリシャを主張しているかのように表現する。それが。あゝと叫ぶ。「 ああ!・・ 」

著者は続いてソバの花を語る。あの白くて小さいやつだ。ソバの花の可憐でひっそりとしたすがたに著者は価値を見いだす。痩せた大地でも花を咲かし実をならせる生命力に著者の称賛はやまない。そして痩せた大地の恵みに妙味を発見した人類のたくましさを著者は褒めそやす。「ソバの花」

同じ白い花でも、著者が続いて取り上げる塩の花、つまり死海に咲く塩の華は、投げ込んだ枯れ枝に群がった塩が、ひっしとしがみついて花を咲かせる。それは著者に自然の摂理の美しさと人類には決して味わい尽くせない妙味を教えてくれる。「死の海、塩の華」

著者の旅はバリ島へと至る。バリ島といえば人々の集う地。そこで著者の思索は人種の差とは何かにたどり着く。人間、どこに生まれようと営みは一緒。それを思い出させるようなエッセイだ。分析のような論理展開がなく、ダラダラとつながっているだけのような文の行間から、著者の考えを立ち上らせるあたり、見事。「バリ島の夜の花」

かと思えば、著者は越前岬の荒々しい自然にたたずむ旅の宿で、冬の水仙を堪能している。越前岬はかつて福井の母の実家まで自転車で走破した際に通り過ぎたことがある。人のおらぬ地で旅情に浸る。これもまた、著者の流儀だ。本書を読んでいると、つくづく思わせてくれる。旅人が備えるべき観察眼とはかくありたいものだ、と。「寒い国の美少年」

最後を締めてくれるのは、アンコールワットやノイシュヴァンシュタイン城のような城が歴史を超えて咲き誇っている様をバラに見立てた著者の着眼だ。城がその精妙で複雑な造形で数百年後にも残り続けているように、バラもその飽きさせない姿で私たちの目を数千年のちまで楽しませてくれるはず、と。「不思議な花」

花々のイメージを豊かに世の事物とつなげ合わせ、語る手法。それは私にエッセイの妙とその味わい方を教えてくれた。

本書の後半六割は「開口一番」が収められている。「開口一番」はかつて出版されたエッセイ集の再録だ。こちらはテーマを絞っていない。さまざまに話題が展開される。釣り、魚、パイプ、スキー、セキフェなどのゲテモノ料理、銘酒の数々。著者の博学はとどまるところを知らない。

そうかと思えば、三浦朱門氏が唱えた結婚反対論に挑戦し、「早婚絶対幸福論」と題して硬軟を織り交ぜた議論を展開する。 「結婚は人生の墓場である」とのたまう三浦朱門氏の論に対し、慇懃かつズバリとその矛盾をつき、たしなめるのだ。曽野綾子氏を伴侶に持つ三浦朱門氏の言葉は、曽野綾子氏への侮辱ですよ、といわんばかりに。まあ、著者の唱える結婚も、希望も何もないサバサバとしたものだが。

そして著者の筆は美女の定義を求めてさまよう。各国の中でルーマニアが一番美女ぞろいであったという著者の感想を皮切りに、本書は急速に品を落として行く。ルーマニアで翻訳を頼んだ女性に日本語の一、二、三(ひー、ふー、みー)と話すと、その二番目がルーマニア語で女性器を表していたため、彼女を恥じらわせてしまった話。中国語のウォーアイニーも発音によっては我愛泥になってしまう話題とか。

続いて著者が語るのは銀座だ。著者の庭のような場所なので話は尽きない。次から次へと店や名物、名酒が登場し、客の酔態が暴かれる。話題は銀座から麻布や六本木へと移動しつつ、著者のウンチクは都内の繁華街を縦横に取り上げてゆく。その行く先はゲイの発展場。著者の話題に果てはない。

次いではスリだ。東京のスリは世界一の腕前だとか。警視庁の警部に取材した会話を交えつつ、その中で披歴されるスリの手口や生態。それらをつらつらと俎上に乗せ、批評する。読んでいるこちらまでスリの専門知識を蓄えてしまう。著者の語り口にはただ酔わされるばかりだ。

そしてついに著者はわいせつを語り始める。編集者たちを集めてブルーフィルムの鑑賞会を開帳した話。そこであからさまに映し出される性器の形をあれこれ品評する話から、諸外国での大人のオモチャ屋さんやエログロメディアの今を語ってゆく。何でも規制が緩むことは、表現者にとっては必ずしも恵まれてはいない、と釘をさしつつ。

このような話題の乱雑さと広大な論理の展開。これこそ私がそうありたいと望む生き方なのだ。引き出しが多いとはまさにこのこと。著者の生き方に一つの目標を見いだしている私にとって、著者の高みは遥か先にある。

飽きを知らない豊富な話題を語りつつ、その中に人生の叡智を紛れ込ませる技。その技はあとがきで女優・演出家の野崎美子氏が語る通り、作家が一瞬見せたナイフの研がれ様。著者の域に達するにはあとどれぐらい旅をすればよいのだろう。

  若きの日に
   旅をせずば、
  老いての日に
   何をか、
    語る?

中国の古典が原典というこちら、開高健記念館で購入した絵葉書に書いてある文句だ。老いて語れるような人間になるためにも、まだまだ旅をせねばなるまい。本書は家族で訪れた東京ディズニーシーで読んでいたが、東京にあるジャングルではなく、ジャングルにあるジャングルで読んでこそ旅の感性は養われるのだから。

‘2017/11/17-2017/11/20


至福の本格焼酎 極楽の泡盛


沖縄旅行から帰って来て、沖縄に関する本を連続して読んでいる。本書は三冊目。歴史、出身者のルーツ、ときて本書。どちらかといえば硬派な本が続く。だが、本書は焼酎と泡盛についての本。少し柔らかい。

今回の沖縄旅行で、車を借りて最初に訪れたのが忠孝酒造だ。今回の旅行では泡盛蔵に絶対行くと決めていた。事前に読んだ旅行ガイドでも忠孝酒造のくぅーすの杜忠孝蔵は紹介されていたし、那覇空港のパンフレットでも紹介されていた。泡盛についての知識がない私は、これといった希望の銘柄もないまま広告に導かれ、くぅーすの杜忠孝蔵を訪れた。

沖縄の旅行記は別の場所でアップし、その中でくぅーすの杜忠孝蔵についての学びや喜びも書いた。
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/18
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/19
なので本稿では深くは触れない。とにかく、泡盛初心者の私がくぅーすの杜忠孝蔵にとても満足したことは書いておきたい。訪問をきっかけにいろんな泡盛を飲み比べたい、それぞれの蔵に訪れたい、と私を泡盛の世界にいっそう興味を持たせたのがくぅーすの杜忠孝蔵だ。ところが、その日の夜、国際通りで泡盛専門店に何店舗か立ち寄ったが、忠孝酒造のラベルを見かける頻度が低い。

東京の酒屋にも泡盛は並んでいる。おなじみの銘柄はもちろんだが、他にも多数も銘柄が並んでいる。そんな中、忠孝酒造の瓶を見かけることが少なかった。これはどういうことだろう、と常々疑問に思っていた。

そんな疑問を持ちつつ本書を読み始めた。焼酎・泡盛を取り上げる本書は、泡盛よりもむしろ焼酎に力を入れている。でも、焼酎と泡盛は同じ九州・沖縄の酒文化の仲間。だから本書は泡盛と焼酎を同時に知る上で最適だ。最初の章では、「至福の焼酎、極楽の泡盛を造る匠たちーその情熱と誇り」と題し、著者が選んだ蔵が9つ取り上げられる。芋焼酎の村尾酒造、西酒造、高良酒造、万膳酒造、佐藤酒造。球磨焼酎の豊永酒造。黒糖焼酎の朝日酒造。麦焼酎の黒木酒造。最後に文庫化にあたって泡盛の宮里酒造所が加えられている。

私は昔から酒造りに関する文化にとても惹かれている。それがなぜかはわからない。多分、酒造りの中では時間がゆっくり進むからではないか。酒造りがビジネスに比べてあくせくしていない事は、商談や納期に追われる日々を送っていると、折に触れ強く感じる。酒造りの現場に流れる時間には、全てにおいてゆとりがある。すべてを微生物の力に頼っている以上、人間には介入できない領域がある。なまじの知恵ではどうしようもなく、人間がいくらあくせくしても進む時間に変わりはないのだ。化学の技術を駆使して製品ができるまでの時間を短縮したとしても、それは短縮したなりの味でしかない。微生物に任せ、じっくりと時間をかけた製品が技術に負けることは決してない。酒造りに流れる時間のゆとりはビジネスを営む者が真っ先に切り捨てる部分だ。だからこそ私は酒造りに惹かれるのかもしれない。ぜいたくな時間の積み重ねを愛でつつ、香りと味を味わう。酒飲みの特権だ。

もともと、酒類業界には零細業者が多い。泡盛や焼酎のような大量生産に向かない酒を主に扱う限りどうしても零細になる。そのため経営者の個性が蔵に行き渡り、醸造元の社風に現れる。だから経営者にも味のある人が多い。実直な酒。奇をてらった酒。安心できる酒。経営者の個性を感じつつ呑むのも酒呑みの楽しみの一つだ。経営の苦労話。個性ある酒造りの哲学。世界に評価されつつある焼酎・泡盛文化には、面白い取り組みが多数生まれつつある。文化を育成する担い手による酒への愛。絶えず酒を考える想い。それらが、たくさん詰まっているのが本書だ。本書がうれしいのは、いまほど焼酎・泡盛がメジャーになっていなかった時期に取材していることだ。だから本書はブームとは無縁。そこには媚もおもねりもない。

本書にはブームの前から焼酎・泡盛を愛するお店の声を取り上げる章がある。鹿児島が二店舗、東京が八店舗。若干、東京に集中しすぎのような気もする。大阪や名古屋などのお店も登場させて欲しいところだ。本書のために惜しまれる。だが、うれしいこともある。それは、東京で取り上げられたうちの一店が、我が家からほど近い鶴川の酒舗まさる屋さんであることだ。町田の酒屋を三つ挙げろと言われれば、必ず出てくるお店の一つだ。私がしょっちゅう伺っているのは同じ町田にある蔵家さんだが、まさる屋さんにもよくお世話になる。まさる屋さんが載っているだけで私にとっての本書の株はグンと上がる。

本書に登場する人々の語る内容はブームの訪れる前に語られたもの。だからこそ焼酎・泡盛への愛にあふれている。私も本書に登場するようなお店に伺い、カウンター越しに焼酎・泡盛をさかなに談義を交わしてみたいと思う。私は普段、各地のBARをよく訪問する。そして一方では、本書に登場するこういうこぢんまりした店にも惹かれる。焼酎や泡盛を楽しめるお店に行く機会をもっと増やさなければなるまい。泡盛や焼酎で暖かく人との交流を深めたい。そして、このような焼酎・泡盛を愛する店がもっと増えればいいと思う。本書の取材時期に比べると、今は街中でも随分と焼酎や泡盛への認知度も上がってきた。すてきなお店は他にもあるはずだ。だからこそ、本書に登場する店から行ってみたいと思う。

本書の巻末には、焼酎・泡盛のカタログとして酒造がずらりと紹介されている。だが、そこにも忠孝酒造の名前が載っていない。それが気になった。くぅーすの杜忠孝蔵では、マンゴー酵母から作った泡盛(お土産に購入して帰った)のほか、何銘柄かの泡盛やお酢の試飲ができる。展示も東京農業大学で修行して博士号をとった方の紹介があり、自社で甕を作る取り組み(実際に見せていただいた)など、かなり真摯で精力的に泡盛作りに取り組んでいる印象を受けた。一方、積極的に見学ツアーの広告をうち、営業努力を重ねているようだ。忠孝酒造のように広告が前面に出ると、玄人には評価が高くないのだろうか。それとも忠孝酒造はメディアの取材は受けない主義なのだろうか。戦後から酒造りをしているはずだから、本書の取材時期には活動していたはず。忠孝酒造とは果たしてどういう位置付けの蔵なのだろうか。沖縄最古の木造貯蔵庫もあり、もっと評価されて良いと思うのだが。とても気になった。

私としてはうまい泡盛・焼酎が飲めれば何も言うことがない。本書のような焼酎・泡盛文化の発信を通し、ジャパニーズ・ウイスキーのように、日本発の酒文化が世界に受け入れられることを望みたい。焼酎・泡盛文化を盛り立ててくださっている皆様に乾杯!

‘2017/07/15-2017/07/16


プレミアムテキーラ


私の家にはちょっとしたミニバーを設えている。

並んでいるボトルはほとんどがウイスキーだ。だが、ウイスキー以外にもリキュール、ラム、ジン、焼酎(米・芋・麦・黒糖)、ウォッカ、ブランデー、アクアビット、ピンガ、アラックなどをそろえている。かつてはカルヴァドスやミードも棚に並んでいた。

だが、一度も並んだことのない蒸留酒があった。それがテキーラ。どうも苦手意識を持っていたのだ。その状態が改まったのは2年ほど前。仕事で西荻窪に数度訪れる機会があり、「Bar Frida」さんに伺った。テキーラ専門のバーという珍しさにふらっと寄らせていただき、テキーラの量に圧倒された。私がそれまで知っていたテキーラのブランドと言えば、SAUZAやJose Quervoくらい。だが「Bar Frida」さんのバックバーには私の知らないテキーラがずらりと並んでいた。メニューにも詳細に各銘柄の味や特徴が記されており、私のような初心者にも頼みやすかった。

その時はバーテンダーさんが常連さんとの会話に入ってしまい、あまり喋る事ができなかった。私もあまり長居しなかったのでどういった銘柄を頼んだのかは覚えていない。だが、テキーラがバラエティにあふれ、おいしい事だけは私の知識として刻み付けられた。それは同時に、私の長年のテキーラへの苦手意識を払拭してくれた。ただそれ以来、いくつものBarに訪れているが、どうしてもウイスキーに目が行き、頼んでしまう。そしてテキーラを飲む機会はなかなか訪れなかった。

そんなところに図書館で本書を見つけた。装丁には気合が入っている。中身もほぼカラー。意気込みが感じられる。著者はメキシカンの方。長年日本で仕事をし、今はテキーラを日本に紹介・輸入する仕事をしているそうだ。

私は本書で初めてテキーラを体系的に知った。多分、私のような方は多いのではないか。テキーラについてはあまり知らないという方が。そんな方のために、本書は冒頭からテキーラに関する誤解を解きにかかる。例えば。テキーラはサボテンでできている。テキーラには虫が入っている。テキーラは強い酒で二日酔いする、などなど。

実は私も誤解していた。テキーラの原料がリュウゼツランであることは知っていたが、なんとなくそれはサボテンの一種だと思っていた。でも全く違う種だ。テキーラに虫がはいっていることもそう。一部のテキーラには虫が入っていると思っていたが、正確には「一部のメスカルには虫を衛生的に処理して入れている」が正しい。メスカルはリュウゼツランを使ったメキシコの蒸留酒だが、特定産地で育った特定種のリュウゼツランをテキーラ村周辺で蒸留したメスカルがテキーラと呼ばれるのだ。そして虫を入れたテキーラはない。虫を入れたメスカルはあるが。そしてテキーラはメキシコ政府や業界団体によって品質管理や統制をきっちり行っており、メスカルとテキーラには一線が引かれている。また強い酒で二日酔いするとは、幻覚症状が出るとの誤解もあったようだ。実際は他の蒸留酒と同じぐらいの度数。他の蒸留酒では二日酔いしてもテキーラは平気な方がいるらしい。もっともそれは体質にもよるのだろうが。

本書は製法や産地、特徴など網羅してテキーラを紹介している。特定種のリュウゼツランであるブルーアガベと水のみを使った製品がプレミアムテキーラと呼ばれるとか。ラムのようにさとうきびの糖蜜を原料に混ぜることもあり、そちらはミクストテキーラと呼ぶようだ。そして本書はプレミアムテキーラを特に紹介している。写真と解説付きで図版で紹介しているが、読んでいるだけで楽しくなる。ウイスキーやラムにも同様にカラーを駆使した図説をちりばめた図鑑のような本がある。本書もそれらの本と同じように精細に楽しくテキーラを紹介している。それらの図面はとてもおいしそうで、読みながら飲みたくてたまらなくなったほどだ。他にもカクテルレシピやテキーラに合う料理など、全てがカラー図版で占められている。とてもぜいたくな一冊だと思う。

本書は全ての蒸溜酒愛好者にオススメの一冊だ。私はこれを読んだ後、テキーラを衝動的に飲みたくてたまらなくなり、スーパーの酒売り場に足を運んでしまった程だ。そこにプレミアムテキーラが見つからなかったので、翌日には酒の専門店に行きLUNAZULのレポサドを購入してしまった。LUNAZULは我が家のミニバーに収まった初めてのテキーラ。それぐらい本書に載っているテキーラはおいしそうなのだ。

さらに本稿をアップする数カ月前、たまたま見ていたテレビの「クレイジージャーニー」で日本人で唯一、本場のテキーラ蒸留所でテキレロ(テキーラ職人)として働いている景田哲夫氏のことを知った。カスカウィン蒸留所で働く氏の、フロンティア精神に溢れた旅を見ていると、またまたテキーラに惹かれてしまったのだ。LUNAZULもそろそろ空きそうなので、次はカスカウィンを購入したいと思っている。

‘2017/04/20-2017/04/20


竹鶴政孝とウイスキー


ジャパニーズウイスキーが国際的に評価されている。

最近はジャパニーズウイスキーの銘柄が国際的なウイスキーの賞を受賞することも珍しくなくなってきた。素晴らしい事である。ウイスキー造りには勤勉さと丁寧さ、加えて繊細さが求められる。風土、環境以外にも人の要因も重要なのだ。日本にはそれら資質が備わっている。近年になってジャパニーズウイスキーが賞賛されている理由の一つに違いない。

今のジャパニーズウイスキーの栄光は、全てが本書の主人公である竹鶴政孝氏の渡英から始まった。まだ日本に洋酒文化が根付かず、ウイスキーの何たるかを日本人の誰も知らぬ時代。そんな時代に竹鶴氏は単身スコットランドで学ぶ機会を得た。そして、そこで得た知見を存分に発揮し、日本にウイスキー文化の種を蒔いた。山崎、余市、宮城峡。どれもがジャパニーズウイスキーを語る上で欠かせない蒸留所だ。竹鶴氏はこれら蒸留所の設計に欠かせない人物であった。

それらの蒸留所を設計するにあたり、竹鶴氏が参考としたのは自らがスコットランドで実習した成果をノートにまとめたものだ。通称竹鶴ノート。

この竹鶴ノート、実は私は見かけたことがある。見かけただけでなく、手にとってページを繰ったことさえある。本書でも触れられているが、以前六本木ヒルズで竹鶴ミュージアムというイベントがあった。そこでは竹鶴ノートの現物が展示ケースに収められていた。私ももちろんじっくりと拝見した。さらに後日、麹町のbar little linkさんでは、関係者に限り複製頒布されたノートを見、それだけだけでなくページまで繰らせて頂いた。

竹鶴ノートの細かな描写からは、求道者の熱意が百年の時を超えて感じられる。日本に本場のスコッチウイスキーを。考えてみれば凄いことだ。あれだけの原材料をつかい、あれだけの時間をかけて熟成される製品を、ノートと記憶だけを頼りに地球の裏側にある日本で再現するわけだから。ITの恩恵に頼り切った現代人にはとてもできない芸当だ。

そんな求道者の風格を備えた東洋人に、リタ夫人が惹かれたのも分かる気がする。当時、どこにあるかも良く知らない東洋の国日本。スコットランドの女性が国際結婚で向かうには人生を賭けねばならない。そんな決断を下し、日本に来た竹鶴夫妻の日々は、想像以上にドラマチックだったことと思う。それが今「マッサン」としてNHKで朝の連続ドラマとなる。素晴らしいことだ。店頭から竹鶴や余市、宮城峡といった年数表示のモルトウイスキーが姿を消すぐらいに。「マッサン」は日本人にもわが国にこれほどのドラマと、これほどの魂のこめられた製品があったことを知らしめたと思う。

本書が「マッサン」を機に企画された事は否めない。だからといって、本書は単なるブーム便乗本と判断するのは早計だ。そうでない事は本書を読めば一目瞭然。なぜならば、「マッサン」のウイスキー考証は、我が国ウイスキー評論の第一人者である著者が担当したからだ。そして本書は考証の成果の一環として書かれた事は明らかだ。本書はいわば「マッサン」の副産物として世に出たといえるだろう。だが副産物とはいいながら本書は「マッサン」の絞りかすどころか、さらに深い内容を含んでいる。

本書の構成は三部からなっている。第一部は、マッサンとリタの歩みを概括している。それも単なる「マッサン」の粗筋ではない。日本の洋酒業界事情もそうだが、竹鶴氏の生い立ちから筆を起こしている。竹鶴氏が広島の竹原で今も日本酒醸造を営んでいる竹鶴家の一族である事はよく知られている。本書はその辺りの事情からなぜ摂津酒造に入社したのかと言う事情にも触れている。さらには摂津酒造の社長阿部氏が政孝青年をスコットランドにウイスキー留学させようとした経緯までも。もちろんスコットランドでの竹鶴夫妻の馴れ初めや修行の様子、日本に帰ってからの壽屋入社と大日本果汁の設立といった足取りもきちんと押さえている。

続いての第二部は本書の肝だ。竹鶴ノートが著者の注釈付きで全文掲載されているから。日本にウイスキーをもたらした原典。それはすなわち当時の本場ウイスキー製造の様子を伝える一級資料でもある。そして竹鶴ノートはウイスキー製造の時代的な変遷を追う上で優れているだけではない。今はなき蒸留所の製造事情を伝えていることも貴重なのだ。竹鶴氏が実習したヘーゼルバーン蒸溜所は今はもうない。ヘーゼルバーンがあったキャンベルタウン地区も、当時はスコッチ先進地域だったにもかかわらず衰退してしまった。今でこそスコットランド各地で蒸溜所が次々と復活・新設され、シングルモルトブームに湧いているが、それでもなお、キャンベルタウンには復活した一つを加えても三つしか蒸溜所がない。竹鶴氏が留学した当時はキャンベルタウンにある蒸留所の数は二十をくだらなかったというのに。その意味でも竹鶴ノートは貴重な資料なのだ。

竹鶴ノートの内容もまた凄い。書かれているのは精麦から発酵、蒸留、そして貯蔵・製樽といったウイスキー製造工程だけにとどまらない。従業員の福利や勤務体制など、当時の日本からみて先進的な西洋の制度まで書かれている。一技術者に過ぎなかった竹鶴氏がウイスキー作りの全てを吸収しようとした意欲と情熱のほどが伺える。著者が今の視点から注釈を入れているが、竹鶴ノートの記述に明らかな誤りがあまりないことも重要だ。それは竹鶴氏が本場のウイスキー作りを真剣に学んだために相違ない。後年、イギリスのヒューム副首相が来日した際に語った「スコットランドで四十年前、一人の頭の良い青年が、一本の万年筆とノートでわが国の宝であるウイスキー造りの秘密を盗んでいった」という言葉は、竹鶴ノートの重要性を的確に表している。それももっともとだと思えるほど、竹鶴ノートは正確かつ実務的に書かれている。学ぶとは、竹鶴氏がスコットランドで過ごした日々を指すのでは、とまで思う。決して頭の中の理論だけで組み立てた成果ではないことを、後世のわれわれは教訓としなければならない。(もっとも山崎蒸溜所建設の際、蒸留釜と火の距離を調べ直すために竹鶴氏はスコットランドを再訪したらしい)

第三部では著者が竹鶴威氏にインタビューした内容で構成されている。竹鶴威氏は政孝氏の甥であり、実子に恵まれなかった竹鶴氏とリタ夫人の養子として迎えられた人物だ。竹鶴氏とリタ夫人をよく知る人物として、本書に欠かせない方である。それだけではなくニッカウヰスキーの後継者として夫妻の期待以上の功績を残した方でもある。マスターブレンダーとしてもニッカウヰスキーに世界的な賞をもたらしている。竹鶴威氏へのインタビューは、竹鶴家の歴史や広島原爆や東京大空襲の遭遇、政孝氏やリタ夫人との思い出、ニッカ製品の変遷など幅広い話題に飛びながらも面白い。

著者はおそらく「マッサン」の考証にあたっては竹鶴ノートは熟読したことだろう。竹鶴氏の洋行やニッカウヰスキーの歩みをとらえ直したことだろう。そして竹鶴威氏とのインタビューによって竹鶴氏の生涯にほれ込んだのではないか。そしてそれは私も同じ。

私が幼稚園まで住んでいた家は、ニッカウヰスキー西宮工場のすぐ近くだった。なので私の脳裏には”ニッカウイスキー”ではなく”ニッカウヰスキー”の文字が染み付いている。後年、22、3歳の頃からウイスキー文化に魅了された私が、神戸の高速長田駅の古本屋で非売品の竹鶴氏の自伝を見つけた時も不思議なご縁を感じた。余市蒸留所には二度ほど訪れている。また、本書が発売されて一年後、私は著者と言葉を交わし、ツーショット写真も一緒に写って頂いた。そんな訳で、本書はとても思い入れのある一冊なのだ。

‘2016/05/01-2016/05/03


ウイスキーは日本の酒である


山崎蒸留所を独り訪問したのは、平成27年4月末のこと。高校時代の友人たちとの再会を前にし、僅かな合間を縫っての見学だったが、貴重な時間を過ごすことができた。

山崎の駅に降り立った私。駅鉄と称して駅のそこらを撮りまくっていた。と、私の視線が窓口で切符購入の順番を待っていた人物を認める。その途端、その人物から目を離せなくなった。その人こそ、本書の著者輿水氏である。

私の眼差しに気付いたのか、氏の視線も私に注がれた。咄嗟に面識もないのに会釈してしまった私。本来ならば、会話の一つも交わしたいところだが、気楽な旅人である私と違い、スーツに身を包んだ氏は明らかに所用でお急ぎの様子。窓口の順番を気忙しく待つ氏に声を掛けるのも憚られ、遂に会話することなく、歩み去る後ろ姿を見送った。もちろん写真などもっての他。

本書は、つかの間の邂逅の後に訪れた山崎蒸留所の売店で、記念に購入した一冊である。

私が著者を見掛けてすぐにご本人と気づいたように、ウイスキー好きで著者を知らぬ者はいない。ここ十年、ジャパニーズウイスキーが世界中で賞賛され、名だたる賞を獲得している。著者はその中にあってサントリーのチーフブレンダーとして世に知られた存在である。雑誌や広告でお顔を見掛けたのも一度や二度では済まない。いわば日本のウイスキー業界の広告搭といっても過言ではないだろう。

本書は著者が満を持して、一般向けにウイスキーの魅力を語り尽くした一冊である。今までの本書の存在は知っていたが、何故か縁がなく未読であった。しかし、今回の偶然の出会いがなくとも、遅かれ早かれ手に取っていたであろうことは確信できる。

内容もまた含蓄に富んでいる。一般向けとはいえ、私のようなウイスキー愛好家にとっても充分楽しめる内容となっている。本書には、ブレンダーとしての著者のバックグラウンドにある経験や哲学が詳しく説明されている。それが本書の内容に深みを与えている。

著者はブレンダーとなる前、ウイスキーの製造現場を広く長く勤めたという。単なるブレンディングだけでなく、熟成やボトリングなど、ウイスキー製造工程の広範囲を経験したことが本書で紹介されている。充実していたであろう著者の職歴から得られた経験が、チーフブレンダーとしての製品造りにどれだけの貢献をもたらしたかは言うまでもない。

本書の中で特に印象に残ったのは、著者の控えめな姿勢である。

サントリーという企業が後ろに控えていると、文中からは自身の属する企業礼賛のような色合いが出てしまいがちだ。しかし本書からはそういった印象を受けない。もちろんサントリーに所属する著者であるから、記されているのはサントリーに関する内容が多い。しかし、ニッカウイスキーやキリンシーグラム、本坊酒造やベンチャーウイスキーといった本邦のウイスキーメーカーとサントリーを比べて優劣を云々する記述は全く見られない。むしろ、それらの同業者に対しては、ともにジャパニーズウイスキーを盛り立てる戦友としての扱いに終始している。今や、ジャパニーズウイスキーは名実ともに世界の五大ウイスキーの一角を占めている。だからといってジャパニーズウイスキーを持ち上げるため、他のスコッチやアイリッシュ、カナディアン、アメリカンを貶めることもない。題名こそ若干自尊心が感じられるものになっているが、内容はあくまで謙虚だ。ジャンルや国を超え、本書にはウイスキーに関わる全ての文化への尊敬と愛情が満ちている。

序章に、本書執筆に当たっての著者の想いが述べられている。曰く、「正直、これまで、ブレンダーたちは、自らの仕事を積極的に語ることをしてこなかったような気がします。そのため、私たちの仕事が、神秘のヴェールに覆われたものと思われているようにも感じます。
しかし、複雑系の酒であるウイスキーは、やはり、作り手側が、分からないところは分からないこととして、どんな酒であるのかを語ってゆくことが必要なのではないか、と思うのです。」と。

この語り口である。控えめであり、かつ、とても上品な口調。それが本書全体を通して「天使の分け前」のようにじみ出ている。「天使の分け前」とは熟成の間に樽の隙間から蒸発してゆくウイスキーの中身のことであり、それが熟成庫の中に何とも言えない香りを充満させる。本書の語り口は、まさに熟成庫に入った時に感じられる馥郁とした香りそのものであり、読み応えや余韻は上質のウイスキーのようである。

本書の一章、二章は、日本のウイスキーの紹介に割かれている。材料や製法、風土など、本場となにが違い、どこに特徴があるのか。山崎・白州の両蒸留所の特色から始まり、ジャパニーズウイスキー独自のミズナラ樽の紹介をはじめとした樽の種類の説明。貯蔵場所や樽を自由に組み合わせ、一つのメーカーだけで様々な原種を産み出すことのできるジャパニーズウイスキーの強み。樽すらも自社製造にこだわる姿勢。世界で評価されるジャパニーズウイスキーの秘密が本章では惜しげもなく明かされる。

第三章では著者の職歴が披瀝される。武蔵小杉の多摩川工場でのボトリングから、中央研究所への抜擢。中央研究所では熟成の研究に没頭し、樽と熟成に関して経験を積む。続いて山崎蒸留所での品質管理、次いで貯蔵部門。そのような現場を経て、ブレンダー室へ異動となる。ここらの下りを読むと、サントリーという会社の人事計画の妙が垣間見えて興味深い。製品化まで長い時期を必要とするウイスキー。そのウイスキーを扱う会社であるがゆえに、人事計画まで周到な時間を見越して立てる社風が確立しているのかもしれない。著者も本書の168ページで、製樽と貯蔵の工程を経験することはウイスキーの現場に必須と述べている。

ブレンダー室でブレンダーとしてのあれこれを一から覚え込んだ著者。その努力によって「膳」の開発を任される。杉樽を使用し、竹炭濾過を採用した膳はヒットし、著者の名声も上がる。「膳」は発売当時、私も親しんだ記憶がある。しかし、続く「座」が不発となる。著者の挫折である。この経験と挫折について、著者は率直に語っている。その姿勢はビジネスだけでなく、人生訓としても深く私の心に刻まれた。

第四章では、「響12年」を産み出した経緯が記される。日本を代表するブレンデッドウイスキーの12年物をという声に応え、著者は味の組み立てを明かす。ブレンデッドウイスキーとしての「響」の味の組み立てを苦心して創り上げた下りは、本書のハイライトである。普段はシングルモルトを好む私だが、この部分を読んでいるだけで無性に「響」が、「響」だけでなく他のブレンデッドウイスキーも含めて呑みたくなった。

第四章では、ブレンディングの手順や取り組みにあたっての姿勢などが惜しげもなく披露される。その中には著者の生活習慣も含まれる。よくブレンダーの素養として、暴飲暴食を避け刺激物の摂取を控えるといった自己管理の重要性が言われる。しかし、本章で紹介されるエピソードからは、それ以上に規則正しい生活習慣もブレンダーに不可欠な素養である事が読み取れる。

わずかな味や臭いの変化を感じとるためには、普段から澄み渡った不動の構えが必要。それは良く分かる。不動の構えであるからこそ周囲の波動の揺らぎを感ずることができるのだろう。私もせめて、バーにいる間はそのようでありたいものだ、と思った。

続けて本書はブレンディングの精髄ともいえるテイスティングの紹介に移る。エステリー、ピーティー、ウッディと言った用語。これらの用語は土屋守氏やマイケル・ジャクソン氏の著作、またはウイスキーマガジンなどにおいて頻繁に登場する。そういった用語が円形にカラーチャートのように並べられるフレーバーホイール。これはテイスティングにおいて必携の書であり、著者の説明もそれに沿って行われる。

ここで著者は、そういった語彙を駆使しつつ、ブレンディングの妙を披露する。しかし、所詮は文字。行き着くところは読者の脳内での理解でしかない。ブレンディングには実践が不可欠であることは云うまでもない。

それに関して著者が面白い意見を語っている。それは、ウイスキーづくりは、音楽よりも絵画を描く行為に近いのでは、というものだ。絵画を描く。それは著者のブレンディング技術の根幹に触れたようでとても興味深い。嗅覚と味覚と視覚。この組み合わせを人工知能が代替する日は来るのだろうか。常々思うのだが、ITやAIがあらゆる職種を侵食する中、最後まで人類が守り抜ける職種とは、ブレンダーや調香師といった五感を駆使する仕事だけではないだろうか。私の個人的な想いとしても、ロボットがブレンディングを行うような光景は見たくないものだ。

第六章では、最近のジャパニーズウイスキーの躍進ぶりが紹介される。ここでも一貫しているのが、先に挙げたとおりウイスキー文化と歴史に対する謙虚な姿勢だ。謙虚な姿勢を象徴するかのように、おわりに、の末文で著者の呟きが引用される。「まだ私はウイスキーというものが分からない」と。

これからのジャパニーズウイスキーも、この謙虚さを忘れずにいて欲しいと思う。効率化の誘惑に負けずにいれば、世界一の名声に相応しいだけの製品を作り続けられるに違いない。私は本書を読んでそう確信した。

そして私もまた、ウイスキー愛好家の一人として、謙虚にウイスキーの魅力に関わって行ければこの上なく嬉しい。そう思っていたところ、某所で行われたウイスキーのイベントで土屋守氏にお会いする機会に恵まれた。また、そのご縁でウイスキー検定にも合格することが出来た。

私も引き続き奢らず謙虚にウイスキーの道を究めてゆけば、いつかは著者と相対する機会を頂けるかもしれない。是非、その際は肉声でウイスキー作りの真髄を伺ってみたいものである。

‘2015/5/7-2015/5/8


酒とつまみの科学 天ぷら・寿司には白ワイン? チーズやキャビアに日本酒が合う?


2014/1/12に家族で上野の国立科学博物館を訪れた際、閉館間近のミュージアムショップで本書の題名を見て購入した。酒飲みの端くれとして、酒のつまみにはこだわってみたいと常々思っていたこともあり。

かつてホテルで配膳の仕事を経験していた。コース料理の配膳を担当する際は、料理とドリンクのサービス順の意識は不可欠である。魚料理の前には白ワイン、肉料理の前には赤ワイン、といったところは無意識に沁みついている。

だが、それが果たしてどの程度裏付けのある話かとなると、途端に怪しくなるのである。他のあらゆる思い込み知識と共に。

本書は多種多様な食材を紹介しつつ、それに合う酒の種類を考察することを主眼としている。食材からの視点と、酒の種類からの二方向で考察しているため、参照するには便利な構成である。例えばウナギと赤ワイン。日本酒からはキャビア、ブランデーからはチョコレートなど。多種多様な組み合わせが紹介されている。

組み合わせについても、味覚に左右されるような曖昧な書き方ではなく、酒の香味成分とつまみの香味成分を掲示し、なぜその酒がこのつまみに合うのかを科学的に記載している。といっても、面倒な化学式が羅列されることはなく、あくまで名称としてである。

本書で紹介されるお酒の紹介が、少し端折りすぎでは?と感じた。どうやら姉妹編として、「うまい酒の科学」があり、酒の薀蓄はそちらで語られているためではないかと想像する。機会があれば合わせて読んでみたいと思う。

もちろん、食生活と酒生活を充実させる手助けとして、本書もたびたび読み返すことになるであろう。

’14/01/12-14/01/14