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アクアビット航海記 vol.13〜航海記 その2


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回からタイトルにそって弊社の航海記を書いていきます。以下の文は2017/11/2にアップした当時の文章そのままです。

大学に入るまで

1996年の3月。私は大学を卒業します。4年制の大学を無事に4年間で。単位も取得し、卒論も提出した上で。その時の私に唯一足りなかったこと。それが4月からの就職先です。

なぜ、そういう事態になったのか。それは本連載の第12回で書いた通りです。私の自業自得。身から出た錆。それ以外の何ものでもありません。私自身に社会に出るだけの準備が整っていなかっただけの話です。モラトリアム(猶予期間)への願望もあったけれど、それは理由にはなりません。誰の責任でもなく、私自身の甘えが招いただけの話です。

では私は大学の4年間、何をしていたのでしょう。単に親のすねをかじって遊び惚けていただけなのか。それとも何かを目指していたのか。たとえば起業を志すとか、学問の世界で身を立てるとか。内定もとれず、大学を過ごした私に志はなかったのでしょうか。いえいえ、そんなことはありません。

高校卒業後、私は関西大学の商学部に現役で入学しました。他にも甲南大学にも受かったのですが、そちらは辞退しました。では当初から商学部に入学したい強烈な動機があったのか。そう聞かれると答えに窮します。正直なところ、商学部にしか受からなかったから商学部に入った。それだけの話です。浪人も面倒だったし。

高校生の私は環境問題に関心がありました。未熟で世間知らずであっても社会のために役に立ちたいと志す気概は持っていたのです。ところが、環境問題を専攻するには理系の学部に入るしかなかったのです。そして私の成績は完全に文高理低に偏っていました。国語と社会は上位、ところが数学や理科は落ちこぼれ。とても将来プログラミングで身を立てるとは思えない体たらく。高校時代の私にはPCやプログラミングの気配など全くなく、スーパーファミコンやPCエンジンでゲームしていたのがせいぜいでした。そんなわけで、私の志とは違って文系の学部にしか進学できませんでした。

商学部で学んだ起業への素地

でも、商学部で学んだ経験は無駄にはなりませんでした。入った当初はまったく興味がなく、必修の語学については苦痛でしかありませんでした。ところが商学部の専門コースに進んでから、少しずつ興味を惹かれ始めたのです。特に、マーケティング論。興味をもって勉強もしたし、優良可の優をとるぐらいには理解していました。いまでも、地方に旅行すると地元のコンビニやスーパー、道の駅巡りは欠かせません。いろんな商品を見て歩き、パッケージに感動する。それはこの時にマーケティング論を学んだ影響が尾を引いています。簿記の初歩も大学の授業で学び、簿記三級の合格が単位取得条件だったのでそれも取りました。こうやって振り返ってみると、勉強も結構していたのですよね。連載の第12回では、私の大学時代は遊びまくっていたように書きましたが。多分、興味を持った授業はそれなりに出ていたということでしょう。ただ、当時の私を振り返ると、将来起業に役立つと考えて授業に臨んだことは一瞬たりともありませんでした。当時はそこでの授業が自分の人生にどう役立つのかまったくわからないまま。でも、商学部での学びは起業の糧となっているのです。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、大学の授業はおろそかにするなかれ、と忠告しておきたいです。

部活動を率いて学んだ起業への素地

あと3つ、大学生活で得た起業の糧があります。一つは部活動です。商学部の私が、なぜか政治学研究部に所属することになりまして。理由は、高校の同級生が関大の法学部に入り、その彼に誘われただけのことです。3回生になった私は政治学研究部の部長を務めます。いまから考えると部活動内容も学生の戯れに過ぎませんでした。が、なんであれ組織を率いるという経験は貴重です。私は高校時代にもホームルーム長(級長)を2回務めたことがあります。ですが、高校のホームルーム長は担任の先生の指導の下、高校の枠の中の役職でしかありません。ところが、大学の部活動における部長にはとても強い自治権が与えられます。その経験は、後年、私が“起業”する上で良い経験となりました。大学時代の私は今よりも人見知りの気質が強かったと思います。今のように積極的にいろんな集まりに飛び込んでいく度胸もありません。そんな未熟な私でしたが、政治学研究部で培った交流関係や、一緒に実行した数々の無謀なイベントはとても得難いものでした。そういうへんな度胸を発揮したり、枠をはみ出たりする楽しさ。私に大学のキャンバスライフを楽しませてくれたのが、この部での体験でした。政治学を専攻する部なのに。生まれて初めて検便を提出したのも学祭のやきとり屋。生まれて初めて貧血で倒れたのも学祭のプロレス観戦中。生まれて初めて胴上げされたのも学祭の後。学祭も政治学研究部で参加しました。いまだにこの部の仲間とは交流が続いていますし、この時に過ごした皆には感謝しかありません。あと、私が社会に出るにあたり大変お世話になった先輩と出会ったのもこの部でした。この方については私の起業人生に関わってくるのでまた触れたいと思います。

話はそれますが、大学の入学時には馬術部にも勧誘されました。新歓コンパまで出ながら、結局入部することはありませんでした。この時、私が馬術部に入っていたらいったいどういう人生を歩んでいただろう、と思うことがたまにあります。内定なしで卒業したことも含め、私は自分の大学時代に後悔は何一つありません。が、この時、馬術部に入らなかったことはいまだに心残りです。朝早いのがいや、という理由で断ったことなど特に。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、どんな仲間でもいいから、とにかく楽しめ、そしてどんな形でもいいから上にたて、と忠告しておきたいです。

次回は、私のキャンバスライフで得た残り2つの起業への糧を述べてみます。


氷菓


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死体も出なければ犯人もいない日常の謎。余計なことに首を突っ込まないのがモットーの省エネ男折木奉太郎がその謎をしぶしぶ解いていく。というのが本書のパターンだ。

神山高校に入学した主人公は、卒業生の姉のススメ、いや頼みで古典部に入部する。古典部は三年連続入部者ゼロで廃部寸前。文化系だから楽だろうと入部した主人公。そこには偶然、入部希望者の女子がいて、というところから話が始まる。

古典部に入部してからというもの、ちょっとした日常に謎が生じ始める。しぶしぶ謎を解く主人公は、本人の意思に反してその異能で名を広めてしまう。同じタイミングで入部した千反田えるに加えて、主人公の中学時代の同級生二人、福部里志と伊原摩耶花が加わり、古典部は四人の新入部員で活動を始めることになる。ところが古典部は、神山高校でも伝統ある部活であり、過去からの因縁で妙な謎だけが今に残っている。

かつて古典部部長だった千反田の叔父関谷純は何ゆえ退学となったのか。三十三年前に何があったのか。その謎を解き明かすため、古典部員四人は、当時の壁新聞や、卒業アルバム、文集から、それぞれの推理を開陳する。が、奉太郎はそれら三つの材料をさらに組み合わせ、独自の謎を解き明かす。

四人が四人ともキャラ立ちしているのは、いかにもアニメ的。主人公の親友である里志が歩くデータベース的な知識の深さで異彩を放つが、言動が高校生離れしているのが気になった。が、これぐらいのキャラ造形は、アニメではよくあるのだろう。もっとも、本書がアニメ化前提で書かれたかどうかは知らないが、結果としてアニメ化されたようだ。そういえば本書の表紙もアニメ絵となっており、おそらくは千反田えるだと思うが、本書の殺伐とは程遠い内容を表している。いわば健全な高校生活の日常というのだろうか。

本書で提示された謎や結論も日常の範囲内だ。大したことがないといえばない。といってもそれは事件性や、精神に打撃を与えるようなことではないという意味だ。結論に至るまでの道筋に破綻はなく、設定にも無理が生じないようにあちこちに伏線を張り巡らせてある。そのため、読み終えた後は清々しさが残る。北村薫さんの作風にも通じる、日常の謎に終始した本書には好感が持てる。

神山高校の日常は、若干浮世離れしていて、自分の高校生活を思い起こさせる。セピア色の思い出とでもいおうか。私の高校時代に悔いはないが、こんな高校時代も送ってみたかったなあ、と思わされる。日々の仕事に時間に追われる大人にとっては、本シリーズから懐かしさを感じ取るのではないだろうか。

機会があればアニメ版も観てみようと思う。

‘2015/8/2-2015/8/4


横道世之介


大学生活を描いた小説にはとにかくよわい。

この本を読んでいて自分の大学生活のことを色々と思い出してしまった・・・

この本が面白いのは単に大学生活だけをえがくだけでなく、挿話として登場人物たちの十数年後の日常も描かれていること。

そのことによって、すごく話の奥行きが深くなっていると思う。

そういえば私も大学を卒業して十数年たっているけど、作中の登場人物が在学時と想像もしなかった将来の姿で描かれているのと同じように、私も今の自分がこのような今を歩んでいるとはまったく想像できていなかった。そのことがまた、余計にこの本に対して愛着を持つ理由でもある。

後を振り返ることに否定的な考えを持つ人もいるけれど、そんなことはなく、楽しかった時期を単純になつかしもうよ。

と私は強く思った。私にとっては著者の代表作と目される「パレード」「悪人」よりも印象が強かった。また読みたいなあ・・・・

’11/11/11-’11/11/12