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2023年4月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括
4月。
今月も仕事が忙しく、オフの日は1、2日程度でした。
が、出張を利用して方々へ出かけられました。
今月は小田原・郡山・米沢・仙台を仕事で訪問しました。また、近場では足立区の竹の塚や相模原の城山を旅しました。

仕事をしながら、旅をする。そのノウハウをいかに実現するかが私のテーマです。
少しずつやり方を理解しています。が、まだ努力が必要です。私にとって、行きたい場所とやりたい事は無限にあるのですから。

どうすれば仕事とやりたいことを両立させられるのか。
まだ、今の私は仕事に偏っています。
そうならないためのさらなる工夫が必要です。

仕事に偏っている証拠は、執筆活動に現れています。
今月は本のレビューを全くかけませんでした。アクアビット航海記は半年続けて書けていません。

人は同時に二つのことができない。私に与えられた時間は有限。そして、刻一刻と少なくなっています。
残された時間を少しでも有意義にしなければ、あっという間に死を迎えてしまう。

生きていること、生かされていることのありがたみ。
それを常に忘れぬようにしながら、充実した日々を送りたい。
皆さんと私の思いは同じです。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちをフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。


今月は家族(妻)にアクシデントが起こりました。重大な事案でしたが、支出が飛んだだけで済んだのが幸いでした。
次女はひと月まるまる韓国へ。

今月は家族とはゼロ回お出かけしました。妻とは一回、妻と長女とは四回、妻と次女とはゼロ回、長女と次女とはゼロ回。長女とは四回、次女とはゼロ回。


§  月表

 ・四月お出かけ
小田原城、小田原市郷土文化館、報徳二宮神社、Tully’s Coffee、旧三福コワーキング地酒とうまいもの 金時小田原城、らあめん花月嵐、ココデンタルクリニック、元祖台湾まぜそば はなび 二俣川店、01CAFE SURF DINER、ロイヤルホスト、デニーズ、足立竹の塚郵便局、中華料理 光龍、大師前駅、西新井大師ぼたん園、西新井大師 總持寺、ジロー’s テーブル、イオンスタイル板橋、イオンシネマ板橋、松月院、赤塚不動の滝、赤塚溜池公園、赤塚城本丸趾、マクドナルド、洋風居酒屋 寿、地下鉄成増駅 (Y02/F02)、津久井湖観光センター、太鼓曲輪、飯縄神社、宝ヶ池、鷹射場、大杉、月島もんじゃ もへじ 町田店、豆狸、安積国造神社、板前料理 膳、東横イン 福島駅東口1、曽根田駅、お休み処 ナナセン、曽根田駅ホーム、アクティブシニアセンター アオウゼ、ミスタードーナツ 福島駅前ショップ、東北新幹線 福島駅、山形新幹線 米沢駅、立ちそば処 鷹、居酒屋ゆあーず、東横イン米沢駅前、ホテル ルートイン 仙台長町インター、仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺、地下鉄 長町駅 (N15)、勾当台公園駅 (N08)、せんだいメディアテーク、C60 1 蒸気機関車、西公園、伊達政宗公胸像、林子平記念碑、仙台藩御用酒発祥の地、仙台城跡、伊達政宗公騎馬像、宮城縣護國神社、国際センター駅 (T04)、地下鉄 長町駅 (N15)、仙台PIT、長町駅前プラザ、長町駅、JR 仙台駅、東北新幹線 仙台駅、酉蔵 二俣川店、時代屋、鶴川駅前図書館、自家製麺つけそば 九六、明治神宮、杜のテラス 2nd、明治神宮ミュージアム、代々木公園、Starbucks、東急プラザ銀座尾崎牛焼肉 銀座ひむか、一蘭、やまよこ鮮魚店、横浜家系ラーメン 津田家、喜界、薬師池公園 蓮園、薬師池公園、らぁ麺 ばらや、やぶ広、町田市立中央図書館、守屋精肉店カラオケBanBan 町田金井店、ヒッコリーファーム、餃子の王将、dandan noodles、YI-CHANG イーチャン、Quattro Cuori ボーノ相模大野店、Honda Cars東京中央 鶴川店ティフィン・デ・ココ 鶴川平和台店富士通川崎スタジアム

・四月ツイート
https://togetter.com/li/2136193

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月はゼロ回です。

今月は1日から次女が彼氏のいる韓国にずっと滞在しており、家族は一度もそろっていません。


§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で一度でかけました。


妻と出かけた(4/16)の日のこと。
次女の家へ向かい、妻はそこで用事を済ませ、私はそこから明治神宮に向かいました。そして夜、日比谷で合流しました。
東急PLAZAの上にある尾崎牛焼肉 銀座ひむかでおいしいお肉を。美味かった!



§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は四回ありました。

家の近くにある「01CAFE SURF DINER」で食事をしたのは(4/5)のこと。


別の日はそばが食べたいという妻のリクエストに応え、町田市内で今まで行ったことのなかった「やぶ広」を訪問しました(4/23)。そのあとは町田を訪れ、夜は三人でカラオケで歌いました。久々のカラオケ。

別の日はスナックジョイゾーにうちの若手メンバーと一緒に参加してくれました(4/21)。本人の限界までお酒を飲んでしまいましたが、その失敗も含めてよい経験ができたのではないかと思います。


さらに、妻が車で事故を起こしてしまったので、近所のHondaのディーラーへ。そこから近くのカレー屋さんでお昼を(4/29)。ここで仕事のことを巡って大激論。


その翌日はお客様でもある法政大学ORANGEさんがアサヒビール・シルバースターズと試合をするので川崎へ(4/30)。うちのメンバーも二人が来たので、帰りは車で送って帰りました。


§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会は一回もありませんでした。

次女は昨年末で就職したお店を辞め、今はアルバイトで飲食の仕事を続けています。
次女のことを本当に好いてくれている彼氏にも巡り合え、今は未来のことで頭がいっぱいのようです。

今月は1日から彼氏のいる韓国へ。5月の上旬まで韓国にいっているようです。
モラトリアムと考え、22歳までは大目にみるつもりです。
ただ、そこで彼氏に甘えてしまうのではなく、自分の力で何かを成し遂げてほしいと考えています。
家庭も大切にしつつ、何かに挑戦してほしいな、挑戦をやめないでほしいな、と思う父親です。


§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

長女は4/1付けで雇用しました。
すでに2月から引継ぎもかねて打ち合わせにも同席してもらっていましたし、内部の定例会議にも出てもらっていました。


入社初日からもう一人の入社メンバーとともにkintone Café 神奈川 Vol.14の場でLightning Talkをお願いしました(4/1)。
小田原の「旧三福コワーキング」にて。
コミュニケーションが苦手かと思いきや、その場で機転を利かせて対応したところなど、大いに褒めてやりたいと思います。
夜の懇親会「地酒とうまいもの 金時」でも楽しんでくれていたようでよかった。
夜、帰宅してから長女が飲みたいというので、二人で飲んだこのフルーツビールが入社記念。

登記申請の手続きも、私が前月に官公庁を巡って連れていき、あとは任せました。
手こずっていましたが、まずは転出までは頑張って自力でやってくれました。


メンバーが集まっての初めての週次定例会の日(4/10)。私はその日、夜まで別件があって出られませんでしたが、夜に合流しました。そこから、長女と二人で町田の「月島もんじゃ もへじ 町田店」でお酒を飲みながらもんじゃ焼きを。
まずは社会人デビューを果たしてくれたことをねぎらいつつ。おそらく二人で外で酒を飲むのは初めてのはず。まずはこういう日が来たことに深い感慨を覚えつつ。


その翌週も町田で週次定例会を行いました。その後も二人で「やまよこ鮮魚店」でお酒や海鮮料理を(4/17)。
こういう機会がこれからもちょくちょく持てればいいな、と願います。
その帰りに町田駅で見かけた鳩が象徴するように。

その翌週も登戸近くの週次定例会に来てもらいました。この時は途中で妻の歯科医院を手伝うために帰りましたが、うちのメンバーの対応などはだいぶ任せられるようになってきたのは心強い。

昨年末をもって私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。

●私自身の四月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月は、4/1に高校の同窓会があり、誘われていたのですが、その日は小田原でkintone Caféを主宰していたため、断念しました。

その高校の後輩であるkintoneプレーヤーで同じ鳴尾高校の中井さんとは、トヨクモさんとスナックジョイゾーにてお会いできました。
このご縁は今後も大切にしたいと思いました。


§  今月の交流 
今月は何といっても、小田原のkintone Café 神奈川 Vol.14の懇親会から始まりました(4/1)。会場から20名以上の方が「地酒とうまいもの 金時」に集っておいしいお酒を。名古屋から二名、高知からも一名。ほかにも神奈川や東京から多くの方が集ってくれた交流は、満足のいくものでした。
懇親会の第二部で訪れた夜の小田原城も、昼間の満開の桜の余韻も鮮やかに、夜桜の美しさを見せてくれました。

そして、今月の旅のハイライトとなった郡山、米沢、仙台の出張です。

郡山では商談の後、さしで「板前料理 膳」へ連れて行ってもらいました。ここ、料理もお酒もとても美味しかったです。とくに米ナスのみそ焼きは私のお気に入りに加わりました。このためだけに再訪したいと思えるほどに(4/11)。


その夜は福島まで移動して宿泊し、翌朝は米沢へ移動。ここでも商談を行ったのち、夜に「居酒屋ゆあーず」にて。唐揚げが名物のこのお店でも6人でとても楽しみました。私はそのあと、うちに参画してくれたリモートメンバーの車で仙台まで。
人のご縁がありがたいとおもえる一日でした(4/12)。


その翌日はkintone hive Sendaiでした。ここでも会場や夜の交流会で貴重なご縁をいただきました。人が同じ場を共有することは、さまざまな可能性を生み出してくれます。それをまさに感じたイベントでした。
帰りも一緒に案件に携わってくれている方と新幹線の中で語り合いながら帰途に尽きました(4/13)。

他にも昨春から参画しているお客様が歓送迎会を開いてくださり、胸襟を開いて語り合うことができました(4/14)。
また、トヨクモさんにて動画を撮影した後、お酒を囲んでお話しした機会もとてもうれしかったです(4/19)。本当にありがたいことです。


また、スナックジョイゾーでの語らいも素晴らしいものでした。うちの長女もkintone Café 神奈川に続いておおぜいと一緒にお酒を飲む楽しみを知ってくれたようですし。


もう一つ、今月の交流で欠かすことができないのは、かのってぃさんとのサシのみです(4/8)。私が板橋で映画「Winny」を見た後、その近くの城や滝や公園を放浪していたら、なんとそこがかのってぃさんのご自宅の近く、というご縁でした。
成増駅前の「洋風居酒屋 寿」でおいしい料理とお酒を楽しみました。とても愉快な会話と情報量に、とても素晴らしい時間を過ごすことができました。


うちのメンバーをねぎらうためにサシで飲んだり。

今月も本当にありがとうございました。

●私自身の四月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、一冊も書けませんでした。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、今は書くための時間がありません。読んでからレビューをアップするまでの時間も二年を超えてしまいました。
今、私のプライベートの時間がほぼなくなってしまっています。仕事をからめた交流があるので精神的には困っていません。
が、一人の時間がほぼないことは見直さなければと考えています。レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は、私にとってワークライフバランスのバロメーターです。ワークに偏っている今の状況を早く取り戻さねば、とかなりの危機感を持っています。

以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。

今月、書いた本のレビューは0本()。
今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは1本(
Winny
)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは4本(
登記住所及びロゴ変更のお知らせ
kintone Café 神奈川 Vol.14を開催・登壇しました
kintone hive sendaiに参加しました
kintone Café Metaverseに参加&登壇しました。
) 。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

なお、昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

3月30日 3月30日 シンギュラリティへの対応
3月31日 3月31日 第八期を終えて感じた感謝
4月3日 4月3日 今期はコミュニティがテーマ
4月4日 4月4日 入社日に登壇を指示した狙い
4月5日 4月5日  AI、DX、UXの時代も人が要
4月6日 4月6日 プログラム内の著作権に注意
4月7日 4月7日 著名人の訃報に自らの余命を
4月10日 4月10日 Winnyが残した教訓とは
4月11日 4月11日 政治を志す人関心を持つ人
4月12日 4月12日 地方とのご縁は長く続けて
4月13日 4月13日 要件定義のジレンマに悩む
4月14日 4月14日 業務改善の事例を学ぶには
4月17日 4月17日 観光業でも変わらなくては
4月18日 4月18日 日本的組織とデジタル相性
4月19日 4月19日 基礎力があってのAIの活用
4月20日 4月20日 技術者不足に甘えるなかれ
4月21日 4月21日 GitHub Copilotが来たよ
4月24日 4月24日 イベントの参加が即ち営業
4月25日 4月25日 メタバースはまだ来るはず
4月26日 4月26日 芦屋市は私の仕事の原点

§  今月の読書 今月は9冊の本を読みました。内訳は、技術本一冊、ビジネス書一冊、科学啓蒙書一冊、SF一冊、純文学二冊。ミステリ一冊、酒の歴史一冊、エッセイ一冊。

今月も本を読む時間が取れていません。が、無理やり本は読むようにしています。ところが読んでもそれをアウトプットできていないのは上に書いた通りです。
形式的にアウトプットするのなら、ChatGPTに頼るのもありですが、それは自分にとって衰退への道だと思っています。

私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。
仕事にかまけてしまっています。このことにもとても強い危機感を抱いています。このまま何も生み出さずに老いてしまうのでは、と。

今月はムツゴロウこと、畑正憲さんがお亡くなりになりました。私はまだ著作を読んだことがなく、一度手に取ってみたいと考えています。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞は1本です。

なんとかWinnyを見に行くことができました(4/8)。素晴らしい内容でした。
感動しました。自らの技術者人生を顧み、技術の習得が楽しくて仕方なかったころを思い出させてくれる映画でした。
ブログはこちら

なお、今年の大河ドラマ「どうする家康」も今月に入ってから遅れています。録画が溜まってしまっています。


§  今月の舞台 舞台については、今月は見ていません。



§  今月の音楽 コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。今月はBruce Springsteenの全アルバムを順に聴いています。
旅行が重なり、常駐先に頻繁に顔を出していたので、家で作業する時間が取れていないことが原因です。

また、今月はYMOや映画音楽やソロ作でおなじみの坂本龍一氏がお亡くなりになりました。
今年の初めになくなった高橋幸宏氏に続いて。私が小学生の頃に一世を風靡した彼らの音楽も40年がたとうとしていることに、自分の年齢とその残り時間を考えさせられました。

そういえば、妻と長女と三人でカラオケに行ったのも今月です(4/23)。


§  今月の美術 今月は「明治神宮ミュージアム」を訪れた際(4/16)、明治天皇や皇后が使っていた調度品に気品とはこのようなものか、という感銘を受けました。

華美でも派手でもなく、それでいて質素でもない。
こういう銘品が残された明治時代は、賛否はあるでしょうが、わが国が世界に向けて雄飛した時代だったことは間違いありません。
それを感じさせる美、がここにはありました。

そういえば、今は明治神宮外苑の再開発が議論にあがっています。明治神宮の鎮守の森には手は加わらないそうですが、ここは本当に大切にしてほしいと思っています。


§  今月のスポーツ 今月は津久井城址、つまり城山を登頂しました。
自分の体力の衰えを痛感するかと思ったのですが、案外疲れずに登りきれたのはよかったです。
が、そろそろ山には本格的に登りたいと思います。仕事の調整をしなければならないのですが。

あと、月末にはお仕事でお世話になっている法政大学ORANGEがアサヒビール・シルバースターズと試合をする際の物販のお手伝いで富士通川崎スタジアムに行ってきました。
アメフトのガツンというタックルの音など、ようやくアメフトの魅力がわかってきた最近です。

連れて行ったうちの若手二人も初めて見るそうで、そのうちの一人はNFLが見たくなったと言っていました。
私も二人が読んでいたという「アイシールド21」を読んでみたくなりました。


§  今月の滝 今月は滝を訪れる機会はありませんでした。

が、映画Winnyを見た後、赤塚城跡まで歩いた際に、赤塚不動の滝を通りがかりました。すでに夕闇が濃くなり始めていたので、木々に囲まれた滝身は見えず、チョロチョロと瀧音だけを聞きました。
今度、機会を見て再訪してみようと思います。

今月は永瀬嘉平氏の「滝ゆけば」を読みました。日本の滝百選の選考委員でもある氏の著作を読み、とてもつよく滝を訪れたくなりました。五月は必ずや。


§  今月の駅鉄 今月は三駅を訪れました。「大師前駅(4/7)」「曽根田駅(4/12)」「長町駅(4/13)」


大師前駅は、竹の塚で商談があった帰りに訪れました。少し空き時間ができたためです。西新井大師もまだ参拝したことがなかったことと、この駅は特徴のある駅と聞いていたためです。
西新井駅から一駅。盲腸線の終点であるこの駅は、広大で立派な高架駅であるにもかかわらず無人駅です。自動改札もなく、だれもが一階のコンコースに自由に出入りできます。改札業務は全てとなりの西新井駅で執り行っています。
駅はとても立派なもので、この駅が無人駅ということがにわかには信じられません。プラットホームも広々としていて、しかも列車が来ては出ていく頻度が高く、よく利用されていることもうかがえます。
竹の塚から歩いてやってきましたが、そこからは西新井駅まで一駅乗り、そこから家まで帰りました。


曽根田駅は、私が止まった東横イン福島駅前から至近にあり、朝、打ち合わせとチェックアウトの前に訪れました。
昭和初期の洋風建築の要素を色濃く残す駅舎はとても風情があり、駅舎内の待合室も天井が高くとられていて、ゆとりを感じさせてくれました。
この駅がよいのは、留置線に車両を永年解放していることです。お休み処ナナセンとして。東急で使われていたことが明白な車両は二両とも古びていません。片方の車両は少し改造され、コワーキングスペースとして使えるよう、電源も使用可能です。もう片方の車両は待合室として。
このアイデアはとてもよかった。

車両を出ると福島交通の車両が隣の福島駅へ入線し、または福島駅から発車した列車がこの駅を訪れます。そしてJRの東北本線の貨物列車や仙台行きの列車が行き交い、さらにその上には東北新幹線の長大な車両が行き交っています。
鉄道好きにはとてもよい駅だと思いました。とても気に入りました。なお、私が訪れた日はしまっていましたが、駅舎には喫茶店が併設されており、それもポイントが高かったです。
福島交通の駅は初めて訪れました。また、訪れたいと思います。


長町駅は、kintone hive Sendaiの会場である仙台PITの最寄り駅です。JRの立派な駅舎の横に、地下鉄の入り口が四か所設けられています。
私も仙台地下鉄の利用は初めてです。kintone hive Sendaiの開場まで時間があったので、この駅から市街の勾当台公園駅へと向かいました。せんだいメディアテークや青葉城などを訪れた後、この駅に戻ってきました。
駅そのものは、他都市の地下鉄の駅とそう変わりはなかったのですが、まずは仙台の地下鉄事情を知る入門となりました。

駅をじっくり見る時間はありませんでしたが、地下鉄の国際センター駅も広瀬川を地上で渡る様子や、駅前の広場に荒川静香さんや羽生結弦さんのモニュメントがあり、とても印象に残っています。
ここのホームで列車の待ち時間にkintone エバンジェリストポロシャツに手早く着替えました。


§  今月の酒楽 今月も先月に続いてお酒体験については申し分なかったと思います。お酒を楽しめました。

kintone Café 神奈川 Vol.14の懇親会で利用した「地酒とうまいもの 金時」では、たくさんの皆さんと飲めました(4/1)。kintone Café 神奈川の下見できた1月にもこのお店を利用しましたが、その時に飲んだ日本酒は今回はプランとしては飲めませんでした。

かのってぃさんとサシで飲んだ「洋風居酒屋 寿」さんは、ワインがとてもおいしかった(4/8)。何杯もお替りしてしまいました。自家製リキュールもよい感じでした。料理がお酒や店の雰囲気とあっていて、とても楽しめました。

長女とはじめてサシで飲んだ「月島もんじゃ もへじ 町田店」は、信号サワーというのを頼みました(4/10)。唐辛子や大葉やレモンが添えられていて、もんじゃに合っていました。記念すべき日でもあるので、後々まで覚えていると思います。


郡山でサシ飲みした「板前料理 膳」さんは米ナスの味噌焼きがとにかくおいしかったのですが、お酒も劣らずおいしかった。笹の川酒造のウイスキーもあわせ、男山のお酒とあわせて、とにかくお酒がおいしかったです(4/11)。

米沢で皆さんで飲んだ「居酒屋ゆあーず」は、料理がおいしく、お酒もかなり飲みました。相当に酔っ払ったことを覚えています(4/12)。

東北新幹線の仙台駅のホームで飲んだ、仙台のビールもおいしく、後日家で飲んだ日本酒も覚えています(4/13)。

その翌日のお客様側にお招きいただいた歓送迎会で飲んだ「酉蔵 二俣川店」も、一次会と二次会でとにかく楽しい酒でした(4/14)。


やまよこ鮮魚店も長女とサシのみ二回目で、じっくりとした日本酒が腹に沁みました(4/17)。


そして、スナックジョイゾーです。ここでは私も差し入れを持っていきました(4/21)。また前々回あたりに差し入れたアクアビットの封を開けてもらったのですが、皆さんに案外好評で、一瓶がすべて空いてしまいました。
うちの長女もアクアビットでよいが回ってしまいました。風の森も相変わらずおいしかった。

他にもトヨクモさん(4/19)やうちのメンバーとのサシ飲み(4/28)でもお酒にはお世話になりました。おいしかったです。感謝。


§  今月の旅行 
今月は上にも書いた通り、小田原と郡山と米沢と仙台の旅です。


繰り返しになるので、あまり多くは書きません。小田原城はとにかく、桜が満開で素晴らしい光景を堪能できました。夜の小田原城も併せてすばらしい景観であることを再確認しました。


また、仙台ではkintone hive Sendaiの開場時間を利用して、勾当台公園駅から歩いてせんだいメディアテークを訪れました。こちらは、東日本大震災の記憶と記録を後世に残すための取り組みが印象に残りました。
また、開架のレイアウトがとにかく洗練されていて、図書館の概念を一新させられました。


そこから西公園を歩き、青葉城へ。青葉城を訪れるのは10数年ぶりのはずです。伊達政宗騎馬像や胸像を愛で、改めて仙台の街の風景を目に焼き付けました。広瀬川の流れに沿った城下町。また仙台には来るはずです。


その前々日には郡山を訪れましたが、合間の1時間ほどを使って安積国造神社を参拝できました。私にとって、郡山の街はkintoneを携えて全国を旅する嚆矢となった地。この時に登壇した郡山商工会議所も懐かしい。また、郡山には来るつもりです。


他にも、竹の塚の商談の帰りによった西新井大師もボタン苑や境内の藤と伽藍と池の取り合わせがとても美しかった。


また、15時から登った津久井城址こと城山も、今まで何度もそばの道を車で通っていたのに、初めて訪れたことで印象に残ります。思っていたよりも山域が広く、広大な城跡のあちこちを飽きずにめぐることができました。

それと、映画Winnyを見た後に訪れた赤塚城址は、練馬や板橋区に対していだいていた東京郊外の面白みのない町との印象を覆してくれました。このような山も設けられていたとは。


もちろん、明治神宮やその帰りによった代々木公園も忘れてはなりません。明治神宮では作業していたらあられが降ってきたのですが、そのあとの青空が美しかった。

今月、足跡を残した地は以下の通り。
東京都
 町田市、狛江市、板橋区、練馬区、江東区、足立区、渋谷区、新宿区、目黒区
神奈川県
 相模原市、大和市、横浜市、小田原市、川崎市
福島県
 郡山市、福島市
山形県
 米沢市
宮城県
 仙台市


§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は四カ所。「赤塚溜池公園(4/8)」「西公園(4/13)」「代々木公園(4/16)」「薬師池公園(4/20)」

・美術館はゼロカ所。
・駅は三駅。「大師前駅(4/7)」「曽根田駅(4/12)」「長町駅(4/13)」

・滝は一カ所。「赤塚不動の滝(4/8)」
・温泉はゼロカ所。

・山は一山。「城山(4/9)」
・酒蔵はゼロか所。
・神社は五カ所。「報徳二宮神社(4/1)」「飯縄神社(4/9)」「安積国造神社(4/11)」「宮城縣護國神社(4/13)」「明治神宮(4/16)」

・寺は二寺。「西新井大師 總持寺(4/7)」「松月院(4/8)」

・教会はゼロカ所。
・史跡は五カ所。「C60 1 蒸気機関車(4/13)」「伊達政宗公胸像(4/13)」「林子平記念碑(4/13)」「仙台藩御用酒発祥の地(4/13)」「伊達政宗公騎馬像(4/13)」

・博物館は二カ所「小田原市郷土文化館(4/1)」「明治神宮ミュージアム(4/16)」。
・遺跡は一カ所。「仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺(4/13)」。
・城は四城。「小田原城(4/1)」「赤塚城本丸趾(4/8)」「津久井城址(4/9)」「仙台城跡(4/13)」

・灯台はゼロカ所。
・動物園はゼロか所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・マンホールカードは二枚。「福島県福島市(4/12)」「宮城県仙台市(4/13)」
・果物狩りはゼロか所。
・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。


私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月も仕事にからめてですが、バラエティ豊かな移動ができました。この地球にはまだまだ無限に行くべき場所があります。
少しでもこうした場所を訪れてから死にたい。私の人生の残り時間のなかでどこまでの旅ができるか。


加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。一昨年の秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。


死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。


今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、一昨年の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。


そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を20句。短歌を1首。いずれもツイートまとめに載せています。


一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


2020年12月のまとめ(個人)


昨年から、毎月ごとに個人と法人を分けてまとめを書きます。

公私の「私」

●家族とのふれあい

§ 総括 コロナウィルスに翻弄されたこの数カ月。
十二月になって感染者数が急増し、マスコミ報道が世の中を不安に陥れています。そうした報道をもとにコロナを恐れ続けるのか、それともコロナに立ち向かうのか。一人一人に生き方が問われています。

十月に手術を受けた妻は、薬の副作用で肌荒れがひどくなっていますが、それ以外の術後の経過は良好のようです。ただ、これからは夫婦共に加齢する一方なので、これからも健康に意識が向いて行くと思いますね。
今月は22回目のプロポーズ記念日だったので、副作用に苦しむ妻に花束を買って帰りました。
そろそろ人生の後半戦に差し掛かってきているので、こうしたゆとりに気を配れるようにならないと。

九月に読んだ「死」についての分厚い本の内容を脳内で反芻しつつ、両親や妻の手術、私自身の体調など、あらためて生きる意味を問いたくなる最近です。人生が有限であること。残された時間があとわずかであること。

たとえ死ねば全てが無に消えると分かっていても、全力で自分に与えられた生を全うしたい。仕事もプライベートも。
今は仕事に集中し、好きなことは引退後に、などという悠長な考えではなく、今を両方とも全力で生きる、という決意とともに。
そうした考えが娘たちにも伝わればいいな、と思っています。
コロナだからと閉じこもっている場合ではないのです。

10月は私自身のワークライフバランスに偏りが生じましたが、先月と今月は少し個人の時間も持てました。とはいえ、私の理想の形には程遠い状態であることには変わりません。
仕事にも工夫を重ね、多忙な状況の内訳に個人の充実を重ねながら、自粛の中でも生きる喜びを謳歌したいと思います。

家族とは二回、妻とは四回、妻と長女とは三回、妻と次女とは一回、長女と次女とはゼロ回、お出かけしました。

いずれにせよ娘たちは巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんな人間なので、子離れや引退をきっかけに老け込まなさそうですが、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§ 月表

・十二月お出かけ

静の花、ジョリーパスタ貝塚店、なんばパークス、南海ホークス メモリアルギャラリー、グランフロント大阪、ナレッジキャピタル コングレコンベンションセンター、お好み焼き Sakura、梶平、阪急三番街、KIDDY LAND 阪急三番街店、Bar Harbour Inn、サバ6製麺所 阪急梅田店、ナレッジキャピタル コングレコンベンションセンター、三宮センター街、?華源 (フィーファーヨン)、花隈城跡、花隈公園、湊川神社、徳川光圀公御像並頌徳碑、楠木正成公墓碑、カフーツ、umie、神戸ハーバーランド、くら寿司 東七松店、鳴門西PA (下り)、鳴門市 ドイツ館、道の駅 第九の里、鳴門市賀川豊彦記念館、ブックオフ 藍住店、石井駅 (Ishii Sta.)(B05)、道の駅 温泉の里神山、うぐいす滝、不動滝、もみじ滝、観音滝、雨乞の滝、地獄淵、眉山公園、眉山、蜂須賀家正勝の墓、麺旋風、浜福鶴吟醸工房、櫻正宗記念館櫻宴、コロワ甲子園、くまざわ書店、一風堂、JINS、薬師池公園、吾妻橋、隅田川ブルーイング、川越熊野神社彩乃菓椿の蔵岩座 Power Stone時の鐘日乃本帆布 川越店上州屋カフェ エレバートヤオコー 所沢美原店讃岐うどん かいと町田東急ツインズ、ヨドバシカメラ マルチメディア町田、nana’s green tea、神田の肉バル Rump Cap 銀座店、久留米らーめん 金丸、東京ミッドタウン日比谷、44APARTMENT 薬師池店酒々井PA (下り)稲荷社鹿島神宮一休 ひとやすみ御手洗池?神社卜伝にぎわい広場塚原卜伝像塚原卜伝墓北浦鹿島神宮 西の一ノ鳥居道の駅 いたこ道の駅いたこ 新鮮市場 伊太郎酒々井PA (上り)、<
strong>田所商店
、焼小籠包 ドラゴン、小田急フローリスト 鶴川店、Tully’s Coffee特選ダイニング FOURSYUNららぽーと横浜、アクアビット サテライトオフィス、白坂駅、アウシュヴィッツ平和博物館、東横イン 新白河駅前、かづ枝食堂、新白河駅、マルコーラーメン、安兵衛、社労士事務所築地ボンマルシェ銀座5Tully’s Coffee日比谷しまね館ディズニーストアOutback Steakhouse、Hibiya-Kadan Style 相模大野ステーションスクエア店、ライフ 相模大野駅前店、友人宅

・十二月ツイート
https://togetter.com/li/1644861

§ 家族のお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は二回です。

まずはクリスマス・イブの日にららぽーと横浜へ。買い物タイムの間は、私と長女はTully’s Coffeeで作業をしていましたが、夜は特選ダイニング FOURSYUNでイブの食事を楽しみました(12/24)。

また、長女の二十歳の誕生日には舞浜のイクスピアリにあるOutback Steakhouseでお肉をがっつりと。私はお酒を少々(12/28)。ディズニーランドやシーにはいかれなかったのですが、日中は次女のアルバイト先の築地のボン・マルシェさんにも立ち寄り、元気に仕事をしている姿を確認しました。

今回のコロナを通し、毎日のメリハリの大切さを痛感しています。漫然と過ごしていてはあっという間に家族にも別れの日が来るでしょう。仕事だけでなく、なるべく自分自身や家族との時間にも思い出を刻んでいこうと思っています。
家という基盤がある幸せ。それを噛みしめつつ、生きる意味とは何か、死ぬと人は無に消えるのか。コロナを通して生きる意味を考えたいと思います。

§ 妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で四回お出かけしました。

川越の時の鐘あたりの町並みには私も妻も訪れたことがありませんでした。川越熊野神社に詣でたところ、ちょうど妻は熊野神社に参拝したかったのだとか。昭和の町並みを楽しみながらあたりを歩きまわり、芋を薄くスライスしたお菓子を食べたり、日乃本帆布を見学したり、招き猫の陶器に惹かれて購入したり。最後はおしゃれな喫茶店でコーヒーとケーキの美味しい取り合わせを楽しみました。
二人とも川越にはもう一度来たいという意見で一致しました(12/13)。

その翌週の日曜日には、妻のたっての希望で鹿島神宮へ。
今年に入ってから居合を習い始めている妻ですが、今度ご縁で真剣を頂けることになりました。それもあって剣聖塚原卜伝のお許しを得るためにも鹿島神宮への参拝をお勧めされたそうです。
二年半前に私は一人で鹿島神宮や塚原卜伝関連の史跡をめぐっており、その時から鹿島神宮はお勧めしていたので、ちょうどよい機会でした。
本殿や奥社、要石や御手洗池などをめぐり、境内の木立が立体的に囲った聖域の中で存分に癒されました。
摂社の稲荷社や参道の龗神社にもお参りしました。また、塚原卜伝関連の史跡としては、参道の卜伝にぎわい広場で妻に塚原卜伝の生涯をざっと紹介し、その後鹿島神宮駅前の塚原卜伝像へ。さらに塚原卜伝の墓にも詣でることができました。
お墓のすぐ近くの北浦湖畔から見た夕日がとてもまぶしくて美しかったです。また、一の鳥居の夕焼けをバックに立つさまも素晴らしかった(12/20)。

仕事で社労士の先生との打ち合わせに妻も同席してもらい、その後次女のバイト先に訪問して次女の様子を確認するとともに、築地から銀座まで歩いて、師走の銀座の雰囲気も味わいました。日比谷シャンテのTully’s Coffeeで仕事をしながら。その後は舞浜に向かって長女の誕生日を祝いました(12/28)。

残りの一回は、まさに年の暮れも迫る中、町田で買い物や用事を済ませるため、町田の街中を二人で散歩しました(12/30)。

妻にとって入院・手術からの遠出も苦ではなくなり、妻にとってもよい旅となったのではないかと思います。

§ 妻と長女とのお出かけ 上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女と三人で三回お出かけしました。

昼ご飯を近所の讃岐うどんかいとに食べに行きました(12/16)。
その翌日は、町田で買い物とnana’s green teaでの時間を楽しみました(12/17)。
また、長女の誕生日に舞浜に訪れた際は、日比谷で長女と合流し、次女が来るまでイクスピアリのディズニーストアなどで買い物を楽しみました(12/28)。

早いもので、長女もついに二十歳を迎えました。誕生日祝いに訪れたOutback Steakでは私が頼んだモヒートに少し口を付けました。大晦日にはもう少し多めに頂いたワインやシャンパンも楽しむ予定です。
本当ならば関西の実家に帰って、Bar Harbour Innでバーデビューの予定でしたが、コロナもあって帰省はやめましたので、まずは家でお酒のたしなみ方を教える予定です。

§ 妻と次女とのお出かけ 上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女の三人で一回お出かけしました。

最近、妻は薬師池公園への散歩を日課にしています。その中で薬師池公園の南口にできたウェルカムゲートのお店やカフェがお気に入りらしく、一度は次女を連れて散歩に行きました。私も後から合流し、開かれた雰囲気のカフェや産直野菜の買い物を楽しみました(12/19)。

次女は調理師としての腕もたってきたので、飲食業界がコロナで苦しい中でも、きっと自分の進む道を誤らずに生きてくれそうです。
クリスマスには糖質オフケーキも作ってくれました。

§ 娘たちとのお出かけ 上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月は長女と次女とで出かける機会はありませんでした。

その中で長女とは一度、家族で訪れたららぽーと横浜で二人でTully’s Coffeeで机を並べて作業をしました。
次女も長女も同じ築地ボン・マルシェで年末のアルバイトをし、普段と違う仕事を楽しんだようです。これをきっかけに、仕事や社会へのかかわり方に経験を積んでくれればと思います。

これからも家族の時間が持てますように。

●私自身の十二月(交友関係)

§ 関西の交流関係 今月は、Cybozu Days 2020 Osakaがあり、その中のkintone EvaCamp 2020で登壇があり、その前後にも商談を関西の四か所で入れたため、比較的長い期間、関西にいました(12/1~12/7)。
とはいえ、コロナによる自粛の空気は関西でも色濃いらしく、何人かに声をかけたところ、断られてしまいました。
それでも、お客様には貝塚で会食の席を設けていただいたり、新梅田食堂街でもそうした場を楽しんだりはしたのですが。
両親や弟と鍋を囲んだり、回転ずしを楽しんだりしたのもこの時です。

§ 今月の交流 10月に仕事が忙しくて全く飲めなかった分を取り戻すように、先月に続いて今月もほうぼうで飲み会に参加しました。延べ六日、六軒。
まず交流としては私が登壇したCybozu Days 2020 Osakaでのkintoneマニアやkintone EvaCamp 2020の二日間が挙げられます。前日のリハーサルの後は一部の方とお好み焼きを食べながらいろいろと談じました。やはりこういう機会に酒食を一緒にしてこそ、と思います(12/2)。
また、翌日の本番の後はサイボウズさんより飲み会の中止のお願いをされたため、打ち上げ会は中断となりました。ただ、私はこの機会にこそ私が若く苦しんでいたころからなじみのあるBar Harbour Innさんに訪れて元気づけたいと思い、一人で伺いました。オーナーバーテンダーの藤田さんもお元気そうでよかった。娘の調理師の話をしたり、長女が二十歳を迎えた初めのバーをBar Harbour Innで経験させたかったのですが、コロナで帰省を中止するので伺えないことなどをお伝えしました。なお、夜はエバンジェリストの何名かで遅くまでオンライン飲み会もできました(12/3)。


神田の肉バル Rump Cap 銀座店は前月に引き続いて訪れました。今回も初めてお会いした仕事上の方も含めて、美味しいお肉に舌鼓をうちました(12/18)。少しでもお店にお金を還流していかなければ。


同じく年の瀬を占めるにふさわしいメンバーで、Cybozu Days 2020の打ち上げもかねて伺ったのが蔵前にある焼小籠包 ドラゴン。こちらの台湾のお店を思わせる味は素晴らしかった。価格もとてもリーズナブル。また行きたいお店です(12/22)。

クリスマスの日にはサテライトオフィスにおいて、弊社が間借りさせてもらっているパートナー企業様と納会を兼ねた飲み会。来年には弊社に仲間も加わってもらう予定なので、個々の皆さんとは来年もよい関係でありたいと思っています(12/25)。

年の瀬に福島の白河に出張に行ったのですが、お昼を頂いたマルコーラーメンさんではアクシデントが続けておきまして。それも含めて初めての対面ですが記憶に残るものとなりました(12/27)。その夜は郡山まで送っていただき、駅前の安兵衛で郡山の美味しい食事とお酒を楽しませてもらいました。郡山は好きな街なだけに、こうやって伺えたことも嬉しかったですし、少しでも売り上げに貢献できたことにも感無量です(12/27)。

師走の最後の飲み会は、旅や湯、鉄や歴を楽しむ二人の友人と、友人宅を借りての宅飲みで締めました(12/29)。今年はまだ一度もお会いしていなかったので、最後にこういう場を持てたことが嬉しかったです。飲み会の間もそうでしたが、帰りに相模大野から玉川学園まで歩いて帰る道中でも徒然に話ができました。


●私自身の十二月(文化活動)

§ 弊社ブログへのアップ記事一覧 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2019年に読んだ2冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年三ヶ月以上に延びています。
この期間を質を落とさずに縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

一昨年の春まで連載していたCarry Meさんの運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記 vol.27〜航海記 その14」)
上京した親から自立した瞬間の思いを振り返っています。

今月、書いた本のレビューは2本(
ミサイルマン
amazon 世界最先端の戦略がわかる
)。
今月、書いた映画のレビューは1本(
劇場版「鬼滅の刃」無限列車編
)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は6本(
結婚20周年の旅 2019/11/21
結婚20周年の旅 2019/11/22
紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト前日迄 ~2019/11/24
紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト一日目 2019/11/25
紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト二日目 2019/11/26
紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト三日目 2019/11/27
) 。
今月、書いた物申すは1本(
人の道を踏み外さぬ経営を
) 。
今月、書いた弊社の活動ブログは2本(
Cybozu Days 2020 Osakaに登壇して
freeeアプリアワードのIBM賞をいただきました
)。
今月、書いた弊社の技術ブログは2本(
Cybozu OfficeのスケジュールをCalendar Plusで(だいぶ)再現!
kintoneにシステム移したいんや
)。

§ 今月の読書 今月は10冊の本を読みました。内訳は酒の紹介本一冊、都市論一冊、経済本一冊、推理小説三冊、ビジネス書一冊、純文学二冊、時代小説一冊。

今月も仕事の合間に本を読むのが精いっぱいでした。遠方への移動時間の合間を使って本を読んでいましたが、なかなか集中する時間が取れずに苦労しました。長年読めずにいた暗夜行路がようやく読めたのは大きかったですし、献本頂いた酒(クラフトビール)の紹介本も勉強になりました。

私の今年の目標の一つは本を出版することですが、前月末に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、必ず本を出版するとの思いは増すばかりです。

§ 今月の映画 今月の映画鑑賞は1本です。「鬼滅の刃(12/31)」
今月見なければ、年間で一本も見ずに終わるところでした。
今月もキングダムは見られずじまい。これで9カ月見られていません。一方で、当時お客様より教えていただいた鬼滅の刃は、妻子がはまっており、映画を家族で見るためだけに26話まで見ました。コミックスについても6巻まで読みました。

§ 今月の舞台 舞台については、今月は0本です。

§ 今月の音楽 
今月は生演奏を聴く機会がありませんでした。今年は春先から70年代の洋楽を聴きまくっています。Linda Ronstadtのアルバムをほぼ聞いていました。
あと、実家の車を借りて徳島に行った際、弟に借りたiPodに80年代邦楽がぎっしりと詰まっていて、久々に洋楽ではない我が国のポップスの黄金時代に浸ることができました。
また、鳴門市ドイツ館に行った際、日本で初めてベートーヴェンの第九が演奏されたこの地のエピソードを学びました。マスクも頂き、生誕250年にふさわしい年にこうした知見をためられたことはうれしいです。

§ 今月の美術 アウシュヴィッツ平和博物館に訪れた際、ナチス・ドイツに翻弄された子供たちが書いた絵画が私の印象に残りました(12/26)。
その子供たちもすでに亡くなったか老齢になっているほどの昔に描かれた絵。ですが、それらの絵から感じた子どもにしか描けない素朴さ。それがかえって受けた傷の深さを感じさせました。

§ 今月のスポーツ 今月は雨乞の滝周辺を歩いた以外は、あまり散歩もできていません。相模大野の友人宅での飲み会の後、玉川学園を経由して我が家まで歩いて帰ったのが唯一でしょうか(12/29)。

§ 今月の滝 今月、訪れた滝は6滝です。「うぐいす滝(12/5)」「不動滝(12/5)」「もみじ滝(12/5)」「地獄淵(12/5)」「観音滝(12/5)」「雨乞の滝(12/5)」。
全て雨乞の滝を奥に擁した沢沿いの滝です。
雨乞の滝は、私にとって39カ所目となる、日本の滝百選に選ばれた滝です。直瀑と岩肌に沿った水流が印象に残りました。また、散らばる大岩に角がかなり残っており、この辺りの地質がもろいのかな、と感じました。次回来た際には、地震などで被害に遭っていなければよいのですが。
ここに挙げた六つの滝は、IT企業がサテライトオフィスを構える徳島県神山町にあり、また来ると思います。

§ 今月の旅行 
今月は、初日から大阪出張がありました。翌日は貝塚で商談があり、久々に貝塚の景色を目にしました。その後、梅田に行く途中でなんばパークスを訪れました(12/2)。なぜなら南海ホークスメモリアルギャラリーでクラウドファンディングを行っているとのニュースを難波駅で見かけたからです。南海ホークスメモリアルギャラリーにも久々に訪れました。今年の初めに亡くなられた故野村監督に関する一切の展示がないこの南海ホークスメモリアルギャラリー。その違和感もあからさまな場がようやく正されるとすればこれほどうれしいことはありません。




Cybozu Days 2020 Osakaの翌日、中崎町と元町の商談の後に元町から花隈城址や湊川神社を参拝しました(12/4)。そしてそのまま神戸ハーバーランドへ。ハーバーランドには久々の訪問でしたが、神戸は港から見てこそ、郷愁がましますね。高校時代は大阪よりも神戸で遊ぶ方が多かったので。


その翌日、イベントや商談を済ませた私が向かったのは徳島です。雨乞の滝を見に行ったのですが、その途中に立ち寄った鳴門市賀川豊彦記念館と鳴門市ドイツ館では、とても感銘を受けました。人道的という言葉は賀川氏と鳴門市の坂東捕虜収容所の所長松江氏にこそ捧げられるべきでしょう。私にできることは何かを含めて考えさせられました。
雨乞の滝の印象が正直いって少し薄れるほどでした。

夕方には眉山山頂にいき、そこからの見事な四国山地の夕日や、徳島市街地の夜景も楽しみ、徳島ラーメンでも満腹しました。


さらにその翌日は灘五郷の一つ魚崎郷へと。私が訪れたのは酒蔵。浜福鶴と櫻正宗を訪れ、見学および試飲を楽しみました。灘五郷は阪神・淡路大震災で甚大な被害を被りましたが、当時の私は自らの住んでいた家が全壊したり、そもそも学生で力不足ということもあって何もできませんでした。それがようやく25年目にして訪れられました。


妻との川越、そして鹿島への旅も印象に残るものでした。上にも書いた通りでしたが、ようやく妻とこういう旅ができるようになったと思うと感無量です。


今月の旅は年の瀬になってからの白河出張でした。11月の頭に訪れて以来二カ月ぶりです。前回に来られなかったアウシュヴィッツ平和博物館を訪れました。
なぜ訪れたかも含め、この時に感じた思いは人の道を踏み外さぬ経営をというブログに書いています。


翌日も仕事の後、郡山まで車で送ってもらいました。久々に訪れた郡山。今年の初めにも、おととしの秋にも郡山は訪れましたが、夕飯は食べませんでした。おそらく郡山で夕食を食べたのはご飯を食べた経験まで含めると、2016年の秋にまでさかのぼると思います。この四年間で6回訪れている郡山。こうした形で訪れられて感激しました。お店の郡山の食べ物もとてもおいしかった!

§ 今月の駅鉄 趣味の駅訪問は二駅です。「石井駅(12/5)」「白坂駅(12/26)」
石井駅は徳島駅から5駅目。ですが、もう駅前の風景は地方の田舎駅のそれでした。
駅前には大きな楠がそびえ、それが特徴として印象に残っています。ディーゼルカーが走る駅のホームには藤棚がしつらえられてあり、石井町の町の花が藤であることを知らしめてくれます。

白坂駅はアウシュヴィッツ平和博物館の最寄り駅であり、行きも帰りも電車で利用しました。
駅鉄の記事で訪れた駅に列車で訪れることはあまりありません。きちんと列車を使って訪れたことでも印象に残ります。
駅ホームは、かつての幹線であった東北本線の栄華を思わせるように広くとられています。駅舎はどことなくアウシュヴィッツ平和博物館の建物に似ていて、それも含めて思い出に残る駅でした。

§ 今月の酒楽 先々月は一度も飲めなかった分、今月は飲み会をかなり行いました。
仕事も忙しく、体調不良も若干残っていたのですが、心を病んでは意味がありません。
実はコロナが日本中で蔓延しており、今月は一度も飲めないと覚悟していました。ですが、延べ10日、11軒で飲めました。

上にも書いた通り、Cybozu Days 2020 Osakaの本番の後には私が若いころからお世話になっているBar Harbour Innを訪れ、モルトを使ったカクテルやロックを頂きました(12/3)。やはりおいしい。堪能しました。
私が初めて日本酒を美味しいと思ったのも、初めてBar Hourbour Innを訪れた際に飲ませていただいた司牡丹でした。
三日後に一人で訪れた魚崎郷の浜福鶴と櫻正宗では、その日本酒のおいしさを感じました。特に浜福鶴さんで飲ませてもらったワイン酵母で醸したwhoという日本酒は、日本酒とは思えないほどの味わいでした。日本酒の可能性を感じました(12/6)。櫻正宗で飲ませてもらったお酒も美味しかったです。お土産に買って帰った浜福鶴の酒粕と櫻正宗の奈良漬けは家族にも好評でした。




浅草で商談の後、吾妻橋を渡った向こうにある墨田川ブルーイングで頂いたクラフトビールもおいしかった(12/11)。特徴的なビールの泡がビルのてっぺんに盛り立ったこの場所。ビール好きにとっても一度は来たいと思っていましたが、ようやくです。

郡山の安兵衛で頂いた福島のお酒(蔵太鼓、穏)もとても心と体に沁みました(12/27)。このお店は郡山のソウルフードやお酒の品ぞろえも含めてお勧めです。

最後に友人たちと飲んだお酒もおいしかったです。今月、唯一飲んだワインがCUMA ORGANICでした。MALBEC種をブドウを使っていることや、アルゼンチン産のワインであることなど、ワインのおいしさも改めて感じました。日本酒の匠もとてもおいしかったです(12/29)。

§ 今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は三カ所。「花隈公園(12/4)」「眉山公園(12/5)」「薬師池公園(12/10)」
・博物館は四カ所。「南海ホークス メモリアルギャラリー(12/2)」「鳴門市 ドイツ館(12/5)」「鳴門市賀川豊彦記念館(12/5)」「アウシュヴィッツ平和博物館(12/26)」

・駅は二駅。「石井駅(12/5)」「白坂駅(12/26)」
・入手したマンホールカードは一枚。「徳島県鳴門市(12/5)」
・滝は六滝。「うぐいす滝(12/5)」「不動滝(12/5)」「もみじ滝(12/5)」「地獄淵(12/5)」「観音滝(12/5)」「雨乞の滝(12/5)」
・温泉はゼロカ所。
・山は一山。「眉山(12/5)」
・酒蔵は二カ所。「浜福鶴吟醸工房(12/6)」「櫻正宗記念館櫻宴(12/6)」
・神社は六カ所。
「湊川神社(12/4)」「川越熊野神社(12/13)」「稲荷社(12/20)」「鹿島神宮(12/20)」「龗神社(12/20)」「鹿島神宮 西の一ノ鳥居(12/20)」

・寺はゼロカ所。
・教会はゼロカ所。
・史跡は五カ所。「徳川光圀公御像並頌徳碑(12/4)」「楠木正成公墓碑(12/4)」「蜂須賀家正勝の墓(12/5)」「時の鐘(12/13)」「塚原卜伝墓(12/20)」
・遺跡はゼロカ所。
・城は一カ所。「花隈城跡(12/4)」
・灯台はゼロカ所。
・水族館はゼロか所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。

私がまだ訪れていない場所の多さにめまいがします。他の活動もまだまだやりたいことがいっぱいあります。
それなのに、今月は仕事に追われてほとんど出かけられていません。
こういう毎日を続けていると、疲れに追われてあっという間に老け込んでいきそうです。
一番怖いのは年齢から来るあきらめと気力の減退です。これだけは防ぎたい。

家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなったときにやることがない、とよくある老残にならぬよう。
人はいつかは死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。九月は「「死」とは何か」という本を読み通しました。
人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われる。
ですから、いつかやろう、引退してからやろうといっていると、未来の自分にそれを妨げられてしまいます。
今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。
後悔だけはしないように。
仕事だけでなく、いまのうちに時間の合間を見つけ、行けるところに入っておこうと思います。

一方で、将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめには書いた通り、コロナにもかかわらず、法人としての売り上げは確保できています。ただ、私個人としては投資もしなければ賭け事もせず、不労所得のタネも持っていません。
つまり、一人で私自身の体だけが頼りです。
なので、体に何かがあれば収入は尽きます。そろそろ貯蓄のことも考えていかなければ。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は13句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


弊社は、福島を応援します。(10/2版)


10/1

7:00-9:50

目覚ましなしで朝を迎える。かなり楽しく飲んだが、あまりアルコールは残っていない。

昨日の朝と同じく、無料の朝食サービスで腹ごしらえ。ここの朝食サービス、スープがうまい。

さて、今日をどうすごすか。大町商店街での宝探しイベントにも行きたい。あと、銚子ケ滝は必訪だ。さらにはお勧めいただいた達沢不動滝にも足を延ばしたい。さらには湖南公民館でマンホールカードをコンプリートするミッションも発生中。そもそも私にそのミッションを授けた開成館で安積疎水について見聞を深めねばなるまい。だが、宝探しイベントの開始は11時からと遅めだ。さてどうする?

作業もあったので、それをこなしつつ、作戦を練り、カーシェアリングの予約を完了させる。結局あれやこれやでホテルをチェックアウトしたのは9:45。カーシェアリングの予約は9:50。実はカーシェアリングの駐車場はホテルから50メートルしか離れていない。

9:50-11:15
駐車場で私を待っていた相棒
カーシェアリングを使うのは今回が初めてだ。郡山に来る前日の昼に紀尾井町にある受付カウンターでカードも作っておいた。ウェブからの予約も順調に終わる。予約したのはHUSTLER。車にはうとい私もアラレちゃんでお馴染みであることは分かる。だが、HUSTLERの形がよく分からない。車が見つからず、広大な駐車場をウロウロする羽目に。今回の相棒は昨日に続いて赤色。野郎一人のドライブとしてはなかなか勇気のいる色合わせ? ま、私はあまりそういうの気にしないたちだが。

私の作戦はこう。まず開成館に行って建物をじっくり。それから街の中心部にもどってイベントに参加し、そこから湖南公民館や滝方面に向かうというもの。

松方正義卿による茂松清風舎の扁額

開成館外観
開成館扁額
そして訪れた開成館。おととい受付にいらっしゃった親切なおじさんの姿はなかった。でも、開館したての敷地には清新の気が満ちている。敷地内には数棟建物が。それぞれの建物は中にも入れるようだ。そして中では明治初頭の暮らしが実感できる。そこには明治政府の要人が何人も宿泊した記録が残され、そこかしこに揮毫の書や掛け軸が飾られている。開成館とその周囲の建物が安積地域にとって重要だった事が見て取れる。この開成館を拠点に、明治政府の一大事業、安積開拓は行われた。開成館の前庭には、ざくろの木が実を成らせていた。
開拓の 成果を語る ざくろの実

展示の中の一つ。猪苗代湖と郡山市街地
そもそも安積開拓とは何かというと、古来この地はあまり水利が良くなかった。阿武隈川の水は引き上げねばならず、当時の技術では困難。一方、すぐ近くには猪苗代湖という巨大な水瓶が満々と水をたたえている。この水を利用すれば、この地は肥沃な地に一変し、日本にとって重要な穀倉地帯となるに違いない。これが明治政府の思惑だ。そして大久保内務卿の肝いりの政策といっても良い。だからこそ何人も明治政府の要人たちが訪れたのだ。何十キロもかなたの湖から水を流す水路を通すわけだから 、当時の日本にとっては一大事業であったことは容易に想像できる。

こういった知識は全て、開成館の展示で知った事だ。ここに書いたことの100倍以上の情報量が、開成館には詰まっていた。そしてそれが私の計画を狂わせる事になる。あまりにも展示が充実しているので、私の予定時間を過ぎても観きれないのだ。

だが、安積開拓を知らねば、郡山を知った事にはならない。ここはどうしても観ておきたい。そんな訳で、私の観覧時間はどんどん延びてしまい、これでは滝にも行けない恐れがでてきた。

そんな訳で、予定を変更。イベントの参加は後回しにする。そもそも今回の郡山訪問はイベント実施の話から始まった話。イベントに参加しないとなると主客転倒になってしまう。正直言ってかなり迷った。が、逡巡の末、滝を優先する。これが功を奏したかどうか。。。はこの後の私の行動次第。

11:15-12:10

予定を大幅に超過してしまったが、作戦変更した私は開成館を出る。実は時間があったら安積歴史博物館や郡山市歴史資料館への訪問も考えていたのだが、開成館の展示があまりに充実していたのでパス。だが、開成館の展示だけでも郡山市がなぜ県庁所在地である福島市を差し置いて県下第一の商業都市となったか理解できた気がする。
開拓地 実りの秋に kintone

さらに理解できたのは、なぜこの地への風評被害に心を痛める方がいるのかについて。それは、汗水垂らして開拓を成し遂げた先祖への申し訳なさではないだろうか。安積の地が平静なのに、いわれなき風評被害を受け、科学的評価が定まっていないうちから人体への影響をうんぬんされ、それがために県外の方に忌避される。それは、先祖から脈々と受け継がれた開拓の精神からすると到底受け入れられない事に違いない。

猪苗代湖が安積地域に果たした役割を知ったところで、それでは、明治の先人達が安積発展の希望とした猪苗代湖へと、いざ向かわん!

開成館からはひたすら西へ。これが結構遠い。距離にして30キロほど。急峻ではないが、山道もトンネルもそれなりに通る。この距離と勾配をモノともせずに疎水を開通させた先人の苦労がしのばれるというものだ。そして道中には農地が広がっているが、それら畑は放棄されず、稲穂を実らせていたこと、休耕地のような荒地めいた風景には出会わなかったことも書いておきたい。ここで農地保全の努力が放棄されているようなら、今回、私が書いてきた事がうそになってしまう。だが、風評被害にも負けず、栽培から収穫までの一連の作業が営まれている事に安堵を感じる。

収穫の風景は、三森トンネルを越えたあたりからいよいよ顕著になる。福島県を縦に三本に割ると、東から順に浜通り、中通り、会津と分けられるが、三森トンネルは、会津と中通りの分水嶺となるのだろう。そして農村風景は続く。しかし、猪苗代湖のきらめきには行けども巡り合えない。この付近の地形については、私のような訪問者には一筋縄では行かないらしい。

湖南公民館の特徴的な外観
そうしているうちに目的地である湖南公民館に到着。ここでは2枚目となるマンホールカードが配られている。係の方も心得たもので「台紙要りますか?」と声を掛けていただく。台紙はすでに開成館で入手していたのでお断りし、2枚目となるマンホールカードをいただいた。湖南公民館にはマンホールを立派なパネル状にしたものが置かれ、全国マンホールカード発行の告知ポスターまで貼られていた。

さて、マンホールカードを入手した事で、続いては猪苗代湖だ。HUSTLERを駆ってむかったのは、青松浜湖水浴場。

猪苗代湖と磐梯山
駐車場に乗り付けた私の眼前に、猪苗代湖の水面が横たわる。その彼方には一目で磐梯山とわかる山塊が水と空をくっきりわけている。空と山と湖。この三つが調和し、溶け合い、自然の持つ味わい本質を携えて私の前に展開されている。紛れも無く福島の象徴。私の前に降臨したのは、度重なる戦乱や噴火や地震や事故の中、一貫してあり続ける自然の姿。

空と山と湖を前に英気を養う相棒
ここに、HUSTLERの赤をアクセントとして加える事で、この完璧な調和を乱す事にならないか。いろいろ撮影アングルを変えて試して見たがどうだろう。一番マシと思える一枚を載せてみる。

HUSTLERと猪苗代湖と磐梯山
かつて、この山が大爆発を起こした際、ここからの眺めはどんなものだったか、想像せずにはいられない。いま、湖面には水上スキーヤーがボートと疾走し、天鏡湖とも言われる猪苗代湖の湖面を波立たせる。それすらもこの調和を乱すことはない。一点の曇りもないこの風景。これこそが福島や郡山や会津の人々の心のよりどころとなって来たことが実感できた一瞬だった。

12:10-12:50

稲穂の中の紅一点
あまり時間もないので、HUSTLERのエンジンを始動し次の目的地へと向かう。が、走り始めてすぐ、輝くばかりの稲穂たちに囲まれる。ここにHUSTLERの赤をなじませてみたくなった。昨日は小柄な自転車の赤だったが、今日は大柄なクルマの赤を。うん、似合うかも。
磐梯を まばゆく飾る 稲穂かな

湖岸から見える湖そして山
湖岸を北上する私の視野には、常に磐梯山と猪苗代湖のペアがついて回る。切っても切れない関係。砂浜や船着き場や畑が現れては去って行くが、主役となる両者は相譲らず。常に視界に陣取って私を魅了しつづける。
青色を 湖面と空と 競いあい

やがてHUSTLERはT字路へと至る。左に折れると猪苗代町内や会津若松へと至る道。そちらの方角にも興味深い出会いがあるはず。が、今日は素直に右に折れる事にする。そしてすぐに上戸駅という看板を見つける。これはJR磐越西線の駅のようだ。今回の旅では機会があればこの辺りの小さな駅にも行こうと思っていたので寄ってみる。

上戸駅舎箱型の駅舎に単線ホームが伸びる単純な構造。だが、これがいい。そっと集落の一員として溶け込んでいる様が。実はこの駅は旅客としてかつて通り過ぎたことがある。12年ほど前に、友人と二人で八王子、小渕沢、小諸、姨捨、長岡、新潟、会津若松と一泊二日の旅を楽しんだ。新潟から会津若松まではSLばんえつ物語というイベント列車に乗り、会津若松から郡山で乗り換えて東北新幹線で帰った。その際、確かにこの上戸駅は通ったはず。上戸駅の駅名標
だが、全く記憶にない。ついでに言えば、その際に乗り換え駅として利用したはずの郡山駅の記憶も全く残っていない。当時は全く郡山の街にも駅にも興味がなかったことが分かる。その当時の写真を出して見ても、猪苗代駅の次の写真が池袋なのだから。猪苗代湖の湖面もおぼろげに記憶はあるが、じっくり見ずに通り過ぎただけだった。あかべぇの書かれた車両が発車する瞬間

だが、今回はしっかりと猪苗代湖、そして上戸駅を心に刻んだ。写真を撮っているとちょうど郡山行きの列車がやって来た。側面に会津若松のマスコットあかべぇが描かれた車両だ。黒みの車体が何だか似合っていてかわいい。車掌さんも女性だし。

12:50-13:50
磐梯熱海駅構内
次に車に乗って向かったのは、磐梯熱海駅。この駅は東北の駅百選にも選ばれている。なので寄ってみるつもりだった。熱海という名には由来があって源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした合戦の後、磐梯熱海駅舎鎌倉出身の武士が地元の熱海の名を付けたのが始まりだという。つまり、安積開拓の行われるはるか以前から、郡山にも土地の名所はあったのだ。ここは覚えておかねば。磐梯熱海駅の駅名標

磐梯熱海駅の足湯
駅前には足湯が設けられ、のどかな時間が駅前を覆っている。駅舎にもホームにも入って撮影した。誰もホームで電車を待っておらず、百選の駅らしからぬ人気のなさ。個人的には自由にホームを歩きまわれたので問題ない。が、これは2011年3月以前からも変わらぬ光景なのだろうか。少し心配になる。

13:50-15:20
続いて向かったのは銚子ケ滝、昨日の乙字ケ滝に続いて日本の滝百選に選出された滝だ。カーブ続きの山道を登ったところ駐車場があったが、駐車場から上に登ると車道が。そしてその車道をさらに登ることになる。それならこの車道を車できたほうが早く行かれるんじゃね?ということで、カーブ続きの山道を戻り、郡山市ふれあい牧場の敷地にはいる。その中を突っ切ると、先ほどの車道を通って銚子ケ滝入り口へ。ここからもさらに20分ほど山道を歩く。たまに人にすれ違う以外は、一人の山歩き。そしてこのあたり、熊が出没するそうで。熊出没注意の看板
うーん、出遭った時はその時。と覚悟を決めて山道。ここからは安達太良山への登山道にもつながっているのね。時間があったら登ってみたい。が、私の思いとは裏腹に、道は急激な下りに。これがまた、実にきつい下りだった。鎖場も途中にあるほどの急坂。入り口に軽装禁止と注意書きされていたのが良く分かる。
熊の住む 道行く声も 高らかに
誰一人 見えぬ山道 息荒く

銚子ヶ滝
それだけの苦労の甲斐あって、眼前に見る銚子ヶ滝は見事。途中にある大岩に水流がぶつかり、水がぶわっと広がりつつ落下する。その形が酒を入れる銚子のように見える。自然の造形の妙が味わえる滝といってよいだろう。私にとって銚子ヶ滝は日本の滝百選の中で訪れた21箇所目。その中でもこちらは形のユニークさとアプローチの急峻さで記憶に残るに違いない。

帰路には、森閑とした木立の向こうできつつきが立てる音を生で聴く。得がたい経験。
きつつきの リズムにしばし立ち竦む

誰も居ない山道を急ぎつつ、私の頭には次の行動をどうするか目まぐるしく考えていた。すでに時刻は15:10。ここで今日の行動を終了させるのか。それともあと一つ達沢不動滝にも足を向けるか。

15:20-17:15
車に戻った私は、車のカーナビで達沢不動滝の位置を探す。すると、ここからそんなに離れていないことを知る。これは、、、、行けるかも!

HUSTLERには少々酷だが、カーブの度にタイヤが悲鳴を上げる。ふれあい牧場までかっ飛ばす。そしてカーブ続きの山道を登り、裏磐梯の高原地帯を一路、達沢不動滝まで。この道路もじっくり運転すれば見ごたえのある景色が続いていたが、私にはただ達沢不動滝しか見えない。かなりの速度で突っ走る。

私の無茶な運転は、達沢不動滝前の駐車場で終わりを告げる。そこから渓流と木立に沿った道を走る。居合わせた10数名の人に、走る私はさぞや人目を引いたことだろう。

不動堂
が、不動堂を前に先客が。足腰の不自由な年配の方が杖をつき、介添えの方二人と一緒に歩を進めている。ここで、私も深呼吸。17:30までにHUSTLERを郡山駅東口のカーポートに返さなければという焦りはあれど、ここで強引に前を行くのは諌めなければ。自分の運の強さを信じ、まずは不動明王の碑に向かって一礼。そして前の二人を待ち、滝へと踏み出す。

達沢不動滝
達沢不動滝。実に端正な滝姿だ。巨大な一枚岩の幅の全てに水が流れ落ち、滝と岩が一体となっている。そしてこの造形には人の手は関わらず、自然によるものだ。この姿を見て仏性が宿っていると古人が考えたのもうなづける。私もしばし滝の前に立ち尽くし、時間のたつのも忘れ、ただ見とれる。だが、よくよく見ると一見すると端正なこの滝だが、滝つぼにあたる岩の前には大小の岩が並んでいる。おそらくは上流から運ばれてきた岩なのだろう。角も粗削りで、険のある様子。端正なだけではないこの滝の本性を見た気がする。不動明王をこの滝になぞらえた事も納得。
端正な 滝の本性 壺の岩
先駆けて 寒気に慣れし 紅葉かな
滝打たれ 巌の末も 砂ならん

じっくりと滝を見ていると、奥まったところにもう一つの滝も見える。よくみると「女滝」という案内板も掲げられている。なるほど、先に見たほうは「男滝」に当たるのか。「女滝」のほうは奥まったところで縦に長く水が糸を引いているような姿をしている。二つの滝の比較にも興が湧く。対比の妙が楽しめることもポイントが高い。

さて、離れがたいが、そろそろ行かなくてはならない。レンタカーをの延長は避けたいところ。

HUSTLERに最後の一踏ん張りをお願いし、郡山市街まで車を駆る。 行楽帰りの車が多く、渋滞っぽい速度減もあったが、17:15に無事に到着する。返却期限の15分前には到着出来た。それにしてもカーシェアリングは初めて利用したが、カーナビの仕組みをうまくビジネス用途に改造している。これもkintoneと連携したいと思いたくなる。

さて、郡山に戻ったからには、イベントに顔を出さねば。。。という望みは、実はすでに潰えていた。郡山市街に向けて最後の工程に入る前にウェブで調べたのだ。終了15:00だとか。申し訳ない。

だが、最後にまざっせプラザに行って後片付けの現場で一言ご挨拶出来れば。。。と思ってまざっせプラザに着いたら普段通りの平常営業モード。果たしてイベントやってた?という感じの。店の中には昨日と一昨日お世話になった皆様がいらっしゃったので、一言声掛けて行こうか迷ったのだが、わざわざどうかと思って声をかけずに去る。こう言うのって多分都会の人間の駄目なところなんやろなあ、と後から反省する。でも、まざっせプラザの皆様にはいい郡山の印象を与えて頂き感謝。そして、それを潮に離れがたく思っていた郡山を去る決心をつける。

The Bar Watanabeの前を通り、フルーツたっぷりカクテルで店構えが引かれるAikaにも寄りたかったが、我慢して駅へ。郡山駅コンコースに掲げられている歴程

郡山駅で買った切符のつり銭
駅では郡山の思い出をモノで残そうと、お酒やお土産を買う。そしていよいよ切符を買う。すると戻ってきたのは十円玉数枚。しかも全て新品の。郡山を去るにあたって新品の銅貨が戻ってきたことに何かの示唆を感じる。これはまた郡山に来るということを示しているのではないか。帰りに乗ったはやぶさ

郡山から帰って数日の後、高幡不動を訪問した。高幡不動は新撰組に縁のある地。すなわち会津に縁のある寺だ。そこに何かの機縁を感じ、私も郡山駅で得た新品の10円玉数枚を賽銭として使った。

そのご縁からか、再び郡山に訪れることになった。訪れるのは11/12、13の両日。私が郡山で話した何がしかが評価を頂いたのか、それとも10円玉に込めた思いが通じたのかは分からない。でも、一つだけいえるのは、再度郡山に呼んでもらったからには、また全力でお話をさせていただこうと思う。

地図集

コンフォートホテル郡山から郡山駅東口駐車場への経路

郡山駅東口駐車場から郡山市開成館への経路

郡山市開成館から湖南公民館への経路

湖南公民館から青松浜湖水浴場への経路

青松浜湖水浴場から上戸駅までの経路

上戸駅から磐梯熱海駅までの経路

磐梯熱海駅から銚子ヶ滝入口駐車場への経路

銚子ヶ滝入口駐車場からふれあい牧場入口までの経路

銚子ヶ滝入口からふれあい牧場までの経路

ふれあい牧場から達沢不動滝への経路

達沢不動滝から郡山駅東口駐車場への経路

郡山駅東口駐車場からまざっせプラザへの経路

まざっせプラザから郡山駅への経路


弊社は、福島を応援します。(10/1版)


10/1

7:00-11:00
前夜は結構度数の強い酒を飲み、かなり酔っ払って寝てしまった。だが、目覚ましもなく起きる。10月の朝を迎え、昨晩やり残した月初仕事も終わらせてしまわねば。そんなわけで朝から仕事に精を出す。そしてこちらのコンフォートホテル、朝ごはんが無料で食べ放題。これは結構重宝した。

さて、朝から仕事をしながら私の心はかなり揺れていた。乙字ヶ滝に行くべきか見送るべきか。実はそのことについては郡山に来る10日ほど前から決めかねていた。kintone Café 福島 Vol.1の開演時間は15:00。そして会場となるco-ba koriyamaは駅からかなり離れている。自転車の返却期限はセミナー開催中にあたるので、その前に返しておかねばならない。つまり会場へはタクシーかバスか歩きで向かう必要がある。その時間も見ておかないと。一方、乙字ヶ滝へは片道19km。自転車で行けない距離ではない。そして、次に郡山に来られるのはいつになるか分からない。であるなら、今行かねばいつ行くのか。明日やろうは馬鹿やろう、だ。即断即決と猪突猛進の精神を発揮!

そんなわけで、昨日に続いてまざっせプラザへ。昨日はお見掛けしなかったお姉さま方に自転車の貸し出し手続きをお願いする。そしてお姉さま方はとても親切だった。15:00にco-ba koriyamaに行かねばならない旨を伝えると、その場で会場までの行き方を案内してくださった。しかもそこに行くためのバスの時刻表を調べてくださるとか。さらには昨日紙で作った会員証もラミネートまでしてくださるとか。そして全ての作業は私が自転車を返しに戻るまでに進めておいてくださるとか!すげえぜ!まざっせプラザ!やるな郡山!もはや私の抱く郡山への好感度は盤石の物に。

さて、顔中にまざっせプラザへの感謝の意を浮かべながら表に出た私は、力強くペダルを漕いで出発する。昨日借りたのはママチャリだったが、今日は少しスポーティーな赤い自転車。私の脚力を託すに相応しい相棒だ。ともに目指すは19キロ先の乙字ケ滝。4時間で戻ります!いや、戻らねば!

11:00-12:00
安積永盛駅北側ですれ違った貨物列車ここから私の旅路は南へ。県道17号線(旧国道4号)を南に下る。途中安積永盛駅へ寄り道しながら、須賀川市境で国道4号線へ合流。ここからは緩やかなアップダウンが続く国道沿いを疾走する。正直、私の脚力については全く不安はなかった。だが、もしタイヤがパンクしたら、チェーンが外れたら、という恐れがなかったといえばうそになる。でもここは自分の運と想いの強さを信ずるのみ。

この旅は自転車が頼り。それゆえ、悠長にタブレットの地図を見る間がない。まざっせプラザでいただいた大まかな地図を見ながらの旅となる。しかもその地図は郡山の地図。なので、須賀川市の詳細が全く分からない。そんな訳で須賀川市内ではかなりの迷走を余儀なくされた。後日確かめたところ、私の走ったルートは市内をかなり迷走していたようだ。末尾に地図をつけているのでもし興味があれば参照していただければと思う。だが、迷走もやがて国道118号線にたどり着き、終わりを迎える。迷いながらも私は始めて訪れる須賀川市に興味津々だ。道中には円谷幸吉記念マラソン大会の看板も掲げられている。須賀川市はウルトラマンの生みの親こと円谷英二氏で有名だが、悲劇の自死を遂げた円谷幸吉氏のふるさとでもあったのだ。両名は名字が同じだけでなく、同じ市内のご出身であることを知る。

沿道に並ぶ果実屋さん須賀川牡丹園を過ぎた辺りから、沿道には急に果物屋の路面店が立ち並ぶ。実はその時まで福島県がフルーツ王国である認識が抜け落ちてしまっていた。だが、この果物屋の立ち並ぶ様は、ここが果実生産の盛んな地であることを示すのに十分だった。このあたりの店主の皆様は風評被害にも負けず、がんばって営業されている模様。シャッターが下りている気配は感じられない。頑張って欲しいと思いながら通り過ぎる。ももがとてもおいしそうだったが、こちらは往復38キロを時間までに走破せねばならぬ身。皆さんが頑張っていることをブログに書くことを誓い、通り過ぎる。

橋の上から見る乙字ヶ滝そして、さらに進むと乙字ヶ滝の案内が。118号線を逸れ、少し下ると大きな橋が行く手に見える。どうもここが乙字ヶ滝のようだ。はて?日本の滝百選を擁する場所にしては広がりのある空間。どこに滝が?と思う間もなく、橋の上から見えるは滝の怒涛が散らす水しぶき。滝音も聞こえてくる。長さ100メートルほど、高さ10メートルの橋から見下ろす滝は、落差よりも広がりに見所があるようだ。橋の向こうには観光バスが停まっており、近づくと石碑も立っている。

乙字ヶ滝の石碑ここがまぎれもなく乙字ヶ滝。無事到着したようだ。時刻は12時少し過ぎ。須賀川市内で迷ったとはいえ、目標の1時間で到着できた。

12:00-12:30
乙字ヶ滝は、かの俳聖松尾芭蕉翁が奥の細道の途中で立ち寄った地。「おくのほそ道」は二年程前に読んだ。その旅情溢れる内容にとても憧れたものだ。その時に私を捉えた俳句の心についてはブログにも書いた。それ以来、旅立ちの地である千住大橋を除けば初めて訪れる「おくのほそ道」ゆかりの地がこちら。芭蕉句碑滝不動尊が鎮座し、境内は公園として整備されている。聖徳太子の石像や芭蕉翁と同行の曾良の石像も閑静な公園に立っている。また、芭蕉翁の詠んだ句が句碑として残されている。
五月雨の滝降りうづむ水かさ哉

河原から見る乙字ヶ滝の滝姿橋の上から見た乙字ヶ滝は、少々拍子抜けする佇まいであった。が、滝不動尊から、そして河原から見る乙字ヶ滝は、百選に選ばれることも納得の威容。落差こそないものの、川を横切る段差のそこここで滝が落ちるさまは必見。先日の台風の余波が水量に表れているのだろうか、中央部の段差がくぼんだ箇所には轟音としぶきが存在感を放つ。落差を求める向きには物足りないだろうが、私には旅情を誘うに十分。19km自転車を漕いできた苦労も報われた想いだ。ただひたすらにシャッターを切りまくる。

台風の 傷を癒して 海行かん
秋雨や 舞台に集い 水しぶき

12:30-13:20
38キロの友滝を目前にすると1時間2時間は苦にならない私だが、さすがにkintone Café 福島 Vol.1を控える今、長居はできない。名残の想いを遺しつつ去る。橋を渡り、国道118号に合流する道を進む。と、ふと思いつき仮初めの相棒となった愛車を写真に残す。今回はパンクもチェーン外れも無縁の、頼もしい相棒だった。感謝!

乙字に倒れた稲帰りは同じ道を迷わぬように郡山へ進路を取る。が、帰りは迷わぬよう一直線に、、、ところがそんな私を惑わすモノが道中にはたくさん・・・まずは、田植えを目前にした稲。これが先日の台風の影響だろうか、綺麗に乙字型に倒れている。これもまた旅の一情景。
台風に 薙がれて稲穂 乙字かな

ウルトラマンゴモラ

エレキング
エレキング
ゼットン
ゼットン

須賀川駅せっかくなので、須賀川駅にも立ち寄る。ここは須賀川市の玄関口。駅前広場にはウルトラマンの像が変身のポーズで立っている。ウルトラマンと町を結びつける面白い試みは駅舎内でも見られた。そこで知ったのだが、M78星雲 光の国と須賀川市は姉妹都市提携を結んでいるという。一般市民も光の国に住民登録できたりするのだ。実は訪問前まで、失礼ながら須賀川市とは郡山市の陰に隠れがちの衛星都市のように考えていた。しかし、こうやって訪れてみると魅力的な街づくりに力を入れていることに気付く。坂が多く、自転車でうろつき回るには難儀する街だが、観光資源の豊かさではお隣の郡山にも引けを取らない。しかもゆくゆくは円谷英二、円谷幸吉の両氏を顕彰する記念館もできるのだとか。須賀川市にはまた来てみたいと思った。

13:20-14:40

さて、須賀川駅を後にした私、この時点で時間は13時20分過ぎ。そろそろ郡山に向かわねばまずい・・・。と急ぐ私の行く末には、福島の魅力がさまざまに形を変えて立ちはだかる。

下江持橋からの阿武隈川須賀川駅から北に進路を向けてしばらく走ると阿武隈川を渡る下江持橋にたどり着く。乙字ヶ滝以来、久々に見る阿武隈川だ。この橋から見る阿武隈川は実にゆったりと流れていた。大河の持つ器の広さとでも言おうか。この後も阿武隈川とは付かず離れず郡山に向かうことになる。阿武隈川と付き合ってみて思ったのは、安積地域の起伏が穏やかな地勢には、阿武隈川の穏やかな感じが似合っているということだ。今回郡山に訪れる前に私が印象として持っていたのは、郡山を中心とした安積地域が原発事故の風評被害に苦しんでいるということ。私はそれに何かしらの助けをしたいと思ってやって来た訳だ。そして、こうやって安積地域を走り回って思ったのが、まったく普段通りの姿であること。痛々しい姿も、肩肘張った姿も、人々の言動や山河のたたずまいからは感じられなかった。それも、阿武隈川のゆったりした流れから受けた印象なのかもしれない。

残土処理場の看板そんな私が、今回の2泊3日の間に唯一見かけた原発事故の余韻がこちら。下江持橋をわたってすぐの場所に掲げられていたこちらの看板からは、須賀川市もまた原発の余波に苦しんだ街であることが見て取れた。しかし、先ほど通りがかったフルーツ街道も、乙字ヶ滝のしぶきも、この後見る稲穂のざわめきも、原発事故などなかったかのように普段通りの日々を営んでいる。

みちのく自転車道とかかしさて、看板の存在を考えながら自転車を漕ぐこと数分、みちのく自転車道という案内看板を見かけた。実は下江持橋を渡った時点で、すでに往路とは違った道を通っていた。迷いかねない行いの上に、ここにきてさらにこのような魅力的な名前の自転車道が、、、。そして私はこの自転車道に乗り入れることを決意してしまう。頼れるのは己の方向感覚のみ。往路に須賀川の街中で迷ったことも忘れ、自分を過信するのが私の欠点であり長所なのだが。。。自転車道の入り口でこんな風にかかしに招かれたら普通は見過ごせないでしょ?

見えるはただ稲穂のみさて、みちのく自転車道に入り込んだ私。すぐに不安を一掃するような景色に出会う。それがこちらの写真。人家はおろか、文明の痕跡すらほとんど画面に映らぬ中、ひたすら続く黄金の稲穂の絨毯。しばしkintone Café 福島 Vol.1までのタイムリミットも忘れ、呆然と立ち尽くした。自然の力とは偉大だ。風評被害などというものは、この写真一つで吹き飛ばせるのではないか。畑に少し近づくと、路肩から次々と無数のバッタやカエルが母なる田んぼへと飛び込んでゆく。太古から繰り返されてきた微笑ましい生命の営みがここにはあった。先ほど見かけた除染処理の看板のことなど忘れさせるほど変わらない普段通りの光景。収穫の時を迎えようとする稲穂からは、豊穣の香りが立ち上る。
旅人を 迎えて稲穂 おもてなし

こんな素晴らしい景色を前にして、子供達を避難させよという主張の意味が分からない。
実は、昨晩、夜の郡山駅前で数名による街頭演説を見かけた。そののぼりに書かれた文章を読む限り、子供達を郡山から避難させよというのが彼らの主張らしい。だが、彼らのアジテーションたるや、今まで私が聞いたアジの中で最もひどく、聞くに耐えない内容だった。郡山の人々を罵倒し、自分たちの主張に従わないことが愚の骨頂のように言い募る。別の方のしゃべりは滑舌もリズムも悪く、何を言っているか良く聞き取れない。彼らはわざわざ彼らの主張の反対者を増やすために演説をしているようにしか見えない。これでよく郡山の人々が怒らないなあと思えるほど。アジテーション以前の拙劣極まりない内容だった。そして私は思う。彼らは郡山や須賀川近郊の全ての光景を目にした上でなお、子供を逃せという主張を述べているのだろうか、と。
私とて、まったく放射能が郡山に及んでいない、とは言わない。しかし、それを云えば私が住む東京都町田市も似たようなもの。だが、原子炉周辺の明らかに人体に害を及ぼすシーベルトは郡山では検知されていない。であるならば、ことさらに人々を惑わせてどうするのか。すでに郡山に生活基盤を築き上げた人々に、何をもって全てを捨てて移住せよいうのか。あまりに暴論。あまりに拙劣なアジテーション。郡山の人々に触れ合い、郡山周辺に広がる美しい山河を見た私は、彼らの主張にはっきり反対を申し上げたい。

阿武隈川を渡る水郡線の橋梁稲穂に出迎えられているかのような錯覚と感動の中、私は自分の方向感覚を信じ、みちのく自転車道にある看板から得られる情報を確かめながら北上した。それにしても、この自転車道、ほとんど人に遭わない。こんなに風情に溢れた自転車道だというのに。あまり存在が知られていないとしたら、実にもったいないことだと思う。だが、そのお蔭もあって、私は快適にみちのくの風を感じながら走ることができた。そして、かなり走ったところで水郡線の鉄橋が見えてきた。確か私の記憶では水郡線の鉄橋が見えたら郡山市ではなかったか?そして、それを裏付けるように、私が持っていた郡山の地図にそれが載っている。私の地図が再び役に立つようになった。ようやく郡山市に戻ってきた。あと少しだ。
それにしても、この鉄橋、なかなかよい感じ。鉄ちゃんにはとてもよい撮影ポイントではないか。私が通り過ぎた際にも一台の車が待機していた。多分鉄っちゃんが撮影を狙い済ましつつ、カップラーメンを食べている現場だったのだろう。あくまでも想像だが・・・私も時間に余裕があれば、一緒に麺をすすりながら、撮影のタイミングを待っただろう。

東北新幹線の阿武隈川橋梁水郡線の撮影を諦め、早くホテルに戻って一ッ風呂浴び、kintone Café 福島 Vol.1の会場に駆けつけねば、という私の思い。だが、そんな私の思いは、川の土手をさらに北上したところで頓挫する。そこには東北新幹線が阿武隈川を渡河する絵画的な景色があった。彼岸花ですよ。阿武隈川ですよ。そして東北新幹線ですよ。こんな絶好の写真ポイントを見つけて逃さない訳には行かないじゃありませんか。本数の少ない水郡線の通過に巡り合える幸運を待つよりは、頻繁に行き来する東北新幹線ですよ。シャッターチャンスにも恵まれるはず。このチャンスを活かさない手はないでしょ。

阿武隈川を渡るはやぶさと
彼岸花そう思った私だが、10分近く土手にしゃがんで待つことになる。ちょうど前の列車が通過した後だったらしい。しかし、迫り来るタイムリミットに耐えつつ待った私の前に轟音を立てつつやって来たのは多分はやぶさ。そしてこれが私の撮影の成果である。実に満足。
橋わたる はやぶさ追って 彼岸花

さて、写真を撮り終えた時点で、14:10分が迫っている。さすがにやばい。この土手からは、郡山の駅前で無類の高さを誇るビッグアイが見える。しかしそのサイズたるや、まだ肉眼で10cm程度。そしてこの時点ですでに私の足腰は疲れを見せ始めている。さすがに寄り道しすぎた、やばい・・・。ここからは寄り道せずに土手を疾走することになる。

私がコンフォートホテル郡山に戻ったのは、14:25のこと。駆け込むように部屋に戻ると、手早くシャワーを浴び、PCを準備して、エバンジェリストのポロシャツを着て飛び出す。まざっせプラザのお姉さんに伝えていた返却予定時間は14:30。結局私が返却したのは14:39頃のことだった。この十数分の私の行動たるや、疾きこと風のごとし。自分でも後から思い返してよくやったと思えるほどだ。ホテルからまざっせプラザまでは結構距離があるというのに。

14:40-18:00
まざっせプラザ入り口まざっせプラザのお姉さんからは、しっかりとラミネート化された会員カードを渡される。そればかりか、co-ba koriyamaへのバスルートもきちんと調べてくださっていた。素晴らしいご対応には感謝の言葉しかない。そしてお姉さんによると、私が向かうべきバス停の名前は、中央大町バス停という。場所はまざっせプラザから駅前大通りを挟んだ反対側。私の足は今にも攣りそうだったが、気合でわたる。バス停で時間を調べると14:41発のバスに間に合う!しめた!とやって来たバスに乗ろうとすると、そこで見知った方とばったり。

バス停にいらっしゃったのは、昨日のセミナーでお世話になった主催者の方。同じくkintone Café 福島 Vol.1会場へ向かうところで、私がまざっせプラザでバスの行き方を聞いていたことを知り、果たしてバスに乗れるかと気にかけてくださっていたのだ。なんと親切な。昨日に引き続き、郡山の人々の人情に触れた思いだ。会場までのバスの道中では、もう一方ともお知り合いに。昨日のセミナーにはいらっしゃらなかったけど、kintone Café 福島 Vol.1には参加されるとか。しかも町田を深くご存じの方。郡山の観光振興をされているその方も一緒に、私の行きたてほやほやの須賀川への旅の話題で盛り上がる。先にも書いた両円谷氏の記念館が開館予定であることは、その話題の中で教えてもらった話だ。いろいろなご縁が郡山を中心につながっていく様は、実に喜ばしい。

co-ba koriyama外観
あっという間にバス停に到着し、バス停からすぐ近くのco-ba koriyamaへ。なんと、15:00の開場に間に合った。38km以上走った末のぎりぎりの到着。開場には東京や横浜、秋田や仙台からのお客様も交え、大勢の人で熱気が渦巻いていた。私も、まだ息があがったままで汗がだらだらと流れている状態であったが、あらためて気合いが入る。

終了後の集合写真↑kintone Café 福島 Vol.1については、こちらのブログに記載しています。

18:00-23:00
ハイカラヤでの懇親会第一部の様子さて、kintone Caféは、kintoneを通した勉強会と親睦を兼ねた集まりだ。懇親会は欠かせない。昨日のセミナー後は飲まなかったので、この集まりでは郡山の人々と語らってみたいという思いがあった。そして実際、この酒席は実に楽しかった。接待のような上下関係のある飲み会が苦手な私。だが、この飲み会では、セミナー講師や登壇者としての意識の断絶を全く感じさせず、以前からの郡山に住む人のように酒席に溶け込めた。テーブルの下では私の足が痙攣し、飲み会の最後では寝てしまうという失態をやらかしたにも関わらず。とても気持ちよくお酒が飲めた。この二日間で思ったのが、私は郡山という街と相性が良いということだ。郡山には今までご縁がなかったはずなのに。出席されていた皆様、ありがとうございます!

また、この飲み会では、郡山の方の風評被害への憤りも少し伺えた。昨晩郡山駅前で見かけた街頭演説や、今日の須賀川で見かけた除染施設の看板など、原発事故がいまだ影響を及ぼしていることは感じられた。が、郡山と福島の街をあれこれ巡ってみて、そういった過度の不安は杞憂に過ぎないことも体感した。郡山は普通であり平常なのだ。郡山に住むほとんどの人はそう思っているし、私も実際に訪問してみてそのことを強く思った。それだけに県外から届く風評被害の心無い意見には悲しさと憤りを感ずるのだろう。私もこちらのエントリーを通して、そういった風評には異を唱えたい。

一次会会場のハイカラヤでは少し寝てしまった私。気持ちよく酔っ払ってしまったが、二次会の古酒屋では持ち直す。遠方からの方は一次会で帰ってしまったが、二次会では6人で楽しく語らうことができた。駅から数キロはなれた場所にもこういったおしゃれなお店が点在するあたり、郡山という町が一朝一夕に作り上げられた街でないことが良く分かる。古酒屋から郡山駅までは約3km。私にとっては楽勝の徒歩圏内だが、私に付き合ってか皆様も一緒に歩いてくださる。その道中では、夜風に吹かれながら徒歩でしか気づくことのない郡山の魅力を教えてもらう。地元の人々と街を語りながら歩くという機会はそうそうあるものではない。郡山という街がどうやって成り立って来たのか、酔った頭にも好奇心が沸いた。

同行の皆様とは三々五々別れたが、最後のお一方は、コンフォートホテル郡山まで、私のことをお送りしてくださった。郡山の方は掛け値なしに親切だなあと思う。感謝の念とアルコールに深酔いしつつ二日目の夜は幕を閉じる。

地図集

コンフォートホテル郡山からまざっせプラザへの経路(Google Map)
コンフォートホテル郡山からまざっせプラザへの経路

まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(Google Map)
まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路

まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(須賀川市境まで)(Google Map)
まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(須賀川市境まで)

まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(須賀川市内迷走)(Google Map)
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まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(乙字ヶ滝付近)(Google Map)
まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(乙字ヶ滝付近)

乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(Google Map)
乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路

乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(下江持橋まで)(Google Map)
乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(下江持橋まで)

乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(みちのく自転車道1)(Google Map)
乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(みちのく自転車道1)

乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(みちのく自転車道2)(Google Map)
乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(みちのく自転車道2)

乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(コンフォートホテル郡山まで)(Google Map)
乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(コンフォートホテル郡山まで)

コンフォートホテル郡山からまざっせプラザへの経路(Google Map)
コンフォートホテル郡山からまざっせプラザへの経路

まざっせプラザからco-ba koriyamaへの経路(Google Map)
まざっせプラザからco-ba koriyamaへの経路

co-ba koriyamaからハイカラヤ郡山あさひ通り店への経路(Google Map)
co-ba koriyamaからハイカラヤ郡山あさひ通り店への経路

古酒屋からコンフォートホテル郡山への経路(Google Map)
古酒屋からコンフォートホテル郡山への経路


弊社は、福島を応援します。(9/30版)


9/30

9:00-10:00
小田急線で新宿へ。そこから埼京線の通勤快速で大宮へ。道中、並走する東北新幹線を意識する。まもなくこれに乗って東北へ行く。ビジネスの旅とはいえ、高揚する思いは旅の始まりのそれと同じだ。不安は微塵もない。

10:00-11:00
郡山駅に到着したやまびこ45号10:06発のやまびこ45号に首尾よく乗車。宇都宮に停まると次が郡山。わずか二駅の旅。とはいえ、旅情に浸る間も惜しんでプレゼン資料の最終チェックを行う。文字の字切れや不鮮明箇所はないか、話す内容の構成に破綻はないか。うん。問題ないようだ。チェックの最中にも、ケータイ国盗り合戦も併せてチェック。特に宇都宮以北は未踏の地であり、全てが初制覇だらけなのだから。那須を過ぎると急にあたりの光景は山あいのそれへと変わる。自分のビジネスキャリアが今まさに白河の関を越えようとしている事を実感する。空は青く、たなびく雲は白い。不思議なほど緊張していない自分がいる。むしろワクワク感のほうが強い。

11:00-12:00
郡山駅前の広々した広場郡山到着。早速荷物を担いで駅コンコースへ。で、でかい・・・私の想像よりもかなり立派なコンコース。長野や仙台、盛岡のような県庁所在地の駅に降り立ったような感がある。郡山という街を軽くみていたのかもしれない。想像していた以上に大規模な駅のようだ。そして、そんな驚きは駅前広場でさらに強まる。堂々たる駅の面構え。駅前広場に集っては散るバス達。広場には滝が流れ、ベンチでくつろぐ人々にすら田舎の日向ぼっこの雰囲気は皆無。都会のベンチでくつろぐ人々のそれだ。

郡山駅前の広々した広場おや? 駅前広場に手形が・・・何やろ? あ、Greeeenの。あ、そうか、Greeeenって郡山か。この鮮やかな緑のドアは、何かのオブジェかな? あ、Greeeenにちなんだドアやった。セミナーに先立って郡山に縁のある人物や作品を調べてきたつもりが、すっかりGreeeenが抜けていた。そういえばミューカルとかいう音楽ホールも郡山にはあったような・・・

福島到着の第一印象は、駅の玄関口としての威容である。このような立派な面構えの駅前から受ける印象は都会以外の何物でもない。このような都会の商工会議所でセミナーを務めさせていただくことにあらためて襟を正す思いでまざっせプラザへと向かう。

まざっせプラザへは、レンタサイクルを借りるために向かった。事前に調べたところではまざっせプラザは郡山の観光案内所のような役割を担っているとか。自転車の予約空き状況も調べたところ、借りられそうだったので事前予約はせずに訪問。 開店早々だったのでまだお客様もおらず暇だったのだろうか。スタッフのお兄さんがとても親身に対応してくださった。郡山が初めての私に、惜しみなく情報を提供してくださる。開成館に行きたいというと、「お目が高い」とお褒めの言葉を頂戴してしまった。そして、夜のお勧め飲み屋や、郡山に来たならこれを食べてほしい、というクリームボックスの情報までも。もちろん、飲み屋のことは知らなかったし、クリームボックスも初耳。まざっせプラザでこうも親切な助言に触れたことで、幸先よく郡山に溶け込めそうな感触を受けた。まざっせプラザのお兄さんには感謝しないと。 https://www.mazasse.com/

さて、郡山の足を手に入れた私。この時点ですでに時間は11:30近く。13:00には郡山商工会議所に伺うお約束。しかも、一番大きいスポーツバッグが自転車の籠に入らないことが判明。お兄さんからは近くのうすい百貨店の地下にコインロッカーがあるという有益情報が。この情報もすごく助かった。

うすい百貨店ロッカー前のガラス戸
うすい百貨店へ。そして私は、ここでも郡山の人の親切心に触れることになる。入り口から地下に降りるとよくデパートにある大きなガラス戸がある。そしてその戸は閉まっていた。大きな荷物を持った私が戸を開けようとする間もなく、向こうからやってきた通りすがりのお姉さんが開けてくださったのだ。しかも、私がお礼したところ、「どういたしまして」とちゃんと言葉で応答がある。こういう何気ない動作に、郡山の皆様の民度と人柄が表れる。惚れてまうやろ~郡山~♪

さて、身軽になった私は、一目散に駅前大通りを西へ。目指すは開成館。でも、途中で大友パンに寄らねば!まざっせプラザのお兄さんからはガイドブックに載っている何店舗かのクリームボックスの扱い店を教えていただいた。中でも発祥の地である大友パンがおすすめだとか。地図を見たところ、大友パンは具合のいいことに開成館への道の途上にある。これは寄らねば!そしてクリームボックスを昼飯にしようではないか!

大友パンでのクリームボックス大友パンに着いた私は、早速クリームボックスを購入。プレーン味とカフェオレ味の二種類。食パンの上に、たっぷりとクリームを乗せたその姿は、他の地域では見られないインパクト。なるほど、確かに名物を謳うだけのことはあるなぁ。Retty

食料も調達できたことだし、あとは開成館へと向かうだけ。道中、マンホールの写真を撮りながら、自転車をこぎ続け、無事開成館へ到着。結局着いたのは12:00頃だった。

なぜセミナー前のわずかな時間に開成館に来ようと思ったか。その理由は二つある。一つは、マンホールカードの配布場所が開成館だったから。セミナーの自己紹介の際に「つかみ」としてマンホールカードの実物をぜひお見せしようと思った。そしてもう一つの理由は、郡山の街の風土を知るのに、安積開拓の生き証人である開成館を見るのがよいと思ったから。初めてお会いする方々の前でセミナーを始めるに当たっては、最低限その街のことを知っておくのが礼儀と思う。なので、たとえ1時間半しか余裕がなかろうと、自分の脚と眼で開成館を見、安積開拓の苦労と、その後の発展のきっかけを知りたいと思っていた。

↑今回、開成館で入手したマンホールカードについてはこちらのブログに記載しています。

12:00-13:00
郡山市開成館入り口上に紹介したブログにも書いたが、開成館の入り口にはマンホールカードが飾られている。「欲しいのですが」という私の言葉に受付のおじさんは快く応じてくださった。そればかりか、台紙までつけてマンホールカードについてのご説明をしてくださる。その台紙にはもう一箇所、郡山で配布するもう一枚のマンホールカードを挟み込むスペースがある。そのもう一枚の入手先である湖南公民館への行きかたを一生懸命に説明するおじさん。一連のやりとりを通し、郡山の人柄がこのおじさんに集約されている気がして、ますます郡山を好きになる。

門扉越しの開成館門扉越しに見る開成館の威容たるや、まさに明治の男たちの夢そのもの。ぜひ中に入りたかったのだが、ここで中に入るとセミナーに間に合わない。郡山滞在中に必ず再訪することを誓う。また、クリームボックスも開成館で食べようと思っていたが、良く見ると開成館の傍には斎場が。斎場の前でフォーマルな格好のおじさんがレンタサイクルにまたがり大口開けてクリームボックス・・・万が一にもこんな姿をセミナー参加者にさらすわけには行くまい・・・・断念して戻る途中で見かけた良さげな公園を昼食場所に定める。

開成山公園と今日の愛車さて、私が訪れたのは開成山公園。なかなかよさげな公園だ。郡山の街中を走って思ったのが、公園の多さ。この公園もにわか写真家の魂をうずかせる・・・そういえばまだ今日の愛車を撮っていなかったので、こちらで一枚。

開成山公園でクリームボックス
こちらが郡山でいただく初のお食事。郡山のご当地グルメことクリームボックス。うん。うまい。このこんもり感がたまらんね。時間がない私にはちょうどよい食事だった。あらためてまざっせプラザのお兄さんに感謝。

不死鳥舞う開成山公園それにしても、空が青い。なんという天気。こんな空の下で食べるクリームボックスはうまい。セミナー開始まであと1時間強というのがとても信じられないほど。ベンチに座って目の前の小僧の銅像を眺めていると・・・目の前の雲が不死鳥に見えてきた。いや、これはどう考えても不死鳥に違いない。クリームボックスを平らげた私は写真を撮りまくる。そして空に見惚れる。私が郡山でのセミナーが成功することを確信したのはこの時だった。すくなくとも壇上であがって支離滅裂になったり、プロジェクターや通信環境が途絶して立ち尽くす様なことはあるまい。
それだけの確信を、私はこの青空と不死鳥から受け取った。なんといってもこの雲は郡山、そして福島の再生。そして私自身のこれからの象徴なのだから。

不死鳥が 空に羽ばたき 旅路かな

開成山の大シダレザクラ麗山公園帰りの自転車を漕ぐペダルにも力が入る。途中立ち止まったのは開成山の大シダレザクラ。こういうのが道端に何気なくたたずんでいるのもよし。さらには麗山公園へ。この公園も開放感があり、それでいて洗練されている。ここまでで私にとっての郡山の街中のイメージはほぼ定まった。駅前は立派。通り過ぎた駅前すぐの歓楽街も淫靡に染まらず、あくまで夜の社交場の節度を保っているように見える。目抜き通りも活気を保っている。少し離れると公園や落ち着いた住宅街、歴史的建造物が控えている。グラウンドも開成山公園で見掛けた。郡山という街を走り回って感得したのは、街を形作るさまざまな要素がうまく配置されているという印象。街歩きが趣味の私にとって、住んでみたいと思わせる町だった。

安積国造神社商工会議所の場所を確認しつつ、街中に戻った私。うすい百貨店で荷物を取り出したのだが、またしてもガラス戸でお手伝いしてもらう。さっきとは違う方だったが私の発するお礼に対して返答が返ってくるのは同じ。なんというフレンドリーな街なんだろう。この期に至り、私はすっかり郡山が好きになってしまった。そんな高揚した気持ちのまま、まざっせプラザに無事自転車を返却し、お礼を述べつつ、荷物を持って商工会議所まで歩く。
おっと、まだお伺い時間には時間があるなぁ。安積国造神社で参拝をしなければ。その土地の国津神には参拝をし、その土地に敬意を表さないと。今回は旅人としてではなく、一人のビジネス人として来ているのだから。参拝を済ませ、いよいよ郡山商工会議所へ。

13:00-16:00

郡山商工会議所外観敢然と郡山商工会議所に入る。セミナー開始まであと1時間。それにしても洗面所で見た私はかなり汗だく、そして顔色も悪く見える。睡眠不足が続いたとはいえ、かなり病的。これはいかんと洗面所で念入りに顔を整える。そして会場となる五階会議室へ。私の第一印象は皆様にどう映っただろうか・・・

↑このセミナーの内容については、こちらのブログに記載しています。10/4付けの福島民報でも記事にしていただきました。

16:00-19:00

郡山駅東口セミナーが終わった私は、そのまま歩いて駅の反対へ。私が投宿するホテルは郡山駅の東口から少し歩いたコンフォートホテル郡山。このホテルはセミナー主催者の方に教えていただいた。評判も上々なのだとか。高揚した気分の私は、立体交差を越え、遠回りしてホテルへと向かった。郡山駅は西口が栄えているが、東口は一転して静か。それもそのはずで、駅の東口は貨物ヤードが広がり、その横には保土谷化学の郡山工場が広大な敷地を占めている。ホテルの窓からみた郡山駅東口は、西口とは違った顔を持っているようだ。
ホテルにチェックインした私は、しばらく旅の疲れを落とした後、夜の仕事の準備を行う。月末日なので月替わり処理の準備や、翌日に控えたkintone Café 福島 Vol.1の準備も進めないと。

夜の郡山駅東西連絡通路いったん、偵察もかねて夜の街に食事に向かった私。先ほどと違って駅の東西自由通路を通る。この自由通路が結構長い。400メートルほどあるらしい。なので、駅前にあるはずのコンフォートホテルからは600メートルは歩かないと駅のコンコースにはたどり着けないことになる。これが今後の郡山市の発展の上で障害とならねばよいのだが。東口では何かの工事が進んでいたようだが、すでに市当局も改善に向けて策を打っているのだろうか。

19:00-25:00

夜の街を歩き回ってラーメンを食べ、ホテルに戻った私。猛烈に作業を行い、23時過ぎにもう一度駅前へ臨むことになる。

金曜夜の郡山。それは昼間見ただけでは気付きようもない郡山の別の顔。私が毎月恒例の一人飲みの宿り木として伺おうと決めていたのはThe Bar Watanabe。こちらのバーは、kintone Café 福島 Vol.1の主催者の方よりお勧めバーとして教えてもらっていた。ところがこれが見つからない。同じブロックを三周ほどしてようやく見つけた。そしてその間に呼び込みのお兄さんお姉さんに何回も声を掛けられる。黒服の方々は、この界隈だけでも50人近くは見かけただろうか。でも、その呼び込みはしつこくない。こちらが手を振って断るとすっと引き下がってくれる。結構洗練されているかも。郡山って。

そして、私がようやく見つけたThe Bar Watanabeは、東京でもなかなか見られないほどの隠れ家度。The Bar Watanabeの入り口
内装も酒の種類も雰囲気も良い感じ。結局閉店の1時までお店にいついてしまった。The Bar WatanabeではArdbegとMaker’s Markの46プルーフ、さらに店主秘蔵酒をいただく。この秘蔵酒の正体とは、、、うー、書きたい。でもこちらの秘蔵酒は写真撮影すらNG。それもその筈で、この酒がこの値段で飲めるとは!という逸品だった。これ飲むためにもう一度訪れたいぐらいの。うー書きたい、けど書かないし載せない。Barへと続く通路

通路と外の世界を隔てる扉
でも、郡山のナイトライフも堪能できたのでよしとしよう。郡山の洋酒文化の成熟度も知ることができたし。なお、お勧めいただいたBarは他にも3軒。全てが良さそうで、行きたかったのだがすでに時間的に閉店の模様。これは再訪したい!満足しつつ郡山で過ごす最初の夜は更けて行く。

地図集

郡山駅からうすい百貨店への経路(Google Map)
郡山駅からうすい百貨店への経路

うすい百貨店から郡山市開成館への経路(Google Map)
うすい百貨店から郡山市開成館への経路

郡山市開成館からまざっせプラザへの経路(Google Map)
郡山市開成館からまざっせプラザへの経路

まざっせプラザから郡山商工会議所への経路(Google Map)
まざっせプラザから郡山商工会議所への経路

郡山商工会議所からコンフォートホテル郡山への経路(Google Map)
郡山商工会議所からコンフォートホテル郡山への経路

コンフォートホテル郡山からあさくさラーメンへの経路(Google Map)
コンフォートホテル郡山からあさくさラーメンへの経路

あさくさラーメンからコンフォートホテル郡山への経路(Google Map)
あさくさラーメンからコンフォートホテル郡山への経路

コンフォートホテル郡山からThe Bar Watanabeへの経路(Google Map)
コンフォートホテル郡山からThe Bar Watanabeへの経路


弊社は、福島を応援します。(まとめ版)


先日ブログに書いたとおり、9/30~10/2にかけて福島県郡山市に滞在していました。私の生涯で初めての郡山訪問。そして福島県の方々との触れ合い。今回の旅は、私の心にとても強い印象を与えました。

郡山は、私が個人として招待された初めての都市です。組織の名を背負っての訪問ではなく、物見遊山としての一人旅でもありません。仕事として個人の責任で訪問した初めての都市。それが郡山市です。

今回の郡山訪問は、郡山商工会議所でのセミナー講師として、kintone Café 福島 Vol.1の登壇者としての訪問です。それは一期一会で通りすがるだけの旅人としての訪問とは明らかに違います。旅人として受け取るだけではなく、ビジネスとして与えなくてはなりません。そこが、今まで私が経験してきた旅とは明らかに違う点です。

また、私にとって郡山を含む福島県は、特別な意味を持っています。それは福島県が東日本大震災で未曽有の被害にあった県だからです。2011年3月11日の揺れとその後の混乱。それは私に阪神・淡路大震災で味わった経験を思い出させました。しかし、東日本大震災の被害を前に、私は仕事にかまけ何一つ手伝うことができませんでした。せいぜいがPray For Japanのアルバムを購入したり、石巻の酒屋で津波から救い出されたWhiskyを梅田のBarで頂いたりした程度です。それらの行動はチャリティー参加とはいえ、単なる消費でしかありません。また、地震から2年半後に家族でいわき市のスパ・リゾートハワイアンズを訪れもしましたが、それすらも単に気楽な旅人としての訪問にすぎません。

自分が東北の人々に何も貢献できていない引け目は、5年半の間、私の心に巣食っていました。今回、初めて仕事で郡山を訪れ、郡山の皆様の前で何がしかのお話ができたことで、少しは私の中の引け目が軽くなったように思います。もちろん、これが私の個人的な自己満足に過ぎないことは承知の上ですが。

このエントリーに続いて、私が郡山に訪れて感じた印象を、三日間に分けて日記調に記そうと思います。また、三日間に撮りためた数百枚の写真の中から数十枚を選んで載せようと思います。それらの写真には、他の地域となにも変わりない、美しい日本の風景が写っています。郡山、須賀川、そして猪苗代。これら写真に写る光景は、私の心を癒やしてくれました。美しい福島の光景を皆様にもお伝えできたらと思います。そして私が郡山や福島の人々の温かみに触れたことで、何を得、何を感じたか。それが皆様に伝わればよいと願っています。


Connect 2016 in Koriyamaに参加します


お知らせです。

11/12-13に福島県郡山市でConnect 2016 in Koriyama, with UDC (ハッカソン)が開催されます。
https://www.techno-media.net6.or.jp/newmedia/human/1371

そこに弊社も参加させて頂くことになりました。ただし、参加といいましても、皆さんと一緒にアーバンデータチャレンジ(UDC)2016の応募を目指してアプリを作る側ではありません。アプリを作るための技術セミナーの講師として参加させて頂きます。弊社代表が担当する技術セミナーはkintone。

当日は、福島に対する想いを沢山お持ちの皆様のアイデアが、アプリ開発を通じて実現されてゆくプロセスを目の当たりに出来るはずです。熱気溢れる場となることでしょう。奇想やビジネス感覚に溢れたアイデアにも出会えることでしょう。弊社代表もハッカソンには今まで誘われていながら、一度も参加できていませんでした。今回はとても刺激を受けることになるはずで、今から楽しみにしています。

残念ながら応募者多数により、新規受付は締め切られてしまったそうです。が、当日の模様については可能な限りブログにてレポートさせて頂きたいと思っています。乞うご期待!


マンホールカードをご存知ですか?


最近、マンホールがひそかなブームらしいって知ってますか?

私も数年前からマンホール撮影を趣味の一つに取り入れています。地方を訪れては、その地のマンホールを撮影し、一人で悦に入っています。もっとも、マンホールのためにわざわざ旅するまではハマっていませんが。

ただ先週、セミナーで郡山を訪れた際は、わざわざマンホールのために訪れた場所があります。いや、マンホールではなく、マンホールカードのためですね。

マンホールカード。ご存知ですか?日本下水道協会がこの春から発行を始めたものなんですが。各地には地方の郷土色豊かなマンホールがあり、しかも、目抜き通りには限られた数のカラーリングされたマンホールが貴方に踏まれるのを待っています。そんなマンホールをカードにして配るという日本下水道協会の発想は、ダムカードの二番煎じであっても私は応援したいです。
https://www.gk-p.jp/mhcard.html

ちなみに、郡山のセミナーの冒頭、自己紹介でマンホールカードの実物を出席者の皆様にご披露したところ、セミナー終了後に思ったより反響がありました。郡山の方でも知らなかったのだとか。セミナーに出席されていたとある方は、各地の消火栓や聖書配布教会の看板を撮るのがご趣味だとか。kintoneのセミナーでそんな話題に盛り上がれたのも、よい思い出となりました。

最初は二枚とももらうつもりはなかったのですが、郡山到着後すぐに訪れた郡山市開成館に訪れました。そこで一枚目のカードと台紙を頂いたのですが、おじさんがとっても親切で、湖南公民館にいったらもう一枚もらえることや、行き方を一生懸命教えてくれるので、予定を変えて訪れてしまいました。私の郡山愛を促進した出会いの一つでした♪

折角なので、郡山で得た二枚のマンホールカードとともに、郡山で撮ったマンホールをご紹介♪

郡山市では、わざわざ台紙を作成されていました。ご好意で頂きました。EPSON MFP image

二枚のマンホールカード実物です。
EPSON MFP image

そしてこちらは、その裏。きちんとマンホールの意匠の由来が説明されており、私のような県外からの来訪者にも郡山の名物が理解できるようになっています。
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台紙を開くと、このようにマンホールを挟み込めるようになっています。
EPSON MFP image

裏はこのようになっています。
EPSON MFP image

これは、セミナーの翌々日、10/2に訪れた湖南公民館に飾ってあったパネル。このようなパネルは初めてみました。
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湖南公民館には、マンホールカードの第二弾告知ポスターが貼られていました。郡山市の二枚は、第二弾にあたるようです。
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こちらは、湖南公民館前のマンホールです。小さめの蓋です。同じデザインですね。
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こちらは、湖南公民館前のマンホールです。大きい方の蓋です。同じデザインですね。この蓋のカラー版は残念ながら見つかりませんでした。なお、カードの左下にある緯度経度は実際にその蓋がある場所を示しているそうです。次回、猪苗代湖を訪れた際は見てみようと思います。
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こちらは、少し離れた場所の田んぼの農道の真ん中にあったもの。農業用水のためなのか、親子型の蓋でした。
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こちらは、郡山の駅前通りにあった蓋。シックな感じの色合いがなかなか。
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こちらも郡山の駅前通りにあった消火栓の蓋。分かりやすい色合いがなかなか。
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これは水道の止水栓の蓋ですね。これがカラーリングされているのはあまりみません。
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シックな下水道の蓋の大きなほうです。
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カードと同じくカラーリングされた蓋です。レンタサイクルを借りたまざっせプラザのスタッフの方に教えて頂いたクリームボックス。郡山の地元グルメなのですが、お勧め頂き訪れた大友パン店の手前で撮りました。
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安積疎水が発展の元となった郡山らしく、水道仕切弁の蓋が安積歴史博物館らしき建物とあやめで彩られています。
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旧式な蓋も町のいたるところで見かけました。これはうすい百貨店の近く。
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これも旧式な蓋ですね。同じくうすい百貨店の近く。
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デザイン蓋ですが、鋳造の色を残しており、縁取りがされている蓋です。
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デザイン蓋ですが、鋳造の色を残しており、上とは縁取りの形が少し違います。
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これは郡山市水道局の前にあった水道止水栓の蓋です。郡山水道の中枢部に相応しく、カラーリングされています。
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かと思えば、全く街路の敷石に合わせた控えめな意匠の蓋もありました。
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これは鋳造ではなくコンクリートの旧式な蓋です。
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小さな止水栓の蓋です。これまた鳥が意匠されています。
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こちらの消火栓の蓋は、あやめが彩られています。
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これもまた、旧式な蓋です。
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これもまた、旧式な蓋です。真ん中の郡山市章が大きくなっています。
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こちらは色合いが二色ではありますが、わざと凹凸が強調されていました。駅前大通りにて。
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色合いが二色の、凹凸が強調蓋の小型版です。駅前大通りにて。
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こちらなど、さらに凹凸が強調されていました。もはや工芸品のようです。
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こちらは旧式デザインの親子蓋。須賀川市の乙字ヶ滝へ向かう途中で撮りました。確か県道17号線のビッグパレットふくしまの近くで撮ったように思います。
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