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アクアビット航海記 vol.44〜航海記 その28


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/4/27にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回は4年半にわたってお世話になった会社やカスタマーセンターに別れを告げ、新たな道へ進む話です。

会社とカスタマーセンターを去るにあたって


会社から去る。それは私にとって慣れ親しんだ営み、だったはずでした。

それまでの私は、流転につぐ流転の日々を送っていました。
芦屋市役所ではねぎらいの場を会議室に設けていただき、さらには花束というプレゼントまで用意していただきました。
その後、数カ所の現場を派遣社員やアルバイトの立場で訪れましたが、いずれも最後の日にはあいさつを忘れず、気持ちよく去ることができました。
逆に、朝礼の場において皆の前で面罵され、クビを宣告され、石持って追われた屈辱も味わいました。去り時には、さまざまな出来事があります。

株式会社フジプロフェシオから去るにあたり、ドラマチックなことはありませんでした。ですが、去る私にはお礼を伝えるべき方が何人もいました。会社でも、スカパーのカスタマーセンターでも。四年半の月日は軽くありません。
多くの方が私とのご縁を結んでくださいました。辞める日は、カスタマーセンターをずいぶんと回った記憶があります。

スカパーのカスタマーセンターは、東京に出てきた私が生活の基盤を作り上げた場所です。スーパーバイザーの期間はオペレーターさん達と楽しく過ごしましたし、集計チームでの日々はとても私を成長させてくれました。

私がスカパーのカスタマーセンターに在職した期間。それは、傷ついて東京に流れてきた私が結婚し、家を持ち、わが子と出会った日々に重なっています。
わたしが社会人としてなんとかやってこれたのも、カスタマーセンターでの日々があったからてす。
パソナソフトバンク、あらため、プロフェシオ、あらため、フジプロフェシオで学んだことは大きかった。と、今では思うのです。とても感謝しています。もちろん、スカパーカスタマーセンターにも。

いざ辞める私は、それまで抱えていた閉塞からの解放感を感じていました。ですが、いざやめるとなると寂しさも募ります。
私はフジプロフェシオをそんな感慨の中、退職しました。

私が去った翌月、フジプロフェシオは株式会社フジスタッフとさらに社名を変えたと聞きます。さらに今は外資系会社と合併し、株式会社ランスタッドと名乗っているそうです。また、スカパー・カスタマーセンターも今は横浜にはなく、数年後に沖縄へ移ったと聞いています。そのころは工事も始まっていなかった相鉄は、今や高架になっています。横浜ビジネスパークの脇を通っても、私の知る人は誰もいません。

今でもこの時に培ったご縁は生きています。オペレーターのソウルメイトとも今も付き合いがあります。本稿を最初にアップした前日にはLINEてやり取りしました。本稿をアップする二カ月前にも家まで送ってもらいました。
また、数年前にはカスタマーセンターの物流チームでマネージャーをされていた方が亡くなりました。私もFacebook経由でご連絡をいただき、告別式で当時の懐かしい皆さんに再会できました。

起業のことなど全く頭になかった自分


ところが、今の私はこの四年半の間に培ったご縁を一度も仕事につなげられていません。それはなぜか。
私も今まで意識していませんでしたが、本稿をアップした機会に考えてみました。

端的に言うと、この時の私には起業するマインドを全く持っていませんでした。もし持っていれば、ご縁をこれからに生かそうと連絡先をマメに交換していたはずです。当時、SNSはまだ生まれたばかり。でも、それは言い訳になりません。
辞める時、新しい会社の名刺を持っていたかどうかは忘れましたが、新たな連絡先も伝えられずじまい。結局、当時の私に人脈という観念は薄かったのでしょう。
上に書いた通り、数年前に当時の方々と再会しました。が、さすがに弔事の場で名刺を配るほど非常識ではなかった私は、この時のご縁も仕事にはつなげていません。

なぜ当時の会社への思いをツラツラと書いたか。それは当時の私に起業の気持ちが全くなかった事を言いたいためです。
転職という一つの決断を果たした私の選択肢に、起業や独立は全くありませんでした。

転職早々、名古屋まで拉致される


転職に際し、私は新たにお世話になる会社の社員旅行に連れていってもらいました。赤城山のふもとに泊まり、翌日は日光見物などを楽しみました。
新たな会社に少しでもなじみたい。私が思っていたのはそれだけでした。
未来の起業や独立は全く考えておらず、勤め人の心をみなぎらせていた私。

私が勤め人であった証拠。その証しは、私が2003年7月に新しい会社に入社してすぐ、トラブル対応の指令に唯々諾々と従ったことでも明らかです。
なんと、入社してわずか数日目にして、いきなり名古屋の小牧まで拉致されました。着替えも持たずに。
私は数人の先輩方とともに、名古屋の小牧に連れたいかれ、郊外の倉庫で延々と商品の交換作業に従事していました。あまりにも突然で、家にも帰る間も与えられず。
宿は名古屋駅前だったので、下着を名古屋駅前のコンビニエンスストアで買った事は覚えています。

訳も分からずに、私の責任でも何でもない不良品の後始末に駆り出す。それは私を試す意味もあったのでしょう。いきなり現実に直面させ、それでも残るだけの根性がこの男にあるのか。この理不尽な仕打ちに耐えられるのか。
もちろん私が負けるわけはありません。
わずかな期間とはいえ、大成社で飛び込み営業を続けた日々は無駄ではありませんでした。訪問販売でヤクザの家に飛び込んでもなお、見知らぬ家々のチャイムを押し続けたのですから。

入社早々、そんな風にして私の新たな会社での挑戦が始まりました。
そして、私が入社して二カ月後には会社が新社屋へ移転する日が決まっており、私にはその通信環境を整える役目が課せられていました。

果たしてどうなるのか。ゆるく永くお願いします。


サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ


サイゼリヤは私が上京してからよく訪れているレストランだ。さまざまな店舗を合わせると、百回近くは行っているはずだ。
その安さは魅力的だ。そして味も常に一定のレベルの品質が保たれている。
(一度だけ、わが家の近所の店であれ?ということはあったが)

著者はサイゼリヤの創業者であり、今も会長として辣腕を振るっている。
その著者がサイゼリヤを創業し、経営していく中でどのように一大チェーンを築き上げたのか。そのノウハウや哲学を語るのが本書だ。

本書は、レストランの業界誌に連載されていた内容をもとにしているという。そのため、ページ数はさほど多くない。とはいえ、内容がコンパクトにまとめられているので、著者なりの経営の要点が学べる。

私が経営者として感じている壁は無数にある。その一つが、個人からチェーン展開への壁だろう。
個人で全てを回せているうちはまだいい。だが、規模を拡大しようとした途端、個人の能力や時間では賄えなくなってしまう。個人には24時間しか与えられていないからだ。
そこで人を雇う。さらに拠点を増やす。そうなると経営者の目は行き届かなくなる。個人のノウハウをどうやれば伝達できるのか。社員を多く雇い、規模を大きくするには、個人のノウハウを伝達しなければならない。スキル、哲学、規律。それを教えることが最初の壁だ。経営者が自らのビジネスを拡大するためには、まずその壁を乗り越えなければならない。その壁は高く険しい。
それは私自身が今、零細企業の経営者として実感していることだ。

本書は、地に足のついた経営を実践する上で参考になる点が多い。
個人から組織へと規模を拡大するにはどうすればよいか。
本書を読むと、サイゼリヤの成長の軌跡が分かる。サイゼリヤは、資金を調達し、急拡大を遂げてきたのではない。本書から受けるのは、一歩一歩徐々に規模を大きくし、自社でノウハウを積み上げながら経営を進めてきた印象だ。
それは経営の壁にぶつかっている私の立場からは、とても心強い。融資を受けるにはハードルが高いからだ。

著者は市川で開業した一号店で、多くの苦労と失敗をした。そしてそこから多くを学んだ。
著者は状況を打開するため、イタリアに視察に行った。そしてイタリア料理に着目した。当時は高級料理だったイタリア料理に着目したのは著者の先見の明だ。だが、それだけではない。そこから、思い切って金額を下げることで他店との差別化を行った。それらは著者が失敗から学んだことであり、それも著者の明断だといえる。

金額を下げる。それは、いわゆる安売りである。だが、一般に安売りはよくないとされている。私自身、かつては自分の単価を安く設定してしまい、自分の価値を下げてしまった失敗がある。
だが、著者は安く売ることで状況を打開した。私もそこを本書から学びたいと思った。

安売りといっても単に安く売るのではない。安く売るためには、安くてもなお、利益を出せなければ。そのためには利益を出すための体制が欠かせない。

著者は創業の頃から人時単位での生産性を重視してきたという。粗利益÷従業員の1日の総労働時間。この基準を著者は6000円という金額に設定しているそうだ。
また、ROI(Return On Investment)、つまり投資利益率を求める計算式は利益÷投資額×100だ。これも最低基準として20%に設定しているとのこと。

本書を読んでいると、サイゼリヤの成功の秘訣が見えてくる。それは、創業者である著者がどんぶり勘定ではなく、初めから利益と経営への意識をしっかり持っていたことによるのだろう。
だからこそ、継続的に成長を刻みながら、今の規模まで育てられたのだと思う。

もちろん成功の理由はそれだけではない。商品開発や組織開発なども必要だ。本書には財務だけでなく、経営全体に対する著者の努力も書かれている。
財務と組織。その両輪をきちんと押さえていたからこそ今のサイゼリヤがあるのだろう。

翻って私の反省だ。
私は個人で動くことに慣れてしまっていた。一人でやる分には、仕事も十分に回る。私は独立したとはいえ、長い期間を常駐の現場で働いてきた。そのため、私が本当の意味で経営者となったのはごく最近のことだ。常駐から抜け、個人で仕事を請けて回すようになったこの五年。それが私の経営者としての歴史だ。

この五年、個人で仕事を回せるようになってきた。とはいえ、著者の例でいうと、私はまだ、商品開発に没頭している状態だ。組織開発や財務への意識は二の次。
著者を例に例えると、店内で調理をしながら配膳をし、レジ打ちもこなしている。それが私だ。多店舗展開とは程遠い状態にある。

ようやく本書を読んだ数カ月後から、弊社でも人を雇い始めた。ようやく次の壁を乗り越えようとし始めたのだ。

その壁を乗り越えるためにも、経営者としての心の持ち方を養わねばならない。また、失敗を次への教訓として生かさねばならない。また、経験を次代に伝えなければならないし、そのためにも公平な評価を心掛けなければならない。あれもこれも追うのではなく、要となる商品をベースにおき、数値目標は一つに絞る。
ここに書いたことは、どれも本書にも書かれている経営の要諦なのだろう。

そして、経営を行うためには、単なる精神論に頼らない。気持ちを前向きに持ちながらも、押さえておくべき経営のツボはきちんと把握する。その大切さ著者は説いている。
それは例えば在庫回転率や立地の重要性である。著者はそうした観点や指標を例に挙げる。ただ、著者が経営するチェーンストア業界ではなく、それぞれの読者の属する業界によって、その指標は臨機応変に変わるはず。まずはそれを理解すべきだろう。

例えば私のような情報処理業界の場合に置き換えてみる。
例えば、適切な案件が継続的に請けられ、その用意と準備と実装と保守が順調に回る状況。それこそがあるべき姿なのだろう。
そのためには、自社の得意分野を踏まえた上で、正当な商圏を見据える。そして、むやみやたらと広告や営業を打つのではなく、特定の企業に売り上げを依存するのでもなく、適度に分散してリスクを負わない営業チャネルを構築する。そんなところだろうか。

著者は働くことは幸せになることだ、という理念を掲げ、それを常に見直しているという。さらに、経営に失敗という概念はなく、失敗に思えるものはすべて次へつながる成功なのだとも説く。
そして、著者が説くことでもっとも私の心に刺さったことがある。それは、変化に対応するために必要なのが「組織」だと著者はいう。
普通に考えると、機動力と行動力のある一人の方が変化に対応しやすいのではないか。だが、一人だと、対応できるのは一人が動ける時間に限られる。一人の一日の持ち時間は24時間だ。
だが、組織の場合、人数×営業時間が持ち時間として与えられる。分業だ。それぞれが分業をこなし、その能力を磨きつつ、能力を発揮する。それができたとき、組織は一人の時よりも変化に対応できる。

本書で著者が説いている内容は決して難しくない。だからこそ、理屈をこねくり回す必要もない。経営とは複雑なものではなく、本来は単純なものなのかもしれない。だが、そう分かっていても経営は難しい。だが、経営者はそれをやり遂げなければならない。

私は自分の会社をどうしたいのか。経営理念は作り、雇用に踏み切った。失敗もして、ようやく少しずつ組織が形になりつつある。
税理士の先生、社労士の先生に加え、人財コンサルタントの方にもご指導を受けている。
本書で学んだこと、諸先生方のご指導を踏まえ、少しずつ経営の実践と安定に努力しようと思う。

2020/10/5-2020/10/5


アクアビット航海記 vol.42〜航海記 その26


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/4/12にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回は日韓共催ワールドカップの忙しさとそこからの反動を語ってみます。

日韓共催ワールドカップの多忙


さて、日韓共催FIFAワールドカップの話をしましょう。
サッカーのワールドカップといえば世界屈指のイベント。開催のたびに世界を熱狂の渦に巻き込みます。われらが日本代表チームも日韓大会の前のフランス大会で初出場を果たしました。それに続いて行われたのが自国開催のこの大会。盛り上がるはずです。スカパーもこの機を逃さず加入者数を一気に増やそうとしました。
当時のプレスリリースはもうウェブ上には残っていません。当時の記事を見た記憶によると、当時250万だった加入者数を一気に増やそうとしたと書かれていました。最終的に2002年の2月には加入者数は300万人を突破したそうです。ワールドカップ直前に殺到した申込の効果でしょう。全64試合を無料で観られるなら、誰もが入りたいのは当然です。

私が所属していたパソナソフトバンク(その当時、社名をプロフェシオに変えていました)は、スカパーのカスタマーセンターで受付、登録、不備、変更チームを担っていたことは連載二十三回で書きました。それらのチームが担っていたのは、殺到する新規受付や契約変更の仕事。つまり、加入者増の大波をモロに被る立場にありました。
そして、それらの大波がどれぐらいの数だったか、つまり何件の受付、登録、変更があったかをお客様向けの資料に起こすのは「集計チーム」の役目でした。私の業務はてんてこまいだったのです。

あまり当時の数字は覚えていません。ですが、新規登録者数だけで毎月の数倍は来ていたように覚えています。カスタマーセンター全体が熱を帯びて忙しく、巨大なイベントの一翼を担う熱気に満ちていました。
開幕を迎えた時、世間の盛り上がりとは逆に、カスタマーセンターの業務はピークを越えていました。

私が覚えているのは、スカパーさんがカスタマーセンターの休憩スペース(十分に広かった)をパブリックビューイングの会場として解放してくださったことです。カスタマーセンターで働く皆さんに向け、慰労も含めて観戦できるようにという粋な計らいです。私も日本代表の初戦のベルギー戦と次のロシア戦をみんなで観戦して盛り上がったことを覚えています。

私は日本で開催されたこの大会の64試合のどの試合もスタジアムで生で観戦はできませんでした。でも、パブリックビューイングで観戦できたことと、大会の盛り上がりのためにわずかながらでも関われたことは今でもよい思い出に残っています。

反動で仕事に情熱を失う


しかし、ワールドカップという一つのピークを経験したことで、私は仕事に燃え尽きた感を覚えました。ワールドカップの直後にはスカパー!2というサービスも始まり、この集計作業にも修正が発生し、バタバタしたように覚えています。が、今となっては自分がどういう仕事をしていたのかあまり覚えていません。

前回の連載にも書いたとおり、私はスカパー以外の現場にちょくちょく派遣されていました。ソフトバンク本社にも行きましたし、TSUTAYA本社にも行きました。麹町のNTTのマイラインや渋谷の某社にも多摩センターの某社にも商談に行きました。
ところが私自身、それらの作業に対して熱を込めて取り組んでいたとは言えません。どこかしら、淡々とこなしていたような気がします。言い方は適当ではないかもしれませんが人ごとのように。なんのために仕事をしているのか、目的のないままに仕事をしていたようです。
別に仕事が嫌になったわけでもないし、飽きていたこともありません。ただ、情熱が失われ始めていたことは確かです。

仕事に情熱を失った理由


私が仕事に情熱を失いかけた理由を考えてみます。以下の四つほどの理由が挙げられます。

一つ目は、ワールドカップ後の熱気の反動。
二つ目は、スカパーの現場での集計業務や請求書作成、出退勤システム保守にマンネリを感じ始めた。
三つ目は、パソナソフトバンクの足元が定まらなかった。
四つ目は、家の問題に焦りを感じていたこと。

一つ目は上に書いたからよいでしょう。

二つ目ですが、これは私が未熟だったからです。
今、振り返って考えると、この時に正社員の立場で取り組めることはもっとあったはずてす。集計だけでなく、それ以外にも。
もっといろいろな改良ができたでしょうし。
私がやろうと思っていた包括的な集計システムは「集計チーム」にいる間に作れずじまいでした。全チームが一つのシステム上で集計を入力すると、それが日次、週次、月次のスカパーさんへの資料にワンストップで活用できるような構想。そのような大志を抱いていましたが、未完のままでした。
ただし、今の私が取り組んでも、かなりの困難にぶつかったでしょうが。

三つ目ですが、上で「(その当時、社名をプロフェシオに変えていました)」と書きました。そう、ワールドカップの時点でパソナソフトバンクという会社はありませんでした。
当時の人材派遣業界とはまさに群雄割拠。さまざまな合併吸収劇があちこちで演じられていました。パソナソフトバンクも名前の通り、その代表的な会社でしょう。パソナソフトバンクがどういう経緯で立ち上り、どういう経緯で吸収合併の経緯を繰り返したかは、以下のリンク先の沿革に載っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%95

2001年5月にソフトバンクがパソナソフトバンクの株式を売却し、2001年8月に社名が株式会社プロフェシオに変わりました。さらに2002年10月にはフジスタッフと合併し、株式会社フジプロフェシオに社名を変えました。会社が目まぐるしく変わる過程で、私が社員へ登用された際に面接してくださった役員や部長は社を離れていきました。出先で仕事していた上、社会経験のない私ですら、会社に一体感があるようには思えませんでした。

私自身、当時新宿のマインズタワーにあった本社で作業する機会が何度もありました。さらには、本社へ異動する話も内々でもらったこともあります。
その時、私は小田急のラッシュを嫌って断りました。つまり、わざわざ毎日のラッシュを乗り越えてまで本社に通うだけの熱意が持てなかったのです。会社に対する愛着心はどんどん薄れる一方でした。今もこのころの名刺はひととおり持っていますが、部署名の変更や社名変更だけで七、八種類はあります。

四つ目は、本連載の第三七回第三八回第三九回に書いた通りです。当時の私が抱えていた家の問題です。そのプレッシャーが私をじわじわと圧迫していました。第三九回に書いた通り、本腰を入れて家の問題に取り組みを始めたのがワールドカップの終わった夏ごろです。
家の問題に本腰を入れるには、家の処分を見据えた生活を考えねばなりませんでした。たとえば私が毎日、横浜の天王町まで通う時間の間にやるべきことは多くありました。地主との交渉。市当局との交渉。次の家の探索。二軒の家の片付け。それらをこなせるだけの時間が必要でした。

今、四つの理由を思い出してみました。これは私の言い訳なのでしょう。
後付けで仕事に対する情熱を失った理由を正当化しようとしているだけだと思います。実際そうでしょう。
でも、まだ未熟だった私の精神が千々に乱れていたことは確かです。上に挙げた四つの理由は私の中で大きく私をむしばみ始めていました。

そんなある日、私のもとにとある会社からのお誘いが来ました。
その会社は相模原にありました。相模原といえば町田のお隣。わが家からは程よい近さです。近ければ家の問題をこなしつつ、稼ぎも得られそうです。この会社からのお誘い。それが私を次への道へといざなうのです。

次回は、この会社にお誘いいただき、関わっていく経緯を描いてみたいと思います。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.40〜航海記 その25


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/4/5にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回は正社員として担うことになったさまざまな業務について語ってみます。これらの経験はどれも私の起業に役に立ちました。

正社員としての任務


さて、当時の私がぶち当たっていた壁。それは家の処分だけではありません。
仕事の上でも私にとって乗り越えるべき試練が次々に押しよせていました。
今回はそのことを書いていこうと思います。どれもが”起業”には欠かせない経験でした。

本連載の三十三回でも書いた通り、スカパーカスタマーセンターの運用サポートチームに引き上げられ、パソナソフトバンク社の正社員にも登用してもらった私。
正社員になってしばらくして後、私の現場での肩書は”集計チーム マネージャー”へと変わりました。

正社員になったことによって、私に求められる役割はさらに増えました。集計チームのマネージャーとして現場の集計業務を管理しながら、派遣元であるパソナソフトバンク社の業務にも貢献することが求められていきます。
立場が変わるとやるべきことも増える。そのあたりのいきさつは本連載の三十一回でも少しだけ触れています。

今回はその部分をもう少し突っ込んで書いてみたいと思います。

正社員になったことで私に課せられた新たな任務。それは大きく四つが挙げられます。
そのどれもが私にとって初めての経験でした。
今から思うと、これらの任務を経験したことは、後年の私が”起業”するにあたっての糧となりました
自分の仕事だけしていればよかった立場から、より広い視野へ現場の仕事だけが仕事ではないという気づき。この気づきを初めて得たのはこの時期だったように思います。

一つ目は、日々のオペレーター・スーパーバイザーさんの出退勤管理システムの保守。
二つ目は、お客様(スカパー社)への月次の請求書発行。
三つ目は、カスタマーセンターの外に出て、作業や商談で別のお客様を訪問。
四つ目は、現場のプライバシーマーク取得や、センター移動の担当としての作業。

システム保守の経験


まず一つ目のシステム保守です。
私が「登録チーム」や「集計チーム」で作業するために集計ツールをマクロで作ったことは本連載でも書きました。
とはいえ、それらはあくまでも自分のためだけに使うものでした。バグを検知するのも自分ならば、それを修正するのも自分。「登録チーム」で作った集計ツールは、同僚のスーパーバイザーからの要望やバグの指摘に対応すればよいだけでした。集計チームでも集計結果のずれなどを指摘されれば直しますし、自分で速度を上げるために改善を行っていました。ですが、使うのはあくまでも集計チームの中だけ。

ところが、私が保守の担当に任じられた出退勤管理システムの使用者の数はそれまでと二桁は違います。全てのオペレーターさんとスーパーバイザーさんを合わせると何百人が使うシステム。
皆さんは朝夕に打刻し、その打刻データは集計してスカパー社への月次の請求に使います。パソナソフトバンク社の事務スタッフだったMさんやSさんも使います。もはや、今までのように私だけが使うシステムではなくなりました。バグなどで動かなくなると端末の前にみなさんが並ぶのです。その列は、自分の管理するシステムが業務に影響を与える現実を私に教えてくれました。

その出退勤管理システムはこのような仕組みでした。
まず、それぞれのスタッフが持つ入館証代わりのカードに印刷されたバーコードを、館内の入り口に設置した端末のバーコードリーダーで読み取ります。Microsoft Accessで作られたそのシステムは、読み取られたバーコードを元に対象者と打刻時刻を内部テーブルに保存します。そのデータをパソナソフトバンク社のMさんやSさんがやってきてフロッピーディスクに保存し、別フロアのパソコンにインストールしてある分析用のアクセスに取り込みます。そのデータが月次の請求や支払のデータに加工されます。

私はこの出退勤管理システムの開発には一切携わっていません。私がカスタマーセンターに入る前からこのシステムは動いていました。このシステムの開発者にも会ったことがなく、仕様書もマニュアルもありません。すべては手探りの中、出退勤管理システムの保守を行っていました。

例えば、当時のMicrosoft Access(確か97でした)は、定期的に最適化をしないとデータ容量が肥大する仕組みでした。この出退勤管理システムは自動的に最適化を行うように作られておらず、たまに止まりました。止まると打刻ができないので長蛇の列ができ、私の元にアラートを告げる使者がやってきました。
それだと困るので、後日、最適化作業は自動で行えるように実装しました。

私が出退勤管理システムに対してやるべき保守作業は他にもありました。たとえばアクセス自体のバージョンアップや、リースパソコンの切り替えなどです。
そのたびに、私はMicrosoft Accessの仕様や機能を調べた上で作業していました。

保守担当が担う責任。それは私にとってステップアップでした。人に使ってもらうシステムに携わることは、自分の仕事の結果が人に影響を与える。それを私に教えてくれました。
今でこそ、私はさまざまなシステムの保守を行っています。が、この時が私にとって初めてのシステム保守の経験でした。まさに技術者の原点となる経験だったと思います。
この出退勤管理システムはMicrosoft Accessの仕組みを学ぶ良い教材でした。また、保守業務のコツのようなものを学べたのもこのシステムからでした。
今さら、支障もないと思うので、システムの名前を書いてしまいます。この出退勤管理システムはMareと名付けられていました。ありがとうMare。なんの略かは忘れましたが。

請求業務で金銭の厳しさを


二つ目は、お客様への請求書を作る任務です。
パソナソフトバンク社からは、何百人ものオペレーターさん、数十人のスーパーバイザーさん、十数人のマネージャーさんがスカパーカスタマーセンターに派遣されていました。当然、毎月の労働に対する請求をスカパー社へ提出しなければなりません。私はこの請求書の作成担当に任命されました。
上に書いたMareで集計したオペレーターさん、スーパーバイザーさんの勤務時間を取りまとめ、さらに別報告で集計されたマネージャーさんの勤務時間を加えます。
これらを月末で締めた後、翌月の第何営業日までかは忘れましたが、スカパー社のご担当者に請求書として提出する。それが私に課せられたタスクでした。

この作業が大変でした。多くのスタッフさんの請求額ですから、金額も膨大な額に上りました。作りあげた請求書に記載される額面は、20代の私には遥かな高みでした。
さらに請求書は業務ごとの案分が組み込まれ、特殊な計算式がてんこ盛りでした。毎月のように請求書のレイアウトは変わり、Excelのマクロ(VBA)による省力への試みを拒みます。
関数の位置がずれ、結果に矛盾を生じさせるたびにご担当者さまのお叱りを受ける。そんな毎月でした。私は月末と月初はこの作業に懸かりきりになっていました。

当時の私にとって、この作業はことのほか難しい作業でした。でも私は、この任務によってExcel関数をより効率的につかうすべを身につけたように思います。
そして、請求とはシビアな営みであり、間違うととんでもないことになる緊張感を学びました。請求とは厳密さが求められ、たとえ一円でもゆるがせにできません。商売の基本となる素養をこの時期に培ったことは、私の”起業”にとって大きな糧となり、“起業”した今もなお私の中に生きつづけています。とても得がたい経験をさせてもらいました(もっとも私の値段設定や財務管理にはいまだに反省すべきことが多いのですが。)
あまりにもやりとりが密に行っていたせいか、スカパー社のご担当者の方と年賀状をやりとりするまでになったのは懐かしい思い出です。

商談に臨み、視野を広げる


三つ目は、外部への訪問です。
当時のパソナソフトバンク社にとって、スカパー社は大口のお客様だったはずです。ですが、スカパー社だけがお客様ではありません。
正社員に雇用された私には、他のお客様でも売上を立てることが求められました。その要請に従い、私はスカパー社以外のお客様を訪問するようになりました。例えば集計の仕組みを作るためお客先のもとに赴いたり、商談に同席するために外出したり。

パソナソフトバンク社では社員向け研修の一環として、名刺の交換などのビジネスマナー研修を行っていました。私もその研修でビジネスの初歩のノウハウを吸収しました。
ただ、研修では実際の商談までシミュレーションしてくれません。そして、商談はいつも本番です。商談への同席など、それまでの私の三十年足らずの人生で未経験でした。

パソナソフトバンクにいる間、私が単身で商談に臨むことはありませんでした。そもそも商談の進め方もわからず、何をどう準備すればよいのかも知らない当時の私が商談などできるわけがありません。まず私は、商談への同行から経験を積みました。商談の場に同席し、営業担当者の横でコクコクとうなづくだけのさえない若輩者。それが私でした。何もかもが不慣れで、全てが見習い。どの時間も勉強でした。

でも何度か商談に臨むうちに、言葉も挟むタイミングがおぼろげに理解できるようになりました。横に座っているだけなのも芸がないので、何かしようと口をはさむようになりました。
最初はうなづくだけだった私も、何度か商談に臨むうちに徐々に商談の空気感を体得していったように思います。
この時、商談の経験を踏めたことが”起業”した今では役に立っています。私を商談に臨む機会を与えてくれたパソナソフトバンク社には感謝です。正社員のお誘いを受諾してよかったことの一つだと思っています。

コンプライアンス意識の醸成


四つ目の任務では、コンプライアンスの意識を学びました。
今の私はコンプライアンスなどの横文字言葉を平気で口にします。でも当時の私はそんな言葉など知りませんでした。ましてや当時はY2K問題の記憶もまだ新しい頃。プライバシーを守る風潮もセキュリティを順守する意識もまだ世の中には根付いていませんでした。
そもそも当時はSNSなどごく一部の方のものでした。アンチウイルスやファイアウォールのソフトウエアをインストールし、怪しげなメールの添付ファイルは開かず、Windows Updateをきちんと実施していれば無問題だった古き良き時代です。

ところが、カスタマーセンターとは個人情報の宝庫です。ですから個人情報保護が至上の指針となるのは当然です。
上に書いたような普通の対策で済みません。きちんとした個人情報保護の対策をとっていますよ、と世の中に知らしめる必要がありました。
そこで、スカパーカスタマーセンターはお客様に安心していただくためにセキュリティ認証を取得することにしました。その認証とはプライバシーマーク。
ところがプライバシーマークを取得するのはそう簡単にはいきません。そのため、スカパーカスタマーセンターに参画していた各社ベンダーにも協力を仰ぎ、センターを挙げて取得へまい進する指令がくだりました。パソナソフトバンク社もベンダーの一社です。そしてパソナソフトバンク社の担当者として任命されたのが私でした。

言うまでもなく、当時の私にセキュリティに対する深い知見も現場をリードできる力量もありません。会議では席に座っているだけでした。やることといえばスカパー社の求める調査項目を入力し、各チームに調査を依頼するぐらい。
ただ、この時にプライバシーマーク取得のための実務を経験できたことは、私にとってまたとない財産となりました。なぜなら個人情報を保護する作業がどれほど大変で労力を要することか、身をもって知ることができたからです。
プライバシーマーク取得に向けてやらねばならないタスクはクリアデスクや施錠の励行だけではありません。書類の管理者やごみの捨て方、ごみを廃棄する方法やごみ廃棄業者の管理監督まで事細かく決めねばなりません。それほどまでに大変な作業をへて、ようやくセキュリティやプライバシーが保てるのです。

私はプライバシーマーク取得の担当になったことで、セキュリティ遵守の意識が身につきました。これは大きかった。なぜなら後年、私が独立し、何カ所もの開発センターを渡り歩く上で求められるコンプライアンス意識が事前に身につけられたから。”起業”した今もそうです。
むしろ、通常の業務が多すぎるのに、いちいちセキュリティに意識を払っていては業務に支障を来たします。無意識のうちにコンプライアンスを実践できるぐらいでなければ。機密保持のための行動など呼吸をするかのように無意識にこなせなければとても”起業”など務まりません。そのための「無意識の意識」を私はプライバシーマークの担当者の任務から会得しました。

もう一つ、私がベンダーの担当者として参加したことがあります。それはカスタマーセンターの移転・増床の作業です。この時もわたしはお座り担当で、あまり大したことはできなかったように思います。ただ、この時に大規模なセンターの移転の現場を体感できたことも、後年の私にとっては武器となりました。

今、株式会社スカパー・カスタマーリレーションズ様の会社沿革のページを見ると、この移転のことが年表に記されています。それによるとYBP内のセンターの移転は2001年の5月と書かれています。そして、プライバシーマークの認定取得は2003年6月と書かれています。
その間に行われたのが、日韓共催ワールドカップです。

日韓共催ワールドカップの前、カスタマーセンターは嵐のような日々でした。それはまた次回に。ゆるく永くお願いします。


アメリカの高校生が学んでいるお金の教科書


経済学の本をもう一度読み直さなければ、と集中的に読んだ何冊かの本。本書はそのうちの一冊だ。
新刊本でまとめて購入した。

前から書いている通り、私には経済的なセンスがあまりない。これは経営者としてかなりハンディキャップになっている。

私だけでなく妻も同じ。お金持ちになるチャンスは何度もあったが、そのために浪費に走ってしまった。だからこそ長年私も常駐作業から抜け出せなかった。その影響は今もなお尾を引いている。

私は若い考えのまま、お金に使われない人生を目指そうとした。金儲けに走ることを罪悪のようにも考えていた時期もある。
二十代前半は、金儲けに走ることを罪悪のように考えていた。

妻は妻で、生まれが裕福だった。そのために、浪費の癖が抜けるのに時間がかかった。
幸いなことに夫婦ともまとまったお金を稼ぐだけの能力があった。そのため、家計は破綻せずに済んだ。だが、実際に破綻しかけた危機を何度も経験した。

私たち夫婦のようなケースはあまりないだろう。だが、私たちに限らず、わが国の終身雇用を前提とした働き方は、お金について考える必要を人々に与えなかった。
一つの企業で新卒から定年まで勤めあげるキャリアの中で、組織が求める仕事をこなしていけばよかった。お金や老後のことも含めた金の知識は蓄える必要がなかった。それらは企業や国が年金や保険といった社会保障で用意していたからだ。

私もその社会の中で育ってきた。そのため、金についての教育は受けてこなかった。風潮の申し子だったといってもよい。
だが、私はそうした生き方から脱落し、自分なりの生き方を追求することにした。ところが、お金の知識もなしに独立したツケが回り、会社を立ち上げ法人化した後に苦労している。もっと早く本書のような知識に触れておけば。

世間はようやく終身雇用の限界を知り、それに紐付いた考えも少しずつ改まりつつある。
私も自分の経験を子どもやメンバーに教えてやらねばならない。また、そうした年齢に達している。

本書は、アメリカの高校生が学ぶお金についての本だ。
アメリカは今もまだ世界でトップクラスの裕福な国だ。経済観念も発達している。貧富の差が激しいとはいえ、トップクラスのビジネスマンともなると、わが国とは比べ物にならないほどの金を稼ぐことが可能だ。

それには、社会の仕組みを知り尽くすことだ。金が社会を巡り、人々の生活を成り立たせる。
人が日々の糧を得て、衣服に身を包み、家に住まう。結婚して子を育て、老後に安閑とした日々を送る。
そのために人類は貨幣を介して価値を交換させる体系を育ててきた。会社や税金を発明し、労働と経済を生活の豊かさに転換させる制度を育ててきた。
金の動きを理解すること。どのようなルートで金が流れるのか。どのような法則で流れの速度が変わり、どの部分に滞るのか。それを理解すれば、自らを金の動きの流れに沿って動かさせる。そして、自らの財布や口座に金を集めることができる。

その制度は人が作ったものだ。人智を超えた仕組みではない。根本の原理を理解することは難しい。だが、人間が作った仕組みの概要は理解できるはずだ。
本書で学べることとはそれだ。

第1章 お金の計画の基本
第2章 お金とキャリア設計の基本
第3章 就職、転職、起業の基本
第4章 貯金と銀行の基本
第5章 予算と支出の基本
第6章 信用と借金の基本
第7章 破産の基本
第8章 投資の基本
第9章 金融詐欺の基本
第10章 保険の基本
第11章 税金の基本
第12章 社会福祉の基本
第13章 法律と契約の基本
第14章 老後資産の基本

各章はラインマーカーで重要な点が強調されている。
それらを読み込んでいくだけでも理解できる。さらに、末尾には付録として絶対に覚えておきたいお金のヒントと、人生における三つのイベント(最初の仕事、大学生活、新社会人)にあたって把握すべきヒントが載っている。
それらを読むだけでも本書は読んだ甲斐がある。私も若い時期に本書を読んでおけばよかったと思う。

376-378ページに載っている「絶対に覚えておきたいお金のヒント10」だけは全文を載せておく。

絶対に覚えておきたいお金のヒント10
この本ではお金についていろいろなことを学んだが、いちばん大切なのは次の10項目だ。

1、シンプルに
お金の管理はシンプルがいちばんだ。複雑にすると管理するのが面倒になり、自分でも理解できなくなってしまう。

2、質素に暮らす
お金は無限にあるわけではなく、そして将来何が起こるかは誰にもわからない。つねに倹約を心がけていれば、いざというときもあわてることはない。

3、借金をしない
個人にとっても家計にとっても、代表的なお金の問題は借金だ。借金は大きな心の負担になり、人生が破壊されてしまうこともある。ときには借金で助かることもあるが、必要最小限に抑えること。

4、ひたすら貯金
いくら稼いでいるかに関係なく、稼いだ額よりも少なく使うのが鉄則だ。早いうちから貯金を始めれば、後になって複利効果の恩恵を存分に受けることができる。

5、うまい話は疑う
儲け話を持ちかけられたけれど、中身がよく理解できない場合は、その場で断って絶対にふり返らない。うまい話には必ず裏がある。

6、投資の多様化
多様な資産に分散投資をしていれば、何かで損失が出ても他のもので埋め合わせができる。これがローリスクで確実なリターンが期待できる投資法だ。

7、すべてのものには税金がかかる
お金が入ってくるときも税金がかかり、お金を使うときも税金がかかる。商売や投資の儲けを計算するときは、税金を引いた額で考えること。

8、長期で考える
今の若い人たちは、おそらくかなり長生きすることになるだろう。人生100年時代に備え、長い目で見たお金の計画を立てなければならない。

9、自分を知る
お金との付き合い方には、個人の性格や生き方が表れる。将来の夢や、自分のリスク許容度を知り、それに合わせてお金の計画を立てよう。万人に適した方法は存在しない。

10、お金のことを真剣に考える
お金は大切だ。お金の基本をきちんと学び、大きなお金の決断をするときは入念に下調べをすること。お金に詳しい人から話を聞くことも役に立つ。

‘2020/05/01-2020/05/11


父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。


本書は、経済関係の本を読む中で手に取った一冊だ。新刊本で購入した。

タイトルの通り、本書は父から娘に向けて経済を解説すると体裁で記されている。確かに語り口こそ、父から娘へ説いて教えるようになっているが、内容はかなり充実している。まさに深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい。

実は私も、娘に向けてこの本を購入した。私の長女は、イラストレーターの個人事業主として中学生の頃から活動している。
私も経営者とはいえ、経済的にはまだゆとりはない。有能な経営者とは言えないだろう。だが、少なくとも四人の家族を養うだけの金銭はこれまでに稼いできた。
だが、娘はまだこれからだ。個人事業主とはそれほど簡単に稼げるものではない。実際、どこかに常駐しておらず、家で仕事している娘はまだ稼ぎが少ない。
だからこそ、本書のように経済の本を読んで勉強しておいた方が良い。私はそう思った。
今まで経済をろくすっぽ学ばずにやってきた私が、さんざん苦労してきたからだ。

本書の第一章では、なぜ格差が生じるのかについて説明する。
南北問題と言う言葉がある。同じ地球の北半球と南半球で富に格差が発生している現実だ。裕福な北米やヨーロッパ、中国と、貧しい南半球の国々。
なぜ違うのか。それは『銃・病原菌・鉄』でも示されていたが、地理的な問題だ。南北に長いアフリカは、緯度によって季節や気候ががらりと違ってしまう。そのため、作物も簡単に伝播させることが難しい。ところが、東西に伸びたユーラシア大陸では気候の違いがあまり発生しなかった。そのため、一つの文明・文化が勃興すると、さしたる障害もなしに東西に素早く広がった。北アメリカも同じように。
そして、オーストラリアなど、自然が豊かな国では人々はただ自然から食物をいただくだけで生きていけた。身の危険もないため、人々は植物を貯めておく必要も、余剰を意識する必要もなかった。

第二章は市場をテーマにしている。経験価値と交換価値。その二つの価値は長らく経済の両輪だった。
個人の体験は交換が利かない。だから自らの経験や知識を人のために役立てた。個人の経験それ自体に価値があり、対価が支払われる。経験価値だ。
ところが徐々に貨幣経済が発展するとともに、市場で貨幣と商品を交換する商慣習が成り立ってゆく。市場において貨幣を介してモノを交換する。交換価値だ。
何かを生産し、それを流通させるまでには資産が欠かせない。自然の原材料や加工道具、それに生産手段だ。さらにそうした資産を置く場所と空間。さらに、かつては奴隷として抱える労働力も資産に含まれた。そうした資産や不動産や労働力は、交換できる価値として取り扱うことができた。
過去のある時期を境に、人類の経済活動において交換価値は経験価値を凌駕した。

第三章では、交換価値で成り立っていた経済が次の段階に進む様子を取り上げている。利益や借金が経済活動の副産物ではなく、企業にとって目的や手段となる過程。それが次の段階だ。

賃金も地代も原料や道具の値段も、生産をはじめる前からわかっている。将来の収入をそれらにどう配分するかは、あらかじめ決まっているわけだ。事前にわからないのは、起業家自身の取り分だけだ。ここで、分配が生産に先立つようになった。(78ページ)

既存の封建社会のルールに乗らなくてもよい起業家は、借金をして資産を増やし、それをもとに競争するようになった。

第四章では、借金が新たな役割を身につけた理由を説明する。
借金とは、現在の価値と未来に利子がついている価値との交換だ。貸主は貸した金銭が、将来にわたって利子付きで戻ってくること期待する。つまり、将来の価値と今の価値の交換だ。その差額である利子が貸主の利益となる。

今、周りにある企業や国、銀行と取引するのではない。将来の企業、国、銀行と交換する。それが借金のカラクリだ。今、存在する価値の総量以上は借りられない。だが、将来の利子を加えると、今の価値の総量よりも高い金額が借りられる。これが金融の原点であり、ありもしない富がなぜ次々と生まれてくるカラクリだ。
貨幣をさして兌換貨幣と呼ぶ。かつては金を保有している国が、いつでも保有する金と貨幣を交換してもらえる約束と信頼の上で貨幣を発行していた。いわゆる金本位制だ。
その考えを推し進めると、将来も今の経済体制が維持される前提のもと、未来の利子がついた価値と今の価値を交換する金融の仕組みが成り立つ。

第五章では、労働と賃金関係について説明される。今までの説明で、経済の成り立ちが描かれてきた。だが、今やロボットや人工知能が人類の労働力にとって替わろうとしている。それらとどう共存するか。
本書はこの後第六章、第七章、第八章と人類が今直面している問題に経済の観点から切り込んでいく。仮想通貨や環境問題、人類の未来といった問題に。
実は本書は、この後半からがさらに面白い。

今の市場経済に未来はあるのか。経済活動に携わる人の誰もが考えたことがあるのではないだろうか。
一見すると、社会を回すためには今の方法しかないように思える。需要と供給。給与と消費。資本と市場。人の欲求と向上心をかなえ、勝者と敗者を生産しつつ、今の資本主義の世の中は動いている。

だが、その概念に揺らぎが生じたからこそ、SDG’sの概念が提唱されている。持続可能な開発目標。つまり今のやり方のままでは持続が不可能であることを、国連をはじめ誰もが感じている。
その中にうたわれている十七の目標は一見すると真理だ。資源は限られているとの前提のもと、化石燃料を燃やしてあらゆる社会活動が回っている。金融システムもコンピューターが幅を利かせるようになった以上、電力とは切っても切れない。今の経済活動は有限の資源を消費することを前提に動いている。その前提を変えなければ、経済活動や地球に未来はないと。それが著者の懸念だ。
交換価値とは、自然を破壊しても生じる価値であり、人の欲望には限度がない。著者はおそらく、SDG’sが唱える十七の項目ですら生ぬるいと感じているに違いない。

将来に対する信頼が今の金融システムを支えている。その将来が危うくなっている。
利子が戻ってくるはず将来が危ういとなると、借金がリスクとなる。つまり信頼が崩れてしまう。金融システムの前提である錬金術は、将来への信頼が全てだ。

将来の価値と今の価値を交換する。つまり将来を食いつぶしているのが今の経済の本質だ。果たして将来を食いつぶしてよいのだろうか。食いつぶす資格は誰にあるのだろうか。
食いつぶす資格は誰にあるのだろうか。
人間が今まで動かしてきた制度や社会を変えるのはすぐには難しい。だが、この社会を維持していかなければならない。今のままのやり方ではどこかで限界が来る。

そのために著者は本書を用いて、さまざまな提言を行っている。

交換価値のかわりに経験価値が重んじられる社会に。
機械が幅をきかせる未来に、そもそも交換価値は存在しないこと。
機械が生み出した利益をベーシックインカムとして還元すること。
権力は全てを商品化しようとするが、地球を救うには全ての民主化しかないこと。

とても素晴らしい一冊だったと思う。

‘2020/04/01-2020/04/08


アクアビット航海記 vol.36〜航海記 その21


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/3/8にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

衝動的にホームページの作成に取り掛かる


今の私には、いくつもホームページを立ち上げた経験があります。
単にウェブサーバーにファイルをアップロードするだけではありません。サーバー用マシンを購入するところからはじめ、Linuxのディストリビューションのインストールから、Apache、MySQL、PHPをインストールするところまで。
社内ネットワークを敷設しましたし、サーバーの中を開けてメモリーの増設も経験しています。その他にもいろいろと経験を積んできています。

当たり前ですが、そんな私にも初めてホームページを作った時がありました。
真っさらな状態からHTMLの〈head〉タグや〈body〉タグの勉強を始めた瞬間が。今回はその時のことを思い出してみたいと思います。
本連載の主旨である起業への道筋を語るには不可欠のはずなので。

前回の連載で娘の誕生に立ち合った経緯を書きました。その時の感動は、私の内部に記録したい、表現したいという欲を呼び起こしました。娘の誕生の感動をホームページで表現しなければ。そんな衝動に駆られ、私は矢も盾もたまらずホームページ作成に取りかかります。
娘の誕生が12/28だったので、仕事も正月休みに重なっていたことが幸いしました。

私の知る限り、その当時はブラウザーを使ったウェブアプリは一般的ではありませんでした。もちろん、スカパーのカスタマーセンターの中でも私の知る範囲では使われていなかったはずです。というのも、ブラウザーといえばInternet ExplorerかNetscape Navigatorの二択だった時代。ブラウザーとはシステムのためのものではなく、あくまでもビジネスの広告媒体、つまりホームページの表示用のソフトでした。つまり、私も含めた大多数の人にとってブラウザーとは誰かがアップしたページを見るだけの場所でした。

もちろん、私の知識もその程度。ですから、技術的にも大したページは作れません。ページも静的なHTMLだけで作りました。CGIどころかJavaScriptも皆無。CSSすら適用しなかったように記憶しています。フォントサイズはCSSで指定せず、フォントタグの中の要素値として指定するのが一般的でした。
ホームページの設置場所もどこに置けば適切なのか分からず、ドメインについての知識もありません。そこで、当時加入していたインターネット接続プロバイダー(DTI)の加入者用スペースを利用しました。そこにFTP接続用のソフト(FFFTP)で接続し、HTMLで組み上げたファイルと画像をアップロードします。そうすると、プロバイダーから割り当てられたURLでページが閲覧できました。

独学でホームページ作成を学ぶ


私は一からホームページの作り方やアップロードのやり方を調べました。どのようにすればホームページがアップロードできるのか。ページが表示できるのか。確か「とほほのWWW入門」には多大なお世話になったはずです。
その結果、娘が生まれた次の日あたりにはホームページをアップすることができました。確か、取りかかってから半日程度だったはずです。ちょうどその時、娘の誕生を応援するため、私の母も東京に来ていました。出来上がったばかりのホームページをうちの母に見てもらいました。

今の私の感覚からすると単に〈html〉や〈img〉タグを組み合わせただけのページに半日はかかりすぎです。でも、それも無理はありません。
私にホームページのいろはを教えてくれる先生はおらず、サーバーやネットワークの概念から独りで学ぶ必要がありました。学びつつ作業する。ですから半日でアップできたのはむしろ早かったともいえます。
この時、独学でホームページの仕組みを学んだことは、私のその後に有益でした。もちろん起業の上でも。

冒頭にも書いたように、今の私はホームページの仕組みについてさまざまな経験を積んできています。それらの知識はほぼ独学で学びました。
芦屋市役所で学んだマクロの初歩も、スカパーで集計の仕組みを改良したのも独学。そしてホームページ作成も。
もちろん、芦屋市役所でお世話になったSさんや「集計チーム」で私にアクセスを教えてくれたOさんのように、その時々で私の手本となる方はいました。それでも私は独学で学んだのだとと思っています。
言うまでもなく、独学は学習効率から考えるととても非生産的です。本来は褒められることでも自慢することでもありません。ですが私にとっては独学とは自分の力で得た知識なのです。それは私に自信を与えてくれています。
その経験は尊く、自分の力で手に職を身につけた実感。これは自信となりました。私の起業の本質は独学にあると思っています。

連載の第十九回で妻と出会ったきっかけが電子掲示板であることは書きました。そしてその当時の私が電子掲示板やICQを使って英語で海外の方とコミュニケーションをとっていたことも書きました。しかし、当時の私はただブラウザーを利用するだけでした。裏にどれだけ複雑なロジックが使われているかも意識することもなく。
そんな私がホームページをアップする作業を経験したことで、私にとってブラウザーの位置づけが変わりました。単にホームページを見てコミュニケーションするためのソフトから、コンテンツをアップし自分を表現する場所へ。ホームページを独力でアップしたことにより、私は自分を表現するための手段を手に入れました。

ホームページ作成で起業の発想はなかった


ブラウザーで何かを表現する。この時、私が表現したのは娘の誕生の感動です。
その時ホームページに掲載した十数枚の画像の中には、娘が生まれた瞬間をとらえた際どい画も含まれていました。それも含めてホームページとは表現なのだと思います。
そして、ホームページをアップすることによって、私は表現とはこれほどまでにやりがいのある営みなのかという感触を得ました。
この時、私がもう少しホームページの可能性を真面目にとらえていたら、関西にいる時に抱いていたクリエイティブな職に就きたいとの望みはもっと早くに叶っていたのでしょう。それどころか、ホームページを使った起業さえ成し遂げていたかもしれません。
ただし、それは今だからいえる話。当時の私はそのような発想を全く持っていませんでした。

その頃の私はあいかわらず旺盛に本を読みまくっていました。そして、何かで私自らの生の証しを立てたいと夢想していました。でも、残念ながら、それは夢想でしかなかった。当時の私はあまりにも未熟でした。
しかし未熟であるが故に伸び盛りでもありました。私が自分の伸びしろを持て余し、自分の能力の可能性に戸惑っていました。自分の可能性を感じながら、何に向かって具体的な努力をすれば良いのか、全く理解していませんでした。
今から考えれば、その時の私には強大なチャンスが目の前に転がっていたにもかかわらず。
私の心の中にビジネスで身を立てる発想は皆無でした。

私がビジネスに興味を持てなかった理由。
それは妻の妊娠と娘の出産を控えた親の心情にかかわりがありました。娘には自分が親として教えられることの全てを伝えたい。良き父、良き夫でありたい。そんな理想の家庭像、理想の自分像に私が縛られていたのです。
その幻想は私の眼にはとても魅力的に映りました。クリエイティブな職を目指す余地を奪うほどに。

何にもまして日々の生活が十分なほどクリエイティブだったのですから。娘の誕生、結婚の日常、そして広大な家での生活。仕事も含めて全てが新鮮でした。
そのクリエイティブな状態は、娘が生まれる二年前の自分を比較すると隔世の感すらあります。二年前の私はブラック企業で追い詰められ、何も考えられなくなるまで消耗していました。それから二年。正社員となり、妻をいつくしみ、娘の誕生にまで立ち会えました。しかも持ち家まで構えていられる。
そんな風に恵まれた自分が、その当時の境遇に満足し、上を目指そうと思えなかったのも仕方ないと思えます。その時の私は、クリエイティブな職を目指すだけのモチベーションを持ちようがなかったのです。自分の境遇の変化に追随するだけで精いっぱいだったのでしょう。

ところが、世間的にはステータスであるはずの持ち家が、私を苦しめはじめるのです。
次回からは持ち家の処分について語っていこうと思います。ゆるく永くお願いいたします。


アクアビット航海記 vol.34〜航海記 その20


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/3/1にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

子どもが持てない可能性


今回は、作:長井、監修:妻でお送りします。

前回、過去の私を呼びだしてインタビューに応じてもらいました。
過去の私は薄れつつある記憶をたぐり寄せ、なぜ正社員になったのかを語ってくれました。怪しい関西弁で。
そのインタビューの中で彼はこう証言していました。正社員になったのは子どもができたから、と。

今回は、そのあたりの事情をもう少しつまびらかに語ってみようかと。

子どもを作る。結婚したら意識しますよね。
ところが当時の私は、子どもを持つことに積極的ではありませんでした。結婚前も、結婚した後でさえも。

結婚してから三、四年は夫婦で海外などを旅し、思うがままに見聞を広める。子どもはそれからでいいや。のんきに考えていた私の心の中です。
一方。妻の当時の目標は、所属していた大学病院から矯正歯科医の認定医資格をもらうことでした。
子どもを産めば産後は休まねばなりません。それは、認定医の資格取得の時期を大幅に遅らせます。ましてや休職など論外。
つまり、結婚してすぐに子どもを作る選択肢は夫婦ともに眼中になかったのです。

ところが、妻の下腹部より生理でもないのに出血があったことで、夫婦の人生設計に狂いが生じました。
妻が産婦人科で聞いた診断結果。それはもう衝撃。左右の卵巣が嚢腫だったのです。右がチョコレート嚢腫、左が卵巣嚢腫。さらに、子宮内膜症と子宮筋腫まで発症してました。
つまり、子どもが授かりにくい。それが無情な診断結果でした。

私がその診断結果を聞いたのは、妻からの電話でした。
大泣きする妻を慰める私も動揺を押さえ切れませんでした。
私がその電話を受けたのは、辻堂にある密教寺院での護摩焚きに招かれ、歩いて向かっているところでした。
人生で初めて経験する護摩焚き。目の前の護摩壇に護摩木が投じられ燃え盛る炎。
貫主が唱える真言を聞きながら、私の心は炎と同じく揺らいでいました。
妻の体のことや、これからの結婚生活のことを考えながら。

妻に四重の婦人科疾患の診断が告げられてからというもの、私たち夫婦にとっての結婚は、悠々自適プランどころではなくなりました。
ただでさえ乏しい妊娠の可能性は、時間がたつとともにさらに減っていくからです。

強盗に襲われ切迫流産


数カ月後、ありがたいことに妻のおなかに新たな命が宿りました。
おそらくですが、受胎したのは淡路島の南端、鳴門海峡近くのホテルです。当時開催されていた淡路島の花博で訪れました。

新たな命の兆しは、2000年5月の連休前からすでにありました。
横浜天王町のバーを二人で訪れた際、妻が好きだったはずのジントニックで体調を崩したのです。さらに、連休に夫婦で訪れたハウステンボスで、妻のつわりの症状がはっきりとし始めました。ハウステンボス内にあるバーで飲んだジントニックも、妻が好きな杏仁豆腐味のカクテルも味が違うと訴える妻。
一方、ホテルの朝食のオレンジジュースがおいしいからと何杯もおかわりし、レストランのチーズリゾットの味にはまってモリモリと。明らかに味覚が変わったのです。
ハウステンボスの翌日は、大浦天主堂や野母崎を訪れました。家々にひるがえっていた鯉のぼりは、振り返って考えるにまさに子どもの兆しでした。

ハウステンボスの旅から戻ってすぐ、妊娠検査薬に陽性反応があらわれます。つまりオメデタ。翌日には義父や義弟と一緒に横浜でお祝いしてもらいました。
ところが陽性と出た翌々日、オメデタの喜びに浸るうちら夫婦に新たな苦難が襲いかかりました。強盗です。

連載の第二十七回でも触れたとおり、私たち夫婦が住んでいたのは町田の中心地にある180坪の土地です。しかも裏の家には、普段は誰も住んでいませんでした。二つの家を隔てる中庭にはうっそうと木々が茂り、怪しからぬ輩が忍び込むにはうってつけです。

妻が強盗に遭遇したのは、わが家の敷地内でした。この時、私はその場にいませんでした。詳しく事情を説明しておきます。

当時、私たち夫婦は車を持っていませんでした。そのため、車は毎回義父に借りていました。そして、義父の家は私たちの家から徒歩数分のところにありました。
この日、二人で映画(ファンタジア2000とポケモン)を観に行った私たち夫婦。妻を家の前でおろし、私はいつものように義父の家に車を返しに向かいました。

事件はその直後に起こりました。
当時、鉄筋三階建てのわが家は玄関が二階にありました。車を降りた妻が玄関口へと登ってゆく時、中庭が見下ろせます。その時、妻が見つけたのは、裏の家に潜む怪しげな賊です。妻がダレ?と問い詰めると同時に、妻は実家にSOSの電話をかけます。さらに、逃げようとする賊を確保しようと動きました。
そんな妻の動きを見た賊は、そうはさせじと向かってきます。

ちょうどその頃、何も知らない私は義父の家に着きました。すると、血相を変えて飛び出してきたのは義父と義弟。妻が襲われたとの話しを聞いた私は、車を止めて二人を追います。
家の前の道路では刃物を振り回す強盗に義弟が対峙していました。空手を習っていた義弟はすぐに強盗を取り押さえました。
そして、おっとり刀で駆け付けた刑事に強盗を引き渡し、まずは一件落着。とは行きません。

私たち夫婦はパトカーで町田署まで連れていかれました。そして、取り調べ室で事情聴取へと。
パトカーに乗るのも取り調べ室に入るのも初めて。そもそも、夫婦にとって妊娠自体が初めて。全てに慣れない私たち。妻にとっては朝まで続いた取り調べは相当応えたのか、この時の疲労とショックから切迫流産を起こしてしまいました。

切迫流産とは、流産には至らないけど流産寸前の状態です。大学病院への出勤などもってのほか。即刻でドクターストップです。
結果、妻は一カ月以上にわたって実家での安静を余儀なくされたのです。

連載の前回、前々回で書いた正社員の話は、ちょうどこの事件が起こり、妻の静養期間が終わるか終わったかの頃でした。

強盗に襲われた際、私自身の対応が間違っていたとは思いません。ですが、結果として私は義弟に手柄を譲ることになりました。本来であれば夫である私が強盗を撃退しなければならないはず。ここで妻を守れなかったことで、私は自分自身に対しての面目を大きく損ねました。
これではあかん!自分も成長しなければ!妻と子どもを守らなければ!

私が正社員の話を受けた背景には、このような出来事がありました。

ちなみにこの騒動には後日談があります。この強盗、なんと無罪放免になったのです。
なぜなら障がい者手帳を持っており、生活保護を受けていたからです。はるばる愛川町のあたりから夜の荒稼ぎに出かけるだけの元気があったにもかかわらず、です。検事の判断か何かは知りませんが、送検されなかったこの方は世に放たれました。
私はそれを後日、町田署のK刑事から教えてもらいました。この時のやるせなさといったら!
結果として、娘が無事に産まれたからよかったものの、もし何かあったら私はこの犯人を決して許さなかったでしょうし、社会福祉のあり方にも疑念を持ち続けたでしょう。
私は弱者には手を差し伸べるべきと思いますが、弱者がすなわち無条件に善だとは思いません。今もなおそう思います。
それはこの時の経験が大きく尾を引いています。この事件は、私に残っていた青い理想主義を大きく傷つけました。
この出来事をへて、私は正社員になる決意を固めたのです。妻は切迫流産の危険が去り、再び大学病院へと。

娘が生まれた感動


無事に妻の胎内にしがみついた娘(野母崎の鯉のぼりは息子の予兆ではなかったようです)は、順調に成長していきます。
私も妊娠中のママさん達の集まりに単身で参加し、男一匹、ヒーヒーフーとラマーズ法のハ行三段活用を一緒に唱え。つわりに苦しむ妻に寄り添ったり、夜中に妻に頼まれたものを買い出しに行ったりしたのもこの頃の思い出です。

2000年12/28。長女が誕生。二日にわたる難産でした。私も立ち会いました。

産まれた瞬間。それはもう、感動としか言い表せません。ただでさえ荘厳な出産。それに加えて、四重の婦人科系の疾患に加えて強盗による切迫流産の危機を乗り越え、私たちの前に姿を見せてくれたのですから。
出産直後の異様に長い頭に毛が生えておらず、歯がないことに動揺した私が口走ったあらゆる言葉はもう時効を迎えているはず。20年がたった今となっては笑い話です。

子どもを授かってから産まれるまでの一連の出来事。これは、私に大人の自覚を備えさせました。
それまでに持っていた自覚とは、私が心の中で作り上げただけのもの。思いが揺らげば、覚悟も揺れるいわば根無し草のような頼りないものです。
ところが子が産まれる奇跡は、私の思いをはるかに上回っていました。
私にはまだ身につけるべきものがある。知らなければならないことがある。
子どもに恵まれなかった可能性が高いのに、娘の顔を拝めたこと。そのありがたみ。もうちっと真剣に生きようと思わされました。

この頃の私に、起業という選択肢はみじんもありませんでした。それどころか、状況さえ許せば、私はこのまま勤め人であり続けたかもしれません。全てが無問題ならば。
ところがそうはうまく進まないのが人生。
私が結婚によって抱え込んでしまった責任。それが私にさらなる困難を背負わせるのです。
その困難とは家。私たち夫婦が住んでいた家が、私と妻の人生を大きく揺さぶりにかかってきます。

次回は家の問題を語る前に、初めてホームページを作った話を書いておきます。ゆるく長くお願いします。
ゆるく長くお願いいたします。


魔法のラーメン発明物語―私の履歴書


数年前、横浜にもカップヌードルミュージアムができた。私もそのニュースを聞いてから、家族を連れて何度も行こうと思っているが、いまだに伺えていない。
本書はチキンラーメンを発明し、世界に即席めんを広めた日清食品の創業者、安藤百福氏による自叙伝だ。

チキンラーメンから始まった即席めんのラインアップ。その豊かさは、コンビニエンスストアに行くたびに実感でき。
無数の商品が生み出されてきたし、いまも頻繁に棚の商品が入れ替わる。
おそらく、それらの商品の背景には開発者やマーケティング担当者、製造ラインの方々による努力が刻まれていることだろう。

だが、その裏側に、著者による幾たびも挫折を繰り返した人生があったことを、私はあまりよく知らずにいた。
本書は、日本経済新聞に連載された「私の履歴書」を基にしている。「私の履歴書」といえば功成り名遂げた方の自叙伝としてよく知られたコーナーだ。

本書の「はじめに」では、「私の履歴書」に連載を始めたいきさつが書かれている。
それによると戦後に輩出した著名な創業者のうち、残された大物の一人が著者だったらしい。
担当編集者からの依頼に対し、「特に人に向けて書くようなことはない」と著者が断っていたところ、逆に何か書くとまずい事でもあるのかと問われ、つい筆を取ったのが連載のきっかけだったようだ。

本書には著者の生い立ちから日清食品の躍進までの歴史が記されている。本書を読むと、著者の人生は挫折もあったが、ほとんどが努力と成長の連続だった事がわかる。
チキンラーメンの開発にあたって、著者が一年間自宅にこもりきっていた事はよく知られている。
その裏には、著者が頼まれて理事長に就任した信用組合が破綻し、ほとんどの家財を差し押さえられた実情があったらしい。実際、自宅のみしか残されなかったため、背水の陣を布いて即席めんの開発に当たったというのが真相のようだ。
私は本書を読むまで、その裏側に何か事情があったことなど考えたこともなかった。

差し押さえ。それが大きな挫折であることは確かだ。
だが、挫折する前の著者が信用組合の理事長の地位にまで登り詰めていたことを見逃してはならない。
著者には信用組合の理事長になるまでの人徳と実力があったことを示している。
戦前と戦中に著者は多様な事業に手を出し、それらをことごとくものにしてきたという。著者自身の努力とセンスの賜物だろう
そこを考えず、著者が一か八かを賭けて即席めんに手を出し、幸運にも一発当てたと早とちりすると、著者の生涯から得られる教訓を逃してしまう。

著者は台湾で生まれ、そこで繊維系の仕事に就き、商売を学んだようだ。そして、台北だけでは仕事の広がりに限界を感じ、異国である日本の大阪に出て仕事を起こした。台湾に生まれ、台湾の人でありながら、苦労と工夫を重ねて日本になじんだ事が著者の原点にあるようだ。
著者の人生を概観してみると、あらゆる事物への飽くことのない好奇心が成功に導いた事に気づく。
好奇心に加え、工夫に次ぐ工夫の連続。そこに妥協はない。

好奇心は発想の種を生む。
私は、周りにあるすべてに対する好奇心は、人生を成功させるために不可欠だと思っている。

もう一つ、著者の人生から感じ取れるのは、中年を迎えても人間には成功へのチャンスがあることだ。
そもそも著者が即席めんの発明に手を染めたのが、著者の人生でも後半生に入った後だ。47歳になって自宅で始めたチキンラーメンの開発の苦労は、本書に詳しく書かれている。

その姿はまさに単身の奮闘。この言葉に尽きる。
組織の力は確かに重要だ。だが、最初に努力し、火を起こすまでは一人の力でやるべき仕事なのかもしれない。

この事は、私にとってあらゆる意味で気づきになった。
むしろ、著者が最も言いたい事は、初めは組織だけに頼るなということかもしれない。
著者は、信用組合の理事長での経験を苦い思い出として回顧し、組織を運営のする事の難しさについて触れている。全くその通りだと思う。
一人の力で火を起こし、それを広げるにあたってようやく、組織の力が必要となる。
この事は社会人のほとんどには当てはまらない。だから、結果論だけを取り出せば、一山当てた著者だから説ける教訓だと片付けることもできるだろう。
だが、はじめは組織に頼るなとの教えは、今の新卒での採用が慣習となったわが国のあり方にも一石を投じるものだと思う。

また、カップライスの失敗についても著者は触れている。
開発に着手した当時、古米、古古米が倉庫に眠り、政府からも米の有効活用の要請があり、即席ライスを開発した。だが、見事に失敗したそうだ。

ところが、著者の遺志は没後に実現したことを今の私たちは知っている。そう、日清のカレー飯だ。見事に大ヒットし、今もまだよく見かける商品だ。
おそらくは泉下の著者も喜んでいるに違いない。

本書は、東食の倒産や阪神淡路大震災での社会貢献についてもページを割いている。
それによると、東食は倒産後、即座に日清との取引の再開にこぎ着け、その後の倒産からの復活につながったそうだ。

そうした社会貢献を成し遂げるまでになった日清食品の歴史は、著者が47歳からカップめんを開発して始まった事。
何人もの人生を凝縮したような著者の濃い人生が、まさに人生の後半から始まり、社会貢献にまでつながった事がすごい。

本稿をアップした私は先日、47歳になった。まさに著者がチキンラーメンを開発した年齢だ。
焦りはある。一方で諦めては負けだ、との思いもある。
ひょっとしたら、私自身、全く気づいていない何かをこれから成し遂げるかもしれない。
私自身、今の自分に安住しているつもりも、慢心しているつもりもない。だが、そうした罠はすぐそこに口を開けて待っているはず。間違ってもそうなってはならない。
その事を強く本書から感じた。

本書が面白いのは、私の履歴書の連載の後日談として「麺ロードを行く」と題し、著者が麺の故郷である中国の各地を訪れ、そこで麺を研究した成果を載せていることだ。
それもまた、日本経済新聞の連載だったらしい。
その中で紹介されている中国各地の麺の豊かなことと言ったら!
日本にもかなりの種類の麺が入ってきているが、まだまだ中国には及ばない。私たちの知らない麺の奥深い世界が広がっているようだ。

本書を読むと、そうした麺がもっと日本に入ってきてほしいと思う。
麺こそが、私たちの食生活を豊かにする。そのことに誰も異論はないだろう。
著者は長生きの秘訣を尋ねられたり、カップめんの容器に健康被害の風評が吹き荒れた際、97歳まで生きた自らの長寿を引き合いに出し、カップヌードルの健康性を吹聴していたとか。

私も最近、よく横浜に行く。
冒頭に書いたように、横浜にはカップヌードルミュージアムがある。
早くそこに行って、著者の実践の成果を見てみようと思う。
さらに、実家に帰ったときには、著者が住んでいた池田に建てられたカップヌードルミュージアムにも訪れたいと願っている。
その時、私は何を思うだろう。ひょっとしたら新たな道を見つけられるかもしれない。楽しみだ。

‘2019/4/26-2019/4/26


アクアビット航海記 vol.11〜起業のデメリットを考える その5


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。第七回から今回まで、起業のデメリットを語っています。なお、以下の文は2017/10/19にアップした当時の文章そのままです。

「守られなくなること」

ここまで、起業をつれづれなるがままに語ってきました。何度も書いたように起業のやり方など千差万別。それぞれのやり方があっていいと思うのです。ただ、やり方によっては成功も失敗も両方あり得るのが起業の怖さでもあります。ですから、私は本連載でいう起業を、お花畑に囲まれたハッピーライフとして描くつもりも、イバラの道が続くデス・ロードだけで埋めるつもりもありません。利点も欠点も両方とも書かなくては。そう思いませんか?
ここまでで利点を5回。欠点を5回。ちょうど同じ回数を費やしました。そんなわけで起業の欠点を述べるのは今回でひと段落とします。

ここまで取り上げてきた起業の欠点。それを一言でまとめるなら、「守られなくなること」と言えるのではないでしょうか。学生時代は保護者に守られます。社会人になってからは所属する組織、つまり会社やバイト先から守られます。しかし起業するとそれらがなくなります。守られなくなる、ということは自由の証でもありますが、見方を変えれば失敗が許されなくなることでもあります。

「守られなくなる」とは、例えば

例えば、第7回で書いた時間が不規則になる件です。学生時代は時間割が学校から提示されます。学校が定めた時間割に従っていれば生活のリズムは作れました。社会人になってからもそう。始業時間と就業時間があり、そこに沿っていれば、タスクも割り当てられ、タスクに充てる時間配分も上司の指導のもと行えました。ところが起業すると、時間枠は自分で作っていかねばなりません。指導してくれる上司もいなければ、規範となるルールもありません。あなたがあなた自身の上司を兼ね、あなたがルールを作っていかねばなりません。そうなのです。守ってくれるのは己の力だけ。

例えば第8回で書いた収入が不規則になる件です。学生時代は親の扶養のもとで生活の心配をせずに済みます。就職してもアルバイトしていても一定の収入は約束されます。社会保険や税金の支払いもそう。会社が払ってくれるので、あなたはあまり意識せずに済んでいたのです。ところが、起業するとお金の確保は己の腕一本にかかってきます。定期収入は自分の営業努力で確保せねばなりません。税金の支払いもそう。経理担当を雇う、税理士の先生にお願いする。お願いすれば支払手続きは行って頂けるでしょうが、最終的な支払い責任があなた自身にかかってくるのは同じです。そうなのです。守ってくれるのは己の力だけ。

そして、第9回10回で書いた人付き合いが変わる件です。学生時代は学校の割り振ったクラス分けで人間関係がお膳立てされていました。社会人になったら配属先がそうです。そこを基準に人間関係を作り上げていけばよかったのです。ところが起業すると人脈は自らが構築していかねばなりません。しかも己が信頼に値する人間であると示しながら、です。そして相手が信頼できる人間であると見極めながら、です。信頼を勝ち得られず、仕事が取れない。信頼した相手に裏切られる。そういったことも、すべては自分の責任です。組織にいる間は、組織に守ってもらっていることは意識しません。独立して初めて、組織に庇護されていた境遇を感じるのです。そうなのです。守ってくれるのは己の力だけ。

他にも守られなくなることはあります。それは、あなたご自身の健康です。会社にいると定期健康診断はかならず受けねばなりません。労働安全衛生法にもそう定義されています。ところが、これは正社員、アルバイト、パートなど常時雇用する従業員に対しての義務です。あなた自身は常時雇用されているわけではありませんから、あなた自身の健康診断の義務はないのです。そして、あなた自身の健康診断を受ける義務はありません。ということは、あなたの健康は誰も守ってくれないのです。激務の末に倒れたとしてもそれはあなたの健康管理が悪かったから。という末路が待っているのです。気をつけねばなりませんね。気をつけねば。こう書いている私が一番そう思っています。間違っても倒れてはならないのです。くわばらくわばら。

他にも守られなくなることはあります。それは、あなたご自身の法的な保護です。会社であれば、従業員の監督義務があるため、そうおかしなことはできません。でも従業員もおらず、自分自身で行なう事業であれば、その行為が法的に正しいかどうかは、誰にも注意されません。軽い気持ちでやった行為が実は商法や民法に違反していることだってあるのです。もしそれが摘発されたら、あなたには前科がついてしまう!  それは避けたいですよね。起業はあくまでも正々堂々と。なんの恥じらいも罪の意識もなく、まっとうに活動していきたいものです。また起業すると立場も弱くなりがち。取引相手から違反すれすれの行為を受けることだってあります。請求した金額が入金されないことだってあるでしょう。ですから、そのあたりの知識は持っておかねばならないのです。もちろん法的な書類の取り交わしなど、身を守るべき契約書類はきちんとしておくのが当たり前です。そうしないと仕事をしてもお金が入ってこないことだってありえます。くわばらくわばら。

まだ他にも守られなくなることはあります。それはあなたの老後です。連載の第4回でも書きましたが、生涯を仕事に打ち込むためには起業は有効な選択肢です。でもそれは逆をいえば、退職後の生活保障もされないことでもあります。つまり、老後の貯えは自分で作っていかねばなりません。つまり、起業すると自分の老後を守ってくれるのは自分以外いなくなるのです。年金?  現在、もしあなたが引退後の生活資金を国民年金に見込んでいるのであれば、それは即刻改めるべきだと思います。年金制度が破綻しているとまではいいませんが、この少子化の現状では、どこかで年金改革の波がやってくることは避けられません。その時に年金をあてにしていると、どうにもならない日がやってくる。くわばらくわばら。

それでも私は起業を選びます。

さて、ここまで起業のデメリットを書いてきました。最初にも書いた通り、起業の良い面ばかり持ち上げるつもりはありません。でも、起業の悪い面ばかり煽るつもりもありません。でも、それでも、私は生まれ変わったとして、もう一度起業する人生を選ぶか、と問われれば迷わず「はいっ!」と手を挙げます。ここまで起業のデメリットを知った上でもなお、私は起業を選ぶと思います。それは起業の利点を享受しているからです。

そして、組織に頼り切ってばかりいると、今後起こるAIの波に呑まれたときに何もできなくなります。ですから、この連載を読んでくださっている方の中で、起業のデメリットを知ったうえで、なおかつ起業したい、という方がいれば、私は応援したいです。

次回からは、本連載のタイトルに立ち返り、私自身の歩みを少々語ってみたいと思います。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.10〜起業のデメリットを考える その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前々回、前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。前回、起業前であれば、利害関係が友人との関係にモロに響くことはあまりない、と書きました。ところが、“起業”してからは、その辺りがガラッと変わります。今回はここから続けたいと思います。なお、以下の文は2017/10/13にアップした当時の文章そのままです。

“起業”すると新たな知り合いは増えますが、責任を背負っての付き合いになります。

個人事業であれ、法人であれ、組織のトップである以上、組織の不始末は代表の責任です。責任を分散させ、曖昧にすることは許されなくなります。組織はかばってくれないのです。よく、経営者は孤独だ、という言葉を聞きます。それは責任者である以上、甘んじて引き受けなければなりません。

では、“起業”すると新たな友人を作れないのでしょうか。私の個人的な経験ではそうではありません。むしろ、人と知り合いになれる可能性はより増えます。

“起業”すると、広告塔としての役割を担わねばなりません。トップセールスマンとしての自覚が求められるのです。ということは、外に出かける機会も増えます。セミナーや異業種交流会、パーティーなど。そのような場所に集うのはあなただけではありません。“起業”した方々が同じような目論見で集ってきます。そこでは、“起業”した方だけでなく、“起業”を目指している、または“起業”しつつある人々にも出会えることでしょう。要するに価値観の似通った方が集まるのです。そこで知り合いを作ることはそれほど難しくありません。むしろ、利害の対立がなければ、一生の友人に出会える可能性もあると思います。

ところが、そういった方々は組織のトップであることが多い。従って、利害が対立した時にはお互いが矢面に立たねばなりません。お互いが組織の責任を背負う立場である以上、いざ利害が対立すればたもとを分かたねばならないこともあります。利害が関係構築の邪魔をしたり、仲を引き裂いたりもします。“起業”した皆さんはそれがわかっています。そして、利害を絡めないようなうまい付き合いの方法を模索していきます。ですから、“起業”すると大人の付き合いに長けていかざるをえません。あまりお互いの内部に深く立ち入らず、当たり障りのない話題に終始するような。もっともこれは組織の中で生きていく処世術でもあるため、大人であれば多かれ少なかれ身に着けるスキルなのかもしれませんが。

友人との起業について。

また、信頼できる友人と共同で“起業”する、という事例もよく聞きます。でも、私に言わせるとそれも賛否の分かれるところです。なぜならば、もとからある友人との仲など関係なく、ビジネスである以上は利害が割り込んでくるからです。仮にその友人との関係が、利害とは関係ないところで結ばれた場合はなおさらです。ビジネスの冷徹な利害に直面して、なおも続く友情であればよいのです。が、下手すればせっかく結んだ友情関係だって壊れてしまうかもしれません。

「安心」と「信頼」について。

前回、組織と個人を対比させる際に「安心」と「信頼」という二つのキーワードを示しました。それはどういうことでしょうか。このキーワードは社会心理学者の山岸俊男氏が提唱しています。「安心」とは組織の中の論理です。組織の中でその人物が受け入れられてゆく過程で、組織はその人物を「安心」できる人物として認めます。つまり、組織に属していることは、自らが「安心」できる人物と外部に示すことでもあるのです。一方、組織から外に出て独立することは、「安心」という組織のセーフティネットから出ることと等しい。個人の立場で外に出る時、私たちは自らが「信頼」できる人間であることを示さねばなりません。組織の提供する「安心」のかわりに「信頼」が求められるのです。

新たに知己となった方とお会いするとき、われわれは無意識に「安心」と「信頼」の基準で判断している。それが山岸氏の提唱する主旨です。同じ組織に属しているか、組織の肩書を背負った方であれば「安心」できます。ところがお会いした方が個人事業を営んでいるか見知らぬ会社の代表者であった場合は「安心」はできません。そのかわりに私たちはお会いした方が「信頼」できるかどうかを見極めねばならないのです。利害が衝突するリスクを引き受けてもお付き合いできるかどうか。

学生時代のトモダチには、「安心」も「信頼」もありません。ただ気の合うトモダチなのです。ところが、社会にでると「安心」を基準に仲間が作り上げられます。そして、“起業”すると「信頼」をベースに友人を構築していくのです。ですから、“起業”してから新たに組織を構築する行ないの中には、自らが「安心」できる組織を作りたい希望が含まれている。そんな仮説も可能です。そう考えると、仕事を広げるための体制作りには「信頼」から「安心」への回帰願望があるとみなしても許されるかもしれません。利害が衝突する「信頼」から「安心」へと。

安心から信頼へ。“起業”する前とした後では、あなたが身につけなければならない観念には違いが生じるのです。それこそが私が実感した友人との関係の違いではないかと思います。利害のない中で心を許し合うトモダチ。安心を背負って交際する仲間。そして信頼を武器に付き合ってゆく友人。私の本音は、その区別を取っ払いたいと思っています。「安心」でき「信頼」でき、さらにそこを超えて心を許し合え、本音で付き合える友人。そんな友人を“起業”してからも作っていければ。私は常にそう願っています。

この点をデメリットとみるか、「信頼」を身に着けるチャンスとみるか。それは皆さん次第だと思います。

次回も引き続き、起業のデメリットを語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.9〜起業のデメリットを考える その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前々回、前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。なお、以下の文は2017/10/5にアップした当時の文章そのままです。

人付き合いの質が変わります。

このデメリットを起業前に想定していた方は偉いと思います。少なくとも私には予想外でした。良くも悪くも、人付き合いの質は“起業”すると変わります。公私ともに。何故だかわかりますか?

私にはまだ、その原因の本質は分かりません。たぶん、死ぬまで分からないのでしょう。学生時代の友人と社会に出てからできた友人の付き合い方がなんとなく違う。そう思ったことはありませんか? それと同じく、社会に出てから絆を結んだ友人と、“起業”した後に友情を作った友人もどことなく違います。それが良いのか悪いのか。判断は人それぞれですが、私にとってはそこに差が生じることが問題なのです。

子供のころのトモダチ付き合い。

私にとって友人とは財産です。学生時代につるんだトモダチ。いまでも私は関西の実家に帰ると友人に会って旧交を温めます。そんな時、一気に若返ったように話が弾む。みなさんも思い当たる節があるのではないでしょうか。 もちろん、社会人になってからの仲間もかけがえのない財産です。また、“起業”してからできた友人ともこれからずっと仲良くしたいと願っています。社会人になってからの仲間も“起業”してからの友人も、子供の頃に培ったトモダチのように付き合いたい。そこに私の本心はあります。

本稿を書き始める前日、私は某BARで月一回恒例の独り呑みを楽しんでました。何も背負わず、個人の立場でフラっとBARに入り、お酒を楽しむ。私にとっては欠かせない憩いの一瞬です。だんまりの時もあれば、マスターやバーテンダーさんや常連客と話が弾むこともあります。昨夜の場合は後者でした。そこで知り合ったのが、誕生日から運勢や性格をみてくださる方。その方がおっしゃるには私は無邪気な少年の心を持った人、だそうです。

いまなお少年のような心を持ち、当時のようなトモダチ付き合いがしたいと願う。それが現在の私。だからこそ、大人になってから仲間や友人たちの間に挟まる薄紙一枚の仕切りに敏感になるのかもしれません。たかが薄紙一枚。でも、私にとっては壁にも等しい。なぜそんな薄紙にトモダチの付き合いを邪魔されるのか。その理由を考えてみました。

それは、利害が絡むから、ではないでしょうか。仕事をすること。そこにはお金が関わります。利害もからみます。責任がのしかかります。仕事を完遂するにあたっては、友情よりも優先されなければならないものがあるのです。それが、学生時代のトモダチと、大人になってからの仲間や友人との違いだと思います。

トモダチには利害など関係ありません。もちろん、美しいだけではありません。子供心にけんかも嫉妬も行き違いもそれなりにあったはず。なぜ、あいつだけ先生の覚えがめでたく、級友から仲良くされるのか、といった想い。そんな微妙な利害の綱引きはあったかもしれません。人によっては大人顔負けの打算で友人を演じていた人もいたかもしれません。でも、そこには大人になってから味わうようなビジネスの冷徹な論理はありません。だからこそ、いまでも会って話すと懐かしさを感じるのです。貴重なのです。

社会に出てからの仲間付き合い。

ここまでの内容で、学生時代のトモダチと、大人になってからの付き合いに違いがあることはおぼろげに理解しました。では、社会人になってからの仲間と“起業”してからの友人には違いがあるのでしょうか。私はあると思っています。では、何がどう違うのか。私はその違いを組織と個人の違いに求めました。あるいは安心と信頼の違いと言いかえてもよいでしょう。

社会に出た後、たいていの人はどこかの組織に入ります。新卒で採用されたり、私のように卒業すぐに就職しない方は派遣先だったり。夢を追いつつバイト生活で生計を立てる場合もバイト先や夢追う仲間たちとのコミュニティが組織にあたります。そういう場所で、いったん社会のルールを学び、社会に溶け込んでいくのです。まず組織の一員となることが一般的であると思います。そして、組織の一員としての立場で、新たに友人との関係を構築していく。その関係には利害の絡む場合とそうでない場合があります。利害が絡まない場合はいいのです。趣味や異業種交流会や合コンなどで知り合った友人との関係ですね。利害の発生しない付き合いなら学生時代のノリでつきあえることでしょう。

でも、場合によっては利害が発生するかもしれません。例えば、取引社の担当者同士で交流を結ぶ場合です。商談しているうちにウマが合って仲良くなる。よくある話です。でも、仕事上の関係は利害をはらんでいます。もし万が一納期が遅れ、片方がもう片方に迷惑をかけた場合など、モロに利害関係が噴出します。ただし、利害が衝突しても、個人にそれらの責任が問われることはあまりありません。なぜなら組織の一員だから。個人として謝罪の気持ちを表すのは当然ですが、法的責任が個人に及ぶことはそうそうありません。もっとも法人格の種類にもよりますし、個人として懲戒処分に相当するようなトラブルを引き起こしたらそれは別の話。ただ言えるのは、基本的には組織の一員である以上、利害が付き合いにモロに響くことはあまりないということです。利害関係といってもたかが知れているのです。

ところが、“起業”してからは、そのあたりがガラッと変わります。

次回も引き続き、“起業”した後の人付き合いの違いについて語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.7〜起業のデメリットを考える その1


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。今回からは、起業のデメリットを語りたいと思います。なお、以下の文は2017/9/21にアップした当時の文章そのままです。

起業のデメリットを考えてみましょう

第一回でも触れましたが、“起業”しようと意気込む人は、あまり悪い方向には考えません。考えるとしても、せいぜいシミュレーションや想定上のこと。いわゆるマイナス思考やネガティブ思考にとらわれることを恐れるあまり、悪い感情にひたらずに起業に踏み切るものです。そのため、後ろ向きのイメージを抱かずに起業に踏み切っていく。論理やデータでは起業についてまわる悪いことを想定していても、起業のダークサイドを感情で味わった上で“起業”する人は少ないと思います。

私もこのような偉そうなことを書いていますが、成行きで“起業”したため、悪いイメージはまったくもたず、逆に前向きなバラ色起業生活のワクワクもないままの起業でした。どちらの方向にも先走りせず、感情面のシミュレーションが希薄なままの起業だったので、こんなはずでは、という失望にはあまり陥っていません。それが私が10年以上も独立していられる理由なのかもしれません。とはいえ本連載では起業の良い面だけを語るのではなく、悪い面も伝えておくのが使命だと思っています。

この連載をお読みいただいた方の中には、起業の欠点も知り、起業を取りやめる方もいらっしゃるでしょう。または起業のメリットを知り、“起業”したいとの大志を抱いたにもかかわらず、自分に起業は向かない、と組織にとどまる方もいることでしょう。それでいいのです。“起業”したから偉いとか、組織の中で現役を全うしたから偉くないとか、関係ありません。あくまでも人生はその本人のものなのですから。

ただ、起業のデメリットを知ったうえで、なおかつ起業に踏み切る人を私は応援したい。そして、“起業”した方には、社会的にも道徳的にも道を外さず、それでいて私の稼ぎなどあっという間に抜き去っていくぐらいの気概で頑張ってほしいと思います。自分の夢と健やかな家族と会社の利益を両立し、なおかつ起業からはじめて、徐々に会社を大きくしていった方のことは心から応援したいと思っています。

む、また話が堅苦しくなりつつありますね。いけません。ゆるく永く、でしたね。

まずは肩の力を抜き、ありがちな嫌なこと、から語っていきましょう。

生活が不規則になるでしょう

本連載の第二回で、起業の利点としてラッシュから解放され、毎日違った過ごし方ができると書きました。これは逆をいえば、毎日が不規則になることを意味します。なぜ不規則になるかというと、一人で背負い込まねばならない仕事が増えるからです。いったん、ここでいう起業は個人事業を指すとお考えください。個人ですから、一人で営業に向かいます。一人で製品を作り、一人で請求書をおこし、一人でトラブルや問い合わせ対応にあたります。独りで責任を負うわけですし、最初は資金もありません。人を雇えない以上、すべてが自分にかかってきます。 時には納期が急な案件が同時に来てしまうこともあります。複数案件のご依頼をいただくこともあります。そこをコントロールすべきなのはもちろんです。でもそこが、安定した会社勤めと違う起業の宿命。将来のことを考えると受けられる案件は断らずに受けてしまうのです。そして、トラブルや問い合わせ対応は個人でコントロールができにくい種類の作業です。それをこなそうとすれば、定常業務と重なります。そして定常業務が遅れていきます。それを挽回しようと思えば不定期作業に踏み込むしかなくなっていきます。つまり悪循環に陥るのです。

なぜ生活が不規則になるのか

そんな状況で、毎日を規則正しく送れる人がいたらその方は超人です。毎日23時には就寝して、7時に起きるという生活は、ほぼ無理と思ったほうがよいでしょう。もちろん、健康あっての“起業”ですから、健やかな睡眠は重要です。ですが、実際はなかなか理想通りにはいきにくい。難しいのです。もちろん、“起業”した職種によってその点は違います。例えば店舗を構え、来店するお客様からお代をいただくような職種の場合は、営業時間を前もって決めておくことで、規則正しい生活は維持できるでしょう。しかも作業が開店中に完結してしまうような職種の場合は、なおさらです。

でも、“起業”した当初は人もおらず、不規則な日々を逃れられないと思います。たとえばレジを締め、ジャーナルを出力し、会計を合わせ、夜間金庫に入れるためのお金を数える。これは営業時間後にやる作業です。きちんとした方は日報を書いて日々のおさらいをし、翌日の予定を立てて準備を怠らないでしょう。その時間は営業時間後に行なうため、時間も伸びます。さらにそれは、その業態で何十年後も安定したお客様が来てもらえればの話。実際は新たな商圏や商材を仕入れ、勉強する時間も必要です。起業とは常に勉強が求められるのですから。

また、曜日の感覚もあいまいになるでしょう。週休二日制が維持できるかどうかはあなた次第です。日曜日は安息日、といった能書きも“起業”すればどこかに飛んでいくかもしれません。それこそ、起業前には毎週日曜日に感染できていたサザエさん症候群が懐かしく思えるほどに。起業後はちびまる子ちゃん症候群という言葉も忘れてしまうことでしょう。“起業”すると、先に済ませられることは済ませておかねば、という思いに駆られます。なぜなら、いざ作業が重なるとどうにもならなくなるから。そのため、少し暇ができればテレビよりも目の前の作業に向かいたくなります。曜日が不規則になるということは、さまざまなことができなくなります。例えば、“起業”する前に勤しんでいた地元の少年野球のコーチ。見たいテレビ番組、生のスポーツ観戦、子供たちの習いごと送迎、その他その他。起業前に確保できていた余暇や家族との時間すら奪われかねません。

“起業”して最終的な責任者になるということは、部下や下請け業者からの相談ものべつ幕なしにやってきます。お客様からの連絡だって時間を問わずやってくるはず。家族の時間に、容赦なく仕事は入り込んできます。家族との時間は、家族を持つ方にとっては切実な問題のはずです。自由な時間を求めて“起業”したのに家族との時間が奪われる。これは、家族との時間も大切にするという本連載の意図からも外れます。実際、私もこの罠にはまりました。いまだに子供たちには悪いことをしたと思っています。

生活が不規則になる。そのことは“起業”する前は頭では想像できていても、実感としては分からないものです。我が国の場合、在宅作業はまだ根付いていません。仕事は会社でやるもの、という意識が強いです。そんな風潮にあっては、プライベートに仕事が入り込むことは、あまり歓迎されません。いくら工夫によってプライベートとパブリックが分けられるとはいえ、実際は公私混同になってしまいがちです。

それを防ぐには、前もって、ご自身のライフスタイルを見極めておくとよいでしょう。私のようにテレビ番組に興味がなかったり、定期的な課外活動に興味がない場合は、“起業”してもストレスを感じません。そして、あまり不規則な生活も苦にならないかもしれません。家族がいるか、親族の介護などは不要か、についても想定しておいたほうがよいでしょう。特に、家族とは事前にじっくり相談しておいたほうがいいと思います。私の場合は妻が個人事業を生業としていたので、理解は得られましたが。

次回も、起業の欠点について取り上げていこうと思います。


本音採用にブログを連載しています


なんどかFacebookやTwitterでは告知していますが、
昨年八月よりCarry Meさんの運用されている「本音採用」というWebメディアにおいて、ブログを連載しています。

「アクアビット航海記「ある起業物語」」と題して。

連載も長期にわたると、そろそろ一覧で記事を管理したいと思います。

本日4/19、第三十七回をアップしました。

第三十九回 新しい会社で技術力が向上する
第三十八回 転職と新たな会社での洗礼
第三十七回 新たな会社からのお誘い
第三十六回 仕事のピークとその後の反動
第三十五回 正社員として得た経験
第三十四回 家の処分に本腰を入れ始める
第三十三回 途方に暮れる家の処分
第三十二回 家の重荷
第三十一回 はじめて作ったホームぺージ
第三十回 子を持つ責任の芽生え
第二十九回 流れにまかせ正社員へ
第二十八回 Excelマクロ使いから正社員へ
第二十七回 僕が僕であるために
第二十六回 機会を逃さず飛び込む
第二十五回 自立の願いに暗雲が
第二十四回 自立した自分を悟る
第二十三回 スーパーバイザーとして働く
第二十二回 上京してまもなく
第二十一回 前半生のまとめ
第二十回 単身上京に踏み切る
第十九回 ブラック企業でしごかれる
第十八回 社会に出るために足掛かりをつかもうとする
第十七回 社会に出て自らの無力さを感じる
第十六回 社会に出て、プログラミングに触れる
第十五回 大学を出た後
第十四回 大学での生活が私の起業に与えた影響(後編)
第十三回 大学での生活が私の起業に与えた影響(前編)
第十二回 航海記
第十一回 起業のデメリットを考える その5
第十回 起業のデメリットを考える その4
第九回 起業のデメリットを考える その3
第八回 起業のデメリットを考える その2
第七回 起業のデメリットを考える その1
第六回 起業のメリットを考える その5
第五回 起業のメリットを考える その4
第四回 起業のメリットを考える その3
第三回 起業のメリットを考える その2
第二回 起業のメリットを考える その1
第一回 まずはじめのご挨拶

これからも連載はつづく予定ですが、連載の度に追加していきます。

1 2017/8/10
2 2017/8/17
3 2017/8/24
4 2017/8/31
5 2017/9/7
6 2017/9/14
7 2017/9/21
8 2017/9/28
9 2017/10/5
10 2017/10/13
11 2017/10/19
12 2017/10/26
13 2017/11/2
14 2017/11/9
15 2017/11/16
16 2017/11/23
17 2017/11/30
18 2017/12/8
19 2017/12/14
20 2017/12/21
21 2017/12/28
22 2018/1/4
23 2018/1/11
24 2018/1/18
25 2018/1/25
26 2018/2/1
27 2018/2/8
28 2018/2/15
29 2018/2/22
30 2018/3/1
31 2018/3/8
32 2018/3/15
33 2018/3/22
34 2018/3/29
35 2018/4/5
36 2018/4/12
37 2018/4/19
38 2018/4/27
39 2018/5/13

Vol.18
だめ
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自転車
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出会い
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vol.19
履歴書
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ブラック企業
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得たもの
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vol.20
足跡
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両親
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上京
https://pixabay.com/ja/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89-%E6%9D%B1%E4%BA%AC-%E6%97%A5%E6%9C%AC-2443307/

vol.21
旅路
https://pixabay.com/ja/%E7%A0%82%E6%BC%A0-%E9%A2%A8%E6%99%AF-%E9%81%93%E8%B7%AF-%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%81%93%E8%B7%AF-%E6%97%85%E8%A1%8C-%E7%A9%BA-%E9%9B%B2-hdr-%E8%87%AA%E7%84%B6-2340326/

七つの
https://pixabay.com/ja/%E9%A2%A8%E6%99%AF-%E7%A0%82%E6%BC%A0%E3%81%AE%E5%B1%B1%E3%80%85-%E7%A9%BA-%E5%B1%B1-%E6%97%A5%E6%B2%A1-%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E4%B8%8A%E6%98%87-1052092/

感謝
https://pixabay.com/ja/%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%94%E3%81%96%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E8%B4%88%E3%82%8A%E7%89%A9-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9-%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-3040082/

vol.22
上京したてのなにもない私
https://pixabay.com/p-737572/?no_redirect

完全なる孤独と自由の日々
https://pixabay.com/ja/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1-%E6%B5%B7-%E9%9D%92%E7%A9%BA-%E6%B1%9F%E3%83%8E%E5%B3%B6-%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E9%A2%A8%E6%99%AF-%E6%99%B4%E5%A4%A9-585530/

職探し
https://pixabay.com/ja/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF-%E6%89%8B-%E4%B8%8E%E3%81%88%E3%82%8B-%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9-%E7%94%B7-%E4%B8%8E%E3%81%88-%E6%8F%90%E4%BE%9B%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99-2056023/

vol.23
横浜ビジネスパーク
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/22/Yokohama_Business_Park_Bellini%27s_hill.JPG

乾杯
https://pixabay.com/ja/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC-%E4%B9%BE%E6%9D%AF-%E4%BA%BA%E9%96%93-%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88-%E5%80%8B%E4%BA%BA-%E9%81%8B%E5%8B%95-%E6%B0%97%E5%88%86-1458869/

Excel
Excel & OpenOffice Calc navigation shortcuts

vol.24
結婚準備
https://pixabay.com/ja/%E5%BD%A2%E5%BC%8F%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%91%A9%E8%80%97-%E5%AE%B4%E4%BC%9A-%E7%B5%90%E5%A9%9A-%E6%BA%96%E5%82%99-%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AB-%E4%B8%8D%E5%8B%95%E7%94%A3%E8%81%96%E3%83%9A%E3%83%86%E3%83%AD-1517077/

巣立ち
http://art28.photozou.jp/pub/383/141383/photo/137309596_624.jpg

感謝
https://pixabay.com/ja/%E6%9C%9D-%E7%A5%9D%E7%A6%8F%E3%81%99%E3%82%8B-%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%87%BA-%E5%AE%97%E6%95%99-%E6%97%85%E8%A1%8C-%E6%97%A5%E5%85%89-%E9%A2%A8%E6%99%AF-%E8%87%AA%E7%84%B6-%E5%B9%B3%E5%92%8C-2243465/

vol.25
暗雲
http://www.publicdomainpictures.net/view-image.php?image=12887&picture=dark-clouds&jazyk=JP

歯医者
https://pixabay.com/ja/%E6%AD%AF%E7%A7%91-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF-%E6%AD%AF%E5%88%97%E7%9F%AF%E6%AD%A3-%E6%AD%AF-%E6%AD%AF%E7%A7%91%E5%8C%BB-%E6%89%8B%E8%A1%93-%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88-2450751/

挫折
https://pixabay.com/ja/%E6%AC%B2%E6%B1%82%E4%B8%8D%E6%BA%80-%E6%80%9D%E8%80%83-%E5%BF%83%E9%85%8D-%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85-%E8%8B%A5%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99-%E7%94%B7-%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%BF-%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E4%BA%BA-1241534/

vol.26
重荷
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リクルート
https://pixabay.com/ja/%E9%9B%87%E7%94%A8-%E5%8B%9F%E9%9B%86-%E4%BB%95%E4%BA%8B-%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB-%E9%9B%87%E7%94%A8%E8%80%85-%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC-hr-1977803/

飛び込む
https://pixabay.com/ja/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%B3-%E3%83%A9-%E3%82%B1%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%80-%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF-%E6%B0%B4%E3%81%AB%E9%A3%9B%E3%81%B3%E8%BE%BC%E3%82%80-%E6%B0%B4-%E6%B5%B7-81397/

vol.27
歯車
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学生
https://pixabay.com/ja/%E7%94%9F%E6%B4%BB-%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-%E5%91%BC%E5%90%B8-%E6%B5%B7-%E4%B8%96%E7%95%8C-%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%8A-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%8C%E6%8C%AF%E5%8B%95%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82-2048978/

尾崎豊
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Relief_of_Yutaka_Ozaki_at_Shibuya_Cross_Tower_in_Shibuya,_Tokyo.jpg

vol.28
Y2K
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5a/One_Y2K_Bug_%283664294542%29.jpg

データベース
https://pixabay.com/p-156948/?no_redirect

名刺
http://www.publicdomainpictures.net/view-image.php?image=54464&picture=&jazyk=JP

vol.29
流れに乗る
https://www.publicdomainpictures.net/view-image.php?image=10514&picture=&jazyk=JP

損得
https://www.publicdomainpictures.net/view-image.php?image=174629&picture=hand-with-thumb-up-and-down

正社員のタスク
http://maxpixel.freegreatpicture.com/Move-Task-Woman-Job-Monitor-Relaxed-Pose-2685460

vol.30
護摩焚き
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%B7%8F%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E9%87%91%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E5%AF%BA%E4%BF%AE%E9%A8%93%E6%9C%AC%E5%AE%97%E3%80%8C%E6%99%AE%E6%9D%A5%E5%B1%B1%E6%AD%A3%E8%A6%9A%E9%99%A2%EF%BD%A3Img396.jpg

宿った子
実際の長女のエコー写真

新生児
https://pixabay.com/ja/%E8%AA%95%E7%94%9F-%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE%E5%91%BC%E5%90%B8-%E8%B5%A4%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93-%E5%88%86%E5%A8%A9%E5%AE%A4-%E3%81%B8%E3%81%9D-care-896099/

vol.31
ホームぺージ
https://pixabay.com/ja/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88-%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%96%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88-%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0-%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E-1599663/

独学
https://pixabay.com/ja/%E6%95%99%E8%82%B2-%E6%9B%B8%E7%B1%8D-%E6%96%87%E5%AD%97-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%88-%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0-%E5%AD%A6%E6%A0%A1-%E5%AD%A6%E3%81%B6-2108151/

自分を表現する
https://www.pexels.com/photo/person-in-purple-crew-neck-t-shirt-with-just-me-painting-on-hand-52986/

vol.32
負債
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交渉
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綱引き
https://pixabay.com/ja/%E7%B6%B1%E5%BC%95%E3%81%8D-%E5%8A%9B-%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF-%E7%94%B7%E6%80%A7-%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%97-%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84-1013740/

vol.33
廃虚
West Lawn - Tinged with Regret

弁護士
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最初の一歩
https://pixabay.com/ja/%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3-%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC-%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9-%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9-1436917/

vol.34

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%B5#/media/File:Standard-lock-key.jpg

契約書
https://pixabay.com/ja/%E8%A8%BC%E6%98%8E%E6%9B%B8-%E5%A5%91%E7%B4%84-%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88-%E8%A8%BC%E6%8B%A0-%E7%BE%8A%E7%9A%AE%E7%B4%99-%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%BD%B9%E5%89%B2-3177946/

専門家
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リフレッシュ
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vol.35
経験
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バーコードリーダー
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請求
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商談
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コンプライアンス
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vol.36
2002 FIFA Worldcup
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2002 FIFA Worldcup
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Saitama_2002_0604.jpg


https://www.google.co.jp/search?as_st=y&hl=ja&tbs=sur%3Afc&tbm=isch&sa=1&ei=QRTOWsasOofc8QXhkaOoCA&q=chain+four&oq=chain+four&gs_l=psy-ab.3..0i8i30k1l8.1917.3877.0.4171.10.10.0.0.0.0.208.900.0j6j1.7.0….0…1c.1j4.64.psy-ab..3.7.897…0j0i4k1j0i19k1.0.ifPceY6eCK4#imgrc=I3PfGxEYSDCkQM:

vol.37
お招き
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迷い
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作業
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vol.38
別れ
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停滞
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倉庫
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vol.39
オフィス
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スキル
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vol.40
誕生
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スタート
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交渉
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よくわかる株式会社のつくり方と運営 ’13~’14年版


法人設立にあたっては、色々本を読んだ。その最初の本が「会社は誰のものか」。記録によると2014/12/20から2014/12/24に掛けて読んでいる。つまり、私が法人化を意識し始めたのは2014年のクリスマス直前であるようだ。

「会社は誰のものか」を読み、「下町ロケット」を読み、その次に読んだのが本書である。経営者の気構えについての本、経営者が追うべきミッションや夢の本、そして法人化の手続きに関する本というわけだ。そのアプローチは今思い返しても導かれたような順番といえる。

本書は、法人化手続きの実務についての本だ。ただ、実際は司法書士の先生に安価でほとんどやって頂いたため、本書で得た知識を実践することはなかった。しかも、私が設立したのは合同会社であり、本書で主に取り上げられているのは株式会社である。

しかし、本書は読んでおいてよかった。

本書を読んでおいたからこそ、合同会社を薦める司法書士の先生の言葉も検討できた。手持ちの資金があまりなかったので、登記費が安く、公証人による公証を頂かずに設立できる合同会社は悪くない。合同会社は、れっきとした法人だ。西友もユニバーサルミュージックもシスコシステムズもApple Japanも全日空ホテルズもWWE Japanもみんなみんな合同会社である。

私の立場は社長ではなく、代表社員となる。定款で定めれば社長にもなれるが、肩書きに興味がなければ、社長である必要もなさそうだ。

営業内容についても合同会社だからといって、不便を被ることもない。結局、株式会社と合同会社を隔てるのは、手続きに尽きる。設立前も設立後も、制度や手続きといった、商いの本質と外れた部分の違いが主だ。役員や監査役を募り、署名を集める必要もない。もし、株式会社にしたければ、登記料の差額をはらえばアップグレードできるようだし。

合同会社とは、まさに法人成りを狙う個人事業主にとっては適した制度と言えるのではないだろうか。

ほとんどの起業者が株式会社を選ぶ。そんな中、合同会社を選んだ私は、多少変わり種なのだろうか。起業してから数多くの方と会わせて頂いたが、よく質問される。なぜ合同会社にしたのか?どう株式会社と違うのか?話のネタには事欠かない。さらには、株式会社にしなかったことを失敗であるかのようにとられたこともある。しかし、その辺りは問題ない。というよりも、合同会社アクアビットのような零細規模では意味のない事かもしれない。そのあたりの柔軟性を発揮できるのは、今後の私の努力次第ということなのだろう。設立したら終わりではなく、ここからが始まりであることはいうまでもない。まだまだ精進していかねば。

今回の法人化の切っ掛けは妻である。友人の社労士さんに、個人事業主の税金が高くて・・・とこぼしたところ、なら法人化しなよ!とアドバイスを頂いたのが切っ掛けだ。以来、その社労士さんから、税理士の先生をご紹介頂き、税理士の先生からは司法書士の先生をご紹介頂き・・と、次々にご縁を頂き、3ヶ月と少しの後に法人化できた。以来、いくつもの縁を繋いで頂いている。感謝感謝である。

また、人脈作りとともに、私自身の生活も変わった。法人化設立を決断する前、私は伸び悩んでいた。本は読んでいたが、レビューを書く気力が湧かずにいた。スマホゲームにもはまっていた。しかし、法人化を決めてからはきっぱりとスマホゲームは断った。一年間一度もスマホゲームに手は出していない。その分、書くことにエネルギーを使うようになった。この一年、書いたblogの量もかなりのものだ。イベントを開催し、そこでは喋らせてももらった。メディアでの連載もさせて頂けるようになった。よいご提案も頂けている。

結果として本書は、実践としては役に立たなかったかもしれないが、私の気構えには効いたといえる。本書を読んで以来、もう一つの課題であるNPO設立については、様々な本を読んだ。しかし、株式、合同を問わず法人化に関しての手続き本は一切読んでいない。手続きに関する一切は税理士、司法書士の両先生にお任せし、私は人脈作り、書き物などの自分の伸ばしたい点、売り出した点に重点をおいている。それでよいと思う。

‘2014/12/27-2014/12/29


会社は誰のものか


私が会社を立ち上げたのは、今春のこと。その際、参考資料として何冊かを手に取った。しかし、社長の気構えについて書かれた本は一冊しか読んでいない。それが本書である。他に読んだのは全て手続きにかんする実務書である。

結論からいうと、予定通り4/1に登記完了し、すんなり会社設立できた。それには安価で請け負って下さった司法書士の先生の力によるところが大きい。そのため、読んだ実務書はほとんど役に立たなかったのが正直なところだ。役に立たなかったというより、司法書士の先生がほぼ全てやって下さったので役に立てようがなかったというほうがよいか。

ならば事前に読むべきは本書のような気構えに関する本だったかもしれない。ただ、今回の法人化に当たって、一からの気構えは不要と思っていた。それは、個人事業主として山あり谷あり挫折ありの九年間の経験があったからだ。今回の法人化は、その延長上として想定していた。

法人化によって新たに事務所を構えることもなかった。新規事業に乗り出すこともなかった。参画していたプロジェクトを抜ければ良かったのかもしれないが、私の判断ミスで属人的作業を抱え、安易に抜けられなかった。それら制約があったため、当初から環境を変えぬままの法人化を意図していた。そのため、気構えに関する本はほとんど目を通さなかったのだ。実際、本稿を書いているのは、創立してから半年後であるが、納税額や私の自覚は変わったとはいえ、生活に大幅な変更はない。

だからといって本書がとるに足らなかった訳ではない。逆に読んで良かったからこそ、他の同種の本に食指が動かなかったのかもしれない。

私の職種はIT業である。ITバブルの興隆と衰退は業界の端で見聞きしていた。著者の名もIT業界の識者として存じ上げていた。ITバブルに沸くIT業界ウォッチャーとして。そして本書が書かれたのは、まさにITバブルが弾ける直前である。いわば本書は、ITの花形産業として一番華やかな頃を伝える資料である。また、私にとっては本書に書かれた事例が反面教師となるはず。そういったことを本書に期待し、手に取った。

第1章は、「ネット企業を考える」とある。本章は、2005年当時のIT業界の紹介が主だ。2005年といえば、まだSNSという言葉が全く知られていなかった時期。本書のどこにもFacebookは登場しない。フレンドスターやMySpace、さらにはmixiすらもでてこない。通信はYahooがADSLモデムを配りまくり、ADSLがISDNに変わる高速通信の規格として世に広まった時期となる。そのため、動画配信はまだマネタイズには遠く、本章にGoogleは出てきてもYouTubeは登場しない。それが2005年のITバブル終焉直前の状況だった。

しかしそのバブル期に、今のIT業界の骨格は、ほぼ出揃っていたといえる。インフラ、ソフトウェア、ハードウェア、Webの一般的利用からくる広告収入というビジネスモデル。ただ、バブル期故に目立っていた事象もある。それがIT長者の存在となる。著者はベンチャー企業がIT業界を引っ張ってきたことを指摘する。ベンチャーの創業オーナーは大株主でもあり、全ての経営判断を自ら行うことができる。その立場をフル活用し、スタートダッシュとキャッシュの保持に成功したことが強みと分析する。

また、それら企業はさらなる発展の場を金融や通信、メディア、生活インフラに求めるはずと予測する。本書はまだ、ITが集約、寡占の方向に向かうと信じられていた頃の話だ。十年後の今は、インフラがあまねく行き渡りすぎたため、情報インフラの所持が利益に結び付きにくくなっている。むしろ、全ての個人や会社に高速でしかも携帯できる端末が行き渡ったことは、情報の分散化をまねき、他方ではクラウド(この言葉も本書のどこにもない)での情報集約が実現している。

金銭感覚についてもバブル真っ只中の様子が読み取れる。そこには、会社はオーナーのもの、という文化が花開いた時代の、今となっては懐かしさすら感じる思いが付随する。

第2章では、「会社は誰のものか」と名付けられている。

①会社は国家・国民のもの
②会社は株主のもの
③会社は従業員のもの
の三つを著者は提示する。その上で今は「会社は株主のもの」が主流であることを示す。さらに、今後もそうであろうと予測する。

それらの三つの見方を紹介しつつ、本章では会社という組織が社会に産まれた成り立ちと栄枯盛衰が語られる。①は社会主義国家の失敗から成り立ち得ず、③は日本の高度成長の推進力になったことを評価しつつも、所有と占有を混同しがちになる弱点が指摘される。が、やはり著者の意見では株主主体に軍配があがる。その立場で本書も語られる。

ここで著者は企業の支払いの優先順位を引用する。この順番こそが、企業にとっての優先すべきミッションの順番でもあり、企業のステイクホルダーの順序でもある。
①売上(顧客への商品・サービスの提供)
②原材料コスト(取引先への支払い)
③製造販売費用(従業員への給与支払い)
④借金返済、金利支払い(銀行への支払い)
⑤税金(政府や社会への支払い)
⑥内部留保(成長のための再投資用)
⑦配当(株主への支払い)

最初に顧客が登場する。つまり、先にあげた①~③に上がった会社は誰のものかという問いに対し、会社は株主のものであるが、顧客第一との結論が打ち出されている。このあたりは納得のいくところである。綺麗ごとでも上っ面でもなく、実際に顧客と対面して商売を行っていると、その辺りは自然な感覚として身につく。

続いてジョンソン・エンド・ジョンソンの社訓も引用される。それによると、すべとの消費者が一番目に挙げられ、全社員が2番目に、全世界の共同社会が3番目、会社の株主が4番目となっている。つまり、株主は最後に利益を享受する。そしてそれゆえに会社に対して主権を持っている。このことがすなわち著者が本書で提示した、会社は誰のものかという問いに対する答えとなっている。

だが、本書を読んだ結果、私が設立したのは、株式会社ではない。株主不在の合同会社である。これは本章で結論された株式主権の考えと相反する。

私が合同会社を選んだ直接の理由は、登記費用の節約である。それにもかかわらず、先の①~⑦でいえば、結果として⑤のの税金、⑥の内部留保、⑦の配当を拒否した形になっている。

私にとってそのことは特にジレンマではない。⑤~⑦に支払いを回さない分、単価が削減できる。つまり。消費者、お客様への還元に回せているのだ。私は利用者の立場が長い。なので、どうしても単価を下げる癖が出てしまう。よいサービスを安く、を目指す私にとっては、合同会社は何ら矛盾しない形態となる。その場合、株式による出資が得られないデメリットも覚悟の上。

ただしその場合、株主の監視がない分、代表社員たる私の自覚が欠かせない。

その点が第3章「「会社は化け物」と心得よ」に記載されている。

ここではバブルの走りとも云える英国経済を揺るがした南海会社やフランス王立銀行の破産事件、国を揺るがした経済詐欺、近頃ではエンロン破綻とそれと結託していたアーサー・アンダーセンの事例が紹介されている。人は資本や規模に容易に目がくらまされる。

企業がその地位を悪用するのは簡単であることが、本章では述べられる。本書の1章で、ホリエモンこと堀江氏も何度か取り上げられている。例えばニッポン放送乗っ取り事件の下りなど。本書はlivedoor粉飾決算で逮捕される前に書かれているようだ。しかし本書の行間のあちこちで、堀江氏の手法についての懐疑が投げかけられている。図らずも、livedoorに関する逮捕劇が、本章の懸念を裏付けた形だ。

本書の第1章では2005年当時のIT業界をにぎわせた、かなりの数の経営者が紹介されているが、そのなかで著者が評価した人間だけが、2015年も健在である。楽天の三木谷氏、ソフトバンクの孫氏など。これは本書の評価できる点だ。他の方は10年後の今、ほとんど目立たなくなってしまった。結果論ではあるが、会社とは何か、をうまく表現できなかったのだろう。私も他山の石としてはならないと思っている。

そういった堀江氏やその他の経営者の轍を踏まないため、本章では会社と経営者の関係を整えるための信任制度について、かなりの紙数が割かれている。株主が有限責任制の下で守られていることは無論だが、それによって経営者と株主の間に情報の格差が生じ、それによって経営者の暴走が発生することもまた事実。本章では忠実義務と善管注意義務の二つが紹介されているが、この辺りは合同会社の経営者である私も肝に銘じておかねばならないのはもちろんだ。

第四章では、「企業のガバナンスを考える」と名付けられている。その中で、ガバナンスが失われやすい企業のトップ3が挙げられている。規制産業、経団連○○部、世襲企業などだ。

そして、企業ガバナンスはどういう勢力によって脅かされるかについても提示される。経営者、株主、投資家、経済団体、従業員、メディア。私の作った会社は零細過ぎて、ガバナンスを担うのは、役員である私か妻のどちらかのみ。だが、それに加えて顧客を含めても良いのではないか。顧客から経営が独立するのは勿論のこと。しかし、あえて顧客との共存を図る。つまり、顧客をもガバナンス対象として意識すればどうだろう。

第5章「新しい資本主義が始まっている」では、今までの章で株主主権主義が明確となったことを踏まえ、新たな企業形態を紹介する。それは、以下の7つ。

①持ち株会社制度が進む
②「人的資本」が見直される
③社会的責任投資が論議される
④ブランドの価値が高まる
⑤大企業が産業政策を代行する
⑥先祖がえりの可能性
⑦最後には志が問われる

私が作った小さな会社は、まだ無力な存在。設立から半年たった今、利益もとんとん、前年比売上も微増、といったところだ。そんな小さな会社でも、上に挙げた7つのどれかを目指す権利は持っている。

私は②と⑦に賭けたいと思う。特に②。自分の夢や家族との触れ合いを犠牲にすることのない会社。多分、利益は上がらないだろう。株式会社にしたところで上場など不可能だろう。でも、何かしら自分の生きた証が残せれば、と思う。それが私の志である。

‘2014/12/20-2014/12/24


会社のルーツおもしろ物語―あの企業の創業期はこうだった!


今年最初の本は、日本で一時代を築いた企業の創業期をまとめた本書。

夏に実家に帰った際に手に取ったまま東京に戻ってしまい、年末年始の帰省時に返そうと思って持ってきたので、実家にいる間に読了。

手堅く企業の草創期がまとめられていて、産業史として興味深く読めたけれど、財閥系やトヨタは紹介されているのは当然として、ダイエーが載っていることに出版時期の綾を感じた。また、阪急は取り上げられているのに東急や西武が選から漏れていることも興味深い。

まずは軽めの読書体験スタート。

’12/1/1-’12/1/2