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アメリカの高校生が学んでいるお金の教科書


経済学の本をもう一度読み直さなければ、と集中的に読んだ何冊かの本。本書はそのうちの一冊だ。
新刊本でまとめて購入した。

前から書いている通り、私には経済的なセンスがあまりない。これは経営者としてかなりハンディキャップになっている。

私だけでなく妻も同じ。お金持ちになるチャンスは何度もあったが、そのために浪費に走ってしまった。だからこそ長年私も常駐作業から抜け出せなかった。その影響は今もなお尾を引いている。

私は若い考えのまま、お金に使われない人生を目指そうとした。金儲けに走ることを罪悪のようにも考えていた時期もある。
二十代前半は、金儲けに走ることを罪悪のように考えていた。

妻は妻で、生まれが裕福だった。そのために、浪費の癖が抜けるのに時間がかかった。
幸いなことに夫婦ともまとまったお金を稼ぐだけの能力があった。そのため、家計は破綻せずに済んだ。だが、実際に破綻しかけた危機を何度も経験した。

私たち夫婦のようなケースはあまりないだろう。だが、私たちに限らず、わが国の終身雇用を前提とした働き方は、お金について考える必要を人々に与えなかった。
一つの企業で新卒から定年まで勤めあげるキャリアの中で、組織が求める仕事をこなしていけばよかった。お金や老後のことも含めた金の知識は蓄える必要がなかった。それらは企業や国が年金や保険といった社会保障で用意していたからだ。

私もその社会の中で育ってきた。そのため、金についての教育は受けてこなかった。風潮の申し子だったといってもよい。
だが、私はそうした生き方から脱落し、自分なりの生き方を追求することにした。ところが、お金の知識もなしに独立したツケが回り、会社を立ち上げ法人化した後に苦労している。もっと早く本書のような知識に触れておけば。

世間はようやく終身雇用の限界を知り、それに紐付いた考えも少しずつ改まりつつある。
私も自分の経験を子どもやメンバーに教えてやらねばならない。また、そうした年齢に達している。

本書は、アメリカの高校生が学ぶお金についての本だ。
アメリカは今もまだ世界でトップクラスの裕福な国だ。経済観念も発達している。貧富の差が激しいとはいえ、トップクラスのビジネスマンともなると、わが国とは比べ物にならないほどの金を稼ぐことが可能だ。

それには、社会の仕組みを知り尽くすことだ。金が社会を巡り、人々の生活を成り立たせる。
人が日々の糧を得て、衣服に身を包み、家に住まう。結婚して子を育て、老後に安閑とした日々を送る。
そのために人類は貨幣を介して価値を交換させる体系を育ててきた。会社や税金を発明し、労働と経済を生活の豊かさに転換させる制度を育ててきた。
金の動きを理解すること。どのようなルートで金が流れるのか。どのような法則で流れの速度が変わり、どの部分に滞るのか。それを理解すれば、自らを金の動きの流れに沿って動かさせる。そして、自らの財布や口座に金を集めることができる。

その制度は人が作ったものだ。人智を超えた仕組みではない。根本の原理を理解することは難しい。だが、人間が作った仕組みの概要は理解できるはずだ。
本書で学べることとはそれだ。

第1章 お金の計画の基本
第2章 お金とキャリア設計の基本
第3章 就職、転職、起業の基本
第4章 貯金と銀行の基本
第5章 予算と支出の基本
第6章 信用と借金の基本
第7章 破産の基本
第8章 投資の基本
第9章 金融詐欺の基本
第10章 保険の基本
第11章 税金の基本
第12章 社会福祉の基本
第13章 法律と契約の基本
第14章 老後資産の基本

各章はラインマーカーで重要な点が強調されている。
それらを読み込んでいくだけでも理解できる。さらに、末尾には付録として絶対に覚えておきたいお金のヒントと、人生における三つのイベント(最初の仕事、大学生活、新社会人)にあたって把握すべきヒントが載っている。
それらを読むだけでも本書は読んだ甲斐がある。私も若い時期に本書を読んでおけばよかったと思う。

376-378ページに載っている「絶対に覚えておきたいお金のヒント10」だけは全文を載せておく。

絶対に覚えておきたいお金のヒント10
この本ではお金についていろいろなことを学んだが、いちばん大切なのは次の10項目だ。

1、シンプルに
お金の管理はシンプルがいちばんだ。複雑にすると管理するのが面倒になり、自分でも理解できなくなってしまう。

2、質素に暮らす
お金は無限にあるわけではなく、そして将来何が起こるかは誰にもわからない。つねに倹約を心がけていれば、いざというときもあわてることはない。

3、借金をしない
個人にとっても家計にとっても、代表的なお金の問題は借金だ。借金は大きな心の負担になり、人生が破壊されてしまうこともある。ときには借金で助かることもあるが、必要最小限に抑えること。

4、ひたすら貯金
いくら稼いでいるかに関係なく、稼いだ額よりも少なく使うのが鉄則だ。早いうちから貯金を始めれば、後になって複利効果の恩恵を存分に受けることができる。

5、うまい話は疑う
儲け話を持ちかけられたけれど、中身がよく理解できない場合は、その場で断って絶対にふり返らない。うまい話には必ず裏がある。

6、投資の多様化
多様な資産に分散投資をしていれば、何かで損失が出ても他のもので埋め合わせができる。これがローリスクで確実なリターンが期待できる投資法だ。

7、すべてのものには税金がかかる
お金が入ってくるときも税金がかかり、お金を使うときも税金がかかる。商売や投資の儲けを計算するときは、税金を引いた額で考えること。

8、長期で考える
今の若い人たちは、おそらくかなり長生きすることになるだろう。人生100年時代に備え、長い目で見たお金の計画を立てなければならない。

9、自分を知る
お金との付き合い方には、個人の性格や生き方が表れる。将来の夢や、自分のリスク許容度を知り、それに合わせてお金の計画を立てよう。万人に適した方法は存在しない。

10、お金のことを真剣に考える
お金は大切だ。お金の基本をきちんと学び、大きなお金の決断をするときは入念に下調べをすること。お金に詳しい人から話を聞くことも役に立つ。

‘2020/05/01-2020/05/11


文明が衰亡するとき


著者の本を読むのは初めてだ。

以前から著者の名前は高名な国際政治学者として知っていた。

今、世界は不透明な状態になりつつある。
40も半ばを過ぎた私がこれから生きていくにあたり、何を指針とすべきか。

40歳半ばとは本来、より広い視野と知見を持っているべき年齢だ。
技術者として生計を立てている私と言えども、技術と言う枠だけにとらわれず文明にまで視野を広げて物事を捉えていかねばなるまい。

文明。その言葉だけを考えてみると、その実態はとてもあいまいだ。
その言葉を聞いて真っ先に考えるのは、長らく続いている印象だ。
ところが私たちの世代が世界史で習ったエジプト・バビロニア・インダス・中国の四大文明は、遺跡にその姿を残すのみ。その繁栄の様子は歴史の彼方に埋もれてしまった。
一方で文明を人類全体の枠組みで捉えなおすと、昔から脈々と受け継がれてきた文明は今の現代の世界として続いている錯覚を受ける。
文明とは、あらゆる意味を包括した言葉であるため、逆に実態を掴もうとするとどこかに遠ざかってしまうのだ。

となると、個々の文明を詳しく見ないことには、文明の本質は把握すらおぼつかない。
著者は本書で、代表的な時期と場所の文明を取り上げる。
四大文明がそうだったように、文明は繁栄と衰亡の時期を行き来する。景気の波のように興廃の振幅を幾度もへて、そしてついには衰えていく。それがほとんどの文明の宿命だ。

わが国にしても、戦後の焼け跡から立ち上がり、世界史上でも有数の繁栄を誇った。だが、バブル崩壊を境に一転、長きにわたる停滞が続いた。停滞の今から振り返ると、もうあれほどの繁栄には二度と恵まれないのでは。そんな憶測が多数を占めている。
そうした悲観的な観測が世間を覆う中、私は日本の将来について何をなすべきなのだろう。
再びわが国が繁栄するため、社会を引っ張っていくべき年齢。それが40代から50代の熟年世代なのだろう。もう、新たな活力は若い世代に負けるし、斬新な発想も難しいかもしれない。だが、脂ののった年代でもある。そのような世代が次の世界に何を引き継ぎ、何を残すのか。
そのためにも、果たして日本の今後はどうなるのかは考えねばなるまい。もちろん、その予測は人によって多様なはず。

日本は皇室が二千年近く続いている国であり、そう簡単には衰亡しないと言う意見もある。
一方で、経済的な面から考えれば、資源のない日本にはこれ以上の発展は望めないという声もある。
私の意見では、経済的な発展はもう見込めないだろうと思っている。少子化はすでに挽回の不可能な地点を越えてしまったからだ。
ただ、日本が培ってきた文化的な素養がこれからの世界に貢献できる可能性は高いと見ている。

そうした文明の未来を占うにあたり、これまでの世界の諸文明がどのように衰亡したのかを知識として持っておくことは必要だと思う。

本書が書かれたのは1980年代の初頭だ。つまり日本が上り調子になっていた時期にあたる。
オイルショックを乗り越え、ジャパン・アズ・ナンバーワンのスローガンが一世を風靡し、バブルが崩壊する未来は予兆すらなかった頃である。

著者はまずローマ帝国の歴史を見る。
なぜあれほどの規模と繁栄を誇ったローマ帝国が滅びたのか。その歴史を追いながら衰退の原因を検証していく。

私たちが思っている以上に当時のローマの文明は進んでいた。今に比べると技術力は足りないが、当時の技術の粋があらゆる知恵と工夫となって集められていた。都市に施された設備の洗練は進み、文化は栄え、繁栄は何世紀も続いた。

しかし、領土の拡張はある規模に至った時点で止まる。そして、ローマ帝国の版図はそれ以上広がらなかった。年月が徐々に、ローマの活力を奪って行った。
それだけではなく、領土が広がることで帝国の広大な地域から人が集まった。それは軍隊に顕著だった。軍隊が領土の維持に不可欠である以上、やむを得ない。
人が交わるのは、生物的には健全なことだ。だが、ローマ建国から繁栄に至るまでを支えてきた気質に他民族の文化や考え方が混ざったことで、国民から一体感が失われていった。国民意識とでも言おうか。
建国した頃のローマ人が抱いていた文化と活力は徐々に変質していき、そこに経済の衰退が重なることでさらに帝国はほころびていった。

著者は、経済的な衰退こそがローマ帝国崩壊の原因であるとの立場をとっている。
ゴート族をはじめとしたゲルマン諸族の侵入はローマ帝国にとってとどめの一撃でしかなかった。それまでにローマ帝国は衰退への道を確実に歩んでおり、滅びるべくして滅びたと考えるべきだと。
経済的な衰退がはじまった中、広大な国土を維持するために官僚の肥大を止められなかった。それによって意思の決定が硬直し、国の統制が国の隅々に行き渡らなくなった。それがローマの衰退の要点だと著者は説く。

続けて著者は、ヴェネツィアの繁栄と衰退の歴史を見ていく。
ヴェネツィアは、イタリア半島の付け根に築かれた干潟の上の都市からはじまった。そして地中海を交易と海軍で制圧し、中世の地中海世界を席巻した。その歴史は都市国家としてあまりに著名である。
その威力は当時の十字軍の目的を変質させ、各国の王をヴェネツィアの意思に従わせるほどであったと言う。

ヴェネツィアの存在がルネサンスの原動力となったこともよく知られている。地中海の一都市から生まれたルネサンスが、暗黒の中世と言われた長きにわたる西洋の停滞を終わらせた。今の西洋が主体となっている国際社会の礎を築いたのはヴェネツィアとすらいえるかもしれない。

だが、「新しい事業に乗り出す冒険的精神や活力の衰頽と守旧的性格の増大、自由で開放的な体制から規制と保護の体制への変化、すなわち柔軟性の喪失と硬直化」(164ページ)
という言葉の通り、ヴェネツィアにも衰退が見られた。ヴェネツィアを成長させた質実剛健な文化が失われ、快楽に流されるようになったあとは覇権を失った。

最後に著者はアメリカを語る。
アメリカと言えば現在も世界をリードするGNPでも第一の国家であり続けている。だから、アメリカに衰退を当てはめることには違和感がある。

だが、本書が書かれた当時のアメリカは、ベトナム戦争による敗北や、貿易赤字の増大によって衰退の傾向が色濃く出ていた。
合わせて当時は、日本が世界でも有数の経済力を発揮し出した時期。やがてアメリカを凌駕するのも時間の問題と考えられていた。

著者は、アメリカに象徴される西洋主導の工業文明そのものが衰えているのではないかとの視点を提示する。産業革命によってイギリスが世界の七つの海を制覇するまでに巨大化した。それ以降、イギリスの文化を受け継いだアメリカが世界をリードしてきた。

だが、各地で発生する公害はどうだろう。原油やその他の資源を消費することで成り立つ経済のあり方に発展の持続は見込めない。
著者はアメリカも政府が大きくなったことで国家が硬直していると指摘する。
ただ、このままアメリカは衰退するとは断定しない。しかし徐々に衰退していくのではないかと言う予想を示す。

最後に日本だ。
著者は、日本の今後を占う上で、ヴェネツィアやオランダなど小さな島国が発展したモデルに日本の今後のヒントがあるのではと提案する。
そうした国は通商で国家の繁栄を支えていた。日本も通商で世界に出ていけるのではないかと示唆する。

だが、本書が生み出されてから40年近くが経過した今、日本の衰退は明らかだ。
それは国としての柔軟性が欠けていることにあらわれている。
製品の製造にこだわるあまり、ソフトウエアの重要性に気付かなかった日本。今や世界のITの主導権は西洋やアジアの各国に握られている。
それはすなわち、アメリカが代表する西洋が再び文明の主導権を奪回したことでもある。

わが国の意思決定や組織文化は残念ながら時代の流れについていけなかった。
確かに日本は一度、世界のトップに上り詰めかけた。だが、今は衰退した状態である。
本書では文明の衰退のパターンが描かれてきた。そこに共通するのは、官僚組織の硬直だ。それが国の衰退につながる。今までの文明が衰退してきたパターンでもそれは明らか。
本書が上梓された際にはわが国が衰退することなど誰にも予想できなかったはずだが、やはりパターンにはまったといえようか。

私は組織から抜け出し、一人で活動してきた。そして今度は人を雇用して組織を作ろうとしている。果たして私の組織は衰退していくのだろうか。それは私の努力次第だ。
実際、私以外にも自らが組織を作り出そうとしている人は多くいるはずだ。そうした組織を連携させ、一つのうねりを作り出す。遠い将来の衰退が確実だとしても、それが私たちの世代のやるべきことではないだろうか。

‘2020/01/18-2020/01/25


BLOCKCHAIN REVOLUTION


本書は仲良くしている技術者にお薦めされて購入した。その技術者さんは仮想通貨(暗号通貨)の案件に携わっていて、技術者の観点から本書を推奨してくれたようだ。投資目的ではなく。

ブロックチェーン技術が失敗したこと。それは最初に投機の側面で脚光を浴びすぎたことだろう。ブロックチェーン技術は、データそれ自体に過去の取引の歴史と今の持ち主の情報を暗号化して格納したことが肝だ。さらに、取引の度にランダムに選ばれた周囲の複数のブロックチェーンアカウントが相互に認証するため、取引の承認が特定の個人や組織に依存しないことも画期的だ。それによって堅牢かつトレーサビリティなデータの流れを実現させたことが革命的だ。何が革命的か。それはこの考えを通貨に適用した時、今までの通貨の概念を変えることにある。

例えば私が近所の駄菓子屋で紙幣を出し、アメちゃんを買ったとする。私が支払った紙幣は駄菓子屋のおばちゃんの貯金箱にしまわれる。そのやりとりの記録は私とおばちゃんの記憶以外には残らない。取引の記録が紙幣に記されることもない。当たり前だ。取引の都度、紙幣に双方の情報を記していたら紙幣が真っ黒けになってしまう。そもそも、現金授受の都度、紙幣に取引の情報を書く暇などあるはずがない。仮に書いたとしても筆跡は乱雑になり、後で読み取るのに難儀することだろう。例え無理やり紙幣に履歴を書き込めたとしても、硬貨に書き込むのはさすがに無理だ。

だから今の貨幣をベースとした資本主義は、貨幣の持ち主を管理する考えを排除したまま発展してきた。最初から概念になかったと言い換えてもいい。そして、今までの取引の歴史では持ち主が都度管理されなくても特段の不自由はなかった。それゆえ、その貨幣が今までのどういう持ち主の元を転々としてきたかは誰にもわからず、金の出どころが追求できないことが暗黙の了解となっていた。

ところが、ブロックチェーン技術を使った暗号通貨の場合、持ち主の履歴が全て保存される。それでいて、データ改ざんができない。そんな仕組みになっているため、本体と履歴が確かなデータとして利用できるのだ。そのような仕様を持つブロックチェーン技術は、まさに通貨にふさわしい。

一方で上に書いた通り、ブロックチェーン技術は投機の対象になりやすい。なぜか。ブロック単位の核となるデータに取引ごとの情報を格納するデータをチェーンのように追加するのがブロックチェーン技術の肝。では、取引データが付与される前のまっさらのデータの所有権は、ブロック単位の核となるユニークなデータの組み合わせを最初に生成したものに与えられる。つまり、先行者利益が認められる仕組みなのだ。さらに、既存の貨幣との交換レートを設定したことにより、為替差益のような変動利益を許してしまった。

その堅さと手軽さが受け、幅広く使われるようになって来たブロックチェーン。だが、生成者に所有権が与えられる仕様は、先行者に富が集まる状況を作ってしまった。さらに変動するレートはブロックチェーンに投機の付け入る余地を与えてしまった。また、生成データは上限が決まっているだけで生成される通貨単位を制御する主体がない。各国政府の中央銀行に対応する統制者がいない中、便利さと先行者利益を求める人が押しかける様は、ブロックチェーン=仮想通貨=暗号通貨=投機のイメージを世間に広めた。そして、ブロックチェーン技術それ自体への疑いを世に与えてしまった。それはMt.Goxの破綻や、続出したビットコイン盗難など、ブロックチェーンのデータを管理する側のセキュリティの甘さが露呈したことにより、その風潮に拍車がかかった。私が先に失敗したと書いたのはそういうことだ。

だが、それを差し引いてもブロックチェーン技術には可能性があると思う。投機の暗黒面を排し、先行者利益の不公平さに目をつぶり、ブロックチェーン技術の本質を見据える。すると、そこに表れるのは新しい概念だ。データそれ自体が価値であり、履歴を兼ねるという。

ただし、本書が扱う主なテーマは暗号通貨ではない。むしろ暗号通貨の先だ。ブロックチェーン技術の特性であるデータと履歴の保持。そして相互認証による分散技術。その技術が活用できる可能性はなにも通貨だけにとどまらない。さまざまな取引データに活用できるのだ。私はむしろ、その可能性が知りたい。それは技術者にとって、既存のデータの管理手法を一変させるからだ。その可能性が知りたくて本書を読んだ。

果たしてブロックチェーン技術は、今後の技術者が身につけねばならない素養の一つなのか。それともアーリーアダプターになる必要はないのか。今のインターネットを支えるIPプロトコルのように、技術者が意識しなくてもよい技術になりうるのなら、ブロックチェーンを技術の側面から考えなくてもよいかもしれない。だが、ブロックチェーン技術はデータや端末のあり方を根本的に変える可能性もある。技術者としてはどちらに移ってもよいように概念だけでも押さえておきたい。

本書は分厚い。だが、ブロックチェーン技術の詳細には踏み込んでいない。社会にどうブロックチェーン技術が活用できるかについての考察。それが本書の主な内容だ。

だが、技術の紹介にそれほど紙数を割いていないにもかかわらず、本書のボリュームは厚い。これは何を意味するのか。私は、その理由をアナログな運用が依然としてビジネスの現場を支配しているためだと考えている。アナログな運用とは、パソコンがビジネスの現場を席巻する前の時代の運用を指す。信じられないことに、インターネットがこれほどまでに世界を狭くした今でも、旧態依然とした運用はビジネスの現場にはびこっている。技術の進展が世の中のアナログな運用を変えない原因の一つ。それは、インターネットの技術革新のスピードが、人間の運用整備の速度をはるかに上回ったためだと思う。運用や制度の整備が技術の速度に追いついていないのだ。また、技術の進展はいまだに人間の五感や指先の運動を置き換えるには至っていない。少なくとも人間の脳が認識する動きを瞬時に代替するまでには。

本書が推奨するブロックチェーン技術は、人間の感覚や手足を利用する技術ではない。それどころか、日常の物と同じ感覚で扱える。なぜならば、ブロックチェーン技術はデータで成り立っている。データである以上、記録できる磁気の容量だけ確保すればいい。簡単に扱えるのだ。そして、そこには人間の感覚に関係なくデータが追記されてゆく。取引の履歴も持ち主の情報も。例えば上に挙げた硬貨にブロックチェーン技術を組み込む。つまり授受の際に持ち主がIrDAやBluetoothなどの無線で記録する仕組みを使うのだ。そうすると記録は容易だ。

そうした技術革新が何をもたらすのか、既存のビジネスにどう影響を与えるのか。そこに本書はフォーカスする。同時に、発展したインターネットに何が欠けていたのか。本書は記す。

本書によると、インターネットに欠けていたのは「信頼」の考えだという。信頼がないため、個人のアイデンティティを託す基盤に成り得ていない。それが、これまでのインターネットだった。データを管理するのは企業や政府といった中央集権型の組織が担っていた。そこに統制や支配はあれど、双方向の信頼は醸成されない。ブロックチェーン技術は分散型の技術であり、任意の複数の端末が双方向でランダムに互いの取引トランザクションを承認しあう仕組みだ。だから特定の組織の意向に縛られもしないし、データを握られることもない。それでいて、データ自体には信頼性が担保されている。

分散型の技術であればデータを誰かに握られることなく、自分のデータとして扱える。それは政府を過去の遺物とする考えにもつながる。つまり、世の中の仕組みがガラッと切り替わる可能性を秘めているのだ。
その可能性は、個人と政府の関係を変えるだけにとどまらないはず。既存のビジネスの仕組みを変える可能性がある。まず金融だ。金融業界の仕組みは、紙幣や硬貨といった物理的な貨幣を前提として作り上げられている。それはATMやネットバンキングや電子送金が当たり前になった今も変わらない。そもそも、会計や簿記の考えが物理貨幣をベースに作られている以上、それをベースに発達した金融業界もその影響からは逃れられない。

企業もそう。財務や経理といった企業活動の根幹は物理貨幣をベースに構築されている。契約もそう。信頼のベースを署名や印鑑に置いている限り、データを基礎にしたブロックチェーンの考え方とは相いれない。契約の同一性、信頼性、改定履歴が完全に記録され、改ざんは不可能に。あらゆる経営コストは下がり、マネジメントすら不要となるだろう。人事データも給与支払いデータも全てはデータとして記録される。研修履歴や教育履歴も企業の境目を超えて保存され、活用される。それは雇用のあり方を根本的に変えるに違いない。そして、あらゆる企業活動の変革は、企業自身の境界すら曖昧にする。企業とは何かという概念すら初めから構築が求められる。本書はそのような時期が程なくやってくることを確信をもって予言する。

当然、今とは違う概念のビジネスモデルが世の中の大勢を占めることだろう。シェアリング・エコノミーがようやく世の中に広まりつつある今。だが、さらに多様な経済観念が世に広まっていくはずだ。インターネットは時間と空間の制約を取っ払った。だが、ブロックチェーンは契約にまつわる履歴の確認、人物の確認に費やす手間を取っ払う。

今やIoTは市民権を得た。本書ではBoT(Blockchain of Things)の概念を提示する。モノ自体に通信を持たせるのがIoT(Internet of Things)。その上に価値や履歴を内包する考えがBoTだ。それは暗号通貨にも通ずる考えだ。服や本や貴金属にデータを持たせても良い。本書では剰余電力や水道やガスといったインフラの基盤にまでBoTの可能性を説く。本書が提案する発想の広がりに限界はない。

そうなると、資本主義それ自体のあり方にも新たなパラダイムが投げかけられる。読者は驚いていてはならない。富の偏在や、不公平さといった資本主義の限界をブロックチェーン技術で突破する。その可能性すら絵空事ではなく思えてくる。かつて、共産主義は資本主義の限界を凌駕しようとした。そして壮大に失敗した。ところが資本主義に変わる新たな経済政策をブロックチェーンが実現するかもしれないのだ。

また、行政や司法、市民へのサービスなど行政が担う国の運営のあり方すらも、ブロックチェーン技術は一新する。非効率な事務は一掃され、公務員は激減してゆくはずだ。公務員が減れば税金も減らせる。市民は生活する上での雑事から逃れ、余暇に時間を費やせる。人類から労働は軽減され、可能性はさらに広がる。

そして余暇や文化のあり方もブロックチェーン技術は変えてゆくことだろう。その一つは本書が提案する音楽流通のあり方だ。もはや、既存の音楽ビジネスは旧弊になっている。レコードやCDなどのメディア流通が大きな割合を占めていた音楽業界は、今やデータによるダウンロードやストリーミングに取って代わられている。そこにレコード会社やCDショップ、著作権管理団体の付け入る隙はない。出版業界でも出版社や取次、書店が存続の危機を迎えていることは周知の通り。今やクリエイターと消費者は直結する時代なのだ。文化の創造者は権利で保護され、透明で公正なデータによって生活が保証される。その流れはブロックチェーンがさらに拍車をかけるはず。

続いて著者は、ブロックチェーン技術の短所も述べる。ブロックチェーンは必ずしも良いことずくめではない。まだまだ理想の未来の前途には、高い壁がふさいでいる。著者は10の課題を挙げ、詳細に論じている。
課題1、未成熟な技術
課題2、エネルギーの過剰な消費
課題3、政府による規制や妨害
課題4、既存の業界からの圧力
課題5、持続的なインセンティブの必要性
課題6、ブロックチェーンが人間の雇用を奪う
課題7、自由な分散型プロトコルをどう制御するか
課題8、自律エージェントが人類を征服する
課題9、監視社会の可能性
課題10、犯罪や反社会的行為への利用
ここで提示された懸念は全くその通り。これから技術者や識者、人類が解決して行かねばならない。そして、ここで挙げられた課題の多くはインターネットの黎明期にも挙がったものだ。今も人工知能をめぐる議論の中で提示されている。私は人工知能の脅威について恐れを抱いている。いくらブロックチェーンが人類の制度を劇的に変えようとも、それを運用する主体が人間から人工知能に成り代わられたら意味がない。

著者はそうならないために、適切なガバナンスの必要を訴える。ガバナンスを利かせる主体をある企業や政府や機関が担うのではなく、適切に分散された組織が連合で担うのがふさわしい、と著者は言う。ブロックチェーンが自由なプロトコルであり、可能性を秘めた技術であるといっても、無法状態に放置するのがふさわしいとは思わない。だが、その合意の形成にはかなりかかるはず。人類の英知が旧来のような組織でお茶を濁してしまうのか、それとも全く斬新で機能的な組織体を生み出せるのか。人類が地球の支配者でなくなっている未来もあり得るのだから。

いずれも私が生きている間に目にできるかどうかはわからない。だが、一つだけ言えるのは、ブロックチェーンも人工知能と同じく人類の叡智が生み出したことだ。その可能性にふたをしてはならない。もう、引き返すことはできないほど文明は進歩してしまったのだから。もう、今の現状に安穏としている場合ではない。うかうかしているといつの間にか経済のあり方は一新されていることもありうる。その時、旧い考えに凝り固まったまま、老残の身をさらすことだけは避けたい。そのためにもブロックチェーン技術を投機という括りで片付け、目をそらす愚に陥ってはならない。それだけは確かだと思う。

著者によるあとがきには、かなりの数の取材協力者のリスト、そして膨大な参考文献が並んでいる。WIRED日本版の若林編集長による自作自演の解説とあわせると、すでに世の趨勢はブロックチェーンを決して軽んじてはならない時点にあるがわかる。必読だ。

‘2018/03/09-2018/03/25


独立国家のつくりかた


今年前半の私の心をざわめかせた一冊として、記憶に残るであろう本書。本書の内容が私の行動や考え方に与えた影響は少なくない。

本書を購入したのは、新宿の紀伊国屋書店。思考の角度を変えたくて、社会学やコミュニティ学のコーナーに赴き、平積みになっている本書を見かけた。普段はタイトル買いや装丁買いはあまりしない私である。しかし、本書については、その題名と装丁に惹かれて購入した。本書や著者についての事前情報を持たないままに。

興味を惹かれるタイトルである。しかし、このタイトルに偽りあり、とはいかないまでも、このタイトルは本書の内容の1/10ぐらいしか伝えていない。講談社の編集者も、本書の題名の付け方には苦心したことだろう。苦心するのも当然といえるほど、本書の内容は多岐にわたっている。本書が単なる冒険心旺盛な独立譚でないことは言っておきたい。

著者の紹介文には、建築家・作家・絵描き・踊り手・歌い手、そして新政府初代内閣総理大臣とある。本書の前書きではさらに詳しい経歴が並べられる。写真家であり建てない建築家であり、噺家でもあるという。前書きにしてからすでに、この著者は何者なのだろうという不思議の種が読者の脳内にたくさん撒かれる。

前書きには、本書の内容を紐解く上で、重要な8つのキーワードが列挙される。
1 なぜ人間だけがお金がないと生きのびることができないのか。そして、それは本当なのか。
2 毎月家賃を払っているが、なぜ大地にではなく、大家さんに払うのか。
3 車のバッテリーでほとんどの電化製品が動くのに、なぜ原発をつくるまで大量な電気が必要なのか。
4 土地基本法には投機目的で土地を取引するなと書いてあるのに、なぜ不動産屋は摘発されないのか。
5 僕たちがお金と呼んでいるものは日本銀行が発行している債券なのに、なぜ人間は日本銀行券をもらうと涙を流してまで喜んでしまうのか。
6 庭にビワやミカンの木があるのに、なぜ人間はお金がないと死ぬと勝手に思い込んでいるのか。
7 日本国が生存権を守っているとしたら路上生活者がゼロのはずだが、なぜこんなにも野宿者が多く、さらに小さな小屋を建てる権利さえ剥奪されているのか。
8 二〇〇八年時点で日本の空家率は13.1%、野村総合研究所の予測では二〇四〇年にはそれが43%に達するというのに、なぜ今も家が次々と建てられているのか。

本書の内容はこれらの疑問を中心に据え、著者の抱く思想と、その実践を述べたものである。

上記8箇条は、今の社会に生きる大人にとって、盲点を突かれた内容ではないだろうか。少なくとも私にはそうであった。誰しも子供の頃には大人のやり口に疑問を抱いたことがあろう。中学高校の頃に尾崎豊の曲に聞き入り、こんな大人になりたくないと思った人もいよう。だが、いざ大人になり、社会人になってみると、仕事に追われ、時間に急かされる日々。特に家族を養っている人は、家計という見えない鎖に縛られる日常。自分とって仕事そのものが人生の目的と錯覚してしまう程に多忙な毎日。そしていつしか、多忙な仕事を片付けることにのみ充実感を覚えるようになる惰性。子供の頃になりたい自分は本当にこうだったのだろうか・・・

私は上記8箇条を何の疑問を抱かずに受け入れたことを告白しなければならない。8箇条に対する疑いを抱いたことも、答えを探したことすらなかった。しかし、この8箇条が真実かと改めて問われると、そうではないと答えるほかはない。上記8箇条に象徴される、曖昧な常識とやらを知らぬ間に受け入れ、社会に飼いならされつつある自分に、ただ愕然とするのみである。

資本経済に組み入れられないために何をすればよいか。若いころの私は、アーミッシュのような野山に分け入っての自給自足生活を想像していた。若い頃、実際に電化製品を使わぬ生活を心がけた時期もある。トイレのウォシュレットの便利さにその理想も潰えてしまったのだが。

しかし著者の実践は違う。単なる理想論、独り者の誇大妄想ではない。著者は妻を持ち、子を養いながら、年収1千万というまずまずの収入も得ている。理想論に逃げず、社会から孤高の高みに隠れず、堂々と世間と対峙しながら、自らの生き方と思想を実践している。私からしてみると、これらの実践はとてつもなく難しく、果てしなく羨ましい。目指す目標としては高い。高いが、本書を読んで実践し、その高みに到達したいと思った。

著者は説く。匿名化された社会システムレイヤーの中では、考えることを削除されていると。誰に削除されているのか。それはこの社会を作り上げているもの、つまりは政府であると。この社会システムレイヤー以外に、様々なレイヤーが重なり合い組み合わさって、人々は集まり、生活を営んでいる。それなのに、秩序という、統治にとって都合のよいシステムである単一レイヤーに縛られ、他のレイヤーの存在を見えないように導かれている。このレイヤーの裂け目から他のレイヤーの有り方を知り、考えながら生きていかなければならない、と著者はいう。

著者は別レイヤーに生きる人々として、ホームレスの人々を紹介する。かれらの行動に、生きるための日々の考えの実践に、多大な示唆を得たことを述べる。日々通勤に明け暮れる私から見ると、ホームレスの自由度には憧れるが、その不自由さは蒙りたくない。しかしその考え方がすでに単一の社会システムレイヤーに縛られたものなのであろう。

社会システムレイヤーの軛から脱し、多層レイヤーを自由に行き来する生き方。その実践のため、本書では様々な仕組みやモノが紹介される。例えば不動産。人間の所有欲というなんの根拠もない想像に基づいた産物。この不動産の概念から逃れるため、著者はモバイルハウスという自由に移動可能な住居を紹介する。建築学科を出た著者は、建築物の基礎が実際は不要(法隆寺にも基礎がないことは本書で改めて気づかされた)なのに、建築法では必須であることの矛盾について疑問を呈する。

また、所有という概念が、思考の枠組みを囲ってしまっていることも指摘する。所有の概念の壁を取り払い、パブリックな空間を私の空間として拡張し認識すること。つまり、公の空間をわが物として飾り、人々に開かれた空間でありながら個人の発想を活かすといった庭造りの実例。単一レイヤーの縛りを脱することで、自由な発想が生まれ、広がることの効果を説く。

そうした著者の実践は、独立国家を作るということで一つの到達点を見る。法律や規則など、社会システムレイヤーの維持のために必要な道具にもほころびはある。ホームレスの方々はそのほころびの間隙を縫って生活している。その発想をさらに拡げ、自由になるためには自分が国を主宰すればよいというのが著者の実践である。国を名乗ってもそれを処罰する法律があるわけではない。要は日本国の国民として税を納め、各々の要件さえ満たしていれば、多層なレイヤーからなる国は作れると著者はいう。つまり、既存の匿名化した社会システムレイヤーに属しつつ、そこから逃げずに別のレイヤーの存在を認識することである。

独立国家の活動を紹介の後、実践の具体的な実施方法について、本書は続く。マインドマップに似た概念図の作成や、交渉術に関しての章など、参考に出来る部分が多々ある。が、私が共感を得たのは匿名で交易はできない、という下りである。

私がネットでの活動から匿名を排除したのは、数年前である。それ以来、仕事についてはもちろん、ある部分までのプライベートな活動も実名で発信することを旨としている。個人事業主として組織に頼らず生きていくためには匿名などありえない、というのが私の考えである。本書にはその私の考えを補強してくれるような記述がところどころに見かけられた。匿名化された社会システムレイヤーのみに縛られる生き方、その生き方を選ぶ場合は、匿名のネット活動でも事足りるだろう。しかし「第3章 態度を示せ、交易せよ」という章では、自分という存在を態度で示し、堂々と対応することが交易である。という主張が繰り広げられている。まさにわが意を得たり、といった部分である。

ただこのような指南本には、ほぼすべてに共通する欠点がある。それは、著者の能力に乗っかった前提で書かれていることである。著者の能力に読者が追い付かず、実践も覚束ないことが往々にしてある。著者もまえがきにあるような種々の肩書を持ち、年収1千万円を稼いでいるとか。社会システムレイヤーに一部でも属し、生計を立てるための能力。これが無い者には、他レイヤーへ視線を向けることは困難なのではないか。本書の内容がいかに素晴らしかろうが、読者が実践できなければ意味はないのではないか。著者は当然その点は認識しており、「第4章 創造の方法論、あるいは人間機械論」という章で社会との関わり方や創造論、自分を追い込むための環境づくりなど、色々な方法を述べている。ここで一貫しているのは、「自己実現をするのではなく、社会実現に向かっていく。」または、「自分がやらないと誰がやる、ということをやらないといけない。」という2文に表れている、社会との関わり方についての態度表明である。「才能とは、自分がこの社会に対して純粋に関わることのできる部分を指す」と本章で定義されている。つまり生まれついての能力や研鑽による技術よりも、読者それぞれの社会への態度が重要というわけである、読者に対して技術や才能の有無に逃げるな、というメッセージと受け取った。

最後にもう一つ。著者は躁鬱を病んでいることを率直に本書内で書いている。本書内でも躁状態で書かれたと思われる筆致が散見される。著者は躁鬱を自覚した上で、それら2通りの状態の付き合い方について、著者也の方法論を紹介している。

私も40年生きてきて、何度か躁鬱の波に苦しめられたことがある。躁鬱との付き合い方は人それぞれであり、鬱状態にある者には本の内容など届きにくいことも事実である。また、著者の方法論も万能ではないことは承知の上。それを理解した上で、躁鬱状態で何を成し遂げられるかについて、本書は有益な示唆を与えてくれる。

本書を読んで、3か月が過ぎた。その後、私の活動内容が具体的な形として変わったかというとそうでもない。しかし、私の心は本書を読んでかなり楽になった。属するプロジェクトのレイヤーの考え方に染めようとする圧力と、私個人の考えは軋轢を生み、その葛藤はかなり辛いものがあった。しかし、本書を読んでからというもの、今のプロジェクトが要求することに対し、力で押し返そうとしていた態度をあらため、受け入れ、そして体内を通過させるような接し方に変えた。以来、楽になった。

実践はこれからであるが、新たなレイヤーへの接続をはかるべく、成果も出来つつある。このままどこまでいけるかやってみたいと思う。

’14/05/01-’14/05/03