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フェルマーの最終定理


2つ前の本のレビューの中で、新書で3冊の本を買ったと書いた。その3冊目が本書である。そして読んでいて最も知的興奮を感じたのも本書である。

本書は、題名の通り、フェルマーの最終定理の解決に至るまでの360年間に亘る人類の英知の努力を細大漏らさず書き切った本である。フェルマーの定理とは、3 以上の自然数 n について、xのn乗 + yのn乗 = zのn乗となる 0 でない自然数 (x, y, z)の組が存在しない、という定理である。

IT業界で飯を食っているとはいえ、文系SEである私にはさっぱり理解できない定理である。そもそも何が難解なのかもよく理解せぬまま、読み始めた。

しかし、本書の論の進め方は実に見事なものである。一読すると回り道のような説明がかなり続く。それこそピタゴラスの定理の意味から、論は起される。数学の門外漢には、どこがどうフェルマーの最終定理につながるのかも不明なままに。しかしそれは、読者に対してフェルマーの最終定理の難しさと、それをアンドリュー・ワイルズ博士が解き明かすまでの道のりを理解してもらうために不可欠な箇所である。ここを急ぐと、本書の理解もフェルマーの最終定理の理解も覚束なくなってしまう。このあたり、著者は周到に本書の構成を練っている。いかにして読者にこの偉大なる解決がなされたのかを読みやすく仕立てるか。その努力こそが本書の素晴らしさである。

私も初心者向けに数学の面白さを啓蒙せんとする書籍は何冊か読んできた。面白い物もあったし、興味深く読んだものもあった。しかし、残念ながらいずれも一過性のものでしかなかった。本書は、この丁寧すぎるほど丁寧に書かれた歩みを通し、読者に対して興味を持って読み進めさせることに成功している。少なくとも私にとっては、読み終えて一か月が過ぎても、興味を持ち続けることができるだけの効果はあった。

正直言って読み終えた今でも、人に対し、フェルマーの最終定理を説明することも講義することもできそうにない。しかし、日本人数学者の谷山・志村両氏が立てた予想を通して、背理法の形でフェルマーの最終予想が証明できる、という大枠だけは何とか理解できた。

以下はWikipediaから引用した大枠の流れである。

1.まず、フェルマー予想が偽である(フェルマー方程式が自然数解をもつ)と仮定する。

2.この自然数解からは、モジュラーでない楕円曲線を作ることができる。

3.谷山・志村予想が正しいならば、モジュラーでない楕円曲線は存在しない。

4.矛盾が導かれたので、当初の仮定が誤っていることとなる。

5.したがって、フェルマー予想は真である。(背理法)から

このモジュラーという部分が未だに全く理解できていない。しかし、少なくとも本書を通してからは数学の奥深さと、それを解決せんとする人類の叡智の高みは垣間見ることができたと思う。また、フェルマーの最終定理の解決にあたっては、アンドリュー・ワイルズ博士を例に、個人の為しえることの限界を見せてくれたことも、本書から得られる大きな宝物である。幼少より抱いた夢を持ち続け、それを共同研究という安易な道に頼らず、ほぼ独力で証明一歩前まで迫ったということ。このあたり、人は外見ではなく、内面こそに強さを秘める、という私の予てからの想いに一致するところでもある。

人類は何を目ざし、どこに向かおうとしているのか。それは経済拡大でもなければ、領土拡張でもない。個人の欲望の追求でもなければ、自閉して沈潜するだけの修行の世界でもないだろう。私が思うに、上に挙げた目標はあくまで個人的な問題である。人類という種が目ざすべき目標にしたところで、いずれも個人や組織の欲望の狭間で矛盾を引き起こすだけの結果に終わること自明である。残念ながら。

では何を目指すのか。あくまで私見だが、科学の力によって無理やりに地球という、人類という枠を突破するしか方法がないのではないか。

フェルマーの最終定理から、どのような革新的な技術が生まれるのか、私には分からない。しかし、問題を解決しようという意欲と努力。この両輪を人類が持っていることを本書は知らしめてくれている。この2つの力をもってすれば、遠い将来、人類が存続し、我々の今の生の営みも無意味なものでないと、希望が持てるのではないか。本書は数学を通した人類賛歌の書物でもあるのだ。

’14/3/9-’14/3/12