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日本語教室


『相手に「伝わる」話し方』()に続いて読んだのが本書。二冊とも表現がテーマだ。私が続けて同じ分野の本を読もうと思ったのは、私の向上心ゆえだ。今後、世の中を渡っていく上で求められるスキルは無数にある。私もその中のいくつかは装備して世渡りの助けとしている。中でも文章を書く能力は、私が独力で、組織の力を借りることなく、世に打って出られる可能性の高いスキルだと思っている。

私が最近予想すること。それは今後、人工知能がいつの間にか、世のあらゆる分野になくてはならない存在になる、ということだ。それは、組織のあり方を劇的に変えてゆくはずだ。世の中の多くの組織は段階を踏んで解体されて行き、今私たちがなじんでいるものとは違う組織になっていることだろう。今までは組織の人員の力で対応しなければ成し遂げられたなかった仕事が、人口知能によって相当の領域で置き換えられていくに違いない。それは、人工知能vs人間といったわかりやすい構図ではなく、いつのまにか人工知能に深く依存し、そこから引き返せなくなる未来として私の脳裏に思い浮かぶ。

ただ、組織の未来を考えるとき、人の組織への帰属心は容易には消えないはずなので、組織は何らかの形で残っていくに違いない、とも思う。一方で組織の中で働く個人に求められるスキルは変わっていくことだろうという予想も湧き出てくる。つまるところ、組織に勤めていようが独立していようが、これからの個人に求められるスキルとは、組織の中で人々を調整する力よりも個人の力ではないかと思うのだ。とくに個人は、実名で何かを発信しなくては、かなり厳しくなるのではないか。

そのための準備として私が鍛えるべきなのは文章力、そして日本語力だ。著者は日本語にこだわる作家としてよく知られている。ちなみに私は著者の小説は読んだことがない。私の親が著者の文庫本を何冊も持っていて、そのタイトルをそらんじられるにもかかわらず。それなのに、著者の名作たちを差し置いて、はじめに読む著者の本が講演集であることの後ろめたさ。さらにいうと私は著者のことを何も知らなかった。そもそも著者が上智大学出身であることすら、本書を読んで初めて知った次第だ。

本書は著者の出身校である上智大学での講演を書籍化したものだ。講演であるため、本書は話し言葉で貫かれている。つまり、すらすらと読める。しかも時々脱線する。そうした酒脱な雰囲気が本書には始終流れており、楽しく読める。

著者の軽妙な姿勢は、日本語に対する考えからも感じ取れる。本書の第一講「日本語はいまどうなっているのか」では、現代の日本語に英語が幅を利かせつつある状況を紹介する。ところが著者はそれをただ憂うのではない。日本語原理主義を振りかざすこともしない。著者は英語が氾濫する今の日本語に警鐘を鳴らしつつ、言葉は変わりゆくものと柔軟な意見も開陳する。正直いって私も今のカタカナ語の氾濫には閉口している。IT業界に属していると、ビジネス用語も含めた外来語の氾濫にさらされる。しかもIBMなどの外資系の文化が横行する現場だとなおさらだ。それゆえ、過度の日英の単語がちゃんぽんされ、飛び交う現状にはこれ以上ついていけない。だから、その融合するスピードをもう少し緩められないか、という著者の意見に与したい。著者は第二講の「日本語はどうつくられたのか」の中でリコンファームやエンドースメント、そしてコレクトコールのような言葉は無理に日本語訳にせず、外来語のままでよい、とも言っている。そのあたりの柔軟さは必要だし、本書はその点で好感が持てる。

昔、漫画『こち亀』の中で外来語を日本語に律義に言い換えるおじさんが登場したことがある。たとえば「ローリングストーンズ」を「転がる石楽団」とかいう感じで。日本語に相当する言葉がないのなら、珍妙な日本語を作ることにこだわらず、外来語は外来語のままで、というのが著者の主張だ。

第二講で著者は、明治期に西周や福沢諭吉といった人々が外来語を苦労して日本の言葉に翻訳した歴史を紹介する。当時は彼らのような碩学が苦労して翻訳の労を取ってくれた。だが、今は当時とは違い、情報の流入量が違いすぎる。どこまでを外来語として取り入れ、どこまでを日本語に翻訳していけば良いか。それは常に文を書く上で意識していくことが求められる。もう一つ、第二講では、著者の政治的な意見も吐露される。どちらかといえば左寄りの発言が知られる著者の想いが。

たとえば、「完璧な国などないわけですね。かならずどこかで間違いを犯します。その間違いを、自分で気が付いて、自分の力で必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども、過ちを隠し続ける国民には未来はない。」(118P)との箇所がそうだ。著者も含め、左寄りとされる論客は話が国際関係に及んだとたん、その主張の説得力がなくなってしまう。対象が自分の国だけならそれで良い。けれど、相手の国があると理想主義を貫くのは難しい。

第三講「日本語はどのように話されるのか」で著者が語るのは、日本語の音韻の特徴だ。日本語の母音は”あ”、”い”、”う”、”え”、”お”の五つからなっている。その特徴を説明するため、著者は斎藤茂吉の短歌を取り上げる。
「最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも」
ここで最初の「もがみがわ」の中の”あ”の母音が三つ含まれるところに、著者は開放的な語感を指摘する。また、”う”が五つも続く「ふぶくゆふべ」の語感からは、「吹雪く夕べ」に耐える様子が表現されている指摘する。語感から日本語を指摘する見識はさすがだ。

この前に読んだ『相手に「伝わる」話し方』でも音読の重要性について学んだばかり。母音の数が少ない日本語は、同音異義語、つまりダジャレの土壌となる。また、言葉が母音で終わる日本語の特徴は、外国人の耳に美しい言葉として聞えるらしい。もう一つ、「茶畑」と「田畑」の読みが「ばたけ」と「はた」というように音が濁る場合とそうでない場合についても解説されている。「田」と「畑」のように並列の場合は濁らず、「茶」の「畑」のように従属関係にある場合は濁る。著者はこういった使い分けが日本語に連綿と語り継がれていることを指摘する。これらはとても興味深い。

もう一つ、興味深かった点は、日本語で一息で発音できる音節が十二という記述だ。十二を六と六に分けるとリズムがでない。なので、五と七に分けた。それはつまり俳句のリズムだ。短歌から連歌に発展したリズムが、俳句とつながってゆく。この部分もとても勉強になる。俳句が世界で一番短い詩と言われる秘密がさらりと示される。

第四講「日本語はどのように表現されるのか」では、著者は文法を取り上げる。日本語の文法の構造は、外来語が入ってきたところでおいそれと崩れないことも指摘する。言われてみれば確かにそうだ。「私は」「旅が」「好きだ」と日本語はSOV(主語+目的語+動詞)の順番に並ぶ。しかし英語は「I」「Like」「Travel」とSVO(主語+動詞+目的語)の順に並ぶ。どれだけ英単語が日本語に入り込もうとも、「私は好きだ旅が」という表現が日本で市民権を得るのは難しいし、もしそうなるとすれば、相当の年月がかかるはずだ。それゆえ著者は文法を整理した学者の努力を認めつつ、「私たちは日本語の文法を勉強する必要はないのです。無意識のうちにいつのまにか文法を身につけていますから」(161P)と結論付けるのだ。結局、無意識に刷り込まれた文法の構造こそ、著者にとって守るべき日本語の芯なのだろう。そして日本文化の芯なのだと思う。

先に書いたとおり、本書には右傾化する日本を揶揄する著者の毒が何カ所かで吐かれる。でも、それはあくまで外交関係や領土の領分の話。そういった観点で日本のナショナリズムを主張するのではなく、著者のように文化の立場から日本のナショナリズムを主張してもよいのではないか。私は本書を読んでそう思った。それをごちゃまぜにするのではなく、文化は文化として守るべき。そう考えると左寄りと見られがちな著者は、立派に愛国心を持った人物だと見直すことができる。イデオロギーでカテゴライズすることの浅はかさすら感じさせるのが本書だ。

本書をきっかけに、著者の著作も読んでみなければ、と思うようになった。そこにはきっと、手本にすべき美しい日本語が描かれているはずだから。

‘2018/01/18-2018/01/19


考えるヒント3


時代の転換点。むやみに使う言葉ではない。しかし、今の日本を取り巻く状況をみていると、そのような言葉を使いたくなる気持ちもわかる。中でもよく目にするのが、今の日本と昭和前期の日本を比較する論調である。戦争へと突き進んでいった昭和前期の世相、それが今の世相に似ていると。

もちろん、そういった言説を鵜呑みにする必要はない。今と比べ物にならぬほど言論統制がしかれ、窮屈な時代。情報が溢れる今を生きる我々は、かの時代に対し、そのような印象を持っている。情報量の増大は、政府が情報統制に躍起になったところで止めようがない流れであり、昭和前期の水準に戻ることはありえない。

そのような今の視点から見ると、情報が乏しい時代に活躍した言論人にとっては、受難の年月だっただろうと想像するしかない。破滅へ向かう国を止められなかった言論人による自責や悔恨の言葉が、戦後になって文章として多数発表されている。自分の思想と異なる論を述べざるを得なかった、自分の思いを発表する場がなかった、自分の論を捻じ曲げられた、等々。その想いが余り、反動となって戦前の大日本帝国の事績を全て否定するような論調が産まれた、とも推測できる。

著者はその時代第一級の言論人であり、戦前戦中は雌伏の年月を強いられたと思われる。本書の随所をみても、著者の屈託の想いが見え隠れしている。だが、窮屈な時代に在って、その制約の中で様々な工夫を凝らし、思想の突破点を見出そうと努力したからこそ、著者の思想が戦後に花開いたともいえよう。

本書は随筆集であり、講演録を集めたものである。収録されたのは、昭和15年から昭和49年までに発表された文章。戦時翼賛体制真っただ中に発表されたものから、高度成長期爛熟の平和な日本の下で発表されたものまで、その範囲は幅広い。本書の章題を見ると、○○と○○といったものがやたら目につく。挙げてみると「信ずることと知ること」「生と死」「喋ることと書くこと」「政治と文学」「歴史と文学」「文学と自分」。全12章のうち、半分にこのような章題が付いている。

上に挙げた○○と○○からは、ヘーゲルで知られる弁証法でいう命題と反対命題が連想できる。そして弁証法では、その二つの命題を止揚した統合命題を導くことが主眼である。つまり、統合命題を導くための著者の苦闘の跡が見えるのが本書である。暗い世相と自らの思想を対峙させ、思想を産み出す営み自体も弁証法といえるだろう。本書には人生を賭けた著者の思想の成果が凝縮されている。

本書の題名は考えるヒント3となっている。その前の1と2は比較的分かりやすい主題に沿って論が進められたように記憶している。しかし、本書は一転して難解さを増した内容となっている。統合した思想を産み出そうとする著者の苦闘。これが本書の大部分を占めているからである。著者の苦闘に沿って読み進めるのは、読み手にとってもかなり苦しい体験であった。

本書の中でも「ドストエフスキイ七十五年祭に於ける講演」は特に難しい。ボルシェビキ出現以前のロシアの状況から論を進め、フルシチョフによるスターリン批判までのロシア史の中で、ドストエフスキイを始めとしたロシアの知識階級の闘争がいかになされたかを概観する内容である。しかし教科書レベルの知識しか持たない私のような者にとり、読み通すのは相当の苦行であった。日本国内では一時期、ロシア社会主義への理解が知識人の間で必須となった感がある。しかし中学の頃、ソ連邦解体をニュースで知った私にとり、ロシア社会主義とはすでに滅び去ったイデオロギーである。左翼系の本も若干読みかじったこともあるが、突っ込んだ理解には到底至れていない。加えてロシア文学は登場人物の名が覚えにくいことは知られている。本講演に登場する人物の名前も初めて聞く名が多く、それに気を取られて講演の概略とそこで著者が訴える主題が理解できたかどうかも覚束ない。

今と比べて情報量が乏しく、自ら求めなくては情報を手に入れられなかったこの頃。知識を深め、それを学ぶ苦しみと喜びは深かったに違いない。翻って、今の情報化社会に生きる私が、その苦しみと喜びの境地に達しえたか、著者の識見、知恵に少しでも及び得たか。答えは問うまでもなく明らかである。努力も覚悟もまだまだ足りない。本書を読み、そんなことを思わされた。

’14/08/16-‘14/08/28


近代日本の万能人 榎本武揚


武揚伝<上><上>を読んでから、榎本武揚という人物に興味を抱いたわけだけれど、上記リンク先でも書いたように、明治以降の逆賊という汚名の中、いかにして大臣を歴任し、子爵を受爵できるまでにいたったのかについて興味があったところ、こちらの本を見つけたので読んだ。

末裔たる榎本氏や歴史作家として名の知れた方や在野の榎本武揚研究家、最近よく文章を見かける元外交官など、多種多様な人々を集めての座談録や講演録、榎本子爵紹介記事が載っていたりと、万能人という題名にふさわしく様々な分野に活動の足跡を残した榎本武揚についての研究がこの一冊に集大成されているよう。

幕末までの榎本武揚が彼のほんの一面でしかなかったことを知らしめるような、明治以降の活躍もまた、八面六臂の活躍というのかもしれない。政治に外交に技術に科学に公害に隕石に冒険に、と驚くほかはない。明石・福島の両氏よりも先にシベリア横断を成し遂げたり、隕石から短刀を鍛造して皇室に捧げたり、と知らない異能振りがこれでもかと紹介されていく。過小評価とは彼のためにある言葉かもしれないと思わされるほど。

文中でもどのようにして明治政府に登用され、業績を上げていったかが述べられているけど、このようなあらゆる分野から業績を上げていることそのものが、彼がなぜ幕臣の立場で明治政府からかくも重用されたかの証明となっている。

小説である武揚伝とは違ってこちらは学術的な面が強く、しかも業績の紹介に筆が費やされた感があるので、江戸っ子として明治天皇や庶民からも慕われたという彼の人柄や人間性に触れたような記述は少ないけれど、かえってそれが彼の魅力の巨大さを際立たせているように思えた。また、これだけの業績を上げながらも自己宣伝をほとんどせずに生涯を追えていった彼だからこそ、逆にその人間性を伺うことができるというものだ。

私としては技術で国家に貢献するも、人間関係の複雑に絡み合った糸を解きほぐすような政治活動からは一歩引いていたという彼の立場や生き方に、自分の身の立て方を学びたいと思うばかりだ。

’11/11/22-’11/11/24