Articles tagged with: 解放

12番目のカード〈下〉


下巻では、冒頭からチャールズが関わっていた秘密の一端が解かれる。それは合衆国連邦憲法の修正第十四条の成立にまで遡る。

修正第十四条とは、合衆国連邦憲法が、各州の定める州法を制限できなかった反省から産まれたという。南北戦争の際、南部諸州は、黒人の人権を制約する州法を成立させ、それに対して合衆国連邦憲法の最初の修正十箇条である権利章典は、なんの制限もかけられなかった。その反省を活かし、現在に至るまで修正第二十七条までが制定されている。悪名高い修正第十八条(禁酒法)以外は、今この瞬間も有効な条文だという。

私はこの条文の存在を、本書を読むまで知らなかった。アメリカの公民権運動にとって、これほどまでに重要な条文を。自分の無知さ加減は相当なものと思わざるを得ない。

本書55頁に、このような台詞がある。「もし修正第十四条が無効だとしたら、このチャールズ・シングルトンが知ってしまった何かのために無効なのだとしたら、私たちが謳歌しているこの自由に終焉が訪れるでしょう」この台詞が本書で扱われている過去の謎の中心となる。このため、チャールズの知る真実は闇に葬られなければならなかった。

本書は時空を超える、と上巻のレビューに書いた。すなわち、ライムの科学調査の網は、百数十年前へと遡る。歴史を辿り、当時の遺物から獲物をさがす。それが何かは読んでご確認頂きたいが、なるほどという形で百数十年前の事実は暴かれていく。本シリーズの面目躍如といえる。

暴かれるのは、それだけではない。ジェニーヴァの境遇に関する秘密や、ボイドとライムの頭脳戦の結果も同じく。そして、世界屈指の大都会である、ニューヨークの混沌とした黎明期の闇すらも。

ライムの判断は本書でも的確で、ジェニーヴァを狙う相手との頭脳戦にことごとく勝利する。本書で唯一難をつけるとすれば、勝ちすぎることだろうか。もちろん、それはリンカーン・ライム一人の手柄ではない。著者の別シリーズで主役を張る筆跡鑑定のプロ、パーカー・キンケイドも登場する。本シリーズお馴染みのロン・セリットーは、本書の中で臆病風に吹かれ、刑事としての自信を失いかけるが復活し、敵を追い詰める。リンカーン・ライムの恋人のアメリア・サックスのグリッド探索は本書でも健在で、その調査能力だけでなく勇敢な行動に味方は救われる。そういったシリーズキャラクター達の力によって、ジェニーヴァを狙う敵の攻撃はことごとく間一髪で防がれてしまう。その展開に、ほんの少し単調さを感じてしまったのは、どんでん返しの名手たる著者への期待が勝ちすぎたからか。

とはいえ、本書のテーマはライムの頭脳を称賛するところにはない。本書のテーマはアメリカの国史において常に虐げられてきた黒人を描くことにある。本書は最後まで黒人としての悲しみに筆を割くことを忘れない。黒人の若者が陥りがちな転落。巻末近くで、ジェニーヴァの親友ラキーシャは、この転落へと自ら陥ろうとする。不用意に黒人の置かれた境遇に同情はしないが、そのような転落が黒人社会で往々に見られることを、著者は隠さない。しかし、その中にも著者は救いを描き出す。ジェニーヴァは将来の進路を法律に定め、弱者への救済を図ろうとする。そして、その努力の最中も親友ラキーシャの救出を諦めない。黒人の陥りがちな落とし穴、それに対して闘うことの気高さが表れている場面といえる。

弱者への眼差しを常に忘れない本書は、弱者への救いの手を差し伸べることもしない。本シリーズを通じて幾度も描かれるのは、重度障害者としてのライムの苦しみ、そしてその絶望に落ち込まない強さである。本書は、黒人という弱者にあって、希望を持ち続ける気高さを称える。上巻の序盤でチャールズの手紙の一節に書かれた「五分の三の人間」という言葉がある。これは、一人という単位で数えられなかった黒人奴隷を言い表した言葉だが、裏を返せば不完全な人間のことと読める。それは自分では移動もままならないライムのことを暗に言い表している。だが、五分の三の人間であっても、努力次第で完全な人間として成り得るのだ。そのことは、つい数十年前まで公民権運動を勝ち取るため、苦しい戦いをしてきたアメリカの黒人の歴史に顕著に出ている。

最終ページで、著者はライムの独白の形を借りて、以下の文章を綴る。その文章こそが、本書のテーマであり、今の政財界、芸能・スポーツ界に活躍の場を広げる黒人達の努力の象徴ともいえる。

「人を五分の三の人間にするのは、政治家でも、ほかの市民でも、故障した体でもない。自分を完全な人間と見てそのように生きるか、不完全な人間と見てそのように生きるか、それを決めるのは、自分自身だ。」

‘2014/10/08-‘2014/10/10


12番目のカード〈上〉


今回のリンカーン・ライムシリーズは時空を超えて展開する。時空といっても荒唐無稽な話ではない。

ある殺人未遂事件の背後にある、アメリカの歴史にとって触れられてはならない暗部。これが本書のテーマとなる。サスペンスと推理が融合した当シリーズではあるが、リンカーン・ライムが扱うのは現代の事件だけではない。時には時代を遡って捜査することがある。そのような過去への趣向が散りばめられたのが本書である。とはいえ、知っている方はご存じの通り、リンカーン・ライムが道楽で過去の事件を掘り下げる訳がない。ではなぜか。それは、現代に起きた事件の背後を探る上でアメリカの過去を遡る必要に迫られためである。

アメリカの歴史を語る上で、黒人奴隷の虐げられた苦闘の跡は避けて通れない。今でこそオバマ大統領を始め、政財界、芸能、スポーツ界で活躍する黒人の方々は多い。しかし、つい半世紀前までは黒人に対する激しい差別がまかり通っていた。キング牧師の演説でも知られる公民権運動を巡り、アメリカ社会は大きく二つに割れていた。現代に生きる我々、しかも太平洋を挟んだ日本に住んでいると、アメリカにそのような暗い過去があったことを知らない向きも多い。黒人に対する激しい差別が繰り広げられていたことなど、今の若い日本人には知らない人もいるのではないか。アメリカ社会の第一線で活躍する黒人の方々には賛嘆の言葉がいくつあっても足らない。しかし、その陰には苦難の歴史を耐え抜いてきた黒人奴隷や公民権運動に参加した黒人の連帯の強さがある。今のアメリカは、尊い先人達の努力と礎の上に築かれている。

今を生きる我々は、そんな負の過去をも乗り越えようとしているアメリカの強さと、人種差別史の中でも特筆すべき転換期を目の当たりにしていると言えるだろう。

しかし、そうした日の当たる場所で活躍する黒人がいる一方、未だに人種差別に喘いでいる方々がいることも忘れてはならない。人種差別が悪という社会的な認識が広がった今、差別は裏側に潜み、陰険化し、一層始末に悪くなっているとも言える。

本書は、そうした黒人の解放の歴史にまつわる秘話を背景に置く。そして現代のニューヨークに残る差別の残滓を、ヒップホップに代表される黒人文化に絡めてあぶり出す。事前のリサーチの質量には定評ある著者。本書もかなり深いところまで黒人文化が描かれていると感じた。

過去の謎と現代の謎。それらが縦横に織られ、本書は進む。

本書の主要人物はジェニーヴァ。黒人の女子高生である。黒人であり女子高生。本書冒頭で何者かに襲われるが、咄嗟の機転で襲撃を交わす。一般に社会的弱者として括られがちな彼女は、その境遇にもくじけぬ聡明で優秀な人物として描かれる。本書を通して、彼女は保護されつつも、過去と現在の謎を解くため、積極的にライムとその仲間たちに関わって行く。

過去の謎とはジェニーヴァの四代ほど前の祖父チャールズ・シングルトンにまつわるものである。本書中程の188-189頁のライムのセリフで、彼のことが触れられている。「チャールズについて、わかっていることは何だ?教師で、南北戦争の兵士だった。州北部に農園を所有し、経営していた。窃盗の容疑で逮捕され、有罪とされた。世間に知られれば悲劇を招きかねない秘密を持っていた。ギャローズ・ハイツで開かれていた内密の集会に出席していた。黒人公民権運動に関わり、当時の有力政治家や公民権運動家と親しくしていた」

ジェニーヴァは祖父が取り上げられた雑誌を図書館で調べていたことで、命を狙われた。果たして祖父の抱いていた秘密とは何なのか。それを百何十年あとの今、調べることで、なぜ命を狙われなければならないのか。

本書に登場する犯人は、トムソン・ボイド。彼の視点で語られる犯行は几帳面であり、大胆。犯行準備に余念がなく、生い立ちから来る無感覚の人物として造形された。だが、本書上巻では彼の目的は語られない。そしてチャールズの秘密もまた。

上巻では、ジェニーヴァの通う高校の同級生達が登場する。または、グラフィティ・キングこと、ジャックスという謎の人物。ジャックスはけちな小犯罪者とは一線を画した顔を時折覗かせる。高校生やジャックスによって黒人社会の様子が多面的に、多層的に描かれる。その中で著者はさまざまな視点を提供する。我々が黒人社会に抱くステレオタイプな見方は、著者によって乱され、惑わされ、まだまだ黒人社会の一面しか知らなかったことを思い起こされる。同情もしなければ、罵倒もしない。本書で書かれる黒人たちへの視線は公平である。公平とは言っても突き放した視線ではなく、その視線は温かい。

白人である著者がこのような視点で紡げることに、アメリカにおける人種差別問題が解決に向けた第一歩を踏み出しつつあることを感じた。

‘2014/10/4-2014/10/8


1Q84 BOOK 2


BOOK 1 の最後の章で、青豆と天吾の世界に、現実からの脅威が押し寄せる。BOOK 2 である本書では、序破急の破らしく、一気に物語が展開する。徐々に現実感を喪失しつつあった世界に、現実が否応なしに押し寄せる。青豆は謎の信仰集団のトップの暗殺を柳屋敷の老婦人から依頼される。天吾には牛河なる人物が接触を図ってきて、代筆の事実を知っていることをそれとなく匂わせられる。ふかえりは天吾の元から失踪し、あゆみは謎の死を遂げる。

その一方で、1984年である世界は青豆には別の世界、つまり1Q84にその姿を変えつつあり、その速度は増すばかりである。

現実は幻想と共存できるのか。それとも所詮は別のもの、別々の道を歩むしかないのか。物語の行方がどこに向かおうとしているのか、BOOK 1に引き続き、読者をつかんで離さない展開はお見事としか言いようがない。

BOOK 1では現実からの疎外がテーマではないかと書いた。本書では果たして何がテーマなのだろうか。私には過去と現在の和解、というテーマが湧きあがってきた。

本書で、天吾は房総半島の某所の療養所にいるNHK集金人だった父と再会を果たす。答えない父に対し、自分の半生を滔々と話す。そして青豆は謎の宗教団体の教祖であり、ふかえりの父と目される人物を殺す直前、過去の出来事について教えを受ける。そしてNHK集金人の後について歩いた幼き日の天吾と、宗教団体の伝道者として親の伝道について歩いた青豆が、小学生時代に鮮烈で刹那的な交流を持っていたことが明かされる。現実は過去、幻想は今。過去と現在が和解する時、現実から疎外されていた幻想は受け入れられる。「空気さなぎ」の世界がますます現実を侵食する本書において、過去と現在の和解がテーマになっていることは避けては通れないポイントなのだろう。「空気さなぎ」の登場人物であるリトル・ピープルといった登場者は、現実と幻想を結び付けられるのか。教祖が世を去った今、誰がそれを成しうるのか。

青豆と天吾がお互いの存在を意識し合い、探し求めるようになり、本書は幕を閉じる。次はいよいよ序破急の急である。物語は大団円に向かって突き進む。

’14/06/01-‘14/06/03