Articles tagged with: 被爆者

HIROSHIMA


著者の作品は読んだことがないが、第二次大戦の戦場で数々のノンフィクションをものにした方だそうだ。
また、イタリア戦線にも従軍し、その内容を『アダノの鐘』に著し、ピューリッツァー賞の小説部門を受賞したそうだ。それらはウィキペディアに載っている。

ウィキペディアには本書も載っている。その内容によれば、本書は学校の社会科の副読本になり、20世紀アメリカジャーナリズムのTOP 100の第1位に選出されたそうだ。
実際、本書の内容は、原爆を投下した側の国の人が書いたと考えるとかなり詳しい。しかも、まだ被爆の記憶が鮮やかな時期に書かれたことが、本書に資料としての価値を与えている。

本書についてはウィキペディアの英語版でかなり詳しく取り上げられている。ウィキペディアの記述も充実しているが、本書の末尾に付された二編の解説もまた素晴らしい。
一つは、本書を和訳した三人の一人でもあり、本書に取り上げられた六人の被爆者の一人でもある谷本清氏が1948年9月に著した長文の解説。もう一つは、訳者である明田川融氏が2003年6月に著した解説。この二つの解説が本書の内容と価値を十分に説明してくれている。

解説の中では、被爆地である広島で本書がどのように受け止められたかにも触れている。広島でも好意的に受け取れられたそうだが、それだけで本書の価値は明らかだ。
原爆がヒロシマに落とされてから75年の年月がたった。
その間にはいろいろな出来事が起こり、歴史が動いた。そして、記録文学や映画や絵画が数え切れないほど書かれてきたし描かれてきたし撮られてきた。
そうした数多くの作品の中でも、投下から一年以内にアメリカ人によって取材された本書は際立っている。
なにしろ、1946年の8月にニューヨーカー誌面で発表されたというのだから、本書の取材内容の新鮮さは、永久に色あせないだろう。

本書は、六人の被爆者の被爆から数日の日々を取材している。丹念に行動を聞き取り、そこで目撃した投下直後の悲惨な街の状況が克明に描写されている。私たちは、当時のアメリカ進駐軍が被爆地に対して報道管制を敷き、日本人の国民感情を刺激せぬように配慮した事実を知っている。
だから、本書を読み始めたとき、本書にはそこまで大したことが書かれていないのでは、と考えていた。
だが、本書には私が思っていた以上に、原爆の悲惨さと非人道的な側面が記されている。もちろん、本書が発表された当初はさまざまな配慮がなされたことだろう。たとえば、本書が日本ではなくアメリカでのみ発表されたことなど。
そうした配慮によって、日本人の国民感情を刺激せず、同時にアメリカ人に対して自国が行った行いを知らしめる意図を満たしたはずだ。

著者は告発というより、ジャーナリズムの観点から事実を報道することに徹したようだ。だが、恐るべき原爆の被害は、事実の報道だけでもその非日常的さと非道さが浮き彫りになる。
著者は、被爆者が語った内容をそのままに、添削も斟酌もなしに書いているが、それがかえって本書に不朽の価値を与えているのだろう。

当然のことながら、本書に取り上げられた六名の方の体験だけが原爆の被害の全てではない。二十万人以上の人々が被爆したわけだから、悲惨さは二十万通りあって当然だ。
本書に登場する方々は、いずれも爆心地から1キロメートル以上離れた場所で投下の瞬間を迎えた。しかもたまたま建物の影にいたため、熱線の被害にあわなかった方々だ。
言うまでもなく、本書に取り上げられている六名の方の悲劇を他の被爆者の悲劇と比べるのはナンセンスだ。むしろ失礼に当たる。
この六名の方も、無慈悲で無残な広島の光景を十分すぎるほど目に焼き付けたはず。それがどれほど心に深い傷を残したかは、想像するしかない。
本書に描かれた六通りの非道な運命だけで、ほかの数十万の悲劇について、どこまで当時のアメリカの人々に届いたのか。それはわからない。

とはいえ、本書はアメリカ人にとっては報道の役割を十分に果たしたと思われる。自国で生み出された原爆がヒロシマとナガサキの人々の上に筆舌に尽くし難い惨禍をもたらしたこと。多くの人々の人生を永久に変えてしまったこと。この二つを知らしめただけでも。原爆の悲劇が早い時期に報道されたことに本書の意義はある。
本書に登場した六名の被爆者の方々が、西洋文化に理解を持っており、被爆を通してアメリカを恨み続けていないことも、アメリカの方々の心には届いたと思いたい。

夫を南方の戦場で失い、一人で三人の子供を助け、その後の惨状を生き延びた中村初代さん。日赤病院の医師として不眠不休の治療にあたった佐々木輝文博士。同盟国ドイツの人物として、西洋人の目で原爆の惨禍を見たウィルヘルム・クラインゾルゲ神父。事務員で崩れた建物に足を粉砕された佐々木とし子さん、病院の院長であり、崩壊した病院の再建とともに一生を生き抜いた藤井正和博士。かつてアメリカで神学を学んだ牧師として、原爆の被害をアメリカに訴え続けてきた谷本清氏。

六名の方が語る体験が描かれた本書は、後日談も描かれている。
39年後、再び広島を訪れた著者がみた、平和都市として生まれ変わったヒロシマ。その移り変わった世の中を被爆者として懸命に生きた六名の人生。

被爆者としての運命を背負いながら、長い年月を生きた六名の被爆者。ある人は原爆とは直接関係のない理由で亡くなり、ある人はいまだに反核運動に生涯をささげ、ある人は神の僕としてそれなりの地位についている。

上にも書いた通り、もともと六名の方が西洋文化に素養があったからこそ、著者のインタビューを受ける気になったのかもしれない。そうした六人だったからこそ、その後の人生も懸命に生きたことだろう。

六名の方が、被爆直後の恨みを傍にいったんおき、苦しい体験をあの時期に、それも原爆を落とした相手の国のジャーナリストに語る。
その決断が、民間レベルでの日米間の交流にどれほど貢献したかははかりしれない。
そして、その決断にどれほどの葛藤があったことだろう。敬意を表したい。

‘2019/9/6-2019/9/7


広島 昭和二十年


2016年も師走に入った。師走とは一年を総括する時期だ。

今年一年、日本国内ではさまざまなニュースが報じられた。人によって印象に残ったニュースはそれぞれだろう。私がもっとも印象を受けたのは、オバマ大統領が広島の原爆記念碑に訪れ、献花したニュースだ。

十月になり、家族で長崎を旅行した。その際に原爆資料館にも訪れ、オバマ大統領が手づから折った千羽鶴も目にした。原爆を投下した当事国がようやく原爆の外道な本質に向き合おうとしたことに感慨も深い。

長崎旅行から帰った翌週、私は仕事で淡路島を訪れた。私の仕事とは淡路島の某大学で催されている学園祭で実証試験を行うこと。合間に少し学園祭を見学する時間もあり、学生や地元のコミュニティによる展示の数々を見た。その中に何百冊もの本を無料で配布するブースが目についた。本書は、そこに並んでいた一冊だ。

運命の巡り合わせのような出会い。2016年も暮れを迎えつつあるわけだが、本書を2016年のうちに読めて良かったと思う。

本書は昭和二十年の広島を描いた日記だ。本書が特筆すべきなのは、ここに書かれた日記が昭和二十年に書かれたということだ。原爆投下のあとに当時を思い出して書かれた日記ではない。しかも著者は当時、中国新聞社の記者の職にあった。記者の目からみた昭和二十年の日記であることが、本書の価値を高めている。ここには投下前の広島が克明に描かれている。著者の過ごした等身大の日々。市民として、家庭人として、記者としての思いや日常の由なし事。自分たちの未来に何が起こるか知らぬ人々の平穏な日常が。

何も知らぬまま、市民は米英を敵とした戦争の日常生活への影響を憂い、大本営の発表を疑う。戦局がどれほど危機的な状況かも知らない。ビアホールに集い、食料品を買い出しに田舎へいき、配給切符を持ちながらも闇の相場を元に食糧を手に入れる。そして、動ける人は田舎へと疎開する。また、海辺に走る列車の海側の窓が閉ざされていることに閉塞感を感じ、灯火管制の不便さにやりきれなさを覚える。戦局が不利であることはうすうす気づきながら、軍が開発しているという、一発で戦局が挽回できるはずの爆弾が敵戦艦を吹き飛ばすことを期待する。

著者は東京に出張に向かい、中国地方の各県知事を広島に集めた会合に出席し、行政単位の再編についての会合にも出席する。記者としての職務に忠実に励む著者の日々には何のてらいもはぐらかしもない。本書の記述は市民の生活が細かく観察されており貴重な資料だと思う。

興味深いのは、原爆製造計画について市民の中に流れているの風評と、なぜ広島だけが空襲に遭わないのかを市民があれこれ取りざたしていることの記述だ。アメリカに広島からの移民が多いからとか、地形の問題であるとか。それらは原爆が落ちる前の市民の偽らざる疑問であり、希望的観測なのだ。そういったエピソードが本書をリアルにしている。

仕事、家庭、地区、親子、夫婦、同僚、後輩、先輩、同窓、同業。さまざまな関係が、日常のなかで営みを行う。彼らは決して未来を知ることはない。著者もまた、原爆が日々の営みを一変させることを知らずに、広島市の中心部から海田の方へ疎開する。身重の妻とともに。

人の日記を読むことはそうそうない。そもそも大抵の日記は個人的な内容なので、興味すら持たないものだ。だが、本書は先行きが気になる。なぜなら日記の果てに何が起こるのか、少なくとも、読者は8/6の出来事を知識として知っている。それでいて、この日記に登場する人々の身に何が起こるのかは知らない。

人類史上でも未曽有の残虐な兵器、原爆。原爆の悪は、人々の生を奪ったことだけにあるのではない。一番残虐なこととは、その瞬間に生死を選別したことだ。屋外にいたもの、屋内にいたもの、屋外でもたまたま爆心に背を向けていたもの、勤労奉仕で建物の影にいたもの、上半身裸で作業していたもの、見張り塔で空襲に備えていたもの。そして、著者のように、投下三十分前まで広島市中心部で夜番を勤めていたが、郊外に疎開した家へ帰ったもの。

原爆が炸裂した瞬間の位置と行動が、その瞬間広島にいた人々の生死を分けた。その瞬間の行動は、どういう前世の綾で定められたのか。熱線が体を焦がすか否かは誰が決めたのか。その一瞬の差が、冷酷に生と死を分けた。いっそのこと、その一瞬の行動を前世の宿縁や、今世での因果のせいにできればまだいい。だが、そんな仮定自体が被爆者の方にとっては不遜にあたる。一瞬の差で生き残った被爆者にとってみれば、なぜ自分は生き残れたのか、一生かけて考える宿命を背負うことになる。思うに生き残れた被爆者の方とは、放射能障害に加え、生き残った事に罪悪感を感じるサバイバー症候群にまで罹患してしまった方々なのだと思う。あまりにも不条理な生死の境目から、自分はなぜ生き残ったのか。刹那の運命の分岐点。原爆が通常の空襲と違う人の道に外れた兵器である理由は、こういうところにもあると思う。

炸裂の瞬間を郊外の自宅で迎えた著者は、無事だった妻や義姉に家を任せ、凄惨な市内へと駆けつける。記者の鍛えられた目に凄惨な光景を焼き付け、脳裏に叩き込み、日記に書き付けた。それが臨場感の迫り来る本書の記述として結実しているのだ。

私もずいぶんと被爆者による体験記は読んできたが、それらの多くは、戦後に体験を思い出して書かれたものだろう。しかし、記者が己の五感で感じ、その記憶の鮮やかなうちに文にしたためた本書は、あの当日の様子を克明に鮮やかに描いている。それは当日に撮影された写真に劣らず貴重な記録になっている。おそらく本書は、被曝当日の目撃記録として永久に残るだろう。

本書は昭和二十年についての日記だから、終戦後の広島も描かれる。その記述のほとんどは、街の復興の様子や戦後日本を支配したGHQによる民主化政策の動きに費やされる。なかでも印象的なのは、新聞人としての自分たちの戦中の振る舞いを激しく悔やむ記述が散見されることだ。それは戦争遂行に協力した当時の言論人のほとんどに共通した意識だったのだろう。そしておそらく、この意識が左に振り切れてしまったのが朝日新聞なのだろう。著者が戦中の新聞人を自省する本書の記述を読むとそのことがよくわかる。実際、著者の周りにも共産主義へ走るものがいたことが紹介されている。

著者はおそらく、バランスの取れた人物だったのだろう。左右どちらにも記述の振れ幅が少ない。むしろ、中国新聞の復刊に力を注ぎ、身重の妻を考えて家のことに重心を置く記述が目立つ。このバランス感覚も、本書の良さとして評価したい。

一方で著者の日記から次第に登場しなくなる人がいる。それは、被爆者たち、それも重症を負った人々のその後だ。もちろん、著者に悪気はない。だが本書が誠実な日記だけに、本書の記述から、重症者の人々がケロイドをはばかって病院や家に籠りがちになったことが推し量れる。戦後、後遺症で長く苦しめられる被爆者の未来すら、本書の日記から読み取ることができる。

なお、本書で著者は、あまり人を批判しない。批判された人物を挙げるとすれば、阿南陸軍大将だ。著者は本書の中で阿南陸相の自刃を責任逃れの卑怯なふるまいと二度にわたって指弾している。後世のわれわれは阿南陸軍大将の自刃の背景には責任逃れどころか、まれに見る高潔な誇りや責任感が伴っていたであろうことを知っている。でも、著者の感想は、戦争によって不自由を余儀なくされた銃後の、しかも原爆を落とされた人が戦争直後に抱く感想としてはきわめて正直な感想だといえる。

その怒りは、同時にアメリカにも向いている。それは正当なものだし、全ての被爆者が世を去ったあとも受け継がれていくべき怒りだ。だからこそ、オバマ大統領の広島訪問と慰霊碑への献花の意義は大きい。わたしが2016年度を代表するニュースとして重要視するゆえんでもある。

‘2016/11/28-2016/12/02


爆心 長崎の空


「長崎」という名を聞くと、日本史に興味を持つ者の心には、様々な想いが湧く。それは、荒ぶる戦国の中に宗教に救いを求めた衆生に対してであり、世界の宗教史でも特筆される真摯な殉教者たちへの共感であり、国論が揺れた幕末に海外に雄飛を企んだ英傑についてであり、一発の原爆に生を断ち切られた被爆者達が被った運命への憤りであり。

長崎が被ってきた歴史の波は、重層的で、かつ荒いように思える。

本作では、現代の長崎に生きる人々を描く。彼らは、何を心の裡に抱え、過去の出来事にどう苛まされ、どこへ行こうと望み、誰と将来を歩もうするのか。それらの思いを淡々と、丹念に描く。

冒頭、主人公の母が心臓発作でなくなる。その悲しみに心を乱されつつ、過ぎてゆく毎日を生きてゆく北乃きいさん演ずる主人公。そして、5歳の娘を亡くして1年、悲しみから立ち直れないままの稲盛いずみさん演ずる高森砂織。本作はこの二人の女性の受難と再生がテーマである。が、そのテーマを補強するようなエピソードも複数流れている。それは、辛い被爆体験を殻に閉じ込めたままの高森砂織の両親の告白であり、柳楽優弥演ずる主人公の幼馴染の、離島の貧窮の現実からの脱出である。

登場人物たちの再生が、8月9日に起こった複数の出来事によって、どのように成し遂げられていくか。彼らの再生は、長崎の歴史とどうやって折り合いをつけるのか。

本作では複雑なテーマを扱うに当たり、御涙頂戴的な演出や、原爆投下後の酸鼻な衝撃写真も極力避け、淡々とした描写の中で感動と余韻をもたらす。

原作は未読である。が、パンフからの情報によれば、原作では6話の連作短編であり、それらを本作にまとめ、しかも主人公は映画独自の登場人物という。もはや小説とは別の、新たな作品の創造といっても過言ではないかもしれない。

今回は、友人の高校時代の同級生が日向寺監督ということで、本日、初日の舞台挨拶にお招き頂いた。監督並びに俳優の皆様、音楽担当の小曽根さん、小柳ゆきさんと、同じ空気を共有させてもらった。素晴らしい時間を共有させてもらったことに感謝。お招き頂いた友人にも感謝。

追記・・・1ヶ月ほど前、NHKの取材班の手による「原爆投下 黙殺された極秘情報」を読んだ。その中で明かされたのだが、九州方面にボックスカーが飛行していることは、事前に日本の情報班ではキャッチしていたとか。それを読んでいただけに、なおさら本作の淡々とした描写が心に沁みた。

舞台挨拶付 2013/7/20 東劇