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BRANDY:A GLOBAL HISTORY


妻の祖父の残したブランデーがまだ何本も残っている。10本近くはあるだろうか。
最近の私は、それらを空けるためもあって、ナイトキャップとしてブランデーを飲むことが多い。一本が空けば次の一本と。なるべく安い方から。

こうやってブランデーを集中して飲んでみると、そのおいしさにあらためて気づかされる。おいしいものはおいしい。
まさに蒸留酒の一角を占めるにふさわしいのがブランデーだ。
同じ蒸留酒の中で、今人気を呼んでいるのはウイスキーやジンだ。
だが、ブランデーも酒の完成度においては他の蒸留酒に引けを取らないと思っている。
それなのに、ブランデーはバーでも店頭でもあまり陽の当たらない存在に甘んじているように思う。
それは、ブランデーが高いというイメージによるものだろう。
そのイメージがブランデーの普及を妨げていることは間違いない。

そもそも、ブランデーはなぜ高いのか。
ブランデーのによるものか。それなら、他の蒸留酒と比べてどうなのだろうか。原料はワインだけなのだろうか。ワインの世界でよく言う土壌や風土などによって風味や香りを変えるテロワールは、ブランデーにも当てはまるのだろうか。また、ブランデーの元となるワインに使用する酵母や醸造方法に通常のワインとの違いはあるのだろうか。蒸留に複雑なヴァリエーションはあるのだろうか。貯蔵のやり方に特色はあるのだろうか。
疑問が次から次へと湧いてくる。

そこで、一度ブランデーをきちんと勉強してみようと思い、本書を手に取った。
そうした疑問も含め、私はブランデーの知識を持ち合わせていない。そんな私にとって、本書はとても勉強になった。

そもそも、ブランデーの語源とは、焼いたワインを意味する言葉から来ている。
ブランデーの語源は、ウイスキーの歴史を学ぶと登場する。つまり、あらゆる蒸留酒の歴史は、ブランデーから始まっている可能性が濃い。

ブランデーには大きくわけて3つあるという。ワインから造るブランデー。ブドウではない他の果実から作られるもの(カルヴァドス、スリヴォヴィッツ、キルシュ)。ワインを造った時のブドウの搾りかすから造られるもの(グラッパ、マール)。
本書ではワインから造るものに限定している。

ブランデーの銘柄を表す言葉として、コニャック、アルマニャックの言葉はよく聞く。
では、その違いは一体どこにあるのだろうか。

まず、本書はコニャックから解説する。
当時のワインには保存技術に制約があり、ワインを蒸留して保存していたこと。
また、ボルドーやブルゴーニュといった銘醸地として知られる地で生産されるワインは、品質が良いためワインのままで売られていた。それに比べて、コニャック地方のワインは品質の面で劣っていたため、蒸留用に回されていたこと。
1651年の戦いの結果、ルイ14世から戦いの褒美としてワインや蒸留酒にかかる関税を免除された事。また、コニャック周辺の森に育つリムーザンオークが樽の材質として優れていたこと。

一方のアルマニャックは、コニャックよりも前からブランデーを作っていて、早くも1310年の文献に残されているという。
ところが、アルマニャック地方には運搬に適した河川が近くになく、運搬技術の面でコニャック地方におくれをとったこと。蒸留方法の違いとして、コニャックは二回蒸留だが、アルマニャックはアルマニャック式蒸留機による一回蒸留であることも特筆すべきだろう。

ブランデーの歴史を語る上で、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフィロキセラによる害虫被害は外せない。フィロキセラによってフランス中のブドウがほぼ絶滅したという。
それによってブランデーの生産は止まり、他の蒸留酒にとっては飛躍のチャンスとなった。が、害虫はブランデーにとっては文字通り害でしかなかった。

だが、フランス以外のヨーロッパ諸国にはブランデー製造が根付いていた。
そのため、コニャックやアルマニャックの名は名乗れなくても、各地で品質の高いブランデーは作られ続けている。著者はその中でもスペインで作られているブランデー・デ・ヘレスに多くの紙数を費やしている。

また、ラテンアメリカのブランデーも見逃せない。本書を読んで一カ月後のある日、私は六本木の酒屋でペルーのピスコを購入した。ブランデーとは違う風味がとても美味しいかった。これもまた銘酒といえよう。
購入直後に五反田のフォルケさんの酒棚に寄付したけれど。

ブランデーはまた、オーストラリアや南アフリカでも生産されている。アメリカでも。
このように本書は世界のブランデー生産地を紹介してゆく。
ところが本書の記述にアジアは全くと言って良いほど登場しない。
そのかわり、本書では中国におけるアルマニャックの人気について紹介されている。日本ではスコッチ・ウイスキーがよく飲まれていることも。
本書は消費地としてのアジアについては触れているのだが、製造となるとさっぱりのようだ。
例えば山梨。ワインの国として有名である。だが、現地に訪れてもブランデーを見かけることはあまりない。酒瓶が並ぶ棚のわずかなスペースにブランデーやグラッパがおかれている程度だ。

日本で本格的なブランデーが作られないのは、ブランデーが飲まれていないだけのことだと思う。
私は本書を読み、日本でもブランデー製造や専門バーができることを願う。そのためにも私ができることは試してみたい。

本書はコニャックやアルマニャックが取り組む認証制度や、それを守り抜くためにどういう製造の品質の確保に努力するかについても触れている。
期待がもてるのは、ブランデーを使ったカクテルの流行や、最近のクラフトディスティラリーの隆盛だ。
周知の通り、アメリカではビールやバーボンなど、クラフトアルコールのブームが現在進行形で盛んな場所だ。

本書のそうした分析を読むにつけ、なぜ日本ではブランデー生産が盛んではないのだろう、という疑問はますます膨らむ。

今、日本のワインは世界でも評価を高めていると聞く。
であれば、ブランデーも今盛り上がりを見せている酒文化を盛り上げる一翼を担っても良いのではないだろうか。
大手酒メーカーも最近はジンやテキーラの販促を行っているようだ。なのにブランデーの販促はめったに見かけない。

私もブランデーのイベントがあれば顔を出すようにしたいと思う。そして勉強もしたいと思う。
まずはわが家で出番を待つブランデーたちに向き合いながら。

‘2019/9/7-2019/9/8


ジンの歴史


ジンが熱い。
ジンが今、旬であることは、酒に興味がある人、特に蒸留酒の世界に興味を持つ人にとっては周知の事実だ。
昨今のジン界隈の盛況は、ウイスキーの盛り上がりにも引けを取らない。

去年の秋、Whisky Festival 2019 in TOKYOに参加した。
このイベント、タイトルはウイスキーと名乗っているが、ジンのブースも結構目立っていた。特に国内のクラフトジンはかなり数の蒸溜所が出店しており、ジンの盛り上がりを如実に感じた。

実際、会場のジンをいくつか試飲させてもらったが、それぞれに個性が認められる。
ジンだけを巡っていても決して飽きがこない。
実際、Whisky Festival 2019 in TOKYOの半年ほど前に天王洲で開かれたGIN FESTIVAL Tokyo 2019にも参加したが、GINだけで埋められた空間は、食傷どころか食指が伸びる一方だった。
Whisky Festival 2019 in TOKYOから四カ月ほど後、今度はWHISKY galoreでクラフトジンの特集が組まれていた。
WHISKYを専門とする雑誌でジンの特集が組まれるなど、異例だといえる。
そうした流れの目の当たりにし、ますます私の中でジンの興味が増す中で本書を手に取った。

本書が出版されたタイミングは、世界的なジンの復興が起こり始めた時期に等しい。
産業革命を目前にしたイギリス、ロンドンでは、ジンが社会風紀の乱れの象徴として槍玉に挙がっていた。
その事実は当時のロンドンを描いた文章を読んでいるとよく見かける。酒の歴史を扱った本では必ずと言ってよいほど。
つまり、ジンとは悪徳を体現したふしだらな酒、という印象がついて回っていたのだ。

そんな悪いイメージがついて回ったジンが、ここに来てなぜ大復活を遂げたのか。なぜ、今になってGINに脚光が当たっているのか。
それが気になって私は本書を手に取った。その理由を知るために、もう一度ジンを学び直すことも悪くない、と。

本書が扱うのはジンの歴史だ。同時にジンの歴史とは蒸留酒の歴史にもかぶる。
なぜならウイスキーをはじめ、蒸留酒の歴史はまだよく解明されていない。そして、ジンの製法がウイスキーの製法に影響を与えた可能性も大いにあり得るからだ。

今までにも私は、ウイスキーの歴史を取り上げた本を数多く読んできた。
そうした本を読んだ後の余韻には、なんとなくの収まりの悪さを感じていた。
その中途半端な感じは、ウイスキーの歴史には長らくの空白があることから生じていたようだ。本書は、そんな私のウイスキーに関する知識の欠落をいくつかの点で補ってくれた。

特に、中世のヨーロッパに決定的な影響を与えたペスト禍において、ジンに欠かせないジュニパーベリーの薬効が信じられ、人々がジュニパーベリーにすがった事実はジンの歴史において重要だ。
そもそも蒸留酒の起源を調べると、医薬品として用いられていた事実に行き当たる。
そうなると、続いて湧き上がる疑問は、数ある蒸留酒の中で最初に人々をとりこにしたのがなぜジンだったのかの理由だ。なぜブランデーやウイスキーではなく、ジンだったのか。
その理由は、ペストに苦しむ人々がジンのジュニパーベリーの薬効にすがっていた事実を知ると納得がいく。ペストに効くと人々が信じたジュニパーベリー。それを主要成分として用いたジン。

もう一つの興味深い事実は、ブランデーの存在だ。
もともとヨーロッパで広く飲まれていたのはビールでありワインだった。
特にキリスト教文化にとって、ワインは欠かせぬ飲みものであり、それを蒸留したブランデーは、他の蒸留酒と比べても先んじた地位を確立していた。

実際、本書によるとジュニパーベリーを蒸留酒に漬け込みはじめた当初、その蒸留酒とはブランデーだった。
ところが、ヨーロッパを覆った寒気と国際情勢は、北の国からぶどうを奪い去っていった。
そこで、人々は穀物を使った蒸留酒を作るようになり、ジンやウォッカ、ウイスキー、アクアビットがブランデーにとって変わっていったという。

ジンも当初は、ジュネヴァというネーデルランドの酒として生まれたという。そして、その味は今のジンとは似ても似つかぬものだったという。より濃厚でより芳醇な。私も前述のGIN FESTIVAL TOKYO 2019でジュネヴァを飲ませてもらったが、ジンの持つ清涼感がなく、個性に満ちた味だったように記憶している。

著者によれば現代のジンは味のついたウォッカだという。
そしてオランダ語でイエネーフェルと呼ばれたジュネヴァはジンの原点だという。また機会があれば飲んでみたいと思う。

続いて本書は、ジュネヴァがイギリスへと伝わり、粗悪な酒としてはびこる様子が描かれる。その様を称してジン・クレイズと呼ぶ。
著者はこうした表現によってジンを陥れようとしているわけではない。
むしろ、当時のロンドンの世相を陰惨なものにしていたのは貧困だった。貧困に至る社会制度。
それこそが当時のロンドンを支配していた悪だった。
そのため、民は粗悪で安いジンに群がった。当時重税が掛けられたビールの代わりとして。
それがジンの悪名の元となり、今に至るまで影響を与え続けている。

ところがロンドン・ドライ・ジンが生まれたことによって状況が変わった。
ジンといえばイギリスというイメージがつき始める。
それはイギリスの海軍が強大になり、それが各地、各国の産物を集結させたため、品質の向上に拍車がかかった。
さらにコフィ式連続蒸溜器の発明がジンの品質を劇的に向上させた。
次いで、さまざまな果実とジンを混ぜる飲み物が流行し、それはアメリカの自由な雰囲気の中でカクテルとして開花し、世を風靡する。

そればかりか、ジンはアメリカでギムレットのベーススピリッツとして好まれ、その他のさまざまなカクテルのベースにもなる。そうやって、ジンの活躍の場は増大していった。
時代は1920年代。後々にまで語り継がれる華美に輝いた時代。そして、アメリカがつかの間の繁栄を謳歌した時代。
カクテルはあちこちで飲まれ、ジンはあまりにもメジャーな存在となった。
ところが、それがメジャーになりすぎ、さらに禁酒法がジンにさらなる逆境となり、いつのまにかジンは時代から取り残された存在となった。匂いのないウォッカにその座を奪われて。

すっかり主役の座から降ろされたジン。長い間、時代遅れの酒の代名詞であったジン。
それが変わったのがボンベイ・サファイアの登場だ。水色の清々しい瓶は鮮烈で、それまでのジンが門外不出を旨としていたのと違い、レシピを公開した。
ボンベイ・サファイアの登場によってジンの歴史に新時代が到来した。

そしてそこからヘンドリックスジンをはじめとしたあまたのジンが追随し、今の世界的なクラフトジンの繁栄へと至る。

こうしてジンの歴史を概観すると、ジンのベースがプレーンだったことが、ジンに大いなる可能性を与えたことは間違いない。
プレーンであるが故、ボタニカルを無限の組み合わせることもできる。それは既存の蒸留酒にないあらゆる伸びしろをジンに与えたのかもしれない。

私も本書を読み、またジンの専門バーやGIN FESTIVALに行ってみたくなった。今年はコロナの影響で中止だとか。それが残念だ。

‘2019/3/10-2019/3/24


ウイスキー起源への旅


私はウイスキーが好きだ。まだ三級しか取っていないが、ウイスキー検定の資格も得た。ウイスキー検定試験といってもなかなか難しい。事前に出題される問題を予習することが求められる。予習の中でウイスキーの歴史をひもといた時、まずでてくるのがウイスキーがはじめて文献に出てきた年だ。

1494年に出された文書にある「王の命令によりアクア・ヴィテ製造用に8ボルのモルトを修道士ジョン・コーに支給する」という文言。それがウイスキーの名前が文献に出てくる最初だという。

ウイスキーを好きになる時、味や香り、豊富な銘柄の豊富さにまず目がいく。続いて、ウイスキーの歴史にも興味が出てくる。それは、ウイスキーが時を要する飲み物であることが影響しているに違いない。出来上がるまでにぜいたくな時間が欠かせない飲み物。それを古人はどうやって発見し、どのように磨き上げてきたのか。わたしのような歴史が好きな人間はともかく、教科書を暗記するような歴史に興味がない方でも、ウイスキーに魅了された途端、ウイスキーの歴史に興味が出てくるはずだ。

だが、ウイスキーの歴史を把握することは案外と難しい。むしろ難解といっても良いぐらいだ。ウイスキーが史書に現れるのは、先に書いた通り1494年のこと。ただし、それ以降とそれ以前のウイスキーの歴史には謎が多い。それは、民が勝手気ままに醸造と蒸留を営み、時には領主の目を盗み、密造とは切っても切れないウイスキーの性格にも関係がある。つまり、ウイスキーの歴史には、体系だった資料は残されていないのだ。

だから、本当に1494年になるまでウイスキーは作られなかったのか、との問いに対する明快な答えは出しにくい。それが、ウイスキーの歴史に興味を持った者が抱く共通の疑問だ。同時にミステリアスな魅力でもある。

著者はその疑問を、ウイスキーの研修で訪れたスコットランドのエジンバラで強くいだく。というか疑問のありかを教わる。名も知らぬ老人。彼は著者に、ウイスキー作りは、ケルト民族の手によって外からスコットランドにもたらされた、と語る。外とはアイルランドのこと。つまり、アイルランドでは1494年よりもっと以前からウイスキーが作られていたはず。著者はそのような仮説を立てる。本書は、その仮説を立証するため、著者は費やした広大な旅と探求の記録だ。

著者はサントリーの社員だ。そして長年、ウイスキー部門に配属されていた。毎日の業務の中で、ウイスキーに対する見識を鍛えられてきた。本書のプロローグには、著者が農学部の学生の頃からゼミの教授にウイスキーをはじめとした蒸留酒について啓蒙されてきたことも記されている。著者はもともと、酒類全般への造詣が深く、酒つくりの起源を調べるための基本知識は備えていたのだろう。その素養があった上に、旅先での老人からの示唆が著者の好奇心を刺激し、著者のウイスキーの起源の謎を解く旅は始まる。

著者が持つお酒に関する教養のベースは、本書の前半で折々に触れられて行く。教授から教えられたこと。ウイスキーに開眼した時のこと。安ワインで悪酔いした学生時代から、後年、高級ワインのおいしさに魅了され、ワインの奥深さにはまっていったこと。ウイスキー作りに携わりたいとサントリーを志望し、入社したことや、そのあと製造畑で歩んだ日々。ウイスキー作りの研修でスコットランドやアイルランドに訪れた事など。そこには苦労もあったはずだが、酒好きにすればうらやましくなる経歴だ。

まずはエジプト。著者はエジプトを訪れる。なぜならエジプトこそがビールを生み出した地だからだ。ビールが生み出された地である以上、蒸留がなされていてもおかしくない。蒸留が行われていた証拠を探し求めて、著者はカイロ博物館を訪れる。そこで著者が見たのは、ビール作りがエジプトで盛んであった証拠である遺物の数々だ。旧約聖書を読んだことがある方は、モーゼの出エジプト記の中で、空からマナという食物が降ってきて、モーゼに着き従う人々の命を救ったエピソードを知っていることだろう。そのマナこそはビールパン。ビールを作るにあたって作られる麦芽を固めたものがマナである。しかし、イスラエルにたどり着いて以降のモーゼ一行に、マナが与えられることはなかった。なぜなら、イスラエルは麦よりもブドウが生い茂る地だったからだ。エジプトで花開いたビール文化はイスラエルでワイン文化になり替わった。

この事実は後年、アラビアで発達した蒸留技術がウイスキー造りとして花開かなかった理由にも符合する。そもそも蒸留技術それ自体は、イスラム文化よりずっと前から存在していたと著者は説く。エジプトでも紀元前2000年にはすでに蒸留技術が存在したことが遺物から類推できるという。しかし、蒸留技術は記録の上では、ミイラや香油作りにのみ使われたことしか記録に残っていないらしい。酒を作るために蒸留が行われた記録は残っていない。このことが著者の情熱にさらなる火をくべる。

一方、キリスト教の一派であるグノーシス派の洗礼では「生命の水・アクアヴィテ」が使われていたという。それはギリシャ、イタリア、フランスで盛んだったワイン製造が蒸留として転用された成果として納得しうる。ワイン蒸留、つまりブランデーだ。それがローマ帝国の崩壊後、今のヨーロッパ全域に蒸留技術が広まるにつれ、酒として飲まれるようになる。そして、ドイツ・イギリスなどブドウが成らない北の国では穀物を基にした蒸留酒として広まっていった。

著者はウイスキー造りの技術が1494年よりずっと以前に生まれていたはず、との仮説を胸に秘め、調査を進める。ついで著者が着目したのが、アイルランドに伝わったキリスト教だ。アイルランドのセント・パトリックスデーは緑一色の装束でよく知られている。その聖パトリックがアイルランドでキリスト教を布教したのは4~5世紀の事。当時のアイルランドには、ローマ帝国の統治がぎりぎり及んでいなかった。ところが、すでにキリスト教が根付いていた。後にキリスト教がローマ帝国全域で国教とされる前から。そればかりか、土着のドルイド教とも融合し、アイルランドでは独自の文化を築いていた。その時に注目すべきは、当時のブリタニアやアイルランドではブドウが育たなかったことだ。ローマ帝国にあった当時のアイルランドやブリタニアでは、ワイン文化が行き渡っていたと思われる。ところが、ワインが飲めるのは、ローマからの供給があったからこそ。ところが、ローマ帝国の分裂と崩壊による混乱で、ワインが供給されなくなった。それと同時に、混乱の中で再び辺境の島へ戻ったブリタリアとアイルランドには、独自のキリスト教が残された。著者はその特殊な環境下で麦を使ったアクアヴィテ、つまりウイスキーの原型が生まれたのではないかと推測する。

このくだりは本書のクライマックスともいうべき部分。ウイスキー通に限らず、西洋史が好きな方は興奮するはず。ところが、アイルランドのあらゆる遺跡から著者の仮説を裏付ける事物は発掘されていない。全ては著者の想像の産物でしかない。それが残念だ。

本書はそれ以降、アイルランドの歴史、アイルランドでウイスキー造りが盛んになっていたいきさつや、スコットランドでもウイスキー造りが盛んになっていった歴史が描かれる。その中で、著者はアイルランドでなぜウイスキーが衰退したのかについても触れる。アイルランドでの製法にスコッチ・ウイスキーでなされたような革新が生まれなかったこともそう。アイリッシュ・ウイスキーにとって最大の市場だったアメリカで禁酒法が施行されたことなど、理由はいろいろとある。だが、ここ近年はアイルランドにも次々と蒸留所が復活しているという。これはウイスキーブームに感謝すべき点だろう。

本書で著者が試みた探索の旅は、明確な証拠という一点だけが足りない。だが、著者の立てた仮説には歴史のロマンがある。謎めいたウイスキーの起源を解き明かすに足る説得力もある。

何よりも本書からは、ウイスキーのみならず、酒文化そのものへの壮大なロマンが感じられる。酒文化とともに人々は歴史を作り上げ、人々の移動につれ、酒文化は多様な魅力を加えてきた。それは、酒好きにとって、何よりも喜ばしい事実だ。

‘2018/7/29-2018/08/13


プレミアムテキーラ


私の家にはちょっとしたミニバーを設えている。

並んでいるボトルはほとんどがウイスキーだ。だが、ウイスキー以外にもリキュール、ラム、ジン、焼酎(米・芋・麦・黒糖)、ウォッカ、ブランデー、アクアビット、ピンガ、アラックなどをそろえている。かつてはカルヴァドスやミードも棚に並んでいた。

だが、一度も並んだことのない蒸留酒があった。それがテキーラ。どうも苦手意識を持っていたのだ。その状態が改まったのは2年ほど前。仕事で西荻窪に数度訪れる機会があり、「Bar Frida」さんに伺った。テキーラ専門のバーという珍しさにふらっと寄らせていただき、テキーラの量に圧倒された。私がそれまで知っていたテキーラのブランドと言えば、SAUZAやJose Quervoくらい。だが「Bar Frida」さんのバックバーには私の知らないテキーラがずらりと並んでいた。メニューにも詳細に各銘柄の味や特徴が記されており、私のような初心者にも頼みやすかった。

その時はバーテンダーさんが常連さんとの会話に入ってしまい、あまり喋る事ができなかった。私もあまり長居しなかったのでどういった銘柄を頼んだのかは覚えていない。だが、テキーラがバラエティにあふれ、おいしい事だけは私の知識として刻み付けられた。それは同時に、私の長年のテキーラへの苦手意識を払拭してくれた。ただそれ以来、いくつものBarに訪れているが、どうしてもウイスキーに目が行き、頼んでしまう。そしてテキーラを飲む機会はなかなか訪れなかった。

そんなところに図書館で本書を見つけた。装丁には気合が入っている。中身もほぼカラー。意気込みが感じられる。著者はメキシカンの方。長年日本で仕事をし、今はテキーラを日本に紹介・輸入する仕事をしているそうだ。

私は本書で初めてテキーラを体系的に知った。多分、私のような方は多いのではないか。テキーラについてはあまり知らないという方が。そんな方のために、本書は冒頭からテキーラに関する誤解を解きにかかる。例えば。テキーラはサボテンでできている。テキーラには虫が入っている。テキーラは強い酒で二日酔いする、などなど。

実は私も誤解していた。テキーラの原料がリュウゼツランであることは知っていたが、なんとなくそれはサボテンの一種だと思っていた。でも全く違う種だ。テキーラに虫がはいっていることもそう。一部のテキーラには虫が入っていると思っていたが、正確には「一部のメスカルには虫を衛生的に処理して入れている」が正しい。メスカルはリュウゼツランを使ったメキシコの蒸留酒だが、特定産地で育った特定種のリュウゼツランをテキーラ村周辺で蒸留したメスカルがテキーラと呼ばれるのだ。そして虫を入れたテキーラはない。虫を入れたメスカルはあるが。そしてテキーラはメキシコ政府や業界団体によって品質管理や統制をきっちり行っており、メスカルとテキーラには一線が引かれている。また強い酒で二日酔いするとは、幻覚症状が出るとの誤解もあったようだ。実際は他の蒸留酒と同じぐらいの度数。他の蒸留酒では二日酔いしてもテキーラは平気な方がいるらしい。もっともそれは体質にもよるのだろうが。

本書は製法や産地、特徴など網羅してテキーラを紹介している。特定種のリュウゼツランであるブルーアガベと水のみを使った製品がプレミアムテキーラと呼ばれるとか。ラムのようにさとうきびの糖蜜を原料に混ぜることもあり、そちらはミクストテキーラと呼ぶようだ。そして本書はプレミアムテキーラを特に紹介している。写真と解説付きで図版で紹介しているが、読んでいるだけで楽しくなる。ウイスキーやラムにも同様にカラーを駆使した図説をちりばめた図鑑のような本がある。本書もそれらの本と同じように精細に楽しくテキーラを紹介している。それらの図面はとてもおいしそうで、読みながら飲みたくてたまらなくなったほどだ。他にもカクテルレシピやテキーラに合う料理など、全てがカラー図版で占められている。とてもぜいたくな一冊だと思う。

本書は全ての蒸溜酒愛好者にオススメの一冊だ。私はこれを読んだ後、テキーラを衝動的に飲みたくてたまらなくなり、スーパーの酒売り場に足を運んでしまった程だ。そこにプレミアムテキーラが見つからなかったので、翌日には酒の専門店に行きLUNAZULのレポサドを購入してしまった。LUNAZULは我が家のミニバーに収まった初めてのテキーラ。それぐらい本書に載っているテキーラはおいしそうなのだ。

さらに本稿をアップする数カ月前、たまたま見ていたテレビの「クレイジージャーニー」で日本人で唯一、本場のテキーラ蒸留所でテキレロ(テキーラ職人)として働いている景田哲夫氏のことを知った。カスカウィン蒸留所で働く氏の、フロンティア精神に溢れた旅を見ていると、またまたテキーラに惹かれてしまったのだ。LUNAZULもそろそろ空きそうなので、次はカスカウィンを購入したいと思っている。

‘2017/04/20-2017/04/20


ウイスキーは日本の酒である


山崎蒸留所を独り訪問したのは、平成27年4月末のこと。高校時代の友人たちとの再会を前にし、僅かな合間を縫っての見学だったが、貴重な時間を過ごすことができた。

山崎の駅に降り立った私。駅鉄と称して駅のそこらを撮りまくっていた。と、私の視線が窓口で切符購入の順番を待っていた人物を認める。その途端、その人物から目を離せなくなった。その人こそ、本書の著者輿水氏である。

私の眼差しに気付いたのか、氏の視線も私に注がれた。咄嗟に面識もないのに会釈してしまった私。本来ならば、会話の一つも交わしたいところだが、気楽な旅人である私と違い、スーツに身を包んだ氏は明らかに所用でお急ぎの様子。窓口の順番を気忙しく待つ氏に声を掛けるのも憚られ、遂に会話することなく、歩み去る後ろ姿を見送った。もちろん写真などもっての他。

本書は、つかの間の邂逅の後に訪れた山崎蒸留所の売店で、記念に購入した一冊である。

私が著者を見掛けてすぐにご本人と気づいたように、ウイスキー好きで著者を知らぬ者はいない。ここ十年、ジャパニーズウイスキーが世界中で賞賛され、名だたる賞を獲得している。著者はその中にあってサントリーのチーフブレンダーとして世に知られた存在である。雑誌や広告でお顔を見掛けたのも一度や二度では済まない。いわば日本のウイスキー業界の広告搭といっても過言ではないだろう。

本書は著者が満を持して、一般向けにウイスキーの魅力を語り尽くした一冊である。今までの本書の存在は知っていたが、何故か縁がなく未読であった。しかし、今回の偶然の出会いがなくとも、遅かれ早かれ手に取っていたであろうことは確信できる。

内容もまた含蓄に富んでいる。一般向けとはいえ、私のようなウイスキー愛好家にとっても充分楽しめる内容となっている。本書には、ブレンダーとしての著者のバックグラウンドにある経験や哲学が詳しく説明されている。それが本書の内容に深みを与えている。

著者はブレンダーとなる前、ウイスキーの製造現場を広く長く勤めたという。単なるブレンディングだけでなく、熟成やボトリングなど、ウイスキー製造工程の広範囲を経験したことが本書で紹介されている。充実していたであろう著者の職歴から得られた経験が、チーフブレンダーとしての製品造りにどれだけの貢献をもたらしたかは言うまでもない。

本書の中で特に印象に残ったのは、著者の控えめな姿勢である。

サントリーという企業が後ろに控えていると、文中からは自身の属する企業礼賛のような色合いが出てしまいがちだ。しかし本書からはそういった印象を受けない。もちろんサントリーに所属する著者であるから、記されているのはサントリーに関する内容が多い。しかし、ニッカウイスキーやキリンシーグラム、本坊酒造やベンチャーウイスキーといった本邦のウイスキーメーカーとサントリーを比べて優劣を云々する記述は全く見られない。むしろ、それらの同業者に対しては、ともにジャパニーズウイスキーを盛り立てる戦友としての扱いに終始している。今や、ジャパニーズウイスキーは名実ともに世界の五大ウイスキーの一角を占めている。だからといってジャパニーズウイスキーを持ち上げるため、他のスコッチやアイリッシュ、カナディアン、アメリカンを貶めることもない。題名こそ若干自尊心が感じられるものになっているが、内容はあくまで謙虚だ。ジャンルや国を超え、本書にはウイスキーに関わる全ての文化への尊敬と愛情が満ちている。

序章に、本書執筆に当たっての著者の想いが述べられている。曰く、「正直、これまで、ブレンダーたちは、自らの仕事を積極的に語ることをしてこなかったような気がします。そのため、私たちの仕事が、神秘のヴェールに覆われたものと思われているようにも感じます。
しかし、複雑系の酒であるウイスキーは、やはり、作り手側が、分からないところは分からないこととして、どんな酒であるのかを語ってゆくことが必要なのではないか、と思うのです。」と。

この語り口である。控えめであり、かつ、とても上品な口調。それが本書全体を通して「天使の分け前」のようにじみ出ている。「天使の分け前」とは熟成の間に樽の隙間から蒸発してゆくウイスキーの中身のことであり、それが熟成庫の中に何とも言えない香りを充満させる。本書の語り口は、まさに熟成庫に入った時に感じられる馥郁とした香りそのものであり、読み応えや余韻は上質のウイスキーのようである。

本書の一章、二章は、日本のウイスキーの紹介に割かれている。材料や製法、風土など、本場となにが違い、どこに特徴があるのか。山崎・白州の両蒸留所の特色から始まり、ジャパニーズウイスキー独自のミズナラ樽の紹介をはじめとした樽の種類の説明。貯蔵場所や樽を自由に組み合わせ、一つのメーカーだけで様々な原種を産み出すことのできるジャパニーズウイスキーの強み。樽すらも自社製造にこだわる姿勢。世界で評価されるジャパニーズウイスキーの秘密が本章では惜しげもなく明かされる。

第三章では著者の職歴が披瀝される。武蔵小杉の多摩川工場でのボトリングから、中央研究所への抜擢。中央研究所では熟成の研究に没頭し、樽と熟成に関して経験を積む。続いて山崎蒸留所での品質管理、次いで貯蔵部門。そのような現場を経て、ブレンダー室へ異動となる。ここらの下りを読むと、サントリーという会社の人事計画の妙が垣間見えて興味深い。製品化まで長い時期を必要とするウイスキー。そのウイスキーを扱う会社であるがゆえに、人事計画まで周到な時間を見越して立てる社風が確立しているのかもしれない。著者も本書の168ページで、製樽と貯蔵の工程を経験することはウイスキーの現場に必須と述べている。

ブレンダー室でブレンダーとしてのあれこれを一から覚え込んだ著者。その努力によって「膳」の開発を任される。杉樽を使用し、竹炭濾過を採用した膳はヒットし、著者の名声も上がる。「膳」は発売当時、私も親しんだ記憶がある。しかし、続く「座」が不発となる。著者の挫折である。この経験と挫折について、著者は率直に語っている。その姿勢はビジネスだけでなく、人生訓としても深く私の心に刻まれた。

第四章では、「響12年」を産み出した経緯が記される。日本を代表するブレンデッドウイスキーの12年物をという声に応え、著者は味の組み立てを明かす。ブレンデッドウイスキーとしての「響」の味の組み立てを苦心して創り上げた下りは、本書のハイライトである。普段はシングルモルトを好む私だが、この部分を読んでいるだけで無性に「響」が、「響」だけでなく他のブレンデッドウイスキーも含めて呑みたくなった。

第四章では、ブレンディングの手順や取り組みにあたっての姿勢などが惜しげもなく披露される。その中には著者の生活習慣も含まれる。よくブレンダーの素養として、暴飲暴食を避け刺激物の摂取を控えるといった自己管理の重要性が言われる。しかし、本章で紹介されるエピソードからは、それ以上に規則正しい生活習慣もブレンダーに不可欠な素養である事が読み取れる。

わずかな味や臭いの変化を感じとるためには、普段から澄み渡った不動の構えが必要。それは良く分かる。不動の構えであるからこそ周囲の波動の揺らぎを感ずることができるのだろう。私もせめて、バーにいる間はそのようでありたいものだ、と思った。

続けて本書はブレンディングの精髄ともいえるテイスティングの紹介に移る。エステリー、ピーティー、ウッディと言った用語。これらの用語は土屋守氏やマイケル・ジャクソン氏の著作、またはウイスキーマガジンなどにおいて頻繁に登場する。そういった用語が円形にカラーチャートのように並べられるフレーバーホイール。これはテイスティングにおいて必携の書であり、著者の説明もそれに沿って行われる。

ここで著者は、そういった語彙を駆使しつつ、ブレンディングの妙を披露する。しかし、所詮は文字。行き着くところは読者の脳内での理解でしかない。ブレンディングには実践が不可欠であることは云うまでもない。

それに関して著者が面白い意見を語っている。それは、ウイスキーづくりは、音楽よりも絵画を描く行為に近いのでは、というものだ。絵画を描く。それは著者のブレンディング技術の根幹に触れたようでとても興味深い。嗅覚と味覚と視覚。この組み合わせを人工知能が代替する日は来るのだろうか。常々思うのだが、ITやAIがあらゆる職種を侵食する中、最後まで人類が守り抜ける職種とは、ブレンダーや調香師といった五感を駆使する仕事だけではないだろうか。私の個人的な想いとしても、ロボットがブレンディングを行うような光景は見たくないものだ。

第六章では、最近のジャパニーズウイスキーの躍進ぶりが紹介される。ここでも一貫しているのが、先に挙げたとおりウイスキー文化と歴史に対する謙虚な姿勢だ。謙虚な姿勢を象徴するかのように、おわりに、の末文で著者の呟きが引用される。「まだ私はウイスキーというものが分からない」と。

これからのジャパニーズウイスキーも、この謙虚さを忘れずにいて欲しいと思う。効率化の誘惑に負けずにいれば、世界一の名声に相応しいだけの製品を作り続けられるに違いない。私は本書を読んでそう確信した。

そして私もまた、ウイスキー愛好家の一人として、謙虚にウイスキーの魅力に関わって行ければこの上なく嬉しい。そう思っていたところ、某所で行われたウイスキーのイベントで土屋守氏にお会いする機会に恵まれた。また、そのご縁でウイスキー検定にも合格することが出来た。

私も引き続き奢らず謙虚にウイスキーの道を究めてゆけば、いつかは著者と相対する機会を頂けるかもしれない。是非、その際は肉声でウイスキー作りの真髄を伺ってみたいものである。

‘2015/5/7-2015/5/8