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土門拳の写真入門―入魂のシャッター二十二条


「もっと早く本書を読んでおけば」
本書を一読しての私の感想だ。新刊本で購入した本書。あろうことか、一年以上も積ん読状態にしていた。怪しからぬ扱いを本書にしていたと反省している。そもそもなぜ本書を購入したか。それは自分の撮った写真の質に飽きたらなかったから。

三、四年前からFacebookに毎日写真付き投稿を行っている。投稿にあたって自分に課した縛りとは、毎日、自分自身が撮影した、違う被写体の写真を投稿すること。そのココロは日々が単調に陥るのを防ぐことにある。さらにFacebookは実名なので自然と文章に責任が伴う。だらだらと匿名で文章を書き散らすのではなく、締まりのある投稿を習慣付けたかった。その二点については日々のFacebookへの投稿を通して成果が出たと思っている。が、肝心の写真の品質はといえばまだまだ。被写体の見栄えが良ければたまに良い写真は撮れた。しかしそれは素材自体の出来がよいから。私ではなくて他の人による同じようなアングルの写真など、Instagramやflickrを覗けば無数に落ちている。

もっと私の個性を写真に出したい、写真に魂を込めたい。そのことをずっと思っていた。もっともっと日々の生きざまをくっきりと刻むような写真が撮りたい。そういった写真を毎日撮り収めたい。

が、私の写真で満足できる出来はごくわずか。やはり独学ではなく、きちんと学ばねば。そう思っていた私が書店で見かけたのが本書。他にも写真撮影入門が並ぶ中、本書は他と比較した上で購入した。

なのに本書を一年以上も平積みのままにしていた。それではせっかく本書を新刊で買った甲斐もない。

本書は土門拳氏の生涯を取り上げている。土門氏についての私の知識はないに等しかった。もちろん写真家として一時代を築き上げた人という認識は持っていた。でも土門氏の代表作はと問われても黙るほかなかった。そんな私の浅い知識は、本書に描かれる土門拳氏の写真への執念にガツンとやられた。本書は読者に写真を撮る事への覚悟を突き付ける。

そもそも本書は、私が漠然と期待したような写真ノウハウ本ではない。写真の技法に触れた記述ももちろんあるがそれはごく一部。それよりも土門拳氏の写真への執念と被写体の本質を原版に焼き付けるための不屈の魂を伝えるためにのみ書かれたといってよい。本書から私は他の書籍ではおそらく得られなかったであろう写真の心を受け取ったように思う。

例えば人の肖像写真を撮る前にはその人についてのありとあらゆる文献に目を通す。被写体が仏像であれば、創られた時代背景、彫仏師の生きざま、思想などなど。土門氏は単にファインダーに写るモノを切り取るだけの写真屋ではない。土門氏は対象の質感はもちろんのこと、写真に写るはずのない対象の情念すらもファインダーに捉えた上でシャッターを切る。

私がアップした写真も含め、巷のSNSには写真が溢れている。けれどもその中に土門氏が被写体に対して燃やした情熱と同じ熱量の写真はあるのだろうか。多分ないだろう。高価なレンズを用意し、貴重なネガに感光させ、慎重を期して現像液に浸し、ようやく現像できる土門氏の時代。その頃に比べると今は恵まれている。撮り損じてもすぐに削除できるデジタルカメラ。即座に自分の写真を世界に発信できるインターネット。われわれには、もはや氏の求道心を真似ることは不可能なのだろうか。私はこれを書いている今もなおデジタルカメラの便利さに頼っている。時間のない事を言い訳にして。

本書を読み終えて数日後、知り合いの方からFacebook経由で御招待を頂き写真展を訪問した。

そこで見たものは、土門氏の好む被写体ではなかったかもしれないが、私の好む被写体だった。すなわち山。そこで展示されている写真は、SNSに氾濫する写真とは対極にある。自然と対峙した写真家が、刻一刻と変わる被写体の一瞬を切り取る。寒い中、シャッターチャンスを待ち続ける写真家の志は、土門氏のそれを継承するといってもよいだろう。

この展示会で思ったことはもうひとつある。それは、写真を選ぶということだ。ここで出展した写真家のほとんどは、一人あたり多くて二点の出展にとどめている。展示された一枚の写真の背後にはその何十倍、何百倍の写真があるはずだ。土門氏も写真集の発刊に当たっては掲載点数の数百倍の写真を撮ったという。

写真家とは、撮る労力を惜しまず、選ぶ労力も引き受けるから写真家なのだ。ことに被写体を徹底的に調べ抜く土門氏の労力は抜きん出ていると思う。そのことは本書に明らかだ。

撮り忘れた一枚を思い出したとの理由で広島への夜行に飛び乗っていった話。それも本人の結婚記念日当日と言うのだから奮っている。二度の脳卒中を経て体の動かぬ中、投げ入れ堂を撮るために全身をぐるぐるに縛らせ持ち上げさせた話も壮絶だ。土門氏の写真への鬼気迫る姿勢を物語るエピソードは本書に豊富に紹介されている。本書から伝わってくる土門氏の写真家としてのプロとしての意識は凄まじいと言うしかない。

さて、写真に対する姿勢のいい加減な私である。毎日違う被写体で、という目標を立てたのだから毎日違う被写体をアップするのはいい。私の場合、投稿は一日一回と決めている。けれどアップしたい写真には限りがない。そんな中選んだのが複数写真を一つにまとめる策だ。でも、複数の写真を並べて一つの写真としてアップするのは本書を読んだあとでは恥じ入るしかなかった。上に挙げた展示会に出展するような方々や土門氏から言わせると、複数写真を組み合わせる私のやり方は素人写真の典型なのだろう。自分でもそう思う。私はその状態を改善するため、不定期ではあるがInstagramにも写真をアップし始めた。これかなと思う写真を一点選び、写真をフィーチャーするためキャプションは最低限の言葉に留めている。タグをいっぱい付け、多くの人に配信されるようにしている。写真の顕示に特化しているため、思ったよりも反応がある。

でも、まだ足りない。油断するとすぐに写真がダレてしまう。まずは機会を見て土門氏の「ヒロシマ」「古寺巡礼」を観てみようと思う。気合の入った写真から学ぶものはまだまだたくさんある。一眼レフカメラはそれからだ。

‘2016/05/08-2016/05/08


竹鶴政孝とウイスキー


ジャパニーズウイスキーが国際的に評価されている。

最近はジャパニーズウイスキーの銘柄が国際的なウイスキーの賞を受賞することも珍しくなくなってきた。素晴らしい事である。ウイスキー造りには勤勉さと丁寧さ、加えて繊細さが求められる。風土、環境以外にも人の要因も重要なのだ。日本にはそれら資質が備わっている。近年になってジャパニーズウイスキーが賞賛されている理由の一つに違いない。

今のジャパニーズウイスキーの栄光は、全てが本書の主人公である竹鶴政孝氏の渡英から始まった。まだ日本に洋酒文化が根付かず、ウイスキーの何たるかを日本人の誰も知らぬ時代。そんな時代に竹鶴氏は単身スコットランドで学ぶ機会を得た。そして、そこで得た知見を存分に発揮し、日本にウイスキー文化の種を蒔いた。山崎、余市、宮城峡。どれもがジャパニーズウイスキーを語る上で欠かせない蒸留所だ。竹鶴氏はこれら蒸留所の設計に欠かせない人物であった。

それらの蒸留所を設計するにあたり、竹鶴氏が参考としたのは自らがスコットランドで実習した成果をノートにまとめたものだ。通称竹鶴ノート。

この竹鶴ノート、実は私は見かけたことがある。見かけただけでなく、手にとってページを繰ったことさえある。本書でも触れられているが、以前六本木ヒルズで竹鶴ミュージアムというイベントがあった。そこでは竹鶴ノートの現物が展示ケースに収められていた。私ももちろんじっくりと拝見した。さらに後日、麹町のbar little linkさんでは、関係者に限り複製頒布されたノートを見、それだけだけでなくページまで繰らせて頂いた。

竹鶴ノートの細かな描写からは、求道者の熱意が百年の時を超えて感じられる。日本に本場のスコッチウイスキーを。考えてみれば凄いことだ。あれだけの原材料をつかい、あれだけの時間をかけて熟成される製品を、ノートと記憶だけを頼りに地球の裏側にある日本で再現するわけだから。ITの恩恵に頼り切った現代人にはとてもできない芸当だ。

そんな求道者の風格を備えた東洋人に、リタ夫人が惹かれたのも分かる気がする。当時、どこにあるかも良く知らない東洋の国日本。スコットランドの女性が国際結婚で向かうには人生を賭けねばならない。そんな決断を下し、日本に来た竹鶴夫妻の日々は、想像以上にドラマチックだったことと思う。それが今「マッサン」としてNHKで朝の連続ドラマとなる。素晴らしいことだ。店頭から竹鶴や余市、宮城峡といった年数表示のモルトウイスキーが姿を消すぐらいに。「マッサン」は日本人にもわが国にこれほどのドラマと、これほどの魂のこめられた製品があったことを知らしめたと思う。

本書が「マッサン」を機に企画された事は否めない。だからといって、本書は単なるブーム便乗本と判断するのは早計だ。そうでない事は本書を読めば一目瞭然。なぜならば、「マッサン」のウイスキー考証は、我が国ウイスキー評論の第一人者である著者が担当したからだ。そして本書は考証の成果の一環として書かれた事は明らかだ。本書はいわば「マッサン」の副産物として世に出たといえるだろう。だが副産物とはいいながら本書は「マッサン」の絞りかすどころか、さらに深い内容を含んでいる。

本書の構成は三部からなっている。第一部は、マッサンとリタの歩みを概括している。それも単なる「マッサン」の粗筋ではない。日本の洋酒業界事情もそうだが、竹鶴氏の生い立ちから筆を起こしている。竹鶴氏が広島の竹原で今も日本酒醸造を営んでいる竹鶴家の一族である事はよく知られている。本書はその辺りの事情からなぜ摂津酒造に入社したのかと言う事情にも触れている。さらには摂津酒造の社長阿部氏が政孝青年をスコットランドにウイスキー留学させようとした経緯までも。もちろんスコットランドでの竹鶴夫妻の馴れ初めや修行の様子、日本に帰ってからの壽屋入社と大日本果汁の設立といった足取りもきちんと押さえている。

続いての第二部は本書の肝だ。竹鶴ノートが著者の注釈付きで全文掲載されているから。日本にウイスキーをもたらした原典。それはすなわち当時の本場ウイスキー製造の様子を伝える一級資料でもある。そして竹鶴ノートはウイスキー製造の時代的な変遷を追う上で優れているだけではない。今はなき蒸留所の製造事情を伝えていることも貴重なのだ。竹鶴氏が実習したヘーゼルバーン蒸溜所は今はもうない。ヘーゼルバーンがあったキャンベルタウン地区も、当時はスコッチ先進地域だったにもかかわらず衰退してしまった。今でこそスコットランド各地で蒸溜所が次々と復活・新設され、シングルモルトブームに湧いているが、それでもなお、キャンベルタウンには復活した一つを加えても三つしか蒸溜所がない。竹鶴氏が留学した当時はキャンベルタウンにある蒸留所の数は二十をくだらなかったというのに。その意味でも竹鶴ノートは貴重な資料なのだ。

竹鶴ノートの内容もまた凄い。書かれているのは精麦から発酵、蒸留、そして貯蔵・製樽といったウイスキー製造工程だけにとどまらない。従業員の福利や勤務体制など、当時の日本からみて先進的な西洋の制度まで書かれている。一技術者に過ぎなかった竹鶴氏がウイスキー作りの全てを吸収しようとした意欲と情熱のほどが伺える。著者が今の視点から注釈を入れているが、竹鶴ノートの記述に明らかな誤りがあまりないことも重要だ。それは竹鶴氏が本場のウイスキー作りを真剣に学んだために相違ない。後年、イギリスのヒューム副首相が来日した際に語った「スコットランドで四十年前、一人の頭の良い青年が、一本の万年筆とノートでわが国の宝であるウイスキー造りの秘密を盗んでいった」という言葉は、竹鶴ノートの重要性を的確に表している。それももっともとだと思えるほど、竹鶴ノートは正確かつ実務的に書かれている。学ぶとは、竹鶴氏がスコットランドで過ごした日々を指すのでは、とまで思う。決して頭の中の理論だけで組み立てた成果ではないことを、後世のわれわれは教訓としなければならない。(もっとも山崎蒸溜所建設の際、蒸留釜と火の距離を調べ直すために竹鶴氏はスコットランドを再訪したらしい)

第三部では著者が竹鶴威氏にインタビューした内容で構成されている。竹鶴威氏は政孝氏の甥であり、実子に恵まれなかった竹鶴氏とリタ夫人の養子として迎えられた人物だ。竹鶴氏とリタ夫人をよく知る人物として、本書に欠かせない方である。それだけではなくニッカウヰスキーの後継者として夫妻の期待以上の功績を残した方でもある。マスターブレンダーとしてもニッカウヰスキーに世界的な賞をもたらしている。竹鶴威氏へのインタビューは、竹鶴家の歴史や広島原爆や東京大空襲の遭遇、政孝氏やリタ夫人との思い出、ニッカ製品の変遷など幅広い話題に飛びながらも面白い。

著者はおそらく「マッサン」の考証にあたっては竹鶴ノートは熟読したことだろう。竹鶴氏の洋行やニッカウヰスキーの歩みをとらえ直したことだろう。そして竹鶴威氏とのインタビューによって竹鶴氏の生涯にほれ込んだのではないか。そしてそれは私も同じ。

私が幼稚園まで住んでいた家は、ニッカウヰスキー西宮工場のすぐ近くだった。なので私の脳裏には”ニッカウイスキー”ではなく”ニッカウヰスキー”の文字が染み付いている。後年、22、3歳の頃からウイスキー文化に魅了された私が、神戸の高速長田駅の古本屋で非売品の竹鶴氏の自伝を見つけた時も不思議なご縁を感じた。余市蒸留所には二度ほど訪れている。また、本書が発売されて一年後、私は著者と言葉を交わし、ツーショット写真も一緒に写って頂いた。そんな訳で、本書はとても思い入れのある一冊なのだ。

‘2016/05/01-2016/05/03