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選別主義を超えて―「個の時代」への組織革命


本書は、私が人を雇用し、そろそろ組織を構築しなければ、と思い始めた頃に読んだ。

私の社会人のキャリアは、人とは違う道を歩んだように思う。
新卒で就職する事を諦めた私は、フリーター・ニートの道へ。しばらく、アルバイト生活を転々とした後、就職を決意するもののブラック起業に入ってしまい、揚げ句に皆の面前でクビを宣告され。
そこから、いきなり上京した私は派遣社員の道へと。やがて正社員に登用された私は程なくして転職。そこで個人事業主として会社の立ち上げにスカウトされ、さらにそこを抜けた後は個人事業主として、複数の現場を渡り歩くフリーランサーの稼業へと。やがて、個人事業主を法人にし、雇用に踏み切って今に至った。
このテーマでは、以前鎌倉商工会議所で登壇して話したこともある。

私のキャリアは上に書いたとおりだ。そのため、組織の中で組織の論理に苦しめられた経験が少ない。むしろ、苦しめられたらすぐにそこを離れた。そして、組織の論理に縛られるのを嫌って、その度に自分にとって楽であろうと選択を重ねてきたら今に至った。

本書の後半には、組織の中で自営業のように自由に動く働き方や、フリーランスの形を選ぶ働き方が登場する。ところが、私はだいぶ前にフリーランスの生活を選んだ。すでに本書に書かれている内容は自分の人生で実践していた。つまり、私は本書から学ぶところは本来ならばなかった。

だが、ここに来て私は人を雇用し、組織を作る側になった。すると、本書の内容は私にとってちがう意味を帯びてくる。

組織になじめず、組織から遠ざかっていた私が組織を作る。この皮肉な現実について、本書はいろいろな気づきを与えてくれた。
つまり、私が嫌だったと思う事を個人にしないような組織。それを私が作り上げていけばよいのだ。

しかし、どのように自分に合った組織を作ればよいのだろうか。
例えば経営者としての私が人を雇い、評価し、昇進・昇給させる。その時の基準はどこにおけば良いのだろうか。
私が人を昇進させ、昇給させる営み。それはつまり選別することに等しい。
一方、本書のタイトルは「選別主義を超えて」と題されている。選別がそもそも今の世の中にそぐわなくなり、その次を説いている。
と言う事は、私の中でされて嫌だったことをする必要はない。そのかわり、新たな手法を駆使して組織を運営していかなければならない。ここで私の脳内は堂々巡りを始める。

第一章 席巻する選別主義

この章では、今までのように横並びで入社し、終身雇用の名の下に全ての社員を平等に扱う建前から、早めにエリートを選別し、昇給や昇進にもあからさまな差をつけるやり方が広まっている現状を紹介している。

弊社はまだ零細企業だ。メンバーも少ない。一括で何十人も採用できるような規模になるにはまだ早い。そもそも、働けない社員を雇う余裕はない。そのため、弊社は採用面接の段階で選別をしなければ立ち行かなくなる。

また情報技術を旨とする弊社であるため、昔ながらありえたような単純作業のために人を雇うつもりもない。むしろ、そうした作業は全てシステムに任せてしまうだろう。

第二章 選別主義の限界

この章では、そうした選別主義がもたらす組織の限界について触れている。
社員間に不公平感がはびこること。そもそも選別を行うのは人間である以上、完璧な選別などありえないこと。本章はそうした限界が紹介される。
私も今、経営をしながらそれぞれの社員の適性やスキルや進捗を見極めるようにしている。だが、規模がより広がってくると、私一人ですべての社員の評価をすることは不可能だ。そもそも、私も人の子だ。完璧に客観的な評価ができるか正直自信はない。

第三章 「組織の論理」からの脱却を

ここからは、新たな働き方への転換を紹介している。

組織が人を選別することの限界が来ているのなら、一人一人の社員が個々の立場で自立し、組織に頼らない人間として成長する。そうした道が紹介されている。

この章で書かれているのは、私が組織の中にいながら次の道を模索した試行に通ずる。実際、私はそのような選択を自分の人生に施してきた。今の私は弊社のメンバーにも、自立できるような人になってほしいと望んでいる。

もう、組織に頼りっぱなしで生きる生存戦略は、その本人の一生にとって良くない結果をもたらす。

何も言わず、文句も言わず、ロボットのように働いてくれる社員は果たして経営者にとってありがたいのか。おそらく私はそうした社員の明日は厳しいと感じる。

第四章 適用主義の時代へ

この章で紹介するのは、選別主義に代わる新たなパラダイムである適応主義だ。ある一定の年数がたてば昇給していくのではなく、その都度の会社の業績と個人・部署の業績を社会の状況に照らし合わせ、その都度で評価を行う。それが本書のいう適応主義だ。つまり年功序列は関係ない。

まさに今、社会はこのようになりつつある。

著者は、そのような社会になるためには、学校自体も変わらなければならないと言う。つまり従来のように新卒で大量採用し、といった企業側の要請が変わりつつある以上、学校側も変わらなければならな。企業からも任意のタイミングで社員を学校で学ばせることもある。柔軟で流動的な制度とカリキュラムも必要だとする。

私もこの点は同感だ。
今のような複雑な社会において、企業に入った後は勉強せずに過ごせる訳がない。会社に入っても常に勉強しなければ、これからは社会人としては通用しないと思う。
では、人々は何をどのように学べばよいか。それは企業側では教えにくい。だからこそ大学や専門学校は、常に社会人に対して門戸を開いておかなければならない。

第五章 21世紀の組織像
本書が刊行されたのは2003年。すでに21世紀に突入していた中で21世紀の組織像を語っている。
本書が刊行されてから19年がたち、ますます組織のあり方は多様化している。情報技術の進化がそれを可能にした。

本書で、フリーランスなどの新たな働き方が紹介される。それは、会社や組織を一生の働き場として見ず、スキルアップの場として見る考えだ。キャリアの中で組織に属するのは、あくまでも自らをバージョンアップさせるため。

本章で書かれていることは、私から見ると当たり前の事のように思える。たが、まだまだ組織に依存する働き方を選ぶ人が多いのは事実だ。2022の今でも。まだまだこれは改善の余地はある。そして、企業側でも流動的に働き方を前提に業務を組み立てることが求められる。

終章 日本型システムを見つめ直す

この章では、欧米の最新型の経営手法を安易に持ち込み、日本でまねる事の危険性を述べている。

私もまだ、自分なりの経営手法については試行錯誤の段階だ。
結局、私がいくらあがいたところで、組織としてきちんとした運営ができるようになには、規模が大きくなければ意味がない。
弊社の今の規模であれば、まだ私一人で対応できる。だが、やがては人事担当者を設け、本格的に考えていかなくては。
ただ、そうなったら今度は私個人のくびきを離れ、組織が組織としての自前の論理を備えていく。そうなったとき、個の時代を標榜する本書の意図に反した組織になっていかないか。

そうした段階に達したとき、どこまで経営者の、つまり個を重視する私の考えが評価の中に生かされていくのか。
本書を読むと、そうした課題のあれこれが果てしない未来になるように思える。努力するしかない。

2020/10/21-2020/10/28


神の子 下


上巻を通して少しずつまわりに心を開きはじめた町田。下巻では町田が社会に関わるに連れ、町田をめぐる人々の思惑がより活発になってゆく。

町田に執着するのはムロイの率いる犯罪組織だけではない。それ以外にも謎の組織が暗躍する。町田の過去に何があったのか。それを探るのは少年院の看守内藤。そして、ムロイの密命を帯び、少年院から町田につきまとう雨宮。二人の動きは、町田の周囲にうごめく組織を明るみに出して行く。

町田の周囲に暗躍する人々の思惑は混戦してゆく。そんな中、町田たちが興した企業STNがヒット商品を生み出し一躍時の企業となる。ところが謎の不審火が前原製作所を全焼させ、しかもSTNにも風評被害の魔の手が及ぶのだ。そんな状況に、町田は自らの過去と、それにまつわる犯罪組織が仲間に迷惑をかけることを恐れ、身を隠す。

ここで“仲間”という言葉が出てきた。本書下巻はこの“仲間”がキーワードとなる。

町田は相変わらず孤高の雰囲気をまとわせている。だが、上巻ではヤサグレていた姿の多かった町田に変化の兆しが表れる。本書は上下巻のどちらも会話文がとても多い。中でも町田が登場するシーンに会話が目立つ。町田はしゃべらないのに、周りがにぎやかに会話が交わされるため、町田の周りに仲間がいるかのように思えてくるのだ。下巻で町田から孤独な雰囲気が薄れたのにはもう一つわけがある。それは前原楓の存在が大きい。同居する町田を最初は疎んじたが、表向きの狷介さの裏に潜む優しさに気づいた楓はミステリアスな町田に惹かれて行く。町田がたとえ孤高のマントを身にまとっていても、気に掛けてくれる楓がいる限り、孤独ではない。

町田のような知能指数の高い人間が、社会に適応していくためには何が必要なのだろう。本書では犯罪組織の頭目ムロイの過去も暴かれて行く。ムロイも町田と同じく高い知能指数の持ち主。だが、町田とムロイには違いがある。ムロイは全てを自分で決め、部下に指示する。独りでも何でもできてしまう人間であるが故に、トップに君臨し、手足のように部下を使いこなす。だがそこには上下関係しかない。部下とは相互の信頼よりも利害と主従で結びついている。一方の町田は信頼と平等で仲間と交わる。トップダウンではなく、仲間と同じ視点で物事にあたってゆくのだ。本書に登場する二人の天才。ムロイと町田が周囲にどう関わるのか。それは一つの組織論として興味深く読める。

内藤による捜査は、ムロイの過去と町田の過去を交錯させてゆく。その過程でムロイの犯罪組織の全貌が暴かれてゆく。それにつれ、ムロイがなぜそれほどまでに町田に執着するのかが解き明かされてゆく。同じ知能を持つ同士ゆえ、ムロイは町田を諦められない。にもかかわらず、組織を束ねる上で二人の考え方の溝は容易には狭まらない。

上巻では社会の仕組みが人をどう守るのかというテーマが提示された。下巻では組織をどう構築するかがテーマとなるのだ。一人ではやれることに限度がある。そのため組織は欠かせない。その組織をトップダウンのピラミッド型で作るのか、それともフラット型の組織を構築するのか。

本書で町田は仲間という結びつきに自分と世間をつなぎとめる絆を求める。それは一つの選択だ。そして、私が目指す方向でもある。本書にはストーリーの行く末に一喜一憂しても楽しめるが、組織論や社会システム論から読んでも楽しめる。

上巻のレビューで本書は期待以上だったと書いた。それは、本書が単なる娯楽小説の枠に収まらず、考えさせられる視点も含んでいるからなのだ。

‘2017/01/19-2017/01/20


非営利組織論


NPO設立と法人設立を並行で模索していた時期に読んだ一冊。本書の前に読んだ「NPOが自立する日―行政の下請け化に未来はない」でNPO設立を法人設立と同時に行う件はほぼ断念した私だが、勉強も含めて本書にも手を伸ばした。

そもそも有斐閣の出版物を読むのは久しぶり。大学のころ教科書でよくお世話になった記憶が蘇る。内容や筆致についても想像がつく。

内容は想像通りで、全編を通して教科書的な印象が付いて回った一冊だった。とはいえ、学問の分野からNPOとは何かを解説してくれた本書は、NPO設立を断念したとはいえ、私にとって有益な一冊となった。

理論の世界にNPOを閉じ込めた読後感があったとはいえ、その切り口は広く、実務的な内容でない分、視野を広く持てた。

本書には実践面の記載が弱いとはいえ、それは実例や設立書類の作成方法が例示されていないだけ。具体的な実践には敢えて踏み込まず、理論に止めているのが本書なのだろう。

でも、NPOとはなんぞや、という向きにとっては、本書は有益な書といってもよいだろう。

実際、本書を読んでNPOを設立された方も多いようだ。現場にあって実務に没頭しているだけでは体得できない理論の深さ。それを教えてくれるだけでも本書は十分実践的と言える。また、コラムでは日本の「大地を守る会」やアメリカの「AARP」、イギリスの「サーコ社」の事例を始め、11のケースワークが取り上げられている。本書が単なる理論一辺倒の本でない証である。

また、本書が想定している読者は起業家志望者ではない。なので、励ましや動機付けといった読者サービスの類いは皆無。それゆえ、本書のそこかしこで、甘い気持ちでNPO設立を夢見る者の幻想をうち壊しにかかる冷静な筆致が織り交ぜられている。正直なところ、本書を読み始めた時点でNPO設立を延期しようとしていた私も、本書でさらに設立の意欲を萎えさせられた。

本書を読んで印象に残ったのはミッション。つまりはNPOの目的である。この言葉が随所にでてくる。他のNPOについての本には、ミッションについての記載もあるが、それとともに人の確保と財源についての問題が付いて回ると必ず記載されている。実際、その通りだろう。しかし本書は人や財源の前にミッションの確立こそ重要と述べている。それこそ幾度も。実際、NPOで出来る業務は、営利企業でもできる業務がほとんど。ではなぜ営利企業がサービスをやらないかというと、利潤が見込めないから。ただ営利企業にはCSR(企業の社会的責任)という、利潤度外視で行う活動がありうる。つまり、突き詰めて考えるとNPOでなければ出来ない業務、つまりはミッションはなかなか見出しにくい。つまりミッションが先にないと、NPO法人設立への道筋は甚だ遠い。このことを本書は述べているのだろう。そのため私は、同等の活動は法人でも担うことが可能と判断し先に営利法人、つまり合同会社を立ち上げた。

この前後に読んだNPO関連の書籍には、NPOの隆盛を願うあまり、利点のみが喧伝されがちな本もあった。そのような前向きな編集方針ももちろんありだ。が、本書のような冷静な視点もまた不可欠。

一旦、営利法人を立ち上げた今も、NPO法人立ち上げの機会を伺っている私。本書を読んだ経験を活かせる好機に、遠からず巡り合えるものと思っている。

‘2015/03/6-2015/03/10