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日本の難点


社会学とは、なかなか歯ごたえのある学問。「大人のための社会科」(レビュー)を読んでそう思った。社会学とは、実は他の学問とも密接につながるばかりか、それらを橋渡す学問でもある。

さらに言うと、社会学とは、これからの不透明な社会を解き明かせる学問ではないか。この複雑な社会は、もはや学問の枠を設けていては解き明かせない。そんな気にもなってくる。

そう思った私が次に手を出したのが本書。著者はずいぶん前から著名な論客だ。私がかつてSPAを毎週購読していた時も連載を拝見していた。本書は、著者にとって初の新書書き下ろしの一冊だという。日本の論点をもじって「日本の難点」。スパイスの効いたタイトルだが、中身も刺激的だった。

「どんな社会も「底が抜けて」いること」が本書のキーワードだ。「はじめに」で何度も強調されるこの言葉。底とはつまり、私たちの生きる社会を下支えする基盤のこと。例えば文化だったり、法制度だったり、宗教だったり。そうした私たちの判断の基準となる軸がないことに、学者ではない一般人が気づいてしまった時代が現代だと著者は言う。

私のような高度経済成長の終わりに生まれた者は、少年期から青年期に至るまで、底が何かを自覚せずに生きて来られた。ところが大人になってからは生活の必要に迫られる。そして、何かの制度に頼らずにはいられない。例えばビジネスに携わっていれば経済制度を底に見立て、頼る。訪日外国人から日本の良さを教えられれば、日本的な曖昧な文化を底とみなし、頼る。それに頼り、それを守らねばと決意する。行きすぎて突っ走ればネトウヨになるし、逆に振り切れて全てを否定すればアナーキストになる。

「第一章 人間関係はどうなるのか コミュニケーション論・メディア論」で著者は人の関係が平板となり、短絡になった事を指摘する。つまりは生きるのが楽になったということだ。経済の成長や技術の進化は、誰もが労せずに快楽も得られ、人との関係をやり過ごす手段を与えた。本章はまさに著者の主なフィールドであるはずが、あまり深く踏み込んでいない。多分、他の著作で論じ尽くしたからだろうか。

私としては諸外国の、しかも底の抜けていない社会では人と人との関係がどのようなものかに興味がある。もしそうした社会があるとすればだが。部族の掟が生活全般を支配するような社会であれば、底が抜けていない、と言えるのだろうか。

「第二章 教育をどうするのか 若者論・教育論」は、著者の教育論が垣間見えて興味深い。よく年齢を重ねると、教育を語るようになる、という。だが祖父が教育学者だった私にしてみれば、教育を語らずして国の未来はないと思う。著者も大学教授の立場から学生の質の低下を語る。それだけでなく、子を持つ親の立場で胎教も語る。どれも説得力がある。とても参考になる。

例えばいじめをなくすには、著者は方法論を否定する。そして、形のない「感染」こそが処方箋と指摘する。「スゴイ奴はいじめなんかしない」と「感染」させること。昔ながらの子供の世界が解体されたいま、子供の世界に感染させられる機会も方法も失われた。人が人に感染するためには、「本気」が必要だと著者は強調する。そして感染の機会は大人が「本気」で語り、それを子供が「本気」で聞く機会を作ってやらねばならぬ、と著者は説く。至極、まっとうな意見だと思う。

そして、「本気」で話し、「本気」で聞く関係が薄れてきた背景に社会の底が抜けた事と、それに皆が気づいてしまったことを挙げる。著者がとらえるインターネットの問題とは「オフラインとオンラインとにコミュニケーションが二重化することによる疑心暗鬼」ということだが、私も匿名文化については以前から問題だと思っている。そして、ずいぶん前から実名での発信に変えた。実名で発信しない限り、責任は伴わないし、本気と受け取られない。だから著者の言うことはよくわかる。そして著者は学校の問題にも切り込む。モンスター・ペアレントの問題もそう。先生が生徒を「感染」させる場でなければ、学校の抱える諸問題は解決されないという。そして邪魔されずに感染させられる環境が世の中から薄れていることが問題だと主張する。

もうひとつ、ゆとり教育の推進が失敗に終わった理由も著者は語る。また、胎教から子育てにいたる親の気構えも。子育てを終えようとしている今、その当時に著者の説に触れて起きたかったと思う。この章で著者の語ることに私はほぼ同意する。そして、著者の教育論が世にもっと広まれば良いのにと思う。そして、著者のいう事を鵜呑みにするのではなく、著者の意見をベースに、人々は考えなければならないと思う。私を含めて。

「第三章 「幸福」とは、どういうことなのか 幸福論」は、より深い内容が語られる。「「何が人にとっての幸せなのか」についての回答と、社会システムの存続とが、ちゃんと両立するように、人々の感情や感覚の幅を、社会システムが制御していかなければならない。」(111P)。その上で著者は社会設計は都度更新され続けなければならないと主張する。常に現実は設計を超えていくのだから。

著者はここで諸国のさまざまな例を引っ張る。普通の生活を送る私たちは、視野も行動範囲も狭い。だから経験も乏しい。そこをベースに幸福や人生を考えても、結論の広がりは限られる。著者は現代とは相対主義の限界が訪れた時代だともいう。つまり、相対化する対象が多すぎるため、普通の生活に埋没しているとまずついていけないということなのだろう。もはや、幸福の基準すら曖昧になってしまったのが、底の抜けた現代ということだろう。その基準が社会システムを設計すべき担当者にも見えなくなっているのが「日本の難点」ということなのだろう。

ただし、基準は見えにくくなっても手がかりはある。著者は日本の自殺率の高い地域が、かつてフィールドワークで調べた援助交際が横行する地域に共通していることに整合性を読み取る。それは工場の城下町。経済の停滞が地域の絆を弱めたというのだ。金の切れ目は縁の切れ目という残酷な結論。そして価値の多様化を認めない視野の狭い人が個人の価値観を社会に押し付けてしまう問題。この二つが著者の主張する手がかりだと受け止めた。

「第四章 アメリカはどうなっているのか 米国論」は、アメリカのオバマ大統領の誕生という事実の分析から、日本との政治制度の違いにまで筆を及ぼす。本章で取り上げられるのは、どちらかといえば政治論だ。ここで特に興味深かったのは、大統領選がアメリカにとって南北戦争の「分断」と「再統合」の模擬再演だという指摘だ。私はかつてニューズウィークを毎週必ず買っていて、大統領選の特集も読んでいた。だが、こうした視点は目にした覚えがない。私の当時の理解が浅かったからだろうが、本章で読んで、アメリカは政治家のイメージ戦略が重視される理由に得心した。大統領選とはつまり儀式。そしてそれを勝ち抜くためにも政治家の資質がアメリカでは重視されるということ。そこには日本とは比べものにならぬほど厳しい競争があることも著者は書く。アメリカが古い伝統から解き放たれた新大陸の国であること。だからこそ、選挙による信任手続きが求められる。著者のアメリカの分析は、とても参考になる。私には新鮮に映った。

さらに著者は、日本の対米関係が追従であるべきかと問う。著者の意見は「米国を敵に回す必要はもとよりないが『重武装×対米中立』を 目指せ」(179P)である。私が前々から思っていた考えにも合致する。『軽武装×対米依存』から『重武装×対米中立』への移行。そこに日本の外交の未来が開けているのだと。

著者はそこから日本の政治制度が陥ってしまった袋小路の原因を解き明かしに行く。それによると、アメリカは民意の反映が行政(大統領選)と立法(連邦議員選)の並行で行われる。日本の場合、首相(行政の長)の選挙は議員が行うため民意が間接的にしか反映されない。つまり直列。それでいて、日本の場合は官僚(行政)の意志が立法に反映されてしまうようになった。そのため、ますます民意が反映されづらい。この下りを読んでいて、そういえばアメリカ連邦議員の選挙についてはよく理解できていないことに気づいた。本書にはその部分が自明のように書かれていたので慌ててサイトで調べた次第だ。

アメリカといえば、良くも悪くも日本の資本主義の見本だ。実際は日本には導入される中で変質はしてしまったものの、昨今のアメリカで起きた金融システムに関わる不祥事が日本の将来の金融システムのあり方に影響を与えない、とは考えにくい。アメリカが風邪を引けば日本は肺炎に罹るという事態をくりかえさないためにも。

「第五章 日本をどうするのか 日本論」は、本書のまとめだ。今の日本には課題が積みあがっている。後期高齢者医療制度の問題、裁判員制度、環境問題、日本企業の地位喪失、若者の大量殺傷沙汰。それらに著者はメスを入れていく。どれもが、社会の底が抜け、どこに正統性を求めればよいかわからず右往左往しているというのが著者の診断だ。それらに共通するのはポピュリズムの問題だ。情報があまりにも多く、相対化できる価値観の基準が定められない。だから絶対多数の意見のように勘違いしやすい声の大きな意見に流されてゆく。おそらく私も多かれ少なかれ流されているはず。それはもはや民主主義とはなにか、という疑いが頭をもたげる段階にあるのだという。

著者はここであらためて社会学とは何か、を語る。「「みんなという想像」と「価値コミットメント」についての学問。それが社会学だと」(254P)。そしてここで意外なことに柳田国男が登場する。著者がいうには 「みんなという想像」と「価値コミットメント」 は柳田国男がすでに先行して提唱していたのだと。いまでも私は柳田国男の著作をたまに読むし、数年前は神奈川県立文学館で催されていた柳田国男展を観、その後柳田国男の故郷福崎にも訪れた。だからこそ意外でもあったし、ここまでの本書で著者が論じてきた説が、私にとってとても納得できた理由がわかった気がする。それは地に足がついていることだ。言い換えると日本の国土そのものに根ざした論ということ。著者はこう書く。「我々に可能なのは、国土や風景の回復を通じた<生活世界>の再帰的な再構築だけなのです」(260P)。

ここにきて、それまで著者の作品を読んだことがなく、なんとなくラディカルな左寄りの言論人だと思っていた私の考えは覆された。実は著者こそ日本の伝統を守らんとしている人ではないか、と。先に本書の教育論についても触れたが、著者の教育に関する主張はどれも真っ当でうなづけるものばかり。

そこが理解できると、続いて取り上げられる農協がダメにした日本の農業や、沖縄に関する問題も、主張の核を成すのが「反対することだけ」のようなあまり賛同のしにくい反対運動からも著者が一線も二線も下がった立場なのが理解できる。

それら全てを解消する道筋とは「本当にスゴイ奴に利己的な輩はいない」(280P)と断ずる著者の言葉しかない。それに引き換え私は利他を貫けているのだろうか。そう思うと赤面するしかない。あらゆる意味で精進しなければ。

‘2018/02/06-2018/02/13


ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」


本書は私にとって16年ぶりとなる長崎への旅の途上で読んだ。羽田から長崎への機内と、博多から長崎への電車内で。本書はまさに旅のガイドとなった。その意味でも印象深い。そして、本書を読んだ翌日、本書に書かれた内容を自らの足でめぐることができた。その意味でも、本書は読書体験と視覚体験がシンクロした貴重な一冊となった。

私は今までにたくさんの本を読んできた。それらの本が私に与えてくれたのは得がたい知見だ。私が書物に書かれた内容を消化し、理解する時、その論旨はいったん受け入れる事が多い。なぜなら、書物を読むのは、知らない事実を一方的に書物から吸収したいから。 読む時点ではそもそも反対するための材料も知識もない。また、事前にその本が取り上げる分野について知っていても同じ。私が読んだ本の論旨に反対する事はあまりない。

だが、本書にはとても迷わされた。そして考えさせられた。本書で問い掛けられた事実はとても重い。本書でさらし出された歴史の事実。それを知ってもなお、私の中では判断がついていない。これはとても珍しい事だ。軽率に答えを出すことを拒ませるだけの重みが本書にはある。

実は著者の主張については、読み終えた直後には賛成だった。本書の問いはただ一つ。原爆によって廃虚となった浦上天主堂は後世に残すべきだったか、だ。ではなぜ残すべきだったのか。もちろん、原爆という人類の愚劣さと罪のシンボルとして。著者は残すべきだったと主張する。 その主張を補強するため、著者は浦上天主堂の撤去の背景を探る。著者の突き止めた事実は、撤去した当事者を糾弾するに充分だった。著者の厳しい視線は、米国の対外広報戦略に懐柔され浦上天主堂の再建に傾いた田川元市長や、再建に当たって教会側の意見を主導した山口元司教、そればかりか、長崎の鐘で知られる永井隆博士らの名士に向いている。

中でも著者が取り上げるのは、田川元市長と山口元司教だ。実質的に、この二人の主導で浦上天主堂の廃虚は撤去されたのだから。そして、田川市長については、もともと撤去推進者ではなく保護推進者であったことも著者は強調する。それがなぜ翻心したのか。

その経緯を著者は、米国セントポール市からもたらされた長崎市と姉妹都市提携したいという申し出の経緯から掘り起こす。日本にとって初となった姉妹都市提携。それは米国から持ち出された話だった。そしてその提携の交渉にあたって、米国は田川市長を招待する。米国内での歓待や要人との会談をこなして長崎に戻って来た田川市長。田川市長の浦上天主堂の廃虚についての意見は、渡米前の保護から一転、撤去・再建へとひるがえっていた。

なぜ米国は、浦上天主堂の廃虚を撤去させたかったのか。それは冷戦後の世界で米国が西側を率いるにあたり、西側文明の宗教的バックボーンであるキリスト教会を原爆で破壊した事実がマイナスになると判断したから。著者はそう指摘する。そういった米国の思惑を前提とした、田川市長への働きかけの様子。それが本書には細かく紹介される。

山口司祭は、カトリック長崎教区を統括する立場から天主堂の再建を望んでいた。しかも同じ場所で。というのも、浦上天主堂は浦上地区の信者にとって400年にわたる弾圧からの解放のシンボルだったから。山口司祭にとって廃虚をそのままにし、天主堂を別の場所で再建する案はとても受け入れられなかった。そんな山口司祭と田川市長の思惑が一致したのが浦上天主堂の再建だった。

天主堂は再建し、旧浦上刑務所の跡地は平和公園とする。そして、平和祈念像を被爆のシンボルとして設置する。さらに爆心地公園に、廃虚の一部を移設する。田川市長の施策でこれだけの事業がおこなわれ、今の平和公園周辺のたたずまいとなっている。そしてその施策の結果、ナガサキの街からヒロシマにおける原爆ドームのような、原爆の惨禍を思わせるシンボルはほぼ無くなってしまった。著者はその事実を指摘し、米国の対外戦略に乗った田川市長と山口司祭を指弾する。

この度の長崎探訪は、こちらのブログに書いた。そのなかで、私が今のナガサキの街並みを見てどう思ったかは触れている。当初は本書の意見に賛同していたのに、街を歩いた結果、意見を中立に変えたことも書いた。

平地に立つ原爆ドームと違い、浦上天主堂が高台に立っていること。それが街から見えてしまうこと。浦上天主堂の持つ歴史的な経緯。それらは私に、判断を迷わせ、撤去についての意見を保留にさせた。

だが、私の判断は保留であって、反対ではない。そして、その判断は私が本書に対する評価を損なうものではない。本書の価値はいささかも変わらない。そもそも私が著者の意見に反対しようがどうしようが、ナガサキから被爆のシンボルとなりえた遺構が失われてしまったのは事実なのだ。その経緯をここまで調べあげ、歴史の裏側を明かしたのは間違いなく著者の功績だ。本書もまた、後世に残されるべき労作だと思う。

‘2016/10/30-2016/10/30


オバマ大統領の謝罪を経ての原爆忌


毎年この時期が来ると必ず原爆関連の写真集やその他書籍に目を通します。私自身が平和記念資料館を訪れた際、何を感じ何を目に焼き付けたのか。あの夏の朝、何が人類に起こり、何を人類は行ったのか。その記憶を新たにするため、この時期は広島・長崎への原爆投下関連資料に目を通すようにしています。

先日、重松清さんの「赤ヘル1975」を読みました。1975年の広島東洋カープが、原爆からの復興に向け努力する広島市民にとってどれだけ劇的な存在だったか。カープの優勝が原爆投下から30年という節目の年に広島市民からどれほど歓迎されたか。そのことが「赤ヘル1975」には書かれています。すでにレビューとしてまとめているので、いずれアップしたいと思います。

今年のカープは強い。カープがこのまま優勝まで突き進んだとすれば、それは広島市民にとって1975年の初優勝に匹敵する出来事になるかもしれません。セ・パ12球団の中でもっとも優勝から遠ざかったチームであるカープ。しかし今年は優勝に向けて力強くペナントレースを戦っています。それは今年の広島を象徴するに相応しい戦い振りです。というのも、今年は広島にとって重要な出来事があったからです。

この5月にオバマ大統領が広島を訪問しました。云うまでもなく原爆を落とした当事国である米国の現職大統領です。オバマ大統領の広島訪問でのスピーチには、米国の責任を回避するためのレトリックが注意深く散りばめられていました。おそらく、そのことに一番違和感を覚えたのは被爆者の方々でしょう。でも、たとえポーズであったとしても、訪問したという事実を作るだけであったとしても、私はオバマ大統領が訪れたという事実を評価したい。

私はオバマ大統領のスピーチから米国の抱える投下国としての罪の意識と、それを認めまいとする面子のせめぎあいを感じました。当時の人々の行為を断罪できるのは当時の人々だけ、というのが私の持論です。当時のアメリカの行為を断罪できるのは、云うまでもなくあの夏の朝、原爆の惨禍を目の当たりにした被爆者の方々です。断罪という言葉では言い足りないくらいでしょう。しかし、様々な資料を読むと、当時のアメリカ国民の多くが本気で大日本帝国による本土侵略を脅威に思っていたことは事実のようです。ナチスドイツや日本でも原爆開発が行われていたこともよく知られています。マンハッタン計画に邁進したアメリカの判断はいまさらどうこう非難できるものではないと思っています。ただ、すでに死に体となっていた敗戦間際の日本に敢えて原爆を投下した当時のトルーマン大統領の判断は、明らかに戦争犯罪といえます。もはや戦争の勝利よりも戦後の国際関係の主導権掌握のためだけに原爆を投下したようなものですから。30万以上の人々の上に。

繰り返しますが、原爆投下というアメリカの戦争犯罪を真の意味で断罪できるのは、被爆者の方々だけです。被爆者の方々はもっと怒っていいはずです。ですが、広島・長崎の人々はもっと広く高い立場からアメリカを断罪しています。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑に刻まれた文面はまさにその象徴です。あの文面から読み取れるのはただ平和を求める想いです。被爆者の方々にとってそれほどまでにも平和への想いは切実だったといえます。焼け爛れたヒトや町並みを目の当たりにした方々だからこそ、そう思えたのかもしれません。私は原爆死没者慰霊碑の碑文を敗戦国による勝者への阿りとは思いません。あの碑文の価値はおそらくこれから先よりいっそう真価を発揮していくと思っています。あの碑文が被爆者としての直接的な恨み辛みを書いたものであれば、たぶんこの碑の意義はもっと低くなっていたことでしょう。オバマ大統領による献花もなかったかもしれません。とはいえ、今回のオバマ大統領の広島訪問にあたっては、被爆者の方々はもっとオバマ大統領個人の、アメリカの面子に拘らぬオバマ大統領の肉声の謝罪を聞きたかったことでしょう。その気持ちはもっともです。でも、オバマ大統領も戦後産まれの方です。あのような微妙に責任をぼかしたようなスピーチ以上のことは言えなかったのではないでしょうか。私は偽善やポーズだけといった批判を承知でなお、広島に行くことを望んだオバマ大統領の行為そのものに大統領の謝罪の気持ちと誠意が顕れていると思いました。

たぶん、アメリカで原爆投下への罪の意識が大勢を占めるのは、第二次大戦に実際に参加した軍人や政治家が全て亡くなった後のことになろうかと思います。たとえパールハーバーで日本から騙まし討ちを受けたとしても、その報復としてはリトルボーイとファットマンはあまりに過剰なものだった。アメリカでもそういった歴史的評価が定まることでしょう。でも、そのときには被爆体験をした方々も全てお亡くなりになっていることでしょう。それは被爆者の方々にとって実に無念なことだと思います。

だからこそ、われわれのような平和な時代しか知らない人間は、資料や書簡や書籍から、特定のイデオロギーやトンデモ陰謀論に惑わされることなく、客観的な姿を伝えていかなければならない、と思っています。「過ち」を繰り返さないためにも。

今年ばかりは広島東洋カープを応援しています。カープ出身のアニキ率いる阪神タイガースにも頑張ってほしいのですが。1975年の赤ヘル旋風を知らない私にとって、カープ女子の席巻する広島が祝賀ムードに染まる姿が観てみたい。米国大統領による実質上の謝罪があった年を締めくくるイベントとして。

写真は3年半前に家族で訪れた際に撮影した原爆死没者慰霊碑。秋に訪れられれば訪れたい。IMG_8677


NPOが自立する日―行政の下請け化に未来はない


本書もまた、私がNPO設立を模索する中で読んだ一冊。題名から読み取れるようにNPOの現状を憂い、警鐘を鳴らしている。

ドラッカーと云えば、「もしドラ」を通じて今の日本にも知られている。いうまでもなく、ドラッカーは、「もしドラ」の前から経営学では有名な方である。経営学だけに飽き足らずNPOにも関心を高くもち、関連著書も出している。著者はそのドラッカーに薫陶を受けたという。そのため著者は米国のNPO事情にも明るいのだろう。本書は米国のNPO事情の紹介にもページが割かれている。

そして著者は、日本のNPOに違和感を覚えるという。単にNPO先進国である米国のNPO事情と比べて日本のそれが遅れている、というだけではなさそうだ。「はじめに」ではその違和感について書かれている。その違和感がどこに向かっているかというと、どうやら日本のNPO運営者に対してであるらしい。行政から委託を受ける際の単価の安さ、について不満をこぼすNPO運営者。これが著者の目には違和感として映るようだ。行政から委託を受ける際の単価だけにNPO運営の焦点を当てているように見えるNPO運営者に対する違和感、というわけだ。つまり違和感とは、行政に依存することが目的化してしまっているNPOに対するものであり、それによって脆くも崩れてしまうひ弱なNPOのガバナンスに対してのものであるようだ。

2005年にドラッカーが亡くなった後、著者はNPO研究に改めて着手したとのことだ。着手するにつけ、改めてNPOが行政の下請け組織と化している現実を目の当たりにし、NPOの将来を憂えた。憂えただけでなく、本書を上梓してNPOの今後に警鐘を鳴らすことを意図した。「はじめに」にはそういった内容が書かれている。

だが、著者はNPOに反対の立場ではない。それどころか、日本にNPOが根付く切掛けとなった阪神・淡路大震災のボランティアの実態も見聞きし、その可能性を感じていたようだ。しかし、冒頭に書いたように、著者の期待は違和感へと変わる。前向きなのに後ろ向きに見える我が国のNPO事情が歯がゆい。著者はいう。NPOは自発的な公の担い手になり得るかが問われている。行政からの委託やアウトソーシングに甘んずること勿れ、と。

著者は教授職、つまりは研究者としての立場で本書を書いている。その立場からの目線で、NPOの下請け化がなぜ起こったのかを詳細に分析する。

指定管理者制度や市民協働条例など、行政からの委託の機会は増す一方のNPO。日本には寄付文化が定着していないこともあって、NPOの収入源は行政からのものになりがちだという。行政といえば、予算と支出のサイクルがきっちりしているので、NPO側にも定額収入が期待できるのだろう。さらには行政の指定業者となることでお墨付きを得られると感じることも多いのだろう。

また、我が国では下手に無償でのボランティアが広まっていたことも問題だろう。そのため、ボランティアなのだから幾ばくかの収入が入るだけでよし、としてしまう収入確保の意識が希薄なことも指摘されている。

さらに、本書で一番印象に残ったのは、NPOと行政のボタンの掛け違いである。つまり、NPOが思っているほど、行政はNPOをプロだと見なしていないということである。これは実際のアンケート結果が本書で提示されていた。そのデータによると実際に上記に書かれたような傾向があるらしい。行政はNPOに自立した組織を求めるが、実際は行政が携わる以上に成果を挙げることのできたNPOが少ないことを意味するのだろう。そこに、NPOが行政の下請けになりうる大きな原因があると著者はいう。

あと、本書では米国だけでなく英国における行政とNPOの関係に紙数を割いている。サッチャー政権からブレア政権に変わったことで、英国の経済政策に変化があったことはよく知られている。その変化はNPOにも及んだ。行政側がコンパクトという協定書を作成し、NPOとの間のパートナーシップのあり方を示したのがそれだ。サッチャー政府から「公共サービスのエージェント」とされたNPOが、ブレア政権では「社会における主要構成員の一つ」として見なされるに至った。コンパクトは政府がNPOに対して求める役割変化の一環であり、NPOを下請け業者ではなく主体的な存在として扱っている。なお、コンパクトの中では実施倫理基準、資金提供基準、ボランティア基準についての各種基準が準備されているそうだ。つまり、行政側も自らが発注するNPOへの契約内容にNPOを下請け業者化させる条項を含めない、それによって行政の下請け化が回りまわって行政の首をしめないように予防線を張っている。それがコンパクトの主眼といえる。

コンパクトに代表される英国政府のNPOに対する取り組みを読むと、日本政府のNPOに対する取り組みにはまだまだ工夫の余地があるのではと思える。

ここで著者は、NPOが下請け化に陥る原因を、NPOの資金の流れと法制度から分析する。特に前者は、私がNPO設立を時期尚早と判断する大きな要因となった。原則繰り越しや積み立てのしにくいNPOは、上手に運営しないとすぐに自転車操業、又は下請け化の道まっしぐらとなる。私自身、自分が運営するNPOがそうなってしまう可能性についてまざまざと想像することができた。つまり、私自身のNPO設立への想いに引導を渡したのが本章であるといえる。後者の法制度にしたところで、経営視点の基準がないため、下請け化を防ぐための有効な手立てとなっていないようだ。NPO関連法は我が国では順次整備されつつあり、NPO運営規制も緩和に向かっているという。英国風コンパクトに影響を受けた行政とNPOの関係見直しも着手されているという。しかし、著者は同時に法整備の対象に経営視点が欠落していることも危惧している。

資金やサービスの流れについては、公益法人法が改正されたことを受け、NPOとの差異が図に表されている。政府、税、資金調達、運営を四角の各頂点とし、その図を使って公益法人と一般企業、NPO企業との仕組みの違いを説明する。

最後の二章は、自立したNPOのための著者の提唱が披露される場だ。上にも書いた通り、問題点は明確になりつつある。果たしてここで披露される提唱が有効な処方箋となりうるか。処方箋の一つは、NPOは、公的資金と会費、寄付、サービス対価収入などの民間資金のバランスについての明確な基準を持つ必要があること。また、行政にはNPOへの理解が欠かせず、自立した組織になることを念頭にした対応が求められること。この二つの処方箋が示される。

その処方箋の前提として、著者はドラッカーのマネジメントに読者の注意を戻す。ドラッカーは顧客を重視した。行政や税制がどうこうするよりも、NPOのサービスを求めるのが顧客である以上、顧客に回帰すべきというのが結論となる。

ドラッカーの設問一 「われわれの使命はなにか」
ドラッカーの設問二 「われわれの顧客は誰か」
ドラッカーの設問三 「顧客は何を価値あるものと考えているのか」
ドラッカーの設問四 「われわれの成果は何か」
ドラッカーの設問五 「われわれの計画は何か」

当たり前といえば当たり前で、企業経営にとってみれば常識である。しかし、顧客重視がしたくても出来にくいのがNPO経営といえる。企業の評価手法や利益設定を単に当てはめただけでうまくいくほどNPO経営は一筋縄では行かない。顧客重視だけではうまくいかないNPO経営の難しさは、検討するにつれますます私の能力に余ることを実感した。その対案として、著者は英国政府とNPOのあいだで締結されているコンパクトの評価部分を我が国でも採用することを提案する。さらに、我が国においてはNPOの内容説明や開示にまだ工夫の余地があると指摘する。

最終章では、まとめとして、公からの資金割合が高い現状を是正し、民間からの資金割合を高めることを提言する。

結局は、私企業と変わらずにサービス収入を増やすしかないということだろう。

ここに至り、私はNPOとしての独自サービスをITの分野で行うことが時期尚早との判断を下した。当初は営利企業を設立し、その範疇で業務を行うことが適当だという結論に。残念ながら、今の技術者の単価は私も含めて高い。クラウドでかなり工数削減が可能になったとはいえ、NPOの単価は、営利企業で相場とされる技術者単価に釣り合わない。NPO現場の要望にあったカスタマイズを考えると、NPOに技術者をフルに関与させることは難しいと云わざるを得ない。

しかし、クラウドの変化は著しい。まずは一年、法人化してからクラウドの様子を見ることにした。技術者に頼らずクラウドを駆使することで、必要とされる現場へIT技術を導入することができる日もそう遠くないだろう。そのことを見極めた後、改めてNPO再チャレンジへの道を考えたいと思った。

‘2015/02/27-2015/03/05