Articles tagged with: 笑い

宇宙衞生博覽會


本作は、著者が発表してきた著作の中でも、屈指の短編集だと思う。著者が生み出した短編は膨大にあるが、ファンによってその中から人気投票を行ったとする。多分、その中には本書に納められた短編がいくつも入るに違いない。

例えば「関節話法」。著者の短編の中でも大好きな一編だ。本書に収められている。「関節話法」が著者の短編の中で傑作に数えられていることは、本書を読む少し前に世田谷文学館で開催された筒井康隆展において、パネル上に著者直筆の原稿を拡大した「関節話法」の全編が展示されたことからも確信できる。今まで「関節話法」には何度も笑わされてきたが、この時も巨大な原稿を読みながら、笑いが堪えられなかった。

本書にレビューは不要。ただ読んでください、とお勧めすればいい。あとはハマってもらうだけ。ところが、こういう世界にハマるであろう長女に貸したところ、読んだ様子がない。著者が原作を書いた「パプリカ」は好きなはずのに。情報があふれている今、私がキュレーターとなって本書を紹介する必要を感じた。ほとんどの人にとって、ドラマ化や映画化されていなければ、読むきっかけにならないのだ。著者で言うと、「時をかける少女」「家族八景」「富豪刑事」のような。

本レビューを書くために本書をいったん長女から返してもらい、各編を紹介してみる。

「蟹甲癬」
これも私の好きな一編だ。小林多喜二の「蟹工船」といえば、プロレタリア文学の金字塔でありながら、虐殺事件のイメージもあって陰惨なイメージが強い。著者はそのタイトルから、これだけ全く違う傑作を作り上げてしまった。人の顔に疥癬ができ、それがカニの甲羅っぽくなる、という着想。さらにその内側にカニミソに似たうまいものが付着し、人々はこぞってそれを食べるように。ところが、、、、。

もう、着想の天才としか言いようがない。今はあまりみないが、ハナクソを食べる子供は人々の嫌悪の対象となっている。本編はその発想を延長し、極上の一編にしている。短編の理想にも思えてしまう。

「こぶ天才」
コブといえば、奇型の象徴にみられがち。それを、子供の教育に奔走する教育ママのヒステリーと掛け合わせている。付着させ、寄生させることで、天才になれるという寄生生物。コブをつければ容姿は醜くなるが、そのかわりに天才になれる。嫌がる我が子につけようとする教育ママの醜さが描かれる。ところが、、、、

その結果、どうなったか、という結末が著者の風刺精神を全開にしていて、面白い。本編はオチが秀逸ことでも印象に残る。

「急流」
著者が江戸川乱歩に認められたのが「お助け」であることはファンには有名な話だ。自分以外、時間の進み方が遅くなった世界を描いた作品だ。本作は逆に全世界の時間が加速度的に速くなる様子を描いている。ドラえもんのエピソードでも似たような話があった気もするし、本編のアイデアは古典的にすら思える。国外には似たような話がないのだろうか。もし本作が同様のネタの嚆矢だとすれば、すごいことだと思う。

著者の多彩な作風を支えるのはSFであり、スラップ・スティックだ。その典型が本編で読める。

「顔面崩壊」
本編もまた、著者の悪趣味な毒が全開の快作だ。普段、誰もが見慣れている顔面。ただでさえ整っているのに、ご丁寧に化粧までする。だが、そんな顔も河を一枚はがすと、恐ろしい形相へと。そんな見た目にだまされず、著者の観察眼は本質をさらけだす。そこに笑いは生まれ、それが私たちの普段の認識から遠ざかるほど、笑いは増してゆく。

本編も、語り方や落ちにいたるまで、著者が短編の巧者であることを味わえる一編だ。

「問題外科」
本編は既存の倫理を笑い飛ばす著者の真骨頂だ。倫理もへったくれもない、とある病院の外科。医術とは倫理があってこそもの。倫理や職業意識が失われた外科は、なまじ道具も技術もあるだけ始末が悪い。ヨーゼフ・メンゲレや七三一部隊の手術室にアルコールを充満させたらこんな風になるだろうか。本編に描かれたような振り切った毒々しさこそが著者の素晴らしさだと思う。

笑いとは、既存の価値観を崩した先にある。医は仁術。そんな価値観が跡形もなく壊されたあと、本編のような笑いが残る。

「関節話法」
冒頭に書いた通り、私にとって本編は笑い袋に等しい。言葉とは意味がつながってこそ。それが乱された時、本人が真剣であればあるほど、笑いは増大する。不謹慎なほどに。そういう笑いのエッセンスが全て本編には詰まっている。

間接を関節と読み替えるだけでここまでの物語を作り上げる著者には、本当に脱帽だ。尊敬する。

「最悪の接触」
これまたコミュニケーションの不条理を描いている。そしてそのシチュエーションは、SFという便利な道具を用いれば、自由自在に設定できる。SFの可能性を感じさせる一編だ。異星人とのコンタクトは、SFでは必須のプロット。これをここまでの笑いに変えられる著者の才能に、いつもながら尊敬する。もはや嫉妬できるレベルからははるかに超越している。

同じ人類でも、コミュニケーションの難しさを感じさせることがある。本編には、そうした絶望や達観もあるだろう。そこで諦めるず、鮮やかに笑いに変えられることに、著者の文学的な才能があるのだと思う。

「ポルノ惑星のサルモネラ人間」
著者の父上は、天王寺動物園の園長も務めた著名な動物学者だったという。その博物学の素養は著者にも受け継がれているはずで、著者の他の作品には博物誌と名がついたものもある。そうしたが医学な知識をSFに適用したらどうなるか、という見本のような一編だ。ここにもSFの装置を使うことで、無限の可能性が生まれる実例がある。

本稿をアップする数日前、同じ世田谷文学館で開催された小松左京展を訪れた。著者の肉声を聞くこともできた。そこで感じたのは、SFの限りない可能性だ。本書はSFの可能性が存分に感じられる。40年以上前に書かれたというのに。技術を追うことがSFではない。既存の価値観を取っ払えるからこそSFなのだ。

‘2018/10/16-2018/10/16


あさあさ新喜劇 「しみけんのミッションインポジティブ」


26、7年ぶりの吉本新喜劇。そらもうめっちゃおもろかった!ゲラゲラ笑って、夏の暑さを吹き飛ばす。これが関西のお笑いやねん! クーラーの効きが悪うてスンマヘン、と座長の清水けんじさんが謝ってはったけど、暑さも感じひんほど、笑った一日やった。もう満足満足。

終わった後は、楽屋口のコロラドの入り口で、妻の友人、佑希梨奈さんと立ち話。圧巻のアドリブの嵐やった舞台の興奮をまくし立てる私。このライブ感が笑いの原点やがな!と一人でツボに入りまくり。もちろん妻も大笑い。いやあ、よかったよかった!

と、ここで観劇レビューを終えてもええんやけど、せっかくなんで、もうちょい書いてみよかいな。

前回、私が吉本新喜劇を観たのは、私が大学一年生の頃。当時、私がアルバイトをしていたダイエー塚口店のバイト先の社員さんやパートさんたちとなんばグランド花月まで観に行った。本場の吉本新喜劇を前にゲラゲラ笑ったのをめっちゃ思い出す。

今回の帰省で妻は、賀茂別雷神社にお参りをしたいと望んでいた。そのため、最終日は家族で京都を訪れるつもりだった。ところが、この日照りの中、興味もない神社には行きたくないと娘たちは言う。なので急遽、妻と二人きりの旅が決まった。そんな時、妻がFacebookで見かけたのが、妻の友人である佑希梨奈さんの書き込み。それによるとちょうど祇園花月の吉本新喜劇に出演しているとか。せっかくの機会なので、佑希さんの舞台を観たいと妻がいう。私も異論はない。26、7年ぶりの吉本新喜劇。しかも祇園花月にはまだ行った事がない。よし、行こうか、と夫婦の意見が合い、祇園花月での観劇が予定に加わった。

阪急の西宮北口から神戸線と京都線を乗り継ぎ、終点の河原町へ。鴨川を渡り、南座や八坂神社を横目に見ながら、祇園花月に到着。あたりは京都の風情と芸能の色で染まっている。祇園花月の外見は見るからにコテコテの吉本印。吉本のおなじみのキャラクターのパネルが入り口に立ち、いかにもな感じを醸しだしている。

うちら夫婦が訪れたこの日、吉本興業は、闇営業問題で大きく揺れている真っ最中。けど、問題なのはテレビに出ずっぱりの売れっ子だけの話。そうした問題は、昔からの演芸を地道にまじめにやっている吉本新喜劇にはあまり関係がないはず。私はそう信じている。

開幕前の前説ではピン芸人の森本大百科さんが、軽妙に客を盛り上げつつ、今日の客層をさぐろうとしている。一階席の前半分はほぼ埋まっていたが、後半分の席は私たちを含め四、五人しか座っていない。私たちの後ろの席はすべてがら空きで、いささか寂しい客の入り。まさか闇営業問題が尾を引いているとは思いたくないけれど。

客の入りが少ないのも理由があり、あさあさ新喜劇と名付けられた演目は新喜劇のみ。午後は、新喜劇のほかに漫才やその他、舞台芸が演じられる。私がかつて観たのもそうだった。けれど、あさあさ新喜劇は新喜劇のみ。だから値段が安く設定されているのだろう。

「しみけんのミッションインポジティブ」と題された演目のあらすじは、旅館の娘たちを狙う結婚詐欺師を捕まえるため、旅館の前に張り込む両刑事と旅館の人々が織りなすドタバタの物語だ。そして、冒頭に書いた通りとても面白かった。何が面白いかと言うとライブ感がすごいのだ。もちろん、練り込まれた笑いだって面白い。けれども、その場のアドリブや即興で逸脱していく面白さも喜劇の醍醐味だ。私はそう思う。客席からのヤジを絶妙に受け返してこそなんぼ。舞台に出る演劇人はそうしたあうんの呼吸を学び、台本にない演技をこなす「芸」を舞台の上で鍛え上げてゆく。

今回、見た舞台で言うと、チャーリー浜さんのアドリブや、山田花子さんのアドリブが目立っていた。山田花子さんは今の吉本をめぐる問題をおいしくアドリブのセリフにかえ、笑いをとっていた。そのアドリブのきわどさは座長の清水けんじさんを焦らせるほど。

そして、チャーリー浜さんだ。前回、私が見たときはちょうどチャーリー浜さんの全盛期にあたっていた。その時もチャーリー浜さんは舞台を食っていたような記憶がある。往年の「ごめんくさ〜い」のギャグは今回も健在。出演者一同がずっこけるのも相変わらず。そうしたお約束のボケツッコミは、吉本のDNAのようなもの。見に来たかいがあってうれしい。ただ、それよりも今回すごいなと思ったのは、アドリブのすごさだ。

清水けんじさんとの掛け合いは、あまりに二人の掛け合いのテンポが良いので、あらかじめ決まった台本なのか、と思えるほど。ところが、掛け合いの中で、大御所であるチャーリー浜さんにツッコミを入れる清水けんじさんのセリフはだんだんヒートアップしていく。台本にないアドリブをかますチャーリー浜さんを座長として叱っているようにも思えてくる。あらかじめ決まった筋書きが突如命を吹き込まれたような瞬間。こうなるともう完全なアドリブの世界だ。絶妙なアドリブを挟みつつ、その全てが観客にとってクスグリとなり、笑いを誘発する。それがすごい。さらに、ゲラゲラ笑えるのに二人の笑いは誰も傷つけない。せいぜい傷つくのは清水けんじさんの座長のプライドぐらい。

私は、今回まで清水けんじさんのことを全く知らなかった。吉本新喜劇の座長と言えば、過去のたくさんの名物座長が浮かび上がる。ところが私は、今の座長が誰かなんて知らずにいた。そんな私の認識を、清水けんじさんの姿は一新してくれた。チャーリー浜さんに猛烈にツッコミを入れる座長はすごいなと思った。こういう即興の笑いを生み出せる喜劇人は、いつ見てもすごいと思う。頭の回転が速くない私にとっては憧れだ。

何もかもがデータ上で流れる今。映画、テレビの笑いは編集された笑いになりつつある。視聴者もまた編集されたことを前提で笑っている。しょせんはスクリーンやテレビ越しの笑い。時差と空間差のある笑いだ。しかも、スポンサーや世論に遠慮して、どぎつく際どい笑いはもはや味わえなくなりつつある。ところが、新喜劇のお笑いには即興性がある。しかも誰も傷つけない笑いを会得しているため、忖度や遠慮は無用。だから面白いのだろう。

私は、喜劇とは生身のライブ感で味わうのがもっともふさわしいと思っている。それを心から感じ取れた笑いの時間だった。出演者の皆さんが、即興で笑いを呼び込む空間を作り、観客はそれに乗っているだけでいい。これこそ笑いの殿堂だ。確かに、よく練られたコントは絶品だ。面白い。だが、笑いとは場を共有することによってさらに増幅する。テレビにはそれがない。

舞台が始まる前、ズッコケ体験を受け付けていた。私たちも申し込んだ。ズッコケ体験とは、観客が舞台の上でギャグにズッコケられる観客体験型のイベント。舞台が一度終わった後の舞台挨拶で、ズッコケ体験の方々が四名呼ばれた。私は申し込んだ時点でズッコケ体験ができるものと思い込んでいた。四名の次に呼ばれるのは自分だと思い、どうやってズッコケようか真剣に悩んでいた。財布も席に置いて行こうとすら思ったほどだ。抽選で四名の方だけ、ということを知り拍子抜けした。次回、もし舞台の上でずっこけられたら、少しは私も笑いの極意が身に着けられるだろうか。

あー、東京でビジネスやっていると、笑いのセンスが身体から抜けていく。そもそも、こういう時間が取れてへんなあ。また見に行かんならん。

‘2019/08/04 祇園花月 開演 10:30~

https://www.yoshimoto.co.jp/shinkigeki/gion_archive/ar2019_07.html


俳句と川柳 「笑い」と「切れ」の考え方、たのしみ方


鷹羽氏の俳句入門を読み終えた後、続けて本書に手を取った。
俳句と川柳。実際のところ、この二つの違いってよくわからない。季語があってワビサビがあるのが俳句。滑稽な風刺があれば川柳。こういう認識でしかなかった。

本書には、俳句と川柳の二つの違いが理解できればと思って臨んだのだが、期待はかなり裏切られた。それも良い方向と悪い方向に。

良い方向とは、この二つの違いが歴史も含めて大枠で理解できたこと。
悪い方向とは、自分の中で俳句を詠むことに対する自信が喪われたこと。

たが、本書は私にとって重要であり必要な一冊となった。その重要性は、本書を何度か読み返したいと思わせるほどであった。本稿執筆にあたりその思いはますます高じ、元々図書館で借りてきた本書を改めて購入した。

「俳句が世界で一番短い詩型であるとするならば、川柳もまた、世界で一番短い詩型ということになる」

第一章「十七音の文芸」の冒頭は、このような文章から始まる。確かに。蒙を啓かれた思いだ。俳句が世界で一番短い詩であることは今までも意識していたが、川柳もまた同じであることには思い至らなかった。冒頭に置かれたこの文章から、私が川柳を俳句より一段下に置いていたことに気付かされた。

この文からも、著者は俳句と川柳に芸術の格差はなく、上下の区別を付ける必要もないことを読者に突きつける。俳句は連歌の発句に、川柳は連歌の平句に源を持つとの解説がある。なるほど、ともに連歌を発祥としているのか。ところが、俳句や短歌は辛うじて触れたことのある私だが、連歌となるとほとんど馴染みがない。発句や平句と云われてもピンとこないことを認めねばならない。しかし本書は連歌についても丁寧に説明があり、安心できる。本書を通じて、私は日本の国語教育から連歌や川柳への教えが抜けていることに疑問を抱いた。それほどに本書の記述には教えられることが多かった。

さて、本章で覚えておかねばならないのは、切字の存在。切字とは「古池や 蛙飛び込む 水の音」の3文字目の”や”のこと。この”や”によって、一句の中に、”古池”と”蛙の飛び込む音”の二つの構造が存在する。これを二重構造性と本書では呼んでいる。また、俳句といえば季語は欠かせない。連歌の冒頭を飾る発句には、必ず季語と切字がなくてはならない。これがお約束となる。逆をいえば季語があっても切字による二重構造性がなければ、例え五・七・五の形式であってもそれは平句であり川柳とされる。切字を川柳と俳句を分ける重要なファクターとして説く著者の持論は、本書を通して一貫している。

第二章「俳句に必要な「笑い」とは」では、川柳がお笑い専用で、俳句は文芸との固定観念に揺さぶりを掛ける。

俳句と聞けば厳粛な芸術であるとの固定観念が我々には根強く残っている。しかし著者は俳句もまた笑いの文芸であったことを説く。俳句の起源が連歌の発句であることは先に書いた。さらには、連歌は雅語で、俳句は俗語で、というのが定説だったらしい。そしてその流れからか、芭蕉が世に出る前は、俳句は滑稽な文芸であることは常識として世に通っていたという。では、芭蕉が俳句の笑いを殺し、侘び寂びの世界に閉じ込めた、と著者は断罪したいのだろうか。そうではない。むしろ著者は芭蕉にも笑いの精神があったことを指摘している。それは以下の文章にも表れている。

 芭蕉が求めた「笑い」とは、一句の中で「あはれ」と融合し、瀰漫した「笑い」(たはぶれこと)であったのかもしれない。(本書42-43頁)

しかも明治の子規や子規門下の俳人たちにとって、俳句にある笑いの要素は評価の対象だったことが記されている。しかし、その笑いへの認識はやがて歴史のかなたに消えてしまった。その原因として、著者は以下のように言っている。

例え芭蕉自身は「笑い」への配慮を怠らなかったとしても、俳諧の発句から「笑い」の要素が、少しずつ少しずつ影をひそめていったことは、否定できないのかもしれない。人々には、芭蕉の発句の「笑い」の質が見きわめにくいのである。(本書48頁)

続いて著者は、俳句の笑いを今に伝える句として、千代女の

朝顔に 釣瓶とられて もらひ水

を挙げる。有名な句である。そして、この句の3語目が“に”であることから、切字が無い句であることを指摘する。また、実はこの句には人口に膾炙していない双子の句があるという。

朝がほや つるべとられて もらひ水

こちらは、3語目が“や”となり、“朝がほ”と“や”を挟んだ“つるべ”以降が二重構造になっている。ここに俳句と川柳の違いがあると著者は云う。そして後者の切字のある句には前者の持つ分かりやすい笑いではなく、芭蕉のいう瀰漫した笑いがあるというのである。ちなみに、「瀰漫」という語彙の意味は、わたしもすぐに出てこなかったので記しておく。一面に広がり満ちること。はびこること、だそうである。

第三章「川柳のルーツを探る」では、様々な史料から例を挙げ、川柳の誕生時の由来に迫る。著者の論によると、俳句のアンソロジーを源流とするのが川柳であるそうだ。そしてアンソロジーの前書きとしての応募句を募ったところ、庶民から最高で23348句集まるほどに人気を集めたという。このあたりの感覚は、サラリーマン川柳に多数の応募が集まる現代にも通ずるところがある。サラリーマン川柳に注目する我々が当時を生きていたとすれば、同じように応募し、川柳の世界に嵌ったかもしれない。川柳が当時の江戸町衆から支持されたのもとっつきやすさにあったと著者は述べている。

第四章「発句・川柳句合競演」では、川柳と俳句の違いを改めて俯瞰する。俳句ばかりか川柳からも滑稽性が失われることを著者は憂えている。つまり滑稽の有無だけが俳句と川柳を分けるのではなく、むしろともに持つべきものであることを改めて宣言するのである。その上で、著者は切字の重要性を再度持ちだす。切字があるのが俳句であり、ないのが川柳であると。そして江戸期の句合集から、俳句と川柳で似たような意味をもつ句を並べて論評する。なるほど、本書のように並べられると俳句と川柳の違いもより分かろうというものだ。切字によって二重構造性を備えているのが俳句であり、切字がなく平易に流れるように一文が情景として浮かぶのが川柳と思えば分かりやすい。だが、本章は何度も何度も読みなおさねば川柳と俳句の違いは体得できないに違いない。

第五章「子規の俳句革新と川柳観」では、改めて俳句について分析を進める。それは芭蕉が確立した俳句ではない。明治に俳句を改革せんとした子規の俳句である。夏目漱石の友としてしられ、明治の俳壇に新風を巻き起こした正岡子規。陳腐化しつつあった俳句を建て直した人物として、今なお尊敬を集める人物である。著者は子規の俳句論に筆を進める前に、まず芭蕉を振り返る。芭蕉が俳句の笑いを重視していたことは第二章で触れた。芭蕉が目指したのは、笑いしか残らない俳句ではなく、笑いと芸術を両立させることにあったこと。著者はその点に改めて読者の注意を向ける。さらに、芭蕉の革新性とは、詠む対象と対峙し、よく見て良く聞いたことにあると喝破する。対象に対して自らが感動し、その感動を俳句として表す。そこに芭蕉の俳人としての姿勢があること。本章で著者は松尾芭蕉という俳人の凄さを、口を極めて述べる。私は本書を読む中で、自分自身の詠む句に徹底的に自信を無くすのだが、対象と対峙した句を詠む、という点だけは自負できるのではないかと思う。

ところで、芭蕉が革新的な人物であったことは子規もよく認識していた。では、それにも関わらず子規はなぜ、明治の俳壇に新風を巻き起こしたのだろうか。そこには蕉門廃れた後の俳壇の衰退があった。明治中期頃の俳壇は、月並調とも言われ、その句は実に退屈なものに堕ちていたという。子規も著者も、その点は一致している。本章では、月並調の特徴が紹介されている。著者が子規の論を5つにまとめたのが、以下に記したものとなる。
1. 読者の感情よりも、知識に訴えようとする。
2. 意匠(趣向)の陳腐を好み、新奇を嫌う。
3. 言語の懈弛を好み、緊密を嫌う。
4. 洋語を排斥し、漢語、雅語についても消極的である。
5. 特定の俳人の作品を無批判的に評価し、作品そのものを自らの基準で評価することをしない。
その後、月並調の俳句がずらりと俎上に上げられている。私のような素人ですら、そこには説明臭が強く、対象への感動が徹底的に欠けていることが理解できる。そしてそれらの句は私の作った駄句に似ている気がする。本稿の冒頭で、自分の中で俳句を詠むことに対する自信が喪われたと書いた。私の詠む句は月並調の俳句にも劣るのではないか。私はかなり凹んだ。本稿を書いている今もまだ凹んでいる。少なくとも俳句に関しては本書を読んでかなり凹まされた。

さて、子規である。本章では子規が起こした俳句革新運動の流れが事細かに記されている。俳句という言葉を発明したのも子規ならば、写生を大切にという運動を提唱したのも子規。若くして夭折したことが惜しまれる偉大なる文人だったといえよう。ただ、子規は俳句と川柳の違いを笑いの質に求めていたと著者は云う。しかし本書を通して著者は、俳句と川柳を分ける重要な要素を切字の有無としている。しかし子規は切字の有無は問うていない。それにも拘わらず著者は子規を一切批判しない。それでいいのかもしれないが、一抹の違和感は残った。

代わりに著者は、子規の述べた次の言葉を賞賛する。

俳句にして川柳に近きは、俳句の拙なる者。若し之を川柳とし見れば、更に拙なり。川柳にして俳句に近きは、川柳の拙なる者。若し之を俳句とし見れば、更に拙なり。

つまり川柳と俳句の境が曖昧な句はまずい、と。この文を読んだ私がさらに自分の句に自信を無くしたのは云うまでもない。つまり切字を意識していないし、滑稽も重視していない私の句への痛烈な一言である。別に著者に私の句を添削してもらった訳でもない。だが私自身、本書の随所に載っている俳句論の語句に堪えたのだ。つまり、川柳にも俳句にもあらず。そういう句をひたすら詠んでいるだけではないか、と。

しかし、両者の区別を付けること、両者の違いを曖昧にさせないことは、当世の川柳作者や俳人も認めており、実は苦心していることらしい。

第六章「久良岐と剣花坊の川柳革新」では、一世を風靡した川柳が、俳句と同じくすっかり明治になって理屈っぽくなり、面白くなくなっていたことを紹介する。そして、俳句における子規のように、川柳では阪井久良岐と井上剣花坊が川柳革新の旗を掲げた。それを著者は「よし」とする。しかし阪井久良岐は、それまでの川柳のつまらなさゆえに、性急に川柳に芸術性を与えようとしてしまった。そのことによって笑いを忘れたとの批判は忘れていない。ここでも著者は俳句と川柳に笑いを求める姿勢を繰り返し述べる。

それにしても明治という文明開化の世が、日本からすっかり余裕を失わせてしまったのだなあと思わざるを得ない。よく戦前の日本を描く際、明治はよかったが大正デモクラシーの後、昭和初期の暗さはよくないとされる。いわゆる「坂の上の雲」史観とでもいおうか。しかし本書を読むと、日本から諧謔や笑いやゆとりが奪い去られたのは昭和ではなくもっと早い明治だったのではないか。思考の硬直が起こった明治に端を発し、ますます生硬になり進路変更もままならなくなった日本が昭和20年まで突っ走ったともいえる。そういった通説をも覆すヒントにも本書は成り得る。

第七章「川柳作者の見た俳句」では、川柳作者も俳句作者もその依って立つ芸術の本質を見失っているのでは、という第五章の最後で取り上げた著者の問いをより深めた章である。ここで著者は日野草城という俳人を登場させる。日野草城は昭和初期に活躍した俳人であり、私も初めて聞く名である。草城は、俳句を五七五の定型として定義付けたという。そして著者はここでも切字の有無を主張する。川柳は「うなづかせる」文学であり、俳句は「感じさせる」文学との草城の主張に同意しつつも、その二つを分ける構成上の特質に切字があることに気付かない以上、草城の主張は全面的に賛成できない、と。ここまで来ると読者は切字の重要性をいやでも意識せねばならない。

ただ、草城はそれでも俳人でありながらその視線を川柳まで遣った。それは珍しいことと著者はいう。逆にいえばそれだけ他の俳人は川柳を無視しているのだろう。そして川柳作家は俳句を意識した発言が多いそうだ。そして俳句と川柳を融合させるという一部の試みについて著者ははっきりと釘を刺すことを忘れない。本書を読んだ以上、そのような試みについては私も反対の立場を採る。一方で、著者がいう「川柳とは何か」「俳句とは何か」を考え続けることの大切さにも同意しようと思う。私の作句の腕がどこまで上達するかにもよるのだが。

第八章「「切れ」とは何か」では、改めて切字が俳句を俳句足らしめることをまとめとして解説する。古池や~の句における“や”が切字であると著者は書いた。しかし、実は切字に拘らずとも、句に二重構造が成立していれば、その句は「切れ」ているのだ、と著者は云う。実際切字の使用率は低下しているのだとか。二重構造の片割れを「首部」、もう片割れを「飛躍切部」と呼び、そのブロックが一縷のイメージで繋がっていれば、その距離が離れていればいるほど面白い俳句、と著者は云う。その上で現代俳句。川柳の秀作を多数例に挙げている。ブロックによる二重構造性の保持。面白い。実に面白い。

本書は最後に俳句の国際化の例として英文の俳句にも言及する。そしてそこにも切れや二重構造性の法則は適用できることを述べる。その視点で見て行けば、日々の俳句欄もまた新鮮な目線で鑑賞できるかもしれない。

冒頭にも書いたとおり、本書からは刺激されたものが実に多かった。難解でありながら知的刺激に満ちた本書は、今後も折に触れて紐解こうと思う。レビューの執筆にもかなり難儀したが、再度きっちりと本稿を書けたことで、より本書の理解が深まったと思う。これはレビューを書くことの効能と言える。

‘2014/11/14-2014/11/17