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やぶれかぶれ青春記


本書も小松左京展をきっかけに読んだ一冊だ。

小松左京展では、著者の生い立ちから死去までが、いくつかの写真や資料とあわせて詳しい年表として紹介されていた。
著者の精力的な活動の数々は、小松左京展でも紹介されていた。あらためて圧倒された。だが、若い時期は苦しみと挫折に満ちた青春時代を送ったそうだ。小松左京展では、それらの若い頃の雌伏についても紹介していた。
だが、業績や著作があまりにも膨大な著者故、著者の若い頃については存分に紹介されていたとはいいがたい。少なくともその時期に焦点を当てた本書に比べれば。

本書は、著者のファンではなくても、自伝としてもと読まれるべきだと思う。それほど素晴らしい。そして勉強になる。何よりも励まされる。

やぶれかぶれ、というのはまさに文字通りだ。
本書の性格や意図については、本書のまえがきで著者自身が書いている。少しだけ長いが引用したい。

「編集部の注文は、大学受験期を中心とした、「明朗な青春小説」というものだった。ーそして、それは私自身の自伝風のものであること、という条件がついている。」(7P)

「まして、私の場合など、この時期と、戦争、戦後という日本の社会の、歴史的異常状況とが重なってしまったから、とても「明朗な青春」などというものではなかった。なにしろ妙な時代に生まれたものである。私の生まれた昭和六年には、満州事変がおっぱじまり、小学校へ上がった十二年には日中戦争がはじまった。五年生の時太平洋戦争がはじまり、中学校にはいった年に学徒動員計画がはじまった。徴兵年齢が一年ひきさげられて、学徒兵の入隊がはじまった。中学二年の時にサイパン玉砕、中学生の工場勤労動員がはじまり、B29の大空襲がはじまる。中学三年の時には大阪、神戸が焼野が原となって終戦、あとは占領下の闇市、食料欠乏の大インフレ、預金凍結、新円切りかえ、中学五年で旧制三高にはいったと思ったら、その年から学制が現在の六三制にかわり、旧制一年だけで新制大学第一期生に入学、その年日本は、大労働攻勢と、大レッドパージの開始で、下山、三鷹、松川事件と国鉄中心に会事件が続発し、翌年朝鮮戦争勃発…。政治、思想、人生などの諸問題、そして何よりも飢餓と貧困にクタクタになって、やっと昭和二十九年、一年おくれで卒業した時、世の中は「もはや戦後でない」という合い言葉とともに「神武景気」「技術革新」の時代に突入しつつあった。その年、家は完全に倒産した。」(12P)

小松左京展でも、著者の戦時体験については一区画が設けられていた。著者の諸作のあちこちに反戦の思いが散見され、著者が心から戦争を嫌っていたことが感じられる。
実際、右傾化した世の中で、著者は相当ひどい目に遭わされたそうだ。そのことが本書にも紹介されている。

鉄拳制裁や教師の無定見からくる差別。理不尽な扱いはしょっちゅう。
何のためにやっているのかわからない勤労奉仕。無意味な作業。
そして戦後になったとたん、戦時中に放っていた勇ましい言葉をすっかり忘れたかのような大人たちの変節。

中学生の時に著者が受けた扱いの数々は、当時の世相や暮らしの実態を知る上でとても興味深い。

戦後、人々がなぜあれほどに左翼思想へと走ったのか。それは戦時中の反動からという説はよく目にする。
実際、著者も大学の頃に共産主義の運動に足を突っ込んだことがあるという。
それもわかるほど、軍国主義に嫌気がさすだけの理由の数々が本書には書かれている。

戦後になって一念発起し、旧制高校にはいった時の著者の喜び。それは本書からもよく感じ取れる。
その無軌道な生活の楽しさと、それが学制改革によって一年で奪われてしまった著者の無念。それも本書からはよく理解できる。

よく昭和一桁世代という。だがその中でも昭和六年生まれの著者が受けた運命の運転や、その不条理な経験は本書を読んでもうんざりさせられる。人を嫌いにさせるには充分だ。
著者の計り知れない執筆量。さらには文壇や論壇の枠からはみ出し、万博への関与や政財界にまで進んだエネルギーが、全てこの時期に培った反発をエネルギーと変えて噴出させたことも本書を読むとよく理解できる。

大学に進んだ著者は、完全に自由なその生活を謳歌する。そしてやぶれかぶれのやりたい放題をする。
その辺の出来事も面白おかしく描かれている。

自伝によくあるのは、ドラマチックなところだけ取れば面白いが、その他の経歴は淡々と読み進める類のものだ。だが、本書は、エピソードの一つ一つが破天荒だ。そしてどれもがとても面白い。そのため、どんな人にとってもスイスイと読めるはずだ。

本書で描かれる大学時代の日々はとても面白い。だが、ある日になって浮かれている著者を置き去りにして周りがフッと醒めていく。周囲の空気の変化を感じた著者が、モラトリアムの終わりを予感するくだり。本書は私にとっても身につまされる描写が多い。

本書に描かれていない出来事は他にもある。そうした情報は小松左京展でも展示されていた。
実家の工場の倒産と、工場長として後始末に駆けずり回る毎日。残された借金を返済するために大量に書きまくる日々。そうした苦しみの数々を小説へのエネルギーに変えたところなど、とても面白い。
おそらくこの時期の著者には面白い出来事をもっと持っていることだろう。そうした体験は著者が別の場所に発表しているはずなので探してみたい。

そして、私にとっては、もう二度と戻ることのない青春時代に、もっとはちゃめちゃな毎日を過ごしておけばよかった、と思うのだ。
私の場合はそれを取り戻そうと、中年になった今でも自由で気ままに生きようと日々を生きているつもりだ。だが、著者のやぶれかぶれで破天荒な青春にはとてもかなわない。

末尾には著者のこの時期を物語る四つの短編が納められている。
「わが青春の野蛮人たち」「わが青春」「わが読書歴」「気ちがい旅行」

これらもあわせて読んでいくと、巨大な著者の存在がより近づく。またはより遠くなってしまう。だが、より親しみを感じられるはずだ。

冒頭にも書いた通り、本書は自伝としてとても推薦できる一冊だ。

‘2019/12/30-2019/12/31


この国の空


戦争を知らない私の世代は、わが国の空が敵機に蹂躙されていたことを実感できない。

もちろん、その事実は知っている。
上空を悠然と行きすぎるB29のことは文章で読んだことも写真で見たこともある。B29の編隊が発する禍々しい音すら録音で聞いたことがある。
だが、実際にその場にいなかった以上、その刹那の差し迫った気配は想像で補うしかない。

戦中の世相についても同じだ。
戦中の暮らしをつづった日記は何冊か読んだことがある。小説も。映画でも。
ところが、そこから実際の空気感を掴むことは難しい。
全ては情報をもとに脳内で想像するしかないのだ。

空襲警報が発令された際の切迫感。非国民と糾弾されないための緊張感。日本が負けるかもしれない危機感。そして日本は神国だから負けないと信ずる陶酔感。そのどれもが当時の空気を吸っていないと、味わえない。語ることもできない。

そうした雰囲気を知るには、むしろ戦地の切迫した危機感の方が分かりやすいのかもしれない。
飛び交う銃弾や破裂する地面。四散する戦友の肉体。映像の迫力は戦場の恐怖を再現する。たとえそれが表面的な視覚だけであっても。痛みも強烈なストレスもない架空の映像であっても。
もちろん、そうした戦争の悲惨さは、実際に体験するのと映画で安全な場所で傍観するのとは根本的に違う。それはわかっているつもりだ。
『プライベート・ライアン』の描写がどれだけ真に迫っていようとも、それは聴覚と視覚だけの問題。
私は戦場のことなど何も分かっていない。

だが、視覚だけでも曲がりなり分かったような気になれる戦場よりもさらに難しいのが銃後の生活の雰囲気の実感だ。

生活の雰囲気とは、実感するのが意外と難しい。今の現実ですら、文章や映像で表現しようとすると、とたんに曖昧な霧となってつかみ所が消える。
人々が生活しながら、さまざまな思惑を醸し出す。無数のそれが重なり合って時間が流れによってさまざまに移ろいゆく。そうしたものが重なり合って雰囲気は作り上げられてゆく。それは現場を生きていなければ、後から絶対に追体験できないものだ。

当時を生きた人々の日記に目を通すと、人々が案外自由に生きていたことに気づく。
国家総動員法や治安維持法、度重なる戦意亢進の標語で窮屈だっただろうし、市民の生活は統制され、重い空気が立ち込めていたことは事実だろう。だが、人々はささやかではあるが生活の合間に息抜きを見つけていた。
要領の良い人は物資を溜め込み、ひそかなぜいたくにふけることもできたようだ。本書にも婚礼のシーンが登場し、時節に似つかわしくない献立の豪華さに登場人物が鼻白む下りがある。

雰囲気を再現することは難しい。だが、事実は細部に宿る。
小説家はそうした当時の空気感を再現するため、作品を著す際は細かい描写を連ねてゆく。
本書もそうした難しい作業の積み重ねの上に築かれた作品だ。

普段の登場人物たちが生活する上での立ち居振る舞い。交わされる会話。そうした細かい部分が当時の空気感をどれだけ再現できるか。時代に配慮された文章が連なることで、小説の世界観に現実感が備わり、迫真度が増してゆく。

軍の言うがままの機関に成り下がった政府がとなえるスローガンも、庶民の家の中まで監視することはできない。大本営発表も、この国の空を飛びすぎる敵機を欺くことはできない。
市井に生きる人々は暗く窮屈な世相の中、家庭の中では本音や苦しさを出していた。

著者はそうした市井の会話を丹念に拾い集め、歴史の流れに消えていった戦時中の世相を明らかにしてゆく。
元より、本書に登場するのは時代を同じく生きた人々のうち、ほんの一部でしかない。
だが、配給や出征、空襲や窮乏生活は、当時の人々が等しく認識していた事実。あり、そうした事実をつなぎ合わせるだけで、当時の空気感の一端は窺える。

見落としてはならないのは、日々の生活が全く失われた訳ではなく、日常は続いていることだ。
日は上り、夜を迎え。ご近所付き合いはあり、いさかいも起きる。そして男女の間に情が交わる。
戦争中、そうした余裕がなくなるのは空襲や機銃掃射や艦砲射撃、または原爆投下に遭遇した場合だろう。だが、それ以外の時間は辛うじて日常が送れていたといってもよいだろう。

ただし、その日々にはどことなく高揚感のようなものも紛れ込んでいて、
それこそが銃後の生活の特徴と呼べるものかもしれない。その高揚感は、平和な時代の住人には理解しにくい。

本書でも19歳の里子と隣人の市毛は、惹かれ合う。市毛は、たまたま妻子を疎開させているだけの中年だというのに。
それは戦時中の高揚した雰囲気がそうさせるのだろう。
赤紙一枚で容易に人が銃後から戦地へと送られる現実。そうした危ういみらいも、人を普段とは違う選択に踏み切らせる。

だからこそ、戦争が終わり、空虚な安心感の中で、里子は現実に目覚めたかのように市毛に見切りをつける。平和になれば市毛の家族は疎開から戻ってくる。高揚感の失われた現実の生活とともに。

そうした雰囲気を著者はうまく描写している。著者は終戦を15歳で迎え、最も多感な時期を戦中に過ごしたわけだ。道理で本書の描写が説得力に満ちているわけだ。

’2018/11/17-2018/11/19

978-4-10-137413-0


B29墜落―米兵を救った日本人


本書も前年秋に淡路島で訪れた学園祭のブックバザーで無料でいただいた一冊だ。

太平洋戦争も敗色が誰の目にも明らかになった昭和20年。多くの国民が「戦局必ずしも好転せず」を理解したのは、日夜を問わず日本各地に飛来したB29を見上げてからだろう。日輪の下を、夜の闇の中をゆうゆうと舞い、大量の焼夷弾をばらまいて行く機影。その圧倒的な機数と不気味な飛来音は、戦争の悲惨さを象徴していたのではないか。

防衛部隊も日本上空を覆い尽くすB29に手をこまねいていたわけではない。高射砲で応戦し、撃ち落そうと試みる。が、高射砲はB29のはるか下方で破裂し、B29に損害どころか脅威すら与えない。高射砲の射程距離よりも上空を飛ぶB29は、悠々と飛び去ってゆく。結果、ほとんどのB29が無傷だったと伝わっている。だが、全く撃ち落とせなかったわけではない。日本の各地で何百機(本書では485機。米側資料では327機)かは撃墜に成功したらしい。そのすべてが撃墜できたのではなく、その中には機体の整備不良その他の原因で墜ちた機もあったことだろう。

本書はそのうちの一機、今の茨城県守谷市とつくば市の間、旧板橋村に落ちたB29について書かれた本だ。著者は幼い頃、その様子を見聞きしたという。そして、長じてから幼き日に経験したこの事件に興味を持ち、その一部始終を調べた。その成果が本書だ。

本書は落ちた地に住んでいた著者を含めた住民からの視点で書かれている。ただ、墜落機の乗員のその後と、遺族の立場にも配慮していることが特記できる。両方の立場から墜落を描いていることは、特定のイデオロギーや史観に囚われない著者の良心として評価したい。

太平洋戦争時の日本について、評価は今もなお分かれている。鬼子日本の所業と今も非難し続ける国もある。南京大虐殺はなかったとし、東京裁判は連合国による一方的な見せしめ裁判とする立場もある。私ばどちらの立場にも与しない。前者は一部の日本人の行動を指して、日本のすべてを悪としているから。後者は一部の人の行動やその判決を日本人全体のことと受け止めているからだ。一部の行いを集団に広げて解釈せずにはすまない。それは極端な見方でしかない。その場所や立場によって流動的に立場も責任も変わっていくはず。だから、究極的にはその時代、その場にいた者にしか戦争犯罪は断罪はできないはず。そう思っている。日本の軍人にも立派な行いをしたと伝わる人は何人もいる。逆に中国や朝鮮半島に住んでいた民衆で卑劣な行いをした人もいたはず。

当時の我が国もそう。標語である鬼畜米英の言葉が街中に流布していた。ましてやB29といえば国土や親族を焼き払ってゆく憎んでも憎みきれない悪魔の兵器。不時着した米兵は本来ならば人道的に捕虜として取り扱われるべき。だが、米軍捕虜を虐待した事例があったことは、遠藤周作氏の『海と毒薬』でも知られているとおり。当時の日本人の一部が非難されるべき行いをしたことは公平に認めねばなるまい。

それを前提としてもなお、一部の日本人の行いをもって全ての日本人を断罪するのはおかしい。善か悪か。全ての日本人をどちらかに寄せようとするからおかしくなるのだ。著者は、旧板橋村に墜ちたB29の事例を通じて、その極端な評価に一石を投じたかったのだと思う。当時のすべての日本人が米兵を憎んでいたのではない。墜落し、傷ついた米兵に対し、敵味方を超えて接した村民がいたのだ。その事実を著者は丹念に追ってゆく。旧板橋村に墜ちたB29からは、3人の米兵が生存者として救出された。だれが救出したのか。もちろん旧板橋村の住民たちだ。住民たちは米兵を放置せず、虐待もせず、そして介抱した。介抱した上でしかるべき部署に引き渡した。八人はやけどがひどく、墜ちた時点ですでに死んでいたという。が、住民たちはそれらの敵兵をきちんと菰に包んで埋葬したという。

住民たちが救出した3人は、本書によると土浦憲兵隊に渡されたという。そしてそのうち一人は戦犯として死刑にされ、残り二人は麹町の捕虜収容所で米軍の空襲に遭い、命を落としたとか。

彼ら自身の命が失われたことは残念だ。だが、彼らは言ってみれば戦死だ。しかも敵国の領土で死んだ。それは、あえていえば仕方ないことだ。彼らは、敵国の領土を侵犯し、大勢の人々を殺しあえる、そして死んだ。ただ、彼らの死が残念だと思うのは、もし彼らが戦後も生き、旧板橋村の住民の救助を覚えていてくれたら、ということだ。そうすれば当時の日本にも、捕虜をきちんと扱う住民がいたことがもっと知られていたのに。

著者は彼らの戦死の背後に、日本人による救助活動があったことを記し、後世に残してくれている。

先に、著者の視点を評してバランスとれている、と書いた。それは、亡くなった十一人の米兵の遺族にも連絡を取り、きちんとフォローしていることだ。米兵にだって遺族はいる。B29から大量の焼夷弾を落とし、多数の日本人を殺した。そんな米兵とはいえ、愛する家族がいたこともまた事実。家庭ではよき父、良き夫、良き息子であったかもしれない。それなのに、戦争では敵国に赴き、多くの家族を殺戮せねばならない。それこそが戦争の許しがたい点なのだ。著者はそういった配慮も怠らずに米兵たちのその後を書く。

マクロな視点から見れば、戦争とは国際関係の一つの様態に過ぎない。そこでは死は一つの数字に記号化される。だが、ミクロの単位では死とは間違いなく悲劇となる。 そして、悲劇であるが故に憎しみの応酬が生まれる。その応酬は無益としかいいようのないものだ。著者の調査は、無益な憎しみを浄化するためにも価値のあるものだ。

本書にあと少し工夫が欲しいな、と思ったことがある。それは本書の構成だ。少し前段が冗長のように思う。本書は前書きで旧板橋村へのB29の墜落、村人による救出活動を描く。そのあと、著者はアメリカでの対日国民感情の悪化、戦局の推移、空襲の発案といった空襲の背景に筆を費やす。それから、日本国内を襲ったり焼夷弾爆撃の実態を描く。本格的に主題となるB29の墜落と米兵の救出の一部始終が採り上げられるのは、本書も半ばを過ぎた頃だ。これはバランスとして偏っているように思った。

著者の執筆姿勢が一人一人の米兵の生い立ちや遺族とのやりとりにまで及んでいて、丁寧な作りであるだけに惜しい。年代順に並べる意図はわかるが、前書きと最初の章で墜落自体を書いた後で、じっくりと背景を描いても良かったのではないだろうか。

だが、それらは、著者の苦労を無にするものではない。日米の不幸な歴史を一機のB29の運命を素材に描いた本書は、素晴らしい仕事だと思う。

‘2017/01/23-2017/01/24


アメリカひじき・火垂るの墓


実は著者の本を読むのは初めて。本書のタイトルにもなっている「火垂るの墓」も初めてである。しかし、粗筋はもちろん知っている。スタジオジブリによるアニメを一、二度見ているためだ。「火垂るの墓」は、アニメ以外の文脈からも反戦という括りで語られることが多い。そのため私もすっかり知ったつもりになっており、肝心の原作を読めていなかった。今回が初めて原典を読むことになる。きっかけは「火垂るの墓」が私のふるさと西宮を主な舞台としているからだ。故郷についてはまだまだ知らないことが多く、ふるさとを舞台にした芸術作品にもまだ見ていないものが多い。折を見て本書を読むいい機会だったので今回手に取った。

一篇目「火垂るの墓」の文体は実に独特だ。独特な節回しがそこかしこに見られる。しかしくどくない。過度に感情に訴える愚を避けている。淡々と戦争に翻弄される兄妹の境遇が語られる。

戦争が悲惨なことは云うまでもない。多くの体験談、写真から、映画や小説、舞台に至るまで多数語られている。普段、慎ましく生活する市民が国の名の下に召集され、凄惨な銃撃戦に、白兵戦に否応なしに巻き込まれる。銃後の市民もまた、機銃掃射や空襲で直接の被害を受ける。もう一つ、間接的な被害についても忘れてはならない。それは子供である。養育する大人を亡くし、空襲の最中に放り出された子供にとって、戦争はつらい。戦時を生きる子どもは、被害者としての時間を生きている。

「火垂るの墓」が書かれた時代からも、60年の時を経た。今はモノが余りすぎる時代だ。私も含めてそのような時代に育った子供が、「火垂るの墓」で描かれた境遇を実感するのはますます難しくなっている。西宮を知っている私でも戦時中の西宮を連想することはできない。「火垂るの墓」は今まで著者自身によっても様々に語られ、事実でない著者の創作部分が多いことも知られている。それでも、「火垂るの墓」は戦争が間接的に子供を苦しめることを描いている。その意義は不朽といえる。

我が家では妻が必ず見ると泣くから、という理由により滅多にみない。水曜ロードショーであっても土曜洋画劇場であっても。しかし、そろそろ娘達には見せておかねばならないと思う。見せた上で、西宮のニテコ池や満地谷、西宮浜を案内できれば、と思う。これらの場所が戦時中、アニメに描かれたような貧しさと空腹の中にあったことを如何にして教えるか。私の課題とも言える。もっとも訪れたところで今の子供たちに実感することは至難の業に違いないだろうが。

本書には「火垂るの墓」以外にさらに五篇が収められている。まずは二篇目「アメリカひじき」。こちらは敗戦後の日本の世相が描かれている。そこでは復興成ったはずの日本に未だに残る負け犬根性を描いている。未だ拭い去れない劣等感とでもいおうか。TV業界に勤務する俊夫の妻京子が、ハワイで知り合ったヒギンズ夫妻を客人として迎え、好き放題されるというのが筋だ。俊夫は終戦時には神戸にいて、戦時中のひもじさや、進駐軍の闊歩する街を見てきている。父は戦死したが、空腹には勝てず、ギブミーチョコレート、ギブミーチューインガムと父の敵である進駐軍にねだる。終戦の日にアメリカが神戸の捕虜収容所に落とした物資の豊かさと、その中に混ざっていた紅茶をアメリカひじきと思って食べた無知の哀しみ。

ヒギンズ夫妻は、すでに引退したが、かつて進駐軍として日本にいたことがある。俊夫と京子のおもてなしは全て袖にされ、全く感謝もされない。我が道をゆくかのごとく自我を通すヒギンズは、もてなされることを当然とする。その上で俊夫と京子の親切心は全てが空回りとなる。食事も性欲も、すべてにおいて俊夫の想像を凌駕してしまっているヒギンズには、勝者としての驕りが満ちている。その体格や態度の差は、太平洋戦争で日米の戦力や国力の差にも通ずる。

挙句の果てに接待に疲れ果てて、諍いあう俊夫と京子。俊夫と京子が豪勢な食事を準備したにもかかわらず、その思いを歯牙にもかけず、別の場所に呼ばれて行ってしまったヒギンズ夫妻。俊夫はその大量の食材をせっせと胃の中に収めるのであった。その味は高級食材であっても、もはやアメリカひじきのように味気ないものでしかない。

今でこそ「お・も・て・な・し」が脚光を浴びる我が国。野茂、イチロー、錦織、ソフトボール、ラグビー、バブル期の米資産の買い占めなど、表面上はアメリカに何ら引け目を感じさせない今の我が国。しかし、世界に誇る高度成長を遂げる前はまだまだ負け犬根性がこびりついていたのかもしれない。「アメリカひじき」には、その当時のアメリカへの複雑な感情が盛り込まれており、興味深い。

今でこそ、対米従属からの脱却を叫ぶ世論。あの当時に決められた一連の政策を、それこそ憲法制定から間違っていたと決め付ける今の世論。だが、当時は当時の人にしか分からぬ事情や思惑があり、今の人には断罪する資格などない。「アメリカひじき」を読む中、そのような感想が頭に浮かんだ。

三篇目の「焼土層」は、復興成った日本のビジネスマンが、敗戦の日本を振り返る話。芸能プロダクションに努める善衛には、かつて神戸で12年間育ててくれた養母が居た。それがきぬ。終戦直後の混乱の中、善衛を東京の親族に送り届けるため、寿司詰め電車でともに上京したきぬ。以来二十年、善衛はサラリーマンとして生活し身を立てる。そして身寄りのないきぬは神戸でつつましく生き続け、とうとう亡くなった。きぬを葬る為に神戸へ向かう善衛。

20年の間に、善衛は変わり、日本も変わった。しかしきぬは、何も変わらず終戦後を生きていた。養母へのせめてものお礼にと毎月1万円をきぬに送金していた善衛。が、遺品を整理した善衛は、きぬが善衛からの仕送りだけを頼りに生きていたことを知る。そのことに善衛は自分の仕打ちの非道さを思い知る。そして、忘れようと思った敗戦後の月日が自分の知らぬところできぬの中に生き続けていたことに思いを致す。

云うまでもなく、本篇は戦後の日本の歩みそのものを寓意化しているといえる。日本が何を忘れたのか、何を忘れ去ろうとしているのか、を現代の読者に突き付けるのが本篇と言える。

四篇目「死児を育てる」。これもまた日本の辛く苦しい時期を描いた一篇だ。日本の辛く苦しい時期といえば、真っ先に戦時中の空襲の日々が挙げられる。

主人公の久子は、幼いわが子伸子を殺した容疑で取り調べ室にいる。

子煩悩の夫貞三は伸子をことのほか可愛がっていた。しかし、得体のしれない違和感を伸子に抱き続ける久子。ノイローゼなのか、育児疲れなのか、久子の殺害動機を問い質す刑事たち。取調室の中から、久子の意識は空襲下の防空壕へと飛ぶ。空襲下、まだ幼い妹の文子を喪った記憶に。東京の空襲で母を亡くし、幼い文子を連れて新潟へと疎開する久子。しかし、姉妹に気を配ってくれるものなどいない。防空壕で夜泣きする文子に久子の心身は蝕まれる。文子の分の配給食を横取りし、殴りつけては夜泣きを止めさせる久子。しかも新潟は第三の原爆投下予定地として市民は気もそぞろとなり、久子は文子を土蔵に置き去りにしたことも気付かぬまま飛び出す。戻ってきた時、文子は置き去りにされたまま死に、身体はネズミにかじられていた。

伸子を産んでからの久子が抱える違和感と文子との思い出がよぎり、交差する。我々読者には、久子が伸子を殺した理由を容易に察することが出来る。育児放棄でもノイローゼでもなく、文子への罪悪感といえば分かりやすいか。

本篇における久子と文子の関係は、「火垂るの墓」における清太と節子のそれを想起させる。とはいえ、物語の構成としては「火垂るの墓」よりも文体も含めて洗練されているのが本篇であるように思える。中でも最終頁は実に印象深い。すぐれた短編の持つ鮮やかなひらめきに溢れている。本書の六篇の中でも、本篇は短編として最も優れていると思えるのではないか。また、本篇が反戦文学としての骨格も失わず、短編としてしまった体つきをしていることも印象深かった。

五篇目「ラ・クンバルシ-タ」と六篇目「プアボーイ」は、ともに戦後の混乱の中、身寄りなく生きる少年の無頼な生き様を描いている。この二篇からは戦争の悲惨さよりは、次世代へと向かう逞しさが描かれている。戦争で経験させられた痛みと、その後の復興の最中を生き延びた必死な自分への再確認を、著者はこの二篇に託したとすら思えるのである。そこには、戦後マルチな才能を発揮し、世の中を生き延びた著者自身の後ろめたさも含まれているように思え、興味深い。後ろめたさとは、罪もなく戦争で死んでいった人々に対し、生き延びたことへの無意識の感情だ。

だからといって、著者の生き方は戦死者も含めて誰にも非難できはしまい。私自身も含め。そもそも、私は自粛という態度は好まない。昭和天皇の崩御でも、阪神・淡路大震災でも東日本大震災でも世に自粛の空気が流れたことがあった。しかし、私自身阪神・淡路大震災の被災者として思ったのは、被害者から平穏無事に生きる人々に対して云うべき言葉などないということだ。太平洋戦争で無念にも亡くなられた方々が泉下から戦後の日本について思う感情もまた同じではなかろうか。

著者はおそらくは贖罪の心を小説という形に昇華することが出来た恵まれた方であるとも言える。その成果が、本書に収められた六篇である。そこに贖罪という無意識を感じたとしても、それは私の受け取り方次第に過ぎない。著者の人生をどうこう言えるのは、著者自身でしかないのは論をまたない。そういえば著者のホームページもすっかり更新がご無沙汰となっている。しかしあの往年の破天荒な生き様が失われたとは思いたくない。本書の諸篇にみなぎる、動乱を生き抜いた人生力を見せてもらいたいものだ。

‘2014/11/18-2014/11/22