Articles tagged with: 税理士

一番やさしい簿記


今、クラウド会計システムはどれくらいの種類があるのだろうか。私もよく把握していないが、私の脳裏に即座に浮かぶのは会計freeeだ。

2019年の12月、freee社において開催されたfreee Open Guild #07で登壇を依頼された。そのタイトルは「kintone エバンジェリストがfreee APIを触ってみた」。
登壇の資料を作るにあたり、会計freeeのAPIリファレンスを念入りに読み込んだ。その作業を通して、私はfreee APIのリファレンスにかなりの好印象を持った。わかりやすく見やすいリファレンスを作り上げようという配慮が随所になされている。それはfreee社の掲げるオープンプラットホームを体現していた。
さらにその登壇をご縁として、私はfreee Open Guildの運営スタッフにもお誘いいただいた。
そうした関わりが続いたことで、私の中ではfreee社に対する親しみが増している。
おそらく今後も、私がfreeeとkintoneの連携イベントで登壇する機会はあるに違いない。実際、2020年には両社が共催したfreee & kintone BizTech Hackというイベントで二回ハンズオン講師を勤めた。さらに、freee社よりご依頼を受けて動画コンテンツも作成した。
今後もfreee社から案件を受注する機会は増えていくことだろう。

そんな訳で、私は久しぶりに簿記を勉強しようという気になった。
私は大学の商学部に在籍した頃に簿記三級を取得している。授業の単位取得の条件が簿記三級の合格だったからだ。
私にとって簿記の資格とは、単位のために受けるだけで、当時はなんの思い入れもなかった。それ以来、簿記からは完全に遠ざかっていた。

それは個人事業主として独立した後も変わらずだった。青色申告事業者として事業主登録を行ったにもかかわらず。青色申告者である以上、正式な簿記による経理処理が求められる。だが、私はお世辞にも褒められた簿記はやっていなかった。さらに法人として登記してからは、経理の実務は税理士の先生に完全にお願いしており、私自身が簿記の仕訳に携わる機会はますます減った。
ところが今回、freee社とのご縁ができたことで、最低限の知識を得ておく必要に迫られた。できるだけ簡単で、手軽に読める簿記の本を読まねば。そこで、手に取ったのが本書だ。

本書の見開き折り返しには、
本書は
超初心者の基礎学習
3級受験前の復習に役立つ内容です!
と書かれてある。
既に三級を持っていた私には本書の内容はとてもわかりやすかった。
そして仕訳とは何かを徐々に思い出すことができた。

左が借方、右が貸方。単純な内容だ。取引を必ず対となる借方と貸方に記載する。その時、借方と貸方の勘定科目に書いた金額の合計は一致しなければならない。
それが複式簿記のたった一つの要点だと思う。

もちろん税理士の先生になりたければそれでは足りない。複雑な簿記を流暢に使いこなすことが求められる。
だが、仕訳と決算さえこなせればよいぐらいのレベルであれば、本書ぐらいがちょうどいい。

冒頭のプロローグでは、著者がいかにして簿記一級に満点で合格できるまでになったかと言う経歴がわかりやすい文章で書かれている。

歯科診療所の受付をやりながら、出入りしていた税理士さんに憧れ、簿記を勉強して始めたこと。何度もあきらめそうになりながらこつこつと勉強を続け、簿記一級を満点で合格したこと。今では公認会計士として働いているそうだ。

超初心者向けと言うだけあり、本書は簡単な仕訳の処理方法が何度も何度も繰り返し登場する。それは懐かしい宿題のドリルのようだ。
資産、負債、資本、そして費用と収入。この5つが簿記の中では基本の枠となる。取引の属する勘定科目によって、その5つのどこに入るかを当てはめていく。そして結果として左右が合計金額で等しくなるように振り分けてゆく。

ただ、借方と貸方の左右に振り分ける当て込みの方法は案外と難しい。右と左が収益と費用で変わることも理解を難しくする。

勘定科目の金額が正の値である場合、適した勘定科目が属する枠に転記する。逆に負の値である場合、反対側に転記すればいい。
そしてそれが対となる勘定科目では逆の位置になる。それさえ覚えれば、仕訳については何とか理解できる。
本書を読んでいるうち、大学時代に受けた簿記の知識がよみがえってきた。

本書はまさに一番やさしい簿記とうたうだけあって、かなりの説明を仕訳に割いている。
私の印象では全体の6割が仕訳の説明に当てられている。次々と仕訳の事例が登場し、それに取り組むうちに読者は自然と仕訳に慣れていく。そういう仕掛けだ。

本書は、伝票についても説明が割かれている。伝票は受発注のシステムを作る上で不可欠の知識だ。私の仕事でも頻繁に登場する。
ただし私は今まで伝票のことをデータ管理の観点からとらえていて、簿記や経理の観点からは考えてこなかった。だが、実は伝票とは簿記の必要から生れた仕組みなのだ。私は本書を読んでそれを理解した。仕訳帳に記帳するかわりに伝票に記帳するようになったいきさつなど、学びからはいつになっても新たな発見をもたらしてくれる。
三伝票制、五伝票制があることも本書によってもう一度教えられたことだ。三伝票制は入金伝票、出金伝票、振替伝票で管理する。五伝票制はそれに売上伝票と仕入伝票が加わる。
売上伝票の勘定科目は売掛金しかなく、仕入伝票の勘定科目は買掛金しかないこと。
こうした知識も本書を読んで再び学びなおせた。仕事で使っている知識の歪みが補正されるのは学ぶ者の喜びだ。

また、決算書の作り方についても本書は丁寧に説明してくれている。
私も決算書は最低限の見方だけは知っている。だが、その作り方となるとさっぱりだった。
本書の説明を聞いていると、その仕組みが理解できる。そして、会計システムのありがたみが実感できる。
その進化系であるクラウド会計のこれからも楽しみだ。

‘2020/02/05-2020/02/09


硝子の葦


帯のうたい文句にこう書かれている。
「爆発不可避、忘却不能の結末
ノンストップ・エンタテイメント長編!」
さすがにこの文句は盛りすぎだと思う。
でも、一気に本書を読めたのは確か。

序章で厚岸の街を舞台に起こった爆発事故。そこで亡くなった幸田節子は、なぜ死ななければならなかったのか。本書は冒頭に爆発事故を置くことで、なぜ爆発事故が起こったのかという謎を読者に提示する。その謎を解きほぐすため、爆発事故までの出来事を追ってゆくのが本書の構成だ。厚岸といえば、北海道の東に位置する牡蠣が有名な海辺の町だ。だが、厚岸はさほどにぎやかな街ではない。それどころか単調な気配が濃厚だ。

ところが、そんな街に住む幸田節子の周囲は単調とは程遠い。複雑な家に生まれたためか、節子は人間をさめた目で見る。さらに人生に対しても乾いた感性でしか向き合えないようになってしまった。彼女は厚岸で飲み屋を営んできた母の律子から虐待を受けていた。律子の男との関係は奔放で、節子の父親も流しの漁船員だという。一夜だけの関係を結んだだけで行方知れずになった父。父を知らず、奔放な母に育った節子は、尖ったりグレる前に、人生を達観してしまった。達観のあまり、人生を平板なものと考えている。そして何の期待も希望も持たずに人生を過ごしている。だからこそ節子は母の元愛人だった喜一郎からの求婚を受け入れたのだ。喜一郎の求婚は、気楽な人生を送らないか、という愛情とは遠い言葉だった。そして節子は、喜一郎の経営するラブホテルに隣接した住居で日々を送っている。

節子は日々を無意味にしないため、短歌の会に参加している。喜一郎の援助のもと、自費出版で歌集も出した。そのタイトルが「硝子の葦」。葦は中が空洞であり、うつろ。硝子は折れやすくもろい。まさに節子の人生観そのもののようなタイトルだ。

そんな節子の日々は、喜一郎が事故を起こし、意識が不明のままというニュースで一転する。ニュースが入って来たその時、節子は結婚する前まで勤めていた税理士事務所の所長澤木と情事の最中だった。澤木は長年喜一郎の事業の経理を担当しており、なにくれとなく節子にも目をかけてくれている。喜一郎の事故をきっかけに、次々に節子の周りに事件が起こる。

節子の作風は性愛。男女の営みをテーマに取り上げるのは、ラブホテルの隣に住むことで己の人生に溜まってゆくオリを取り除くためだろうか。だが、節子の歌は、会の中で節子を少し浮いた存在にしていた。ところがもっと浮いているのが同じ会に属する佐野倫子。家族の健やかな平和と穏やかな日常を描く彼女の短歌に何か偽善のにおいを感じ、節子は佐野倫子を遠ざけていた。それなのに、佐野倫子の方から節子に近づいてくる。

節子の予感は正しく、佐野倫子の旦那の渉は倒産した地元百貨店の親族。日々、生活感のなさを発揮し、落ちぶれた己のうっぷんを妻子にぶつけるダメ夫。娘のまゆみは日々虐待を父から受けている。

そんな日々を描きながら、物語は徐々に疾走を始める。冒頭にあげた帯の文句ほどにはスピード感はないが、物事が次々につながっていき、そして冒頭の爆発事故に至る。その後、どうなってゆくのかは、これ以上書かない。ミステリの要素と犯罪小説の要素が濃い本書。その中で核となる節子の人生の転換がわざとらしくないのがいい。

なぜわざとらしさを感じなかったのか。それは、本書の中で随所に描かれる色彩と関係があるのかもしれない。冒頭から爆発の火と煙で幕を開ける本書。そして主な舞台となるのは、けばけばしいラブホテル。カバーイラストにもある壊れた車の鮮やかな朱色。読者は本書にちらつく艶やかな原色のイメージに気づくはず。ところが、節子の心情を表わすかのような乾いた世界観と、原野を思わせる北海道のイメージが本書の色合いを徐々にセピアに変えてゆく。原色からセピアへと色褪せていく描写。それが節子のあり方にわざとらしさを感じられなかった原因かもしれない。短歌の会という限られた場の閉塞感とラブホテルから漏れ出る性愛の爛れた感じが、節子の乾いたセピア色の世界にアクセントを加える。本書の色相はセピアの中に原色が時折混じり、それが本書のアクセントだ。その原色は節子という一人の女性が願った輝きだったとも解釈できる。

著者の作品を読むのは初めて。Wikipediaの著者の項に書かれていたが、著者の実家は本書と同じくラブホテルだったそうだ。しかも名前まで同じ「ホテルローヤル」。だからこそ著者は、ここまで実感を持ってラブホテルを書けるのだろう。しかもどこか距離をおいて男女の営みを眺めるような視点で。しかも著者は釧路出身だという。厚岸にほど近い地に育ち、道東に広がる原野になじみ、それでいてラブホテルの色彩感覚を知る。だからこそ本書のような色彩感覚が生み出せたのだと思う。

私はあの道東の色を忘れたような色彩感が好きだ。厚岸も。その近くの霧多布湿原も。かつて訪れた道東の静寂にも似た色合い。本書から感じたのは道東の色遣いだ。本書を読み、また道東に行きたくなった。そして、著者の他の作品にも目を通したくなった。旅情にも通じる色彩の描写を楽しむのも、本書の読み方の一つかもしれない。

‘2017/08/04-2017/08/05