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やし酒飲み


本書はアフリカ文学の最高峰としての評価を得ているようだ。
私も本書の独特の世界に惹かれた。

アフリカと聞くと、私たちは子供の頃に刷り込まれたイメージに縛られてしまう。
未開の地。広大なサハラ砂漠を擁する北部。またはサバンナのそこら中に野生動物が闊歩している大陸。
旱魃や腹を肥大させた子供の写真が脳裏に刻まれている。ルワンダのフツ族とツチ族の凄惨な内戦がニュースを彩った日からさほどたっていない。
民族同士で無益な抗争に明け暮れる一方で、極度の飢えに苦しんでいる。そんな印象が強い。

いわゆる発展途上国だらけの大陸。
そんな印象が今や一新されていることは、ネットで少し検索してみればすぐ分かる。
大都会には高いビルも並んでいる。インフラが整う前に世界の情報技術の恩恵を受けたため、モバイルを使ったマイクロ・エコノミーが他国より発達している。
むしろ、文明に疲れ始めた西洋文明の諸国よりもアフリカにこそ今後の発展が約束されている。そんな話もよく耳にする。

とはいえ、アフリカは遠い。私たちにとってネットで知る実情のアフリカは、幼い頃に聞いたターザンがジャングルで動物と語らうアフリカに及んでいない。それが正直な印象だ。

その印象に縛られた視点から見た時、本書が描くアフリカは私たちの幼い頃の印象を上書きしてくれる。
呪術が有効で、不可思議な出来事が頻繁に起こる地。

主人公はやし酒造りの名人を求め、あちこちを旅して回る。
この構成は、私たちがよく知る日本神話の世界に近い。
日本神話の中では、イザナギが黄泉の国に行った妻を追い、山彦は兄たちに言いつけられて旅をする。そしてスサノオは、さまざまな地をさまよう。

旅は神話にとって、欠かせない要素だ。ギルガメシュも旅をしていたし、モーゼと彼に従う人々もエジプトから約束の地を目指した。

本書は、まさに神話の世界を現代の物語として著している。
もっとも、アフリカにも人々が語り継いできた物語があるはずだ。著者がそれらを思い起こしながら本書を著したことは間違いない。
しかも本書で主人公たちはJUJUというものに願いをかけ、その力で困難を乗り越えていく。

JUJUとは、依り代のようなものに違いない。それは私たちも神話の世界でお馴染みのものだ。
例えばスサノオは八岐大蛇を退治する前、生贄にされそうになっていたクシナダヒメを櫛に変えて八岐大蛇と対決する。
そもそも、国産み神話からして、イザナギとイザナミがかき混ぜた矛から滴り落ちた雫から国が産まれる。スサノオもイザナギの鼻から産まれたとされている。(左の眼から天照大神、右の眼から月読命)。神自体をものから産まれたものとみなすのが日本神話だ。
今でも山そのものを御神体とみなして祈る風習は私たちの中に普通に息づいている。他にも呪いの藁人形の習俗もある。

本書で主人公がJUJUに願いをかけ、願いを託す行動は、実は日本人にとっては特に珍しくないことが分かる。
また、本書に登場する出来事は乱雑で雑多に思えるかもしれない。だが、それらは日本であってもお馴染みの概念だ。

例えば王様やそこで働く人々の間にある労働のあり方。さらには、生産と消費のつながり。また感情と制度の反目も描かれている。芸術と仕事の対立も。
もちろん本書が最も念入りに描いているのは生と死の表裏一体の関係だ。結局、先に挙げた概念も生と死を取り巻く出来事に過ぎない。
私たちは何のために生き、死ねばどうなるのか。それは日本だろうがアフリカだろうが全く関係なく、どこでも共通の関心事である。

本書をそのように読めば、この混沌とした物語の筋が通り始めてくる。

本書はやし酒をモチーフにしている。物心がついた後、飲むことしか能のない主人公がやし酒造りの名人を求めてさまよう話だ。だが、単なる酔っ払いの話ではない。
もちろん、人は酔うとあれこれおかしな妄想を頭に湧かせる。
一方で、普段の生活ではそのような妄想は理性の名の下に押さえ込み、人前ではおくびにも出さない。
その裏側では押さえ込まれた想像力がスキを見つけて表に出ようとたくらんでいる。
酒を飲めば理性のブロックが外れ、あらゆるものが混じり合った想像力の出番だ。人の内面には得体のしれない想像力が渦巻いている。

だからこそさまざまなものが入り混じった、本書のような取り留めもない神話の世界は私たちをどこか懐かしい思いにさせる。
理性にブロックされた整然とした世界でなく、ありったけの想像力を駆使した奇想天外な世界。
本書は、そのような多彩な物語を展開するからこそ、西洋文明の人々に支持されたのだろう。

本書の巻末で訳者の土屋哲氏が、実は本書はアフリカでは評判が高くなく、西洋諸国でとても高評価を得ていると紹介している。

それは西洋が理性の名のもとに押さえつけた、整然としない内面を本書が存分に開放しているからだろう。

冒頭に記した通り、幼い頃に植え付けられたアフリカに対するイメージはぬぐいがたい。だが、そのイメージのまま、豊かな想像力を押さえ込むのが正しいと思い込まされていないだろうか。むしろそのような原始的な力こそが、人間を人間として強くするように思う。
これから情報技術はより進化し、私たち人間の外で圧倒的な力を発揮していくに違いない。その時、私たちはもう一度自らの人間的な能力に目を向けるはずだ。この豊潤の想像力をどのように操るか。本書はそれをまさに体現した一冊だと思う。

‘2020/05/26-2020/05/29


成功している人は、なぜ神社に行くのか?


本書は、神社に祈ることの効用を勧めている。その中にはスピリチュアルな視点も含んでいる。
本書が説く効用とは、端的に成功を指している。成功とは政治や経営なども含め、人を統率し、その名を天下に残すことにある、と考えてよいだろう。
古今、天下人の多くは特定の神社を崇敬していた。成果を上げ、成功した人の多くに共通するのが、特定の神社を熱く崇敬していたことだという。

私は神社仏閣によく立ち寄る。
訪れた旅先の地に鎮座する神社で旅の無事を祈る。そして家族、会社、地域や親族の発展を望み、日本と世界の安寧を願う。

私は誰に祈っているのか。
もちろん、神社であれば御祭神が祀られている。寺であれば安置された仏様がいる。
私の祈りはおおまかにいえば、それらの神仏に対して捧げられている。
ただ、私は具体的な神仏を念頭に置いて祈っていない。例えばスサノオノミコトとかタケミカヅチとか、廬舎那仏とか。私は、目の前の本殿や本堂に鎮座する神仏というより、自分の中に向けて真剣に祈っている。

当たり前だが、宗教が信仰の対象とする神は私の中にはいない。私にとって神仏とは目に見える形で存在するものでもない。
仮に神仏がいたとしても、そうした存在は私たちの認識の外にいる、と考えている。例えばこの宇宙を創造した存在がいたとする。その知的存在を神と呼ければ、神は実在すると考えてもいい。だが、私たちにはその存在を認識することは到底無理。なぜなら宇宙ですら知覚が覚束ないのに、その外側から宇宙を客観的に見ることのできる存在を知覚できるわけがないからだ。
だから私は、神は目に見えず、知覚も不可能な存在だと考えている。
とはいえ、神が知覚不能の存在だとしても、自分のうちの無意識にまで降りることができれば、神の片鱗には触れられるのではないだろうか。その無意識を人は昔から集合的無意識といった言葉で読んできた。
神のいる世界に近づくためには自分を深く掘り下げる必要がある。私はそう思っている。

では、自分のうちに遍在するかもしれない神に近づくためにはどうすればよいか。必ず寺社仏閣で詣で、そこで祈ることが条件なのだろうか。
私は日常の生活では神に近づくことは容易ではないと思っている。
なぜなら、日常はあまりにも雑事に満ちているからだ。自分の無意識に降りられる機会などそうそうないはず。

今、わが国は便利になっている。外を歩いてもスマホをつければ情報がもらえる。
ふっと思い立って旅することも、いまや気軽にできるようになった。
それは確かに喜ばしいことだ。
だが、その便利さによって、あらゆることが気持ちを切り替えずにこなせるようになってきた。気持ちと集中力を極限にまで高めなくてもたいていのことはできてしまう。
だが、その状況になれてしまうと、正念場にぶちあたった際、人は力を発揮する方法を忘れてしまう。
仕事でも暮らしの中でも、いざという時の集中力がなければ乗り超えられない局面はやって来る。
危機的な状況に出会うたびに、日常の態度の延長で局面にあたっていても大した成果は得られない。

自分の中で気を整え、集中して力を発揮するための術を身につけておかないと、平凡な一生で終わってしまう。自分の中で気持ちを切り替えるための何かの言動が必要なのだ。
だから、私たちは神社仏閣に訪れ、静謐な空間の中で祈る。日常からの変化を自分の中に呼び覚ますために。

私も長じるたびに雑事に追われる頻度が増えてきた。その一方で、スキルやガジェットを駆使すればたいていのことはこなせるようになってきた。
だが、ここぞという局面で成果を出すためには、気持ちを込める必要も分かってきた。そうでなければ成果につながらないからだ。そのため、私は神社仏閣で祈る時間を増やしている。たとえスピリチュアルな感覚が皆無だとしても。

さて、前置きが長くなったが本書だ。

冒頭にも書いた通り、わが国には幾多の英雄が名を残してきた。今でも政治家で国の政治を動かす立場になった人がいる。
そうした人々の多くに共通するのが、神社を熱く崇敬していたことだ。
古くは藤原不比等、白河上皇、平清盛、源頼朝、北条時政、足利尊氏、豊臣秀吉、徳川家康から、現代でも佐藤栄作、松下幸之助、出光佐三、安倍晋三。etc。
藤原不比等と春日大社、平清盛と厳島神社。源頼朝と箱根神社。徳川家康と諏訪大社。

それらの偉人のうち、何人かは自らが祭神になって祀られている。
有名なのは豊国神社。豊臣秀吉が祀られている。日光東照宮と久能山東照宮には徳川家康が。日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎は東郷神社の祭神でもある。

今までの歴史上の物語を読むと、そうした英雄が戦いの前に神社で戦勝を祈願する描写のいかに多いことか。
祈りとは「意(い)宣(の)り」。つまり意思を宣言することだ。
言霊という言葉があるように、意思を常に宣言しておくことは意味がある。常に意思を表に表しておくと、周りの人はそれを感じ取り、御縁を差し伸べてくれる。
かつて聞いたエピソードで、こんなことが印象に残っている。それは電話相談室の回答で、流れ星を見かけたら三回願いを唱えられたらその願いは叶うのはなぜか、という質問への回答だ。
なぜ願いは叶うのか。それは流れ星を見たら即座に自分の願いが三回思い浮かべられるほど、普段から頭の中でその願いを考えているからだ。

私も法人を立ち上げた40歳過ぎから神社への参拝頻度を増やした。
この忙しない情報処理業界でなんとか経営を続けて居られるのも、こうした祈りを欠かさなかったからではないかと思っている。
上に書いた通り、自分の中でけじめをつけ、気持ちを切り替えるためだ。

本書には禰宜や宮司さんが行うような神道の正式な参拝方法が説明されているわけではない。
むしろ、私たちが気軽に神社で参拝するためのやり方を勧めている。
もっとも基本になるのは、年三回は参拝に行くこと。そしてきちんと心の中で祈ること。
私の祈り方はまだまだ足りないし、精進も必要だろう。そのためにも本書を折に触れて読み返してみたい。

‘2020/05/19-2020/05/22


日本書記の世界


令和二年。日本書記が編纂されて1300年。
その年に日本書紀を解説する久野先生の講演を聴く機会をいただいた。講師の後、久野先生ご自身が書物に署名してくださる機会にも恵まれた。久野先生の日本書記にかける熱い思いは、私に日本書紀の世界への興味を抱かせた。それもあって、入門篇と言える本も読んでみたいと思った。
久野先生の日本書紀への熱い思いには感銘を受けたが、だからこそ、主観を排した中立の立場で書かれた研究書を読まなければ、と思った。また日本書記が中立の立場からどのように捉えられているかについても知っておきたかった。
本書は著者による主観を排し、なるべく客観的な事実を述べることに終始している。私の目的に合致している。

本書はまず概観の章が設けられている。
そこでは日本書紀の成立年代が養老四年(七二〇)であること。六国史の第一の書として編纂されたことが記されている。
他にも、編纂の材料がどこからとられたか、名称や年表、執筆者、内容といった、日本書記の全体像の大筋が取り上げられている。

日本書紀は、直前に日本を騒乱の渦に巻き込んだ壬申の乱によって資料が散逸するなど、編纂にあたっての苦労があったようだ。
さらに、日本書記がわが国の歴史を振り返る史書として、手本となる中国の史書に遜色のない内容と体裁を目指したことによって、編纂者による苦労は大だったようだ。
そのため日本書紀は同時期に編纂された古事記との違いを打ち出すためか、漢文で書かれている。古事記との比較においても注目すべき内容が多い。

日本書記は舎人親王による編纂が中心だが、紀清人らが執筆の実務に当たったことも紹介されている。
わが国の最初の史書であるがために、神代の時期から歴史を取り扱うことが求められた。証拠も文書も残っていない伝説を史書としていかにして取り扱うか。そうした編纂者たちの苦労にも著者は筆を割いている。
凡例をどうするか。漢文調をどうするか。名称については当初は日本書紀ではなく、日本紀であったこと。そもそも借字日本紀と言う別の日本書記の存在や、和銅五年に上奏された日本書紀の存在説など、日本書紀には別の版があった可能性を本書は説明している。

また、日本書記の紀年方法は古くより議論が絶えない。初めの頃に在位していた天皇の物故年齢や在位年数が異常に長く設定されていること。年数が長い理由について、古くからさまざまな諸説がとなえられてきたが、結局のところ定説と言われる紀年方法はないこと。
また、歴史上の出来事の出典はどこから題材としたのか、という問題も重要だ。なぜなら、わが国の歴史とされているものが実は中国側から見た歴史に過ぎないと言う問題もはらんでいるからだ。本書には日本書記の出典元として、多様な書物が紹介されている。史記、漢書、後漢書、三国志、梁書、隋書、藝文類聚、文選、金光明最勝王経、淮南子、唐実録、東観漢記。

こうした成立にあたっての処処の問題を考えると、日本書紀とは単純に礼賛だけしていれば良い類の文書ではなさそうだ。もちろん日本書紀がわが国最初の史書であり、尊重すべき対象であることは当然だが。

そこから本書は内容の紹介に移る。まず神代の時代。神々が誕生し、神々が国土を生む。さらに日月神が生まれ、天照大御神から誕生した神々が地に満ちていく。天孫降臨神話から、海幸山幸の物語、スサノオの挿話が紹介される。

さらに神武天皇の実績が描かれる。
神武天皇とは、言うまでもなく初代天皇である。神武東征もよく知られた神話だが、日向の高千穂が出発地として設定されている。実はその理由について、定説がない。本書にもそのことに触れているが、私としても日本国家の成り立ちがどこかについては、興味が深い。

続いて綏靖天皇から開化天皇までのいわゆる欠史八代の天皇について書かれている。この部分に関してはあまり研究は進んでないようだ。
さらには景行天皇、成務天皇について。景行天皇とは、いわゆる日本武尊の父とされる。そうした日本武尊の伝説と史実の比較も著者は指数を割いている。
続いての応神天皇と神功皇后は、本書の中でも多めに取り扱われている。それはその時期に目立つ天皇の在位年数に空白がある問題だ。一説に神功皇后=卑弥呼という説もあるが、その説も踏まえ、同時期になんらかの巨大な争いがあったことが示唆される。この時期も古代史の愛好家にとっては興味深い部分だ。
古代史でも日本書紀の記述の中でも、この部分はクライマックスの一つだ。大陸や朝鮮半島の史書と日本書紀がリンクし合い、謎が解けそうな予感。何かが明らかにされようとしているのに、それが決して解決されない。そのロマンも日本書紀の魅力に数えて良いだろう。

同時にこの時期は、大陸や半島からの人物の来日や文化の流入が相次いだ時期でもある。その意味でもわが国にとって重要な時期であることに間違いはない。
その後の仁徳天皇も、最大の陵墓を擁する天皇として知られている。が、その知名度のわりに、仁徳天皇の事績と伝えられたものが実は根拠もなく曖昧であることを本書は指摘している。

この辺りからの歴代天皇の記述には不自然な年数が見られなくなる。が、一方で天皇に対する描写が荒れはじめる。そこで描かれた天皇の業績は、とても神々の末裔を描いたとは言えない。
家臣に殺された安康天皇や、雄略天皇、武烈天皇が成したとされる残虐な行いの数々。
政府が編纂した史書であるにもかかわらず、天皇を貶めた表現がある。著者はこの部分を天皇観に異なる解釈があったのではないかと指摘している。こうした部分についての著者の解釈はとても慎重であり、断定をしないように気を配っている。

続いての継体天皇からは、著者は国体の系統に何かの断絶があったことを示唆している。
むしろ、この時期は対半島との関係や、仏教伝来についての記述が増えていることを指摘する。

こうして記紀は蘇我氏と物部氏の争いや、聖徳太子、大化の改新から壬申の乱へと記載が続く。
著者の姿勢は断定を避け、あくまでも諸説並列を原則としている。
記述は簡潔で、特定の立場に依拠していない。そのため、入門編としてスイスイ読み進められる。

以降の本書は、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、明治以降に続く日本書紀の研究史を紹介する。
先人たちによる多くの研究の上に日本書紀は解き明かされてきた。だが、先に見てきた通り、まだまだ日本書記には根本の部分で謎が多い。
そして、それが人々を惹きつけてきたこともまた事実だ。

私としては、本書を入門書として折りに触れて目を通したい。そして、基本的な知識を忘れずにいたいと思う。

‘2020/03/26-2020/03/28


日本昔話百選


日本昔話と言えば、私たちの子どもの頃は市原悦子さんのナレーションによる土曜夜のアニメがおなじみだった。よくテレビで見ていたことを思い出す。
また、子どもの頃、わが家には坪田譲治氏によって編纂された日本昔話の文庫本があった。私はこれを何度も読み返した記憶がある。

長じた今、あらためて日本の昔話とはどのようなものだったかを知りたくなった。そこできちんと読み返してみようと思った。本書は大きな新刊の本屋さんで購入した。
本書は三省堂が出している。三省堂といえば辞書の老舗出版社だ。そうした出版社が昔話についての本を出しているのが面白い。辞書に準ずるぐらい、永久に収められるべき物語なのだろう。

日本昔話とは、誰でも知っている「桃太郎」や「浦島太郎」「舌切雀」といった話だけではない。それ以外にも名作は多い。
知られている昔話の他にも、面白い作品はまだまだ埋もれている。
私がかつて読んでいた坪田譲治氏の作品で覚えているのが「塩吹き臼」だ。欲をかいた男が何でも出てくる臼から塩を出したまま、止め方を知らぬまま船とともに海に沈む。どこかの海の底で今もなお、臼から湧きだし続けている塩が海の水を塩辛くしたというオチだ。
「塩吹き臼」は、子どもの頃の私に、なぜ海の水は塩辛いのかという疑問に答えてくれた。それとともに、欲をかいてはひどい目にあうとの教訓を与えてくれた。印象に残る「塩吹き臼」は本書に収められている。

昔話と言っても、単に勧善懲悪の話だけではない。寝太郎のように寝ているだけの男が思わぬ富を手にする話もある。それとは逆に実直で堅実な老夫婦に思わぬ幸運が飛び込んでくる話もある。
言いつけを守らなかったばかりに得られるべき幸運を逃す話もあるし、人でない生き物が思わぬ富を持ち込む話もある。

そうした昔話の数々は昔から伝えられてきただけあって、物語として洗練されている。幼い子どもでも理解できる長さで、物語の展開の妙を伝え、教訓をその中に込める。長い間にわたって語り伝えられてきた間に物語の骨格に適度な脚色だけが残されてきた。そうした粋と言えるものが昔話には詰まっている。

本書には全部で100話の話が収められている。

例えば本書の中には「桃太郎」も載っている。本書に載せられた「桃太郎」は川を流れてきたのが桃であることや、長じてから鬼退治に向かうところはおなじみの内容だ。だが、怪力の持ち主との設定だけで、桃太郎は義侠心や正義にあふれた青年ではない。成り行きで鬼退治に向かうところも大きく違う。
おそらく正義感の要素はあとから追加された設定なのだろう。その方が子どもにとって伝えやすいという思惑が加わったのだろうか。

本書の中には「花咲爺」も収められている。本書に載っている「花咲爺」は、私の知っている話とそう違わない。善人の爺さんの身の回りには金になる話が舞い込むが、悪人の爺さんは善人の爺さんの上前をまねる。そしてすぐに成果だけを求めては、うまくいかずにひどいことをする。

本書には「舌切雀」も載せられている。夫婦でも温和な夫と強欲で狷介な妻によって取りうる態度が違えば、得られるものも違う。夫婦であっても物事への対処の仕方によって得られるものが違う教訓は、欲望の醜さを分かりやすく教えてくれる。

本書は各地の古老の名前が何人も載っている。こうした人々が脈々と地域に伝わる話を口承で伝えてくれたのだろう。
だがいまや、こうした話が子どもたちの間に伝わることはほぼないはずだ。炉辺の物語の代わりに、テレビやネットやゲームが子どもたちの時間の友だからだ。わざわざ祖父母から話を聞く必要もなく、時をつぶす楽しみなど無限にある。
現代で失われてしまったものは他にもある。それは地域ごとの豊かな方言だ。本書にも話の中に方言があふれているし、終わりを表す決まり文句として登場する。

面白いのは「文福茶釜」だ。有名なのは群馬県館林市の文福茶釜だが、本書に採録されているのは鳥取県に伝わる話だ。
同じ話であっても全国に広まり、それぞれの地で方言をまといながら人口に膾炙していったのだろう。

テレビの力によって関西弁のような特定の方言は全国区に広がっている。その一方で、地域の中で人知れず絶滅への道をたどっている方言のいかに多いことか。そうした方言が本書には収められているが、それも本書の功績であろうか。

もう一つ本書には「わらしべ長者」に類する話が載っていない。
知恵を使ってさまざまなものを物々交換していく中で、少しずつ保有する資産を上げていき、ついには長者へと成り上がる。
その話は資本主義の根幹にも関わる話なので、採録してくれてもよかった気がする。

こうした昔話から、私たちはどのような教訓を受け取ればよいだろうか。
昔話から私たちが受け取るべき教訓とは、普通に生きている上で気づかないきっかけを、ここぞという時に取り込むための心の準備だろうか。
昔話の多くからは能動的ではなく、受動的な態度が重んじられているようにも思う。
つまり、私たちは人生の中で受動的に与えられた環境をもとに受け入れ、その中でいざという時に動く心構えを感じ取っておくべきなのだろうか。

受動的。これはわが国特有の人生への考えにも通じている気がする。
これらの昔話には、天変地異への備えや諦めといった日本人がわきまえておくべき態度が含まれていない。だが、積極的に自らの人生を変えていこうとする意欲や取り組みの大切さは主張していない。少なくとも本書からはその大切さはあまり感じられない。

こうした本書の癖を考えてみた時、実は本書は代表的な話を百話選んだだけで、まだまだ昔話の豊潤な世界には限りがないのだと思う。

‘2020/03/09-2020/03/23


決定版 日本書記入門 2000年以上続いてきた国家の秘密に迫る


私が持っている蔵書の中で、著者本人から手渡しでいただいた本が何冊かある。
本書はその中の一冊だ。

友人よりお誘いいただき、六本木の某所でセミナーと交流会に参加した。
その時のセミナーで話してくださった講師が著者の久野氏だった。

セミナーの後、本書の販売会が開催された。私もその場で購入した。著者による署名もその場で行っていただいた。恵存から始まり、私の名前や著者名、紀元二六八〇年如月の日付などを表3に達筆の毛筆で。
私は今まで作家のサイン会などに出たことがなく、その場で署名をいただいたのは初めてだった。その意味でも本書は思い出に残る。

著者が語ってくださったセミナーのタイトルは「オリンピックの前にこそ知っておきたい『日本書紀』」。
くしくもこの年は日本書紀が編纂されてから1300年の記念すべき年。その年に東京オリンピックが開催されるのも何かの縁。あらためて日本書紀の素晴らしさを学ぼうというのがその会の趣旨だった。

私はこの年にオリンピックが開かれることも含め、日本書紀について深く学ぶよい機会だと思い参加させていただいた。

私は幾多もの戦乱の炎の中で日本書記が生き残ったことを、わが国のためによかったと考えている。
古事記や風土記とあわせ、日本書記が今に伝えていること。
それは、わが国の歴史の長さだ。
もちろん、どの国も人が住み始めてからの歴史を持っている。だが、そのあり様や出来事が記され、今に残されて初めて文明史となる。文献や史実が伝えられていなければただの生命誌となってしまう。これはとても重要なことだと思う。
そうした出来事の中にわが国の皇室、一つの王朝の歴史が記されていることも日本書紀の一つの特徴だ。日本書記にはその歴史が連綿と記されている。それも日本書記の重要な特徴だ。
たとえその内容が当時の権力者である藤原氏の意向が入っている節があろうとも。そして古代の歴史について編纂者の都合のよいように改ざんされている節があろうとも。
ただ、どのような編集がなされようとも、その時代の何らかの意図が伝えられていることは確かだ。

日本書記については、確かにおかしな点も多いと思う。30代天皇までの在位や崩御の年などは明らかに長すぎる。継体天皇の前の武烈天皇についての描写などは特に、皇室の先祖を描いたとは思えない。
本書では継体天皇についても触れている。武烈天皇から継体天皇の間に王朝の交代があったとする説は本書の中では否定されている。また、継体天皇は武力によって皇統を簒奪したこともないと言及されている。
在位年数が多く計上されていることについても、もともと一年で二つ年を数える方法があったと説明されている。
ただ、前者の武烈天皇に対する描写のあり得ない残酷さは本書の中では触れられていない。これは残念だ。そのかわり、安康天皇が身内に暗殺された事実を記載し、身内に対するみっともない事実を描いているからこそ真実だという。
その通りなのかもしれないが、もしそうであれば武烈天皇に対する記述こそが日本書記でも一番エキセントリックではないだろうか。
素直に解釈すると、武烈天皇と継体天皇の間には何らかの断裂があると考えたくもなる。本書では否定している王朝交代説のような何らかの断裂が。

本書は久野氏と竹田恒泰氏の対談形式だ。お二人は日本書記を日本史上の最重要書物といってもよいほどに持ち上げている。私も日本書記が重要である点には全く賛成だ。
ただ、本書を完全な史書と考えるのは無理があると思う。本書は一種の神話であり、歴史の真実を書いたというよりは、信仰の世界の真実を描いた本ではないだろうか。
ただ、私は信仰の中の本であってもそれは真実だと思う。私はそう捉えている。
書かれていることが確実に起こったかどうかより、ここに書かれた内容を真実として人々が信じ、それに沿って行動をしたこと。それが日本の国の歴史を作り上げてきたはずなのだから。

例えば新約聖書。キリスト教の教義の中でも一番超自然的な出来事が死後の復活であることは言うまでもない。新約聖書にも復活に当たることが書かれている。
だが、ナザレのイエスと呼ばれた人物がいた事は確かだろう。そして、その劇的な死とその後の何かの出来事が復活を思わせ、それが人々の間に熱烈な宗教的な思いをもたらしたことも事実だと思う。要は復活が事実かどうかではなく、当時の人々がそう信じたことが重要なのだと思う。

それと同様に、日本の天皇家の先祖にはこういう人々がおり、神々が人と化して葦原の中つ国を治め始めたことが、信仰の中の事実として伝えられていればそれでよいのだと思う。今から欠史八代の実在を証明することや、神武東征の行程を正確に追うことなど不可能なのだから。

残念ながら、このセミナーの少し後に新型コロナウィルスが世界中で蔓延した。
東京オリンピックは一年延期され、日本書記が完成してから1300年を祝うどころではなくなった。
著者とも何度かメールの交換をさせていただいたが、私自身も仕事が忙しくなってそれきりになっている。

だが、日本書記が今に残っているのは確かだ。キリのよい年であろうとなかろうと、学びたいと思う。本書を読むと1300年前の伝統が確かに今に息づいていることと、その良い点をこれからに生かさねばならないと思う。

‘2020/02/13-2020/02/13


イマドキ古事記 スサノオはヤンキー、アマテラスは引きこもり


旅が好きな私。日本各地の神社にもよく訪れる。
神社を訪れた際、そこに掲げられた由緒書は必ず読むようにしている。
ところが、その内容が全く覚えられない。特に御祭神となるとさっぱりだ。

神代文字に当てた漢字の連なりも、神の名前も、神社を出るとすぐに忘れてしまう。
翌日になるとほとんど覚えていない。
そんな調子だから、いまだに古事記の内容を語れない。
何度も入門書や岩波文庫にチャレンジをしているのだが、内容が覚えられないのだ。

結局、私が覚えている事は、子供向けの本に出るような有名な挿話をなぞるだけになってしまう。
いつも、旅に出て神社を訪れる度に、何とかして古事記を覚え、理解しなければ、と思っていた。

そんなところに、妻がこのような本を買ってきた。タイトルからしてクダけている。
クダけ過ぎている。
スサノオはマザコンのヤンキーだし、アマテラスは引きこもりでしかもロリ巫女。因幡の白ウサギはバニーガールで、海幸山幸はねらー(5ちゃんねるの住人)だ。

文体もそう。砕けている。
私はあまりライトノベルを読んでいないが、ライトノベルの読後感は、多分こんな感じなのだろう。
折り目正しく端正な日本語とは無縁の文体。
ネット・スラングを操り、SNSを使いこなす神々。
かなりはっちゃけている。今の若者風に。
それがイマドキ。

でも、イマドキだからいいのだ。

暴れ狂うスサノオも、古事記に書かれる姿は何やらしかつめらしく武張っている。威厳ある神の姿。
だが、暴れ狂う姿は、成人式で傍若無人の所業に狂うヤンキーと変わらない。しかも母のアマテラスへの甘えを持っているからたちが悪い。
スサノオにサジを投げ、天の岩戸に隠れたアマテラスも、見方を変えれば、ドアを閉め切った引きこもりと変わらない。

文化、文明、言葉。そうしたものが古めかしいと、権威を帯びてしまう。
そして、古典としてある種の侵しがたい対象へと化ける。

だが、同じ時代を生きた神々が見た身内とは、案外、今の私たちがSNSに一喜一憂し、仕事にレジャーに家庭に勤しむ姿とそう変わらないように思える。
「いまどきの若いものは」と愚痴る文句が古代の遺跡から見つかった、と言う話はよく聞く。
このエピソードは、今も昔もそう変わらない事実を私たちに教えてくれる。
結局昔も同じなら、日本人の祖先を描いた古事記も同じではないか。

神々の行いを全て神聖なものと見なし、全てに深淵なる意味を結びつける場合ではない。
そうした行いは、見る神から見れば、単なる甘えた駄々っ子の振る舞いと変わらない。そう気づいた著者は偉い。
神々とはいえ、今の人間とそう変わらないのでは。そう見直して書き直すと本書が生まれ変わるのだろう。

古事記と名がついていても、やっている事は、今の私たちの行いとそう変わらない。
なら、いっそのこと今風の文体や言葉に変えてしまえ。

そうして、全編が今風な文体と言葉で置き換えられた古事記が本書だ。

本書の内容は古事記の内容とそう変わらない。
ただし、その内容やセリフが大幅にデフォルメされ、脚色されている。
そのため、圧倒的に読み進められる。

まず、あの古めかしい言葉だけで古事記を遠ざけていた向きには、本書はとっつきやすいはずだ。
上に書いた通り、古事記といっても難しいことはなく、ただ神々の日々を少し大げさに描いただけのこと。
それが本書のようにイマドキに変えられると、より親しみが湧くだろう。

ただ、古事記の内容は簡潔だ。
そして登場する神の心象も詳しく描かれることはない。
著者はそれを埋めようと、イマドキのガジェットで埋め尽くす。
それによって現代の若者には親しみが湧くだろう。

だが、ガジェットも行きすぎると、肝心のシナリオを邪魔してしまう。
ライトノベルを読み慣れていないからだろうか。
イマドキの表現に目移りして、肝心の筋書きが頭に入って来にくかった。
それは著者のせいでなく、そうしたイマドキの表現に印象付けられた私のせいなのだが。

これはライトノベルを読み慣れた読者にとって、どうなんだろう。
慣れ親しんだ表現なので、帰って筋書きは頭に入ったのだろうか。
若者が古事記に関心を持ってもらえるなら、私一人が惑わされても大したことではないのだが。

古事記とは、日本創世神話だ。
ナショナリズムを今さら称揚するつもりはないが、古事記に込められている物語の豊かさは、注目しても良いはずだ。
ましてやそれが1700ー2000年の昔から語り継がれて来た。
これだけ豊穣な物語。大陸やユダヤの影響があったとしても荒唐無稽とはいいきれないが、それが昔の日本で編まれたことは事実だから。

だから日本はすごい、とかは考えなくても良い。
けれど、日本人であることを卑下する必要もないと思う。
そうした物語の伝統が今もなお息づいていることを、本書を読んだイマドキの方が感じ取ってくれればと思う。

本書は著者が東北芸術工科大学文芸学部に在籍している間、授業の課題から産まれたそうだ。自由で良いと思う。
温故知新というが、若い人たちが古い書物に新しい光を与えてくれることはよいことだ。

‘2018/10/28-2018/10/29


本当はすごい!東京の歴史


数多くの本を読んでいると、本の内容に感化されて旅に出ることも二度や三度ではない。本書を読んだ際もそう。本書を読んですぐ、私は鹿嶋神宮を訪れた。

結果としては、本書を読んだことでよい気づきが得られた。ところが当初、本書の内容には期待していなかった。本書を読んだ理由はただ単に長年住み、仕事の場としている東京のことをより知ろうと思っただけに過ぎない。それに加えて本書を読み始めたとたん、関東こそが日本の文化や歴史の起源であるという主張が飛び込んできたのでさらに鼻白んでしまった。本書を読み始めた頃、私は本書を眉に唾を付けて読んでいた事を告白する。

私は西日本の生まれだ。両親ともに福井をルーツとしている。福井の病院で産声をあげ、両親が家を構える甲子園に移ってからは、二十数年を過ごした。家のすぐ近くにはタイガースと高校野球の聖地である甲子園球場が控ええ、うどん、タイガース、関西弁、粉モンの文化にどっぷり浸かって育った。そうした文化を生み出した関西が日本文化の揺籃の地と信じて疑わなかった。飛鳥の都からから難波宮、平城京、恭仁京、長岡京、平安京、福原京。歴代の都はすべて関西にあり、そこで栄華を誇って来た。仁徳天皇陵や大阪城は今も雄大な姿を見せ、関西の文化的な豊饒さを象徴しているかのよう。

そうした土壌に育った上、歴史の授業でも日本史の舞台が関西であることを学ぶ。連綿と続いてきた日本の歴史の積み重ね。その地に住んでいると、文化や伝統を日常のものとして無意識に受け取って育つ。そうして、日本の文化や歴史の主流が関西にあるという観念が定着してゆく。

ところが本書は日本の歴史を東国から捉え直す。日本書記に書かれた神々の国産み神話を除けば、そもそも日本の歴史とは高天原から天孫降臨した神々の裔が高千穂から東へ征服に向かったことに端を発する。本書はその高天原こそが鹿嶋にあったという。実際に鹿嶋には今も高天原という地があるという。私も本書を読んですぐ、実際にその地を確認してきた。実際に高天原という地名をみて、思わず感動してしまった。

本書を読むまで、私は鹿嶋に高天原があることを知らなかった。ところが本書からその事実を教えられ、わが目でも目撃した。ということは、高天原が鹿嶋にあった、つまり日本のそもそもが東から興ったと説く本書の記述にも信ぴょう性が感じられる。あながちトンデモ説とはいえないのだ。

そうなると、弥生や縄文といった時代区分の由来が東京にあることも、本書の主張を補強しているように思える。巨大遺跡といえば仁徳天皇陵や羽曳野のあたり、奈良盆地のそれが頭に思い浮かぶ。だが、東京にも遺跡は多く点在している。さいたまの古墳群や大森貝塚に代表されるように。それはすなわち、当時の東国に人口が多かったことの証拠でもある。

人口が多かった事実は、文明の発展にも関係する。その時、富士山の存在が人々の信仰心を向かわせたことも否定する論拠は見当たらない。著者は富士山を天上、つまり高天原と見立てる。富士山が見える範囲で東の端に位置するのが鹿嶋神宮、西の端に位置するのが伊勢神宮という新鮮な論が展開されるが、それにも説得されそうになる。平安時代に編まれた延喜式神名帳では、神宮の名が付く神社は伊勢神宮、鹿嶋神宮、そして香取神宮の三つしかないとか。香取神宮も鹿嶋神宮に近い場所にある。その二つの神宮が鎮座する地こそ常陸の国。つまり常世の国だ。そしてそれらに共通するのは富士山が見える範囲にあるということ。

本書の中心的な論点は、富士山にある。富士山こそは宗教的なシンボルでもあり、古来から高天原に擬せられてきたのではないかと著者はいう。富士山こそは西日本にはない日本のシンボル。著者の論の芯を貫くこの事実は揺るぎない。

ところが、本書で著者が唱える説には2つ大きな難関がある。一つは、なぜ東征軍が出雲を攻め、大和に入るにあたり、鹿嶋から高千穂を経由する道筋をたどったのか、という疑問。もう一つはなぜ古代と中世までの東国は、本邦の歴史では脇役に過ぎなかったのかの理由だ。

最初の点について著者は、当時の出雲に大国主命系の勢力があり、その巨大な勢力を最初に征服するため、九州から上陸したのではないかと説く。そこで重要になるのが鹿嶋と鹿児島の地名の相似だ。鹿島立つという言葉があるように鹿島から出立した東征軍が、高千穂に向かう際にまず上陸したのが鹿児島ではないか。その二つの地名には共通する語源が隠れているのでは、という著者の論にも蒙を拓かれた思いだ。

ただ、もう一つの難関について、著者は説得力のある論点を提示していない。まさにそれこそが重要なのに。この点こそ、私が本書で一番残念に思った点だ。

だが、理由はなんとなく想像がつく。古来から富士山が何度も噴火してきたことは周知の事実だ。地震もそう。つまり、日本のシンボルであるはずの富士山はシンボルでありながら、東国にとっては天変地異の象徴だったのだ。降り積もる火山灰や地震による災害。東国は文化や歴史の伝統となるには、あまりにも天災に苦しめられすぎてきたのだ。それが、東国を文化や歴史の中心から遠ざけたのではないか。ところが本書では関東ローム層の由来には触れていながら、富士の噴火による天災の被害については全く触れていない。なぜ著者がその点に触れなかったのか理解に苦しむ。私のような素人でも簡単に思いつくのに。

関東が東征の出発地だったと言う論点は新鮮。とても勉強になる。なのになぜ富士山の噴火や関東で頻発した地震には触れなかったのか。その理由は全く分からない。本書と著者のためにも惜しいと思う。

本書は、以降の各章でも東国の歴史を描き出す。古墳の時代、中世、武士の活躍した平野の様子。家康によって開発された首都としての江戸と、世界一の規模を誇る都市に繁栄した江戸。幕末の動乱をへて、天子を擁して文字通り日本の首都となった東京から現代の東京の様子までを概観する。

著者は東国を持ち上げながら、今の世界的な大都市となった東京については非常に厳しい。都市計画の失敗や、西洋を真似たような街づくりの思想など、今の東京に対する不満をつらつらと列挙する。都市としての繁栄を極めたかに見える今の東京は、著者にとっては逆に不満の対象であるところが面白い。

つまり、著者にとっては西日本に対する東日本の優位を示すといった瑣末な事はどうでもよいのだ。本書は日本の文化や歴史の発端が東にあったことを主張することに本旨がある。従来の定説とは違い、世間にはまだまだ受け入れられていない著者の説。それを世に問わんとする著者の意志は分かる気がする。そして著者の意志を割り引いても、本書で書かれた内容からは著者が自らの論を主張するための牽強付会の匂いは漂ってこない。それは本書のためにも擁護しておきたい。

だからこそ、藤原氏の初代鎌足が鹿嶋の出身だったことや、平泉で武家の文化が栄えたこと、鎌倉に幕府が開かれたことなど、歴史の所々で東が西を凌駕した理由にも納得がいく。さらに、水戸光圀が大日本史の編纂事業をしじし、それが幕末には尊王攘夷の先鋒としての水戸藩の存在感の発揮につながったことなど、日本の歴史の要所に常陸が登場することに得心がいく。日本の伝統を復興しようするうねりが鹿嶋神宮の近隣から起こったことは、そうした伝統に立脚した故あることなのだろう。鹿嶋の土壌で育った尊王攘夷の思想を薩摩、つまり鹿児島が受けつぐ。そんな著者の指摘する因果すら、こじつけには思えなくなる。

このように、本書が示す気づきは実に豊かだ。私は本書によって鹿嶋神宮を訪れなければならないと思い、すぐに実行した。ただ、本書の内容が実りあればあるほど、東京には根本的な都市としての欠陥があるように思えてならない。その欠陥とは、天災に弱いという一点に尽きる。著者が意図したのかどうか分からないが、その事実が本書からは綺麗に抜けている。ある時期から江戸を中心とした東国は、日本の歴史の中で傍流に置かれる。その理由こそ、度重なる天災にあったことは間違いないはずなのに。

公平を期する上でも、そのことにはぜひとも触れて欲しかったと思う。なぜなら、今の繁栄を謳歌する東京は間もなく潰えようとしているからだ。東海地震、首都圏直下型地震、富士山噴火。リスクは山積みだ。世界の首都の中でも飛び抜けて天災に弱いとされる東京。その事実は、住民の一人として見据えておかねばならないはず。なぜ、東京はこれだけの平野を擁しながら、日本の歴史では長らく坂東の地として辺境扱いされていたのか。その理由を世に知らしめる絶好の本こそ本書なのに。

現代の東京が天災の危険の上に薄皮一枚で乗っている。その事実はいまさら変えようもない。とはいえ、本書が示すように鹿嶋神宮が歴史で演じた重要性はいささかも薄らぐことはないはず。むしろ、鹿嶋神宮はもっともっと世に広く知られなければならない。私はそう思う。実際、鹿嶋神宮や剣術の達人である塚原卜伝のお墓など、鹿嶋を訪れたことはとてもよい経験と知見になった。その際、香取神宮に行かれなかったことが心残り。なので、もう一度行きたいと思っている。本書を携えて。

‘2018/07/09-2018/07/13


沖縄 琉球王国ぶらぶらぁ散歩


家族で訪れた沖縄はとても素晴らしい体験だった。本書はその旅の間に読み進めた、旅の友という本だ。今回、三日間の行程のほとんどは、戦時下の沖縄と、今の沖縄を見ることに費やした。その中で唯一、中世の沖縄を見る機会があった。それは、勝連城跡においてだ。

実は今回の旅行の計画では、当初は首里城に行く予定だった。ところが、沖縄でお会いした友人の方々から薦められたのは海中道路。そこで、首里城ではなく海中道路に旅先を変えた。海中道路だけでなく、浜比嘉島のシルミチューとアマミチューの遺跡や、伊計島の大泊ビーチを訪れた経験は実に素晴らしかった。だが、首里城への訪問は叶わなかった。それだけはない。前日、今帰仁城に訪れるはずだったが、ここにも寄る時間がなかった。妻が美ら海水族館を訪れたついでに寄りたいと願っていたにもかかわらず。

そこで、大泊ビーチの帰りに見かけた勝連城跡に寄った。何の予備知識もなく立ち寄った勝連城跡だが、思いのほか素晴らしかった。私にとって今回の旅のクライマックスの一つは、間違いなく、ここ勝連城跡だ。

この勝連城は、阿麻和利の居城だった。阿麻和利とは、琉球がまだ三山(南山、中山、北山)に分かれ、群雄が割拠していた十四世紀に活躍した人物だ。

今回の旅の九カ月前、私は沖縄を一人で旅した。そして旅の後、私は何冊かの沖縄関連書を読んだ。その中の一冊<本音で語る沖縄史>は琉球の通史について書かれていた。私はその本によって今まで知らなかった近代以前の沖縄を教わった。阿麻和利。その名前を知ったのもその時だ。それまで、本当に全く知らなかった。阿麻和利の乱はその本では一章を費やして書かれており、私の中に強烈な印象を残した。琉球の歴史で欠かせない人物。それが阿麻和利だ。

ところが肝心の阿麻和利の乱の舞台の名前を忘れていた。その舞台こそ、ここ勝連城。私が場所の名前を忘れていたのは、十五世紀の城ゆえ、居館に毛の生えた程度だろうと勝手に軽んじていたからに違いない。ところがどうだ。勝連城の堂々として雄大な構え。日本本土の城にも引けを取らない威容。私は勝連城によって、琉球のスケールを小さく見積もっていたことを知らされた。それとともに、これほどの城を築いた阿麻和利への認識もあらためなければ、と思った。

勝連城を登り、本丸に相当する広場からみた景色は実に素晴らしかった。南ははるかに知念岬を望み、東は平安座島や浜比嘉島が浮かぶ。西や北は沖縄本島のなだらかな山々が横たわり、琉球の歴史を物語っている。勝連城とは琉球の島々だけでなく、琉球の歴史を一望できる地だったのだ。城跡に立ったことで、私はもう一度琉球の歴史をおさらいしたいと思った。

本書には豊富な写真が載っている。それらの写真の威容とわが目に刻んだ勝連城のスケールを照らし合わせながら、琉球の歴史をおさらいした。本書を読んだのは沖縄の旅の間。旅の頼れる相棒として、るるぶと共に私の役に立ってくれた。

琉球の歴史とは、日本の歴史の縮図だと思う。

狭い島国の中で群雄が相撃った歴史。中国大陸、そして太平洋の彼方からの文化を受け入れ、そこからの圧力に抗う地勢。圧倒的な文化の波をかぶり、文化に侵された宿命。基地を背負わされ、占領の憂き目にもあった経験。そうした特色も含めて日本を小さくしたのが沖縄だといえる。

もう一つ言うならば、沖縄の歴史は日本に先んじていると思う。例えば日本の戦国時代より前に三山の戦乱が起こり、日本よりも前に統一が成し遂げられた。日本よりも前にペリー艦隊が来航し、日本よりも前に軍政下に置かれた。沖縄戦もそう。御前会議の場で終戦の聖断がなければ、日本は沖縄に続いて地上戦に巻き込まれていたかもしれない。 とすれば、私たち本土の日本人が琉球の歴史や文化から学べるものはあるのではないだろうか。

本書で琉球の歴史を学ぶことで、私たちは琉球の歴史が日本に先んじていることを悟る。そして、今の沖縄の現状は日本本土の未来である可能性に思い至る。三山の並立やグスク時代、第一、第二尚氏王朝の統治など、琉球の歴史が日本にとって無視できないことを知り、写真からその栄華を想像する。ただし上に書いた通り、スケールは写真だけではらわからない。実物を見て、なおかつ本書を読むべきだ。すると琉球の歴史が実感と文章の両面から理解できる。

だから、本書は旅のハンドブックとして適している。それも、戦跡や海や沖縄の食文化を味わう旅ではなく、御嶽やグスクといった沖縄の歴史を学ぶ旅において役に立つはずだ。次回、沖縄へ行く機会があれば、本書を持っていきたいと思う。

また、本書は琉球王国の終焉、つまり、明治11年の琉球仕置で幕を閉じている。著者はこの処置について、誰にとっても利のない最悪の処置だったと嘆く。日本編入が果たして沖縄にとってどのような現実をもたらしたか。ソテツ地獄や沖縄戦、米軍政やその後の基地問題だけを見れば、あるいは琉球王国が続いていたほうが沖縄にとってはよかったのかもしれない。だが、その一方で熾烈な国際関係の中では琉球は生き残れず、いずれはどこかの国に併合されていた可能性だってある。過去は過去で、いまさら覆すことはしょせん不可能。

であれば、未来を見るしかない。未来を見るには現在を見据えなければ。沖縄の現在が将来の日本の姿を予言している。その可能性は誰にも否定できない。本書を通して日本の未来を占うためにも、本書は存在価値があるのだと思う。

‘2018/03/26-2018/03/30


継母礼讚


先日、「官能の夢ードン・リゴベルトの手帖」についてのレビューを書いた。本書は、その前編にあたる。続編を先に読んでしまったため、なるべく早く本書を読みたいと思っていた。

本書を読んで思ったこと。それは「官能の夢〜」が本書の続編ではなく、逆に本書が「官能の夢〜」のプロローグなのでは、という気づきだ。「官能の夢〜」に比べると本書のページ数はかなり少ない。本書で著者が挑んだエロスや性愛への探求。それは本書としていったん結実した。しかし、著者にとって本書は探求へのきっかけでしかなかった。本書で取り掛かったエロスや性愛への探求を、続編である「官能の夢〜」でより深く掘り下げた。そうではなかろうか。だからこそ本書は「官能の夢〜」のプロローグだという印象を受けた。

継子の少年フォンチートの小悪魔のごとき誘惑におぼれ、ルクレシアは一線を越えてしまう。「継母礼讚」とは、無邪気なフォンチートが父に読ませた、あまりに罪深い手記のタイトルだ。本書には、義理の母子の間におきた過ちの一部始終が描かれている。エロスや性愛を描くという著者の狙いは、ストレートだ。

「官能の夢〜」は、フェティシズムの観念的な思索に費やしていた。ドン・リゴベルトの手帖に記された手記の形をとって。本作は、エロスや性愛の身体感覚の描写が主となっている。その描写は執拗だが、エロスや性愛の表面的な描写にとどまっている。エロスの観念的なところまでは降りていないのだ。だが、性愛とはつまるところ身体感覚の共有であり、その一体感にある。

エロスが身体感覚である主張を補強するかのように、フォンチートとルクレシア、ドン・リゴベルトの危うい関係の合間に、本書ではリゴベルトやルクレシアやフォンチートや侍女のフスチニアーナが登場する異世界、異時代の挿話を挟んでいる。そこでの彼らは世俗と超越している。そして俗世のしがらみなど微塵も感じられない高尚で清らかな存在として登場する。異世界の彼らからは精神的なつながりは一切感じられない。思考の絡みはなく、肉体的な関係として彼らをつないでいる。といってもそこには性欲や性愛を思わせるような描写は注意深く除かれている。あくまでそこにあるのは肉体の持つ美しさだけだ。だから本書には性交をあからさまに描写して、読者の欲情を催させる箇所はない。本書が描く性愛やエロスとは、性欲の対象ではないのだ。

そのイメージを補強するかのように、本書の表紙や冒頭に数枚の絵が掲げられている。いずれも裸体の女性と子供が描かれており、その姿はどこまでも妖艶だ。しかしそこにみだらさは感じられない。美的であり芸術的。それは本書の語る性愛やエロスにも通じる。

義理の母子に起きてしまった過ちは道徳の見地からみると罪なのだろう。しかし性愛そのものに罪はない。フォンチートとルクレシアの行いは、リゴベルトとルクレシアがそれぞれの身体感覚に忠実に営む行いと根源では等しいのだから。少なくともしがらみから解き放たれた本書の挿話や冒頭の絵画から感じられるメッセージとは、性愛自身に罪はないことを示している。

著者は、本書と「官能の夢〜」の二冊で、性愛とエロスから社会的通念や、ジェンダーの役割を取り除き、性愛それ自身を描くことに腐心しているようだ。その証拠に「官能の夢〜」では、リゴベルトに道化的な役割まで担わせ、男性としての権威まで剥奪しようとしている。

性愛とは極言すれば生物の本能でしかない。脳内の身体感覚や、脳内の嗜好-ちまりフェティシズムに還元されるものにすぎない。だが、著者の訴えたいエロティシズムとはそこまで還元し、立ち返らなければ掴めないのかも。

だからこそ、本書と続編である「官能の夢-ドン・リゴベルトの手帖」は対で読まなければならないのだ。

‘2016/10/27-2016/10/28