Articles tagged with: 神社

黄金峡


公共事業の推進。国による大規模な工事や事業。
それは、あらゆる利害関係の上に立つ国が行使できる権力だ。

国の事業によって影響を受ける人は多い。
例えば、ダムの建設に伴って立ち退きを余儀なくされる人々だとか。本書に登場する村人たちのような。
国が判断した事業がいったん動きだすと、村人たちの思いなどお構いなしだ。事業は進められ、山は切り崩され、川はせき止められる。

国の事業とはいえ、ダムによって立ち退きを強いられる村人がすぐに賛成するはずはない。
自らが生まれ育った景色、神社、山々、川、あらゆるものが水の中に沈む。それは普通の人であればたやすく受け入れられないはずだ。

一方の国は、何が何でも事業を成し遂げるために金をばらまく。ばらまく相手は立ち退きにあたって犠牲となる住民だ。
そのお金も中途半端な額ではない。村人の度肝を抜くような金額だ。それらが補償金額として支出される。
そのため、あらゆる補償対象に対して値段がつけられる。村のあらゆるものが文字と数字の柱に置き換えられる。価値は一律で換算され、その柱の中に埋没していく。個人の感傷や思い出など一切忖度されずに。

その補償は村人に巨額の利益をもたらす。潤った村を目当てに群がった人々は狂宴を繰り広げる。
本書のタイトルは、狂奔する村人の姿を黄金郷と掛け合わせて作った著者の造語である。
その峡とはモデルとなった只見地方のとある村の姿になぞらえたものだ。

その金を手にし、好機が来たと張り切る人。戸惑う人。
金が入ってくると聞きつけ、捨てたはずの故郷にわざわざ戻る人もいる。また、何があっても絶対に山から出ないと頑強に拒む人もいる。
人々は金の魔力に魅入られ、金の恐ろしさを恐れる。
事業を進める側は、あらゆる搦手を使って反対派を切り崩しにかかる。金銭感覚を狂わせ、一時の快楽に身を委ねさせ、懐柔につぐ懐柔を重ねる。

ありとあらゆる人間の醜さが、ひなびた山峡を黄金で染めていく。人々はそれぞれの思惑をいだいている。
そうした思惑を残した交渉には百戦錬磨の経験が必要だ。国が送り込んだ事業の推進者はそうした手練手管に長けている。

本書は、そうした人々の思惑を、一人一人の過去や人格まで掘り起こさない。なだらかだった日々が急に湧き上がり、そしてしぼんでいくまでを冷徹な事実として描いている。
冷静に事実を描くことによって、金に踊らされた人々の愚かさをあぶりだす。その姿こそ、人間の偽らざる姿であることを示しながら。

本書を通して、一時の欲にまみれる人の愚かさを笑うことは簡単だ。
だが、多額の金は人を簡単に狂わせる。多分、私もその誘惑には抗えないだろう。

こうした公共事業に対する反対の声は昔からある。
本書にも、都内からわざわざ反対運動のためにやってきた大学生の姿が描かれる。公権力が振りかざす強権に対し、民はあくまでも抵抗すべきと信じて。
それでも、国は下流の治水が求められているとの御旗を立て事業を推進する。

問題はその事業にあたって巨額の金が動くことだ。土木事業を請け負う業者には巨額の金が国から流れ、それが下流へと低きへと流れてゆく。
それは、流域の人々の懐をうるおす。

問題は、その流れが急であることだ。金に対して心の準備をしていなければ、価値観や生活の基盤が急流に持っていかれる。生きるために欠かせない水が時に生活の基盤を破壊し、氾濫のもととなってしまうように。
そして、金の流れが急に増えたからといってぜいたくに走ってはならない。その急流は、国が金を流したからなのだ。それを忘れた人は、金が枯れたときに途方に暮れる。
国が金を降らせるのは一度きりのこと。同じだけの金を人が自由にできやしない。一度枯れた水源は天に頼るほかないのだ。

公共事業に対する反対とは、公共事業による環境の変化よりも、金が一時に急激に動くことへの懸念であるべきだ。
その急激な金の流れに利権の腐臭を嗅ぎつけた人々は、全ての人は公平であるべきと考え、その理想に殉じて反対運動に身を投じる。
そうした若者や左派の政治家がダム反対などの公共事業に反対運動を起こす例は三里塚闘争以外にも枚挙にいとまがない。田中康夫氏が長野県知事になった際も「脱ダム」宣言をした。民主党政権時にも前原国公相が八ッ場ダムの凍結を実施した。

中流・下流への治水の必要性は分かる。だが、それを上流のダム建設で補おうとしたとき、上流の人々の既得権は侵される。その時、金ですべてを解決しようとしても何の解決もできない。
全ての人が幸せになれることは不可能。そのような諦念に立つしかないのだろうか。
結局、公共の名のもとによる補償がどこまで有効なのかについて、正しい答えは永久にできない気がする。

少なくとも本書に登場する村人たちは、二度生活を奪われた。
一度は故郷の水没として。二度目は金銭感覚のかく乱として。
本書はその事実を黄金峡という言葉を通して描いている。

私たちは、公と個を意識しながら生きるだけの見識は持っておきたい。
それが社会に生きることの意味だと思う。

‘2020/08/18-2020/08/19


成功している人は、なぜ神社に行くのか?


本書は、神社に祈ることの効用を勧めている。その中にはスピリチュアルな視点も含んでいる。
本書が説く効用とは、端的に成功を指している。成功とは政治や経営なども含め、人を統率し、その名を天下に残すことにある、と考えてよいだろう。
古今、天下人の多くは特定の神社を崇敬していた。成果を上げ、成功した人の多くに共通するのが、特定の神社を熱く崇敬していたことだという。

私は神社仏閣によく立ち寄る。
訪れた旅先の地に鎮座する神社で旅の無事を祈る。そして家族、会社、地域や親族の発展を望み、日本と世界の安寧を願う。

私は誰に祈っているのか。
もちろん、神社であれば御祭神が祀られている。寺であれば安置された仏様がいる。
私の祈りはおおまかにいえば、それらの神仏に対して捧げられている。
ただ、私は具体的な神仏を念頭に置いて祈っていない。例えばスサノオノミコトとかタケミカヅチとか、廬舎那仏とか。私は、目の前の本殿や本堂に鎮座する神仏というより、自分の中に向けて真剣に祈っている。

当たり前だが、宗教が信仰の対象とする神は私の中にはいない。私にとって神仏とは目に見える形で存在するものでもない。
仮に神仏がいたとしても、そうした存在は私たちの認識の外にいる、と考えている。例えばこの宇宙を創造した存在がいたとする。その知的存在を神と呼ければ、神は実在すると考えてもいい。だが、私たちにはその存在を認識することは到底無理。なぜなら宇宙ですら知覚が覚束ないのに、その外側から宇宙を客観的に見ることのできる存在を知覚できるわけがないからだ。
だから私は、神は目に見えず、知覚も不可能な存在だと考えている。
とはいえ、神が知覚不能の存在だとしても、自分のうちの無意識にまで降りることができれば、神の片鱗には触れられるのではないだろうか。その無意識を人は昔から集合的無意識といった言葉で読んできた。
神のいる世界に近づくためには自分を深く掘り下げる必要がある。私はそう思っている。

では、自分のうちに遍在するかもしれない神に近づくためにはどうすればよいか。必ず寺社仏閣で詣で、そこで祈ることが条件なのだろうか。
私は日常の生活では神に近づくことは容易ではないと思っている。
なぜなら、日常はあまりにも雑事に満ちているからだ。自分の無意識に降りられる機会などそうそうないはず。

今、わが国は便利になっている。外を歩いてもスマホをつければ情報がもらえる。
ふっと思い立って旅することも、いまや気軽にできるようになった。
それは確かに喜ばしいことだ。
だが、その便利さによって、あらゆることが気持ちを切り替えずにこなせるようになってきた。気持ちと集中力を極限にまで高めなくてもたいていのことはできてしまう。
だが、その状況になれてしまうと、正念場にぶちあたった際、人は力を発揮する方法を忘れてしまう。
仕事でも暮らしの中でも、いざという時の集中力がなければ乗り超えられない局面はやって来る。
危機的な状況に出会うたびに、日常の態度の延長で局面にあたっていても大した成果は得られない。

自分の中で気を整え、集中して力を発揮するための術を身につけておかないと、平凡な一生で終わってしまう。自分の中で気持ちを切り替えるための何かの言動が必要なのだ。
だから、私たちは神社仏閣に訪れ、静謐な空間の中で祈る。日常からの変化を自分の中に呼び覚ますために。

私も長じるたびに雑事に追われる頻度が増えてきた。その一方で、スキルやガジェットを駆使すればたいていのことはこなせるようになってきた。
だが、ここぞという局面で成果を出すためには、気持ちを込める必要も分かってきた。そうでなければ成果につながらないからだ。そのため、私は神社仏閣で祈る時間を増やしている。たとえスピリチュアルな感覚が皆無だとしても。

さて、前置きが長くなったが本書だ。

冒頭にも書いた通り、わが国には幾多の英雄が名を残してきた。今でも政治家で国の政治を動かす立場になった人がいる。
そうした人々の多くに共通するのが、神社を熱く崇敬していたことだ。
古くは藤原不比等、白河上皇、平清盛、源頼朝、北条時政、足利尊氏、豊臣秀吉、徳川家康から、現代でも佐藤栄作、松下幸之助、出光佐三、安倍晋三。etc。
藤原不比等と春日大社、平清盛と厳島神社。源頼朝と箱根神社。徳川家康と諏訪大社。

それらの偉人のうち、何人かは自らが祭神になって祀られている。
有名なのは豊国神社。豊臣秀吉が祀られている。日光東照宮と久能山東照宮には徳川家康が。日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎は東郷神社の祭神でもある。

今までの歴史上の物語を読むと、そうした英雄が戦いの前に神社で戦勝を祈願する描写のいかに多いことか。
祈りとは「意(い)宣(の)り」。つまり意思を宣言することだ。
言霊という言葉があるように、意思を常に宣言しておくことは意味がある。常に意思を表に表しておくと、周りの人はそれを感じ取り、御縁を差し伸べてくれる。
かつて聞いたエピソードで、こんなことが印象に残っている。それは電話相談室の回答で、流れ星を見かけたら三回願いを唱えられたらその願いは叶うのはなぜか、という質問への回答だ。
なぜ願いは叶うのか。それは流れ星を見たら即座に自分の願いが三回思い浮かべられるほど、普段から頭の中でその願いを考えているからだ。

私も法人を立ち上げた40歳過ぎから神社への参拝頻度を増やした。
この忙しない情報処理業界でなんとか経営を続けて居られるのも、こうした祈りを欠かさなかったからではないかと思っている。
上に書いた通り、自分の中でけじめをつけ、気持ちを切り替えるためだ。

本書には禰宜や宮司さんが行うような神道の正式な参拝方法が説明されているわけではない。
むしろ、私たちが気軽に神社で参拝するためのやり方を勧めている。
もっとも基本になるのは、年三回は参拝に行くこと。そしてきちんと心の中で祈ること。
私の祈り方はまだまだ足りないし、精進も必要だろう。そのためにも本書を折に触れて読み返してみたい。

‘2020/05/19-2020/05/22


決定版 日本書記入門 2000年以上続いてきた国家の秘密に迫る


私が持っている蔵書の中で、著者本人から手渡しでいただいた本が何冊かある。
本書はその中の一冊だ。

友人よりお誘いいただき、六本木の某所でセミナーと交流会に参加した。
その時のセミナーで話してくださった講師が著者の久野氏だった。

セミナーの後、本書の販売会が開催された。私もその場で購入した。著者による署名もその場で行っていただいた。恵存から始まり、私の名前や著者名、紀元二六八〇年如月の日付などを表3に達筆の毛筆で。
私は今まで作家のサイン会などに出たことがなく、その場で署名をいただいたのは初めてだった。その意味でも本書は思い出に残る。

著者が語ってくださったセミナーのタイトルは「オリンピックの前にこそ知っておきたい『日本書紀』」。
くしくもこの年は日本書紀が編纂されてから1300年の記念すべき年。その年に東京オリンピックが開催されるのも何かの縁。あらためて日本書紀の素晴らしさを学ぼうというのがその会の趣旨だった。

私はこの年にオリンピックが開かれることも含め、日本書紀について深く学ぶよい機会だと思い参加させていただいた。

私は幾多もの戦乱の炎の中で日本書記が生き残ったことを、わが国のためによかったと考えている。
古事記や風土記とあわせ、日本書記が今に伝えていること。
それは、わが国の歴史の長さだ。
もちろん、どの国も人が住み始めてからの歴史を持っている。だが、そのあり様や出来事が記され、今に残されて初めて文明史となる。文献や史実が伝えられていなければただの生命誌となってしまう。これはとても重要なことだと思う。
そうした出来事の中にわが国の皇室、一つの王朝の歴史が記されていることも日本書紀の一つの特徴だ。日本書記にはその歴史が連綿と記されている。それも日本書記の重要な特徴だ。
たとえその内容が当時の権力者である藤原氏の意向が入っている節があろうとも。そして古代の歴史について編纂者の都合のよいように改ざんされている節があろうとも。
ただ、どのような編集がなされようとも、その時代の何らかの意図が伝えられていることは確かだ。

日本書記については、確かにおかしな点も多いと思う。30代天皇までの在位や崩御の年などは明らかに長すぎる。継体天皇の前の武烈天皇についての描写などは特に、皇室の先祖を描いたとは思えない。
本書では継体天皇についても触れている。武烈天皇から継体天皇の間に王朝の交代があったとする説は本書の中では否定されている。また、継体天皇は武力によって皇統を簒奪したこともないと言及されている。
在位年数が多く計上されていることについても、もともと一年で二つ年を数える方法があったと説明されている。
ただ、前者の武烈天皇に対する描写のあり得ない残酷さは本書の中では触れられていない。これは残念だ。そのかわり、安康天皇が身内に暗殺された事実を記載し、身内に対するみっともない事実を描いているからこそ真実だという。
その通りなのかもしれないが、もしそうであれば武烈天皇に対する記述こそが日本書記でも一番エキセントリックではないだろうか。
素直に解釈すると、武烈天皇と継体天皇の間には何らかの断裂があると考えたくもなる。本書では否定している王朝交代説のような何らかの断裂が。

本書は久野氏と竹田恒泰氏の対談形式だ。お二人は日本書記を日本史上の最重要書物といってもよいほどに持ち上げている。私も日本書記が重要である点には全く賛成だ。
ただ、本書を完全な史書と考えるのは無理があると思う。本書は一種の神話であり、歴史の真実を書いたというよりは、信仰の世界の真実を描いた本ではないだろうか。
ただ、私は信仰の中の本であってもそれは真実だと思う。私はそう捉えている。
書かれていることが確実に起こったかどうかより、ここに書かれた内容を真実として人々が信じ、それに沿って行動をしたこと。それが日本の国の歴史を作り上げてきたはずなのだから。

例えば新約聖書。キリスト教の教義の中でも一番超自然的な出来事が死後の復活であることは言うまでもない。新約聖書にも復活に当たることが書かれている。
だが、ナザレのイエスと呼ばれた人物がいた事は確かだろう。そして、その劇的な死とその後の何かの出来事が復活を思わせ、それが人々の間に熱烈な宗教的な思いをもたらしたことも事実だと思う。要は復活が事実かどうかではなく、当時の人々がそう信じたことが重要なのだと思う。

それと同様に、日本の天皇家の先祖にはこういう人々がおり、神々が人と化して葦原の中つ国を治め始めたことが、信仰の中の事実として伝えられていればそれでよいのだと思う。今から欠史八代の実在を証明することや、神武東征の行程を正確に追うことなど不可能なのだから。

残念ながら、このセミナーの少し後に新型コロナウィルスが世界中で蔓延した。
東京オリンピックは一年延期され、日本書記が完成してから1300年を祝うどころではなくなった。
著者とも何度かメールの交換をさせていただいたが、私自身も仕事が忙しくなってそれきりになっている。

だが、日本書記が今に残っているのは確かだ。キリのよい年であろうとなかろうと、学びたいと思う。本書を読むと1300年前の伝統が確かに今に息づいていることと、その良い点をこれからに生かさねばならないと思う。

‘2020/02/13-2020/02/13


信濃が語る古代氏族と天皇ー善光寺と諏訪大社の謎


本書はとても面白かった。私のここ数年の関心にずばりはまっていたからだ。

その関心とは、日本古代史だ。

日本書記や古事記に書かれた神話。それらは古代の動乱の一端を表しているのか。また、その動乱はわが国の成り立ちにどう影響したのか。
大和朝廷の起源はどこにあり、高千穂や出雲や吉備などの勢力とはどのようにしのぎを削って大きくなってきたのか。
神功皇后の三韓征伐はいつ頃の出来事なのか。熊野から大和への行軍や、日本武尊の東征は大和朝廷の黎明期にどのような役割を果たしたのか。
卑弥呼や壱与は歴代天皇の誰を指しており、邪馬台国とは畿内と九州のどちらにあったのか。
結局、日本神話とは想像の産物に過ぎないのか。それとも歴史の断片が刻まれた史実として見るべきなのか。そこに尽きる。

わが国の古代史の謎を解くカギは、現代まで散在する神社や遺跡の痕跡をより精緻に調べることで分かるのだろうか。
上に挙げた土地は、そうした歴史の証人だ。
そして、本書で取り上げられる信濃も日本の古代史を語る上で外せない場所だ。

国譲り神話に記された内容によると、建御名方神は建御雷神との力比べに敗れ、諏訪まで逃げたとされる。そしてその地で生涯を終え、それが今の諏訪大社の起源だともいう。
出雲から逃れた建御名方神は、諏訪から出ないことを条件に助命された。そのため、他の国の神々が出雲に集まる10月は、諏訪では神無月と呼ばないという。出雲に行けないからだ。

実際に諏訪大社やその周辺の社に詣でると、独特のしきたりが見られる。例えば御柱だ。四方に屹立する柱は、日本の他の地域ではあまり見られない。

私は友人たちや妻とここ数年、何度も諏訪を訪れている。諏訪大社の上宮、下宮はもちろん、守屋山にも登ったし、神長官守矢資料館にも訪れた。
諏訪を訪れるたびに力がみなぎり、旅の喜びも感じる。
この辺りの城や神社や地形から感じる波動。私はそれらに惹かれる。おそらく、神話が発する浪漫を感じているのかもしれない。

さらに、この辺りには神話の時代より、さらに下がった時代の伝説も伝わっている。それは上にも書いた守屋山に関するものだ。
守屋とは物部守屋からきているという伝承がある。
物部守屋とは、日本に仏教が入ってきた際、仏教を排撃する立場にたった物部氏の長だ。蘇我氏との権力争いに敗れた物部氏が諏訪に逃亡したという伝説がある。現代でも物部守屋の末裔が多く住んでいるという。
上に書いた建御名方神が諏訪に逃げた神話とは、実は蘇我氏に敗れた物部氏を描いているという説もあるほどだ。

本書の序章では、建御名方神の神話を振り返る。
海から糸魚川で上陸して内陸へと向かい、善光寺のある長野から松本を通り、諏訪へと至る道。その道に沿って建御名方神を祀る神社の多いことが紹介されている。かつて、何らかの勢力がこの道をたどって糸魚川から諏訪へと至ったと考えてよいだろう。
さらに、その痕跡には九州北部を拠点としていた海の民の共通点があるという。
松本と白馬の間に安曇野という地名がある。ここも阿波や安房やアマの地名と同じく海の民に由来しているという。

第一章では「善光寺秘仏と物部氏」と題されている。善光寺と諏訪大社には建御名方神という共通項がある。
そもそも善光寺とは由来からして独特なのだという。それは高僧や名僧や大名が建立したのではなく、本田善光という一庶民がきっかけであること。本筋の仏教宗派ではなく、民俗仏教というべき源流。そこが独特な点だ。
また、善光寺は現世利益を打ち出している。牛に引かれて善光寺参り、とは有名な言葉だ。
その思想の底には、過酷な自然に苦しめられ、自然に対して諦念をかみしめるわが国に独特の思想があるという。現世が過酷であるがゆえに、自然を征服せんとする西洋のような発想が生まれなかったわが国の思想史。
その思想を濃厚に残しているのが善光寺であるという。
さらに、誰も見たことのないという秘仏や、善光寺の七不思議といわれる他の仏閣にない独特な特徴。

本田善光が寺を建てたきっかけとは、上にも挙げたように物部守屋と蘇我稲目の仏教を導入するか否かで争った際、捨てられた仏像を拾ったことにあるという。
つまり善光寺と諏訪大社は物部守屋でもつながっていたという。次から次へと興味深い説が飛び出してくる。
さらに著者は、物部氏と蘇我氏が実は実権をめぐる争いをしておらず、実は共闘関係にあったという衝撃の説も述べている。
また、聖徳太子が建立したとされる四天王寺と物部守屋との関係や、信濃(しなの)や長野といった地名の起源も大阪の河内にあったのではという説まで提示する。もうワクワクしかない。

第二章では「諏訪信仰の深層」と題し、独特な進化を遂げた諏訪大社をめぐる信仰の独自性を探ってゆく。
上にも書いた通り、諏訪大社の周辺に見られる独特な民俗の姿は私を飽きさせない。御柱もそうだが、神長官守矢資料館では独特の神事の一端を垣間見ることができる。
鹿食免という鹿を食べてもかまわない免状など、古来の狩猟文化を今に伝えるかのような展示など、興味深い展示がめじろ押しだ。
ここは藤森照信氏による独特の外観や内部の設えも含めて必見だ。

この地方にはミシャグジ信仰も今に残されており、民俗学の愛好家にとってもこの辺りは垂涎の地である。
上社の御神体である守屋山に伝わる物部守屋伝説も含め、興味深いものが散在している。
本章では、そうした諏訪信仰の深みの秘密を探ってゆく。なんという興味深い土地であろうか。

第三章では「タケミナカタと海人族」と題し、古代日本を舞台に縦横に活躍した海の民が信濃にもたらしたものを探ってゆく。
歴史のロマンがスケールも豊かに描かれる本章は、本書でももっともワクワクさせられる。
安曇野が海由来の地名であることは上にも書いたが、宗像大社でしられる九州北部のムナカタがタケミナカタに通ずる説など、興奮させられた。
神社の配置に見られる規則や、各地の神社の祭神から導き出される古代日本の勢力の分布など、まさに古代史の粋が堪能できる。

第四章は「信濃にまつわる古代天皇の事績」
神功皇后をはじめ、神話の時代の天皇と神社にあらわれた古代日本の勢力の関係などについても興味深い。
あらゆる意味で、古代史の奥深さが感じられる。
まさに日本書記や古事記の記述には、古代史を探る上でヒントが隠されている。今に残る史跡や神社や民俗とあわせると、より意外な真相も明かされるのかもしれない。

もちろん、著者の述べる魅力的な説をうのみにして、これが史実だ、などと擁護するつもりはない。
だが、私にとって歴史とはロマンと一体だ。
本書はまさにそれを体現した一冊だ。また機会があれば著者の本は読んでみたいと思う。

‘2019/9/19-2019/9/24


境川を歩こう


町田に住んでいれば一度は目にするはずの境川。本書を読む三週間ほど前、妻と娘を連れてその源流のある草戸山に登ってきた。草戸山は町田市の最高峰であり、遥か江ノ島まで旅立つ境川の源でもある。

頂上のすぐ下の斜面が源流だが、そこへは少し坂を下らなければ行けない。そこは源流の名に相応しく、慎ましやかなしずくが音もなく垂れていた。このしずくがはるか江ノ島まで旅立ち、弁天橋をくぐって海に流れ込む時には一人前の川に育つのだ。境川に限らず、源流と河口で川はかくも違う姿を見せる。その違いは生物の成長にも似ている。私が川を好むのは子を見守る保護者の気持ちにも通じているからだろう。川は人の心を知らないうちに揺さぶる。私は境川の源流を見届け、ただ感動に身を委ねていた。

本書は、境川の源流を見届けたことを機に手に取った。本書は、境川の源から河口までをつぶさに記した書だ。著書は源から河口まで十五時間半かけて歩き通した方。また、何度か境川を歩くイベントの主催もされているとか。後書きに本書の由来が書かれている。それによると、歩くイベントを主催する中で参加者から境川のガイドが欲しいと請われ、もう一度歩いてまとめたという。

私は実は、そうした本書のいきさつを知らずに読み始めた。なので、本書をもし読む方がいれば、後書きから読んだ方が良いと思う。なぜなら本書は、ガイドとして書かれた物だからだ。読み物として読むと、多分しんどい思いをする。なにしろ本書は読みにくい。途中でだれそうになる。源から河口まで、橋や川沿いの史跡をくまなく立ち寄りながら川を描いてゆく本書。とにかく描写が微に入り過ぎているきらいがある。

例えば、その橋のたもとに咲く野草の一つ一つを列挙する。ナズナ、タンポポ、ヘクソカズラ、オオバコ、アキノキリンソウ、オシロイバナ、などなど。これが一カ所だけそういう描写ならよい。それが何十カ所のそれぞれで逐一書かれるのだ。また、あちこちに河川を管理する土木事務局の標柱が立っている。著者はその文言も余さず記載する。史跡の案内板に書かれた全ての文言を一字一句転載するならまだよいが、草花やあたりの情景の描写がこうも細部に至ると閉口する。

とくに、国道246以南の境川は私にとってなじみが薄い。本書の詳細な描写を私の記憶する境川のイメージに結びつけられず、読むのに難儀した。正直、何度も飛ばし読みしそうになる誘惑に流されそうになった。そして思った。本書は、資料なのだと。そして同好の士に向けたガイドなのだと。

そして本書とともに境川を下る旅を終え、あとがきを読み終えて初めて、本書が境川を歩く方のためのガイドとして書かれたことを知り、ようやく合点がいった。ガイドであるなら、本書の詳細な記載は欠点ではなく、欠かせない記載だ。

その他に本書に対して言うべき欠点があるとすれば、私が読んだ限りで数カ所の誤記が目についたくらいか。

だが、いくら私が欠点をあげつらおうと、著者が境川を歩き通したという事実は超えられない。そして、本書の描写がくどいのは、実際に著者が歩いたことの証拠でもあるのだ。

もう一つ、本書は資料だと書いた。標注や案内板の文言を逐一収録している本書は、取材当時の1996年の境川の様子が克明に描かれている。たとえば、私が訪れた境川の源流は、本書に描かれた源流とは少し違う。本書に描かれた源流は、私が訪れた源流からほんの少し下った場所を指している。当時は、真の源流地点まで道が整備されていなかったらしい。また、町田市役所もこの当時は中町にあった。だが、今は境川のすぐそばに立派な庁舎が建っている。そういう意味でも本書は貴重な記録だといえる。

そして、私も読み手としてはともかく、書き手としては本書くらい詳しい記録を残すのが好きだ。その意味で、著者の内容は書き手としては反面教師だが、読み手の立場では教師として敬うべき。

まずは、私も町田市民である以上、一度は境川を歩いて全行程を見届けたい。また、いつの日かは分からないが、猪名川や武庫川など私が育った川でも同じように歩きたいと思う。それは、多摩川や相模川、淀川でも同じだ。そういえば大学時代に仲間達と淀川を四十キロほど夜通し歩いた事がある。その思い出はいまだに良い思い出として残っている。

その時は楠葉から天保山までだったので淀川の上流は見てすらいない。すでに壮年期を迎えつつある淀川が河口に向かって余生を流れる姿を寄り添って歩いただけだ。それでも夜通し十二時間ほど歩いた記憶がある。学生時代ですらそうだから、大人になった今、源流から河口まで川を歩きとおす経験はなかなかできない。だからこそ、境川のような手頃な距離の川を歩く経験は貴重なのだと思う。

人生の縮図でもある川を歩きとおす経験。それは単なるイベントにはとどまらず、人生の中でも思い出となる。だが、その時間を捻出するのは簡単ではない。それが本書を読めば追体験できる。実に便利な本とは言えないだろうか。

‘2018/05/09-2016/05/10


神奈川「地理・地名・地図」の謎


たまにこういう気軽な本を読む。特に歴史や地理は、私の興味をくすぐってくれる。ましてや15年以上、住んだり、通勤したり、飲んだくれたりの神奈川県は、私にとって馴染みある地が多い。

ただ紹介されている内容が生半可だと興醒めしがちだ。知っていることばかりをおさらいするような気持になるから。だが、本書は痒いところまで神奈川のあちこちを取り上げていて、実に面白い。

歴史や地理、地図を見るのが好きな方にこそ本書はおすすめしたい。

たとえば本書の帯には「県名の由来となった「神奈川」はどこにあるの?」とある。これ、私は知らなかった。今も京急に神奈川駅はあるし、神奈川宿は東海道の宿駅として知られている。では神奈川という川の存在は?と言われるとハタと困ってしまう。盲点である。

本書にはこのような知識欲をくすぐる項目が65項目にわたって並ぶ。どれもがへえボタンを連打したくなる選りすぐりのトリビアである。私が本書を読むまで知らなかった知識は、そのうち50項目にも上る

・芦ノ湖の水利権は静岡県が持っている。
・山梨県道志村が横浜市への合併を望んでいた。
・相模原市の山間に湘南村という自治体があった。
・鶴岡八幡宮はもう一つある。
・ロシア土産のマトリョーシカは箱根産まれ。
・境川流域にサバ神社が12社も集中している。
・県がないはずの江戸時代に津久井県が存在していた。
・日本初の有料道路は箱根。

等々。

他の項目についても、本書の記載は簡潔にしてためになる。例え知っていたとしても、へえ~♪という記述に出くわすかもしれない。こういう本を読むにつけ、人生の短さがつくづく思いやられる。そういう意味では危険な本かもしれない。

本書は他の県版も出版されている。機会があれば読んでみたいと思う。

‘2015/04/16-2015/04/17


靖国


常駐先の移転により、麹町で仕事をするようになったのは昨年3月のこと。昼はなるべく外出し、ともすれば単調なリズムになりがちな平日の心身を整えている。

私の散歩コースの中には、靖国神社も含まれている。昼食がてらの散歩にしては、オフィスから少々離れており、参拝を行う時間はない。精々、練塀を眺めるだけであった。しかし、この年になるまで、一度も靖国参拝を果たしていない私。靖国の近くで仕事をしている好機を逃したくない、との思いが強くなってきた。

本書を入手したのはそのような時期である。入手以来半年、なかなか読めずにいたが、読み始めるとすぐに、妻が靖国神社に参拝したいと言いだした。縁であろう。思い立ったが吉日、というわけで、最初の休みに家族で参拝する機会を得た。読書中の本書を小脇に抱えて。

神社という場には、日本人の心を落ち着かせるものがある。静けさに満ちた平時の佇まいもよいが、祭りでは、一転して賑やかなハレの場となる。ケガレを祓う神域でありながら、静と動の二面を持つところが、日本の心性に合うのかもしれない。

本書では、靖国神社が持つ静と動の側面を、九段周辺の地勢、そして江戸から明治に至る時の流れから解き明かす。そこは和文化が西洋文明に洗われる場であり、封建の幕府から開かれた政府へと生まれ変わる時期でもある。靖国神社が九段に建てられた理由も、下町の江戸文化と山手の明治文明の境目、つまり九段坂があったためではないかと著者は看破する。私もそのような視点を持って、坂上の靖国神社参道から九段坂を通して、坂下の神田方面を見た。なるほど、その主旨には頷けるところがある。

靖国神社の持つ繋がりは実に幅広い。本書が採り上げる期間は、靖国神社の創立経緯から、太平洋戦争で降伏した直後までとなる。その記述の中で登場する人物や建造物の数はかなりの数に上る。日本武道館とビートルズに始まるプロローグ。サアカス団から奉納競馬、力道山、そして小錦に至る、ハレの場としての境内。大村益次郎、明治天皇から大正天皇といった為政者から見た靖国の意義。河竹黙次郎、岸田吟香、二葉亭四迷と坪内逍遥といった文化と風俗の舞台となった靖国の存在感。大鳥居建立の経緯から、遊就館と勧工場を結ぶ、カペレッティを中心とした建築家の繋がりと、野々宮アパート、軍人会館といった、東京の中でも最先端建築の中心に位置する靖国神社。

本書を読む前は、私の中では、江戸の代表的な神社は、江戸総鎮守でもある神田明神であり、東京の中心である神社は明治神宮か東京大神宮と思い込んでいた。が、本書を読んだ後は、それが靖国神社であることに思い至らされた。それは、政治的な意味や、地理的な理由によるものではない。江戸から東京へと、西洋の事物を取り入れ巨大化したこの都市の、文化の発信源が、ここ靖国神社であったことによる。

実に多種多様な事物が、靖国神社を廻って繋がっている。上に挙げた関連する人物や事物にも西洋由来のものがかなり多い。そこには、靖国神社が従来持っているはずの、様々な価値観を取り入れる器の広さ、そして文化の重層性を訴えたい著者の想いが強く感じられる。国家主義ではなく、国際主義の場。その文化的意義を忘れて靖国神社を語ることの危うさについて、問題提議を行うのが、本書の主題ではないかと思う。

本書の中では、A級戦犯や富田メモ、国務大臣参拝などといった、戦後の靖国神社について回る一切の単語が出てこない。昭和天皇すら一度も登場しない。そこには、明らかな著者の意図が見える。政治的な論争の場としてではなく、文化的な豊穣の場。靖国神社とは、本来そのような場所ではなかったか。

今回の参拝では、大村益次郎像から休憩所までの空間を利用して靖国神社青空骨董市が開催されていた。かつては、この場所で競馬が開かれていたという。読書中にその舞台を訪問するという縁に恵まれた今回。本書の記述とその舞台を実地に見られたことは実に幸運であった。本書で紹介される膨大な関連性を理解するにはまだまだ時間が必要だが、まずは最低限の境内散策と本殿参拝が出来たことでよしとしたい。それまでに何度も本書の記述には目を通し、江戸から東京へと移り変わるこの都市が理解できるよう、努力したいと思う。

なお、娘連れであったことと、次の予定もあったので遊就館には行かなかった。次回、早めに機会を作って拝観したいと思う。少なくとも本書の主題とは直接関連していないとはいえ、靖国神社の祭神を理解するには展示物を観なければ。

’14/1/31-’14/2/5