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波形の声


『教場』で文名を高めた著者。

短編のわずかな紙数の中に伏線を張り巡らせ、人の心の機微を描きながら、意外な結末を盛り込む手腕には驚かされた。
本書もまた、それに近い雰囲気を感じる短編集だ。

本書に収められた七つの短編の全てで、著者は人の心の暗い部分の裏を読み、冷静に描く。人の心の暗い部分とは、人の裏をかこう、人よりも優位に立とうとする人のサガだ。
そうした競争心理が寄り集まり、混沌としてしまっているのが今の社会だ。
相手に負けまい、出し抜かれまい。その思いはあちこちで軋轢を生み出す。
そもそも、人は集まればストレスを感じる生き物だ。娯楽や宗教の集まりであれば、ストレスを打ち消すだけの代償があるが、ほとんどの集まりはそうではない。
思いが異なる人々が集まった場合、本能として競争心理が生まれてしまうのかもしれない。

上に挙げた『教場』は、警察学校での閉じられた環境だった。その特殊な環境が物語を面白くしていた。
そして本書だ。本書によって、著者は一般の社会のあらゆる場面でも同じように秀逸な物語が書けることを証明したと思う。

「波形の声」
学校の子供達の関係はまさに悪意の塊。いじめが横行し、弱い子どもには先生の見えない場所でありとあらゆる嫌がらせが襲いかかる。
小学校と『教場』で舞台となった警察学校。ともに同じ「学校」の文字が含まれる。だが、その二つは全く違う。
本編に登場する生徒は、警察官の卵よりも幼い小学生たちだ。そうした小学生たちは無垢であり、高度な悪意は発揮するだけの高度な知能は発展途上だ。だが、教師の意のままにならないことは同じ。子どもたちは自由に振る舞い、大人たちを出し抜こうとする。先生たちは子どもたちを統制するためにあらゆる思惑を働かせる。
そんな中、一つの事件が起こる。先生たちはその問題をどう処理し、先生としての役割をはたすのか。

「宿敵」
高校野球のライバル同士が甲子園出場をかけて争ってから数十年。
今ではすっかり老年になった二人が、近くに住む者同士になる。かつてのライバル関係を引きずってお互いの見栄を張り合う毎日。どちらが先に運転免許証を返上し、どちらが先に車の事故を起こすのか。
家族を巻き込んだ意地の張り合いは、どのような結末にいたるのか。

本編は、ミステリーや謎解きと言うより人が持つ心の弱さを描いている。誰にも共感できるユーモアすら感じられる。
こうした物語が書ける著者の引き出しの多さが感じられる。とても面白い一編だ。

「わけありの街」
都会へ送り出した大切な息子を強盗に殺されてしまった母親。
犯人を探してほしいと何度も警察署に訴えにくるが、警察も持て余すばかり。
子供のことを思うあまり、母親は息子が住んでいた部屋を借りようとする。

一人でビラを撒き、頻繁に警察に相談に行く彼女の努力にもかかわらず、犯人は依然として見つからない。
だが、彼女がある思惑に基づいて行動していたことが、本編の最後になって明かされる。

そういう意外な動機は、盲点となって世の中のあちこちに潜んでいる。それを見つけだし、したたかに利用した彼女への驚きとともに本編は幕を閉じる。
人の心や社会のひだは、私たちの想像以上に複雑で奥が深いことを教えてくれる一編だ。

「暗闇の蚊」
モスキートの音は年齢を経過するごとに聞こえなくなると言う。あえてモスキート音を立てることで、若い人をその場から追い払う手法があるし、実際にそうした対策を打っている繁華街もあるという。
その現象に着目し、それをうまく人々の暮らしの中に悪巧みとして組み込んだのが本編だ。

獣医師の母から折に触れてペットの治療や知識を伝授され、テストされている中学生の息子。
彼が好意を持つ対象が熟女と言うのも気をてらった設定だが、その設定をうまくモスキート音に結びつけたところに本編の面白みがあると思う。

「黒白の暦」
長年の会社でのライバル関係と目されている二人の女性。今やベテランの部長と次長のポジションに就いているが、一人が顧客への対応を間違えてしまう。
会社内の微妙な人間関係の中に起きたささいな出来事が、会社の中のバランスを揺るがす。
だが、そうした中で相手を気遣うちょっとした振る舞いが明らかになり、それと同時に本編の意味合いが一度に変わる。

後味の爽やかな本編もなかなか面白い。

「準備室」
普段から、パワー・ハラスメントにとられかねない言動をまき散らしている県庁職員。
県庁から来たその職員にビクビクしている村役場の職員たち。
その関係性は、大人の中の世界だからこそかろうじて維持される。

だが、職場見学で子どもたちがやってきた時、そのバランスは不安定になる。お互いの体面を悪し様に傷つけずに、どのように大人はバランスを保とうとするのか。
仕事の建前と家庭のはざまに立つ社会人の悲哀。それを感じるのが本編だ。

「ハガニアの霧」
成功した実業家。その息子はニートで閉じこもっている。そんな息子を認めまいと辛辣なことをいう親。
そんなある日、息子が誘拐される。
その身代金として偶然にも見つかった幻の絵。この絵を犯人は誰も取り上げることができないよう、海の底に沈めるように指示する。

果たしてその絵の行方や息子の命はどうなるのか。
本書の中ではもっともミステリーらしい短編が本編だ。

‘2020/08/13-2020/08/13


県庁おもてなし課


この題材の取り上げ方は見事。著者お得意の恋愛ストーリーと地方振興にからめ、さらには主人公の成長譚と公務員問題の提起までを一編にまとめてしまったことには脱帽の他ない。公務員が主人公というのもいい。

本書の舞台は高知。著者の郷里だとか。本書のあちこちで高知の魅力が語られ、著者にとっては、故郷愛を満たしつつ、返す刀で故郷への恩返しもするという欲張りな小説でもある。

高知県庁のおもてなし課に勤める主人公掛水は、県の観光振興策を観光大使という形でまとめ、方々に依頼する。そのうちの一人が東京で小説家として活躍する吉門喬介。吉門喬介から散々に役人思考についてダメ出しをくらうが、そこから紹介された人脈の力を得て、人間的に成長し、観光振興にむけて努力する、というのが大筋。これだけで主人公の成長物語として充分成立するが、さらに著者は構成に工夫を凝らす。吉門喬介に紹介された地元高知の観光コンサルタント清遠和政は凄腕だが、かつては高知県庁に在籍していた男。異彩を放つ観光振興案を連発するも、あまりに役人の枠からはみ出た思考が持て余された末、閑職に追いやられ、退職を余儀なくされた経歴をもつ。実は吉門喬介の父でもある。吉門喬介から紹介されて訪れた掛水にかつて果たせなかった高知の観光振興を託し、一肌脱ぐという清遠和政の魅力もよい。そこに吉門喬介が長期取材と称して高知に帰省し、父子で力を合わせて観光振興に腕を振るうという筋も合わさり、重層的な構造となっている。

さらには吉門喬介の血の繋がらない妹や、主人公の下で観光振興にはげむバイトの明神多紀など、著者お得意の恋愛模様のお膳立てにもぬかりない。本書は軽く読める本なのだが、実は物語の構造としては一筋縄ではいかず、さらっと流し読みするには惜しい本である。

本書は地方振興、観光誘致のモデルケースとして大変参考になる。いや、観光に限らず、客商売をする者にとってもよい参考書としても使えること請け合いだ。本書内では反面教師としての役人思考が頻繁に槍玉に挙げられる。それは著者が実際に経験したやり切れなさであり、全国の自治体に共通する悪習でもある。逆にいうと、その点こそが高知県が観光誘致で一頭抜けだすチャンスでもある。著者の小説家としての本能に加え、郷土の観光大使としての使命感は、本書で存分に発揮されているといえよう。本書の観光コンサルタント清遠和政のネタ元は実は著者自身ではないかとも思えるくらいである。観光政策というやりがいのある分野で故郷に関わり、本書のような果実を得た著者は、実にうらやましい。数多くのトラベルミステリー、星の数ほどある旅行記、砂の数ほどある観光パンフレットをはるかにしのぎ、本書一冊で観光大使百人分の役目は担ったのではないか。

巻末には著者と食環境ジャーナリスト、食総合プロデューサーである金丸弘美氏、そして高知県庁おもてなし課にお勤めのお二方との対談まで収められている。これもなかなか他の小説には見られない趣向だ。対談でも著者の郷里愛は炸裂し、読む者を紙面に引きずりこむ。本書で語られる印象的なエピソードは、実際に著者が高知県から依頼された際の体験を下敷きにしているとか。あまりに残念な役人思考に業を煮やしたのが、本書が生まれるきっかけとなったそうだ。もっとも対談相手となった職員お二方の発言を見ると、すでに役人思考から脱却しているように思える。それが証拠に、高知県の最近の観光パンフレットには見るべきものが多い。「リョーマの休日」「高知家へようこそ」など、秀逸なコピーが目を引く。私はアンテナショップ巡りが大好きで、永田町にある都道府県会館地下の全県観光パンフレットコーナーにもよく行く。その私が目立つと思うのだから高知県の観光キャンペーンは他県よりも秀でているのではないだろうか。それもこれも著者の故郷愛のなせる業だろう。人と生れてやりたいことは多々あれど、行政を変えていくことほど痛快なものはない。

先日、銀座にある高知県アンテナショップに訪れたが、名産のゆずを中心に、実に豊かな品揃えであった。実は、高知には四半世紀ほど前に行ったきりで、相当の期間ご無沙汰している。本書を読み、アンテナショップに行くだけで高知観光した気になってしまったのだが、それではいけない。次女が好きだったやなせたかしさんのミュージアムに行く計画も沙汰やみとなってしまった。私自身が高知に長期出張するという話も流れてしまった。このままでは今が旬の高知の観光行政の素晴らしさが味わえなくなってしまう。行くと云ったら行かねばならぬ。本書を読んだからには。

’2014/11/1-2014/11/1