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アラビアの夜の種族


これはすごい本だ。物語とはかくあるべき。そんな一冊になっている。冒険とロマン、謎と神秘、欲望と愛、興奮と知性が全て本書に詰まっている。

アラビアン・ナイトは、千夜一夜物語の邦題でよく知られている。だが、私はまだ読んだことがない。アラジンと魔法のランプやシンドバッドの大冒険やシェヘラザードの物語など、断片で知っている程度。だが、アラビアン・ナイトが物語の宝庫であることは私にもうかがい知ることが可能だ。

本書はアラビアの物語の伝統を著者なりに解釈し、新たな物語として紡ぎだした本だ。それだけでもすごいことなのだが、本書の中身もきらびやかで、物語のあらゆる魅力を詰め込んでいる。内容が果たしてアラビアン・ナイトに収められた物語を再構成したものかどうかは、私にはわからない。ただ、著者は一貫して本書を訳書だと言い募っている。著者のオリジナルではなく、著者が不詳のアラビアン・ナイトブリード(アラビアの夜の種族)を訳したのが著者という体だ。前書きでもあとがきでもその事が述べられている。そればかりか、ご丁寧に訳者註までもが本書内のあちこちに挿入されている。

本書が著者の創作なのか、もともとあった物語なのかをそこまで曖昧にする理由はなんだろうか。それは多分、物語の重層性を読者に意識させるためではないかと思う。通常は、作者と読者をつなぐのは一つの物語だけだ。ところが、物語の中に挿入された別の物語があると、物語は途端に深みを持ちはじめる。入れ子状に次々と層が増えていくことで、厚みが増えるように、深さがますのだ。作者と読者をつなぐ物語に何層もの物語が挟まるようになると、もはや作者を意識するゆとりは読者にはない。各物語を並列に理解しなければならず、作者の存在は読者の脳裏から消え失せる。そして本書の様に何層もの物語で囲み、ご丁寧に著者は紹介者・翻訳者として入れ子の中心に身を隠すことで、読者からの眼は届かなくなる。読者は何層にも層を成した物語の皮をめくることに夢中になり、芯に潜む著者の存在にはもはや関心を払わなくなるのだ。

それによって、著者が目指したものとは何か。著者の意図はどこにあるのか。それは当然、物語そのものに読者を引き込むことにある。アラビアン・ナイトを現代によみがえらせようとした著者の意図。それは物語の復権だろう。しかも著者が本書でよみがえらせようとした物語とは、歴史によって角を丸められた物語ではない。より生々しく、より赤裸々に。より毒を持ち、より公序良俗によくない物語。つまり、物語の原型だ。グリム童話ももともとはもっとどぎついものだったという。今の私たちが知っている童話とは、年月によって少しずつ解毒され、角がとれ、大人に都合のよい物語に変容させられていった成れの果ての。だが、本来の童話とはもっとアバンギャルドでエキセントリックなものだったはず。著者はそれを蘇らせようとしている。私のような真の物語を求める読者のために。

では、いったい何層の物語が隠れているのだろうか。本書には?

まず最初の物語は、アラビアン・ナイトブリードという著者とそれを翻訳し、紹介した著者の物語だ。それは、薄皮のように最初に読者の前に現れる。それをめくった読者が出会うのは、続いては、アラビアン・ナイトブリードの物語世界だ。その世界では今にもナポレオン軍が来襲しようとするエジプトが舞台となっている。強大なナポレオン軍を撃退するには、長年の平和に慣れすぎたエジプトはあまりにも脆い。そこで策士アイユーブは読めば堕落すると伝わる「災厄の書」を探し出し、それをナポレオンをへの贈り物にすることで、ナポレオンを自滅に追い込もうと画策する。首尾よく見つけ出した「災厄の書」は、その力があまりに強大なあまり、読むと翻訳者にも害を与えるという。だから分冊にして、ストーリーとして意味のない形にしたうえでフランス語に翻訳し、翻訳を進めながら物語を読み合わせようとしたのだ。ところがそれはアイユーブが主人であるイスマーイール・ベイをたばかるための仮のストーリー。その実は、魅力的な物語を知る語り部に物語を語らせ、それを分冊にしてフランス語に翻訳するという策だ。ここにも違う物語の層が干渉しあっているのだ。

そして次の物語の幕が上がる。直列に連なる三つの物語は、これぞ物語とでもいえそうな幻想と冒険に満ちている。その中では魔法や呪文がつかわれ、魔物がダンジョンを徘徊し、一千年間封じられた魔人が復活の時を待ち望む。裏切りと愛。愛欲と激情。妖魅と交わる英雄。剣と謀略だけが生き残る術。そんな世界。極上のファンタジーが味わえる。読むものを堕落させるとのうたい文句は伊達ではない。

一つ目は王子でありながら醜い面相を持つアーダム。彼が身を立てるために妖術師になっていく物語だ。醜い面相を持ちながら、醜い性格を隠し持つ。裏切りと謀略に満ちているが、とても面白い。

二つ目は、黒人でありながらアルビノとして生まれため、ファラーと名付けられた男。生き延びるために魔術を身に着け、世界を放浪して回る。その苦難の日々は、成長譚として楽しめる。

三つめは、盗賊でありながら、実は貴い出自を持つサフィアーン。盗賊でありながら義の心を持つ彼の、逆転につぐ逆転の物語。予想外の物語はそれだけでも楽しめること間違いない。

三つの物語はどんな結末を迎えるのか。三つの物語がアイユーブ達によって読み上げられ、一つの本に編まれた暁には何が起こるのか。それは本書を読んでもらわねばなるまい。一つ思い出せるのは「物語とは本来、永遠に続かねばならない」という故栗本薫さんの言葉だ。

もちろん本書は終わりを迎える。何層にも束ねられた物語も、本である以上、終わらねばならない。仕方のない事だ。それぞれの物語はそれぞれの流儀によって幕を閉じる。ただ、読み終えた読者は置き去りにされたと思わず、満足して本を閉じるに違いない。極上の物語を同時にいくつも読み終えられた満足とともに。

本書はとても野心に満ちている。複雑さと難解さだけに満ちた本は世の中にいくらでもある。本書はそこに桁違いのエンタメ要素を盛り込んだ。日本SF大賞と日本推理作家協会賞を同時受賞できる本はなかなかない。本書は何度でも楽しめるし、何パターンの読み方だってできる。その時、作家が誰であるかなど、どうでもよくなっているはず。それよりも読者が気をつけるべきは、本書によって堕落させられないことだけだ。

‘2017/08/27-2017/09/17


完盗オンサイト


本書もこのところ読んできた江戸川乱歩賞受賞作の一つだ。江戸川乱歩賞の受賞作は、作風や構成がバラエティに富んでいる。応募作も推理作家の登竜門であるため、力が入った作品が多い。粗削りだが、魅力もあるのだ。

本書もその一つ。皇居に忍び込み徳川家光公が愛した盆栽「三代将軍」を盗み出すというプロットは野心的だし、勢いに満ちている。奇想天外なストーリーではあるが、小説の内容自体がぎりぎり破綻していないのもいい。興味を惹かれつつ読み進められる。なおかつ、登場人物が挫折から再起する様子が描かれている事にも好感が持てる。

主人公の水沢浹(とおる)は21歳。恋人のクライマー伊藤葉月と別れ、クライマーとしての未来にも自信を失い、ホームレスと変わらない日々を送っていた。

浅草で行き倒れ寸前になるところを救ってくれたのが、寺の住職岩代辿紹だ。ぶっきらぼうだが、温かみのある辿紹。言葉が不自由な少年斑鳩(いかる)を養っている辿紹は、さらに浹も養うことにする。浹に何かを感じたからだ。辿紹は工事現場で作業員の仕事にも出かけており、そこに浹を連れて行く。ところがそこで浹は休憩時間にクライミングトレーニングをしてしまい、そこから浹はその施主の社長國生環にスカウトされる。そこで依頼されたのが、皇居にある「三代将軍」を盗み出すことだ。

その施主、國生地所は日本有数のデベロッパー。その設計事例の多くは、社長の國生環ではなく会長の國生肇の頭脳から生み出されている。自らは動けずストレッチャーにのって移動する肇は、自らが動けないため脳裏に描く欲求を実現せずにはいられない人物。そんな彼の歪んだ欲求は「三代将軍」を手に入れることに向けられている。

依頼を受け、浹はどうすべきか。ここから、本書は面白い展開を見せる。ただ浹が盆栽を盗み出して終わりにはならない。世界的な名声を保っていた元恋人の伊藤葉月。さらに辿紹が養っている斑鳩。そして明らかに精神に深刻な病を抱えている人物瀬尾貴弘も合間に描写される。

奇矯な人物が奇妙な動機と行動で話を進めていく本書。展開がかなり独特な感じなのだが不思議とすいすい読める。違和感もあまり感じない。「著者の都合が感じられなかった」と選評で東野圭吾氏が書いていたが、私もそう思った。著者の都合が感じられないため、読者としても白けることなく付いていけるのだ。奇抜な目標を設定しているだけに、読者としてはその結末がどうなるか気になるのだ。こうなればもう著者の勝ちだ。

本書の後半の動きはめまぐるしい。展開も強引すれすれな速度で進む。だが、それがかえって本書に独特の色合いを与えている。そして著者の都合は感じられない。選評で内田康夫氏が、漫画の原作のような非現実的なストーリーで、受賞には反対したと書いていた。確かにそういう見方もあるだろう。私は書き直された本書しか知らないので、応募時と本書がどう違うのかはわからず、応募時にはもっと展開が強引だったかもしれない。

だが、それはあくまでも受賞作という視点で見た時の話。本書を受賞作と切り離してみてみれば、展開も予想外だし、人物が良く書けている。エキセントリックな人物もいれば、リアルな存在感を出す人物もいる。それぞれのバランスが良いのだ。そのため、風変わりな動機と目的であっても円滑に読めるのだ。そして、その中で浹が挫折を乗り越え、成長を遂げてゆく姿を楽しめるのだ。ただ、最後に浹が取った判断は賛否分かれると思う。特に斑鳩の扱いについては。あと、続編への色気を見せるラストも余計だと思う。多分、本書の読後感については好き嫌いがわかれると思う。

なお、タイトルにあるオンサイトとは、「自分が一度もトライしたことのないルートを、初見で完登すること」(146P)ということだ。そこで完登を完盗と変えたのが肝だ。応募時には「クライマーズ ハイ」というタイトルだったらしい。本書のほうが良いタイトルだと思う。

「クライマーズ ハイ」というあまり良いとは思えないタイトルでこれだけ奇天烈なテーマと構成で受賞したのだから、次回作も気になる。まだ著者の作品は本書しか読んだことがない。見つければ読んでみようと思う。

‘2017/07/18-2017/07/18