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日本のいちばん長い日


70年前、日本のいちばん長い日に日本の将来を憂い、かつ、戦後の日本のために命をかけて動いた人々がいた。そして、丁度70年後の8/14から15日にかけて、私はスクリーンを通し、それら人々の動きを食い入るように見ていた。

「阿南さんのお気持ちは最初からわかっていました。それもこれも、みんな国を思う情熱から出てきたことです。しかし阿南さん、私はこの国と皇室の未来に対し、それほどの悲観はしておりません。わが国は復興し、皇室はきっと護持されます。陛下は常に神をお祭りしていますからね。日本はかならず再建に成功します」

これは、原作から抜粋した鈴木首相の台詞である。手元に原作がなく、Webソースからコピーしたが、本作ではこの台詞やそれに対する阿南陸相の返答はほぼ同じ内容で再現されていた。70年前、日本の復興を信じた人々の思いを噛みしめるように、再建成った日本の安全な映画館で本作を見られる幸せを実感した。

本作は、戦後70年を掛けて成し遂げた日本映画の最高峰といえるのではないか。俳優陣の演技は圧巻だし、美術や時代考証、衣装など文句のつけようもない。本作のパンフレットには、ロケ地や衣装、美術、音楽、時代考証などの解説が載っている。そこから読み取れるのは、監督やスタッフの凄まじい熱意である。熱意と、モデルになった人々に対する敬意あってこその本作と云える。

本木雅弘さん演ずる昭和天皇は、その容姿や所作など今まで様々な俳優によって演じられた昭和天皇の中でも、後世の基準となるかもしれない素晴らしさである。今まで昭和天皇が日本人監督によってこれほど真正面から撮られたことは無かったのではなかろうか。そこには畏れ多さもあったことだろう。しかしもう70年である。昭和天皇が崩御されてからもすでに四半世紀以上の時が過ぎた。これからは歴史上の人物として取り上げられていってよいと思う。
本作で本木さん演ずる昭和天皇は、超越したような孤高の雰囲気が劇中一貫して保たれていた。また、昭和天皇が戦前、統帥権と立憲君主としての立場の狭間にあって、意思表示すらも自制していたことはよく言われる。意思表示をぎりぎりまで抑えながらも毅然とした決断を述べる部分など、当時の昭和天皇が抱える制約や苦悩を良く演じ切っていたと思う。鈴木総理との以心伝心で終戦の聖断を下したシーンなど、当時の実際を垣間見ているようにすら思える。実は私はもっくんの演技を観るのは、ドラマも含めて初めてなのだが、素晴らしい俳優であると思った。
東条元首相への謁見で、サザエの貝殻を軍隊に例えた東条元首相の比喩を一蹴するシーンやナポレオンを引き合いに出して、東条元首相を窘めるシーンがあった。原作を読んだ記憶ではそのようなシーンは無かったように思えるが、パンフレットによればサザエのシーンは原田監督の演出だとか。そこまで突っ込んで東条元首相を諌めた史実はなかったように記憶しているが、監督の解釈として興味あるところだ。

阿南陸相を演じた役所広司さんも、また素晴らしい演技であった。阿南陸相と役所さんの容貌は、個人的には本作に登場する人物の中で一番ギャップがあったように思う。しかし、それすらも気にならなくなるほどに役所さん演ずる阿南陸相は素晴らしかった。阿南陸相は子煩悩な家庭第一の人としてよく知られている。そういった家庭的な温かみと、陸軍にあって人望を備える厳しさとの両立が演じる側には必要となる。阿南陸相は、陸軍の暴発を抑えるために和戦両様の腹芸を打つといった、本作にあって一番難しい「やくどころ」だと思うが、さすがに芸名に相応しく見事に本作を引き締めていた。ちなみに私にとっての阿南陸相は、命を懸けて和戦の釣り合いをぎりぎりまで見極めた、日本史に残る軍人であり役者だと思っている。日本史の中でもっともっと評価されてよい方だと思っている。機会があれば墓前にも参拝したいとも思っている。それゆえに、自刃直前に言ったとされる「米内を斬れ!」が本作では割愛されていたことが少しひっかかった。本作中でも米内海相との丁々発止のやりとりもあり、原作ではたしかその台詞はあったように思うのだが・・・勘違いかな。

鈴木貫太郎首相は、私にとってまた思い入れ深い方である。昨年の秋、一人で旧関宿町の鈴木貫太郎資料館を訪問した。墓前にも参拝し、その人間的な広い器の一端に触れさせて頂こうと思っていた。その際に得た鈴木首相の印象と、山崎努さん演ずる姿は見事に一致していた。まさに俳優の芸の深さに頭が下がる想いである。鈴木首相もまた、和戦両様の構えで新聞や軍を煙に巻き、聖断へと持ちこんだ人である。戦前の華々しい軍果の数々もそうだが、敗戦後の日本にとっても欠かす事のできない方である。しかし、私が昨秋に資料館を訪問した際は、私以外2人しか訪問者がおらず、実相寺の墓地には私以外誰もいなかった。今では全く世の中から忘れられてしまった方なのだが、本作を通じて再び見直されることを強く願う。故鈴木首相が在任中の失敗として述懐していることとして、ポツダム宣言への「黙殺」報道がある。本意として「黙殺」ではなかったのに、そのように海外には報道されたことで、ヒロシマ・ナガサキの悲劇が起きた。本作の中では「黙殺」との台詞が出ているが、そのあたりの経緯も描かれている。原作ではどのように描写されていたのか覚えていないが、気になるところである。

松坂桃李さん演ずる 畑中健二少佐もまた見事であった。早口な台詞など、追い詰められ、触れれば切れる刃のような状態にあった彼らの様子は、このような感じだったろうと思わせる。宮城事件を起こした将校たちの狂気紙一重の純粋さがなければ、陸軍の暴発を恐れるがゆえに腹芸を打った昭和天皇、鈴木首相、阿南陸相の行動にリアリティが生まれない。得てして後世の平和な我々にとって、あの時、原爆を落とされ、ソ連が参戦するぎりぎりの状況にあってもなお国体護持に拘る姿勢、陸軍の暴発を極度に恐れる姿勢は、非現実的に思える。陸軍将校たちが唱える本土決戦の非現実さを笑うのは、後世の平和な我々には簡単である。しかし、当時の純粋育成された軍将校にとっては、開戦以来、島嶼部の戦闘以外で負けていないのに戦争を放棄することなどありえない。そのような事情は鑑みるべきだろう。ましてや満州や中国に数百万の将兵を温存出来ていたとするならば。そのあたりの狂気紙一重の純粋さを演じ切っていた松坂桃李さんは私にとってほとんど初見の俳優さんなのだが、今後興味を持って観て行きたいと思う。

堤真一さんの迫水久常書記官長役もまたよかった。昭和天皇とはまた違う、現場の空気に染まらず、冷静に客観的に見るその演技は、なんとなく私自身の仕事上のそれに通ずるところがあり、共感できた。会議の仕切りなど事務方の取りまとめ役の所作を、見事に演じていたと思う。ただ、どこか私にとって腹に落ち切れていない部分があり、それが何か考えていたのだが、ようやく分かった。上に挙げた歴史上の人物は、大抵他の著作や伝記などで触れた経験があるのだが、迫水氏については、全く読んだことがないのだ。終戦時の日本を取り上げた文章にあって、迫水氏はほぼ登場するにも関わらず、人物像に焦点を当てた文章にはまだお目にかかったことがない。他の方々の演技は私の腹に完全に落ち、そのイメージとの一致に膝を叩く思いだったのに、迫水氏だけは現実の氏のことをほとんど知っておらず、これは一度関連書籍を探して見なければ、と思った。

本作は、70年後の日本人が当時の日本を描写している。そのため、日本を描写したハリウッド作品とは、時代考証に求められるレベルが違う。各段の厳密さが求められるのは当然である。私のような素人の現代史好きにとって、ロケ地や衣装、美術、音楽、時代考証などで本作におかしな点は見られなかった。本作は、東京を舞台としたシーンが多いが、関西のロケ地が多いという。だが、観ていて違和感は抱かなかった。
関西のロケ地の中でも私に縁のあるロケ地が二か所あった。一つは、天皇の居室や吹上御所として登場した甲子園会館。ここは私の実家から徒歩数分の場所にあり、普段は武庫川女子大のキャンパスとして使われている。幼少時から外観はよく見ているのに、まだ中に入ったことは一度もない。数年前の帰省の際に外観はじっくりと観たが、本作を観て強く館内を見学したくなった。もう一つは、滋賀の五箇荘にある藤井彦四郎邸である。ここは4年前、一人で訪れ、邸内にも入った。本作では阿南陸相の三鷹の邸宅として使われており、観劇中は全く気付かなかった。あとでパンフレットを観て藤井彦四郎邸であることに気付いた次第。これは悔しかった。そのほか、京都御所や舞鶴の旧東郷邸や神戸税関など、関西人としては嬉しい場所が多数ロケ地で使われていたことがパンフレットに載っていた。本作は間違いなくDVDが発売されるだろうし、私も買い求めると思うが、劇場で観られない方もパンフレットだけでもお買い求めることをお勧めしたい。

また、本作の様な内容は、云い方は悪いが簡単に観客を泣かせることが可能といえる。しかし、あえてそういう演出を採らなかったことに逆に監督の真摯な想いが伝わってきたように思える。もちろん昭和天皇の胸を打つ言葉、鈴木首相の達観したような凄味、阿南陸相の温かみと国を思う想いなど、胸が熱くなるシーンは沢山ある。阿南陸相の妻が三鷹から空襲下の東京を陸相官邸まで駆けつけ、最期に間に合わなかったものの、戦死した子息の最期の様子を物言わぬ遺体に切々と語りかける場面など、観る方によっては号泣必至かもしれない。しかし、彼らが命を懸けて得た日本の繁栄に安住している私のような観客からみると、ただただ感謝の気持ちが胸を満たすのである。

’15/8/14 イオンシネマ 新百合ヶ丘