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アクアビット航海記 vol.43〜航海記 その27


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/4/19にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回は新たな環境へ誘われたことを語ります。

新たな会社へのお誘いを受ける


本連載の第三十四回に書いた通り、妊娠する前の妻は婦人科系の疾患を複数抱えていました。それらの疾患は妊娠中と出産時に多くの試練を妻に課しました。それらの困難をのりこえ、長女が産まれたのは2000年がまもなく暮れようとする頃でした。

長女は産まれると同時に、妻の疾患の多くをきれいに拭い去ってくれました。妻にとって長女の出産は一つのクライマックスだったと思います。
それだけでなく、長女の出産は私にも大きな影響をもたらしてくれました。
それはご縁、仕事、そして転機です。

妻が入院していた産婦人科には、数人の妊婦さんが入院していました。そして出産前後の時間をともに過ごしていました。
特にそのうちの一人のママさんと妻が親しくなりました。そして家族ぐるみでお付き合いするようになりました。
私も夫として交流しました。さまざまな場所へも遊びについて行き、そのママさんのお宅にもお邪魔しました。
お互いの家族は、そうやって慣れない育児を一緒に乗り越えようとしていました。

親しく付き合う中で、お互いの家族の構成や仕事関係の情報も話に出てきます。そのママさんのお父さんが相模原で会社を経営している事も会話の中で知りました。その会社でママさんの旦那さんや、ママさんの妹さんの旦那さんが働いていることも。

その会社に来ないか、というお誘いを最初にいただいたのがいつだったか。あまりよく覚えていません。2002年の秋は、家族と一緒に一週間ほど北海道を旅しました。お話を頂いたのは旅から帰ってきた後だったような気がします。
その頃の私は、本連載の第四二回で触れたとおりワールドカップ後の燃え尽き状態に加え、いくつかの屈託を抱えていました。

そんな時期にいただいた会社に来ないかというお誘い。
今までの本連載を読んでくださった方であれば、私が即転職を決断したと思うかもしれません。
ですが、さすがの私もそれなりに考えました。

当時、私が所属していたパソナソフトバンクあらためプロフェシオあらためフジプロフェシオは、全国に支店網を持っていました。合併・吸収の荒波に揺さぶられていたとはいえ、株式を店頭公開していました。ゆくゆくは東証二部や東証一部上場もあり得たかもしれません。母体となった二つの企業の影響力は巨大でした。

それよりも考えるべきは、私自身の覚悟です。私はなぜ正社員になったのか。それを自分に問わねばなりません。その辺りのことは、本連載の第三二回第三三回第三四回で書いた通りです。
私は上京し、結婚しました。妻と生活する上で、まずは正社員で身を固めようとしました。この時、せっかく正社員になったのに、違う会社からのお誘いをやすやすと受ければ、私自身の決意を裏切ることにもなりかねません。

情報機器管理の大切さを学ぶ


当時の私が抱えていた屈託は、転職の話をいただいた当初から、私の気持ちを新たな挑戦へと導いていたように思います。
でも、軽挙妄動は慎まねばなりません。
そこで、様子を見るため、その会社のパソコン回りの整備を請け負うことにしました。毎週土曜日。その日であれば私も仕事が休みです。また、その会社の皆さんもいないため、皆さんのパソコンを触るのに都合が良かったのが土曜日でした。

手元に当時の報告書が残っています。それによると2003年の年明けから調査・設定の作業に携わっていたようです。

調査・設定の作業を行う中で徐々に把握したその会社のIT環境。それはもう目を覆うばかりの惨状でした。社内LANこそ引かれていましたが、ファイルサーバーもなく、ルーターの設定値も初期値のまま。その結果、十数台の端末の多くがウィルスに感染していました。そもそも、Windows Updateが実行されている端末すらほんの一部で、アンチウィルスやファイアウォール・ソフトすら入っていない端末がほとんど。全く管理されていない状態の情報端末は、企業の環境とは思えないほどの状態でした。
オンプレミスのサーバーで動くパッケージの販売管理システムが入っていましたが、その保守もあってなきが如き。

私が呼ばれた理由も、この販売管理システムで重大なオペレーションミスによる損害があったためでした。さすがにこの状況を放置しておくと経営の根幹に関わると判断したのでしょう。情報処理周りを統括する担当が必要だという。
ですが、私が遭遇した環境は販売管理システム以前の問題でした。

正直に言うと、私がスカパーのカスタマーセンターで身につけた情報処理のスキルなど、今の私からみれば初歩的なレベルでした。担当の方が整備してくださったお膳立て=基盤の上でExcelやAccessをガチャガチャと操作するだけの。
作業する端末やシンクライアント端末がどういう整備の元に運営されているのか、一切知りませんでした。また、知らなくても集計業務は遂行できました。
私はスカパーのカスタマーセンターがプライバシーポリシーを取得する際、現場の担当になり、統制や管理の大切さを知りました。その時に求められた管理水準と比べると、この会社の統制や管理の落差に愕然としました。

今の私なら分かります。日々の業務がつつがなく遂行できるためには、綿密な計画に基づいたネットワーク設計が有り、端末にIPアドレスが振られ、基幹システムやファイルサーバーが運用され、利用者のドメイン管理や備品管理が粛々と行われていた事を。
ところが当時の私はそうした知識をほとんど持っていませんでした。なぜなら覚える必要がなかったから。
どこかの親切な小人さんたちが何事もきちんとしてくれている。それが、当時の私の認識でした。

ところが、こちらの会社に来てみて、自分が何も知らなかったことを知りました。まさに無知の知、です。
情報技術の管理者がいないと情報機器はここまで侵されてしまうのか。経営者や担当者が情報機器の統制を行わないと、ここまで無秩序な状態が生み出されてしまうのか。
この作業を通して、私は情報処理の大切さと奥深さを学んだように思います。

情報部門の統括者としてやっていけるかもしれない


こちらの会社には毎週の土曜日ごとに伺いました。そして、調査・設定の作業をもくもくと行っていました。一人では大変な時は、本連載の第三九回に登場してもらった山下さんにも協力をお願いしました。

やった作業とは以下のような感じです。
・無料のアンチウィルスやファイアウォールのソフトをインストールする。
・端末や機器の台帳を作る。
・全ての端末にWindows Updateを実行し、端末毎のアカウント管理もきちんと行う。
私が毎週伺う度に、自分が整備した内容が形になり、少しずつ会社の情報環境が整っていきます。それはとてもやり甲斐のある作業でした。そして自信にもなりました。なにより、自分が情報部門の統括者としてやっていけるのではないかという感触を得ることができました。
それまで情報機器の整備経験がなかった私でも調査と設定は出来る。この会社に入れば自分はさらにステップアップできるはず。そんな思いが強まります。

私の中で転職の意思は一層固まり、ついにはお誘いを受けることに決めました。それがいつだったかは思い出せませんが、2003年の春ごろには転職の意思を固めたはずです。
結局、私は2003年の6月にフジプロフェシオを退職しました。そして、7月より新たな会社に転職を果たしました。

次回は、この会社での日々を語りたいと思います。
この会社での日々。それは私のIT技術者としてもっとも伸び盛りの、すべてが勉強になった時期でした。
引き続きゆるく長くお願いします。


生首に聞いてみろ


著者の推理小説にはゆとりがある。そのゆとりが何から来るかというと、著者の作風にあると思う。著者の作風から感じられるのは、どことなく浮世離れした古き良き時代の推理小説を思わせるおおらかさだ。たとえば著者の小説のほとんどに登場する探偵法月綸太郎。著者の名前と同じ探偵を登場させるあたり、エラリー・クイーンの影響が伺える。法月探偵の行う捜査は移動についても経由した場所が逐一書き込まれる。そこまで書き込みながら、警察による人海捜査の様子は大胆に省かれている。それ以外にも著者の作品からゆとりを感じる理由がある。それは、ペダンティックな題材の取り扱い方だ。ペダンティックとは、衒学の雰囲気、高踏なイメージなこと。要は浮き世離れしているのだ。

本書は彫像作家とその作品が重要なモチーフとなっている。その作家川島伊作の作風は、女人の肌に石膏を沁ませた布を貼りつけ型取りし、精巧な女人裸像を石膏で再現することにある。死期を間近にした川島が畢生の作品として実の娘江知佳をモデルに作りあげた彫像。その作品の存在は限られた関係者にしか知らされず、一般的には秘匿されている。それが川島の死後、何者かによって頭部だけ切り取られた状態で発見される。娘をモチーフにした作品であれば頭部を抜きに作ることはありえない。なぜならば顔の型をとり、精巧に容貌を再現することこそが川島の作品の真骨頂だからだ。なのになぜ頭部だけが持ち去られたのか。動機とその後の展開が読めぬまま物語は進む。

彫像が芸術であることは間違いない。前衛の、抽象にかたどられた作品でもない限り、素人にも理解できる余地はある。だが、逆を言えば、何事も解釈次第、ものは言いようの世界でもある。本作には川島の作品に心酔する美術評論家の宇佐見彰甚が登場する。彼が開陳する美学に満ちた解釈は、間違いなく本書に浮き世離れした視点を与えている。川島の作品は、生身に布を貼ってかたどる制作過程が欠かせない。そのため、目が開いたままの彫像はあり得ない。目を閉じた川島の彫像作品を意味論の視点から解説する宇佐見の解釈は、難解というよりもはやスノビズムに近いものがある。解釈をもてあそぶ、とでも言えば良いような。それがまた本書に一段と浮き世離れした風合いを与えている。

ただ、本書は衒学と韜晦だけの作品ではない。「このミステリかすごい」で一位に輝いたのはだてではないのだ。本書には高尚な描写が混じっているものの、その煙の巻き方は読者の読む気を失わせるほどではない。たしかに彫像の解釈を巡って高尚な議論が戦わされる。しかし、法月探偵が謎に迫りゆく過程は、細かく迂回しているかのように見せかけつつ、地に足がついたものだ。

探偵法月の捜査が端緒についてすぐ、川島の娘江知佳が行方不明になる。そして宇佐見が川島の回顧展の打ち合わせに名古屋の美術館に赴いたところ、そこに宇佐見宛に宅配便が届く。そこに収まっていたのは江知佳の生首。自体は急展開を迎える。いったい誰が何の目的で、と読者は引き込まれてゆくはずだ。

本書が私にとって印象深い理由がもう一つある。それは私にとってなじみの町田が舞台となっているからだ。例えば川島の葬儀は町田の小山にある葬祭場で営まれる。川島のアトリエは町田の高が坂にある。川島の内縁の妻が住むのは成瀬で、川島家のお手伝いの女性が住んでいるのは鶴川団地。さらに生首入りの宅配便が発送されたのは町田の金井にある宅配便の営業所で、私も何度か利用したヤマト運輸の営業所に違いない。

さらに川島の過去に迫ろうとする法月探偵は、府中の分倍河原を訪れる。ここで法月探偵の捜査は産婦人科医の施術にも踏み込む。読者は彫像の議論に加え、会陰切開などの産婦人科用語にも出くわすのだ。いったいどこまで迷ってゆくのか。本書は著者の魔術に完全に魅入られる。

そして、謎が明らかになった時、読者は悟る。彫像の解釈や産婦人科の施術など、本筋にとって余分な蘊蓄でしかなかったはずの描写が全て本書には欠かせないことを。それらが著者によって編みあげられた謎を構成する上で欠かせない要素であることを。ここまでゆとりをひけらかしておきながら、実はその中に本質を潜ませておく手腕。それこそが、本書の真骨頂なのだ。

‘2017/01/12-2017/01/15