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至福の本格焼酎 極楽の泡盛


沖縄旅行から帰って来て、沖縄に関する本を連続して読んでいる。本書は三冊目。歴史、出身者のルーツ、ときて本書。どちらかといえば硬派な本が続く。だが、本書は焼酎と泡盛についての本。少し柔らかい。

今回の沖縄旅行で、車を借りて最初に訪れたのが忠孝酒造だ。今回の旅行では泡盛蔵に絶対行くと決めていた。事前に読んだ旅行ガイドでも忠孝酒造のくぅーすの杜忠孝蔵は紹介されていたし、那覇空港のパンフレットでも紹介されていた。泡盛についての知識がない私は、これといった希望の銘柄もないまま広告に導かれ、くぅーすの杜忠孝蔵を訪れた。

沖縄の旅行記は別の場所でアップし、その中でくぅーすの杜忠孝蔵についての学びや喜びも書いた。
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/18
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/19
なので本稿では深くは触れない。とにかく、泡盛初心者の私がくぅーすの杜忠孝蔵にとても満足したことは書いておきたい。訪問をきっかけにいろんな泡盛を飲み比べたい、それぞれの蔵に訪れたい、と私を泡盛の世界にいっそう興味を持たせたのがくぅーすの杜忠孝蔵だ。ところが、その日の夜、国際通りで泡盛専門店に何店舗か立ち寄ったが、忠孝酒造のラベルを見かける頻度が低い。

東京の酒屋にも泡盛は並んでいる。おなじみの銘柄はもちろんだが、他にも多数も銘柄が並んでいる。そんな中、忠孝酒造の瓶を見かけることが少なかった。これはどういうことだろう、と常々疑問に思っていた。

そんな疑問を持ちつつ本書を読み始めた。焼酎・泡盛を取り上げる本書は、泡盛よりもむしろ焼酎に力を入れている。でも、焼酎と泡盛は同じ九州・沖縄の酒文化の仲間。だから本書は泡盛と焼酎を同時に知る上で最適だ。最初の章では、「至福の焼酎、極楽の泡盛を造る匠たちーその情熱と誇り」と題し、著者が選んだ蔵が9つ取り上げられる。芋焼酎の村尾酒造、西酒造、高良酒造、万膳酒造、佐藤酒造。球磨焼酎の豊永酒造。黒糖焼酎の朝日酒造。麦焼酎の黒木酒造。最後に文庫化にあたって泡盛の宮里酒造所が加えられている。

私は昔から酒造りに関する文化にとても惹かれている。それがなぜかはわからない。多分、酒造りの中では時間がゆっくり進むからではないか。酒造りがビジネスに比べてあくせくしていない事は、商談や納期に追われる日々を送っていると、折に触れ強く感じる。酒造りの現場に流れる時間には、全てにおいてゆとりがある。すべてを微生物の力に頼っている以上、人間には介入できない領域がある。なまじの知恵ではどうしようもなく、人間がいくらあくせくしても進む時間に変わりはないのだ。化学の技術を駆使して製品ができるまでの時間を短縮したとしても、それは短縮したなりの味でしかない。微生物に任せ、じっくりと時間をかけた製品が技術に負けることは決してない。酒造りに流れる時間のゆとりはビジネスを営む者が真っ先に切り捨てる部分だ。だからこそ私は酒造りに惹かれるのかもしれない。ぜいたくな時間の積み重ねを愛でつつ、香りと味を味わう。酒飲みの特権だ。

もともと、酒類業界には零細業者が多い。泡盛や焼酎のような大量生産に向かない酒を主に扱う限りどうしても零細になる。そのため経営者の個性が蔵に行き渡り、醸造元の社風に現れる。だから経営者にも味のある人が多い。実直な酒。奇をてらった酒。安心できる酒。経営者の個性を感じつつ呑むのも酒呑みの楽しみの一つだ。経営の苦労話。個性ある酒造りの哲学。世界に評価されつつある焼酎・泡盛文化には、面白い取り組みが多数生まれつつある。文化を育成する担い手による酒への愛。絶えず酒を考える想い。それらが、たくさん詰まっているのが本書だ。本書がうれしいのは、いまほど焼酎・泡盛がメジャーになっていなかった時期に取材していることだ。だから本書はブームとは無縁。そこには媚もおもねりもない。

本書にはブームの前から焼酎・泡盛を愛するお店の声を取り上げる章がある。鹿児島が二店舗、東京が八店舗。若干、東京に集中しすぎのような気もする。大阪や名古屋などのお店も登場させて欲しいところだ。本書のために惜しまれる。だが、うれしいこともある。それは、東京で取り上げられたうちの一店が、我が家からほど近い鶴川の酒舗まさる屋さんであることだ。町田の酒屋を三つ挙げろと言われれば、必ず出てくるお店の一つだ。私がしょっちゅう伺っているのは同じ町田にある蔵家さんだが、まさる屋さんにもよくお世話になる。まさる屋さんが載っているだけで私にとっての本書の株はグンと上がる。

本書に登場する人々の語る内容はブームの訪れる前に語られたもの。だからこそ焼酎・泡盛への愛にあふれている。私も本書に登場するようなお店に伺い、カウンター越しに焼酎・泡盛をさかなに談義を交わしてみたいと思う。私は普段、各地のBARをよく訪問する。そして一方では、本書に登場するこういうこぢんまりした店にも惹かれる。焼酎や泡盛を楽しめるお店に行く機会をもっと増やさなければなるまい。泡盛や焼酎で暖かく人との交流を深めたい。そして、このような焼酎・泡盛を愛する店がもっと増えればいいと思う。本書の取材時期に比べると、今は街中でも随分と焼酎や泡盛への認知度も上がってきた。すてきなお店は他にもあるはずだ。だからこそ、本書に登場する店から行ってみたいと思う。

本書の巻末には、焼酎・泡盛のカタログとして酒造がずらりと紹介されている。だが、そこにも忠孝酒造の名前が載っていない。それが気になった。くぅーすの杜忠孝蔵では、マンゴー酵母から作った泡盛(お土産に購入して帰った)のほか、何銘柄かの泡盛やお酢の試飲ができる。展示も東京農業大学で修行して博士号をとった方の紹介があり、自社で甕を作る取り組み(実際に見せていただいた)など、かなり真摯で精力的に泡盛作りに取り組んでいる印象を受けた。一方、積極的に見学ツアーの広告をうち、営業努力を重ねているようだ。忠孝酒造のように広告が前面に出ると、玄人には評価が高くないのだろうか。それとも忠孝酒造はメディアの取材は受けない主義なのだろうか。戦後から酒造りをしているはずだから、本書の取材時期には活動していたはず。忠孝酒造とは果たしてどういう位置付けの蔵なのだろうか。沖縄最古の木造貯蔵庫もあり、もっと評価されて良いと思うのだが。とても気になった。

私としてはうまい泡盛・焼酎が飲めれば何も言うことがない。本書のような焼酎・泡盛文化の発信を通し、ジャパニーズ・ウイスキーのように、日本発の酒文化が世界に受け入れられることを望みたい。焼酎・泡盛文化を盛り立ててくださっている皆様に乾杯!

‘2017/07/15-2017/07/16


ウイスキーは日本の酒である


山崎蒸留所を独り訪問したのは、平成27年4月末のこと。高校時代の友人たちとの再会を前にし、僅かな合間を縫っての見学だったが、貴重な時間を過ごすことができた。

山崎の駅に降り立った私。駅鉄と称して駅のそこらを撮りまくっていた。と、私の視線が窓口で切符購入の順番を待っていた人物を認める。その途端、その人物から目を離せなくなった。その人こそ、本書の著者輿水氏である。

私の眼差しに気付いたのか、氏の視線も私に注がれた。咄嗟に面識もないのに会釈してしまった私。本来ならば、会話の一つも交わしたいところだが、気楽な旅人である私と違い、スーツに身を包んだ氏は明らかに所用でお急ぎの様子。窓口の順番を気忙しく待つ氏に声を掛けるのも憚られ、遂に会話することなく、歩み去る後ろ姿を見送った。もちろん写真などもっての他。

本書は、つかの間の邂逅の後に訪れた山崎蒸留所の売店で、記念に購入した一冊である。

私が著者を見掛けてすぐにご本人と気づいたように、ウイスキー好きで著者を知らぬ者はいない。ここ十年、ジャパニーズウイスキーが世界中で賞賛され、名だたる賞を獲得している。著者はその中にあってサントリーのチーフブレンダーとして世に知られた存在である。雑誌や広告でお顔を見掛けたのも一度や二度では済まない。いわば日本のウイスキー業界の広告搭といっても過言ではないだろう。

本書は著者が満を持して、一般向けにウイスキーの魅力を語り尽くした一冊である。今までの本書の存在は知っていたが、何故か縁がなく未読であった。しかし、今回の偶然の出会いがなくとも、遅かれ早かれ手に取っていたであろうことは確信できる。

内容もまた含蓄に富んでいる。一般向けとはいえ、私のようなウイスキー愛好家にとっても充分楽しめる内容となっている。本書には、ブレンダーとしての著者のバックグラウンドにある経験や哲学が詳しく説明されている。それが本書の内容に深みを与えている。

著者はブレンダーとなる前、ウイスキーの製造現場を広く長く勤めたという。単なるブレンディングだけでなく、熟成やボトリングなど、ウイスキー製造工程の広範囲を経験したことが本書で紹介されている。充実していたであろう著者の職歴から得られた経験が、チーフブレンダーとしての製品造りにどれだけの貢献をもたらしたかは言うまでもない。

本書の中で特に印象に残ったのは、著者の控えめな姿勢である。

サントリーという企業が後ろに控えていると、文中からは自身の属する企業礼賛のような色合いが出てしまいがちだ。しかし本書からはそういった印象を受けない。もちろんサントリーに所属する著者であるから、記されているのはサントリーに関する内容が多い。しかし、ニッカウイスキーやキリンシーグラム、本坊酒造やベンチャーウイスキーといった本邦のウイスキーメーカーとサントリーを比べて優劣を云々する記述は全く見られない。むしろ、それらの同業者に対しては、ともにジャパニーズウイスキーを盛り立てる戦友としての扱いに終始している。今や、ジャパニーズウイスキーは名実ともに世界の五大ウイスキーの一角を占めている。だからといってジャパニーズウイスキーを持ち上げるため、他のスコッチやアイリッシュ、カナディアン、アメリカンを貶めることもない。題名こそ若干自尊心が感じられるものになっているが、内容はあくまで謙虚だ。ジャンルや国を超え、本書にはウイスキーに関わる全ての文化への尊敬と愛情が満ちている。

序章に、本書執筆に当たっての著者の想いが述べられている。曰く、「正直、これまで、ブレンダーたちは、自らの仕事を積極的に語ることをしてこなかったような気がします。そのため、私たちの仕事が、神秘のヴェールに覆われたものと思われているようにも感じます。
しかし、複雑系の酒であるウイスキーは、やはり、作り手側が、分からないところは分からないこととして、どんな酒であるのかを語ってゆくことが必要なのではないか、と思うのです。」と。

この語り口である。控えめであり、かつ、とても上品な口調。それが本書全体を通して「天使の分け前」のようにじみ出ている。「天使の分け前」とは熟成の間に樽の隙間から蒸発してゆくウイスキーの中身のことであり、それが熟成庫の中に何とも言えない香りを充満させる。本書の語り口は、まさに熟成庫に入った時に感じられる馥郁とした香りそのものであり、読み応えや余韻は上質のウイスキーのようである。

本書の一章、二章は、日本のウイスキーの紹介に割かれている。材料や製法、風土など、本場となにが違い、どこに特徴があるのか。山崎・白州の両蒸留所の特色から始まり、ジャパニーズウイスキー独自のミズナラ樽の紹介をはじめとした樽の種類の説明。貯蔵場所や樽を自由に組み合わせ、一つのメーカーだけで様々な原種を産み出すことのできるジャパニーズウイスキーの強み。樽すらも自社製造にこだわる姿勢。世界で評価されるジャパニーズウイスキーの秘密が本章では惜しげもなく明かされる。

第三章では著者の職歴が披瀝される。武蔵小杉の多摩川工場でのボトリングから、中央研究所への抜擢。中央研究所では熟成の研究に没頭し、樽と熟成に関して経験を積む。続いて山崎蒸留所での品質管理、次いで貯蔵部門。そのような現場を経て、ブレンダー室へ異動となる。ここらの下りを読むと、サントリーという会社の人事計画の妙が垣間見えて興味深い。製品化まで長い時期を必要とするウイスキー。そのウイスキーを扱う会社であるがゆえに、人事計画まで周到な時間を見越して立てる社風が確立しているのかもしれない。著者も本書の168ページで、製樽と貯蔵の工程を経験することはウイスキーの現場に必須と述べている。

ブレンダー室でブレンダーとしてのあれこれを一から覚え込んだ著者。その努力によって「膳」の開発を任される。杉樽を使用し、竹炭濾過を採用した膳はヒットし、著者の名声も上がる。「膳」は発売当時、私も親しんだ記憶がある。しかし、続く「座」が不発となる。著者の挫折である。この経験と挫折について、著者は率直に語っている。その姿勢はビジネスだけでなく、人生訓としても深く私の心に刻まれた。

第四章では、「響12年」を産み出した経緯が記される。日本を代表するブレンデッドウイスキーの12年物をという声に応え、著者は味の組み立てを明かす。ブレンデッドウイスキーとしての「響」の味の組み立てを苦心して創り上げた下りは、本書のハイライトである。普段はシングルモルトを好む私だが、この部分を読んでいるだけで無性に「響」が、「響」だけでなく他のブレンデッドウイスキーも含めて呑みたくなった。

第四章では、ブレンディングの手順や取り組みにあたっての姿勢などが惜しげもなく披露される。その中には著者の生活習慣も含まれる。よくブレンダーの素養として、暴飲暴食を避け刺激物の摂取を控えるといった自己管理の重要性が言われる。しかし、本章で紹介されるエピソードからは、それ以上に規則正しい生活習慣もブレンダーに不可欠な素養である事が読み取れる。

わずかな味や臭いの変化を感じとるためには、普段から澄み渡った不動の構えが必要。それは良く分かる。不動の構えであるからこそ周囲の波動の揺らぎを感ずることができるのだろう。私もせめて、バーにいる間はそのようでありたいものだ、と思った。

続けて本書はブレンディングの精髄ともいえるテイスティングの紹介に移る。エステリー、ピーティー、ウッディと言った用語。これらの用語は土屋守氏やマイケル・ジャクソン氏の著作、またはウイスキーマガジンなどにおいて頻繁に登場する。そういった用語が円形にカラーチャートのように並べられるフレーバーホイール。これはテイスティングにおいて必携の書であり、著者の説明もそれに沿って行われる。

ここで著者は、そういった語彙を駆使しつつ、ブレンディングの妙を披露する。しかし、所詮は文字。行き着くところは読者の脳内での理解でしかない。ブレンディングには実践が不可欠であることは云うまでもない。

それに関して著者が面白い意見を語っている。それは、ウイスキーづくりは、音楽よりも絵画を描く行為に近いのでは、というものだ。絵画を描く。それは著者のブレンディング技術の根幹に触れたようでとても興味深い。嗅覚と味覚と視覚。この組み合わせを人工知能が代替する日は来るのだろうか。常々思うのだが、ITやAIがあらゆる職種を侵食する中、最後まで人類が守り抜ける職種とは、ブレンダーや調香師といった五感を駆使する仕事だけではないだろうか。私の個人的な想いとしても、ロボットがブレンディングを行うような光景は見たくないものだ。

第六章では、最近のジャパニーズウイスキーの躍進ぶりが紹介される。ここでも一貫しているのが、先に挙げたとおりウイスキー文化と歴史に対する謙虚な姿勢だ。謙虚な姿勢を象徴するかのように、おわりに、の末文で著者の呟きが引用される。「まだ私はウイスキーというものが分からない」と。

これからのジャパニーズウイスキーも、この謙虚さを忘れずにいて欲しいと思う。効率化の誘惑に負けずにいれば、世界一の名声に相応しいだけの製品を作り続けられるに違いない。私は本書を読んでそう確信した。

そして私もまた、ウイスキー愛好家の一人として、謙虚にウイスキーの魅力に関わって行ければこの上なく嬉しい。そう思っていたところ、某所で行われたウイスキーのイベントで土屋守氏にお会いする機会に恵まれた。また、そのご縁でウイスキー検定にも合格することが出来た。

私も引き続き奢らず謙虚にウイスキーの道を究めてゆけば、いつかは著者と相対する機会を頂けるかもしれない。是非、その際は肉声でウイスキー作りの真髄を伺ってみたいものである。

‘2015/5/7-2015/5/8