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雲の階段 (下)


下巻は、いよいよ主人公が島での偽医者を辞め、大病院の婿かつ後継者としての日々に突入する。

心の疚しさを抱えながらも、流されるように既成事実は積み上げられていく。真実を告白しようとするも、勢いにのまれ、機会を逸してばかりの日々。病に倒れ、医者として再起不能になった所長の替わりに島に来た医師はとんだ藪医者で、ますます島には居づらくなる。

とうとう恋人の明子を捨てるように都会に出た三郎。しかしそこは、憧れのハイクラスの生活とは違う苦労が待っていた。自分の育ちとはかけ離れたレベルの暮らし。利益重視の大病院の後継者としての帝王学。それは島での素朴な日々と違い、虚飾にまみれていた。そして三郎の日常もまた、嘘を嘘で誤魔化す悲惨なものとなる。

そんな三郎の葛藤をよそに、婿入り、豪華な挙式、子の誕生とますます深みにはまっていくばかりの日々。

患者軽視の経営に異を唱えるも、院長からは青臭い理想論とあしらわれ、己がだんだん何者かすら分からなくなっていく日々。ただ頼れるのは己の技術のみ。医者とは技術なのか、それとも身分なのか。三郎は悶々とする。

しかし、ついに三郎の過去を知る人物に目を付けられることになる。過去の無頼な経緯をばらされたくなければ、とゆすられるようになる。しかも医師免許の更新の際に身分証が求められる、ますます三郎は追い込まれて行く。

上巻では孤島の医療の問題提起や、医術の本質が描かれていた。一方、下巻では医師の虚飾の部分がこれでもかと描かれる。

上巻では医師免許がないことが虚飾だが、患者に対しては尽くす三郎がいる。対する下巻は医師免許を持ちながら、患者や世間体には虚飾で活きる院長がいる。どちらもまた、医者の一面であることを著者は読者の前にさらす。たださらし、それに対する判断は読者に委ねる。

本書は主人公の嘘がいつばれるのか、はらはらしながら読むことに楽しみがあるといえる。そこに医は仁術云々と理想をかぶせるのは筋違いだろう。しかし、医者の相反する一面を本書のように赤裸々に出されると、読者は医術とはなんなのかを考えざるをえない。読者が医者であるならば、自らの言動とを比べるだろうし、読者が患者であるならば、患者から見た医術について考えることだろう。または、あまりにも主体性のない三郎の流されてゆく日々に同情したり、軽蔑したりして感情移入をすることもあるだろう。

しかし本書はそう肩肘はらずに、サスペンスものとして筋を追い、物語の起伏に心踊らせながら読み進めるのがよいと思う。三郎がどういう結末を選ぶのか。それは、ここではふれないでおく。

‘2015/02/12-2015/02/14


雲の階段 (上)


著者の本を読むのは久しぶり。ふと著者の長編が読みたくなりブックオフで購入した。著者が医者であることは有名だが、その視点で書かれた医療の現場を描いた物語が読みたい、という訳で本書に白羽の矢が立った。

主人公は伊豆諸島の島に流れ着き、島に一軒しかない診療所で雑務に従事する三郎。

その診療所の医師は年配の所長が独りしかいない。まるで赤ひげ先生のように。所長に可愛がられた三郎は、手術を手伝っているうちに、簡単な処置は所長の替わりに行えるまでになる。そして医師免許もないのに、開腹手術まで手掛けるようになる。

偽の所長代理として手術をこなすうち、所長が外せない用事で東京に戻ることになってしまう。そしてその日に限って緊急患者が運び込まれる。事態は急を要し、電話越しに所長の助言を受けながら、開腹手術を無事に成し遂げる。その急患は、都内の大病院の院長ご令嬢。命の恩人と憧れられ、その令嬢の親からは大病院を継ぐべき有能な後継者として見込まれてしまい、というのが上巻の筋。

診療所の描写や施術場面、看護婦への指示など、著者の筆さばきは流石である。本書は著者によって書かれるべきであったとさえ思う。

さらには本書は無医村や過疎医療の問題点すらも、物語を借りて告発している。併せて医師免許を取るための長い時間や多額の費用、徒弟制についての問題提起を行っている。

上巻では三郎は、不器用だが純真な人物として描かれている。無医村の診療所はいがみ合いもあるが、総じて朴訥。良い仲になった看護婦の明子は健気。

そんなところに、東京の大病院の令嬢という質の異なる文化が侵食し、三郎がその美貌や未来へと流され始めるところで上巻は終わる。

‘2015/02/11-2015/02/12