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風刺漫画で読み解く 日本統治下の台湾


家族で台湾旅行に行く前日から本書を読み始めた。読み終えたのは、桃園国際機場へ向かう飛行機の中だ。
台湾にはこの旅の半年前にも妻と二人で出かけた。その時は妻も初訪問で、しかも慌ただしい旅だったので、通りをかろうじて歩き回った程度。
今回の台湾旅行は娘たちも同行した。娘たちにとっては初めての台湾。なので、今回の旅も観光客としての移動に終始した。

私にとって台湾は三度目だ。妻と二人で旅する前に台湾を訪問したのは、その二十三年前のこと。
その時は、自転車で約十日かけて台湾を一周した。その前後の三、四日間では台北を動き回り、観光に費やした。
夏の台湾を自転車で一周した経験は、私にとって絶大な自信となった。それと同時に、日本に対する台湾の人々の想いの深さが感じられたことでも印象に残っている。
道中、各地で年配の方が流暢な日本語で私たちに声を掛けてくださった。そして、あれこれと世話をしてくれた事が忘れられない。
親日国の台湾。その印象が強く残っている。懐かしさとともに。

ここ最近、わが国とお隣の韓国との関係がとても良くない。戦後でも最悪と言われる日韓関係が続いている。
だが、台湾の人々は、今もなお日本に好意を持ってくれているようだ。
今回の家族旅行でも、何店ものお店を巡った。そうしたお店に並ぶ商品に、日本語で書かれたパッケージのいかに多かったことか。

日本語をしゃべれる人こそ減っているものの、台湾の皆さんの日本に対する感情の悪化は全く感じられなかった。二十三年前の旅行で得た印象が覆される出来事にも遭うこともなく。

そもそも、日本にとっての台湾とは、日清戦争の賠償で清国から割譲された地だ。
それ以来、第二次大戦で敗れた日本が台湾の統治権を失うまでの五十年間、台湾は日本の統治下にあった。

日本統治下の日々は、台湾にとって良いことばかりだったはずはない。時には日本による誤った行いもあったはずだ。
だが、結果的にはかなりの好印象を台湾の人々に与えた事は確かだ。それは私が三回の台湾旅行で体感している。
そうした対日感情を育んだ五十年間の統治の秘密は何か。統治に当たって、台湾の方々にどのように日本への信頼感を醸成したのか。それを知りたいと思っていた。

日本による台湾の統治がどのように行われたのか。それを解き明かすのが本書だ。
そのために著者がとったアプローチはとてもユニークだ。当時の現地の新聞の漫画を取り上げている。新聞の漫画と言えば、一目で世相を表すような工夫が施されている。だから、当時を知る資料としては一級であるはず。本書は新聞の漫画を取り上げ、それらをふんだんに載せることにより、当時の台湾の世相を今に伝えている。

本書には多くの漫画がとり上げられているが、その中でもよく登場するのが国島水馬の風刺漫画だ。私はこの人物については、本書を読むまでは全く知らなかった。
それもそのはずで、国島水馬は台湾の現地紙にしか漫画を連載をしなかった。しかも戦前から戦後にかけて消息を断ち、どのような最期を遂げたのかもわかってない。全くの無名に近い存在なのだ。

だが、国島水馬や他の方の描いた漫画を追っていくと、日本が台湾をどのように統治していったかがわかる。
統治にあたり、日本人が台湾にどのように乗り込んだのか。日本で時代を作った大正デモクラシーは台湾ではどのように波及し、人々はどのように民主化の風になじんでいったのか。
本書は風刺漫画を通して台湾の世相を紹介するが、本島人と日本人の対立や、日本からは蕃族と呼ばれた高砂族への扱いなど、歴史の表には出てこない差別の実相も紹介している。

少しずつ台湾統治が進みつつあり、一方で日本の本土は関東大震災に傷つく。
その時、台湾の人々がどのように本土の復興に協力しようとしたか。また、その翌年には、皇太子時代の昭和天皇が台湾旅行を行うにあたり、台湾の人々がどのように歓迎の儀式を準備したか。そうしたことも紹介される。

台湾が少しずつ日本の一部として同化していくにつれ、スポーツが盛んになり、女性の地位も改善が進み、少しずつ日本と台湾が一つになってゆく様子も描かれている。

ところが、そんな台湾を霧社事件が揺るがす。
霧社事件とは、高砂族の人々が日本の統治に対して激烈な反抗を行った事件だ。日本の統治に誤りがなかったとは言えない理由の一つにこの霧社事件がある。
霧社事件において、高砂族の人々の反抗心はどのように収束したか。その流れも漫画から読み解ける。
不思議なことに、霧社事件を境に反抗は止み、それどころか太平洋戦争までの間、熱烈な日本軍への志願者が生まれたという。
霧社事件の事後処理では高砂族への教化が行われたはずだ。その洗脳の鮮やかさはどのようなものだったのか。それも本書には紹介されている。

その背景には、台湾から見た内地への憧れがある。台湾からは日本が繁栄しているように見えたのだろう。
ところが当時の日本は大正デモクラシーの好景気から一転、昭和大恐慌と呼ばれる猛烈な不景気に突入する。その恐慌が軍部の専横の伏線となったことは周知の事実だ。
そんな中、どうやって台湾の方々に日本への忠誠心を育ませたのか。それは、本書の記述や漫画から推測するしかないが、学校教育が大きな役割を果たしたのだろう。
先日、李登輝元台湾総統が亡くなられたが、単に支配と被支配の関係にとらわれない日本と台湾の未来を見据えた方だったと思う。
おそらくは李登輝氏の考えを育んだ理由の一つでもあるはず。

残念なことに、本書は国民党が台湾にやってきて以降の台湾には触れていない。
時を同じくして国島水馬も消息を絶ち、現地の風刺漫画に日本語が載ることはなくなった。
だが、本書の紹介によって、現地の人々に日本の統治がどのように受け入れられていったのかについて、おおまかなイメージは掴めたように思う。

本書から台湾と日本の関係を振り返った結果、よいことばかりでもなかったことがわかる。
だからこそ、私が初めて台湾を訪れた時、日本の統治が終わってから五十年もたっていたにもかかわらず、台湾の年配の方々が日本語で暖かく接してくれた事が奇跡に思える。
それは、とりもなおさず五十年の統治の日々の成果だと思ってよいはず。
もちろん、先に書いた通り、日本の統治の全てが正しかったとは思わない。
それでも、中国本土、台湾そして日本と言う三つ巴の緊張の釣り合いを取るために、台湾を統治しようとした日本の政治家や官僚の努力には敬意を払いたい。霧社事件のような不幸な事件があったとはいえ、烏山頭ダムを造った八田氏のような方もいたし、日本の統治には認められるべき部分も多いと思っている。
私が初めて台湾を訪れた時に感じた感動は、こうした方々の努力のたまもののはずだから。

私もまた台湾に行く機会があれば、地方を巡り、次は観光客としてではなく、より深く台湾を感じられるようにし、本書から受けた印象を再確認したい。
日韓関係の望ましい未来にも思いを致しつつ。

‘2019/7/22-2019/7/23


鳥取・由良・北栄の旅 2019/5/1


朝、家族で車で出発し、向かったのは鳥取。中国道を軽快に西へと走り、次いで、中国道から鳥取道へ乗り継ぎ、車は快調に北へと向かいます。旅路に一切の不安はありませんでした。

ところが、私たちの旅はいきなりの渋滞によって暗礁へと乗り上げます。しかもその渋滞のタチが悪く、トンネルの中で全く車が動かないのです。そう、渋滞のなかでも一番イライラが募るやつ。さらに悪いことに、渋滞にハマったのが対面通行の一車線のトンネルの中。戻れないし、動かない。八方塞がりとはまさにこのことです。

全く車が動く気配のないトンネルの中で、Twitterから状況を確認しようとする妻や娘たち。
そこで分かったのは、私たちが足止めされているトンネルで、しかも、つい先ほど事故が発生したらしいということ。
こういう事態にはあまり慣れていないだけに、イライラと不安は募ります。

約1時間半ほど黙り込んだ車の列の中で足止めを食ったでしょうか。ようやく車の列が動きだす瞬間がやってきました。一時はトンネルの中で何時間も閉じ込められるかと思った。
後からTwitterで調べたところでは、事故の一部始終や、その救助作業や撤去作業の一部始終を書いてる人がいたようです。

鳥取道で思わぬ足止めを強いられた私たちは、渋滞による遅れを取り戻すべく、鳥取の市街から9号線を使って西へと向かいました。

最初に立ち寄ったのは道の駅はわい。ハワイが好きな妻にとって、ここは喜ぶはず。一度は連れてきたかった場所でした。
ここではおいしそうなジェラートをいただきました。

ハワイからおさらばした私たちは、さらに日本海の潮の香りを浴びながら、風力発電の風車の足元を潜り抜けながら、北栄町へと至りました。
今日の目的は、ここ北栄町にある青山剛昌ふるさと館。青山剛昌さんとは、名探偵コナンの生みの親です。
街おこしをコナンで。それは鳥取県が県を挙げて取り組んでいる施策のようです。
ここまでの道中にも鳥取砂丘コナン空港とネーミングされた旧鳥取空港のそばを通ってきました。空港にまでネーミングされるほど、名探偵コナンは日本に浸透しています。コナンを創造した青山剛昌先生も、この辺では故郷の生んだ偉人に近い扱いです。

駐車場から青山剛昌ふるさと館に向かった私たちですが、既に館の前には行列ができており、チケットを買うだけでも苦労が待っている様子。
道中、何も買わずに来たためおなかがすいた私は、併設されている道の駅を訪れ、何か食べるものを探しました。ですが、食べ物はほぼ売り切れていて、何も買えません。
あちこちで写真を撮り、妻子のもとに戻って行列にお付き合いしましたが、それでも結局入館までに一時間ほど時間を過ごしました。
館内も混雑がひどく、展示物を丁寧に見ようと思うと骨が折れます。

でも、混雑が起きるのも、それだけ人々に愛されているからこそ。
人々に愛される作品を創り上げた業績は偉大です。しかも作家ご本人が現在進行形で活躍されているとなればなおさら。
よくある文人の過去の展示物や業績を偲ぶ施設ではありません。今現在も精力的に活動されている先生の施設。それだけに、青山剛昌ふるさと館の展示物には昔を顧みる雰囲気が一切ありません。
何よりも、館内にいる子供の割合が圧倒的なこと。それは、さまざまなメディアで展開されているコナンのコンテンツが今を時めく形で支持されている証しです。
青山剛昌ふるさと館は、コナンファンの方にはたまらない施設だと推薦できます。

私もコナンのコミックスは十巻あたりまでは読んでいます。
私はアニメよりもまず、一次創作物を読み込みたい人です。なので、あらためてコナンの原作を読破したいと思いました。

コンテンツの力は偉大です。
青山先生が幼少期の頃、書きためた作品。北栄町を中心としたこの地域で催されるイベントに提供したイラストの数々。私が印象を受けたのは青山先生の蔵書です。私も親しんだ推理小説の名作が並んだ書棚からは、あれだけの長期連載を、しかも推理物でやり遂げた先生の造詣の深さが感じられます。
こうした展示からは、青山先生の故郷への愛着がひしひしと感じられました。
故郷に錦を飾るとはこういうことでしょう。私は先生が成し遂げた証の数々にとても心を動かされました。何か世の中に残したい、という意欲がひしひしと私の中に沸き上がってきます。

ところが今も先生には寝る時間がほぼないらしい。従って、先生が北栄町に来訪し、自身の名が冠せられたここに来る事もあまりないそうです。それは売れっこのマンガ家である以上、宿命なのかもしれません。
月並みな言葉ですが、努力こそは力です。継続こそが成果です。
たとえ寝る暇がなくても、好きなことを仕事にできている先生は充実しているはず。それがよく感じられる展示でした。

ちなみに、ミュージアムショップもものすごい行列でした。私は店の外で長時間、妻子の戻りを待っていました。一時間近く待ったような気がします。

さて、青山剛昌ふるさと館の前には広場が設えられています。アガサ博士の黄色いワーゲンが停められた広場には、余裕をもった広がりがあります。時折、着ぐるみのコナン君も表に現れ、みなに愛嬌を振りまいています。

私は今まで、地方の道の駅をかなりの数を訪れました。その中でも、この施設の混雑は目を見張るほどです。
広場には、いくつかの屋台が店を出していました。その屋台の持ち主の一人が放し飼いにしていると思しき一羽のニワトリがあたりを自由にうろうろしていたのが印象に残りました。
ニワトリの姿をじっくり見ているだけでも、日々の雑事を忘れられます。

青山剛昌ふるさと館から由良駅までの二、三キロの道は、コナン通りと名づけられています。歩道には、コナンに出てくるキャラクターがプリントされていて、あたりの畑に咲いた花々を平面から見つめています。平面だけでなく、コナンに登場する主要キャラクターの銅像が道の両側のあちこちにたち、観光客を出迎えています。

私たちが最初に通りがかったのは、コナンの舞台である米花町の街並みを模した施設です。
さらにコナン大橋と名付けられた橋を渡ります。
その道はやがて交差点へと至ります。昔は街の目抜き通りだったと思われるこの交差点。旧町役場と思われる建物の前にもスイカをかじるコナン君の像が彩りを添えています。
さらにそこから、由良駅へと歩きます。

由良駅も完全にコナンの外観となり、コナン駅の愛称が名付けられています。道中がコナン尽くしで、そのなりふりも構わぬ感じが逆に吹っ切れてすがすがしかったです。

この駅も、街並みも、コナンで町おこしをする前は、寂れた田舎の気配に焦りを含ませながら、何の変哲もない様子でたたずんでいたのでしょう。
今や、多くの観光客が訪れる街中。駅にも活気が感じられます。
北栄町は、コナンを中心にした街おこしの成功例として記憶されるべきでしょう。

逆に、コナンに匹敵するキラーコンテンツがないその他の都市にとっては、街おこしの難しさを感じさせる実例になるかもしれません。

由良駅では、じっくり中を見させていただきました。駅舎の外観もコナン一色です。
ところが、駅の改札に入ると、旅情を感じられる風情を存分に残しています。定義が何かはさておいても、山陰のローカル駅とはこのような感じ、と言いたくなるような。

駅舎の一角には北栄町の観光案内所も設けられ、ここでは来駅証明書も買いました。どこまでも、コナンに彩られています。

再び、青山剛昌ふるさと館へ戻る途中、青山自動車という自動車工場を見かけました。おそらく青山先生のご実家に間違いありません。
駅や街並みの様子と違い、あえてコナン色を出さず、街の一つの風景として溶け込んでいたのが逆に堂々としていました。

さて、先ほど通りすがった米花町の街並みを模した施設。コナンの家 米花商店街と名付けられています。作中の街並みを再現したものでしょう。
そこにもグッズショップがあり、さらにカフェも併設されていたため、そこで遅い昼食をいただきました。

こういう施設もファンにはたまらないはずです。
コナンの映画が封切られる度、映画を観に行く妻や娘たちも、青山剛昌ふるさと館には満足していたようでよかったです。
私もコナンの世界を街おこしの活用する実例を存分に見ることができました。

車に戻った時、すでに時刻は夕刻。
もともとの私のもくろみでは、妻子がコナンにどっぷりつかっている中、大山のふもとにある大山滝を見に行くつもりでした。
ですが、行きに渋滞に巻き込まれたことと、思った以上にコナンに徹した街並みにからめとられてしまい、私の滝見は次回にお預けとなりました。

帰りは来た道を通って帰りました。で、夕食は中国道の加西サービスエリアの官兵衛というレストランでとんかつを食し。
連休の二日目はよい旅となりました。


建売秘密基地 中島家


著者の作品は初めて読む。が、本書は正直にいって、うーん、というか。評価しにくい。

いや、この自由さは好き。かつて少年ジャンプで、漫☆画太郎氏の作品を読んだ時の衝撃を思わせるような。漫☆画太郎氏の作風に初めて触れたのは読み切りだったと思う。スクリーントーンの存在を知らないのでは、と思う手書き感100%のタッチ。お世辞にもデッサンが整っているとは思えない人物の造形。些細な対立からケンカがエスカレートしていくストーリー。これがヘタウマなのか、それとも確信犯なのか。当時の私には判断が付かなかった。だが、少年ジャンプの懐の深さが見えたと思う。いまだに記憶に残っているぐらいだから。

本書は平凡な一家が住む建売を豪華な屋敷と交換したいという申し出から始まる。そのアイデアが面白い、と思って読み始めたのだが、ストーリーはだんだん脱線してゆく。宇宙人は地球にくるわ、脈略もない謎の組織は暗躍するわと、いい意味で悪ノリしてる。

私は、本書のような自由な発想の小説はもっと世に受け入れられるべき、と思っている。最近、こういったアイデアのぶっ飛んだ小説にお目にかかれておなかっただけに、本書のような小説は評価したい。

最近は、こういったフィクション系は、漫画が主流になっている。でも、小説にもまだまだこういったアイデアを試す余地はあるはず。小説としての結構も大切だが、あえてそこから踏み外す勇気も必要かも。人物が書けてないとか、矛盾しているとか、いいたい人には好きにいわせておけばいい。私には、本書の書きっぷりは、あえて小説の骨格をはずし、コミカルな方向にとがってみたように見えた。

著者の作風がまだ見えていないので、他の作品も読ませてもらってから評価したい。果たして、著者は小説が分かった上でわざと全身の骨を外したのか。それとも勢いだけで書いたら本書のようになったのか。

もし後者の場合、こういう小説が商業ベースに乗る時点で、まだまだ出版界にも望みが持てるのではないかと思う。スタイルになっても、権威になっても、それはステレオタイプとマンネリズムへの一本道なのだから。小説もどこかで勢いとアナーキーなとがり方が必要だと思うので。

もし前者の場合、著者の持つ度胸は驚くべきだと思う。そしてその熱量もすごいものがあるに違いない。かつて村上龍氏の『昭和歌謡大全集』という小説を読んだが、その時の悪ノリをはるかに超えているのが本書なのだから。そして、誤解を恐れずに言うと、こうした悪ノリは同人誌やコミックの分野にはまだ文化として残されているような気がする。それを小説で再現し、出版した編集者の慧眼も大したものだと思う。

‘2017/06/09-2017/06/10


原作屋稼業 お前はもう死んでいる?


無意識のいたずらかどうかはわからないが、「自殺について」の次に読んだのがこちら。

原哲夫画伯による表紙イラストの男性はおそらく著者だろう。その出で立ちは、世紀末覇者ラオウを連想させる。まさに原作者稼業を生き抜いて来た”漢”を感じさせるに充分の表紙だ。世紀末覇者ラオウとは、漫画「北斗の拳」に登場する日本屈指のヒールキャラである。いや、ヒールというよりも”強敵(とも)”なのかもしれないが。表紙を見ていると、著者が産み出したラオウは、著者自身を投影したキャラクターではないかとも思えてくる。

プロローグに紹介される「北斗の拳」の連載にまつわるエピソードは必読だ。うむ、「北斗の拳」の裏側では原作者の著者、作画の原哲夫氏、編集者H氏といった”漢達”によるかくも熱い闘いが繰り広げられていたのか、とプロローグから興奮させられる。

なにせ「北斗の拳」である。わが少年期を夢中にさせた漫画は多々あるが、その連載期間のほとんどをリアルタイムにジャンプ誌上で一緒に過ごし、コミックス発売のたびに新刊本で買わせた漫画は「北斗の拳」だけだ。確かコミックスを買い始めたのは三巻が発売された頃だったか。牙一族との闘い。身体を鉄みたいに固める例の族長が個性的なあれだ。ほどなく週刊少年ジャンプも買い始めた私は、「北斗の拳」の連載が終わるまで毎週ジャンプ誌上で読み続けることになる。無論、隔月で発売されるコミックスの購入も欠かさず。

これほどまでに私を夢中にさせた漫画の原作者による自伝。さぞや波乱万丈の人生を魅せてくれるのだろう。と思った私の期待は本編に入った途端、はぐらかされる。

というのも、プロローグに続く本編はフィクション小説なのだから。それも著者とは似てもにつかない人物が主役の。IT企業勤務で彼女に振られる29歳の男。それが本編の主人公。えっ?これは著者が”漢”として魅せる壮大なノンフィクションの自伝ではないの?と期待した向きは、私みたいに肩透かしをくらうはずだ。

見事なまでのとぼけ方だ。さすが毎週の過酷な週刊誌連載をやり続けただけのことはある。出だしで読者の心を掴み、締めで翌週へと連載の期待をつなぎ止める。そんな勘所が分かっている著者による、見事というしかない読者への変化球だ。著者の培った原作者としてのツカミの術が惜しみ無く投入されている。

主人公ヨシザワは彼女にふられ、傷心を抱えて呑み屋に足を向ける。そこで編集者達を従え、年甲斐もなく大言壮語、夢を騙り野望をさらけ出す”漢”がいた。ブーやんと人から呼ばれる原作者と思しき怪しげな”漢”。その”漢”こそ著者自身を投影したキャラであることはいうまでもない。

酔った勢いでブーやんの弟子になったヨシザワ。しかし、漫画の原作など書いたこともない。となると、読者はこう想像するはずだ。すでに漫画原作者として大御所の著者が、映画「ベスト・キッド」のミスター・サカタのように主人公を手取り足取り一人前の漫画原作者として育て上げる感動の一大成長記だと。残念。そういう話ではない。百戦錬磨の著者が、そう簡単に予想できる結末を用意するはないのだ。

「はじめに」で著者が書いたように、漫画とは原作者と作画者、そして編集者の間の闘いの所産であるらしい。本書では伊田という一癖ある編集者が主人公をびしびししごく役柄を担う。

つまり、本書は著者自身が自らを客観化し、脇役の老師として漫画原作者の生きざまを語る趣向なのだ。そして本書はそういった形の自伝なのだ。キャラクターを仮想の人物に置き換えただけの。著者は原作者としての自らを、少しひねくれた形で登場させている。著者自身を投影した ブーやんは、主人公の師匠にもならないし、原作者風をひけらかさない。だが、それでいて原作者稼業という仕事は伊田という人物にしっかりと体現させているのだ。

想像するに著者は、漫画原作者としての奥義を自分で掴み取ったのだろう。ノウハウを伝授されたり弟子入りして得たものではない。つまり、漫画原作者の奥義とは、手取り足取り教わるものではない。それは、本書におけるブーやんの立ち位置が師匠格でないことからも明らかだ。ブーやんが本書の中で原作者としての奥義を語ることはほぼないといってよい。むしろ物語においてはトリックスターのような、狂言回しのような役割に甘んじている。伊田は、ヨシザワに原作者としての実際のスキルを教える。だが、その姿は師匠というよりも師範のよう。伊田が主人公に対して伝授するノウハウこそ、著者が長年の原作者稼業で身に付けたスキルに違いない。そして伊田を始めとする漫画編集者達の破戒に満ちた毎日も、実際のそれよりは少し刺激を薄めているにせよ、著者が過ごしてきた実録なのだろう。だが、スキルはあくまでスキル。原作者としての奥義ではない。

あとがきで著者は、このようなノンフィクションを採った理由を、あれこれ試行錯誤のうちにこのような形式に落ち着いたと書いている。でも、そうなるべくしてなったように思えてならない。伝えたくてもしょせん伝えられないもの。それが原作者稼業の秘伝ではないだろうか。

考えてみると、「北斗の拳」の内容にも同じことが言える。

「北斗の拳」の主人公はケンシロウ。一子相伝の北斗神拳の伝承者だ。ということはケンシロウに北斗神拳を伝承した人物がいる。それが師リュウケンだ。「北斗の拳」の全編において、リュウケンは回想シーンで幾度か顔を出す。しかし、回想シーンの中でリュウケンが何らかの型を弟子たちにやって見せることは全くない。私が覚えているリュウケン登場シーンは以下の通りだ。伝承者選びのシーン。伝承者から敗れたラオウの拳を封じようとしてラオウの返り討ちにあうシーン。弟子入りしてきたラオウとトキの兄弟を谷に落とすシーン。あと、ケンシロウに奥義無想転生を教えるシーン。多分それぐらいだろう。だが、伝承者に奥義を伝える場においてすら、無想転生の型をリュウケンが演ずる様子はない。

「北斗の拳」をよむと、ラオウ、トキ、ジャギ、ケンシロウの伝承者候補達は、独学で北斗神拳を会得したかにすら思える。弟子たちに型を伝授しない伝承者リュウケンの姿は奇妙に思えないだろうか。

伝授や伝承に重きを置かない「北斗の拳」の特徴は、ケンシロウから次の伝承者への継承のあり方でも明らかだ。「北斗の拳」の終盤でケンシロウは、ラオウの遺児リュウを供において旅を続ける。だが、その中でケンシロウがリュウに何事かを伝授するシーンは見事までに登場しない。ケンシロウの闘う”漢”の背中をリュウに見せるだけで、伝承はなされたといわんばかりに。ケンシロウに後を託されたリュウは、果たして経絡秘孔の場所を一つでも知っているのだろうか。心配になってしまう。

これほどまでに伝承や継承を書かないのは、原作者である著者の哲学・信念のしわざに違いない。伝承者の物語なのに、伝承行為をことさらに避け続ける物語。「北斗の拳」とはそんな話なのだ。

となると本書でもヨシザワにブーやんが原作者稼業を教えようとしない理由も納得がいく。それは偶然ではなく、著者の信念に従ったからに違いない。ヨシザワは本書において、漫画原作の奥義を自ら掴みとらねばならないのだ。そのため、ヨシザワは一度は漫画原作者の世界を諦め、別の世界で身を立てることになる。だが最後にはそこで得た人生経験を活かし、再び漫画原作に挑戦する。

奥義とは自分の力で掴みとるべし。

これこそが本書に込められた、著者からのメッセージなのだ。

そして私は、そのメッセージを前にして大いにうなづくのだ。独学で俺流。これが今まで歩んできた私の道だ。多分正道からは大きくう回したことだろう。その分、結果としては時間が掛かったかもしれない。でも、自分自身の足で懸命に歩んできたことには自信がある。恥も後悔もない。ITにしろなんにせよ、すべてを独学でやってきたことが無駄でなかったことに自負をもっている。

ひょっとするとそういった私の性質は、少年期に何度も読んだ「北斗の拳」から育まれたのかもしれない。そこまでは言い過ぎだとしても、生まれ付いた独立独歩の性質が「北斗の拳」によってさらに深く彫り上げられた。それが今の私といっても許されるのではないか。

本書を読むことで、私の人生が「北斗の拳」にとても影響されてきたことが分かった。今の私が「北斗の拳」を読み直すとどうなるだろう。案外うなづけるところが多々あるのではないか。それも「あべし!」「あたたたた!!」「たわば!!!」「ひでぶ!!!!」のシーンではなく、いたる所にちりばめられた伝承や継承のあり方について。「北斗の拳」は実家に置きっ放しで、少なくとも十年以上は読んでいない。独立独歩の人生をますます歩みつつある今、原点をあらためて読み直すことで、今の私が「北斗の拳」から何を受け取るのか。とても楽しみだ。

私もまだまだ成長したいし、人生の奥義を極めたい。独学で。俺流で。独歩で。

著者が末文でいったように、「オレはまだまだ死にたくない!」のだから。

‘2016/06/12-2016/06/15