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絢爛たる悪運 岸信介伝


本稿を書いている時点で、安倍首相の首相在職期間は戦後第4位になるそうだ。長期政権に向けて視界も良好、といったところだろう。

安倍内閣の政策を一つ一つあげつらえばきりがない。だが、よくもわるくも自民党の伝統路線を堅実に歩んでいることは評価できるのではないか。私が本稿を書き始めたとき、安倍首相はトランプ米国大統領との首脳会談に臨んでいる。トランプショックに巻き込まれるのか、それとも新たな日米関係が構築できるのか。安倍首相はトランプ米国大統領ともリーダーシップの上では相性がいいのではないか、ともいわれている。ここで盤石の信頼体制が築けたら、安倍内閣の体制もさらに強固なものとなるに違いない。対米従順といわれようが、ポチと言われようが、日米関係が日本の外交戦略上無視できないことはもちろんだ。

そして安倍首相は長期政権が確立できる見通しがついた時点で祖父以来の懸案に取り掛かることだろう。その懸案こそ、憲法改正。

安倍首相の祖父、岸信介元首相の悲願でもあった憲法改正。それは、安保改正法案の議決と引き換えに岸内閣が総辞職したあと、60年近くも実現する見通しすら立っていない。岸氏は首相を辞任した後も後継者たちに憲法改正を託し続けていたという。そして、それがなかなか実現しない事に苛立っていたという。

岸氏を描いた本書には、幼い頃の安倍首相が登場する。安保デモ隊の群れは岸首相宅の周辺にも押し寄せた。そんな周囲の騒ぎをよそに、岸首相は悠然と孫たちを呼び寄せ、のんきに遊んでいたという。幼い安倍首相がデモ隊に向けて水鉄砲を発射していた微笑ましいエピソードも本書には登場する。おそらく安倍首相は、祖父から憲法改正の悲願を繰り返し刷り込まれて成長したことだろう。安倍首相に与えた祖父岸氏の影響とはかなり大きかったと思われる。

私が本書を手に取った理由。それは安倍内閣の政策の源流が岸信介元首相に発することを確かめるためだ。そして本書を読んで、その目的は達せられたと思う。今の安倍政治を読み解く上で、岸氏の生涯を振り返ることは意味がある。

自民政治の後継者とみられる安倍首相だが、出身派閥は清和会だ。清和会といえば岸氏の流れを汲む派閥だ。一方で安倍首相にとって大叔父であり、岸氏の実弟にあたるのが佐藤栄作元首相だ。佐藤栄作氏といえば、吉田学校に学んだ吉田茂直系の後継者として知られている。岸氏は反吉田色の強い政治家として知られている。兄弟でも政治的な立場に違いがある。そして、安倍政治とは大叔父の佐藤栄作元首相よりも、岸氏の流れをくんでいる。ということは、吉田池田佐藤路線が戦後の日本の本流と仮に見なせば、安倍政治とは、自民政治の本流ではないということになる。

では、岸氏とはどのような人物だろうか。岸氏を一言で表す言葉として著者が選んだのは「絢爛たる悪運」。「絢爛」とは氏の栄達に満ちた一生を表し、「悪運」とは氏の波乱の生涯を表しているのだろうか。

波乱の生涯とは言っても、岸氏の生まれは恵まれていた方だ。岸氏が生まれた佐藤家が、長州藩でも名家にあたる家だからだ。岸氏の曾祖父にあたる佐藤信寛は、吉田松陰に兵法を伝授した人物として、長州藩に重きをなした人物。明治初期には島根県令を勤めたとも伝わっている。つまり、岸氏は長州閥として恵まれた一族に産まれたのだ。岸氏が産まれた時も明治の世を謳歌していたことだろう。

ところが岸氏の場合、父が養子だったことで波乱の人生に投げ入れられる。父の実家、岸家に婿養子で出されるのだ。以来、岸氏は、佐藤家と岸家の双方に気を遣って生きることになる。それは岸氏に硬軟取り混ぜた処世の術を身につけさせる。結果として岸氏は逆境に遭っても身を処すためのスキルを身につけた。

東大から商工省へ。ここで頭角を現した岸氏は革新官僚として統制経済を推進する。統制経済は、軍にとっては都合の良い政策である。その推進者として軍に目を掛けられた岸氏は、満州国の経済責任者として関東軍から招聘される。そして、商工省を辞めて満洲国へ。さらには東条内閣の閣僚に抜擢され、開戦の詔書に署名する。この辺りの経歴は、「絢爛たる」といってよい。

ところが戦局の悪化は、岸氏の主管である戦時生産に悪影響を及ぼす。生産が戦局の悪化で計画通りに進まなくなり、東条首相との関係が悪化する。その結果、岸氏は一転、東条内閣の総辞職に一役かうことになるのだ。岸氏は敗戦後に極東軍事裁判、いわゆる東京裁判でA級戦犯として訴追される。だが、東条首相と対立したことや、開戦二カ月前の戦争指導者会議に出ていなかったこともあり、無罪となる。この辺りが「悪運」と言われるゆえんだろう。

著者はここで悪運にまつわるエピソードとして、岸氏が巣鴨プリズンから無罪で出てくることや将来は総理となる託宣を告げにやって来た占い師のエピソードも挟む。

公職追放が解除されてからの岸氏は、政界復帰に向け準備を進める。その結果が、石橋内閣の副総理格である外相で入閣する。ところが石橋首相が病気で退陣を余儀なくされるのだ。そこで首相代理に昇格したのが副総理格だった岸氏。そのまま次期総理として二期に渡って組閣することになる。この辺りの岸氏の経歴こそが、昭和の妖怪と揶揄されたゆえんだろう。並みいるライバルは次々に病で舞台を去り、労せずして首相の椅子を手に入れるあたりが。

岸内閣の業績は、実は安保以外にもいろいろとある。だが、首相を退陣した後の岸氏にとって思い出されるのは、安保改定の攻防とデモ隊に囲まれる日々だった。樺美智子さんの死亡とアイゼンハワー米大頭領訪日断念といった一連の流れは特に印象深い出来事だったようだ。審議時間切れで安保が自動的に決議されるのを待つ間、首相官邸で過ごす岸氏の元を訪れていたのは実弟の佐藤栄作氏。ここで岸氏の口をついたのは幕末の長州で奇兵隊を立ち上げた高杉晋作の一句。「情けあるなら今宵来い、明日の朝なら誰も来る」

対米戦争を始めた内閣の閣僚であった岸氏は、アメリカに対しては複雑な思いを持っていたことだろう。安保改定を単なる対米追随から推進したのではないはずだ。戦後の日本が置かれた状況や国際関係の行く末も秤にかけた上で、最善手として安保改定を選んだはず。

最近、この年のノーベル平和賞候補として現職の岸首相が推薦され、候補に挙がっていたことを知った。もし受賞していたら実弟佐藤栄作元首相の受賞以上に物議を醸した事だろう。資料によれば、ノーベル平和賞に推薦したのはアメリカの上院議員だったとか。おそらくは推薦事由とは戦後国際政治を冷静に見極め、安保改定を推進したとかそんな事だろう。東條開戦内閣の閣僚でありながら、米国と手を握った現実感覚が推薦理由だったのかもしれない。こういった得体の知れない処世の鮮やかさも、悪運の強さとして、昭和の妖怪と言われた理由だと思う。

自民党金権政治のハシリ、対米追随のハシリ、と岸氏を誹謗するのはそれほど難しくない。それよりも難しいのは岸氏の構想に乗った憲法改正の実現だ。国際政治の変化に対応し、対米追随路線を進めたとはいえ、岸氏は憲法改正を悲願としていた。吉田元首相や岸氏は、GHQの権力の強さを肌で知っている。だからこそ、戦後の出発にあたっては、GHQから押し付けられた憲法を飲むしかないとの現実認識をもっていた。だが、それはあくまでも一時の方便に過ぎない。日本人が主体となって制定した自主憲法を望む思いは強いはず。一方、憲法が思いの外長期にわたって有効であり続けたことは、日本人は制定当初の憲法がいびつな手続きであったことを忘れ、慣れてしまった。その結果、改憲の機運も依然として弱い。

だが、当時は弱体だった中国が強大になっている今、果たして今の憲法が有事に対応できるのか。そう問われれば言葉につまるほかない。

祖父が果たせなかった改憲を孫の安倍首相は実現できるのか。トランプ大統領との首脳会談では、尖閣諸島は安保条約の適用範囲であるとの言質をトランプ大統領から得た。これによって安保の威光がいまもまだ失われていないことが明らかとなった。そして、米国の庇護が期待できれば、改憲の必要は少し弱まる。だが、それでもなお国防を自国でやるか他国に委ねるか、という問題は解決されていない。岸首相の時代から何も変わっていないのだ。

岸氏の生涯は、実は妖怪どころか、超現実主義の原則に沿っていた。現実主義とは、これからの日本を舵取りする上で欠かせない視点だと思う。その意味でも、岸氏の衣鉢を継ぐ安倍首相のこれからに注目したいと思う。

‘2017/02/06-2017/02/07


朱夏


著者の作品は何冊か読んでいる。丁寧な描写から紡ぎだされる日本の伝統的な世界。それを女性の視点から描く著者の作品には重厚な読み応えを感じたものだ。

その重厚さがどこから来るのか、本書を読んで少しわかった気がする。

本書は著者の自伝的な作品だ。戦争前に夫と見合い結婚し、満州開拓団に赴任する夫と満州へ。そこで命からがら逃げ帰ってきた経験。本書はその経験をそのままに小説としている。むろん、本書は事実を克明に描いていないはずだ。たとえば、主人公の名前は著者の名前と違って綾子という。だが、たとえ詳細は事実と違っていても、本書の内容はかなりの部分で事実を反映しているに違いない。それは、主人公の実家が高知の遊郭で芸妓の斡旋業を営んでいること。戦争を前にお見合いで結婚し、夫について満州に渡ったこと、などが事実であることから推測できる。さらに推測を重ねてみるに、著者にとってみれば満州での日々よりも日本での暮らしのほうが小説には著しにくいはず。ところが本書では日本の暮らしも事実に即しているように思える。ならば、本書で書かれた満州での日々はより真実を映し出していると思うのだ。

本書で書かれた内容が真実を基にしているのでは、と思う理由。それは、著者の他の作品に感じられる描写の細かさだ。細かな描写を小さく刻んでゆく。その結果、一編の小説に仕立て上げる。本書も同じ。全編に事実が積み上げられる。小説でありながら、小説内の出来事を虚構ではなく事実と思わせる説得力。話をことさらにドラマチックに盛らずとも、事実の積み重ねは本書をとても劇的に仕上げている。

本書で書かれた熾烈な経験の前では、話を脚色する必要すらもない。そこには、劇的な演出を拒むだけの迫力がある。本書で展開されるエピソードの数々は生々しい。生々しいが、わざとらしさはない。その生々しさは、地に足の着いたリアルな描写のたまものだからだ。

たとえば、満州に向かった人々は、後年自らに降りかかる運命を知らないはずだ。希望と不安が半々。主人公の綾子もそう。結婚して不安な日々。嫁ぎ先で自分をどう生きるのか。夫との関係。子供の世話。姑との暮らし。戦局の悪化は高知でも徐々に不安となって人々を包み込む。そんな日々は、自分の生活で精一杯のはず。そこに飛び込んできた満州行きの話。全てのエピソードは波乱万丈ではなく、誰の身にも起きうるものだ。

そんな満州に向かうことになった綾子。彼女は、芸妓の斡旋業を営む家に生まれた。裕福な家に不自由なく育ち、お嬢さんぶりが抜けない。それでいて、乙女の潔癖さゆえに生家の家業が嫌でしょうがない。要との結婚に乗り気だったのも、家業から逃げるためといえるほどに。綾子が嫁いで、まもなく子を授かる。そして、要は満州へといってしまう。残された家で姑のいちと、生まれた美耶との三人の暮らし。嫁と姑が語らうやりとりは、とてものどかだ。戦争末期とは思えない程の。しかし土佐のような、空襲にもあまり遭わない地では、これこそが現実の銃後の生活だったのではないか。日々の生活がそこまで危機感を帯びていなかったからこそ、開拓団は遠い満州へと旅立って行けたのだ。

それは、満州での日々も同じだ。先に満州に向かった一団を追って、綾子と美耶が満州へと旅立ったのは昭和20年も3月の末。高知にも空襲があり、少しずつ戦時中の空気は土佐を覆っていた。つまり戦局の悪化は土佐の人々にも感じられたはず。それでも満州に渡った開拓団の子弟に教育する必要があるとの大義は、人々を満州に赴かせた。綾子の夫、要もその一人。要を追った綾子も開拓団が暮らす飲馬河村へ何日もの旅路をへて到着する。

そこでの暮らしぶりも、少しずつ日本人の暮らしが不穏さをましてゆく様もリアルに描かれる。人々の間に不審さが増し、現地人との関係にも少しずつ変化が生まれてゆく。開拓民を覆う空気が徐々に変化してゆくようすも鮮やかな説得力がある。とにかく本書は描写が細かい。満州人と日本人の風習の違い。体臭や癖の違い。振る舞いや言葉、しきたりの違い。島国の日本とは違う大陸のおおらかさ。そんな満州の日々が事細かく書かれてゆく。

人々がアミーバ赤痢に罹かる。日本と違って万事がのんびりで、子育てもままならぬ環境にいらだつ綾子。お嬢様育ちののどかさが薄れ、徐々に満人の使用人に対する態度がきつくなる。高知の実家の女中がいると聞き、新京へ訪ねた綾子と要は、繁盛している妓楼の主人に教師の職を侮辱される。当時の満州の世相がよくあぶりだされるシーンだ。綾子はそこで血尿を出してしまい、妓楼から診察を受けに行ったことで性病と間違えられる。綾子は満州の地で翻弄されながら、日本に郷愁を感じながら、たくましくなってゆく。

著者の視点は、あくまで開拓民としての視点だ。著者は結果を知りつつ、かれらの当時の日々に視点を置く。だから、リアルなのだ。語りも当時の視点だけを淡々と進めるのでなく、ごくたまに豊かな戦後の暮らしを引き合いに出す。それが当時の暮らしの苛烈さを浮き彫りにする効果を与えているのだ。

今の平和な日本しか知らない私たちには決して分からないこと。それは、開拓団の人々の当事者の視点だ。彼らが現地で当時の時間軸でどう考えて過ごしていたのか。それを追体験することほすでに不可能。

一方で私たちは後年開拓団がどういう運命に見舞われたのかを知っている。彼らを襲った悲劇が何をもたらしたのかを。だからこそ疑問に思ってしまう。なぜ彼らはそんな危険な地にとどまり続けたのか。なぜ満州軍をそれほどまでに信頼しきっていたのか。なぜ、ソ連軍が来るまでに逃げなかったのか。彼らはただひたすら朴訥な開拓民として、日々を耕していただけなのではないのか、などなど。

それらの批判が的を外していることは言うまでもない。日々の生活に追われていれば、戦局の詳細まで分かるはずがないのだ。たとえば、満州軍がどこに部隊を移動させ、ロシア軍はどこまで満州の国境に迫っているのか。それは彼らの生死に関わる問題のはず。だが、開拓民がそれを知ることはない。

人々は突然の敗戦の知らせとソ連軍の侵攻に慌てふためき逃げ惑う。その結果が、中国残留孤児であり、現地に骨を埋める多くの犠牲者だ。なぜそういう事態に陥ったのか。それは誰にも分からない。だが、一ついえるのは、後世の私たちが訳知り顔に彼らの行動を非難できないということだ。非難することは大いなる過ちである。

そんな現状認識だったからこそ、ある日突然に訪れた敗戦の知らせに綾子は絶叫するのだ。十数日前に満員人の使用人から、日本は程なく負けるとの知らせを聞き、われを忘れて神州日本は負けないと啖呵を切ったときのように。要は息せき切って知らせを告げに走り込み、綾子は絶叫する。人々は茫然とし、部屋を歩き回ってぶつぶつと将来を憂う。261Pー263Pで描かれるその場面は本書でも指折りのドラマティックな箇所だ。

続いて彼らは気付く。自分たち開拓民の置かれた状態が一刻の猶予も許さない状態になっていることを。別の集落は暴徒と化した現地の住民達によって全滅させられたとか。そんな風聞が飛び交う。

綾子の集落にも不穏な雰囲気が押し寄せる。使用人の満人はとうの昔に姿を消している。あとは家が暴徒に囲まれれば終わり。そうなれば即自決すると示しあわせ、カミソリの刃を首に当てる綾子。結局、暴徒に襲われることはなく、日本人だけが一カ所に集められる。命は助かったが、敗戦国の民となった彼らの生活はみじめだ。慣れぬ満州の生活に苦しめられ、さらに生存をかけた日々を送ることを強いられる。

綾子はそんな日々をたくましく生き抜く。人々が本性を見せ、弱さにおぼれる中。美耶を育てなければという決意。母は強い。収容所での日々は、綾子からお嬢様の弱さをいや応なしに払拭してゆく。かつては付き合うことさえ親から禁じられていた同郷の貧しかった知り合いに出会い、吹っ切れたようにその知り合いからも施しをうける。プライドを捨てて家族のためにモノを拾ってきては内職する。

その日々は、著者の歩んだ砂をかむような日々と等しいはずだ。冒頭で著者の作風に備わっている重厚さの理由が本書にあると書いた。本書を読むと著者の歩んだ体験の苛烈さが分かる。このような体験をした著者であれば、その後の人生でも踏ん張りが効いたはずだ。

本書は終戦後34年たってから書かれ始めたという。娘さん、本書内で美耶と呼ばれている実の娘さんに向けて書いたそうだ。でも、本書は著者自身のためにもなったはずだ。著者が作家として独り立ちするためのエネルギーの多くは、ここ満州の地で培われたのではないだろうか。 私はそう思う。なぜなら苦難は人を作るから。 私も最近、ブログでかつての自分を振り返っている。苦難は人を作るとしみじみ思うのだ。

‘2017/01/25-2017/02/05


帝の毒薬


戦後まだ間もない日本を戦慄させた数々の事件。下山事件、松川事件、三鷹事件。これらの事件は、少年の頃から私を惹き付けて離さなかった。本を読むだけではない。下山事件は慰霊碑にも二度訪れた。それら事件は、価値観の転換に揺れる当時の世相を象徴していた。当時の混乱ぶりを示す事件は他にも起きている。その一つが帝銀事件だ。

帝銀事件とは、帝国銀行椎名町支店が惨劇の舞台だったため、そう呼ばれている。厚生省技官を騙り、毒を飲ませて行員たちを死に至らしめた事件。窓口業務を終えた直後の時間とはいえ、白昼に12人が毒殺された事は人々に衝撃を与えた。戦後史を扱った書籍の多くで帝銀事件は取り沙汰されている。犯人は?動機は?生存者によって手口が証言されているにも関わらず、依然として謎の多い事件だ。

先に挙げた三つの事件に比べると、帝銀事件は少し性格を異にしている。それらに共通する定説とは、共産党の勢力伸長を阻むGHQの謀略。大体はこの線で定まりつつあるようだ。だが異説も乱立しており、手口から動機、実行犯や黒幕に至るまで自称識者によって諸説が打ち立てられている。帝銀事件はそれらと違う。まず、犯行の手口がかなり明らかになっている。また、諸説の乱立を許さないだけの定説があることも帝銀事件の特徴だ。旧関東軍の防疫給水部、いわゆる731部隊の関係者による犯罪、という説が。

だが定説とはいえ、証拠はない。なぜなら731部隊を束ねた石井中将による箝口令やその研究成果を独占せんとしたGHQの介入により、その実行犯は歴史の闇に消えたままだからだ。

戦後の混乱期に暗躍したとされる陰謀史観は今までに数多く発表された。私は読み物としてそれらを読むのは好きだ。でも、それら陰謀があたかも隠された真実であり、通史として知られる事実は嘘っぱち、という主張には安易に与しないことにしている。もはや、それら事件が陰謀であったことの立証が不可能だからだ。帝銀事件も、表向きは最高裁の判決によって法的にも史的にも平沢貞道氏による実行犯と決着している。それは平沢氏が亡き今となっては覆りそうにない。

だが、判決が覆らないことを前提としてもなお、帝銀事件に陰謀説が通じる余地はあると思う。帝銀事件の周囲に漂うオーラは、限りなく陰謀色に染まっている。それは、平沢氏に対する判決が最高裁で確定したにも関わらず、歴代法務大臣35人の誰一人として死刑執行の署名をしなかったことにも表れていると思う。

本書はフィクションの形式で、限りなく帝銀事件の謎に肉薄せんとした小説である

本書は敗戦の気配が濃厚なハルピンで幕を開ける。主人公羽生誠一は、ハルピン郊外の関東軍防疫給水部に勤務している。いわゆる731部隊だ。731部隊は、いわゆる人体実験を繰り返した部隊として悪名高い。森村誠一氏の著した「悪魔の飽食」はよく知られている。731部隊の帯びる任務の性質から、医療関係者を除いた部隊のメンバーには石井部隊長の郷里の人間が抜擢されたという。このエピソードは部隊を描いた文章では必ずといってよいほど出てくる。主人公の羽生もまた、千葉の部隊長の郷里の出という設定になっている。

史実によると731部隊の存続期間の大半で、石井四郎中将が部隊長の任にあった。が、本書では部隊長の名は倉田中将となっている。石井中将であることが明らかな部隊長の名を変えたことに意味はあるのだろうか。私は大いにあると思う。

なぜなら、本書では帝銀事件の実行犯を名指しで指定しているからだ。室伏孝男。しかも731部隊内の部署や役職まで指定して。当然、室伏孝男という人物は731部隊に実在しないだろう。しかし、それに対応する実在の人物はいたのではないだろうか。つまり、石井中将でない別の倉田という人物を部隊長に擬したことは、室伏という人物に対応する別の実在人物がいることを示唆しているのではないのか。それはすなわち、本書で室伏が行った帝銀事件の犯行が、731部隊に属していた実在の人物によって行われた事を意味してはいないか。さらにいうと、そのことは死刑囚として95歳まで獄中にあった平沢氏が無実の罪であったことを意味しないか。

本書は一貫して平沢氏を無辜の死刑囚として書いている。戦後の国際政治の都合に翻弄されたスケープゴートとして。だが、本書の視点は平沢氏からのものではない。平沢氏が持ち続けていたはずの怯え、絶望、無常感は、本書にはほとんど出てこない。それよりも、誰がそれをやったのか、を小説の形で仮名にして糾弾するのが本旨なのだろう。

本書は三部で構成されている。第一部は満州を舞台とし、1944年から敗戦直後の慌てふためく撤退までを。第二部は、帝銀事件発生からその謎に迫ろうとする二人の刑事の努力と挫折が描かれている。第三部は血のメーデー事件が題材となっている。

第二部で主人公羽生は刑事になっている。戦後復員してから警視庁に奉職したという設定だ。そして731部隊出身者として帝銀事件の捜査に投入される。コンビを組んだ先輩の刑事は731部隊出身者が帝銀事件の実行犯であると確信し、羽生とともに捜査にあたる。が、妻子を盾にGHQから脅され、骨抜きにされる。

主人公もまた、真相究明に奔走する。しかし、後一歩で室伏を殺され、事件は闇に消える。

本書の筆致は一貫して軍国主義に反発している。憎悪しているといってもよいほどだ。人体実験という蛮行を通し、戦争の非人間性を弾劾する。さらには、国際政治のためなら人体実験を行った医師たちを戦犯とせず、かばい通すことも辞さない悪と裏返しの正義を糾弾する。返す刀で著者はそういった悪の反動が戦後の共産主義の伸長を呼びこんだと書く。

それが、第三部の背景だ。第二部で警察に絶望した羽生は、第三部では共産党のシンパないしは善意の協力者として登場する。731部隊で世話になった部隊仲間が共産党のシンパとして活動しており、警察を辞めた羽生がそこでお世話になったのがきっかけだ。

確かに、731部隊の残虐な所業に幻滅し、反動で共産主義に走った人は戦後多数いただろう。

だが、本書の締め括りとして、警察から狙われ、血のメーデー事件の混乱のなか、幕を閉じさせる構成は果たしてどうだろう。私は余分だと思った。731部隊の非道を撃ち、帝銀事件の真相に迫らんとする本書にあって、血のメーデー事件を取り上げた第三部は、本書の主張を散らし、弱めたように思う。

私としては血のメーデー事件の概要が分かり、それはよかったのだが。本書のために惜しまれる。

‘2016/09/09-2016/09/10


真相・杉原ビザ


本書を読む少し前、2015年の大晦日に『杉原千畝』を観劇した。唐沢寿明さんが杉原千畝氏に扮した一作だ。作中では現地語ではなく英語が主に使われていたのが惜しかった。でも、誠実に杉原千畝氏を描こうとの配慮が見えたことに好感を持った。(レビュー)

千畝氏の業績はとかく誤解されがちだ。ユダヤ問題の視点。日独伊三国同盟の視点。外交官の職業意識の視点。組織統制からの視点。様々な問題がからむ。

スクリーンで唐沢さんが演じた杉原千畝が、どこまで本人を再現していたのか。それを確認するには本を読むことしかない。偶然本書を選んでみたのだが、著者は杉原家のご遺族から資料の管理を任されるなど全幅の信頼を置かれている方だとか。期せずしてふさわしい本を選べた。そして、著者が本書のタイトルに真相と名付けたのも、これをもって杉原評伝の決定版とし、杉原ビザを巡る論争に終止符を打ちたい、という決意の表れかと思う。

本書の内容は千畝氏の生い立ちから、満州時代、そしてカウナスの副領事を務めた日々を描いている。一方で戦後外務省を追われてからの日々はあまり取り上げていない。だがそれを脇に置いても本書は杉原千畝の評伝として決定版と言えるのではないだろうか。

私は組織に服し、命令に盲従するのが好きではない。なので、千畝氏が外務省の訓令を無視し、個人の信念でユダヤ難民にビザを発行した行動に反感はない。むしろ喝采を惜しまない気持ちだ。

だが、千畝氏の行動を無邪気に賛美するだけでは意味がない。領事館に押し寄せるユダヤ難民の群れを前に、組織人につきもののしがらみを断ち切ってまで、個人の信念を優先させたのはなぜか。それには当時のカウナスのユダヤ難民がおかれた状況を理解することももちろんだが、そのような行動を起こさせた千畝氏の生い立ちからも理解する必要がありそうだ。

著者のアプローチはその考えに沿っている。けれども、著者はその前に千畝氏のビザ無断発給についてまわる誤解を冒頭で解く。その誤解とはビザを無断発給したのは、ユダヤ人社会から金が出ていたからというものだ。著者はその噂を根拠なしと片付けている。それは、戦後イスラエルの宗教大臣を務めたバルファフティク氏からの証言による。バルファフティク氏はカウナスでビザ発給陳情に訪れた五人の代表者のうちの一人だ。バルファフティク氏は戦後イスラエル政府の要職に就き、千畝氏の名誉回復に並々ならぬ役割を果たした。バルファフティク氏の尽力もあって千畝氏のビザ発給の事実が世に知られることになった。著者はイスラエルにバルファフティク氏を訪れ、本人からの証言をテープに収めている。本書冒頭で著者はユダヤマネーが背後にあったとの誤解を解き、杉原ビザが外務省の訓令に背いてまで千畝氏個人の信念に基づいた無私の行為であったことを明らかにする。

第一部は「イスラエル・エジプト紀行」と題され、イスラエルと日本の関係に紙数が割かれている。イスラエルの建国にあたってはパレスチナ問題、つまり元々その地に住んでいたアラブ人との関係が複雑だ。今に至るまで火種の絶えない地となっている。だからこそイスラエルの人々は自国やユダヤ民族のために尽くしてくれた人々への感謝は忘れない。日本とイスラエルの関係の中で千畝氏が少なくない役割を果たしたことなど、本書から得られる情報は多い。

続いての第二部「杉原ビザの真相を探る」では、生い立ちから千畝氏のビザ発給とそれが日独伊三国同盟に与えた影響までを語る。

実は本章では千畝氏の少年時代はそれほど触れない。そういう意味では、本書からは千畝氏の生い立ちはよく分からず、本書を読んだ目的の一部は果たせなかった。でも、税務署の父好水氏の任地に従って転々とした少年時代だったことが書かれている。私の個人的な意見だが、往々にして転校が多かった人物は、人生や世間や社会に多様性が必要なことを学んでいるような気がする。と言いつつ、私は転校知らずの少年時代を送ったのだが。

本書はむしろ早稲田大学入学後の千畝氏について紙数を費やす。医者を望む父に反抗し、早稲田大学に進学。そのことで千畝氏は学費がもらえず苦学生の道を歩む。学費を稼ぐためあらゆる職に就き、遂には退学してノンキャリア外交官の道を進むことになる。色んな職を経験した事は、千畝氏の視野を広げたことだろう。外交官には欠かせないスキルの糧となったはずだし、多分ビザを発給する上で氏の行動を妨げなかったはずだ。それどころか、ビザ発給が元で外務省をクビになっても、自分には家族を養う自信がある、と組織を恃まぬ自信を千畝氏に植えつけたのではないか。実際、戦後は外務省退官を余儀なくされ、職を転々とすることになる。

では、千畝氏は優秀な外交官だったのか、との疑問が湧く。そして読者は、千畝氏が優秀な外交官であったことを満州時代の氏の実績を通して知ることになる。それは北満鉄道譲渡交渉である。外務省から満州国外交部に出向の形で配属された千畝氏の交渉相手はソビエト。ソビエトから北満鉄道を譲渡するにあたって、価格面を含めたあらゆる交渉が必要となった。千畝氏は交渉担当者として得意のロシア語を駆使し辣腕ぶりを発揮する。当初ソ連側の希望価格は六億五千万円で日本側は五千万円。それを最終的には一億八千万円で譲渡交渉を成立させた。その能力は、後年杉原氏がモスクワ日本大使館の二等通訳官に任じられるにあたり、ソ連から拒否されたことでも明らかだ。この経緯は本書では詳細に触れられている。

私は理念や理想を求める姿勢は重んじたい。だが、それは実力があってこそと思っている。だからこそ千畝氏のビザ発給の美談は、それだけで片付けると本質を見失う。本書でもこのように書かれている。「外交官杉原千畝を語るに当って、ナチスからの人命救助というリトアニアでの人道問題だけでは、杉原の真価を理解したことにはならない」(154ページ)

それほどまでに評価された千畝氏だが、交渉妥結から間も無く満州国を去ることになる。それは何故か。映画『杉原千畝』の冒頭でも印象的にそのシーンが描かれていた。満州国を牛耳る関東軍の存在だ。本書には晩年の千畝氏がチラシの裏に認めた通称「千畝手記」が写真付きで紹介され、引用も頻繁にされる。「千畝手記」には関東軍のやり方に我慢ならなかったことが書かれている。その経緯も本書で紹介されている。

多分、千畝氏がビザ発給に踏み切ったのも背景に軍人への反発があったためだろう。多分、後ろに組織を控えた圧力にはとことん反発する性質だったように思う。

本書は続いてカウナスでの日々を描く。著者はユダヤ難民が生じた背景をきっちりと説明する。ナチスの台頭とユダヤ人迫害の事情を理解することなしにビザ発給が美談であったことは理解できない。特にこの章で見逃せないのは、千畝氏のビザ発給がナチスドイツの対日政策に影響を与えたのではないか、との著者の分析だ。

つまり、千畝氏のビザ発給によってアメリカの対日政策に変化が生じることをナチスドイツが恐れたのが、日独同盟の急展開を招いた。それが著者の読みだ。日独同盟はすんなり決まったわけではない。二転三転の末に決まったことはよく知られている。その過程では、最終的にドイツ側が歩み寄ったことが日本の姿勢を和らげ、なし崩しに日独伊三国同盟は成った。交渉の中でドイツ側の最後の歩み寄りがあった背景に、千畝氏のビザ発給があったのではないか。その説は私には新鮮に聞こえた。あの当時の日米英ソ独の微妙で複雑な関係は、カウナスの副領事の行いによっても揺らいでしまったのかもしれない。

それにしても本書は真相と名乗るだけあってかなりの事実が書かれている。大正9年の雑誌『受験と學生』で千畝氏が寄稿した「雪のハルピンより」の全文を載せている。さらに第三部の「杉原テーマへの責任」では、既存の杉原千畝を取り上げた記事や書籍で間違っている記述に徹底的に反駁を加える。それはまるで千畝氏の代弁者のようだ。

生前の千畝氏は、自らの外交官生活に終止符を打ったカウナスでのビザ発給について何も語らずを通した。結局は自らが助けた人によってその行為は広く知られることになり、それとともにその行為を曲解しようとする人々によって誤った風説がまかれることにもなった。晩年の千畝氏がチラシの裏に「千畝手記」を書かざるを得なかった気持ちもわかる。

千畝氏の一生はどうだったのか。それを評価するのは我々でなければ当時の人々でもない。ましてや千畝氏に救われたユダヤ難民でもない。千畝氏当人が評価することだ。私のような他人が千畝氏の一生を語るなどおこがましい。だが、私は千畝氏が組織に媚びず一生を自分の信念に生きた事を後悔することなく逝ったと信じたい。

あとは、氏の業績が正しく後世に伝えられる事だろうか。当初本書は図書館の書架に並んでいた。ところが一年後、本稿を書くために借りようと図書館に訪れたところ、なんと書庫に入ってしまっていた。それが残念だ。

‘2016/02/18-2016/03/02


伊藤博文暗殺事件―闇に葬られた真犯人


この本を読み始める少し前、韓国と中国によって安重根記念館が建てられた。私の教科書的な知識では、安重根は伊藤博文の暗殺犯としてのみ記憶されている。ハルピン駅頭で拳銃を発射し、韓国にとって英雄となった人物という認識である。

今回の記念館建設は、最近とみに盛んな韓国と中国による対日プロパガンダの一つであろう。かつて日本が犯した過ちから、今に至るまで歴史問題でこじれていることは間違いない。が、それを外交カードとしていつまでも振りかざす隣国の対応はどうかと思う。日本を卑下したところで精々アジアの覇権を握るだけであり、かつての中華思想の復活などは望むべくもないのに。欧米の勢力による日中韓分断策にうかうかと載せられているだけのようにすら思える。実にもったいないことである。

とはいえ、そもそも私が日中韓の歴史観を語るには、知識も知恵も経験も不足しているのが事実である。ならば安重根とはどのような人物か、について知識を深めたいと思ったのが今回の読書である。彼は何を思い、何を願って暗殺犯の汚名を被ったのであろうか。

本書は安重根の遺した供述文や獄中で書き遺した遺書などを基に構成されている。当時のハルピンは、日露戦争の記憶も生々しい、日本、韓国、清国、ロシアの思惑が入り乱れた地。韓国併合を間近にした陰謀と暗躍が渦巻く闇の都市でもあった。しかし、本書はそのような状況にあっても、憶測や主観に頼らず、今に残る文献を基に実に克明に当時の状況を追っていく。それこそ分単位で。また、安重根の視点で書かれた文献に頼るだけではない。日本側の外交文書や現地新聞記事、さらにはロシア側の文献にも当るなど、本書の執筆に当たってはかなりの努力の跡が見える。

そして本書の最大の美点として、中立を貫いていることが挙げられる。得てしてこのような内容の本は著者の主観が入りがちである。どのように気を付けても言葉の端々に、著者の主張が見え隠れする。しかし、本書では見事にそれが拭い去られている。当時の日本、韓国、清国、そしてロシアの思惑。または伊藤博文から安重根、そしてハルピン駅頭で伊藤博文と会談する予定だったロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフ。これらの人物に対する視点は実に透明である。安重根については、亜細亜の友好を願い、伊藤博文が日韓の未来にとって有害と信じ暗殺に及んだ人物として公正に書いている。日本側の官憲をして立派な漢であると感嘆させたエピソードも含め、安重根を操り人形やテロリストといった見方ではなく一人の人物として紹介している。伊藤博文についても、圧制者ではなく、むしろ韓国の理解者として日韓友好に努めた人物として取り上げている。他の人物についても徹底的に客観的な視点と描写を貫いている。本書のこれらの姿勢には賛嘆を惜しまない。

だが、事件発生から刊行辞典でも90年以上の年月を経、著者の努力も一歩及ばなかった点は否めない。残念ながら本書では暗殺の首謀者特定まで至っていない。著者の調査は入念を極め、視点も着眼点も優れているだけに、歴史を取り上げることの難しさを痛感する。

だがそれは著者及び本書の価値を損なうものではなく、むしろ本書の特徴は先に挙げたような中立の視点で書かれた経緯にあるといってよい。

首謀者が特定できなかったといっても、本書の記述には興味の持てる点、新たな発見点が多数あることも記しておきたい。これは教科書レベルの知識しか持っていなかった私だけでなく、他の類書を既読の方にも有益な情報となることであろう。

事件当日に既に銃創の位置から別の犯人の存在が示唆されていること。これは既に有名な情報らしいが、私は知らなかった。また、近年、伊藤博文の死亡診断を行った医師による死亡診断書が発見され、その内容が本書で公開されている。さらに本書では、満州や極東ロシアに散らばる清人社会のネットワークや、伊藤博文の融和策に反対する日本の支配層の動きについても色々な情報が得られる。

だが、本書を読んで一番得た収穫としては、主犯とされる安重根、被害者である伊藤博文の両者の人物像ではないだろうか。本書では、両者を圧制者と非圧制者といった単純な構図に落とし込んでいない。安重根と伊藤博文については、プロパガンダの道具としての書き方をしていないのは上に書いた通り。いずれも今の日中韓の醜い争いとは一線を画したものである。安重根記念館は聞くところでは義挙の士としての安重根を強調したがっているようだが、実際はそんな単純なものではなさそうである。展示館を作るのであれば、そのような偏向した見方で両者の志を汚さぬようにして頂きたいと願うばかりである。

’14/04/09-’14/04/13


硫黄島に死す


本書には7編の短編が収められており、そのうち5編が太平洋戦争中の激戦に題材を採っている。いずれも当時の国際情勢や政治に無関係の、前線で任務を全うするために挺身する人々の姿を様々な角度から描くことで、戦争の意味を問うている。

太平洋戦争の戦記文学というと飢餓に苦しみつつ、ジャングルをさまよう陰惨な印象が漂うが、本書は前線の、スポーツ選手の、特攻隊員の、予科練生のそれぞれの戦中や戦後の人生を通して、多様な軸から戦争を描いているのが印象を残す。

中でも表題作の「硫黄島に死す」は主人公に西大佐を据え、馬術競技での栄光と挫折、生まれ育ちからくる軍の中での孤立など、重層的な人物造形が物語に深みを与えている。たとえば、ロス五輪での金メダル獲得から一転、ベルリン五輪で惨敗した理由についても、ドイツ側の妨害工作があったにも関わらず敗因について一言も弁明しない姿。硫黄島への移動航海中に起きた二人の死者に対する限りない哀惜の念。

軍内で軽薄、気障と言われた主人公が、最期まで誇りと気概に満ちた人物として、硫黄島の過酷な戦場でも死を従容として受け入れる姿には、読者に戦争のやるせなさを否応なしに突き付けるも
のがある。

’12/03/25-12/03/26