Articles tagged with:

本音で語る沖縄史


本書を読み始める前日までの2日間、沖縄を旅していた。私が沖縄から得たかったのは海での休息ではない。それよりもむしろ、沖縄の歴史や文化からの学びだ。そのために私が訪れた主な場所は以下のとおり。泡盛酒造所。旧海軍司令部壕。平和祈念資料館。斎場御嶽。ひめゆりの塔。旅行の道中については、以下のブログにまとめている。ご興味のある方は読んでいただければ。
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/18
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/19
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/20

沖縄を訪れるのは22年ぶり2回目のこと。今回訪れた場所はひめゆりの塔の他はほとんど初訪問。だからこそ全ては新鮮だった。そして多くの気づきを私に与えてくれた。これらの場所が私に教えてくれたことはいくつかある。大きく分けるとすれば二つ。それは、日本にありながら違う文化軸を擁する琉球の魅力と、近世の琉球史が絶え間ない波乱の中にあった事だ。

特に後者についての学びは、私に沖縄の歴史とは現代史だけではない、という発見を与えてくれた。その発見は私に、沖縄についての歴史とは、現代史だけに焦点が当たりすぎてはいないか、という次の疑問をもたらした。とはいうものの、私自身が今まで持っていた沖縄への歴史認識とは、沖縄史すなわち現代史だった。それは率直に認めねなければならない。沖縄戦の悲惨な史実は常に私の胸の奥に沈んでいた。22年前に訪れたひめゆりの塔。そのホールに流れるレクイエムの強烈な印象とともに。だが、沖縄戦を考える時、私の中にあったのは、なぜ沖縄戦が行われなければならなかったかという疑問だ。そして沖縄の人が内地に対してもっている感情の落としどころがどこにあるのか、ということだ。それは、現代史よりもさらに遡り、沖縄=琉球の歴史を理解しなければ到底わからないはずだ。

大本営が沖縄をなぜ捨て石としたのか。その理由の大半は、戦局の推移と沖縄が置かれた地理的条件によるだろう。だが、本当にそれだけで片付けてよいのか、というモヤモヤもあった。沖縄戦が行われた背後には、今の平和な本土の人間が思いも寄らない文脈が流れていたのではないか、という疑問。それが私の中に常にあった。そして、沖縄戦に巻き込まれた人々が今、日本にどのような思いを抱いているのか。それは琉球処置、沖縄戦、占領期、本土復帰を含めてどのような変遷をへてきたのか。沖縄が日本に属することで得られるものはあるのか。日本から独立したい願いはあるのか。今もなお、沖縄の人々は複雑な感情を抱いていることだろう。内地の人間として、その感情を無視して日本にある米軍基地の大半を負担してもらう現状を是とするのか。または海外からの影響が沖縄に及ぶ現状を指をくわえてみているのがよいのか。それらの知見は、私が今後、基地問題についてどういう意見を発信するかの判断基準にもなるはずだ。いったい沖縄の人々は沖縄戦をどう受け止め、どう消化しようとしているのか。

私はその疑問を少しでも解消したいと思い、沖縄へ向かった。初日に訪れた旧海軍司令部壕でも平和祈念資料館でもその疑問は私の中で強まるばかりだった。旧海軍司令部壕では大田実中将の電文を読み、軍の責任者がこういう責任を感じていた志を知った。平和祈念資料館で得た知識や気づきは多かったが、祈念館が取り上げていたのは、琉球仕置以降の沖縄史。そのため、琉球文化の根源や、沖縄戦に至った根本的な理由はついにわからずじまいだった。

その疑問が少し形をとったのは、二日目に斎場御嶽を訪れた時だ。斎場御嶽の奥、三庫理から見える久高島。それは一つの啓示だった。それを観て、私の疑問が解消される道筋が少しだけ啓かれたように思う。それは、沖縄が受け入れる島である、ということだ。久高島とは、琉球の創世神アマミキヨが初めに降り立った島という伝説がある。だからこそ、久高島を遥拝できる斎場御嶽が沖縄で最高の聖地とされているのだ。

沖縄が受け入れる島である、という気づきは私の沖縄についての見方に新たな視点を加えた。ところがこの旅の間、琉球の歴史を紹介する博物館を訪れる時間がなかった。それもあって、旅から戻った私は琉球の歴史を学び直したい、との意欲に燃えていた。単に「基地反対」と唱えているだけだと何も変わらない。かといって今の現状がいいとも思えない。いったいどうすればよいのか、という問題意識は、同じく基地問題に困っている町田住民としても常に持っておきたい。だからこそ、本書を手に取った。本書は私の意欲に応えてくれた。私が知りたかったのは、沖縄をイデオロギーで捉えない史観。本書のタイトルはまさに私の思いを代弁していた。

「まえがき」で著者はいう。「琉球・沖縄というと、とかく過酷な歴史がクローズアップされ、「悲劇の島」として描かれるケースが多い。また、その裏を返すように王朝の華やかなロマンティシズムが強調されることも少なくない。が、そのような被害者の視点や耳障りのいい浪漫主義だけでこの島の生い立ちを語ることは意識して避けた。」(2ページ)
この視点こそ、まさに私が求めるもの。

琉球を無邪気に被害者だけの立場で捉えてはならない。琉球は加害者としての一面も備えている。本書はその側面もしっかり描いている。ともすれば、われわれ内地の人間からは、琉球が加害者であるとの視点が抜けてしまう。ところが琉球を被害者としての立場だけでみると、大切なものを見落としかねない。どういうところが加害者なのか。代表的なのは、沖縄本島から宮古島や八重山諸島へ課した苛烈な人頭税。これは歴史に残っている。薩摩藩の支配下に置かれ、年貢を求められた琉球王朝は、米の育たない島の住民を人頭税の代替として、強制的に米の育つ島に移住させるなどの施策をうった。そのいきさつは本書が詳しく触れている通りだ。

もちろん薩摩藩からの重税のため、やむを得ない政策だったのだろう。とはいえ、弱いものがさらに弱い者をたたくかのような政策は琉球の黒歴史といえるはず。為政者による政策だったとはいえ、琉球もまた、加害者の一面を担っていた。それは忘れてはならない。その視点を持ちつつ、本書を読み進めることは重要だ。

そして、被害者と加害者を考える上で、本島と八重山諸島の間にあった格差。それも見逃すわけにはいかない。その格差が生まれた背景も本書には紹介されている。上に書いた人頭税こそ、その顕著な事例だ。そもそも八重山諸島が本島による収奪の対象となったきっかけ。それは本書によれば、オヤケアカハチが石垣島で宮古島と本島に反乱を起こし、敗北したことだという。そのほかにも与那国島を統治し、人々から慕われたサンアイ・イソバの事績もある。八重山諸島には伝承されるべき逸話が数多くあり、そこには琉球と違う統治者がいたのだ。つまり、われわれが沖縄を無意識に離島と見なすように、沖縄本島からみた八重山諸島も離島なのだ。そして、そこには従わせるべき人々が存在した。その上下関係は無視できない。その関係を本書で学んだことは私にとって大きい。本書を読むまで、私はオヤケアカハチのこともサンアイ・イソバのことも知らなかったのだから。

本書を読むと気づくことがある。それは琉球の歴史とは周りを囲む強国との国際関係の中にあったことだ。だから本島の中だけで完結する歴史は、本書の中でさほど紙数が割かれていない。各地の豪族が按司として割拠し、それが三山(北山、中山、南山)の有力豪族に集約されていったこと。尚巴志が戦いと治世に才を発揮して三山に覇業を唱え、尚氏王朝を打ち立てた逸話。第一尚氏から、農民出身の金丸が台頭して第二尚氏の王朝を打ち立てる流れ。沖縄を王国として確固たるものにした尚真王の時代。その頃の琉球の歴史は、まだ琉球の中だけで完結できていた。

ところがその間も、琉球と明や清、薩摩の島津家との関係は常に何らかの影響を琉球に与えていた。それらの影響は具体的には平和的な朝貢関係として処理することができた。ところが平穏な日々は薩摩藩の侵攻によって終わりを迎える。それ以降の本書は、薩摩藩の支配下に組み込まれた琉球を立て直すための羽地朝秀による改革や、蔡温による徹底的な改革など、外地との関係の中にいかにして国を存続させるかの苦心に多くの紙数を割いている。戦国武将による琉球への野望や薩摩藩の侵攻、ペリー来琉、琉球処置、人頭税廃止、沖縄戦。琉球の歴史を語る上で欠かせない出来事は、島の外部との関係を語ることなしに成り立たない。

本書は琉球の周辺国との関係史を詳しく語る。とくに薩摩藩の侵攻に至るまでの経緯は、秀吉の朝鮮侵略の野望を抜きに語れない。戦国が終わり、朝鮮の役で悪化した明との関係修復。それのために琉球を利用しようとした徳川家康の思惑。薩摩藩による侵攻の背後には、そのような事情が絡んでいた。その事情がどう絡んでいるのか。薩摩藩の支配下に組み込まれたことは、琉球の歴史にとって重大な出来事だ。なぜ薩摩は琉球に目をつけ、なぜ琉球は清と江戸幕府の二重朝貢を受け入れたのか。その事情を知っておくことは、琉球の歴史を知る上で重要だ。ペリー来琉から琉球処置に至るまでの流れも本書を読むと理解できる。琉球が背負う宿命とはつまるところ、日本と大陸の間に位置していることにある。その地理的条件は動かしようがない。琉球の地政的な位置に目を付けた日本と中国の板挟みにあい、さらに太平洋に進出した米国からの干渉も受けざるをえない。それが琉球の歴史と運命を左右してきた。その端的な結果こそ、沖縄戦である。そして、アメリカ軍政下に置かれた琉球政府としての日々だ。

それらの出来事だけをみると、琉球は確かに被害者だ。だが、先に書いたとおり、琉球は加害者としての一面を持っていた。そして、加害者としての一面は、周辺諸国との身をすり減らすような関係から生まれたことも考慮しなければなるまい。私は著者が宣言したようにロマンティシズムや被害者の立場だけで語らないとの言葉に賛成だ。その上でなお、沖縄が被害者だったことも忘れてはならないと思う。琉球とは一面的に見て済ませられるほど単純な島ではないのだ。

そこには為政者の立場と民衆の立場によって置くべき価値観も違ってくる。なので、批判されるべきは、当時の緊迫した国際情勢も知らず、首里城でロマンティシズムに溢れた王朝文化を築いていた人々だろうか。国を生かすことに苦心した政治家もいたが、おおかたは、状況を受け入れて初めて対策を打ってきた。受け入れに終始し、打って出なかったといってもよい。あえて批判するとすれば、そこにある気がする。

だが、王朝文化の爛熟があってこそ、琉球文化が生まれたこともまた事実。王朝文化もただ非難して済むものでもあるまい。第二尚氏の早期に久高島への参拝の慣習はすたれたそうだ。だが、アマミキヨがやってきたニライカナイに対する憧憬や伝承は、失われることはなかった。聞得大君の存在、組踊の創始、泡盛や琉球料理の数々。それらはニライカナイやアマミキヨへの畏敬の念なしには成り立たない。そして、これらは間違いなく今の沖縄の魅力にもつながっている。

本書は琉球の文化を語ることが主旨ではない。なので、文化史への言及はほとんどない。だが、文化史を語るには、王朝のロマンティシズムに触れないわけにはいかない。著者は被害者意識やロマンティシズムを排した視点で琉球史を語る、という切り口で琉球史を語った。それもまた、沖縄に対する態度の一つだ。その視点からでしか見えない沖縄は確実にあると思う。だが一方で、王朝文化やロマンティシズム、被害者の立場が今の沖縄を作り上げていることも事実。だからこそ、両方の立場から書かれた本があるべきなのだと思う。本書のような立場で沖縄は描かれるべきだし、逆もまたそうだ。本書は琉球を知るために欠かせない一冊として覚えておきたいと思う。琉球を学ぶとは、かくも奥深いことなのだ。

‘2017/06/21-2017/06/28


人類5万年 文明の興亡 下


541年。著者はその年を東西の社会発展指数が逆転し、東洋が西洋を上回った年として特筆する。

それまでの秦漢帝国の時代で、西洋に遅れてではあるが発展を遂げた東洋。しかし「社会発展は、それを妨げる力を生み出す」パラドックスは東洋にも等しく起こる。三国志の時代から魏晋南北朝、そして五胡十六国の時代は東洋にとって停滞期だった。しかし、それにもかかわらず東洋は西洋に追いつき抜き去る。分裂と衰退の時期を乗り切った東洋に何が起こったのか。著者はここで東洋が西洋を上回った理由を入念に考察する。その理由を著者は東洋のコア地域が黄河流域から南の長江流域へと拡大し、稲作の穀倉地帯として拡大したことに帰する。東洋の拡大は、隋と唐の両帝国を生み出し、東洋は中国をコアとして繁栄への道をひた走る。一方、西洋はビザンティン帝国によるローマ帝国再興の試みがついえてしまう。そればかりか、西洋の停滞の間隙を縫ってムハンマドが創始したイスラム教が西洋世界を席巻する。

西洋は気候が温暖化したにもかかわらず、イスラム教によってコアが二分されてしまう。宗教的にも文化的にも。つまり西洋は集権化による発展の兆しが見いだせない状況に陥ったのだ。一方の東洋は、唐から宋に王朝が移ってもなお発展を続けていた。中でも著者は中国の石炭産業に注目する。豊かに産出する石炭を使った製鉄業。製鉄技術の進展がますます東洋を発展させる。東洋の発展は衰えを知らず、このまま歴史が進めば、上巻の冒頭で著者が描いた架空の歴史が示すように、清国の艦隊をヴィクトリア女王がロンドンで出迎える。そのような事実も起こりえたかもしれない。

だが、ここでも「社会発展は、それを妨げる力を生み出す」パラドックスが東洋の発展にブレーキをかける。ブレーキを掛けたのは異民族との抗争やモンゴルの勃興などだ。外部からの妨げる力は、洋の東西を問わず文明の発展に水をさす。この時、東洋は西洋を引き離すチャンスを逃してしまう。反対にいつ果てるとも知らぬ暗黒時代に沈んでいた西洋は、とどめとばかりに黒死病やモンゴルによる西征の悲劇に遭う。だがモンゴルによる侵略は、東洋の文化を西洋にもたらす。そして長きにわたったイスラムとの分断状態にも十字軍が派遣されるなど社会に流動性が生まれる。イスラムのオスマン・トルコが地中海の東部を手中に収めたことも西洋の自覚を促す。そういった歴史の積み重ねは、西洋を復活へと導いてゆく。

東洋の衰えと西洋の復活。著者はここで、東洋が西洋を引き離し切れなかった要因を考察する。その要因として、著者は明の鄭和による大航海が東洋の優位と衰退を象徴することに着目する。鄭和艦隊の航海術。それは東洋を西洋に先んじてアメリカ大陸に到達させる力を持っていた。あるいはアステカ文明は、ピサロよりも先に中華文明によって絶滅に追いやられていたかもしれないのだ。そんな歴史のIF。そのIFは、マダガスカルやシリアまでも遠征し、当時としては卓越した航海術を擁した鄭和艦隊にとって不可能ではなかった。著者は鄭和艦隊を東洋の優位性を示す何よりの証拠と見ていた。

しかし明の皇帝たちは引き続いての艦隊の派遣に消極的となる。一方の西洋はバスコ・ダ・ガマやコロンブスなど航海によって大きく飛躍するのに。この差がなぜ生じたのか。この点を明らかにするため、著者はかなりのページ数を割いている。なぜならこの差こそが、541年から1773年まで1000年以上続いた東洋の優位を奪ったのだから。

あらためて著者の指摘する理由を挙げてみる。
・中国のルネッサンスは11世紀に訪れ、外遊の機運が盛り上がっていた。が、その時期には造船技術が進歩していなかった。一方、西洋のルネッサンスは16世紀に訪れたが、その際は東洋の造船技術が流入しており、労せずして西洋は航海技術を得ることができた。
・中国にとって西には西洋の文物があることを知っていた。だが、後進地域の西洋へと向かう動機が薄かった。また、東の果て、つまりアメリカ大陸までの道のりは間に太平洋を挟んでいたため遠方であった。つまり、東洋には距離的にも技術的にも未知の国へ向かわせるだけの動機が弱かった。東洋に比べて文化や技術で劣る西洋は距離的に大陸まで近く、技術の弱さが補えた。

東洋がダイナミズムを喪いつつある時期、われらが日本も登場する。その主役は豊臣秀吉だ。著者は本書の135ページで秀吉による日本統一をなぜか1582年と記している(私の意見では1590年の小田原征伐をもって日本は統一された)。が、そんな誤差はどうでもよい。肝心なのは、当時の世界史の潮流が地球的なスケールで複雑にうねっていたことだ。本書から読み取るべきは世界史の規模とその中の日本の締める位置なのだ。極東の島国は、この時ようやく世界史に名前が現れた程度でしかない。日本が範とし続けてきた中国は官僚による支配が顕著になり、ますます硬直化に拍車がかかる。ではもし、秀吉が明を征服していれば東洋にも違う未来が用意されていたのか。それは誰にもわからない。著者にも。

西洋はといえば、オスマントルコの脅威があらゆる面で西洋としての自覚が呼び覚ましていく。それは、ハプスブルク家による集権体制の確立の呼び水となる。西洋の発展には新たに発見された富の存在が欠かせない。その源泉はアメリカ南北大陸。精錬技術の発達と新たな農場経営の広がりが、西洋に計り知れない富と発展をもたらすことになる。そしてそれは産業革命へと西洋を導いてゆく。王権による集権化の恩恵をうけずに人々の暮らしが楽になる。それはさらなる富を生み出し技術発展の速度は速まる。全てが前向きなスパイラルとなって西洋を発展させる。かくして再び西洋が東洋を凌駕する日がやってくる。著者はそれを1773年としている。

1773年。この前後は西洋にとって重大な歴史的な変化が起こった。アメリカ独立戦争やフランス革命。もはや封建制は過去の遺物と化しつつあり、技術こそが人々を導く時代。ところが西洋に比べ、東洋では技術革新の波は訪れない。著者はなぜ東洋で技術発展が起きなかったのか、という「ニーダム問題」に答えを出す。その答えとは、硬直した科挙制から輩出された官僚が科学技術に価値を置かなかったことだ。東洋は後退し、いよいよ西洋と科学の時代がやって来たことを著者は宣言する。

なぜ産業革命は東洋で起きなかったのか。著者は科挙制の弊害以外に労働者単価が低かったことを主な理由としている。そして19世紀になっても東洋で産業革命が起きていた確率はほぼなかっただろうと指摘する。

いずれにせよ、西洋主導で社会は動きはじめた。その後の歴史は周知の通り。1914年から1991年までの大きな戦争(と著者は第一、二次大戦と冷戦を一つの戦争の枠組みで捉えている)をはさんでも西洋主導の枠組みは動きそうにない。いまだにG8で非西洋の参加国は日本だけ。

だが、著者はその状態もそう長くないと見る。そして、ここからが著者が予測する未来こそが、本書の主眼となるのだ。上巻のレビューにも書いた通り、今まで延々と振り返った人類の歴史。われわれのたどってきた歴史こそが、人類の未来を占うための指標となる。著者はここであらためて世界史の流れをおさらいする。今度は始源から流れに乗るのではなく、2000年の西洋支配の現状から、少しずつ歴史をさかのぼり、どこで東洋と西洋の発展に差が生じたのかを抑えながら。その際に著者は、歴史にあえて仮定を加え、西洋と東洋の発展の歴史が違っていた可能性を検証する。

著者はその作業を通じて「二〇〇〇年までの西洋の支配は、長期的に固定されたものでも短期的な偶発的事件によるものでもないと結論づけることができる」(301P)と書く。つまり、長期的に妥当な必然が今の西洋支配につながっているのだ。

では、これからはどうなるのだろう。著者は2103年を「西洋の時代が終わると予測される一番遅い時点」(309P)と仮定する。

ここ250年、西洋は世界を支配してきた。その日々は東洋を西洋の一周縁地域へとおとしめた。では今後はどうなるのか。これからの人類を占う上で、人工知能の出現は避けては通れない。人工知能が人類の知恵を凌駕するタイミング。それを技術的特異点(シンギュラリティ)という。人工知能に関するコアワードとして、シンギュラリティは人口に膾炙しているといってよい。著者はシンギュラリティが引き起こす未来を詳細に予測するとともに、破滅的な人類の未来もあらゆる視点から予想する。そもそもシンギュラリティに到達した時点で西洋と東洋を分ける意味があるのか、という問い。それと同時に、破滅した世界で東洋と西洋とうんぬんする人間がいるのか、という問いも含めて。著者の問いは極めて重い。そもそも西洋と東洋を分けることの意味から問い直すのだから。

著者の予測する未来はどちらに転ぶともしれない不安定で騒々しいものだ。著者は人類の歴史を通じて西洋と東洋の発展の差を考察してきた。そして今までの考察で得た著者の結論とは、進化という長いスパンからみると東洋と西洋の差などたいした問題でないことだ。

地理学、生物学、社会学。著者はそれらの諸学問を駆使して壮大な人類史を捉えなおしてきた。そして著者は未来を救うための三つの勢力として考古学者、テレビ、歴史を提唱する。考古学者や歴史はまだしも、テレビ? つまり、著者に言わせると、テレビのような大量に流される情報の威力は、インターネットのような分散された細分化され拡散される情報に勝るということだ。

が予測する未来は破滅的な事態を防ぐことはできる、と前向きだ。その予測は私たちにとってとても勇気をもらえる。私が本書のレビューを書き上げようとする今、アメリカの今後を占う上で欠かせない人物が頻繁にツイートで世を騒がせている。トランプ大統領だ。現代の西洋とは、アメリカによって体現されている。繁栄も文化も。そんな西洋のメインファクターであるアメリカに、閉鎖的で懐古主義を標榜したリーダーが誕生したのだ。そして世界をつぶやきで日々おののかせている。トランプ大統領は西洋の衰退の象徴として後世に伝えられていくのか。それともトランプ大統領の発言などは世界の未来にとってごくわずかな揺り戻しにすぎず、トランプ大統領の存在がどうあれ、世界は人工知能が引き起こす予測のできない未来に突入してゆくのか、とても興味深いことだ。

未来に人類が成し得ることがあるとすれば、今までの歴史から学ぶことしかない。今までの教訓を今後にどう生かすか。そこに人類の、いや、地球の未来がかかっている。今こそ人類は歴史から学ぶべきなのだ。本書を読んで強くそう思った。

‘2016/10/21-2016/10/27